Roseliaのライブに行くことが決まってから、無駄に気重い時間を過ごした。宇田川さんにライブに行く旨を少し話して、後輩を連れていくことも話した。
彼女は喜んでくれたが、同時に拒絶を突き付けるのがどうにも申し訳なくて、もうチケットは必要ないと言うのは躊躇せられた。明日はどうしようか、と思いながらベッドに寝そべる。
『Roseliaに戻る気はないのか』。直球で投げ掛けられた質問に、日菜は反応しなかった。仕込みか、それともたまたまか。質問の主が湊さん、或いはRoseliaの誰かであることは自明だった。
進んで戻るつもりはない。私はそう答えた。
私の音楽はただの趣味でしかないし、戻っても足を引っ張るだけだ。音楽の世界で生きている彼女たちと同列に並べられることさえ礼を失する行ないに感じられる、という話から始めて、どうにもRoseliaファンの中で私の離脱について妙な憶測が立てられていることを途中で流れてきたコメントで知った。
よくある不仲説に類するものだ。そこにはあまり興味がなかったが、Roseliaの面々はあまり私のことを語りたくないらしいから、逃げた側の私がいくつか弁明しておくことにした。もとよりメジャーデビューする気がなくて、サポートで入っていたこと。仲が悪いわけではないこと。進学に伴って抜けただけだということ。今でも連絡を取っていること。
『貴方がいた頃のRoseliaが一番好きだった』。このコメントは素直に嬉しくて
『機会があれば再加入するんですか』。どう答えるか迷った。結局、今のところは考えていないとだけ答えた。そもそも私に再加入を望む権限もないし、少なくともこちらからアクションを起こす気はない、と言えば、そこで話題が切れた。
それからはギター歴の話とか楽曲の好みとかの話になって、リスナーにドラム初心者がいると聞いて日菜が鶴見さんに話を振ったりしていた。
苛立つのは、私がRoseliaへ戻りたい、とほんの少しでも考えてしまっている事実が存在すること。
楽しかった。あれほど後ろめたさを抱えた状態で、充足感を覚えていたのは異常だったと間違いなく言える。私にとって、Roseliaはこれ以上ないくらい恵まれた環境だった。
Roseliaにいたときの私は、生きていた。
自分が切り捨てたものを、もう一度望むなんて浅ましく烏滸がましい感情を認めたくなかった。
スマホの画面を眺める。丁度、日菜が予告通りに配信を始めたところだ。予想外だったのは、日菜の隣に湊さんが座って映っていたこと。
ここまで来れば、私にも日菜が何をしようとしているのか察しがつく。相も変わらず、日菜は私をRoseliaに戻そうとしているのだろう。
『今日のゲストは、Roseliaの友希那ちゃんです!』
コメントが盛り上がって、同時に湊さんの側でも告知をしたのか、同時接続者数が跳ね上がる。
『どうも、Roseliaの……ボーカル担当、湊友希那よ。よろしく』
『友希那ちゃんとは高校のクラスメートだったんだよ。仲良し〜ってやつ』
『……仲はあまり良くなかったけれどね』
『えー!?』
『あなたと仲が良かったのはリサでしょう』
『まあ、友達の友達って感じではあったけどさ』
日菜と湊さんの組み合わせは確かにあまり印象にない。同じクラスではあったはずだし、修学旅行で同じ班になるくらいには仲が良かったはずだが、もしかして今井さんありきだったのだろうか。
『何から話そうかなー。あ、今回もコメントというか質問は拾っていきたいと思ってるから、ぼちぼち投げておいてね。全部目は通してるから』
『まさか、誘っておいて無計画だったの?』
『や、いくつかは考えてきたよ。ROSEの話とか』
『先日の動画での調声はかなり良かったわ。あこが唸っていたもの』
『友希那ちゃん的にはどんな評価なの、アレ』
『ROSEそのものの話?』
『うん』
『ポテンシャルは感じているわ。……ただ、まだ私達が上手く扱えていないわね。あこが気にしていたのは、高音域の薄さだったかしら』
『あー、うん。メインボーカルで友希那ちゃんの肉声と比べるとねぇ。どうしてもデジタルだから、奥行きとか音のかさなりの表現は難しいんだよね。ピアノと電子ピアノの違いと同じようなものだと思うんだけど、声になると人間の耳にもより分かりやすくなっちゃうのかな。あたしは無理やり声を重ねてそれっぽくしてみたけど』
アナログとデジタルの差でしかない、と言うには違いが大きすぎるような気がするが、極限まで調声を加えれば機械音声も肉声とほとんど変わらず聞こえたりするものだろうか。
この間日菜と話したときには、単なる楽器のひとつとして扱う程度のものでしかない、というようなことを言っていたはずだ。もちろん機械音声によって作曲家の技量が可視化されやすいとか、良い歌手を探り当てなくても上に登るチャンスが得られやすくなる、とか、クリエイター側への恩恵は多大なものがあるのは承知しているが、バンドマン側の意見としては、という話。
湊さんに関しては特に、自分が歌えばいいだけなのだし。機械音声ならではの表現方法を模索しない限りは、本人の下位互換で終わってしまうのが分かりきっている。
『いずれにせよ、Roseliaで扱うにしても少し先になるでしょうね』
『あたしがやったみたいに、コーラスに取り入れたりとかもしない?』
『考えはしたけど、今は余裕が無いのよ。来月のライブのセットリストを急遽変更したから、大炎上中なの』
『えぇ……ここ来て良かったの?』
『いつもであれば私がライブにも大きく関わるのだけど、今回はあこの主導で動いているから、このくらいの時間の融通は利くわ』
『最近の何曲か、あこちゃんの曲だよね。作詞は友希那ちゃんかリサちーだけど』
『……作詞はあこには任せられないという結論になったのよ。しばらくは私がやることになるのかしらね』
来月のライブといえば、今度鶴見さんと観に行く予定の公演だろう。本当にあまり猶予がないが、炎上中なんて言ってしまっていいものなのだろうか。これで下手な失態をしてしまえば──いや、まあ、大丈夫か。Roseliaがその程度でやらかすとは思えない。
『作曲のことも話したいけど、作ってる途中の曲は出せないし、あたしが訊いても白々しい感じになる部分も多いからなー』
『なら、私から。……今までほとんどRoseliaのcoverをしてこなかったでしょう? なのに突然あの動画を投稿した意図は何?』
『おねーちゃんが引っ掛けてきたドラマーがRoseliaのファンだったから、以上の意味は無いんだよね。選曲もその子だし。ちなみに、ROSEを使おうと考えたのはあたし』
『……そう。リサが公式アカウントで誤爆して拡散するくらいには動揺していたのよ』
『Roseliaファンに叩かれるかもー、と思ったけど』
演奏が下手くそだ、とかね。と日菜が笑ったところで、湊さんが呆れたような表情を作る。
喉が渇いていた。スマホを手にしたままベッドから起き上がって、冷蔵庫に作りおいていた水出しの緑茶を注ぐ。この茶葉はハズレだった。
『……歴1年未満のドラムにあれ以上何を求めるのよ』
『ああ、鶴見ちゃん。楽しそうに叩くし、上手かったでしょ。おねーちゃんああいうタイプ引っ掛けてくるの得意なんだよね』
『初心者だと言っていたけれど、リズム感はかなり良いわね。シンコペーションを混じえたリズム感の作り方にもう少し慣れれば一気に上達するんじゃないかしら。あこのトレースではなくて、フィルに自分の趣味を盛り込んでくるあたりは好感が持てるわ』
酷い言われようだ。周囲の人間に恵まれている自覚はあるが。
『鶴見ちゃんじゃなくて、あたしの心配。Roseliaの弾いてみた動画に辛辣な意見がたくさん付いてるの、知ってるよ?』
『私はそんなに厳しく当たっているつもりはないのだけどね。自分たちの曲や演奏に拘りはあるけれど、それはどのバンドだって同じでしょうし』
『ほんとに? この間パスパレのライブに辛口な感想つけてたって聞いたよ』
『誰から?』
『リサちー』
『……あなたが調子に乗ってピックを飛ばしたのを揶揄しただけよ』
『返す言葉もありません』
湊さんもパスパレのライブに行ったりするのか。意外だった。
今となってはパスパレもかなりの技術力を持っているし、湊さんから見ても同じように映るはずだが、それはそれとしてアイドル色が強いライブなのも事実だ。
『とまあ、少し話したところで、結構質問来てるね。あたしが選んでいい?』
『私は全然追えていないから、好きにして。……あなた達は少し、自分の異常性を隠した方が良いと思うわ』
『あたしはあたしだもん。──というわけで、質問読んでいこっか。《お互いの印象を教えてください》』
──他人から日菜への評価というのを、あまり耳にしたことがなかった。特に、日菜と親しい人からの客観的な評価というのは。白鷺さんと話したときくらいだろうか。
湊さんが日菜にどんな感想を抱いているのか、私も少し気になる。
『そうね、不条理だと思うわ』
『えー?』
『努力しているのは知っているわ。それでも、常々羨ましいとは思うのよ。頭脳も、ベースの技術も、ボーカルも、ビジュアルも、作曲のセンスも。……あなたは、一体何を持ち得ないの? 貴方がドラムやギターをしていたとしても、ベースと同じようにトッププロの水準に到達していたのでしょうね』
『今日本で1番勢いのあるバンドのギターボーカルがそれを言う?』
『自分たちの実力を卑下しているわけではないわ。広い世界が見えるようになって、異次元の天才だって見てきた。……けれど、あなたほどマルチに才能の箍が外れている人間はほかに知らないというだけよ』
高速でコメントが流れていく。『この間のクイズ番組やばかった』『初心者ギター動画が企画倒れになってて笑った』『リスナー全員暗唱やって』『パスパレの企画で周りがドン引きしてるの好き』『ユキナから見てもそう感じるのか……』
日菜が自分の才能をある種見世物のように売り出していることには少しだけ抵抗があるが、自分の才能を肯定的に捉えてくれるようになったのは嬉しい。
『友希那ちゃんは一点特化型だよね。ギターも普通に上手かったのはちょっとびっくりしたけど、音楽特化って感じ』
『自分で才能がどうとは言い難いけれど、声質には恵まれていると思うわ』
『声だけじゃないけど、声は確実にそうだね。あたし『ZEAL of proud』の最後とか出ないもん。この前の動画のやつ、デュエットにしようかなーとか思ってたのに出なかったから諦めたんだよね。ROSEを使ったのはそういう事情もあったり』
入浴後のストレッチをしていなかったことを思い出して、カーペットの上に座り込む。スタンドにスマホを立て掛けて、音は聞こえるようにしたまま。
少し意識を逸らしたタイミングで、話題は互いのバンドについてのものに移り代わっていた。
音楽性に拘るRoseliaは、自分たちの音楽の軸を保ったままブレない。各々が高い技術を持っているにも関わらず、幅広くジャンルを跨いだりはしない。
一方で『アイドルバンド』とジャンルを自称するPastel*Palettesは、本当に何でも屋だ。土台を支えているリズム隊の二人の守備範囲が広過ぎてどこにでも対応できるのが大きい。ファンクもジャズもロックもメタルもポップスも叩けるドラマーに、なんでもすぐ覚える成長性の怪物ベーシスト。
『《対バンとかしないんですか》。あたしに決定権ないからなー』
『こちらもあまりそういう他バンドを巻き込んだイベントは考えていないわね。未だ自分達でやれることが沢山残っているから、そちらを先に済ませるのが筋だと思うし』
『フェスとかで一緒になったら面白いんだけどね。ポピパとか、Afterglowとかその辺も巻き込んでさ。ハロハピはちょっと毛色違うけど、花咲川組でさ』
『規模が大きくなりすぎる気がするけれど、そこまでやるなら主催した方が早そうな気がするわ』
『それもそっか。MiDDay-Moonで参加しまーす』
『パスパレは?』
『どっちも出る』
『……10年以内に実現すれば良いわね』
『そこまで行ったら同窓会じゃん』
話が逸れ始めているのを聴きながら腱を伸ばす。こんなストレッチをするようになったのも、紗夜になってからの変化だ。手指の柔軟性の拡張から派生して、どうせ時間を設けるならと全身のストレッチを盛り込んだ。
こういう、両親や日菜と暮らしていた頃からの細かい努力を今でも継続できているのは、これまでの生活がそれほど私にとって大切なものだったからなのだと思う。
堕落しきるまでの道が既に拓かれているというのに、私がまだ氷川紗夜でいられているのは、きっとそういうことだ。
『あ、でもRoseliaはAfterglowとライブしたことあるよね』
『ええ』
『パスパレは、どうかなー。楽曲提供とかやる気ない?』
『信条の問題で拒否する、ということは無いけれど、此処で返事はできないわよ』
『分かってるって。パスパレの仕事の話をここでする気もないから、ここでの話は全部冗談みたいなものだって前置きしてるし。こういうことをしたいなーって話はするけど、逆に企画として通ったら話せないしね』
ストレッチを終えて、コップ半分残っていた緑茶を飲み干す。スマホに宇田川さんからのメッセージが来ていた。
『当日は会いに行きますからね』。逃げるな、ということだろう。こういう部分も強かに育ってしまった。
この退屈な日常が崩れ去ることを期待している自分が恐ろしい。日菜とのネット活動だけで十二分な刺激が得られることは分かっているのに、『生きる』喜びを知ってしまった。
贅沢にも味をしめて、また人生の当事者になろうとしている。
逃げ続けた私は、どうせまた逃げるに違いないのに。
許されることを恐れるのは、弱さなのだ。
変われないことを確信しているが故に。許されても繰り返すことが分かりきっている故に。
配信画面を閉じた。スマホを充電器に繋いで、ベッドに寝転がる。
私に優しい世界でありませんよう。