月輪より滴り   作:おいかぜ

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《81》シーグラス

 父の運転する車で流れているのは、いつも同じアルバムだった。

 父から息子へ、音楽の好みも継承されていくものだろうか。終生、僕が最も推したバンドは、このアルバム由来のものだった。

 

 父がいなくなって、言葉を交わして父の想いを知ることは不可能になった。

 何も残っちゃいなかった。保険金と、葬式に来た人間が僕にかける言葉くらい。それも、良い人でした、とか、お世話になりました、とか。

 

 父はどんな人だったんだろう、と遅れ馳せながらに興味を持ったのは、父が亡くなってから一年ほど経った頃だったと思う。

 薄情な息子だった。親のことを絶対視する子どもの魔法が、思春期によって解かれてしまう前の出来事だったから、仕方がないとは思うのだけど。

 

 職場ではどんな人だったんだろう。母に対しては、僕たちに対しては、他の家庭と比べて。

 本を読む人じゃなかった。ビジネス書くらいだ。

 遺品はきっちりと整理されて、父の痕跡は薄れていた。

 

 父のことを尋ねると、母は物置からギターを持ち出してきた。埃を被ってはいたけれど、物が良さそうな印象を受ける。

 父のものらしい。アルバムのことを思い出した。これが弾けるようになれば、少しは分かるだろうか、と思った。

 

 思春期故のギターへの憧れと共に、近場の個人経営の楽器店にギターを持ち込んだ。

 

 店主からすれば、杜撰な管理だったのだろう。ひとしきり文句を垂れて、修理や研磨をしてくれた。父の形見だと言うと、先に言えと怒られる。

 音楽経験の有無なんかを聞かれて、無いと答えると古い教本を渡された。

 弾いてやれ、ということらしい。それから、ここに来れば暇なときに教えてやるとも。

 

 必要な道具は、だいたい家にあった。僕にはセンスがあるのかないのか、どちらかと言えば無い寄りなのだろうなと諦めもつくような遅々たる上達速度でコードやテクニック、曲を覚えていく日々。アルバムにあった曲のコピーなんて、その時点ではまだ遠い話だった。

 

 何度か店主に教えて貰って、その度に上手くいっていると過信していた部分まで直されることに凹んだり、前進している手応えを感じたり。

 センスは無いが真面目なのは美徳、らしい。何となく、胸の中に引っかかり続けている言葉だ。

 

 センスがないなら積み重ねるしかない。斜に構えない感性は褒められた。

 ウォークマンに落としたアルバムを聴き続けて、ある程度ついていけるようにもなった頃。

 幼馴染の彼女が僕のギターを聴きたいと言い出した。人に聴かせられるようなものじゃないと断りを入れたけれど全く譲らないし、幼稚園からの幼馴染で親同士も仲が良いくらいの気心知れた関係ではあるから、仕方がなく僕のほうが折れた。

 多少恥をかくことは覚悟の上で彼女の前で演奏して、何やら満足気な表情の彼女に危機感を覚えて。

 

 中学の文化祭でバンドをやりましょう、と彼女は言った。

 

 良くも悪くも、自信に満ち溢れた人間だった。

 私って歌が上手いでしょう、と平然と言ってのけるし、そしてそれは事実なのだった。

 昔馴染みで疎遠になりかけていた幼馴染2人を連れてきて、それぞれベースとドラムをやれと言う。2人とも案外乗り気で、ツインギターにベースとドラム、恐らくかなりオーソドックスな楽器編成だろう。エレキギターまで買うことになって、全員がかなり痛い出費を強いられて。それで僕たちのバンドが結成された。

 

 調子に乗って彼女がクラスメイトにとったアンケートで、『ultra soul』をやる羽目になった。音楽を始めて3ヶ月やそこらの人間がやる曲目じゃない。ピッキングハーモニクスを多用するし、ソロだって、まあ、際立って難しいと言うほどではないかもしれないけれど、少なくとも今の僕が立ち向かえる曲のようには思えなかった。

 ドラムとベースはまあ、何とかなりそうだったから、僕にかかるプレッシャーがとんでもないことになった。無理だと言っても彼女は発言を翻さなかったから、道連れにすることにして。

 

 いっその事クラシックギターのまま、コードだけなぞって伴奏をするデュオなら何とかなった。バンドとしての体裁を整えて、エレキギターでやることになったからこんなにも地獄を見ている。

 

 反復、反復、反復。比較的簡単なアレンジを試してみて、あまりの曲のしょぼさに絶望した。技術ではるかに劣る分、せめて譜面通りにコピーしなければとても聴けたものじゃない。早弾きギターソロ。調べたら、初心者にやれるものではなさそうだった。

 

 やばくない? と彼女が笑って、お前が頑張れよと少し棘混じりに返した。

 

 

 結局、ライブはそこそこの成功といった感じだった。

 グダグダのライブ。生徒がひしめく体育館はリハーサルよりも遥かに音を吸って、全く響かないダッサいイントロの後に何とかボリュームを調整してもらって、彼女の歌唱力で誤魔化した。

 

「あー! 楽しかった! 無茶苦茶言ってごめんね!」

「いいよ。楽しかったし」

「真面目くんが本気でなにかやってるの、好きなんだよね」

「僕は二度とごめんだけど」

「えー、ちゃんとやろうよ、バンド。気持ちよかったでしょ」

 

 父もギターを持っていた。同じように誰かとバンドを組んでいたんだろうか。母は答えなかった。じゃあ、僕が追いかけてみよう、なんて気にもならずに、あくまで彼女の誘いに乗る形で、僕たちは4人になった。

 

 僕は、ひとつひとつ、コツコツと積み重ねていかねばならない凡人だった。積み重ねれば成長するだけ恵まれていて、積み重ね以上には返ってこない、並の世界を生きている。苦ではなかった。分相応をわきまえていた。

 ベースの彼女も、ドラムの彼もどちらかと言えば同じタイプ。楽器の基質もあるのだろうけれど、演奏に関しては仕事人タイプで、互いに個人練習に付き合ったり付き合わなかったり。

 

 ギターボーカルの彼女だけが、押し寄せる狂濤を乗りこなすことができた。

 全てを食らって糧にできる人間だった。彼女をこそ、特別な人間というのかもしれないと思ったくらいに。本も、音楽も、先達の言葉も、後輩の圧力も、僕らの葛藤も、観客の反応も全部喰らって歌にする。

 

 恐らく僕らは、最期まで彼女に輝きを見ていた。他ならぬ彼女に、自分たちの特別さを見出していた。

 

 だから諦めなかったし、諦められなかった。

 

 彼女だけなら、ピンのボーカルオーディションに通ったかもしれない。彼女だけなら。僕が……足でまといの僕が、いなければ。

 

 夢を掲げたのが間違いだった、とドラムの彼が腐って言った。内心で同意した時点で負けだった。それでも彼は、僕らとは別の居場所を作れたからマシだった。僕と、ベースの彼女は、傷を舐め合うことしかしなかった。

 

 何がしたかったんだっけ。何が輝いていたんだっけ。

 

 何が、楽しかったんだっけ。

 

 就職をした。それもたぶん、良くなかった。

 バンドから心が離れていた。目を背ける口実ができてしまったから。

 社会では、斜に構えずに真面目でいることが美徳だった。どんなに不出来なやつでも、人との関係を良くすることを重んじて誠実に生きていれば評価された。

 

 平日は仕事を覚えて、土日は気絶するまでギターを弾いて。効率の悪さに呆れながらも、それ以外の方法がなかったからとにかくしがみついて。心が離れていくのを理性で引き留めて。

 傷の舐め合いという名の妥協も、拒絶して。

 

 

 僕は多分、生きるのが下手くそだった。

 

 

 彼女がスカウトを断ったという話を聞いたのは、そんなときだった。

 

 

 

 ♦

 

 

月菜(るな)……?」

「女の子の名前を呼び間違えるのは感心しないなー、おねーちゃん。……しかも、()()()なんだ」

 

 紗夜が潰れたー! なんて慌てたような面白がるようなリサちーからの連絡があって、お母さんから車を借りて迎えに来た。電車でも帰れただろうけれど、おねーちゃんが潰れたときにどんな感じなのかよく分からなかったから念の為。

 

 リサちーと、それからつぐちゃんを筆頭にAfterglowの後輩たちと随分楽しく飲んでいたらしい。缶詰になっているあたしを放置して。しまいにはバンド仲間とあたしを呼び間違える始末。とはいえ、あたしを呼んだつもりは無いんだろうけど。

 

 こんな時名前が出てこないあたり、彼女さんはおねーちゃんの世話をする係じゃなかったのかな。心配かけないように乱れた姿を見せないような気もするから、それも少し想像できる。……とはいえ少し可哀想な気も。

 や、惚れた相手に名前を呼び間違えられるあたしの方が可哀想です。

 

 このところおねーちゃんが楽しそうにしている。それだけであたしとしては充分だった。2人暮らしの準備もしているし。

 今のところおねーちゃんはあたしの想いを受け入れる気が微塵もないようだけど、プラトニックラブと考えればそれも……ナシだけどあり。欲望は抱いているけれど、ぶつけたいわけじゃない。

 

「着いたよ」

「……ああ、日菜。……ごめんなさい」

「なんで酔いつぶれるまで飲んだの?」

「都合が良いかと思って」

「都合?」

 

 車から降りるのさえふらついているおねーちゃんの肩を支える。吐息に混じるアルコールの匂い。車の中にもアルコールの匂いが残っていそう。明日お母さんが顔を顰めるかも。逆に、日々を楽しんでるおねーちゃんに喜びそうな気もするけど。

 

「酒、弱くなっているみたいだったから、測るのに」

「……ああ。あたしの前でいいじゃん」

「格好つけたいこともあるのよ、姉だから」

「それでこの有様だけど」

 

 顔と手を洗うところまでは付き添って、それでもシャワーを浴びる気力はなかったみたいで、頭からベッドに崩れ落ちる背中をパシャリ。

 弱冷房をかけて、外行きを部屋着に着替えさせてからタオルケットをかける。タイマーをセットしておねーちゃんの椅子に腰掛けた。

 

 昔より幼く見えるなぁ。こっちが素に近いんだろうけれど。

 

「おねーちゃんさ、思ってるよりもあたしのこと好きなんじゃない?」

 

 当然返事は無い。

 

「自分の手が届かない所へ行って欲しいって思ったの、たぶんあたしが最初じゃないよね。結局、ちゃんと訊いたことはないけど」

 

 前世を振り切った、とおねーちゃんは言う。

 忘れたわけじゃない。おねーちゃんの中では、今と地続きの過去だ。切り捨てられるはずもない。ただ過去を過去と割り切っただけなのだと思う。

 

 それでいい。前を向いてくれている。本気で生きてくれている。

 ありのままの貴方でいてくれている。

 

 それだけで、あたしは。

 

「おやすみ」

 

 手の甲にキスを落とした。

 

 少しだけ切なくて、泣きたくなるくらいに幸せ。

 

 

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