月輪より滴り   作:おいかぜ

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Roselia編エピローグ。
タイトルを戻したのは、よく考えたら普通に続きを書いてるからアーカイブじゃないなってことに気が付いたからです。
この作品は、あなた達の期待に応えられているのでしょうか。
 
 
 
 



《74》翼は折れず

 

「……氷川先輩?」

「……ああ、ごめんなさい。退場は少し待ってくれる? 呼ばれるはずだから」

「いえ、その、大丈夫ですか? 顔色が──」

 

 ライブが終わって、ようやく息継ぎをしたような心地でいた。どうしよう、という思考がぐるぐると渦巻いていて、あまり冷静でいられている気はしない。

 

「問題ないわ。少し酸欠気味になっているだけ」

「それなら尚更外に出た方が……」

「座っていれば大丈夫よ」

 

 何を言おう、なんと話そう、果たして本当に会えるだろうか、とか、いろいろな思考が巡って、精神はしばらく落ち着きを取り戻しそうになかった。案内に従って観客が会場から出ていく中、キャップを被ったスタッフと思しき人影が近づいてくる。

 

「氷川紗夜さん、ですよね」

「……ええ」

「初めまして、Roseliaのマネージャーをしてます、晴海と言います。楽屋まで同行願えますか。勿論、お連れの方も」

 

 楽屋に行ったら袋叩きにされるかもしれない、なんて嫌な想像を抱きながら頷いた。

 鶴見さんは「無理をしなくても」と言ったが、無理をしたのはRoseliaの方だ。逃げる気は無いし、逃げられる気もしない。

 

「……色紙があれば、サインのひとつでも貰えたかもしれないのにね」

「もちろん持ってきましたよ!」

「……そう。全員分貰うといいわ」

「氷川先輩も書いてくれるってことですか?」

 

 黙殺する。だってそういうことじゃないですか、と弁明するのも無視して、関係者用のごたついた廊下を歩く。晴海さんがニヤニヤ笑っているのがちらりと見えて、少しきまりが悪くなった。

 

「こちらです。どうぞ」

 

 心の準備をする暇もなくドアが開けられて、私だけが楽屋に入る。少し待っていますから、と鶴見さんにも手を振られた。私の現実逃避的な願望も虚しく、そこにはRoseliaの4人が勢揃いしているのだった。

 

「……久しぶりね、紗夜」

「……私はもう、二度と会うつもりはありませんでした」

 

 ライブ衣装のままの4人の表情を、順に眺める。顔立ちが変わるはずもないが、どことなく甘さが取れたように見えるのは、それだけ厳しい世界で勝負してきたからだろう。

 

「引き留めないと言っていませんでしたか?」

「勧誘しないとは言っていないもの」

 

 2年も待ったのよ、と湊さんは言った。

 

「貴方の人生を背負いたい。以前そう言った時、なんて浅い言葉なんだろうと思ったのを覚えてる。Roseliaの実力も担保されていない。音楽で生きていけるかどうかも分からない。そんな中で、よくもまあ大言壮語を吐き捨てたものだと」

「私も、そう思いましたよ。正直なところ、あまり響きませんでしたし」

「でしょうね。……なら、今日もダメかしら? あれから随分と、変われたと思っているのだけど」

 

 言葉とは裏腹に、湊さんからは不安感を窺えはしなかった。勧誘に自信があるのか、駄目だったらそのときはそのときだと完全に割り切っているのか。

 

「……どうして、こんな馬鹿なことをしたんですか」

「Roseliaに必要な1ピースを埋めるため。今のRoseliaを延命させるよりは、無茶をしたとしてもあなたを引き込んだ方が余程良い」

「そうではなくて、その、もっと穏便な方法があったでしょう」

「……? 逃げ道を塞ぐために決まっているじゃない。境遇が、とか、環境が、とかそういった言い訳は認めないわ。天秤に載せていいのはあなたの感情と、私たちの感情だけ。あなたが『やりたい』か『やりたくない』か。シンプルで良いでしょう?」

 

 壁際に追い詰められているような心境。今井さんがしれっと私が入ってきたドアの近くに立っているのが見えた。

 

 私の感情の匙加減ひとつ、というのは事実だった。

 大学だってあと1年足らずでほとんどの単位を取り終えてしまうし、言い訳にしていた両親のことも解決してしまっている。私はわざわざそんな部分まで公言していないから、この辺りは日菜の差し金なのだろうか。

 

「私よりも上手いギタリストはいたでしょう」

「私はあなたとやりたいのよ」

「こんなに面倒臭い女と、ですか」

「今更でしょう。全部ひっくるめてよ」

 

 深く、深く息を吐いた。

 

「Roseliaにいた頃は楽しかったです。……今は、つまらない」

 

 腹を括るべきだ。嫌な記憶のフラッシュバックがどうとか、前世がどうとか、そういう話を持ち出すべきでは無い。

 散々考えたはずだ。自分の人生を音楽に委ねるリスクも、駆り立てる衝動も考慮して、それでも。戻りたい、そう思ったことは事実。

 

「嫌な人間です。言い訳ばかりが得意で、逃げてばかりで、誰かに肯定されることにさえ怯えるような。宇田川さん、貴方がいつか言ったような、活力と自立心に溢れた人間ではありません。今井さん、貴方が望むような、誰かの心の支柱になれるような人間ではありません。白金さん、貴方が肯定してくれたような、強く優しい人間ではありません。湊さん、貴方の理想に、私が適うとは思えません」

「それは──」

「──ええ、でも。こんな私を求めてくれるのなら、それに応える勇気くらいは備えていたいと思う」

 

 湊さんが差し伸べた手のひらを握り返す。

 既に後戻りはできないな、なんて考えている自分に少し嫌気がさして、苦笑いを零した。

 

 途端に、右側から衝撃。宇田川さんに抱きつかれたのだと認識した瞬間には、今井さんと白金さんも加わってもみくちゃにされる。

 

「ちょっと──」

 

 湊さんに手を握られているから抵抗できないままぎゅう、と抱きしめられて、ライブ後の制汗剤の匂いに包まれる。

 

「紗夜さん! 言いましたよね! Roseliaに戻るって!!!!!」

「ええ。だから離して。湊さんも」

「嫌よ」

「いやです!」

 

 宇田川さんの身長が伸びていることに地味にショックを受けた。ライブ中は基本的にドラムセットの前で座っているから意識していなかったが、なんなら私よりも身長が高い。姉似と言えばその通りなのだろうが、元男としては少し、敗北感が。

 

「今井さん。あの曲、ずいぶんと効きましたからね。散々言ってくれましたが」

「本心だもん」

「白金さんも。こういうことをするタイプじゃないでしょう」

「今日くらいは……」

「ああ、もう……!」

 

 抵抗出来ないでいると、晴海さんと鶴見さんが楽屋に入ってくる。晴海さんは湊さんを見るなりにっこりと笑って、団子になった私たちにスマホのカメラを向けた。

 

「投稿タイトルは『My new gear.』とかですかね」

「任せるわ。紗夜の契約の話もね」

「はーい、了解です」

 

 そこまでしたところでようやく解放される。逃げるように壁際に退避すれば、宇田川さんが寄ってきた。

 

「もしかして、紗夜さんの身長超えました!?」

「私は168cmですよ」

「おおっ、ブーツなしでも超えてる!」

「随分遅い成長期ですね。成長痛なんかは無いんですか?」

「一時期はありましたけど、今はあんまり」

 

 話している感覚は全く変わらないから、脳みそが強烈な違和感を訴えかけてくる。

 

「……あなたが鶴見さんね。初めまして。湊友希那よ」

「初めまして! 3年前から大ファンです!!!」

「嬉しいわ。それと、紗夜を連れてきてくれたことにも感謝を」

「僕としては困惑しきりなんですけど……」

 

 晴海さんが資料やら何やらを取りに行っている間に、そういえば鶴見さんをどうしよう、と考える。相伴が許されるならそれで構わない気もするが、そうでないのならこの後待たせるのも申し訳ない。かと言って一人で帰らせるのも心配だ。

 湊さんたちは今日中に私に言質を取って、容易に逃げられないところまで囲いこんでしまいたいのだろうし、それを拒むつもりもないから、長丁場になるかもしれない。

 

「なにか返せるものがあれば良いのだけど……」

「あ、それなら全員分サインください! 紗夜先輩も!」

「ええ、勿論」

「サインなんか考えてないわよ」

「ズルですよそれ!」

 

 サインを考えていないというのはまあ、嘘だ。以前にも求められたことはあったし、その時に必要に駆られて考えた。とはいえ、それも前世のデザインを踏襲──流用した手抜きではあるが。

 

 以前にも増して皆が手馴れた様子でサインを書き込んでいくのを眺める。宇田川さんが張り切って大きく書くので順番を最後の方に回されるのも昔から。真ん中にRoseliaと書き込んで、湊さんから順に概ね時計回りになる。

 

 “紗夜”という名前は好きだ。親が子どもに、さあれかしと望んでつける文字としては響きの美しさも字面の意味も上等だと思うし、その通りに在りたいと思って私のガワはこねくり回されてきた。

 あまり字を潰すようなサインにはしないでおこうと思っていて、まあ、結果としてはあまり面白みのないサインになった。

 

「もしかして、全員揃ったサインの第一号ですか?」

「メジャーデビュー後なら初ね」

「家宝にします」

 

 本当に物怖じしないな、と少し呆れながら、湊さんと鶴見さんの会話を聞いていた。白金さんから視線を感じてそちらに目をやるとにっこりと微笑まれる。それも少し後ろめたいというか、気まずくてすぐに視線を逸らした。

 

 今のRoseliaのファンに私がどう受け止められるのか、とか、足を引っ張らないだろうか、とか、そんな不安が湧き出るのを未来の自分に託す。

 

「友希那、意外とライブの評判悪くないよ」

「……そう。最悪返金騒動になるところまで覚悟していたのだけど」

「それは大丈夫だって晴海さんと言ってたじゃん」

 

 エゴサーチをしていたらしい今井さんと湊さんが少し不穏な会話をしているのに、背筋が伸びる。やっぱり大層な無茶だったんじゃないかと言おうとしたところで晴海さんが戻ってくる。

 

「では、氷川紗夜さん。私の方からいくつか説明と提案をさせていただきますね。Roseliaの皆さん……ではなくて、4人は着替えてきてください。鶴見さんはどうしますか?」

「あ、日菜さんから連絡を貰ってるので大丈夫です! 東京に一泊して帰ります」

「じゃあ、氷川さんはお借りしますね。迎えが来るならしばらくはここにいてもらって構いません。一応、その名札だけ持っていてくださいね」

「はい!」

 

 鶴見さんについての懸念もあっさり拾ってくれたから、できる人だなという印象。湊さんを含めRoselia全員が晴海さんを信用している様子なのも何となくわかる。

 

「一応、契約の話は部外者には聞かせられませんから」

「ええ、分かっています。……それと、この場で今すぐ本契約にサインをするつもりはありませんので、その前提でお願いします」

「勿論です。ですが一応、Roseliaに再加入していただく前提で話を進めさせて貰いますね。不備や不都合な点があれば調整しますし、ご要望があればそれにもなるべく沿うようにします。それと、後で湊さんも来ますから、そこでも擦り合わせをしてください」

 

 今日は私も東京で泊まろう。実家に帰る旨を連絡して、それから手渡された書類を斜め読みしていく。

 

「……晴海さんは、今のRoseliaに私が入ることに反対しないんですか」

「そうですね……私がもとよりRoseliaのファンだということもありますけど……あまり心配していません。これが全く関係の無い人だったら難しかったかもしれませんが」

「そういうものですか」

「いえ、ファンの反応なんて結局予測できないので、炎上した場合にカバーできる手段があるかどうかで考えてます。氷川さんの加入はその点では全く問題がないので、心配していないという意味です。1回は燃えるかもしれません」

 

 合理的ではある、と思う。それも、そもそも起こる問題が大事には至らないだろうから、という予想に基づいての思考なのだろうけれど、理にかなった割り切りだ。

 

「それと、先程はあまり時間を取れなくてすみません。ライブ後でゴタゴタしているのもあって……私としては久闊を叙して頂きたかったのですが」

「ああ、いえ、別に。どうやら、この場限りとはならなかったようですから」

 

 何気なしに、『既知』から外れたことに気がついた。私たちのバンドはメジャーデビューなんてしていなかったから、こうして芸能界に飛び込むのは前世を含めても初めての経験だ。

 自分が敷いたレールから、少しだけ外れた人生。つまらない既知を、驚きのない、安心安全、無感動のレールを逸れる。

 

 

 恐ろしさと、そして、僅かな希望。

 

 

 今更ながら、この氷川紗夜としての人生に初めて、夢や希望なんてものを感じている。

 

 自分で『選んで』、この場に立っている。未知の衝動に突き動かされて、無意識に口角が上がっていた。

 

 

 

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