──事務所、たぶん入ることになると思います。
ひまりの言葉に、リサは歓迎するよと返した。ライブ当日。空はまだ青く澄んでいる。
相当悩んだんだろうと思う。仲間内でも揉めたに違いないし、今でも躊躇いがあるはずだ。それでもライブの前にこうして話してくれたのなら、腹は括ったという認識でいいはず。
Roseliaのときはどうだっただろうか。
リサ達は、足場が欲しかった。氷川紗夜を迎え入れるに足る足場。引っ張りあげるのに踏ん張るための、頑丈な地盤が必要だった。
その上で、友希那の夢を叶えるのにもメジャーレーベルに加入することは必須だった。友希那の挑戦は、一応今年度中には区切りを迎えることになるわけだが、果たして。
まあ大丈夫だろう、と楽観視している。友希那に関しても、Afterglowに関しても。
今日のライブは、リサが演出をまとめた。とは言っても会場はシアターだ。炎が吹き出すわけでも、ステージが飛び出すわけでもない。精々銀テープを飛ばすとか、ライブ自体の構成、照明の調整くらいだ。それもこの規模のイベントになるとちゃんと専任のスタッフがいるから、正直なところ仕事量はライブハウスでのライブとそう大差ない。
AfterglowとRoselia、2曲ごとに演奏バンドを入れ替える形式でやりたいと言ったのはあこ。それに無茶だと返して、今度はどちらのバンドが先にやるかという話になった。どうせアンコールでは新曲をやると決めているから、そこは問題ない。ドラムが2セットある違和感を気にしないのなら。
2ステージ作ることも考えたが、会場の形からして難しかった。ステージそのものは広いから、2セット分の機材を初めから置いておく形式にして、機材の入れ替えの時間は最小限に。
突貫のライブだったから、必要以上に攻めたことはできなかった。グッズだってそうだ。それでも一応ライブの体裁を保つことにはなんとか成功したし、今のところネットの盛り上がりもそれなり。大勢から否定的な目で見られる、ということさえなければ、観客のほとんどを満足させて帰らせる自信はある。だからこれでいい。
最終調整が進んでいるのを肌で感じながら、楽屋で寛ぐ面々を見渡す。
やる気に満ちている宇田川姉妹。少し緊張気味の燐子。ニコニコと紗夜に話しかけているつぐみ。穏やかな笑顔で相槌を打つ紗夜。少し気まずそうなモカ。酔い潰れて紗夜の家で一泊したらしい。朝起きたらモカの住所を知らないかと紗夜からメッセージが来ていたことを思い出す。それから、晴海と話しているひまり。特に気負いもなくリラックスした様子の友希那に、気合いを入れ直した蘭。
「SNSにあげる写真撮るから、集合!」
「え〜、要ります〜?」
「モカ! 文句言わないの!」
「青葉さん抜きでも構わないんじゃないかしら」
「うぇー」
「湊さん、それはどうかと」
「冗談よ。美竹さんも、睨まないでちょうだい」
晴海さんも入ればいいのに、という言葉は黙殺されて、託したスマホを構えて彼女が10人の前に立つ。
地味に紗夜も嫌そうだったのが面白いな、と思いつつ3テイク。撮れた写真をチェックしたあとにポストして、反応がついていくのをひまりとぼんやり眺めていた。
「リハの映像で新曲をチラ見せしたの、盛り上がってましたよね」
「トレンド1位、惜しかったですね」
「表記揺れがなければいけてたでしょうに」
「丸山受験には勝てなかったね……」
Roselia×Afterglow、Afterglow×Roselia。別にどっちでもいいのに、とSNSの論争を見ながら思う。先に名前を書かれる方が上という見方があるのはまあ何となくわかるにしても、ライブは後ろの方が大トリと呼ばれて大御所が出たりするものなんだから、各々が好きなように解釈してくれれば良い。そして醜い論争をしないで欲しい。
『競宴VIORED』の、掛け合いシーンの切り抜き。1分に満たない動画は、随分と再生回数を伸ばしていた。これアンコールなんだけどね、と内心で独りごちる。
セットリストの匂わせ、それからリハの写真や動画は前日の時点でだいたいSNSに流していた。そろそろ開場時間になった頃だろうかとスマホを眺めれば、思ったよりも時間が過ぎるのが早い。
「ヤバ、緊張してきた」
「意識しちゃうからそういうの言わないでくださいよー!」
リサが緊張を口にしたのに、ひまりが嫌そうに反応した。
「……Roseliaの皆さんも緊張とか、するんですか」
「燐子とリサくらいじゃないかしら。私とあこと紗夜はあまりイメージがないわね」
「紗夜も緊張するって言ってたよ! ね!」
「……最近は、あまり」
「裏切りじゃん!」
「手が震えてピックが拾えなくなるような人と一緒にされても困ります」
バンド間の絶妙な緊張感。仲が悪いわけではないが、多少の気まずさや対抗意識があって、決して馴れ合いにはならない独特の距離。個人個人だと仲が良いのに、バンドで集まるとこの空気に染まるのが、リサには面白かった。
あまり気にしていないのは紗夜とつぐみくらいだろうか。
友希那と蘭は言わずもがな、この空気感を作っている張本人だ。同じくライバルとしての感情を前面に出す宇田川姉妹もそう。モカはバンド側に合わせるし、燐子はそもそもバンドを跨いでどう、ということがあまりない。リサはといえば、友希那に引っ張られているのが半分、部活でポジションを争う後輩に向けるような感情が半分といった感じだろうか。ひまりは個人感情としてはつぐみと変わらなさそうだが、どうしてもバンドリーダーとしての思考が混じる。
つぐみは意外と我が強いからこういうときでもあまりブレないし、競争意識も希薄だから、他のバンドへの矢印はほぼフラットだ。紗夜のことは、リサにはあまり分からない。良いライブになればそれで良い、というだけなのか。それとも後輩に絆されているのか。
変わったようで、紗夜はあまり変わっていない。
日菜の言う『家庭の問題』に一区切りがついて、再度の勧誘に応じてくれた紗夜は、一見とても明るく軽やかになったように思える。
パーソナルスペースが狭くなった。予防線を引かなくても踏み込んでいい範囲が広がって、それにしたがって心の距離が縮まったようにさえ感じられる。だからそれは、変化と言えば変化だ。リサ達から見た氷川紗夜は大きく変わった。
一方で、根本的には紗夜は紗夜のままだ。日菜に対する態度は特に変わっていないらしい。つまり、今まで日菜にだけ許していた反応をリサ達にも向けてくれるようになった部分が大きいだけ。今までは、心を許されていなかったのだ、とリサは解釈した。遡ると、少しショックだ。
友人が第一歩を踏み出したのだ、という理解はもちろんあったが、それだけでは埋められないボヤけた思考が滲んでいる。
それも、酔い潰れて後輩たちに遊ばれている彼女を見れば忘れてしまえるような、ほんの些細なものではある。紗夜というよりも、自分自身が嫌になった。友人に対して疑念を抱いてしまうような、おそらく周囲はどうとも思っていないのだろう蟠りを抱えてしまう自分が。
自分が誰かに世話を焼きたい気質であることを長所と捉えることが減った。最初は友希那に世話を焼いていただけのものが、人に頼られるようになって、頼られることに──肯定されることに快感を覚えるようになって、少しずつズレていった。ほんの、本当に僅かな間だけれど、友希那を疎ましく思った瞬間だってある。
お節介に無意識に対価を求めている自分に気がついたときに、リサは嫌悪感で吐きそうになった。
それを振り払うために、高校1年からしばらくは友希那に無償の奉仕をしていたところがないとは言えない。
幼馴染の力になりたいという純粋な応援感情と、自分の禊に利用する感情。その両方がぐちゃぐちゃに混ざりあって、しばらく続いていた。
息を吐く。ライブ前はいつもこうだ。嫌な想像ばかり浮かんでくる。
ゆっくりと思い返してみる。Roseliaに関して言えば、世話を焼いているのはリサよりも紗夜の方で、リサが紗夜に対して役立てていることはあまりない。ナーバスになり過ぎている。
ひとつひとつ心の蟠りを解いていけば、すぐに根幹に辿り着く。
見返りが欲しいわけじゃない。安心感が欲しいんだ。紗夜がここにいてくれる確証。それと、自分が紗夜に頼られるに値するかどうか。でないと、彼女にとってのリサの存在価値は無くなってしまう。
それは──それは、酷く恐ろしい事だった。
つぐみを見る。紗夜に話しかけて楽しそうにしている彼女を複雑な目で見ている蘭に気が付いて、少し面白くなった。料理の話題らしい。リサも乗っかりたいところではあったが、ライブ前はこんな有様だから難しい。
日菜がつぐみを指して、真面目な人間ほど不安定だと言ったのを思い出した。そのあとに「今はそうじゃないみたいだけど」と言い足したのも忘れてはいない。そのときに日菜は、確か直前までクラスメイトの相談に乗っていたリサに向けてぽつりと言ったのだった。「真面目だね」と。
他人に頼られることを、自己肯定の恃みにしている。そういう自覚が、リサにはあった。おそらくそういう性格に育ったのは、幼時からの友希那との付き合いの影響だろうと自認しているし、同じことを友希那に言っても同意されるだろう。逆にリサが友希那の性格を歪めた部分だってあるに違いない。
そんな、他人に承認を求めるリサの根幹を指して「不安定」だと言ったのなら、日菜の言葉はこれ以上なく的を射ていた。
紗夜への接し方がわかっていない。
今までは、頼る頼られるという構図から逸脱した関係だった。Roseliaのサポートを頼んでいるという状況ではあったし、リサも正式加入を請うてはいたけれど、個人の関係としてはビジネスライクなものだった。
──あの夜を思い出す。紗夜の内面に踏み込もうとして、拒絶された夜。
紗夜を絆そうとして、いつもの手癖が出た。
傷付いてる、だなんて上から目線の救いの手を、恥知らずにも差し出したあの夜をリサは恥じている。
実の所、先月の飲み会に呼ばれたとき、リサは安堵したのだ。紗夜に避けられていないのだと知って、心底。
「リサ?」
「ん、どしたの友希那」
「いえ、ぼうっとしているようだったから」
20分ほど経っていた。やっておくべきことはだいたい済ませている。リハーサルも終わっていて、楽器のメンテも十全。衣装のチェックだって問題ない。脳内でセトリをイメージしてみるくらいだろうか。それだってもう指に染み付いた曲だ。無駄にはならないだろうけれど、切羽詰まるほどでもない。
「まだ緊張してますか」
「指は震えてるよ。……ほら」
「ほらって……」
震える指先で紗夜の右手を掴んだ。力が入らない手のひらを紗夜は1度握り締めて、パッと離す。「重症ですね」と一言。
「Afterglowの演奏でほぐしてもらえば大丈夫でしょう」
「ハードル上げて余計緊張させてあげますよ〜」
「自分のハードル上げてない?」
「……ひーちゃんが〜」
「わたし!?」
「……ベースはひまりだからね」
そんなぁ、といつもの空気のAfterglow。
スタッフに促されて先に楽屋を出ていく彼女達を見送って、リサはひらりと手を振った。
「モニターで見られるのよね」
「ステージ裏で音を聴いた方が楽しくないですか?」
「あちらのモニターは小さかった気がしますが」
「テレビくらいはありましたよ!」
「テレビって例え、幅が大き過ぎません?」
「じゃあ紗夜は見に行かないのね」
「そうは言ってません」
「……私も、残りましょうか……?」
「スタッフさんの邪魔にならないなら私も行きたいです。白金さんが残りたいというなら付き合いますが……とりあえず晴海さんに聞いてからですね」
紗夜が1人楽屋を出ていって、10分くらいで戻ってきた。なんか用意してくれるらしいですよ、と要領を得ないことを言うのに、4人してついていく。
パイプ椅子とモニターで即席の観覧席を作ってくれたらしい。当の晴海はその場にはいなかったが、特に邪魔にもならなさそうだったからとありがたく腰掛ける。
自分が動くべきだった、と無意識に考えていたことに気が付いてかぶりを振る。この思考が良くない。
ちょうど、Afterglowが出るところだった。開演直前のアナウンスが繰り返されて、蘭が先陣を切ってステージに出る。幕が上がって、夕焼けが爆ぜた。
「『BLACK SHOUT』、好きよね」
友希那の言葉で、彼女が何を思い出しているのかすぐに思い至った。
MCを挟まないオープニングの一曲目、Afterglowが奏でる『BLACK SHOUT』。いつかモカが紗夜への挑発で弾いた曲でもある。
「リメイクしたいわ。……今聴くと拙い」
「諦めてください。もう世に出てます」
「今から書き直せば、これからの恥は減るかもしれない」
「今後、再生産だけで生きていくつもりですか?」
「それもそうね」
暗闇から立ち上がる曲。
前進を歌う友希那らしい曲。
蘭は好きそうだと思う。
Afterglowのサウンドで奏でられるBLACK SHOUTは、普段聴くものよりも幾分身につまされるように感じられた。それだけ足掻いている、ということなのだろうか。Afterglowはいま、過渡期だ。
「文化祭で弾いたのを思い出しました。私はベースでしたが」
「ああ、彩が歌ってたやつ」
「なかなか面白かったでしょう? 編曲の技量はイマイチでしたが、アイドルポップ調そのものが私には目新しくて……いえ、余計なことまで思い出しました。この話はやめましょう」
「あれ、やっぱりあなたのアレンジなのね。Pastel*Palettesに曲を書き下ろすとき、少し意識したわ」
「ベースラインで少し、そうじゃないかと思いました」
ライブの熱が流れてくる。空っぽの肺を震わせる地響きに、緊張の震えが昂りへと転化されてゆく。落ち着き払った様子でモニターを眺めている紗夜さえも、熱に感化されずにはいられない。あこはリズムを刻んでいるし、燐子ももどかしげに手のひらを握ったり開いたり。
互いにカバーをセトリの先頭にしようという話をしていた。対バンとして一番盛り上がる要素だし、トリは自分たちの曲を使いたいだろうから、最初からクライマックスというやつだ。
『BLACK SHOUT』と『ZEAL of proud』。『ツナグ、ソラモヨウ』と『Hey-day 狂騒曲』。特にカプリチオのために紗夜がわざわざエフェクターを買っていたのが印象的だった。どうせ買う予定だったと言い訳しつつ、普段は決まった音しか使わない紗夜が音作りに試行錯誤している姿を見るのも新鮮で、それ故にそんなに楽しみなのかと軽く呆れた部分もある。なんだかんだ、お祭りではしゃぎ倒すタイプらしい。
『ZEAL of proud』に入る。ベーススラップのイントロから、大胆なアレンジが加わった、AfterglowともRoseliaとも違う独特のサウンドへ。モカが紗夜を見習ったような正確なストロークでバッキングに被せる。ギターが2本だからとひまりまでスラップでメロディに参戦してきて、モカのリードに負けじと声を上げる。
「……あれがやりたいんですけど」
「嫌よ。ボーカルに専念させて」
「コーラス問題掘り返しますよ」
紗夜が戻ってきてから、友希那はほとんどギターを弾かなくなった。ライブと曲によっては間奏のリズムギターを受け持ったりするが、それくらい。レコーディングは全部紗夜が弾くし、その方がクオリティが高くなるから自分は弾かない、という友希那の意見を、リサは否定しない。
プロ級、という基準がどこにあるかはさておき、友希那のギターも決して下手なわけではないのに、ギターボーカルをやっている時期の友希那があまりにも辛そうだったから、リサは今の状態がベストなのだと思っている。
「リズムギターも好きなんですけどね。もっとこの曲はやれるのにと思ってしまいがちです。ライブでは特に」
そう言ったきり、黙りこくってライブを観ていた。燐子と何かしら相談していたあこが今度は紗夜にソロ回しの相談を持ちかけて、すげなく返されている。
表では『sasanqua』が流れている。Afterglowのセトリのラストは『燦々』。蘭が解散を意識した歌詞を出してきたのには驚いたけれど、この新曲に言及するときに、触れてはいけないものに触れるような表情をした紗夜が印象的だった。
「あこ、紗夜になんて言ったの?」
「燦々やりましょうって言ったんですけど、ダメっぽいです」
「アハハ、厄介オタクだからねぇ」
「聞こえてますよ。……そもそもまだ1回も弾いたことがないから難しいです」
そんな言い訳を信じる人間はRoseliaにはいない。つぐみにCDをねだっていたのも知っているし、通しでならまだしも、数回聴けば特徴的なリフくらいは弾けるようになるだろうから。
それにしても、と紗夜。
「『燦々』を聴いて、Afterglowは解散するのかと思いました。杞憂だったようですが」
「ウチに来るってさ」
「花咲川も羽丘も、とんだ世代ですね。3グループもメジャーデビューするとは」
「それはまあ、本当にそうだけど……」