腹を割って話し合えと言っておきながら、プロデューサーはその後特にアクションを見せなかった。とりあえず引き継げる分は引き継いで、あとはもう放置だ。協力を求められれば手伝うし、そうじゃないならあたしは積極的には関わらない。
話し合う気も、あまり無い。最低限の擦り合わせは済ませているはずだ。不仲なわけでもあるまいし、これ以上は不平不満をぶちまけ合うだけの不毛なものになりかねない。
みんなの大学入学と、あとはプロデューサー就任が重なったこともあって、パスパレの活動としては長めの空白期間だったから、個人の仕事を多めに入れていた。
たとえば、彩ちゃんの師匠──例のプリン頭のお姉さんのライブのサポートとか。何度も参加しているから、ライブでも顔馴染みのようになってきた。パスパレの日菜ちゃんだったり、お友達の氷川ちゃんだったり、ミッドデイちゃんと呼ばれたこともある。最後は小突いておいたけど。
なんだかんだ彼女もソロシンガーとして成功しているし、ライブに参加していると妙な縁だなと思う。
どこかで彩ちゃんと共演してもらおうとは思っている。……決定権無くなったんだった。
つまんない。
取りこぼしていくばかりだ。おねーちゃんも、家族も、パスパレも。こんなに何一つ上手くいかないのは初めてだった。
「日菜さん、最近サポートの仕事が多いですよね」
「んー、暇になったからね。麻弥ちゃんはスタジオの仕事が多いみたいだけど、サポート入ったりしないの?」
「事務所経由で仕事が来ることはありますけど、稀ですね。録音の方が性に合っていますから、積極的に入りたいとも思わないですし……」
最近は専らスタジオに籠っていた。今日は麻弥ちゃんが一緒だ。例の如くあたしのチャンネルの録音に誘って、歌うのは拒否されながら何曲か録ったあと、ふと麻弥ちゃんが話題に出したのがあたしの仕事についてだった。
麻弥ちゃんも最近、単発のレコーディングの仕事がかなり多い。見た目が良くて実力もあるのだから、あたしから見ても麻弥ちゃんはかなり特異的で需要がある人材だと思う。スタジオでのレコーディングの仕事が多いのは、スタジオミュージシャンとして事務所に直接所属していたときからの縁だろう。マネージャーも、本人の希望しそうな仕事を優先的に流していると言っていたし。
「『東京アイドルサミット』が始まればまたパスパレの皆さんと一緒のお仕事が増えるんですかね?」
「そうなんじゃない? 麻弥ちゃんは楽しみ? TIS」
「もちろんです! ジブンでも知ってるくらい大きなイベントですし、それに、あの武道館でライブができるチャンスでもありますから。……日菜さんは、楽しみじゃないんですか?」
「イベントは楽しみだけど、武道館がどうこうっていうのはないかなー。あたしは、パスパレなら自力で行ける場所だと思ってたから」
麻弥ちゃんは違うの? とはわざわざ言わなかった。
麻弥ちゃんの認識もなんとなく分かってしまっていたし、変に気を遣わせるのも面白くない。
「ミーティング前だし、早めに出よっか」
「そうですね」
話を中断してスタジオを出る。進学に合わせて新調したノートPCは、スペックの高いものにしたから今のところ満足できる性能を発揮してくれているけれど、その分持ち歩くのに少し重い。外のスタジオで録音するついでに、と持ち歩いているけれど、これならメイン用のデスクトップPCと外出用の軽いサブ機を買って使い分ければよかった、と少し後悔してもいる。
「武道館の話、ですけど」
「うん」
「日菜さんがそんなことを言ってくれるなんて……その、意外でした。ジブンは、ドラムこそそれなりにやれると思っていますが、アイドルとしての自身にはまるで自信がありません。自分自身がどれくらいの立ち位置にいるのか、そんなことすらたぶんよく分かっていません」
そういえばあまり、麻弥ちゃんと芸能活動について話したことはなかったな、と思う。機材のことを教えてもらったり、演出について話し合ったり、リズム隊として音楽のことで議論することは多いけれど、それ以外の話題が出ることは少ない。
「嬉しかったです。けど、悔しかったです。日菜さんがパスパレの可能性を信じてくれているのに、ジブンは、武道館なんて夢物語だと思っているんです」
悔しい、と言いながら、麻弥ちゃんの横顔は楽しそうだった。
そうだよねぇ、という納得。麻弥ちゃん自身がオタク気質で、性格的に向いていたのだろうとは思うけれど、麻弥ちゃんはパスパレに出会う前から一人で技術と知識を身につけていた人だ。高校生にして機材スタッフとして働ける知識と資格を獲得して、スタジオミュージシャンとして活躍できるだけのドラムの技量を備えている。向上心と知識欲の化身と言ってもいい。
目標が見えるのは楽しいだろう。
「フヘヘ、照れくさいついでに、一つだけ言ってもいいですか?」
「なに?」
「日菜さんって、本当は熱くて優しい人ですよね」
「……へぇ? どうしてそう見えるの?」
「パスパレに入る前から、日菜さんのことは知ってたんです。……同じ学校ですし」
「そうだね。あたしも麻弥ちゃんの顔と名前くらいは知ってたよ」
熱心さも優しさもあたしには無い。またなんか誤解されているな、と思いながらエレベーターのボタンを押す。四階から一階へ。
「学校での日菜さんはなんというか、近寄り難くて……ええっと、少し怖かったんです。でも、パスパレで一緒になって、なんというか、『この人も努力をしたり、悩んだり、困ったり、喜んだりするんだ』って思いました。……当たり前ですけど」
「なにそれ。あたしのことロボットだとでも思ってたの?」
「うーん、でも、別世界の人だとは思っていました。千聖さんと同じように。だから、日菜さんがパスパレのために手を尽くしてくれていることが、とても嬉しかったんです。同じ方角を見れていることが、ジブンがここに、同じ目線の高さに立っていることが。……パスパレで日菜さんに出会えたことが、幸運だったなって思います」
これってキモイですかね、と言われたので
エレベーターを降りて、別棟に移動する。それからまたエレベーターへ向かって、今度は五階へ。
「過大評価かな」
「気に障ったのでしたら──」
「ううん、嬉しいよ。でも、麻弥ちゃんが思ってるほどあたしは良い人間じゃないし、たぶん、パスパレのことなんてなんとも思ってないからさ」
言い切ると同時にミーティングルームの扉を開く。中にはプロデューサーと、千聖ちゃんが待っていた。
あとでまた認識を擦り合わせておこう、とは思った。
ああでも、今は良くないか。好意的な方に誤解されている現状を修正しようとして、あたしのモチベの話と千聖ちゃんとの約束の話をもう一度繰り返したとして、今度はあたしが辞めようとしていると誤解されかねない。あながち誤解とも言いきれないけれど。
一対一ならともかく、全体で話をするとどうにも認識の齟齬が大きくなるような気がする。
「急にミーティングって、何の話をするの?」
「まあ、いろいろだね。いい機会だし、会わせたい人もいるからちょうどいいかと思って」
「会わせたい人、ですか……」
「気負わなくても、業界の偉い人とかそんなんじゃないよ」
会わせたい人、と言われても思いつかない。千聖ちゃんの表情を窺ってみても、千聖ちゃんも知らされていないらしい。
あたしたちが適当な席に座ると同時に、彩ちゃんとイヴちゃんが入ってくる。エレベーター1往復分の差だろう。
「たのもー!」
「おはようございまーす! って、みんな揃ってる……!」
「おはよう、丸山、若宮。まあ、座って」
指定された時間の10分前に全員揃って、なし崩し的にプロデューサーが進行を始める。
「まず今日話したいことは、企画している握手会についてと、『東京アイドルサミット』についての方針についてなんだけど、その前に。パスパレには幾つか整理しておかなきゃいけないことが残ってる」
ここでいきなり、この間あたしに言った『話し合い』をさせる気か、と身構える。
プロデューサーの主張に、理解はしても納得はしていない。あたしたちパスパレというアイドルバンドは、今更曖昧な精神論なんかを必要としていない。
アイドルとは理想の具現である。観客に夢を見せるアイドルは、アイドル自身が夢と希望に満ち溢れていなければならない。そんな正しいアイドル像は、彩ちゃんやイヴちゃんが体現している。
現実に溢れている冷たさも、厳しさも、悪意も、あたしと千聖ちゃんが限りなくハードルを低くできる。曲がりなりにも1年と少し、急激な上り調子の中、いっさい身持ちを崩さないでやって来れたのはこの体制が決して間違いではなかったからだと思っている。
ドラマ作りの演出がしたいのか、と考えてみる。まさか。自分の肉をちぎって食らうような馬鹿げた真似をする意味が無い。
「ついでに、みんなに会いたいって人がいてさ〜。丁度いいかと思って、呼んでおいたんだ」
呼んでくるから待ってて、と言ってプロデューサーが席を立つ。やはり心当たりは無い。チェアの背もたれに思い切り背中を預けて、しなる背もたれの反撥に合わせて背伸びをする。
「誰?」
「心当たりはないわね。日菜ちゃんも知らないのなら……Marmaladeの関係者、とかかしら」
「あゆみさん、かもしれません!」
「だったら嬉しいけど、さすがにそれは……」
その予想が当たってくれるのが一番良い。彩ちゃんにとっては大きな刺激になるだろうし、早々問題を呼び込んでくるような相手でもなさそうだ。
カーペットを踏む1人分の足音が遠ざかっていって、しばらくして2人分に増えて戻ってくる。
ドアが開いて、目に映った人物は、あたしの想像の全く外からやってきた。
予想だにしない、どころではない。
この場にいてはならない、とさえ思う。少なくとも、プロデューサーの手引きによって会うべき相手ではない。
部屋に入ってきたのは、あたしたちと同年代の少女だった。
空色の髪、アメシストの瞳、
「久しぶり、パスパレのみんな」
会うのは初めてだけど、あたしは彼女を知っていた。
「そして、初めまして、氷川日菜ちゃん。私は
そう言って、どうぞよろしく、とにっこり笑う。
他の4人の思考が止まっているのが横目にもわかった。あたしだって、思考が追い付いていない。
──パスパレを辞めたはずの彼女が、歪な笑顔で立っていた。