月輪より滴り   作:おいかぜ

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《7》夏影とシンクロニシティ

 

 

 音を合わせるというのは、案外心地好いものだった。夏休みに入って楽器の練習時間が取れるようになってから、私たちはしばしばセッションするようになった。私もある程度勘を取り戻したのか、ようやっと思い通りに弾けるようになってきたのだが、それよりも日菜の上達が凄まじい。

 マメを潰して痛い痛いと言いつつ、そのままピックを握ってまた練習を始める執念深さだ。私は日菜のことを相当見誤っていたのだろう。

 

「また先走りすぎよ。ドラムは打ち込みなのだから、あなたがズレたら全部ズレるわ」

「はーい。このサビの入りのとこ、どうしても勢いつけちゃうんだよね」

 

 確かにまだ拙い。リズムは先走るし、難しい運指にも指がついていかない。だがそれを補ってあまりあるエネルギーがあった。

 細やかな技術なんてものは、どうせ日菜にはあとからでも備わるに決まっている。ピッキングの正確さとか、演奏に深みを持たせるテクニックとか。もう普通にグリッサンドなんかのわかりやすい小技を使い始めているくらいだから、そこはもう疑いようがない。

 

 魅力的に弾けること。これも間違いなく氷川日菜という人間に備わった才能だった。

 

「本当は逆なのだけれど……私の音に合わせて。あなた、そういうのは得意でしょう」

「……うん!」

 

 私が始めたての頃はどうだっただろうか。日菜が初日に「コードは覚えた」と言っていたのを思えば、私よりも日菜の方がずっと努力家気質なのは瞭然だった。楽器が違うことを考慮しても、私が始めたての頃は好きな曲の中でも比較的簡単だとされる曲をひたすら練習していて、コードを覚えるのなんて二の次だったような気がする。

 どちらが上達するのに効率がいいとかそういう話ではなくて、日菜の方が先を見据えて基礎から積み上げるタイプだったということ。

 

 こんなことにも気が付かなかったあたり、如何に私が相手のことを見ていないかが分かる。

 我ながら最低な話だが、私にとって「日菜」は関心を引かれるものではなかったんだろう。日菜が妹で、そして自分よりも才気に溢れているという事実だけでよかった。氷川紗夜である私を構成するのにはその情報だけで良かったから、日菜個人の人格には興味さえ抱いていなかった。

 

 

 本質的に、私は『姉』のロールプレイをしているに過ぎない。

 

 才能に溢れる妹を戒め導く姉の立場に優越感を覚え、子供の皮を被った社会人が優秀な学生を演じて自尊心を慰めている。

 ほんとうに、気持ちが悪い。私が日菜に抱いている好意の何割が、自分を慰める道具に対して向ける感情なのだろうか。

 中途半端に家族の絆なんてものを認めてしまったから、こうして今も悩んでいる。父や母との関係と同等のものであれば、いくら愛を向けられても無視できたはずなのに。

 

「おねーちゃんは全然アレンジとか入れないよね」

「作曲者が最も良いと思ったモノを発表しているのだから、何も弄らない方が一番綺麗に弾けるのが道理でしょう」

「それはそうだけど、ふつう自分が好きなように弾くものじゃないの?」

「作曲者の意図に沿うのが好きなのよ。何がなんでも、というこだわりではないけれど」

 

 実の所、天才への憧憬だってそう深刻なものではないのだ。たとえるならそう、野球少年がメジャーリーガーに向けるそれに近い。

 それこそ、思春期の悩みそのものだ。『2回目』という降って湧いた幸運に縋って、分不相応に自分を飾り立てて、そして出来上がったのは虚飾の才能と努力に包まれた氷川紗夜という凡人だった。

 とっくに現実を思い知らされていて、学生の頃のステータスなんて社会に出てからはなんの役に立たないこともわかっていて、だからもう、青春時代に忘れていける後悔に過ぎない。

 

 何がなんでもなりたいものがあったわけじゃない。夢があったのなら、そこに到達するのに必要な才能を死ぬほど羨んで、そして死ぬほど憎んだだろうに。

 私にとっての才能とは、届かなかった“過去”に過ぎないのだ。社会人にでもなって日菜と別れて暮らすようになれば、懐かしく苦い過去の思い出としてふと胸を痛めるのが関の山だろう。

 

 日菜が妹でなければ私は、2回目の人生をここまでストイックに生きることはできなかっただろうと断言出来る。

 やっぱり、嫌われていた方が楽だった。自責の念に駆られずとも済んだだろうから。なんて、最低な私。

 

「……どうして私には合わせられてドラムに合わせられないのよ」

「えー、どうしてだろ。呼吸がわかるから?」

「人を読むより一定のリズムに合わせる方が普通は簡単なのだけど」

 

 私に合わせて弾いてみろと言ってから数度、今度は完璧にリズムが一致する。少し気恥ずかしくなった。

 演奏中に目が合う回数が増える。こちらを窺うような上目遣いが、音を重ねる毎にはにかみに変わってゆく。

 分かりやすく好意を向けられるのが、どうしても苦手だ。

 

「今日の練習は終わりね」

「えー、まだやれるよ」

「これ以上は効率が悪いでしょう。それに、もう2時よ」

「そういえばお腹減ったかも。……明日も一緒に弾いてくれる?」

「明日はライブハウスに行くわよ。どういう場所なのか見ておくのも悪くないでしょうし、ちょうどイベントをやっているらしいから」

 

 それに、イベントの申し込みもしなければいけない。ライブチケットを買うついでに会員登録や諸々を済ませてしまえばいいだろうと後回しにしてきたが、申し込みの期日は3日後だ。ズボラなところがもろに出ている。

 

 朝7時に日菜に起こされて、朝食をとってからはぶっ通しで弾き続けていたから、さすがに少し疲れた。

 

「外食にしましょうか。買い物にも行かないといけないし」

「それなら商店街の方に行きたいな」

「なにか用事があるの?」

「あそこの喫茶店に入ってみたくて」

「……昼食にするには高くつきそうだけれど」

「だめ?」

「そうは言っていないでしょう」

「おねーちゃんも大概お金遣い荒いもんね」

「……喫茶店はナシね」

「わー、嘘嘘! 冗談だって!」

 

 着替えてきなさい、と部屋から追い払って、ひとつため息。

 

 姉妹。そう、ごく普通の姉妹のはずだ。こんなやり取りだって、在り来りな家族の会話の1ページに過ぎない。実の所、私たちの間に横たわる問題は、そう深刻なものではないはずなのだ。少なくとも、私にとっては。

 思い返せば、私はこんな些事を深刻に捉えるような性格だっただろうか。

 傍から見れば、私たちは仲の良い姉妹に映るだろう。両親だって、それを疑ったことは無い。日菜がどう思っていたとしても、きっと私は模範的と言えるほどに姉の役割を果たしていた。

 

 日菜のことを見ていないと指摘されたとしても、それに対していくつかの反論を用意できたはずだ。言葉にせずとも心で通じ合える、なんてとんだ幻想。

 好みも、口癖も、足音も、声も、匂いも、性格も、仕草も、全部知っている。内心なんてどんな兄弟姉妹も家族も恋人も、完璧には知り得ないものなのだから。

 

 私の秘密を打ち明けて欲しいなんて我儘を、真剣に捉える必要なんてなかった。

 それでもこんなに悩んでいるのは、きっと私がもう、疲れてしまっているから。誰かに話したいと、楽になって許されたいと、本当はそう思ってしまっているから。

 

 くだらない。

 

 目的も手段もぐちゃぐちゃになっている。天才の上に立って自尊心を慰めたい。日菜に相応しい姉でありたい。日菜に好かれたい。いっその事嫌われたい。できる妹が誇らしい。才能が妬ましい。打ち明けたい、隠し通したい。

 堂々巡りの矛盾思考だ。自分が何者なのかも定まっていない人間に、一本筋の通った確固たる自我が持てるはずもない。

 

 2回目の人生にも思春期は来るらしい。倍以上の人生を歩んでいるはずなのに、未だにアイデンティティに悩んでいる。それこそ、なにかにのめり込んでいた方が余程良かったのかもしれない。

 隣の天才を憎んで、羨んで、妬んで、憧れて、そうして一本道を歩んでいけただろう。

 

「着替えてきたよー! って、おねーちゃん?」

「……ああ、ごめんなさい。ぼうっとしていたわ。今着替えるから少し待ってくれる?」

「……ほんとに大丈夫? 体調が悪いとか」

 

 あなたとの人間関係に悩んでいる、と言ったって仕方がない。日菜は私のことを知りたくて、そして自分のことを知って欲しいのだろうが、私としては多少の負い目を感じているくらいで、姉妹としては理想的な関係を築けているとさえ感じているのだ。そもそもお互いが目指している関係が違うのだから、どちらかがエゴを貫き通すしかない。

 そして、関係の主導権を握っているのは残念ながら私だ。私の考え方がまるっきり変わらない限り、日菜が目指す関係にはならないだろう。だからこそ日菜は音楽を通して私の考えを変えたいと言ったのだし、結局、私にできることは何もない。ただこうやって、緩い自己嫌悪に浸りながら無為に日常を消費していくばかりだ。

 

「大丈夫だと言っているでしょう。……気にしないで」

「うん」

 

 椅子に腰掛けたまま日菜の服装を見上げる。いつもの青のチェックシャツにスキニー。髪色もあって、青色が良く似合う。顔が良いから余計にそう思うのかもしれないが。

 白のシャツと水色のプリーツスカートに着替えて、いつも使っている鞄を手に取る。

 

 玄関の鍵掛けから自分の鍵をとって、スニーカーに足を通した。

 未だにファッションはよく分からない。日菜に言われるがままに服を選んでいることも多いし、何よりこの髪の色が邪魔だった。元々好んでいた暖色系の服装が、浅葱の髪のせいでとっ散らかる。

 結局のところ、見苦しくなければそれでいいのだけれど。

 

 外に出ると、茹だるような熱気が私たちを迎えてくれる。午後二時過ぎ、最も暑い時間帯だ。歩き出して3歩で心が折れかけている。ヒートアイランド現象の猛威の前では日傘なんて焼け石に水だ。

 日菜の言う喫茶店は商店街の方にあるというので、寄り道もせずに避暑地を求めてそちらへと歩いた。

 縁石の隙間から顔を出した雑草を掠めないように少し内側を歩く。

 

「あつーい」

「こういうときは車が欲しくなるわね」

「お父さんが休みだったら良かったのに」

「社会人の休日を我儘で潰すのはやめてあげなさい」

「あれも親孝行だよ。おねーちゃんも構ってあげたら? たまに寂しそうにしてるけど」

 

 両親ともにとにかく日菜を甘やかしたがるから、進んで車を出してやろうとする父の姿は頻繁に目にする。私はその度に貴重な休日を……と思ってしまうのだが、彼は休日を丸一日寝て過ごすようなタイプではないらしい。買い物に出かけたり、ゴルフに行ったり、ランニングに行ったり。模範的な社会人といった感じだ。

 

「私は……別に」

「この前お酒飲みながら悩んでたよ? 『紗夜に嫌われてるのかな』って」

「避けているわけでもないのだけど」

「我儘を言わないからじゃない? あたしのこれだって半分はそういう意図でやってるし」

「……私に対しても?」

「うーんと、ナイショ!」

 

 コミュニケーションの手段としての我儘、という話だろうか。我儘と言うよりは、おねだりと言った方が的確かもしれない。

 

「……もうあなたの我儘は聞き入れなくていいということかしら」

「そんなぁ。甘やかしてよ」

「散々甘やかしているでしょう」

「それはそう」

 

 私にあれこれねだるのも姉孝行だと言われたら笑ってしまったかもしれない。勿論良い意味ではなく、自己嫌悪で。

 

「あ、着いたよ」

「ここのことを言っていたのね」

「来たことあった?」

「いえ。興味はあったのだけれど」

「最近仲良くなった子の家族がやってるお店らしいんだよね」

 

 商店街に入ってすぐ、日菜が指し示したのは「羽沢珈琲店」と看板がかけられた店だった。この商店街には何度も足を運んでいるから喫茶店があるのは知っていたが、今まで入ったことは無い。

 チェーン店ではなく個人経営の店に入るのに少し身構えてしまうのは、私だけだろうか。興味はあったが、それ止まりだった。

 

 日菜に手を引かれて、冷房の効いた店内に足を踏み入れる。ドアベルの音と、いらっしゃいませという声が同時に響いた。

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