朝起きて、そういえば丸山さんが泊まっているんだったと思い出した。
夜中まで映画を観ていたようだし、今日はオフだと聞いているから寝かせたままにしておく。顔を洗って、3人分の朝食を作った。2人が起き出してくれば気が付くだろう。
Afterglowとのスタジオ練習、それも私一人で乗り込む日だ。代わりに、あとから青葉さんをRoselia側に連れていくわけなのだが。
ライブまで10日を切った。打ち合わせ等は順調に進んで、即席とは思えない速度でライブの準備が進んでいる。チケットは完売したそうだ。事前のアンケート調査ではAfterglowとRoseliaのファン層は3:7程度らしい。まあ妥当な数値に思える。両方のバンドのファンも多いだろうし、ちゃんと楽しませられるだろう。
食事を摂りながらスマホで動画サイトを巡回していると、画面の上部に通知。
迎えに行きます、と巴さんからメッセージが来ていた。自宅の位置情報を送って、連絡を待つ間に忘れ物がないかチェックする。ギターさえあればなんとかなるのだけど。
鏡を見た。いつものデニムとシャツ。ラフなことこの上ないけれど、楽器を弾くときなんてこんなものでいいと思う。
花園さんのギグバッグを見て羨ましいという感情が湧いてきて、ギターケースを新調した。ギターが二つ入れられるタイプのものだ。仕事で複数使う場面も増えてきたから、やっぱりあると便利だった。
五分くらいで着きます、と連絡が入ったのに合わせて外に出る。
シルバーのハイエースだった。運転席の巴さんがやけに様になっている。
「わざわざありがとうございます」
「いえ、紗夜さんの家から遠いスタジオを指定したのはこっちですし、ドライブがてらなんで気にしないでください」
車のシートの匂い。左側から後部座席に乗り込むと、青葉さんがスナックパンを齧っていた。
「おはよ〜ございま〜す」
「おはようございます」
「電車で行くのが面倒だからって、迎えにこいって言うんですよ。蘭達と行けば良かったのに」
「逆に、全員車じゃないんですね」
「つぐは朝仕込みの手伝いをしてるから時間が合わなくて、ひまりと蘭はRoseliaの事務所に寄ってから行くらしいです。スタジオ集合なんで、もしかしたら着いてから集まるまでに結構時間がかかるかもしれないんですけど」
愚痴るように巴さんが言う。向こうからすれば、妹の友達というかバンドメンバーで、その割に歳上という少し接しにくい相手だろうと思うのだが、気まずさを感じさせない。この辺りはコミュ力だろうか。
自分への自信と相手への関心。私がコミュニケーションにおいて重要だと考えている二つであり、私に欠けているものでもある。
「車、いいですね。Afterglowで買ったんですか?」
「んー、まあ、そんな感じです。中古ですけどね。美竹の敷地の駐車場を借りられたんで、なんとか。ツアーやったときに使い倒したんで、元は取れてるんじゃないかと思ってます」
楽器、とりわけキーボードやドラムセットを積もうと思ったらバンじゃないと厳しいだろう。バンドメンバー+αで移動するわけだから、バンド内でこのサイズの車を持っていればどれだけ便利だろう、と思う。
「モカちゃん専用タクシーです」
「自分で運転しろよな」
「やーだ〜」
丁寧な運転だった。相当乗り慣れている。
車内に掛かっているのは、国内のヒットチャートを流し続けているポッドキャストだろう。もしかしたら巴さんのプレイリストなのかもしれないが、無作為さからそうあたりをつけた。
「紗夜さんは運転するんですか〜?」
「免許は持っていますが、あまり乗りませんね」
「ペーパーってやつですか?」
「いえ、レンタカーや親の車で遠出したりはするので、日常的には乗らないというだけです。ペーパーになるのがいちばん怖いので」
「それめちゃくちゃ分かります。免許取ってからこの車買うまで、ちょくちょくレンタカー借りるようにしてましたもん」
なんだかんだとダラダラ話していれば、スタジオにはすぐに着いた。広くは無いけれどちゃんと駐車場があって、多目的貸しスタジオと言った感じ。レコーディングには向かなそうだが、練習には良さそう、というのが第一印象だった。
ロビーで待つことも無く、すぐにスタジオに入った。吸音性の高いタイルカーペットの床材。フローリングのようになっている場所の方が多いように感じていたから、どちらかと言えばレアだ。楽器や機材でニスが削れないからいいのかもしれない、とは思った。
「ん〜、違和感」
「私がいることが?」
「変な感じがしますー」
青のストラトを肩にかける。青葉さんが先に仕掛けてきた。いつかの焼き直し、『BLACK SHOUT』のギターリフ。巴さんが呆れ顔で追従し始めたから、3人でソロを回し合う形になる。クリーントーンの『BLACK SHOUT』はなんとも迫力がない。テレキャスを担いでどうしてこの選曲にしたのだろうか。
とりあえず私が好きだから、と言うだけの理由で「Sasanqua」のキーボードパートをなぞって返す。巴さんがドラッグを交えたパラディドル……なんというんだったか忘れてしまったが──を軸にソロを披露して、青葉さんに順番が回る。
Roseliaの曲、Afterglowの曲、ポップスからの引用、クラシックの引用、巴さんが呆れるくらいに長回しをして、セッションは羽沢さんが来るまで続いた。
最初から疲れ果ててどうするんですか、というツッコミには3人とも項垂れるしか無くて、背筋を伸ばしながら3人連れ立って自販機に飲み物を買いに行く。
「怒られてしまいましたね」
「モカといるとバカになる、みたいなこと言われてませんでした?」
「そこまでは言われてませんが……」
「トモちん酷い〜」
青葉さんと一緒にいると悪ノリするとか、タガが外れるみたいなことは言われた。いや、でも今回は巴さんもいたし、羽沢さんがいても同じようなことをしていた気がするからあまり関係がないというか……
「どうせ明日には合同練習ですから、『VIORED』の打ち合わせはそのときでも良かった気がするんですけどね。音作りと慣らしに2時間も貰えたのはまあ、ありがたいことではあるんですが」
「ちなみにー、呼んだのはつぐの提案ですよ〜」
「ああ、成程。周到ですものね」
Roseliaが青葉さんに求める役割は私にもわかる。私がテレキャスを使っているときと同じだろう。私がラウド系かメタル系のサウンドを担当して、サイドギターをやれば良い。あとで湊さんがどういう判断を下すかはさておいて。
「つぐには甘い〜」
「モカにも甘いだろ」
「他人には甘くありたいですね。というわけで奢ってあげましょう」
「あざーっす」
「しゃーす」
こんな緩い関係も、部活なんかをやっていれば築けたのだろうか。まあ、無理か。私が今よりも賢明か愚かであれば違ったのだろうけれど。
ついでに羽沢さんの分も飲み物を買って、スタジオに戻る。残りふたりの分は来てからということになった。
「以前、羽沢さんに──」
「はい」
「ギターなんかじゃなくてヴァイオリンとかを習っていそうだと思いました、みたいなことを言われたのを覚えています。いえ、クラシックをやっていそう、だったかしら」
「えっと、その、すみません……」
「いえ、面白かったから全く不快に思ったりはしていないのだけど……その印象は変わったのかしら、と思って」
変わったと言ったら、なんだか悪い意味になりませんか? と羽沢さん。それもそうか、と一瞬頷きかけた。
深窓の令嬢のように見える、とか、あるいは厳しく寡黙な才媛に見える、とか、そのようなニュアンスの評価を受ける度に、そんなことはないと言いたくなる。実際の私はそんな人物像とは掛け離れたお気楽人間だから尚更。猫を被っていた時分のツケが回ってきたとおもえば仕方がないのだが。
冷たく見えることは自覚している。
あの日菜でさえ、他人からは冷たく恐ろしく見えるらしい。それとよく似た顔立ちの私も同様なのだろう。あの子が私に接するときは大抵笑顔だから、あまりそういう印象はないのだが。
「ギターを弾いてる面白お姉さんを目指しているのですが」
「それは無理ですよ〜」
「じゃあ青葉さんに託します」
「いらないでーす」
「そう言わずに」
私の不真面目な部分というか、ふざけたい部分を拾ってくれるから、なんとなく青葉さんに懐いている。年下にダル絡みしているとも言う。
お目付け役の美竹さんが来るまで、そんなくだらない話をしていた。
「路上ライブで、誰も立ち止まってくれなかったときってー、どうするんですかー?」
「別に、どうもしません。演奏に問題があるわけじゃないんですよ、そういうのって。場所か、時間か、タイミングか。どうしようもないから撤収するか、好き勝手弾いてから帰るかの2択です」
Roselia側の音合わせも終わって帰ろうかという頃、青葉さんが「約束しましたよね」と言った。何も覚えていないと返したら、路上ライブが云々。言質取ってるんで、とスマホで録音まで流されて、約束は守らなきゃね、と今井さんにトドメを刺された。
「あたしは、安心するんですよね〜」
「……自分が特別な存在ではないと再確認できるから?」
「おー、わかる人ですか〜」
「分かりますが、脱しなさい。他人に、それもただの通行人に自分の存在価値を問うほど意味の無いことはない。立ち止まってお捻りを投げて貰えたら満足なんですか?」
「いいえ〜? まー、でも、そうですよね。感傷以上のものじゃない」
路上ライブをします、という告知はあまり投げない。人が集まりすぎても迷惑だし、自分の影響力が分からないうちは下手なことをするべきではない、という考えがある。
人通りの多い駅の前。ここがいいです、と青葉さんが言った。
まあいいか、と手持ちのしょっぱい機材をセッティングする。マイクもないし、本当に音を出すことしか考えていないようなセット。貰ってきたコピー用紙にRoseliaとAfterglowのSNSのIDを貼って、路上ライブをやる度に準備が適当になっていることに思いを馳せたりする。
「空っぽなんです、あたし。こんなこと、Afterglowのみんなには言えない」
「……はぁ。そんなわけないでしょうに」
「相談に乗ってくださいよ〜」
「じゃあ飲み代稼いでくださいね」
私で力になれるのか、というごく当たり前な心配と、なぜ私を、という疑問。
空っぽだ、と言った。いつかの私に、同じく共感性を覚えると言った青葉さんは、私にどんな言葉を期待しているのだろう。
分からないけど分からないなりに答えは出せる。聞くだけ聞いて、掛けられる言葉を掛ければ良い。
選曲も適当、客の反応はそれなり。
女児からアニメのOPをリクエストされて弾いたり、立ち止まってくれた人の年齢層を見て曲を選んだり。
私たちの路上ライブ30分の成果は、3582円。時給としちゃあまあまあだな、とドラムの彼の発言がなんとなく思い起こされた。その時は確か、800円くらいだったから負け惜しみだ。2人で割って400円。どんなブラックバイトだ。
ぼちぼちの時間で撤収。しっかりとやるなら警察に届出を出すなり、土地の所有者の協力を得るなりしなければいけないから、これでも粘った方だ。
「せんべろ〜」
「嫌です。知らないおっさんに絡まれるのが精々ですよ」
「体験談ですかー?」
「経験則ではあります」
城東の飲み屋街に移動して、店を探す。早速SNSに上げられている映像を見るなり、「下手くそですね」と青葉さんが言った。
「演奏が?」
「映像が」
「そりゃあそうでしょう」
「もっと良く撮って貰わないと〜、音も酷いし」
「無茶を……」
結局チェーンの居酒屋に入った。外れないというか、無難だ。
都合よく個室を案内して貰えたので、ありがたく、恐らく4人座れるだろう席に2人で座る。
「で、空っぽとは」
「熱が無いんです。分かりませんー? なんとなく」
「覚えはありますよ。周りの空気からはぐれているように感じる、とか」
今世で初めてカルーアミルクを頼んだ。以前よりも美味しく感じる気がするけれど、コーヒー牛乳を飲んだ方が良い、という感想は変わらない。
「贅沢な悩みですよ。……そう叱った方が良いですか?」
「後輩には甘いんじゃないんですか〜?」
「……はぁ。どうせ厳しくなんて言えません」
いくつか料理を頼んで、思いの外気楽そうに青葉さんが手を付け始めた辺りで、あまり言葉を選ばないことに決めた。
「要領が良いから、大した苦労をしたことがない。頭が良いから、リスクを承知でなにかにのめり込むことができない。そんな自分が冷たい人間のように思えて、自分の人生を本気で生きていないように感じる。加えて、幼馴染が眩しく見えて、そんな輪の中に周囲を騙して入っている自分が浅ましく思えて仕方がない、とか。加えて、将来の話なんかも」
「あたしの心の中読みました〜?」
「読めたら人生もっと楽なんですけどね。……気持ちはわかりますよ。他人の熱に浮かされる気持ちも」
「湊さんですか」
「いいえ、もっと昔の話よ」
掘りごたつの中で足の指を曲げる。一日中演奏していたから、相応に疲れはあった。家でダラダラと弾いているのとスタジオ練習やライブはまるで違う。
「熱はあるのでしょう。それが内因性か外因性かなんて、今更気にする必要があるのかしら。火をつけられたんでしょう? 人生をその火にくべてもいいと思っている」
「それは──」
「貴方は、共感性が高いというか、人の心を覗き込むのが上手いんじゃないかしら。それで、主観では心の距離が近づいたように感じるから、相手からのレスポンスがないことに違和感を覚える。気にしいで気配り屋なのよね」
違ったら違ったで構わない、と思う。相談があると言いながら具体的な話をする決心もついていなかったようだから少し踏み込んではみたけれど、もしかしたらかすりもしていないのかもしれない。
「……違ったら文句を言っていいんですよ。或いは、話したくないのなら黙殺していても構いませんが」
「ううん、指摘されたことがないだけで、……合ってるんだと思います」
「さっさと矮小化するべき悩みね。……そんな感情を保ち続けられるのが、Afterglowの良さの一つでもあるのかもしれない、とは思うけれど。他の人がさっさと捨ててしまう悩みに向き合う姿勢は、後に続く者への励ましにもなるし、先に行った者の郷愁にも応える」
じゃあ、と少しやけっぱちな声色。
「紗夜さんは〜、どーやって乗り越えたんですか?」
「散り散りになったからです」
「あー、……すみません」
「気にする必要はありません。今でもRoseliaのノリについていけないということは多いですが……ああ、そうですね。ひとつ言えることがあるとすれば、私の周囲の人間は、私がこんな人間だと知っています。無理に引っ張ってくれるときもあるし、そっとしておいてくれることもある。青葉さんの
この、他人の悩みを頭ごなしに、「大したことじゃない」というような論調は好まない。けれど、青葉さんの悩みを解消するのは私じゃないだろうな、という思いがあって、そうでなくとも自分で飲み込んでいくしかない感情の1つだろうと思う。自分を納得させる材料のひとつにでもなれば……そもそも、良い慰めの言葉を思いつかないのがダメなのかもしれないが。
「まあ、話してみたらどうですか。……ちょうど、節目でしょう」
言葉選びに迷って、おためごかしの言葉を吐きそうになった。
「言葉にせずとも伝わる関係って、憧れたりしません〜?」
「ええ、世界がそうあれば良いのにと思います。双子でさえ、あの氷川日菜でさえ、人の心は読めません。貴方だってわかっているはず。それとも、言葉にすれば薄っぺらく聞こえる?」
テーブルの木目をなぞる。グラスに結露した水滴が滴ったのを、使い終えた紙ナプキンで拭った。
「ちょっと、わかりました。逆なんですよね〜」
「逆?」
「言葉にすることを怯えてるのはそうなんですけど〜、たぶん、あたしは……言葉の力を信じ過ぎてるんですよね」
意外な返事だった。同時に、納得もする。美竹さんのそばにいるんだから、それもそうだ。私が「才能」という言葉を盲信しているように、隣で輝くものには目を焼かれずにはいられない。私たちのような人種は、特に。
「蘭の歌詞ひとつで、バンドが割れそうになったことがありました。言葉ひとつ、あたしたちは心が薫る言葉を、尊びすぎるんです。だから……言えません。あたしの言葉ひとつで、全員の人生を歪めてしまう……かもしれない」
「歪められるのはいいのに、歪めるのは嫌なんですか」
「まー、そんなところでもあります」
「話は聞きますよ。どうせ今回のライブだって、Afterglowのためのものなのだから。吐き出せる分は吐き出してください。相手が私でも構わないのなら、ですが」
「……日本酒が飲みたいです〜」
「……妹よりも手がかかる」
「紗夜さんが姉だったらヤダな〜。劣等感で潰れそー」
「弟妹の方が大成するものですよ。世界はそうできてるんです」