月輪より滴り   作:おいかぜ

66 / 100
《66》隠心不痛

 

 努力が報われるとは限らないが、成功の裏には努力が存在するべきである。そういう類いの思想を千聖は備えていて、目の前の《敵》に対して遺憾無く発揮されていた。

 

「私は絶対に頷かないから、話すだけ無駄よ」

「あーあ、残念。7割くらい本気だったんだけどね〜」

 

 天羽の考え方自体は、嫌いではない。損切りの判断の早さだとか、芸能界で生きていく上で相手の懐に潜り込む術だとか、そういう“巧さ”を千聖は否定しない。

 けれども、この場に戻ってくるような厚顔無恥な振る舞いは嫌いだった。

 

「というか、日菜ちゃんって意外と人望無いんだね。味方は千聖ちゃんだけ?」

「あなたを即座に切り捨てない優しさだとは思わないのかしら」

「だとしても部外者と仲間を秤にかけて迷うのは可哀想な気がするね。よく考えなくても、パスパレをここまで伸ばしたのって日菜ちゃんでしょ」

 

 日菜と千聖が実質的にパスパレを動かしているのは、全員が知り得ていることだ。しかし彩達にとってそれが、完全に意に沿うものであるのか、日菜の尽力がどこまで理解されているのかは千聖には分からない。

 

 努力や苦労は見せびらかすものではない。とりわけ日菜は苦労を滲ませないから、千聖でさえも日菜の負担がどの程度なのか、大まかな想像でしか把握出来ていない。

 それに千聖自身、自分が歩んでいる道が正解なのか、確信が持てないでいる。

 

「千聖ちゃんも疎まれてたりして。厳しそうだもんね。パスパレはもともと演奏さえしないようなお遊びグループだったんだから」

「それでも別に構わないわ。最初のお粗末な状態のままでは乗り越えられなかったもの。あなたが抜けてから今までのパスパレの戦いは、少なくとも間違いではなかった」

 

 もう話すだけ無駄だと感じ始めていた。ここから天羽にできることは、パスパレに亀裂を入れてそれを広げることだけ。

 他者との比較、それに付随する嫉妬。正から負に変わりやすい感情を使って、パスパレを良くない方向性に持っていこうとしている。議論ではなく、一方的な攻撃だ。

 

「彼方ちゃん」

「なぁに、彩ちゃん」

 

 最初に千聖が制したきり、黙っていた彩が口を開く。日菜が部屋を出ていく直前、即座に日菜を庇えなかったことを気にしていたらしい彩は、思いの外強い声色で言葉を発する。

 

「私は、彼方ちゃんのこと友達だと思ってる」

「ありがとう。私も彩ちゃんのこと好きだよ」

「でも、彼方ちゃんをパスパレに迎え入れることはできない。感情的にはそうしたいけど、私はその選択肢を選んじゃいけないと思うんだ」

 

 彩が天羽をばっさりと切り捨てたのに驚いた。最初に言い淀んだときには確かに、天羽を否定することを躊躇していたはずだったからだ。

 

「感情で動いてもいいんだって言ってなかった? パスパレのリーダーは彩ちゃんで、日菜ちゃんや千聖ちゃん達は一応それに従っているんでしょ?」

「何でもかんでも好き勝手するわけにはいかないよ。感情で動いて日菜ちゃんを引き止めたんだから、その責任は負わなきゃいけない。それに、私は今のパスパレが大事だから……彼方ちゃんの手は取れない」

 

 天羽にも、驚きの表情が貼り付けられている。この中で最も彩と付き合いが長い天羽とっても意外な発言だったのだろう。

 

「彼方ちゃんの力にはなりたい。そのためにパスパレの彩として協力もしたい。けど、パスパレのみんなを軽んじるようなことはしないよ」

「……変わったね、彩ちゃん。お人好しで甘ったれだったのに」

 

 意外に感じたとはいえ、千聖は彩が変わったとは感じなかった。もとより、大事な場面では決断が下せる人間だ。日菜や千聖が彩をリーダーに据えたままにしているのは、事務所の売り出し方がそうであるという以上に、彩自身の判断を期待した結果である。一人で走っていける日菜と千聖を引き留める役割でもあるし、2人には無い視点で物事を動かせる可能性も秘めている。

 

「潮時かな。日菜ちゃんが戻ってきたらいじめられそうだし、帰るよ」

「待って。……彼方ちゃんって、今何してるの?」

「モデルやったり、曲作ったり、いろいろかな。ソロで気楽にやってる。だから、彩ちゃんが想像したような切羽詰まった状況でもないし、別に手助けもいらない。ここに来たのは──まあ、八つ当たりみたいなもの」

 

 欲をかいた、と天羽は言った。

 

「案外パスパレってバラバラだったんだね。もっと反発されると思ってた」

 

 そんな捨て台詞が、本当に『効く』ことをわかって言うのだからタチが悪い。頑張ってね、と言い残して、本当に未練もなさそうに立ち去っていく背中を見送った。

 

 散々に引っ掻き回してくれたことへの苛立ちと、ほんの少しの安堵。

 天羽が本当に、芸能界にしがみつく最後の手段としてパスパレへの懇願を選んでいたのなら、千聖といえども後味悪く感じていただろうから、天羽が半ば冷やかしのような心境でここに来たのなら、それはそれで構わなかった。

 

 扉が閉まる。遠ざかっていく足音。ホッと息を吐いたのがわかった。イヴだろう。争い事が嫌いで、協調を尊ぶイヴにこんな醜い言い争いを見せてしまったのは千聖としても反省すべき点だった。

 

「……私たち、バラバラ、ですか?」

 

 イヴの言葉になんと返すべきか、逡巡した。

 千聖としては、そんなことは無い、と思う。パスパレ全体の気持ちは『東京アイドルサミット』という直近の目標に向いているし、アイドルバンドという形態で高みを目指すという初期からの目標も揺らいでいない。

 

「そんなことないよ」

 

 自分に言い聞かせるように彩が言った。

 日菜のことをなんと言うべきか、言葉選びに悩む。千聖としては、何となく日菜の状態を理屈で把握できていると思っている。

 やる気がなくなったと言う理由、原因。そしてそれが、パスパレ内の話し合いでどうにかなるものではないことも知っている。

 

 日菜を引き込んだのは千聖だ。そして、パスパレで1番日菜に信用されているのも千聖だった。

 

「でも、ヒナさんは……」

 

 話し合うべきだろうか。踏み込むべきだろうか。

 

 まがりなりにも1年と半年、氷川日菜という人間に触れて、理解しようと努めて来たつもりだ。友人として、その才能に憧れる一人の人間として。

 

 印象に残っているものの中では、たとえば、口喧嘩が下手なこと。

 交渉も取り引きも得意なのに、日菜は口喧嘩が苦手らしかった。千聖の経験則でしかないが、兄弟姉妹がいる人間は大抵口喧嘩が上手い。不満を口に出すことに慣れていて、親しい相手とときには反りが合わなくなることも知っていて、それらを有耶無耶にして仲直りをする術を心得ている。

 

 対する日菜は、感情を口に出すのが下手くそだった。自分の言葉が相手の感情にどう作用するのかを重視して、自分の不満をただぶちまけることもできない。感情の機微を用いた交渉はできても、感情的になって振り切れることはできない。こういう発言をすれば、相手はこう捉えるから、こういう風に誘導できる。そんな計算ができてしまうから、『何とかなれ』と言葉の爆弾を撒き散らすことができないのだ。

 

 愛されてきたのだろう。慈しまれて、大切にされてきたんだろう。紗夜が日菜に対してどのように接してきたのか、何となく想像がついた。

 

 同時に、もうひとつ。かつて日菜が千聖に言った言葉を思い出す。

『ぶつかれば、曲がる』。彩達と話し合って欲しいと頼んだ際に出てきた言葉。価値観の話だ。

 

 日菜は、『理由』と『目的』をまとって生きている。目的地に辿り着くために道を選んで駅へ向かうように、大学に入るために勉強をするように、人生におけるほとんどの事象に理屈を持ち込んでいる。

 たとえば、あの日。パスパレが本当の意味で『アイドルバンド』を目指すと決めた日。日菜に相対するのが彩でなければ、或いは彩が少しでも強情だったり、頑なだったりすれば、日菜が一方的に彩を言いまかしてそのまま立ち去っていたかもしれない。

 

 これは千聖の例でもあるけれど、多感な時期の子どもというのは、優秀で孤独に見える同級生に異常な敵意を見せることがある。あくまで推測に過ぎないが、日菜もその標的になったことだろう。

 勉強や運動、社会的地位での比較、いじめに類するような嫌がらせ。きっと日菜には堪えなかっただろうと思う。猿が喚いても心に傷を負ったりはしないように。

 

 勉強が苦手で、それをコンプレックスに思っている子どもが日菜に「勉強なんてくだらない」「ガリ勉なんて気持ちが悪い」なんて言ったところで、日菜は勉強が人生に与えるメリットとその必要性を具体的に説くのだろう。単純化して言ってしまえば、勉強ができるに越したことはないのだから、妥協する意味はない。勉強はつまらないし疲れるから嫌いだという主張を、「でも勉強は役に立つしやっておいた方がいいからやってるだけ」とへし折る。統計学的なデータで生涯収入を比較するかもしれないし、もっと学生らしい論拠を持つのかもしれないが、決着をつけるような言い合いでは日菜が勝ってしまうだろう。

 

 常に理論武装が完成していて、相手を正論で言いまかしてしまえる。頭の回転が早くて、物怖じしなくて、機転が効いて、語彙力のある日菜は、ぶつかった相手を一方的にへし折ってしまうこともあっただろう。

 相手を言い負かすことには、実の所なんの意味もない。相手の価値観をへし折り、己を誇示する以上のものではなく、お互いになんの利もない不毛な行為である。

 

『ぶつかれば曲がる』というのは、どうにもそんな経験則から出た言葉のように思えてならなかった。

 

 話し合うことを面倒臭がるのも、価値観を擦り合わせることを嫌うのもそうだ。その必要性がわかっているが故に、避けて通れないことにも気が付いている。

 

 あの姉妹は、あれでようやく釣り合いが取れている。

 受動的で風にそよぐ柳のような立ち居振る舞いをするくせに意外と強情でお調子者の姉と、天真爛漫なようで思慮深く慎重な妹。

 

 そうして、氷川日菜という人間に触れて、千聖が何となくずっと感じてきた日菜が抱えている問題。

 

 

 氷川日菜という人間は、きっと、孤独なのだ。

 

 

 以前から、千聖に対する日菜からの好感度がやけに高いように感じていた。日菜に対して特別なことは何もしていない。ほかのメンバーと同じように接して、パスパレの運用に関して相談をし合ったりするくらいだ。

 

 紗夜と共通の友人であるという点では、彩も条件は変わらない。

 自分が日菜に重んじられるような能力を持っているとも思えない。持っていたとしても、麻弥と扱いが違うように感じる理由にはならない。

 紗夜に一時期ギターを習っていたというだけで特別視されるとも思えない。

 

 いつか、日菜は千聖にシンパシーという言葉を使った。

 

 何気ない会話の中だったが、きっとそれが答えなのだろうと千聖は思っている。

 

 千聖から見た日菜は、天才である。

 

 長らく、千聖にとって「天才」とは特定の分野に異常なほどの能力を発揮するタイプの人間だった。たとえば将棋や野球なんかの競技、スポーツにおいて異次元の記録を更新し続ける傑物。その歴史を語り継がれるような存在。音楽や絵画、芸術において際立った作品を残した者。不特定多数膨大な数の人間を魅了したり、誰かの人生を作品ひとつで変えてしまうような創作者。

 

 千聖が身を置いている「芝居」の領域においても、そういう天才はいる。

 所作ひとつで鳥肌が立つほどに美しさを感じさせる女優。ウィンクで世界中を魅せた少女。世界中の誰一人として知らないはずの「死」を、現実よりも身に迫らせる俳優。見栄ひとつで舞台中を支配する俳優。映画監督まで裾野を広げれば更に。

 

 誰も真似できない領域に至った才能を「天才」と呼ぶ。

 

 そんな前提が打ち砕かれるのを感じていた。

 

 日菜は、ただ平たく言ってしまえば「優秀」な人間だった。前人未到の記録を持っているわけでも、誰一人真似できない唯一無二のスキルを持っているわけでもない。

 問題は、日菜を「優秀」の一言で片付けてしまうと、千聖が今まで出会ってきた優秀な人間たちが尽く凡人に成り下がるというその一点に尽きる。

 

 結局、高校時代の成績は一位をキープして特に苦もなく東京大学に進学し、運動面では暇つぶしに参加したダンスレッスンで彩の心を一度へし折るくらいの習得速度を見せ、ベースを始めて2年で音楽で生活しているプロたちと対等に交流できる技術を身に付けている。動画サイトの登録者も凄まじく伸びているから、クリエイターとしての技量を疑う余地もない。個人の能力として、いったい何を持ち得ないのかと言いたくなるような“性能”を発揮する。

 

 極めつけは、ここまでのパスパレの伸長に全てかかってくるマネジメント能力だ。社会経験がないどころかアイドルに微塵も興味がなかったような女子高生が崩壊しかけのアイドルバンドのマネジメント指揮を執って1年半が経つ。

 現在のパスパレが事務所にもたらす年間利益は、事務所内で1位だ。総利益では往年のレジェンドたちに敵うはずもないが、年間ベースで見れば全く引けをとっていない。同時期にデビューしたグループが奮わない中、一人勝ちしているパスパレの現状は間違いなく、日菜が作り上げたものだ。

 

 これを「優秀」で片付けるべきではない、と千聖は思う。万能の才能なのだ。それこそ、かのダ・ヴィンチのような。

 

 そしてそれ故に、日菜は孤独だった。

 

 千聖が窺い知れるほどに日菜が孤独を感じているのだとすれば、紗夜は日菜の孤独を埋める存在とはなり得ないのだろうか。

 

 日菜はしばしば、自分よりも紗夜の方が優れていると言う。傍から見れば両者の能力差というのはよく分からないし、あながち嘘とも言えない。明確に点数の出る「勉強」という部分では少なくとも両者は拮抗していて、パスパレの運営やその他の分野において日菜が頼るほどの能力を紗夜が備えていることは確かだ。

 

 では、紗夜は「天才」であるか。否だ。彼女が日菜と全く同じ能力を持っていたと仮定して、それでも千聖はそう言うだろう。

 スポーツカーとて、ガソリンがなければ動かない。たとえどんなに高性能な機械でも、電力がなければ動かない。紗夜にはそんな動力が欠けていた。

 

 周囲の全てを置き去りにする才能が、日菜にもたらす「孤独」を埋める存在に、紗夜はなり得ない。

 

 近頃、日菜と紗夜が一種の──離別のような状態になっていることを、千聖は紗夜から知り得ていた。「姉離れ」と紗夜があっさり片付けたそれが、日菜にとって心身に多大な影響を及ぼす重大な事件になったことは容易に窺い知れる。だが、最近とみに感じるようになった日菜の孤独の根源的な要因は、紗夜との関係の変化ではないように思えた。

 

 千聖が日菜に出会う前から、彼女は気が付いてしまっていたのだろう。理解される喜び。理解されない恐怖。ただ一人歩くことの恐ろしさを。彼女は最初から孤高性を保っていた。

 

 紗夜も千聖も、きっと孤独を埋める材料にはなり得ない。けれど、和らげる材料くらいにはなる。

 

 それが、「シンパシー」という言葉に現れているように、千聖には思えていた。

 

 ずっと、なぜ自分なのだろうかと疑問に思っていた。千聖は、パスパレ初期の日菜に対して好かれるようなことを何もしていない。軽薄で興味無さそうに見える態度に少しだけ腹を立てたり、さっさと抜けようとする日菜を引き留めたり。日菜を肯定するようなことは何もしていない。

 それなのに日菜が、「パスパレで一番好き」と宣ったわけを、千聖は少しだけ気にして生きてきた。

 

 視点の高さ。それこそ、日菜と似たような景色が見えているかどうかということなのだろう。日菜を除いたパスパレメンバーの中で、最も先を見通せているのは千聖であるという自負がある。

 孤独を誤魔化す僅かな共感性に、意識的にか無意識的にか、日菜は価値を感じている。

 

 勿論、千聖の推測が外れている可能性はある。全くの見当違いで、誰よりも優れた氷川日菜という人間は、今更孤独なんてものに揺らぎもしないのかもしれない。

 

 

 だが、この1年と半年、日菜に向き合ってきた結果として千聖が出した結論がこれだった。

 

 

 友人の一人としては、日菜がつまらなくなったのならパスパレを辞めたっていいと思う。彼女はどこでだって成功できるだろう。

 ただ、その退屈や諦めに寂しさが含まれるのなら、ほんの少しくらいは。

 

 上から目線で手を差し伸べてみたって構わないと、そう思う。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。