月輪より滴り   作:おいかぜ

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《9》トーストとスニーカー

 

 朝7時に目が覚めた。夏の目覚めはとりわけ早い。

 眠るのは嫌いじゃないけれど、休みの日は早起きすることにしている。どうせ眠っていたって、おねーちゃんが起こしに来てくれるわけでもない。

 

 平日のおねーちゃんは一度も遅刻したことがないくらいには早起きで目覚めも良いけれど、休日のおねーちゃんは昼前まで起きてこない。普段は頑張って起きている、とのこと。そういうのもなんかいいな、と思う。ギャップ萌えに近い。

 普段はあたしにすらだらけた所をあんまり見せないおねーちゃんのズボラな姿はあたしのツボだったりする。

 

「あら、日菜。早いのね」

「おはよう、もう出るの?」

「おはよう。化粧だけしたらね」

 

 リビングに降りたら、お母さんはまだ仕事に行く前だった。入れ替わりでキッチンに入って、六枚切りの食パンをトースターに入れる。基本はジャムだけど今日はバターの気分。おねーちゃんがたまに凝った料理を作るときに買ってくる残りが、冷蔵庫に残っていた。

 

 朝から飲むコーヒーは格別だけど、真夏の朝は麦茶の誘惑が勝る。冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎ、ぐいと飲み干す。これもおねーちゃんが見れば「お腹を壊すわよ」とでも言うのだろう。

 

「そういえば、日菜。お母さん仕事やめるかも」

「えー、どうして?」

「ん、まあ2人の学費くらいは余裕があるし、充分稼いだからね。お父さんの稼ぎも多いし。それに……紗夜に負担を掛けすぎているから」

 

 正社員はやめてパートくらいにしようかしら、と続けて、お母さんも麦茶を呷る。

 

「おねーちゃんの負担を理由に辞めるって言ったらおねーちゃんは反対すると思うよ」

「そうよねぇ……」

「あたしはお母さんの好きにすればいいと思うけど。娘が親に働けって言うのもなんか変な気がする」

「紗夜に黙っていたらダメかしら」

「あとが怖いよ」

 

 はぁ、と溜息。おねーちゃんの意志とは関係なしに、この家のヒエラルキーはおねーちゃんが頂点だ。お母さんとお父さんはあたし達を最大限尊重しようとしてくれるし、あたしはおねーちゃん至上主義だから、祭り上げられる形でおねーちゃんが最上位に来る。

 黙っていても、というか事後報告でもおねーちゃんは別に怒ったりしないだろうけど、いい思いもしないだろう。お母さんもあんまりおねーちゃんに頼りにされていない自覚があるのか、おねーちゃんの意識改革のために良いところを見せようと頑張っているらしい。

 

 だからと言って仕事を辞めるとまで言い出すのはどうかと思う。

 

「そもそもがおかしかったのよね。小学校高学年くらいには紗夜が普通に家事の手伝いをしてくれていたし、小さい頃からあなたの面倒も紗夜がみていたし……私も子育ては初めてだったからこんなものかと……」

 

 あたしはたいそう手が掛かる子だったらしいけど、おねーちゃんは凄まじく手が掛からない子だったらしい、というのはお母さん達が昔話をする時の常套句だ。ひたすらに動き回るあたしを引き止めて、ひたすらに話しかけるあたしを相手していたのがおねーちゃんだった、とか。もしかして今と変わらない? 

 

「でも、今更じゃない?」

「せめて受験くらいは専念させてあげたいじゃない」

 

 そういえばおねーちゃんがどこの大学を受けるつもりなのか知らない。学力的にはほとんど好きなところにいけるようなものだから、どうなんだろう。羽女の空気感的には、なんとなくあたしに()()()()進路をとってほしいという思惑が透けている。私立のブランド作りも大変だ。おねーちゃんの学校もそうなんだろうか。

 

「……夜にでも紗夜と話すわ」

「それがいいよ。きっと。……ちなみにお父さんとは話してるの?」

「勿論」

「じゃあ昨日おねーちゃんと話せばよかったのに」

「せっかく紗夜が外食を提案してくれたのにこんな話したくないじゃない」

「子煩悩だぁ」

 

 焼きあがったトーストを皿に載せて、齧り付く。どんな食事も、最初の一口が一番美味しい。舌が慣れていないから、味を大袈裟に感じるのだろうか。食パンの甘みとか、バターの風味とか。

 

「もうこんな時間。じゃあお母さん行くからね」

「行ってらっしゃい」

「行ってきます。紗夜はなるべく寝かせといてあげてね」

「えー」

「えーって何よ」

「今日はデートだもん。程々に起きてもらわなきゃ」

「いいなー。お母さんも行きたい」

「早く仕事行きなよ」

「娘が冷たい……」

 

 おねーちゃんの隣は常に一人。肉親の情は置いてきた。

 

 

 お父さんはお母さんよりも早くに出ているから既に家にはいないし、早速暇になってしまった。運指の練習でもしようかと自室からベースを引っ張り出してきて、テレビを眺めながら左手をこねくり回す。

 朝はニュース番組とかワイドショーしかやっていないからどうしたって退屈だ。

 

 おねーちゃんを起こそうかとも思ったけど、あたしの都合で起こすのも悪い気がする。これが夏以外ならベッドに潜り込んで添い寝、なんてワンチャンスもあったのに。

 10時になったら声をかけよう、と心に決める。

 

 なにかに没頭するのは好きだ。その瞬間を最高に楽しんでいる気がして。

 それは別に漫画を読むことだっていいし、音楽を聴くことでもいいし、或いは勉強でもいい。その行為に価値があるかじゃなくて、自分がなにかにのめり込んでいることに意味がある。

 人生を有意義に使っている感じがする、というか。なにかしたい、という欲求(焦燥)が常にあって、没頭している間はその欲求が満たされている。

 

 おねーちゃんの何倍、空白の時間を埋めれば追いつけるのだろう。

 あるいは永遠に、あたしは追いかける立場にいるのかもしれない。

 妹だからでもあるし、あたしが拓いた道を往くことを氷川紗夜という人間はよしとしないだろうからでもある。

 

 テレビを消して、ピックを手に取る。アンプもなんにも刺していない、弦を弾くだけの虚しい音。爪弾いた弦は響くこともなく、ただリズムだけを刻む。

 

 ぽつりと歌い出す。弾き語りよりはアカペラに近い。あたしの喉にエコーをかける機能があれば良かったのに。

 思えば今まで、「上手く歌う」ことを意識したことは無かった。歌うのは好きだし、音楽も好きだったけれど、そこに巧拙を見出す理由がなかったからだ。楽しければそれでいい。

 問題なのは、またもやおねーちゃんが上手かったこと。今まで音楽に関心がある素振りすらほとんど見せなかったのに。

 

 ふたりでライブをやるのなら、足は引っ張れない。楽器もおねーちゃんより下手で、歌も音痴だったら目も当てられない。お陰であたしの「歌」は息の吸い方から音の出し方まで、1からやり直す羽目になってしまった。それでも自分で上手いか下手かなんてよく分からないから、ひたすら録音して聴き直すという苦行。

 とりあえず聞き苦しくはなくなったけれど、もうこれ以上は分からない。

 

 ライブで歌うつもりの曲の一つ。アップテンポな曲調の片想いラブソングだ。当然宛先はおねーちゃん。恋愛的な意味ではないけど、焦がれているのは変わらない。

 基本的なコード進行自体は単純だから、遊びを入れてみたりして。

 

 昨日のセッションはとりわけ楽しかった。ドラムに合わせるのに焦れるあたしをおねーちゃんが補正してくれるのが、嬉しかったり情けなかったり、やっぱり嬉しかったり。

 やっぱりあたしは人に合わせる方が得意なんだろうと思う。正直なところ、昨日の上達幅が大きすぎて今までの基礎練習が少し物足りなく感じ始めた。自分と違う視座からの指摘は、やっぱり大きい。

 

 

 そうしているうちに気がついたら9時半。喉が渇いてまた麦茶を注いでから、おねーちゃんを起こすならコーヒーでよかったかと思い直す。注いだものは仕方が無いので飲み干してから、ティーバッグのコーヒーを淹れる準備をする。ティーじゃなくてコーヒーバッグか。

 ポットに水を注いで放置。2階に上がっておねーちゃんの部屋に飛び込めば、案の定まだベッドで丸くなっている。

 なんというか、いちいち仕草が猫っぽい。おねーちゃんに言わせればあたしの方が猫っぽいらしいけど。ちなみにオス猫らしい。どうして……? 

 

「…………ああ、日菜。また起こしに来たの……?」

「昨日は朝早かったけど、今日はもう10時になるよ」

「10時……起きるわ」

「朝ごはんは食べる?」

「ええ」

 

 頭が回っていないのか、レスポンスが遅いのも可愛い。目覚めが悪いことに悩んでいるのか、低血圧を疑っていたのを思い出す。

 意味もなくおねーちゃんに1度抱きついてから、リビングへUターン。

 

 再びパンをトースターに放り込んで、ポットからお湯を注いでコーヒーを淹れる。紅茶やコーヒーは淹れ方で全然味が違うというけれど、さすがにコーヒーバッグではどう淹れようとも大差ないと思う。

 こういうのに詳しいのはおねーちゃんの方で、たまに凝った料理をするのもそうだし、紅茶やコーヒーの銘柄についても色々教えてくれたりする。「どうせ味の違いなんて大して分からないけど、分かった気になっている方が楽しい」らしい。

 昔コーヒーにハマっていたらしいお父さんがおねーちゃんとなにやら語り合った挙句にコーヒーサイフォンを買おうとして、お母さんに怒られていたのが記憶に新しい。

 

「おはよう」

「おはよう! 朝ごはんできてるよ」

「ありがとう。……バターも消化しなくちゃね」

「それ買ってくる度に言ってない?」

「お菓子でも作らない限りは大量に消費する機会がないのだもの」

「あたしにお菓子を作ってくれればいいんじゃないかな」

「……お菓子だけはね、店で買った方が何倍も美味しくて、安くて、手間もかからないのよ」

 

 顔を洗ってからリビングに入ってきたおねーちゃんはまだ眠そうだった。

 バターを塗ったトーストとマグカップを差し出して、あたしも隣に腰掛ける。

 

「今日は何時に出掛けるの?」

「開場が4時からだから、それくらいね。結局チケットはもう取ったから、場所取りをするのでなければギリギリに行ってもいいのだけど」

「会員登録とかもやっちゃうんでしょ? あたしあんまりシステムがわかってないけど」

「私がやるから気にしないでいいわよ。スタジオの使い方だけ最初に覚えれば、あとは慣れるわ」

 

 逆におねーちゃんはどうしてそんなに慣れた感じなのか。あたしが知らない誰かと行ったことがあるのかな。ちょっと複雑。

 

「チケットノルマなんかがないのは楽よね。それだけ集客力がある箱なのか、このイベントだけなのか……調べた限りは後者のような気がするけれど」

 

 チケット。確かに、ライブをするならチケットを売らなきゃいけない。こういうのって最初は友達に売ったり路上ライブとかで少しずつファンを増やすものだと思ってたけど、実際にはどうするんだろう。

 あたしは凄まじく交友関係が狭いから、既に詰んでる感じがする。おねーちゃんもすごく顔が広いタイプじゃないし。

 一応、ネットを使うという手もあるのか。動画配信でもファンの獲得は可能だろう。それにしたって時間がかかるだろうけど。

 

 思ったよりも大変なことにおねーちゃんを巻き込んでしまったかもしれない。

 

「バンドやるって大変なんだね……」

「ライブの規模を大きくしたいのならね。細々と趣味でやるならそんなにハードルが高いものでもないわよ。こうやってイベントとかブッキングライブに参加すればいいだけなんだから」

 

 その場その場でお金が必要にはなるけど、と不穏な呟きが聞こえた。

 

「……食べ終わったけど、弾く?」

「うん」

「どうして気を落とすの」

「や、おねーちゃんにまた負担かけちゃってるなって」

「気にしないでいいと言っているでしょうに」

 

 食器を流しに置いて、さっさと部屋に戻っていくおねーちゃんを追いかける。ソファに置きっぱなしにしていたベースを掴むと、やけに重く感じた。

 

「打ち込みのドラム、やめましょうか」

「へ? なんで?」

「あなたが窮屈そうなんだもの」

 

 いつものエレキギターじゃなくてアコースティックギターを抱えたおねーちゃんが、唐突にそう言った。

 

「どうせライブするならただのコピーバンドなんてつまらないじゃない。アコギならドラムの不足も多少は補えるし、そのためにスコアを弄ればアレンジも入れられるわ」

 

 アレンジを加えるのが好きじゃないって言ってたのに、取ってつけたようにそんな言い訳をして、それからチューニングを始める。

 おねーちゃんが好きな音楽を曲げるようなことはしたくない、けど、おねーちゃんがアコギに持ち替えたのはあたしが下手だからなんだろう。お互いをぶつけ合って、心から通じ合えるようになりたいなんて目標からは遠ざかっているようにさえ感じる。

 

「……私が主義を曲げたらそんなにおかしい?」

「あたしのためにやってくれてるなら、何か違うなーって」

「一人で弾くのとライブで弾くのじゃ違うでしょう。ライブでなんの個性もない演奏をしても、それこそなんの意味もないわよ。……だからあなたのために渋々やっているとかじゃないわ」

 

 嘘か本当か見抜けなかった。おねーちゃんの音楽についての考えがよく分かっていないから、これを嘘と断じるのはまだ無理だ。

 

「ほら、早く構えて。今日中にはある程度形にしておかないと」

「おかないと?」

「ハコにもよるけど、普通は出演するバンドの実力くらいチェックするものよ」

「先に言ってよ!」

「そうしたらさらに練習を詰め込むじゃない。ただでさえオーバーワーク気味なのに」

 

 悪びれもなく言ってのけたおねーちゃんに容易く言い負かされて、渋々ベースを構えた。ボディーヒットがリズムを刻む。おねーちゃんのストロークに合わせて弦を弾く。一人で弾いているときよりも音がブレる。合わせる方に意識が行き過ぎているのだろうけど、反復練習以外に解決手段を思いつかない。

 

 おねーちゃんも試しているのか、頻繁に音色が変わる。あたしは合わせるので精一杯なのに、弾き方を変える余裕まである辺り、やっぱり遠い。ストロークひとつ取ってもこんなに差があるのに、持っている技術の数も、音楽への理解も、遠く及んでいない。

 

 ──でも、楽しい。

 

 呼吸がわかる。

 

 音が繋がる。

 

 声が重なる。

 

 片想いの歌だからちょっと切ないけれど、それがむしろ……ちょっと良い。

 

「日菜の音が素直だから、私も素直に弾いた方が良さそうね」

「スラップとかしよっか?」

「好きなように弾けばいいわよ」

「うーん、あんまり曲に合わないからやめとく」

 

 そもそも技術で追いつけてないのに変化球を使っても意味が無い。演奏に幅を持たせられればいいと思っていろいろ練習はしているけど、結局基本のストロークが一番大事な気がしている。

 

「……でも昨日よりずっと上手いわね」

「おねーちゃんが主体の方が合わせやすいかも」

「本当は私が合わせる側なのだけどね」

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 2人して夢中になって、楽器を手放したのは3時を回ろうかという頃だった。またもや昼食を食べそびれたことにため息をつく。

 シャワーを浴びて、タッパーに詰め込んであったそうめんを食べて、身支度を整える頃には3時半を過ぎている。

 

「何持っていけばいいの?」

「貴重品と楽器とタオルと身分証、くらいかしら。ストールもあった方がいいかもね」

 

 言われた通りにカバンに詰め込む。とは言ってもいつもの荷物に楽器を加えたくらいだけれど。ベースを持ち歩くことなんてあんまりなかったから、持ち慣れていないのがモロに出ている。ケースが肩甲骨に当たってちょっと痛い。

 

「玄関でぶつけないようにね」

「うん」

 

 今日はおねーちゃんもパンツスタイル。スカートはやめた方がいいらしい。なんとなく想像はつくから、初めから履いていくつもりはなかったけど。

 細身のアンクルパンツとスニーカー。おねーちゃんは身長もあるし脚も長いからパンツを履いた方が似合うと思う。

 

 夏休み中の街に繰り出す。花咲川は音楽が盛んな街だ。特にガールズバンドが多くて、そういうファッションの店とか、楽器店とか、あとは演奏可能な広場とか、とにかくバンドマンに優しい街、らしい。

 

 路上ライブは警察に怒られるらしいけど、街を歩いているとそこそこの頻度で遭遇する。そして警察官に注意されているのもしばしば見掛ける。とはいえ黙認されている場所もあるらしくて、そういう場所にわざわざパフォーマンスを見に行く子もいる、らしい。クラスでそういう話題が出ていたような気がする。興味がなかったからうろ覚えだけど。

 

「分かってはいたけど、案外近いわね」

 

 徒歩10分くらい。だけどあんまり行動範囲と被らないような場所にライブハウス「CiRCLE」は鎮座していた。

 屋外にカフェがあって、建物の中がライブハウスになっているらしい。外側のカフェの部分を見かけたことはあったけど、ここがライブハウスだったのには気が付かなかった。

 

「失礼します」

 

 雨の日にはどうするんだろう、とぼんやり眺めていたら、おねーちゃんがさっさとドアを開けて入って行ってしまった。ちょっとテンションが高い気がする。おねーちゃんもこういうところに来ると気分が上がるらしい。

 

「お、初めて見る子だ。CiRCLEへようこそ! 楽器を持ってるってことは、ライブの申し込みかな? それともスタジオを借りに来た感じ?」

「イベントへの参加申し込みですね。今月末のやつに出たくて」

「ありがたいなー。そっちのイベントはまだ枠が残ってるから問題ないはずだよ。あ、自己紹介忘れてたね。私は月島まりな。ここのスタッフをしてます」

「氷川紗夜です」

「日菜でーす」

「姉妹バンド? 意外と珍しいかもね。……うーん、今日のイベントにはまだ時間があるし、裏で少し説明させてくれるかな」

 

 思ったよりも小綺麗な場所だなというのが第一印象。偏見かもしれないけれど、ライブハウスなんて場所はもっと暗くて、多少荒れているようなイメージだった。

 置いてあるフライヤーやポスターを見るとここのメイン層はガールズバンドが多いみたいだから、客層を考えてもオシャレで明るい内装にするだろうなと納得がいく。

 貸スタジオの一室に連れられて、丸椅子に腰掛ける。ミニテーブルにいくつかの用紙を広げて、まりなさんが話し始めた。

 

「サキドリ文化祭にはチケットノルマがないから気にする必要は無いけど、普通のブッキングライブの仕様はわかってる?」

「基本的なことは」

「うんうん。じゃあもし細かいところでわかんないことがあったらいつでも聞いてね。ノルマのこととか、楽器のこととか、機材のこととかも。あ、あとウチではスタジオの貸出もやってるけど、その場合は予約した時間内に退出準備まで済ませてね。その時々に言われると思うけど、時間オーバーしちゃうと次のお客さんが困っちゃうから」

「はーい」

「ヒナちゃんいい返事。んーと、じゃあとりあえず会員登録だけしてもらっていいかな。あと、できれば二人の演奏を聞かせて欲しいんだけど……バンドメンバーは二人だけ?」

「二人だけです。音源は用意していないので、生演奏で良いならここで軽く弾かせて貰いたいのですが」

「もちろん。サヨちゃんは慣れてるように見えるけど、二人はバンド始めてどれくらいなの?」

「えーっと、1週間ですね。楽器歴は私が半年くらいです」

「あたしは1週間かな」

「ちょーっと不安になってきたぞー?」

 

 大丈夫かなぁ、とまりなさんが他の出演メンバーが載っているらしいリストを見返し始めた。確かにいきなり乗り込んできたライブ参加希望者が始めて1週間の初心者だと知ったら不安にもなる。

 

「後で聞いてもらえばわかると思いますけど、多分大丈夫です」

「ほんとに? いや、初心者お断りとかじゃないんだけどね。最近ウチのライブには結構バンド歴長い子とか、結構人気のある子達が来てくれててさ。始めたばかりの子達がそれと同じステージに立って比べられるのって残酷じゃない?」

「他のバンドに勝るとは思わないですが、演奏して恥をかかない程度には仕上げられるので」

「君たちが問題ないならいいんだけどさ」

 

 ……ちょっと胃が痛くなってきた、気がする。問題にされているのはあたしだ。おねーちゃんに期待されているのでもちょっと重く感じるのに、余計なプレッシャーがかかる。

 

「先に弾きましょうか、それなら」

 

 書きかけのペンを置いて、おねーちゃんが横倒しにしていたギターケースを開ける。

 

「お、アコギとベース? これまた珍しいね」

 

 そこのアンプ使えばいいよ、と言われてベースの準備をする。音の調整も、どれがどうとか大まかにしか分からないから、だいたい家で弾いてるときに近い音になればそれでいいや、くらいの雑な設定で終わらせてしまった。

 

「コピー曲しかないので大して面白みもありませんが」

 

 スラムでおねーちゃんがリズムを刻む。3・2・1──

 

 

 

 ♦

 

 

 

 結局、1曲弾き終えた時点でまりなさんの合格は貰えた。あたしに関しては本当に始めて1週間なのか酷く疑われたけれど。

 また外で弾くのは感覚が違って、家にいるときよりも下手になった気がする。他人に聞かせているというのもあると思う。

 

「サヨちゃんめちゃくちゃ上手いね……ウチで弾いてるこの中でも3番以内には入るんじゃないかな。これで半年……?」

「元々少し触ったことがあったので、それよりは少し長いですけど」

「それにしたってでしょ。あとヒナちゃん」

「はーい」

「始めて1週間でそれなら、天才だよ」

「そう?」

「うん。この調子なら本番には数段上手くなってるだろうし、なんにも不安とかなくなっちゃった」

 

 名前と電話番号と、とおねーちゃんが用紙に書き込んで行く隣で、スタジオの設備を眺める。機材のメーカーくらいは分かるけど、例えばアンプの善し悪しとか、あんまりそういったところには知識が及んでいない。まあこういうところの設備はすごい安物でもなければすごい良いものでもないような、エントリーモデルの1段上くらいのものなのだろうと思ってはいるけれど。どちらにせよ家にあるものと大して違いがわからない。

 

「バンド名……」

 

 おねーちゃんが慄いたように呟いた。

 そういえばなんにも考えてないや。おねーちゃんに視線を向けられたので首を振っておく。なんにもアイディア無いです。

 

「もしかして……まだ考えてない感じ?」

「……はい」

「じゃあ後でいいや。早めに欲しいのはコピー曲のリストと、オリジナル曲があるならその音源くらいだし。打ち込みのドラムの音源とかは使う?」

「コピー曲のリストは書いてある通りで、音源は使いません」

「なるほどなるほど。当日の持ち時間が30分だから、4曲か5曲くらいかな。キツいようなら時間を調節してもいいけど……」

「大丈夫です」

「じゃあもし変更したかったらなるべく早く言ってね」

「わかりました」

「んー、じゃあこんなところかなぁ。相談には乗れるから気軽に話しかけてね」

 

 解散! と言われて3人連れ立って部屋を出る。ラウンジに戻ればぼちぼち人が増えていた。

 開演まではまだ1時間くらいある。外のカフェで時間を潰そうということになって、まだ茹だる暑さの外に逆戻り。とは言っても夕暮れの日陰ならもうそれほど──

 

「暑いわね」

「暑いね」

 

 普通に汗が滲むくらいには暑い。これは無理だ、ということになって屋内に逃げ込んだ。

 ラウンジに座るスペースくらいはあるけど、それほど多くもない。端っこの席に腰掛けて、冷房という文明の利器のありがたみを一身に受ける。

 

「……バンド名、日菜が考えて」

「あたしセンスないよ?」

「私にもないわよ」

「えぇー。考えるのはいいけど、自信ないなー」

「結束バンドなんてバンドがあるくらいだし、なんでもいいのよ」

 

 結束バンドはいいじゃん。可愛いし意味も通るし。

 バンド名って、かっこいい名前か奇天烈な名前かどっちかな気がする。いちばん無難なのは造語なんだろうけど、そう簡単に思いつくかは怪しい。

 

 名前に関連付けて考えるのがやりやすいんだろうなとは思う。だって紗夜と日菜だ。夜と昼、あまりにもわかりやすい。

 

「少し席を外すわ」

「はーい」

 

 バッグを丸ごと椅子の上に残して、おねーちゃんが立ち上がった。……トイレかな。もしかしたらまりなさんとの内緒話かもしれない。

 暇になってしまったから、店内を眺めていた。客層としては高校生は意外と少なくて、大学生とか専門学生っぽい人達が大半に見える。制服を着ているわけじゃないから、そうっぽいってだけの話だけれど。

 

「あ、ヒナじゃん」

 

 おねーちゃんと入れ違いに、聞き覚えのある声。

 

「リサちー。やっぱりバンドやってたんだね」

 

 バンドメンバーらしい4人の中から1人抜けて近付いてくるリサちーにそう返す。爪の切り方が明らかにそうだったから、ギターかベースを触り始めたのだとは思っていたけど。

 

「友希那とね。そういうヒナはライブ観に来たの?」

「うん。リサちーも出るならもっと楽しみになってきたかも」

「こういうところに来るイメージなかったなぁ。ライブハウスの雰囲気とか好きじゃなさそうだし」

「えー、そう?」

 

 ライブハウスに来たことはなかったけど、ライブ自体は好きだ。小さい頃からお父さんかお母さんの趣味のライブに何度か行ったこともあるし、そのときもすっごく楽しかった覚えがある。

 

「嫌いとかじゃなさそうだけど、興味もなさそうだから」

「きっかけが無かったらそうだったかも。でも今はどハマりしてるからどっかのタイミングで触れてたんじゃないかなぁ」

「いつも通りお姉さん?」

「そう」

「アタシもちょっと会ってみたいんだけどな。一緒に来てるの?」

「うん。今はちょっと別行動中だけど」

「あー、じゃあさっきすれ違った人かも。スタッフの人と話してた」

「そう思ったんならそうだよ。あたしのおねーちゃんって感じの人だから」

「何それ」

 

 うーん、リサちーも結構ライブに慣れているっぽい。全然緊張している素振りがない。もしかして最近バンドを組んだわけじゃないんだろうか。

 

「そろそろ戻るね。リハに行かなきゃ」

「うん。頑張ってね」

「ヒナも、楽しんで」

 

 ベースのケースを背負ってスタジオの方へと歩いていく後ろ姿を見送る。

 また暇になってしまった。

 夏休み中にふとしたタイミングで友達と会うと楽しくなって話し込んでしまうけれど、先が押しているとこの中途半端に上がったテンションが消化されずに残されてしまう。

 

 リサちーの演奏技術も少し気になる。自分と同年代の演奏を聞いたことがほぼないから、どれくらいの技量が平均値だとか、そういうのがあんまりわかっていない。友達の演奏を値踏みするわけじゃないけど、自分の位置を知るのに周囲の情報は得ておきたい。

 

「あ、おねーちゃん。おかえり」

 

 スタッフと話しているのを見たって言ってたっけ。なにか確認したいことがあったのか、ついでに少し話しただけなのか。

 

「羽沢さんに会ったわ。あの子、バンドなんてやってるのね」

「あれ、言ってなかったっけ? 幼馴染バンドやってるらしいよ」

 

 つぐちゃんも来ているのか。また今日の楽しみがひとつ増えた。

 知らない人の演奏を聴くよりも、知り合いのライブに来たと考える方がよほど興味が湧く。当たり前だけど。

 

「幼馴染ということはバンド歴も長いのかしら」

「そこまでは知らないかな。どうして?」

「何年も続いている関係なのだとしたら、凄いなと思っただけよ」

「おねーちゃんリセット癖あるもんね」

「……関係を作らないよりはマシでしょう」

 

 どっちも大して変わらないんじゃない? とは言わなかった。ただ、そう考えているのは伝わったと思う。

 はぁ、とため息をついて、チケットを手におねーちゃんが立ち上がる。

 

「もうそろそろ開演よ」

 

 整理券を見せて、ドリンクを貰ってからステージの下に並ぶ。ライブハウスは大抵ワンドリンク制らしい。早くもこの飲み物のカップが邪魔だな、と思い始めてきた。

 立ち見に飲み物って、絶妙に煩わしい。

 

 照明が絞られて、ステージにライトが当たる。舞台に上がったのは、つぐちゃんが所属する5人組バンドだった。確か名前は──

 

「──Afterglowです」

 

 後ろの方にいるつぐちゃんと目が合った、気がした。たぶん気のせいだけど。

 

「初めての人も、いつも聴いてくれている人も。心に焼き付けてください、1曲目は、『That Is How I Roll!』」

 

 ドラムの音、弾ける声、迸るメロディー。静やかだったステージが、刹那の間に『ライブ』へと昇華される。

 通じあっているように見えた。言葉を超えた場所で、彼女達は共鳴していた。

 

 

 ──嗚呼、弾きたいな。

 

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