後日談を予約投稿したことも忘れて感想が来たことにびっくりしてた昨日の作者くん……
作者が失踪しなければXデーまでは更新されます
羽沢珈琲店から出ると、夏の空気がじわりと肌を舐める。日没直後とはいえ、気温は30度近くあるだろう。アスファルトが鉄板のようにさえ感じられる。上下から焼かれる日中よりは、幾分マシだろうけれど。
「あつ〜……」
真横で青葉さんが溶けた。
「どうします? コンビニかどこかで少し時間を潰しますか」
「や〜、そこまでは。……リサさんも呼ぼ〜かなー」
「今井さん? あの人も大概顔が広いですよね」
青葉さんが今井さんにメッセージを送っているのを尻目に、通行の邪魔にならない位置へ逸れる。商店街の活気はまだそれなりに残っているけれど、この人の波はじきに飲み屋街の方に移っていくんだろう。
「来るらしいですー」
「はい」
羽沢さんを待つ間に、青葉さんはまた私の路上ライブの動画を開いた。
「紗夜センパイ、アレンジもアドリブも上手いですよね〜。こういうインストライブで盛り上がってるのもすごいと思いますし」
「元々、苦手なんですけどね。素人のアレンジなんかに大した価値は無いのだから、やはり誰よりもその曲の意味を理解している作曲者に従うべきだと今でも思いますし、そもそもセンスや即応性がないからアドリブも下手くそでした」
実際には、原曲とおなじ編成で弾けないのなら、なるべく足りない部分を補えるような演奏をすべきだという思考に行き当たって、今はアレンジという文化にあまり忌避感を抱いていない。そもそも、編曲だってそういうものなのだし。
ソロライブとか、デュオが多かったから必然的にそういう思想になったとも言える。昔に比べれば大人になったと言えるだろう。
あとは、赤の他人が作曲者の思考を頑張って解釈して薄っぺらい演奏をするよりは、自分の色や意図を混ぜ込んで演奏する方がよほど、中身のある音になるという結論に至ったからでもある。
「どうやって上達したんですか〜?」
「全部訓練です。努力せずに上達する方法があるなら、私は努力なんかしません」
「そりゃあ、そうですけどー」
「結局、自分の積み重ねが評価されることが一番気持ち良いんですから、世界はこれでいいんですよ」
本当は弱音なんじゃないかと思うことがある。青葉さんが私に会う度に投げかけてくるこういう問答は、私への僻みアピールとか、媚びているポーズなんて遊びではなくて、自分の努力を肯定して欲しいという心情の発露ではないか、なんて勘繰りだ。
飄々とした態度とは裏腹に彼女がそれなり以上の努力を重ねていることは自明で、けれどおそらくそういった姿勢を他人に見せたがらないだろう青葉さんは、時折疲れてしまうんじゃないか、という想像。
「お待たせしました!」
「それじゃー、行きましょ〜!」
関係を維持するのは難しい。白鳥が水面下でバタ足をしているように、円満な関係こそ各々がそれを崩してしまわないように努めている。
「今井さんはどうするんですか」
「駅で合流します〜」
「リサさんも来るの?」
「うん〜、バランスのためにね」
「モカちゃんってそういうところも気にしいだよね」
「なにを〜」
後輩二人と連れ立って歩く。後輩、というのも変か。歳下ではあるけれど、同じ団体に所属していたことは無い。日菜の後輩ではあるから、妹の後輩という言い回しになるのだろうか。
商店街ではもっぱら、目立つのは羽沢さんだ。その次に青葉さん。自治会の人間には羽沢さんは馴染みの顔だろうし、その幼馴染の青葉さんもそれに準ずる関係性ではあるはず。
私はと言えば、あまり話しかけられることは無い。高校時代の知り合いと会うことは結構あるから、それは抜きにしての話だけれど。
Roseliaが有名バンドになったとは言っても、知名度が著しく高いのは湊さんくらいだ。基本的に音楽に興味が無い一般層は、楽器隊の顔まで覚えていない。
……と、思っていたのに。
「なんなんですかね、これ」
トマトやらナスやら、桃やらが入ったビニール袋を手に立ち尽くしている私を見て、二人が笑いを堪えていた。いや、青葉さんはもう決壊しているけれど。
デビューおめでとう、とすれ違った親子に桃を貰った。それを見た八百屋のおじさんがトマトとナスをくれて、触発されたのか他の青果店のおばあさんがさくらんぼの小さなパックをくれた。
私の惚けた表情が面白かったのか青葉さんが笑い出して、それに羽沢さんが釣られそうになっている。
「幸薄そうなカオしてるからですよ〜」
「幸せいっぱいなんですけどね」
「かわいい後輩もいますからねー」
「熱中症ですか? トマトならありますよ」
「いらないでーす」
トマトを押し付けたらビニール袋に戻された。
多分一番無遠慮に私に接してくる人間は青葉さんだと思う。
Roseliaのみんなは私に甘いし、他のバンド関係の知り合いからはなんとなく怖がられているような、遠巻きにされているような雰囲気がある。家族は別だろうから、やっぱり男友達みたいなノリで軽口を挟んでくるような相手は青葉さんくらいだ。
「……トマト、嫌いなんですか?」
「いえ、どちらかと言うと好きな部類ね」
「あ、訊いておこうと思っていたんですけど、嫌いな食べ物ってありますか?」
「あたしは辛いやつ〜」
「それは知ってるよ」
「つぐが冷たーい」
「……極端に生臭いものとかは苦手かしら。あと、なんとなく得意じゃないのが人参」
「ニンジン、ですか」
この身体になってから、実は人参が好みじゃなかったんだと気がついた。大きく切られた具の方が基本的に好きな私だけれど、人参ばかりはあまり。食べられないという程でもなくて、例えばカレーをよそう時になんとなく少なめに取ってしまう程度の苦手意識。
「へぇ〜、意外〜」
「羽沢さんは?」
「……わ、私は……」
「つぐはね〜、ブラックコーヒーが苦手なんですよー」
「えぇ……いえ、まあ、家業と嗜好は関係ありませんが……」
「でも最近は飲めるようになってきたんですよ! 美味しいとは、まだ感じませんけど……」
「珈琲が飲めたら大人でカッコイイ、というわけでもないのだから、そういうのは自然と飲めるようになれば良いと思うのよね。もちろん、羽沢さん自身もわかっているでしょうけれど」
「辛いものはどうですか〜?」
「注文したなら我慢して食べてください」
「そういうことじゃないんですけど〜」
駅までの道で、二人でいる時はほとんど話しかけられない、みたいな話をされた。私がいるせいで話しかけられた、と言いたいらしい。
単純に、Afterglowの面々は顔なじみになっているからというだけな気もする。顔なじみの中に知らない顔が交じっているから声をかけてやろう、みたいな。まさか私が警戒されているとかではないと思うけれど、よく分からない。
「紗夜センパイが誘いに乗ってくれたの、けっこー意外でした」
「そうですか? 私は誘われればどこにでもついていくタイプですが」
青葉さんとの初対面でも一応挑発に乗ったし、その後羽沢さんの店でお茶もした。付き合いが悪いタイプでは無いと思う。そもそも誘われることが少ないけれど。
「男の人がいる場では特に気を付けてくださいね……?」
「……? はい」
一番純朴そうな羽沢さんに心配されているらしい。それが可笑しくて、かと言って笑い飛ばしてしまうのもはばかられて曖昧な返事をした。
駅前のロータリーで数分待っているうちに、ふらりと今井さんが現れた。サラリーマンが多い時間帯だと、今井さんの服装は結構目立つ。
「あ、リサさ〜ん」
「やっぱり珍しい組み合わせだね。紗夜とつぐみはまだわかるけど、モカが誘ったんでしょ?」
「仲良しなんで〜」
青葉さんの返事に、今井さんが困ったようにこっちを見た。私は青葉さんのこういうノリが結構好物なので、しばしば悪ノリしたくなる。
「……仲良しなので」
「あこが拗ねるよ」
「やめてくださいよ」
電車で二駅。歩いても良かったかも、と今更青葉さんが言った。
「前来たとこだ」
「そーだよ〜。あたし気に入っちゃって〜」
木目のデザインをメインに押し出した、小洒落た雰囲気の居酒屋だった。
店に入るとすぐに奥の部屋に通される。チェーン居酒屋によくある簾のような仕切りではなく、完全に個室制になっていた。
この身体になって特に実感するようになったけれど、女だけの飲み会なら外部と遮断される環境は結構大事だ。それなりの確率でよく分からない誰かに水を差されることになるから。
生ビールを頼んだ。こればかりは、前世で染み付いた儀式みたいなものだ。実の所それほどビールが美味しいと思っていなくても。
今井さんは日本酒、青葉さんはジンバック、羽沢さんは杏酒のソーダ割り。好みは見事に分かれる。
サラダやらだし巻きやら、とりあえず食べそうなものをいっぱい頼んでおく。
「ビールも飲めるんですか?」
「大して美味しいとも思っていないのだけどね。もし飲めるようになりたいなら……そうね、シャンディガフから試してみてもいいんじゃないかしら」
「シャンディガフ?」
「ビールとジンジャーエールのカクテルよ。甘口のジンジャーエールならかなり飲みやすくなると思うのだけど……それか割高にはなるけれど、飲みやすいクラフトビールから試してみるとか」
まあ酒なんか飲めなくても別に困らないのだけど、とは言わないでおく。酒の席だし。
頼んでみようかなぁ、と言った羽沢さんに、飲めなかったら私が貰うからと返した。
「紗夜と飲むの2回目だよね」
「はい。前回はほとんど飲みませんでしたが」
「だよね。地味に心残りでさ」
「はぁ」
「紗夜って酔うとどうなるのかなって」
「楽しくなります」
「何それ、見たくなるじゃん。踊るの?」
「踊りませんよ。なんだと思ってるんですか」
今井さん、何気にグレードが高めの獺祭を頼んでいる。純米大吟醸のやつだ。抜け目ないなぁと思っていると、青葉さんも気がついたらしく分け前を強請っていた。
「紗夜センパイお酒弱そ〜」
「どうなんでしょう。今まで1杯か2杯くらいまでしか飲んだことがなかったので、なんとも」
「じゃあ今日は限界まで飲みましょ〜ね」
「アルハラですよ」
だし巻きを口に運んで、これは日本酒の方が合うよなぁという至極真っ当な感想を抱く。獺祭を少し貰えばよかった。
青葉さんの言う通り、今日は限界までとは行かずともしっかり酔うくらいまで飲んでみようかと思う。家族での飲みだと私がフォロー役になるし、大人数の飲み会で醜態を晒す訳にもいかないから、試せる場はこういう少人数での飲みくらいだ。Roseliaの時でもいいけど、あっちだと余計なことまで口走りそうで少し怖いし。
「今井さんは日本酒好きですよね」
「高いのが好き」
「お金持ちは違うな〜」
「ちょっとモカ、そんなんじゃないって」
ビールを飲み干す。次は青葉さんと同じジンバックにしよう、と心に決めた。
「良いなぁ。私はお酒が得意じゃないみたいだから、皆さんみたいに楽しく飲める人が羨ましいです」
「気持ちは少し分かるわね。ブランデーの味がわかる人とか、カッコ良いとは思うし。実際は付き合い程度に嗜んでおけば困ることはないし、羽沢さんはそれで可愛いお酒が似合っているから、気にしなくてもいいと思うけれど」
「可愛いお酒、ですか」
「カルーアミルクとか、ファジーネーブルみたいなフルーツカクテルとか」
ジンバックとシャンディガフ。羽沢さんはあまり合わなかったみたいで、ジョッキが私に回ってきた。むしろジンバックの方が飲みやすいんだろうかと渡してみる。度数は上がってしまうけれど、ジンは結構爽やかだから引っ掛かりは少ないかもしれない。
うーん、唐揚げが美味しい。居酒屋と言えば昔はハイボールばかり飲んでいたけれど、カクテルの方が美味しく感じるようになってしまった。かと言って甘いお酒はそれはそれで好みに合わないらしく、バーではなく居酒屋にも置いてあるような中ではもっぱらモスコミュールやジントニックなんかのジンジャーエール、ライム・レモン系に偏っている。安牌を選んでいるとも言えるけれど。
「今井さん、その焼酎ちょっとください。……というかもう日本酒飲み干したんですか」
「モカに取られたし〜」
味覚が変わったから、自分の感性が信用ならない。甘いお酒が美味しく感じるし、ハイボールがいまひとつになった。昔カッコつけて飲んでいたブランデーなんかはストレートじゃもう飲めないんじゃないだろうか。
「舟盛り頼んでもいいですか〜?」
「お好きにどうぞ」
「わーい」
青葉さんが呼び出しボタンを押した瞬間、バイブ音が鳴って青葉さんのスマホがテーブルから落ちた。
「ひーちゃんから電話だ。もしも〜し」
『あ、モカ? ね、蘭から聞いた?』
「なんにも〜? あ、スピーカーにするねー」
『誰かいるの?』
「つぐと〜、リサさんと〜、紗夜センパイで飲んでる〜」
『良いなー! ……じゃなくて、じゃあRoseliaの人達にも関係ある話なんだけど──』
店員に舟盛りと追加の酒とつまみを頼む。
少しリキュールにも興味があったけれど、今度バーに行く約束があるからその時の方が良いかと一旦先送りにした。
『Roseliaと合同ライブやるって……』
「まじ〜?」
「アタシ聞いてないんだけど」
「私もです」
「湊さんは今頃晴海さんにご機嫌伺いしてるんじゃないですか」
「じゃあ流れるかもしれないんですか?」
「いや、蘭と友希那がその気ならやるんじゃない?」
合同ライブ。つまり対バンライブ。普通に楽しそうだなとは思うけれど、懸念事項はかなり大きい。
『無理でしょ、私たちでアリーナ埋まんないって!』
「まぁ〜、そこは、ねぇ」
『ねぇじゃないけど』
「Afterglowなら5000くらいは埋められるんじゃないですか」
『メジャーデビューもしてないんですよ!?』
「ソロならともかく対バンなら何とかなりますよ。それに、Afterglowはもうそこらのインディーズの枠に入れていいものか怪しいと思いますが」
インターネットの隆盛、動画サイトの普及によって、昔では信じられないようなファン数を抱えているインディーズバンドもちらほら見かけるようになった。大手レーベルに所属しなくたって、良い曲を出せれば動画サイトで人気は得られるし、CDを膨大な枚数刷らなくても配信という選択肢がある。
メジャーレーベルに所属しているから凄い、とか、もうそういう時代でないことは確かだった。
かなり酔ってきているからか、思考が回らない。この分だと前よりも弱くなっていそうだった。体重も違うし、アルコールに対する許容量が小さくなるのは当たり前と言えば当たり前だけれど。
「紗夜さんとライブできるってことですよね」
「そうね。一緒に演奏するわけではないと思うけど……」
「カプリチオやってくださいよ〜。ブラックシャウトやるんで〜」
「貴方達、そういうのは嫌いじゃないんですか?」
「赤の他人ならともかく、わざわざ対バンやるならそれくらいの演出はあった方が楽しいじゃないですかー。蘭次第ですけど〜」
『ていうかみんな飲んでるのズルいよ! 私も行っていい?』
「もちろーん。レポートヤバいって言うから誘わなかったのに〜」
『レポートは、ヤバいけど……』
Afterglowとライブ。去年あたりに日菜と湊さんが対バンの話をしていたのをふと思い出した。日菜は拗ねるだろうか。羽沢さん達とやることにも拗ねそうだし、私のことでも拗ねそう。
「紗夜、もう顔赤いね」
「そうですか?」
「楽しくなってる?」
「楽しくはなってます」
「普段だったらもっと黙ってるもんね」
多少饒舌になっている自覚はあった。
上原さんが「今から行く」と言って通話を切ったので、青葉さんが二次会会場を探し始める。
「紗夜センパイ、やっぱり今度路上ライブしましょうよ〜。お客さん結構つくとこあるんでー」
「……いいですよ」
「紗夜さん、やっぱり酔うまでお酒飲んじゃダメです」
「なんでですか」
「さっき断ってたじゃないですか。あとから後悔するやつですよ」
「酒の席のノリに任せるのもいいんじゃないかと思うのだけど……」
「アタシも紗夜に頼み事するときは飲みに誘った方が良い?」
「そうかもしれません」
「意外と刹那的に生きてるよね」
「楽観主義な部分があるだけです」
羽沢さんがまた変な表情をしていた。そんなに無防備に見えるんだろうか。心配だな、という顔を隠そうともしない。
「ひーちゃんに向けてる顔とおんなじですよ〜」
「ちょっと!」
「それは、不本意かもしれません」
「ひまりが聞いたらショックだろうな〜」
今井さんがケラケラと笑うのに合わせて、貰うだけ貰って飲むのを忘れていた焼酎のグラスを飲み干した。
あ、やばいかもしれない。
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