《61》氾日花葬
結局、日菜は私についてこなかった。私は元から志望していた大学を受けることにして、特に挫折することも無く合格した。大学近くのアパートで4月から一人暮らしをしている。
一方の日菜は都内の某大学に難なく合格して、そのまま入学した。
もし日菜が、こんな状況でもついてくることを望むのなら、結局は考えてしまっていたのだろうと思う。そうはならなかったわけだが。
日菜との仲は、ある程度修復できたようには思えるものの、未だぎこちないままだ。
少なくとも私はあの日以降日菜が両親に告げ口したことを蒸し返したりはしなかったし、意識しないようにしていた。今まで通りの距離感で──もし日菜から過剰な要求があれば跳ね除けるくらいのことはしたかもしれないが、そんなことも無く。お互いが意識している「信頼」という概念を損ねたことで日菜への罰は済んでいたから、私には本当に、あれで手打ちにする意思があった。
ただ、日菜としてはそうはいかないようだった。
時期も悪かったとは思う。日菜は受験においてもPastel*Palettesの活動においてもごたついているようだったし、私は日菜に誘われでもしなければ繰り返しの日々を送っているだけで満足な人種だから、冬の間は日菜と出かけたり何かをすることがほとんどなかった。
遠慮と、気まずさと、或いは私という存在からの脱却と。
関係を修復するきっかけもないまま高校を卒業して、私たちは別々に暮らしている。
姉妹関係という意味では間違いなく悪い方に進んでいるが、私個人としてはこれは歓迎すべき状況なのかもしれなかった。
『たとえ誰を殺したとしても』
かつて日菜にそんな言葉を投げかけた。前世の秘密を共有している限り、私は日菜の言いなりになってもいいと思っていたし、それを日菜に伝えてもいた。
今でも日菜が求めるのなら大抵の願いには応えるだろうが、それはさておいて。
日菜が私に対する最強のアドバンテージを放棄したということは、私と日菜だけの世界から脱却する意思があったということとイコールだ。
そしてそれは、私がずっと望んできたことだった。
この国で1番聡い人間が集まる大学に行って、人脈を作って、才能溢れる人間ばかりが生きている芸能界に身を置いて。日菜にとって、己の能力を伸ばすのにこれ以上ない環境なのは間違いない。私のような枯れた人間と接しているよりは余程刺激も多いだろうし、学べることも桁違いに増えるはずだ。
だから、日菜が私から離れていったことは、私にとっては好意的に捉えるべき事象だった。
半分喧嘩別れのようになってしまったことは懸念のひとつではあるが、日菜に対して私の存在が益になるかということを考えれば些事に過ぎない。
開放感と少しの物足りなさ。
結局、私が最初に望んでいた通りになった。
日菜はより自分の成長に繋がる環境に行って、私という異物は両親や日菜から離れてひっそりと生きる。
唯一の懸念であった、日菜の足を引っ張るということについても意図せず解決できたから、結果としては悪くない。
──たった一人。どれほど気楽で幸せだろうか。
桜も散った春、大学の講堂のパイプ椅子に腰掛けて、入学式の終わりを待つ。市長やら学長やらの長い祝辞を聴き終えて、居眠りする学生がちらほら目立ち始めた辺りで解散になった。
完全に盲点だったというか、ヒールの高いパンプスを履く経験が全くなかったものだから、午前にして既に足が痛い。午後からの新歓の前に1度帰って着替えよう、と心に決めて講堂を出た。
集団の真ん中辺りをキープしながら外へ出ると、サークルの勧誘に来た在学生たちがあちこちで声をかけて回っていた。
前世と大学の設備はほとんど変わりないように見える。細かい部分は違っているのだろうが、迷子になったりするようなレベルの変化はなさそうだった。
「キミ! サークルもう考えてる?」
ぼうっと周囲を眺めながら歩いていたら、私も声をかけられた。如何にも大学生らしい女子3人組。一人はギターを持っている。
「一応、軽音サークルを覗こうと思っています」
「ヤバ、ウチじゃん。え、じゃあ新歓来てくれるよね!」
「そのつもりですが……」
「楽器経験ある? あ、未経験でも全然いいんだけど、希望のパートとか……」
「希望が通るならギターを、と思っていますが、ベースも少しは弾けます」
「おおお! ギター確保!!!」
いちいちテンションが高くて面白い。サークルに入るかまでは決め切っていなかったが、新歓には顔を出すつもりでいたので声をかけられたのはちょうど良かった。ジャズサークルもあるからそっちも迷ったが、日菜のベースは返してしまったからベースをやるなら買い直さなければならない。
「新歓、あっちにある中央広場で演奏会するんだけどさ、キミも弾けるなら楽器持っておいでよ。機材はあるし。……ってか名前聞いてなかったね」
「氷川紗夜です」
「氷川ちゃんね。うちのサークルは30人くらいが参加してて、その中で臨時バンド組んだりある程度固定バンドでやってたりするんだけどさ、卒業しちゃった先輩のギター率が高めだったから今若干ギター足りてないんだよね。最初の友達作りのためだけでもいいからとりあえず来てくれるとほんとに助かるんだけど」
人脈作りだけならオールラウンドサークル行けばいいんだけどね、と1人が言って、もう1人に小突かれていた。
前世ではサークルに参加こそすれ、最初以外ほぼ顔を出していなかったから、それなりに楽しみではある。
是非、というとチラシを手渡される。また後でね、と手を振られて、彼女たちは次なる新入生を勧誘しに向かっていった。
ちゃんとしたバンド活動をやるつもりは更々ない。
Roselia以上の巡り合わせを期待できるかと言えば難しいところだろうし、近しい人間関係を作りたくなかった。そもそも、2回もバンドを捨てた人間に、3度目を望めるはずもない。二度あることは三度ある。そして、仏の顔も三度。ここらで踏みとどまっておくのが吉だろう。
母とのトークルームにメッセージが来ていた。日菜の入学式の写真。私からも何か送れということだろうか。入学式案内の立て看板の写真を送っておく。……求められているものと違うのはわかっている。
帰路、チラシを持っていたせいか他の勧誘にも目を付けられて、何度も声をかけられた。イヤホンでも持ってくれば良かっただろうか。
大学を表門から出てすぐの路地。学生向けの食堂だとか、オレンジの幟の学生向け不動産営業所が、如何にも“らしい”ポイントだと思う。
ひび割れた側溝の蓋に引っかかることを恐れながら、大学からほど近いアパートに帰る。パンプスを脱いで、息をついた。そのうち慣れておかなければ。
部屋の隅でスタンドに立て掛けたままのギターを手に取った。引っ越してからは触っていない。チューニングをして、ついでに少し指を馴らす。
笑えるくらい下手くそな音が出た。しばらく弾かないと、すぐにこうなる。
まあ、いいか。お金を取って誰かに聴かせるわけでもない。そのうちまた元の水準に戻るだろう。腕が荒れるなんてよくある事だ。
母が置いていった食材の残りで軽く昼食を作っていると、ちょうど母から電話がかかってくる。
『入学式の写真とか無いの?』
「まあ、1人だったし」
『そうだけど……あー、そっちにも行きたかったのに』
「次の機会にね」
『次っていつよ。卒業式?』
自炊はいかに手を抜くかよ、と母が言っていたのには首肯せざるを得ない。とはいえ初日からこれではハードルが下がり続けるだろうな、と思いながら焼きそばを炒めていた。
「日菜は元気?」
『元気なわけないじゃない』
「はぁ」
『昨日なんか暴れ回ってたわよ』
「元気じゃない」
『身体的にはね』
生まれてからずっと一緒にいたのだから、日菜にとってはこの離別が小さいものではない、というのは分かる。それはそれとしてどうせすぐに慣れるのだし、あまり心配するようなことでもないだろう。そうでなくとも、自分で選んだ道だ。私がどうこう言うものでもない。
『新歓には行くの? 日菜は明日から行くつもりみたいだけど』
「今日からやってるらしいから顔を出すつもり」
『そう。お酒は飲んじゃダメよ』
「うん」
『それと、なにか困っていることは無い? お父さんが心配しちゃって……』
「一日二日で出てこないよ。それに、初めてじゃないから。心配しないで」
予想に違わず、両親ともにしきりに私の心配をしてくる。心配する側の気持ちはよく分かるが、心配される側になると些か過剰に思えて、少し辟易していた。
『……それはそうね。でも、何かあったらすぐに言うのよ。迷惑をかけることを遠慮しないで』
「うん」
『絶対よ』
じゃあね、と切られた通話画面から、しばらく目が離せなかった。
昼食を食べ終えて、再び外出の準備をする。高校3年辺りから特に、私服のレパートリーが増えてあまり困らなくなった。私個人としては衣服にお金をかけるのは無駄だと思うのだが、日菜や白鷺さん、母に付き合ってショッピングに行くことが多くなってしまったから、その度に服が増えた。
どういうわけか、白鷺さんと日菜の両方から丸山さんのセンスは信じるなという忠言があったので丸山さんセレクトのコーディネートは持っていない。その場で白鷺さんにストップをかけられる丸山さんの表情は愉快だったが。
アクセサリは大抵白金さんセレクトか、白金さんのハンドメイド。飾り気のないのが気にかかるのか、私と湊さんはしばしば白金さんにイヤリングやネックレスを贈呈されていた。私の場合は楽器に干渉するから、イヤリングやイヤーカフが多かっただろうか。返礼に金銭は拒否されたので、それとなくお返しをするのに湊さんと揃って苦心した。
今日はアクセサリはいいか、と比較的楽な格好で外へ出た。バンドカラーのジャケットに、白のシャツ、デニムスキニーにスニーカー。白鷺さんには怪訝な顔をされそうだ。少しメンズっぽいファッションは、逆に日菜には喜ばれそう。
大学へ戻ると、先程よりも新歓の勧誘が大規模に行なわれていた。さすがに新入生も減っていそうなものだが。
チラシにあった通り、午後2時に中央広場に到着した。今日から3日間毎日ここでライブをやるらしい。交代制でやるのだろうか。
「ちゃんと来てくれたんだ、ありがと〜」
「……こっちに来ていいんですか?」
「うちらの番はあとだからいいんよね。それまで話してようよ。……あ、私のことはリオって呼んでね」
扇状に広がった階段が座席のようになっていて、観客の多くがそこに腰掛けながら機材の準備をしているバンドを眺めていた。明らかに新入生以外も来ている気がする。
「氷川ちゃんってバンド経験あるの?」
「高二から1年半くらいだけですね」
「へー。ライブ映像とかある?」
ライブ映像、と言われるといちばん新しいのは夏フェスのものだろうか。スマホを遡ると、個別に管理したファイルの1番上にあったそれを見せる。あとから公式の映像を貰ったものだ。思い出深い映像となると、日菜とのライブかこちらになる。
「え、これ、フェス?」
「『NIPPON ROCK FES』って夏フェスです」
「え? マジ?」
「一般枠ですけれどね。私はサポートですし」
「ちょっと許容量超えたかも。あの、さっきのふたりも呼んできていい?」
「良いですけど……」
ヤバイヤバイといって小走りで駆けて行く背中を見送る。確かに驚くか、と今更ながらに気が付く。周囲のバンド関係者がAfterglowとRoselia、Pastel*Palettesと、揃いも揃っておかしい環境にいたのを失念していた。
隠すことでもないし、まあいいかと思い直す。ついでに、少し遠巻きにしてくれれば良い。ときたまライブに参加するとか、セッションするとか、その程度の交流ができれば満足なのだから。
「おーい、氷川ちゃん!」
「はい」
「ウチらとバンド、やろっか」
「はぁ……」
「ウチらが今年卒業するまでだからさ!!!」
前言撤回。ダメかもしれない。