真っ当な人生のレールとはなんだろう。
一生バンドで生きていくことがそうじゃないことは分かる。少なくとも、私の中では。
「そろそろ、決めないとなって思うんです。バンドの進退」
上原さんがいつになく真剣な面持ちで零した。美竹さんは沈黙を保っている。晴海さんが席を外しているから、ここには3人だけ。
相談です、とは言わなかった。雑談なのだろう。真面目な雑談。
「辞めるか、続けるか。続けるにしても、このままか、レーベルと契約するのか」
維持を選ぶのは簡単なんです、と言うのに頷く。何もしなければ、何も痛みが伴わない。
「就職して、土日だけ集まってバンドをやって、時々ライブをする、なんて生き方もありだと思います。子どもの時間はおしまいだって言われても、しょうがないです。繋がりは希薄になるかもしれませんし、バンドそのものもほとんど成長しなくなると思います。飽きたり疲れたりして、不意に消えてしまうことだってあるかも。でもそれが、大人としては正しい選択のような気もするんです」
「大人として、ですか」
Roseliaの面々がここにいたら、高校時代の私を思い出すのだろうか、と思った。
「同じく、すっぱり辞めるのも、ありと言えばありなんです。Afterglowは元々蘭のためにつぐみが作ろうって言い出したバンドで……もう、私たちはそんなに弱くはないから、Afterglowが無くても立って歩けます」
「寂しくはないですか」
「寂しいですけど、どこにいたってきっと空で繋がってますから」
相談に乗るといった
「蘭の家のこともあります。つぐだって」
「話し合いはしたんですよね」
「蘭とは……。一人ずつ話そうとは思ってるんですけど、その前に客観的な意見を聞いておきたくて」
なんで私なのか理解に苦しむ、と最初に言ってある。逆にこれ以上の適任は余りいないと言い返されて、その論拠にも納得してしまったからここにいるわけだが。
言われてみれば、Roselia側からの強烈な勧誘があったとはいえ、私は社会人直通ルートを通らずにバンドに殉じることを決めた人間である。
ついでに、社会人バンドをやってくたばった人間でもあるわけだが。
「個人的に、Afterglowはメジャーレーベルでもやっていけるバンドだと思っています。それは自覚しているでしょう? だから、それを前提に聞いてください」
用意されたペットボトルのお茶を一口飲んで、喉を抜ける冷たさに思考をはっきりさせる。
「半端に続けるのはおすすめしません。というよりも、今までの感覚を引きずったまま社会人になってもバンドを続ける気なら、やめた方がいい。……就職しても、個人個人の時間はそれなりに取れるとは思います。大抵、週に2日は休みでしょうし。ただ、休みは滅多に合わなくなりますよ。美竹さんの家業なんて土日が休みとも限らないでしょうし、東京にいるとも限らないでしょう。羽沢さんも土日は仕事になるでしょうし、他の職種だって異動は大概つきものです」
「それは……」
「年に1度や2度ライブする、くらいの熱量でやることを想定しなければ長続きしませんよ。どこかで破綻して、自然消滅したり空中分解するようなリスクは大きいと思っていた方が良いと思います。もちろん、社会人になっても続けられているバンドはいくらでもありますから、趣味として続ける、という部分まで否定はしませんが」
それから、と続ける。
「バンドを解散するという選択肢について口を挟む気はありません。ただ、1ファンとしては惜しく思います」
社会人バンドについては、ライブハウスにいくらでも先達がいるだろうし、そちらの話も聞くべきだと言っておく。ただ大概、そういうのは流動的なメンバーでやっていたりして、幼馴染グループを前提としたAfterglowというバンドの形には合わないんじゃないかと思ったりもする。
バンドを解散せずに、盆や正月、ゴールデンウィークに集まってライブハウスでライブをする、というような形で緩やかに続けていけばいいのに、とは思うが、緩やかに下手になっていく自分たちが嫌になると言っている人も沢山見てきた。
そもそもAfterglowはバンド、音楽に依存した関係でもないのだから、いっそ解散や休止したところで問題はないんじゃないか、と部外者からは思えてしまう。
「プロとして生きることは、自分たちの音楽を、感情を切り貼りして売り物として消費することと同義ではない、ということは……今更言わなくてもいいですよね」
「はい」
美竹さんが言葉少なに頷いた。
「音楽人として生きていくことがどういうことなのかは、対バンで受け止めてください。それとは別の細かい部分、それこそ収入とかスケジュールとかの話は質問してくれれば答えますから、あとから訊いてください。それよりも、『諦める』ことが大人だと思っていませんか。模範的な社会人としての人生は、あなた達が今抱えている大切なものを捨ててでも欲しいものなんですか。卒業するなら良いと思います。しかし逃げ出すのなら、きっと後悔しますよ」
息を浅く吸った。支離滅裂なことを言っているかもしれないと思いながらも、やっぱり、後悔はして欲しくない。
どういうわけか、考えてしまうのは青葉さんのことだった。彼女に自己投影してしまっているのか。だとしたら恥ずべきことだ。しかし、シンパシーを感じていたのは事実。
「知り合いのバンドマンの話をしても良いですか。貴方達と同じような岐路に立って、ついぞ選べなかった人間の末路です」
私の言葉に色が滲んだのか、美竹さんが拳を握った。上原さんが居住まいを正して座り直す。そんなに面白い話でもないけれど、と前置きをして。
「売れないバンドマンの生き方なんて、言ってしまえばその日暮らしの落伍者です。彼は私と同じギターで、ちょうど貴方達と似たような、同郷の友人達で組んだインディーズバンドをやっていました。そこそこに人気があって、大学生の時点でそこらの新卒より余程稼いでいたと思います」
30万円稼いだとして、実質的には手取り20万円の会社員の方が余程良いと思う。福利厚生というのはやはり大きいし、何より先の保証が何も無い。手を骨折した程度で数ヶ月無収入、ふとしたきっかけで業界から干されて無職、という可能性さえある。
「レーベルと契約できる機会はありましたが、それは蹴っていました。彼らには入りたいレーベルがあったからです。そこに話を持って行って歓迎されるほどの実績は無く、しかし妥協を選べるほど落ちこぼれているわけでもなく。大学を卒業してもバンドをやろう、ということになりました」
汗をかいたペットボトルが手のひらを濡らした。
「けれど、彼は根を持たない生き方を恐れました。夢叶わずバンドが解散したら? 職もスキルもない、若者を脱しつつあるフリーターが一人できあがるだけです。自分を大学に入れてくれた親に申し訳が立たない、と思いました。父は土の下で、母は草臥れきって、弟は気を病んでいましたから、せめて自分くらいはまともに、というような思考を振り払うのは不可能だったでしょう。……下手くそなギタリストでした。私よりもずっと。ギターだけで食っていけると過信するほど、彼は馬鹿になれませんでした。就職して、昼は働いて夜はギターを弾いて、休みもなくライブに出て、それでも何も進まないことに薄らと絶望していました」
薄い空気を吸い込む。
「知っていますか。前に進めない人間は腐っていくんです」
「それで、どうなったんですか」
「亡くなりました」
上原さんが息を飲んだ。
本当につまらないオチだ。
「彼は、夢を諦めませんでした。……ですが、人間には容量があります。彼の実力で分不相応な夢を追い続けるのなら、仕事の方はせめて妥協すべきでした。逆に家族を支えたいと思うのなら、夢に見切りをつけるべきでした。結果として彼はどちらも失い、命まで落としました。……保険金が家族に入ったかもしれませんが、それくらいでしょう」
晴海さんが戻ってきた。部長からの電話はどうにかできたのだろうか。私は少し話したことがあるだけだが、癖はあれど仕事はできそうな人だった。
「氷川さんは、どう思ったんですか」
「……愚かだなぁ、と。貴方達がどういう道を進むにせよ、
席についた晴海さんにあわせて、腰を浮かせて座り直す。背中を空気が通る感覚に思考がリセットされる。
晴海さんから窺うような視線。美竹さんが深く、息を吐いた。
「どうしてそんなに、後悔したような顔をするんですか」
「そう見えますか。…………好きなバンドだったんです」
「だとしても氷川先輩が──」
「ら〜ん〜?」
「……いえ、すみません」
これだけの話から、美竹さんは何を読み取ったんだろう。少しだけ気になった。
振り切ったわけじゃない。私は未だ、過去に後ろ髪を引かれている。振り向かない覚悟を決めただけで、死出の旅路を逆走しているに過ぎない。情けない限りだけれど。
私の話を、笑い飛ばしてくれれば良いと思う。真剣に受け取る必要なんてなくて、こうはならないと言い放ってくれればそれで構わない。
薄く笑っているのを自覚した。
意味の無い話でした、と話を切って、晴海さんに場を譲る。世間のバッシングを受けても揺るがなかったようなバンドに、今更何を言う必要も無いだろうと思う。
それでもわざわざ口にして言ったのは、私の後悔だったのかもしれない。
明日が期限のレポートを忘れないようにと釘を刺すように、あるいは、業務のリマインドをするように。文字通りのお節介なのだった。
「はーい、すみません。話を始めさせていただきますね。まずは、ライブの話から。今仮押さえしている会場と日程が──」
上原さんと晴海さんが書面とタブレットに目を落としながら、ああでもないこうでもないと言い合っているのを、美竹さんと私が眺める構図になる。とはいえ、会場の規模を考えるとライブの段取りを主に担うのはこちらの事務所だから、希望の聞き取りと認識のすり合わせが主だ。
「すこし、意外です。美竹さんはもっと、人間関係にも、自分の音楽にも潔癖な印象でした。メジャーレーベルとの契約を考慮に入れるとは思わなかった、という話ですが」
「潔癖……その言葉、そっくりそのまま返します」
「そうですか? まあ、他人からの印象なんて曖昧なものですね」
先程、プロとして云々、という発言をしたのは、美竹さんの反応を見るためでもあった。私自身がメジャーバンドとしての在り方をAfterglowに示せるとは思えないし、新参の私は薄っぺらな言葉でしか語れないとは思うから、その辺は湊さんたちに背中で語ってもらうとして。
美竹さんは、自分の音楽を売ることを嫌うんじゃないかと思っていた。アマチュアバンドとしての活動の中でアルバムなんかを売っていることも知っていたし、自分たちの音楽を広めること自体に否定的なわけではないだろうと予想はついた。
ただ、ライブハウスでバンドをするのと、生業として音楽を売ることはまるで違う。
営利目的を一切省いた音楽を作っているのがAfterglowだとすれば、事務所に所属して、生きていくためにバンドをやるようになった時点で今までのスタンスとは食い違ってしまうことは明らかだった。
どこまで許容するか、どこで折り合いをつけるかという話ではあるけれど、汚く言えば、音楽を作る目的の1部に「金のため」というノイズが入ることは確かだ。それが、プールに混じる一滴の泥水であったとしても、許容できない人間はいる。
「あ、湊さんからの申し送り事項なのですが、バンド混成で演奏するつもりらしいです」
「え〜っと、それは……デュエットということではなく?」
「それなら楽なんですけどね。10分弱の曲を書いて細かくパート分けするつもりのようでした。ツインドラムやツインベースが不可能とまでは言いませんが、2バンドをそのまま合体させてそれをやってもごちゃごちゃして聴けたものじゃなくなるのは自明ですから、それ自体は真っ当なアプローチだとは思います」
上原さんがそれはそうだ、というように頷いた。
2バンド全員で演奏しましょう、と言って10パート作ったらそれはそれで面白かったかもしれないが、聴けるようにするまでにリズム隊は血を吐く思いをするんじゃないだろうか。ツインドラムでポリリズムとか、考えただけでゾッとする。そうでなくとも面倒くさい仕事を振られるだろうからご愁傷さまと言った感じ。
「うーん、合同練習の期間を設けた方が良い……ですよね。リハーサルではなく……」
「そこは晴海さん経由でなくても構いませんよ。こちらで互いに調整する方が融通が利くでしょうし」
「そうですね。ではそのようにお願いします」
日時と会場、持ち時間は大まかに決めたのと、金銭のやり取りがある部分の説明と書類の引渡しが終わったから、一旦お開きということになった。
セットリストを決めて、今度は実際のライブの流れをシミュレートしつつ演出を考えることになる。Afterglowがどういう形式でライブの組み立てをしているのかは知らないが、Roseliaでは主に演出を考えるのは今井さんだ。とはいえ、普段から奇を衒ったようなライブをしているわけでもないし、湊さんや宇田川さんの意見を最終的に調整しているのが今井さん、というだけなのだが。
それと一応、SNSの運用担当でもあるから、ファンの心理に一番近いという認識でもあるらしい。
オフショットの需要がかなり大きいらしい。
よく晴海さんを動画に映そうとしては逃げられている。じゃれあいの範疇だろうから好きにすれば良いと思うが、私にも同じような企みを仕掛けてくるのはやめて欲しい。ついでに、宇田川さんと並べようとするのも。私が嫌そうな顔をするのが面白いらしい。
「ひとつ、訊いてもいいですか」
「どうぞ。答えられることなら」
「……どうして、戻ってきたんですか。要らないと手放したんでしょう」
店を出てすぐ。冷房で冷えた肌を、夏の熱気が舐めてゆく。
美竹さんが腑に落ちないように投げかけた問いを、上原さんが咎めようとするのを制して。どう答えたものかと逡巡する。
「私にとって、もっと重要なことがあったから手放しました。決して、要らなくなったからではありません」
「じゃあその、もっと重要なものは……どうしたんですか」
「言ってしまえば、私のささいな拘りではあったんですけどね。壊されてしまいました。そのせいでここにいるとも言えますし、そのおかげで、とも言えます」
「妥協してバンドにいるんじゃ、ないですよね」
「…………嗚呼、成程。湊さんのこと、本当に好きなんですね」
「え、いや、違いますけど!」
「美竹さんが納得できる回答かは分かりませんが……その拘りは、この世界で何よりも私にとって重要なものだったんです。……この命よりも。それがうち壊されて、私は改めて……そうですね、ある種、生まれ変わったような心境でいます。人間関係において私は、あなた達よりもずっと幼稚で稚拙なんですよ。まともに他人を信頼したのだって、きっと初めてなんです」
日菜が両親に告げ口をしようとした日に飛び降りでもするべきだった、と今でも少し、考えることがある。その思考を振り払えるようにはなったから、やっぱり前進してはいるのだろうけど。
「妥協じゃありません。私にとってはスタートなんです」
抽象的過ぎたか、とは思ったけれど、これ以上話しようがない気がする。
美竹さんは苦いものを飲み込んだような顔をして、すみません、と言った。
やっぱり少し、羨ましい。