チェーン店とはまた違った風情の、小さく纏まった内装の店内に足を踏み入れる。アンティーク調、という言葉が果たして正しいのかは知らないが、それっぽい雰囲気の調度に目を惹かれる。
ドアベルの音がなるのと同時にいらっしゃいませ、と声を掛けて来たのは茶髪をボブに切り揃えた同い歳くらいの店員だった。彼女が日菜の後輩だろうか、と考えていると、日菜が声をかけた。
「やほ、つぐちゃん」
「来てくださったんですね! お連れは……お姉さんですか?」
「うん。おねーちゃんのこと話したことあったっけ?」
「えっと、けっこう有名なので……」
有名、というのは日菜が私について何か吹聴しているという意味なのだろうか。私はそれほど目立つ人間ではないから、どうせ日菜経由なのだろうと決めつけている。少なくとも日菜の方は学校でも悪目立ちしているに違いない。そういう負の信頼があった。
「羽沢つぐみです。日菜先輩にはお世話になってます」
「紗夜です。日菜が迷惑をかけていないかしら。というかかけているでしょうね」
「いえ、そんなことは……いつも助けて貰ってます」
迷惑をかけていないということはないだろう、と重ねて言葉を連ねるようなことはしなかった。同級生ならまだしも、後輩の子にそれを言わせるのは酷だ。この際、日菜が本当に良い先輩をやっているという可能性は無視する。やればできるだろうが、やらないだろうから。
小さなメニュー表が立て掛けられたカウンターに案内されて、「ごゆっくり」という言葉を残して彼女は厨房の方へと戻って行った。いつも通り壁側に日菜が座る。
午後2時半にさしかかろうかという店内には、避暑に訪れただろう客が数人まばらに座っている。ランチのピークを過ぎても人がいるのは、失礼ながら意外だった。これが夕方にでもなればまた賑わい始めるのも分かるのだが。夏休みとはいえ、世間では平日扱いだ。
「貴方が良い先輩をやっている絵面が想像つかないのだけど」
「それは酷いよおねーちゃん……」
「日頃の私に対する態度を省みることね」
「良い妹だよ?」
「……そうね」
目を通したメニューにはオーソドックスなものが並んでいる。ブレンドコーヒーを始めとした各種飲料と軽食。空腹からパスタでも頼もうかと考えたが、夕食のことも考えなければならない。つい先日も食べたことだし。
コーヒーとホットサンドでいいか、と心に決めてぐるりと店内を見渡す。
「おねーちゃん、決めたの?」
「ええ」
「当てていい?」
「コーヒーとホットサンドにするわ」
「そこは『当ててみなさい』とか言うところじゃない?」
「どうせ当てるじゃない」
私のことは大体わかる、なんて豪語するだけはあって、日菜はこういう日常の細かい私の好みや思考くらいは簡単に当ててくる。残念ながら逆は無い。私は誰が何を食べているだとかそういうことにあまり頓着しないし、そういった気質の差ももちろんあるとは思う。
コーヒーとホットサンドのセットを2つ、と日菜が羽沢さんに託けて、また忙しなく羽沢さんが厨房の方へと引っ込んでいく。
「つぐちゃんはね、生徒会で知り合ったんだ」
「貴方、生徒会になんて入っていたの?」
「役員じゃないけどね」
部活に入っていないのは知っていたが、生徒会なんていかにも面倒そうな役職についているのは初耳だった。
「イベント前以外は特に仕事もないから楽だよ。役員以外は」
「そうかもしれないけれど……意外ね」
「うちの学校だと委員会のひとつみたいなものだから。役員をやる気もないしテキトーに過ごしてるだけだよ」
日常的な業務がないのは確かに楽かもしれないとは思う。私も風紀委員の仕事は面倒に感じているから。それでも生徒会なんてトータルの仕事量はそれなりになりそうなものだし、雑用も多いはずだ。多少なりともやりがいを感じていなければ楽には思えないと思うが。
「どうせなら役員をやれば良いのに」
「えー、めんどくさいもん。そんな人望もないし」
「人望なんてどうにでもなるでしょう」
「おねーちゃんはあたしをなんだと思ってるの……」
人望、というか票を集めるくらいは日菜ならどうにかなりそうなものだが。学校の全員と友達になっているような人間が対抗馬に来るのでもない限りは。
「お待たせしました」
「ありがとー」
中身のない会話をぼんやりと交わしているうちに羽沢さんが頼んだものを持ってきてくれる。意外と早かったのは、今がそれほど忙しくないからだろうか。
「私も今から休憩なんですけど、ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」
2時半くらいから休憩となるとハードだなと思う。その分朝はゆっくりなのだろうが、それにしたって9時か10時頃からぶっ続けで働いていることは想像に難くない。
「お邪魔します。初めて会う人と一緒にご飯を食べるのは少し新鮮ですね」
大学以降ならこれくらいの距離感の人との食事なんて珍しくもないが、確かに高校生の今日まででは珍しい体験と言えるかも知れなかった。
日菜が壁際に座っているのを見て、それからおずおずと私の隣に腰掛けた羽沢さんに変に気を使わせてしまったかと反省する。日菜と場所を代わっておけばよかったかもしれない。
「紗夜さんとお呼びしてもいいですか?」
「なんとでも。なんなら敬語でなくとも構わないのだけど」
「それはちょっと……」
「冗談よ。そちらの方が逆に気を使いそうだものね」
「おねーちゃんがつぐちゃんのこと虐めてる……」
「人聞きの悪いことを言わないで」
持ってきてくれたコーヒーに口をつける。正直なところコーヒーの善し悪しなんて美味しく感じるか否か、くらいの判断しかできないのだが、薫りが立っているから美味しく感じる。少しくらいは勉強してみてもいいかもしれない、と思わせられるくらいには分かりやすく違った。
「美味しい」
「あ、ありがとうございます。お父さんも喜ぶと思います。若い女性のお客さんが珈琲を頼むことは少ないので……」
「……喫茶店なのに?」
「はい。比較的ってだけですけどね」
今度はホットサンドに口をつける。チーズとハムとツナと卵。それぞれ量は多くないが、具の種類が豊富なせいで結局そこそこボリュームがある。夕食のことを考慮した意味がなかったかもしれない、とぼんやり思った。空きっ腹にはちょうどいいけれど。
「つぐちゃん、あたしって学校で結構良い先輩やってるよね」
「それを後輩に聞いている時点でどうかと思うわよ」
「えっと……良くしてもらっています、けど」
「気を使わなくていいのよ。日菜が学校でどう振舞っているのかは知らないけれど、なんとなく想像はついてしまうから」
「あたしは結構優等生してると思うけどなー。一学期は生徒会推薦もされたし」
「教師ウケと交友関係はまた別でしょう」
対外的に取り繕うことはできるはずだ。共感性の欠片もない幼き日の天才に、人間関係で敵を作らない術を教えたのは私なのだから。教師に耳障りのいい言葉選びも、能力が鼻につかない立ち回りも。ただ、それ止まりだった。日菜が家族以上の繋がりを求めなかったから。
それが高校でガラリと変わったとは考えにくい。どうせ興味のない人間には塩対応を繰り返しているんだろう。羽沢さんには特別興味が湧いて優しくしている、とかそういう話なだけなのかもしれないが。
「あはは……でも、お世話になってるのはほんとうですよ。わざわざ作業を手伝ってくれましたし、議論が煮詰まったときにそれとなく進行してくれますし……」
「ほら!」
「ほらって……」
会議の進行についてはどうせ面倒くさくなったから話を無理やり進めただけだろう。
「……貴方がまともに先輩なんて役回りをやっていることに驚いただけよ。人間関係に口出しするつもりはないわ」
「それはそれで酷くない? あたしだって歳上らしいことは……してないかもしれないけど……」
「なんなのよ」
今更日菜の人間関係について心配したって仕方がない。幼い頃は別として、今はもう自分で如何様にでもできるだろうし。
「そういえば、つぐちゃんがおねーちゃんのこと知ってたのはどうして?」
コーヒーにスティックシュガーを足しながら、おもむろに日菜が問い掛けた。ティースプーンでかき混ぜて、それをソーサーに置く動作まで品があるように見えるのは母の教育の賜物だろう。私はガサツな所作を女性らしくするのに苦労した方だから、ふとした時に出る行儀の良さは日菜の方が上だと思う。
「あたしつぐちゃんにおねーちゃんのことを話した記憶がないんだよね。というか学校でそういう話をほとんどしたことないし」
「……その、なんというか、そういう話をしないからだと思います。日菜さん、学校で全然素の自分を見せないんですもん。だからその分紗夜さんといる時のことが話題になるんじゃないかなって」
「おねーちゃんといる時?」
「……その、学校にいるときよりも楽しそうというか、素の日菜先輩が出ているように見えます」
私の態度がどうとか、日菜が学校で私のあることないことを吹聴しているとかではなく、日菜の日常的な態度から生じた認知だったらしい。自分の立ち居振る舞いを省みる必要がなさそうなのはまあ良かったと思うべきだろうか。他校の生徒から一定の認知を得ているらしいのはむず痒いやら気持ち悪いやら、絶妙な気分にさせられるけれど。
「そうかなぁ。学校でも楽しくしてると思うんだけど」
「その割には、学校生活の話はあまりしないわよね」
「……そうかも」
退屈な場所ではあるのかもしれない。イベント事はあれど、基本的には同じ場所に座って、同じ時間割で授業を受けて、同じ人と話す生活を送るのが学校という場所だ。以前と同様に日菜が人間関係を深めることに価値を見出していないのであれば、学校というのはただ長時間座っているだけの場所でしかない。
授業の内容は概ね既知で、テストに一喜一憂もせず、部活にも所属していないのなら。
私はその退屈こそを安寧と感じているから、学校生活に不満なんてないけれど。一周目の日菜にとって、刺激のない生活は飽きを誘うのに十分なのだろう。
部活でもすればいいのに、とは思うが似たような生活を送っている私が言うのもなんだか違う気がした。
「あ、雨の匂い」
会計を済ませた客が入口のドアを開けて入り込んできた温い風に、日菜が呟いた。
直後、天井を雨が打つ。予報にはない、土砂降りの予兆だった。
先程まで晴れていたくせに、窓を覗けば分厚い雲が空を覆っている。
「通り雨だとは思うけれど……しばらく雨宿りさせてもらうことになりそうね」
「もちろん大丈夫ですよ。もし良ければ傘をお貸しすることもできますし」
「長引きそうならお願いするわ。それと、コーヒーのお代わりもいただけるかしら」
「はい!」
買い物に行くのは最悪明日でもいいか、と半分現実逃避。夕食は外食を強請ってもいい。行きがけに日菜に言われた通り、両親とのコミュニケーションの一環くらいにはなるだろう。こういう感覚がどうにも不自然に思えて嫌なのだが。
同じく雨宿り目的だろう客が何人か来店し、隣にいた羽沢さんがソワソワとし始めたので「お構いなく」と告げると仕事に戻って行った。まだ30分くらいしか経っていないが、休憩は十分なのだろうか。
「カワイイでしょ」
「……可愛らしいわね。妹に欲しい」
「妹はあたしで足りてるでしょ!」
こういう時間を「幸せ」と呼ぶんだろうな、と思う。日菜はきっと停滞を良しとはしないのだろうけれど。