月輪より滴り   作:おいかぜ

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《83》タイムカプセル

 

「『バッハの時代に作曲は終わった』」

「誰の言葉です?」

「……さぁ。もう忘れたわ」

 

『競宴VIORED』とだけ書き込まれた、ほぼ白紙の五線譜ノートを胸の上に乗せて、湊さんが行儀悪く二人がけのソファに寝そべった。無表情のまま天井を見つめているのが少し恐ろしいやら、面白いやら。

 

 行く先々で演奏を撮られるようになって、SNSでは演奏バカなんじゃないか、みたいな私の風評が流れ始めた今日この頃。

 私がレコーディングにスタジオを借りたら、湊さんがついてきた。作曲に詰まっているからインスピレーションが欲しい、らしい。ライブハウスやコンサートにでも行った方がいいんじゃないかとは思ったが、過ぎた喧騒も避けたいのかもしれない。

 

「現実逃避ですか」

「ええ。……あなたが書かない?」

「投げるなら宇田川さんにお願いします」

「……歌詞は」

「変に弱音を吐かないでくださいよ」

 

 冗談なのは分かっているが、それにしても困ってはいるらしい。Roseliaだけの曲というわけでもないし、美竹さんに対するプライドやプレッシャーもあるだろうから、仕方のないことだと思う。

 

「……バッハの話ですが」

「広げるの?」

「ええ。……その言葉を述べた人がいるのなら、随分と狭い世界に生きているのだなと思います」

 

 音楽は、世界だ。ありとあらゆる芸術がそうであるように。

 

「自分が触れた世界を翻訳して、或いはこの世界に溢れる無数の音楽を見つけ出して、世に生み出すのが作曲という行為の理想だと思いたいです。私はまだ、気に入ったメロディーを軸に曲を組み上げるようなことしかできませんが……世界は決して、88で表せるようなものではないと思いたい」

 

 弦を弾く。数日前に知ったばかりの曲だ。『無路矢』。あのバンドをもっと昔に知っていたら、私はどんな感情を覚えたのだろうかと思う。

 自分を許しそうになって気が狂っていたかもしれないし、激しく厭悪したかもしれない。52ヘルツのクジラは、今ではその周波数を落とした。

 

 スタジオのものではなく、私物のミニアンプが音を吐き出す。ここでダラダラと弾いているだけなのももったいない気がするが、トラッキングするような曲も今は思いつかない。

 

「あなた達の曲、私は好きよ。Roseliaであなたが作る曲とは違う。それが少し寂しくもあるし、面白くもある。……そうね、あなたの曲は手紙なのよ」

「……どういう意味ですか?」

「さあ。……思い付きだから。でも、翻訳ではないでしょうね。歌詞だけではなく、曲も」

 

 良い意味で言っているのよと言ってから、Afterglowを弾いてちょうだい、と湊さんは目を瞑った。

 ちょっとだけ悪戯心が湧いた。意味深なことを言われた意趣返しに、『Hey-day狂騒曲』から入る。じとりとした目線が向けられたけど、口元が笑っている。

 

「全ての音階と、譜面に用いられる記号に数字を割り振って、無限に乱数をかければこの世に存在する全ての音楽を生み出すことができる、と思う?」

「タイプライターを持ったチンパンジーにシェイクスピアが書けるかという話ですか? 思考遊びとしては面白いですが、一応、数学的に結論は出ていたはずです。たしか、ほとんど確実にそうなる、と。……ああ、そういう意味では、作曲という行為は既に終了しているというのもあながち間違いとは言えませんね」

 

 ただ個人的に、この論はあまり面白く感じない。

 

「ただし、作者の意図が乗っていないものを面白く感じないこともあるので、なんとも。バッハが書いた平均律クラヴィーアと、乱数が生み出した平均律クラヴィーアがあったとして、きっと、最初に感じる心地の良さは同じだと思います。けれど、その後に感じる興味深さはきっと違う。人間の営みである芸術から、人間の感性を取り除いて無味乾燥なものにすることにどれほどの意味があるでしょう」

「前から思っていたけれど、あなた、感情至上主義なところがあるわよね」

「……特大の感情の昇華としての創作が一番好きなので」

 

 手癖が混ざる。理屈はさておいて、プレイヤーとしての私は、曲の意図に乗せられるのが大好物だ。感情表現がヘタクソ過ぎて、フラストレーションをギターで発散していた頃からの癖だった。

 私を狂わせてくれる曲が好きだった。今では好みも随分と変わったけれど、喪失の歌に惹かれることはある。

 

「少し、インスピレーションが湧いたわ」

「それは良かった」

 

 私の方も録りたいものは録り終えたので、あとは完全に自由時間だった。スタジオの貸出は時間制だが、今日は空きが多かったらしく、かなり多めに時間を確保できている。ドラム付きの部屋を予約できれば触ったりもするのだが、生憎、そちらは空いていなかった。

 

 最近は好きなように弾くことにかまけていたし、みっちりテクニカルな部分を詰める時間も取っていなかったから、良い機会かもしれない。トレーニング日和だ。耳の良い人間も近くにいるわけだし。

 

 私の根幹にある考え方だから何度も言い聞かせてきたが、私は技術至上主義である。どれだけ感情を込めても、へたくそな歌は響かない。己の情動を過不足無く表現するための技術なのであり、感情的であることとテクニカルであることは相反しない。

 どれほど感情を込めて歌ったつもりでも、その歌が棒読みであれば意味が無い。それならばいっそ無感情に、聴衆の感情を沸きたてる技術を盛り込んで歌った方が余程心身に訴えかける歌になるだろう。

 

 カラオケならどうでもいい。

 ただプロとして感情的に弾きたいのなら、相応しい技術は必須である。

 

 つまらない基礎練習を意地でも続けているのは、こんな思考に裏打ちされているからだ。

 

 氷川紗夜になって、以前よりもはるかに技術は向上した。遊びで青葉さんと早弾きをしていたときに気持ち悪いと言われたり、レコーディングに呼ばれた先でテクニックの幅を褒められることも増えた。

 けれど、私の遥か先を往くギタリスト達に言及されるのはいつだってトーンの表現だった。それがどうしようもなく、嬉しい。

 

 私が思うように、私で在れている証左である。

 私の原点は、バンドマンとしての始まりは、彼女の歌を弾くことだったのだから。

 

「思い切ってラウド系を逸れてみるというのは……いや、ナシね。いっそ、2番を丸投げしようかしら。1番をRoseliaが演奏して、2番は音作り含めAfterglowに投げれば良い。もしくは四楽章構成……」

「……もちろんギターパートも一つなんですよね?」

「青葉さんと紗夜には越境してもらおうかしら」

「構いませんが、話は自分で通してくださいね」

「……青葉さんを借りられるものかしら」

「知りません」

 

 Afterglowの曲調はむしろ得意分野だ。なんなら、Roseliaのラウドメタル系のサウンドよりもよほど。レコーディングのオファーでもクリーントーンを求められることが多かったりする。Roseliaの演奏ではもっぱらストラトを使うけれど、出向先ではテレキャスを担ぐことも多い。

 事実、今日もテレキャスターを持ってきている。

 

 デモ音源の材料は揃ったから、そろそろ白鷺さんに送り付けられる。それとも、歌唱を湊さんに任せてみるとか。……丸山さんへの悪戯だ。

 

「湊さん。一つ歌って欲しい曲があります」

「なんの曲?」

「Pastel*Palettesに提供する曲なんですが……少し待ってください」

 

 先程トラッキングした音源を、暫定的に軽くミックスしたものを湊さんに聴かせる。ボーカルはROSE、ギターは私、ベースは今井さん、キーボードとドラムは打ち込み。まだ音量くらいしかまともに弄っていない粗雑なものだけれど、身内に聴かせる分には上等だろう。

 

 日菜へのプレゼントにするので本気で弾いてくださいと言ったら嫌そうな顔をしていた今井さんを思い出す。無為に演奏難易度を上げるつもりはなかったけれど、「これぐらいはやれるだろう」という思考が積み重なった結果ベースとドラムにしわ寄せが行った。とはいえ、MiDDay-Moonの曲と同じくらいだと思うから、弾けないほどに難しいとかそういう話じゃない。

 ギターとシンセの難易度は恐らく普段の楽曲ぐらいだろうから、白鷺さんと若宮さんはそんなに苦労しないんじゃないだろうか。

 

「……これをパスパレに渡すの……?」

「何か問題が?」

「いえ、攻めたなと思って」

「無難な曲調じゃつまらないでしょう。とりわけ、日菜が作る曲は私の手癖に近しいものもありますから、私がPastel*Palettesに寄せて書くとそれこそいつも通りになりかねません」

 

 もちろん代替案も用意してあるけれど、こっちが通ってくれた方が良い。もうひとつはかなり無難な曲調で、まあ、根本的にセンスのない私が無難にしか感じないということは、世間的にもかなり面白みのない曲だということだからなるべくこのまま出したくは無い。今の曲がボツになった場合は湊さんに助けを求めることになるかもしれない。

 

「明日で良ければレコーディングして渡せるわ。……夜になるかもしれないけれど」

「一週間くらいはみていたのですが……いいんですか?」

「いつも無茶振りするのは私の方だし、この程度はね」

 

 湊さんにデータを渡して、背筋を伸ばす。

 最近は色々と考えることが増えて気が重い。引越しのこと、Afterglowのこと、Pastel*Palettesのこと、FWFのこと、山吹さんと花園さんとのライブ、日菜のこと、作曲のこと、両親のこと。

 私の能力のキャパシティにはまだ余裕があるけれど、いくつも並行して進められるほど器用な人間でもないから、現状に追われている感覚が常にある。

 

 一応、曲を提出して白鷺さんと話をすれば、私がPastel*Palettesにできることは終わる。Afterglowだって、いくらでも相談には乗るつもりでいるけれど、ちゃんと頼りになるのは湊さんや今井さんだろう。

 抱えているタスクはそう多くはない。

 

 鬱屈した感情の理由もなんとなくは分かっている。

 日菜がバンドに抱えている悩みを、私が解決してあげられないからだ。

 ただそれだけ。日菜自身が気にしていないことを、私が過剰に気にしている。

 

「能力があるから抱え込むのかしら」

「いいえ、能力がないから抱え込むんです」

「難儀ね」

「性分ですから、気にしてはいません。元々、四畳半で生きていける人間なんです。海原へ放り出されて潮にのまれ、もがいているだけ」

「息継ぎはできるの?」

「今のところは。じきに慣れます、きっと」

 

 湊さんは目を瞑って、また意識を音源に戻した。

 ギターを抱えた私は、アンプを片付けて、湊さんの書きかけの五線譜に目を落とした。メロディの仮置きと、構成のメモがいくつか書き込まれている。

 

 両バンドのボーカル、リードギターをそれぞれ出ずっぱりにさせたまま、ドラム、ベース、シンセを入れ替えるなんてまあ奇抜なことを考える。可能か不可能かで言えば可能だろう。音作りの差によってどこまでの違和感が出るのか、それとも味になるのか、それはやってみるまで分からないけれど、単なるブッキングライブなんかじゃない合同ライブなんてそうそうやるものでもないのだし、試してみれば良いと思う。

 

「……ねぇ、紗夜」

「はい」

「あなたの曲って、どこがルーツなのかしら」

「影響元はどこかという話ですか?」

「ええ。私であれば父から。リサは父と私と……KPOPなんかも混ざっているのかしら。あこも、Roseliaとポップスから。燐子はRoseliaとクラシックから。日菜の曲からはあなたの息吹を感じるのに、あなたの色の元は辿れない。あなたがよく聴く曲にも、ね」

 

 私の曲のルーツ。言うまでもなくそれは私が元いたバンドのボーカルだった。父がよく聴いていたアルバム。私たちが拠り所にしていたバンド。それから、彼女が紡ぐ歌。

 

「私が初めてセッションした相手の曲です。音源などもありませんが」

「……聴けないのね」

「聴きたいんですか?」

「…………? 当たり前でしょう」

「……そうですか」

 

 褪せないように繰り返してきたから、今でもちゃんと弾ける。スコアにも残してあるし、あのバンドにとってどうか、という話はさておいて、技術や表現においては今の私の方が余程上手く弾けるだろう、とも思う。

 

 長居しすぎた。出ましょうか、と言うと湊さんも立ち上がる。最後にいくつかメモを書き足したようだったけれど、本格的に作業をするのは自宅でだろう。作業する環境は大事だ。適度な緊張感を保てる環境の方が良いという人もいれば、完全にリラックス出来る環境でなければならないという人もいるが、湊さんはどちらかと言えば後者ではないかと何となく思っている。

 

「最近、本を読むようになったわ。往年の名作の文章をなぞると、自分の感情を言い表す言葉がこんなにも溢れているのかと、これまでの浅学を恥じ入る。あなたと燐子の間にだけ通じる言葉の意味もわかるようになった」

 

 夜道を歩く。夜でも煌々と輝る街明かりに、植え込みから眩しそうに野良猫が顔を覗かせた。

 湊さんがつられて足を止める。猫好きもここまで来れば筋金入りだな、とか、もはや趣味だなと思ったりする。

 

 しゃがみ込んだ湊さんを無視して私の足元に擦り寄った猫に、湊さんがショックを受けたように私の方を見上げた。あまり特徴のないキジトラ。次街中で出会っても見分けられないだろう。

 

「変わる必要はないと思うのですが、かと言って変わらないのも不健全です。高校生の頃に書いた歌詞と今書いた歌詞、五年後に書いた歌詞のクオリティが同じなら、それは反省すべきことでしょうし」

 

 手の甲を近付けると、鼻をくっつけられる。右足に身体を擦り付けられて、スカートにたぶん毛がついた。日菜にバレるだろうな。

 

「私のは、どうかしらね。語彙や表現は変われど、私自身が書きたいものは変わっていないのだから問題ないような気がするけど」

 

 未練がましく追いかけた指先が背中に触れることを許されたことに顔を綻ばせながら、湊さんの言葉そのものは真剣なまま。

 

 あなたは、と問いかけられる。

 聴きたいなら聴かせることだって、と言おうとして、躊躇する。日菜だけの特別にしたはずだ。襟を開くというのはそういうことじゃない。この世界に漂着したシーグラスは、日菜だけが見つけたものとして宝箱に仕舞われて置くべきだった。

 

 私の歌詞は、それほど変わっていないんじゃないかと思う。

 私がこの世界に初めて産み落とした(ことば)は、震えるライオンハートは、たった2年で変わるものじゃないと言えばそうなのだけれど。

 

 

「また五年後まで覚えていてください」

 

 前向きな先送りだ、と自分に言い聞かせるように言うと、湊さんは薄らと笑った。

 

 

 

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