月輪より滴り   作:おいかぜ

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《92》営業日和

「あの、今井さん?」

「んー?」

「……近いです。どうしたんですか、急に」

「紗夜がいるなーって」

 

 呆れたような、困ったような表情でこちらを見つめる琥珀色の瞳を見つめ返して、リサは内心で安堵した。困ってはいるものの、嫌がられてはいない。まだあまり親密でなかった頃の燐子と同じような反応だろう。

 友希那に渡された楽譜を読みながら考え込んでいる様子の紗夜の隣に腰掛けて、その左肩に頭を預ける。まるで恋人同士がするような仕草ではあるが、これくらいのスキンシップは女友達同士でならないこともない、とリサは思っている。ハグとそう変わらないだろう。

 人の少ない平日ダイヤの電車に揺られて、流れゆく景色に視線を向ける。

 

「これからはずっとここにいるつもりですよ。私が不要にならない限りは」

「じゃあ一生だね」

「腰が曲がったらギターは弾けなくなるかもしれません」

「リウマチで関節が痛んでもやるんだよ」

「楽器ごとにサポートが必要になりますね。サポート4人ですか」

 

 息切れしながらセンターで歌う友希那と、弾けない癖に楽器を持って突っ立っている4人。それから真面目に演奏するサポートが4人。そんな絵面を想像してみる。当て振りの方が随分マシだろう。あまりにも滑稽で、鼻で笑うように息が漏れた。

 

「……しかし、羽女からオファーが来るとは思いませんでしたね。母校のステージに立つ気分はどうですか?」

「まだ本決まりでもないのに。……とはいえ、懐かしさと嬉しさで色々だね」

 

 普段は紗夜が表に立って行う交渉事に、今日ばかりはリサも付き添っていた。細かい部分は晴海に任せつつ、Roseliaの外交担当として友希那を甘やかしている紗夜に、流石に申し訳ないという気持ちが芽生えつつあるのか、今日くらいは友希那が出向くと言ったのをばっさり切り捨てた紗夜は、心做しか楽しそうだった。先に手を挙げていたのがリサだったから、羽丘の教員との顔繋ぎ役はリサで十分だと判断したらしい。同日に友希那はインタビューの仕事が入っていたのもあるだろう。

 

 羽丘の文化祭への出演依頼。唐突に降って湧いた仕事に1番喜んでいたのは間違いなくあこだったが、リサも友希那も同じようにやる気に満ち満ちていた。母校には当然思い入れがあるし、恩返しがしたいという思いもある。

 

「来年は花女に営業しにいく?」

「……そうですね、それもいいかもしれません。間違いなく白金さんは喜ぶでしょうし」

「紗夜は、花女でライブしたいと思わないの?」

「思わないわけではないんですが……私は心残りとかありませんし、ポピパやハロハピが盛り上げているところにわざわざ便乗しなくてもいいかなとは思います」

「ん、それもそうなんだよねぇ……アタシ達も来年はAfterglowに譲るかなぁ」

「まあそこは上原さんたちと相談してください。私としては、そこまでする必要も無いと思いますが」

 

 紗夜がタブレットを仕舞う。何処に行くにも楽器を背負っているイメージのある紗夜が、フォーマル寄りのコーディネートにカバンひとつで隣を歩いている姿は新鮮だった。

 列車を降りて、歩き慣れた駅の構内を、リサの方が1歩先に歩く。

 

 紗夜にも、例えば妹が3年間を過ごした学び舎を見てみたいという思いがあるのだろうか。

 

「あとで学校の中案内してあげよっか」

「生徒もいるでしょうし、迷惑じゃないですか?」

「放課後だし廊下を歩くくらいはいいでしょ」

「……時間があれば」

 

 通学路とは少し外れた、けれど何度も友人たちと歩いた道をなぞって、かつての学び舎に足を踏み入れた。旧校舎がところどころ改装されたり、設備が新しくなっているところもあって、懐かしさと目新しさで記憶中枢がぐりぐりと刺激されるような感覚。

 ほとんど使ったことがない来客用の入り口で、守衛から来客用の名札を受け取る。数分待たされた後、小走りでやってきたのは生徒会の顧問であるリサの元担任だった。

 

「間宮先生、お久しぶりでーす!」

「今井さん! 元気そうで良かったわ。テレビでもちゃんと活動を追いかけているのよ。ライブにも行ったし……湊さんは元気?」

「友希那も元気ですよ。あと、こっちがウチのギターの氷川紗夜です。ヒナのお姉さん」

「初めまして、氷川紗夜です」

「初めまして。間宮といいます。2年間氷川……ああいえ、日菜さんの担任を務めさせていただきました。双子の『おねーちゃん』のお話はかねがね」

 

 そろそろ30歳だったか、ギリギリ29歳だったかは曖昧なところだが、比較的歳が近いことから人気の先生だった。努力家だったから、日菜も真面目に接していたことを思い出す。

 

「それは……きっとご迷惑を掛けていたのではありませんか?」

「いいえ、とても良い子でしたよ。なんというか、私が担当した7年ほどで1番生徒会長らしい生徒会長だったんじゃないでしょうか」

「私のイメージとは随分乖離があるようで……」

「うーん、つぐみに訊いたらまた違う答えが返ってくるかもね」

「それは否定できないわね。教師と学生では捉え方が違うでしょうし。それに、羽沢さんの世代には随分と楽をさせてもらったからそちらも捨てがたいような……」

 

 安物のスリッパがペタペタと音を立てる。小会議室に通されて、学校にある機材や持ち時間、当日スケジュールのことなどを打ち合わせていく。今回ばかりはリサが表に立って、紗夜が不足を埋める形だ。

 もとより時間がかかるとは思っていなかったが、予定よりも早く打ち合わせが終わった。

 

 1時間のステージだ。吹奏楽部と絡めてなにかやってみたかったが、今から検討しても間に合わない。来年もという話になったらその時に考えようと心に決めて、飲みかけのペットボトルを片手にパイプ椅子を引く。

 

 機材の多くはRoselia側で持ち込む必要がありそうだ。紗夜のタブレットの画面を見つつ、大まかなセットリストを考えてみる。ファンで固めたライブでは無いから、人気曲や最近の曲で固めた方が無難だろう。いくつかカバーを入れてもいいかもしれないし、そうでなくともノリやすい選曲は必須だ。

 

「ちょっと校舎を見てきてもいいですか?」

「ええ、もちろん。文化祭の準備をしているところばかりだろうから、教室には入らないようにお願いね」

「勿論です。紗夜にヒナの過ごした場所を見せたくて……」

「よく考えたら、まるで日菜が故人になったような言い草ですよね」

「そう言われると、そうかもしれないけどさ」

 

 でも、日菜はきっと喜ぶだろう。お節介を焼くわけでは無いが、姉妹仲が良いに越したことはない。その一助にでもなれるのなら、校舎の案内をするくらいはいいだろう。リサにとっても思い出の詰まった場所だ。

 

「生徒会室には入れないかもね」

「構いませんよ。……未だに、あの子が生徒会長をやっていたというのがしっくり来ませんね」

 

 廊下に出てすぐ、何人かの生徒に話し掛けられた。Roseliaの今井さんですか、氷川さんですか、という切り出しから、文化祭に出てくれるって本当ですか、とか。明言はしないまま、OBとして4年前の学校生活との違いについて雑談に花を咲かせていると、面白い情報が得られた。軽音楽部ができたらしい。

 

「軽音楽部だって。覗いていく?」

「いいですけど、邪魔になりませんか?」

「別に邪魔にはならないでしょ」

 

 教室を一通り見て回ったあとの感想は、飾り付けのせいで原型を留めていないからよく分からない、というものだった。それでも雰囲気は感じ取れたらしく、紗夜が楽しそうにしていたから良しとする。そもそも学校を訪問するという行為自体が面白いものなのかもしれないが。

 

 軽音部の部員と鉢合わせて、ぜひ演奏を聴いて欲しいと言われるままに部室にお邪魔した。リサ達を招待してくれた子はベーシストで、日菜のファンらしい。そこはリサの名前を挙げるべきじゃないのかと冗談めかして紗夜が言うと、ベースが青だから言い逃れできないと笑っていた。

 Afterglowに憧れて作られた部活らしい。本人達に伝えたら喜ぶだろう。

 

『VIOLET LINE』を演奏して貰って、ギターとベースに求められるままに軽いアドバイスをあげて別れる。

 

「どうだった?」

 

 入場許可証を返却して校舎を出たあと、立秋の風に吹かれながら尋ねる。

 

「良い学校ですね。あと、花咲川より真面目そうな雰囲気でした」

「それは……そうかも」

「今井さんだってなんだかんだ真面目ですしね」

「アタシはどっから見たって優等生でしょー?」

「黙秘します」

 

 どこかで晩御飯を食べて帰ろう、という話になって、近辺の店を思い浮かべてみる。学生時代によく話題に出ていたのはラーメンか、カレーか。紗夜が「男子学生のレパートリーですね」と言ったのに、「女子校だから」と返す。女子だってラーメンくらい食べる。

 

 腹いせに紗夜をラーメン店に連れていくことに決めると、道をはずれて東の方へ。

 

「紗夜ってラーメン屋とか行くの?」

「……そう言われると、生まれてから一度も行ったことがないような気も……」

「ちなみにヒナはアタシと行った時に初めてって言ってたよ」

「じゃあ私もそうなりますね」

 

 真面目なんだかとぼけているんだか分からない紗夜を連れて、ラーメンチェーンのドアを開ける。

 

「日菜との会話で外食の選択肢に上がった気はするんですが……どうして来たことがなかったんでしょうね」

「紗夜の友達が遠慮したんじゃない? ラーメンとか食べなさそうな顔してるって」

「家でカップ麺食べたりもしますよ、私」

「アタシは知ってるけどさ」

 

 チャーハンと醤油ラーメンのセットに即決している紗夜を尻目に、坦々麺を注文する。初めてきたと言う割には慣れた雰囲気があった。紗夜の場合は何をしても「それらしく」見えるから、リサの考え過ぎなのかもしれないが。

 

「それにしても、よく食べるね。お腹減ってた?」

「…………チャーハン、半分食べませんか」

「坦々麺でおなかいっぱいになるから、いいかな」

「そうですよね……」

 

 何故だか声のトーンを落とした紗夜に首を傾げる。もしかして、頼みすぎたと後悔しているのだろうか。有り得そうで嫌だったので踏み込まないでおく。幻想や憧れは維持しておくべきだ。

 

 Roseliaメンバーと紗夜の関係は、かなり画一的である。友希那もあこも燐子も、紗夜を頼れる存在として見ていて、紗夜の方もそれを拒否しない。進んで甘やかすような様子もないが、バンド内の些細な問題なら軽く背負えてしまえるキャパシティがあるのだろう。

 そしてそれは、リサのアイデンティティに干渉する在り方だった。

 

 紗夜が邪魔だとは思わない。けれども、Roseliaの中で最も仲が良くないのは間違いなく紗夜とリサだった。端的に言えば相性が悪いのだ。リサは頼られることに人間関係の利を見出しているし、逆に無闇に他人を頼ろうとは思わない。紗夜も人に頼るタイプではなく、一人で完結してしまうタイプだ。ほかの3人とは凹凸で上手く収まる関係が、紗夜とリサでは凸凸になる。

 

 仕方がないことではある。誰とでも仲良くなれるなんて幻想を抱いてはいないし、現時点でもリサと紗夜は友人関係で、何か問題があるわけではないのだから。

 

「……やっぱりチャーハン貰うよ」

「ほんとですか? ありがとうございます」

 

 2ヶ月後には、友希那の本懐を遂げる舞台であるFUTURE WORLD FES.がある。今のRoseliaのままで何も問題がないと思っているし、10年近く続いた友希那の妄執にも、今年で一旦決着がつくはずだ。

 そこに憂いを残したくない。

 

 となれば、リサが腹を割って紗夜と話をしてみるべきなのか。何を話すべきなのかも分からない。「ウチらって相性悪いよね〜」「そうなんですか?」で終わってしまいそうな気さえする。どう着地するべきか。むしろ、これはこれで健全な関係のひとつと言えるのではないか。

 

「紗夜ってさ。RoseliaよりもAfterglowの後輩たちの方が仲が良いよね。つぐみには敬語も使ってないし」

「そう見えますか?」

「うん」

 

 リサの言葉に、さも意外そうに紗夜は目を瞬かせた。

 リサの記憶が正しければ、紗夜が敬語を使わずに接しているのは日菜と、彩と、千聖とつぐみくらいだ。日菜曰く、音楽関係、芸能関係の交流だという意識が先に来ると敬語で接するらしい。彩はクラスメイトだからそれを免れたということだろうか。分からなくもない。

 

「そうでもないんですけどね。……まあ、Roseliaにいるときは飾ってしまう、というのはあるかもしれません。格好つけてしまうんです」

「後輩たちにはそうでも無いんだ?」

「だいたいは青葉さんの影響でしょうね。格好つけたってからかわれるだけですから」

 

 料理が届く。猫を模した配膳ロボットが、愉快な音楽とともに通路を歩いてくる。よくもまあ汁物を、とも思ったが、スープが丼からこぼれたような形跡はなかった。

 

 坦々麺のスープをレンゲですくって口に運ぶ。久しぶりに来たが、相変わらず美味しい。紗夜が取り皿を注文して、同じく醤油ラーメンのスープを掬った。

 

「確かに私は青葉さんを好意的に見ていますが、向ける感情の多寡で語るのならば、私は日菜の次に貴方達を──いえ、前にも同じことを思いましたが、私が好意を表に出すのが不得手なのが悪いんでしょうね」

 

 スープが白いシャツに飛ばないように気をつけて麺を啜る口元に視線が引き寄せられた。取り皿を持ってきた店員に礼を言って、紗夜がお冷に口をつける。

 

「日菜にも言われました。たとえRoseliaがバラバラになったとしても、私が最後の一人になったとしても、青薔薇を名乗り続けるくらいの覚悟で貴方達の手を取ったつもりなんです。どんな手段を使ってもこの五人を繋ぎ止める覚悟がありますし、バンドを存続させるために如何なる努力も惜しむつもりはありません。晴海さんについて営業に行っているのだってそうです。Roseliaがレーベルを離れても生き残れるように勉強しているに過ぎません。──もし今井さんがバンドを辞めたくなっても、簡単に逃げられるとは思わないことです」

「……逃げるとしたら、紗夜でしょ」

「私はもう離れませんよ。骨を埋める覚悟だってあります」

 

 自分で言う通り、紗夜の好意は分かりにくい。自分から何か誘ってくるわけでもなければ、能動的にこちらへ関わってくることはまずない。バンド内では気を回してくれるし積極的に仕事をしてくれるが、それは紗夜が真面目だからという一言で片付けられてしまう類いのものだ。日菜やモカと話してみたら糸口が掴めるだろうか、と心の中のTODOリストに書き記す。

 

 空っぽなままの取り皿を引き寄せて、リサはわかりやすい笑顔を作った。

 

「じゃあさ、1歩進んでみようよ」

「はぁ」

「敬語やめよ? そしたら、チャーハン半分貰ってあげる」

 

 途端に言い訳を探して右往左往する琥珀の瞳。数秒もしないうちに不利を悟ったのか、それともいい機会だと思ったのか、控えめなため息が空気を揺らした。

 

「……気恥しいのだけど」

「あーあー、残念だな〜! クールで美人な紗夜が、ラーメン屋で注文しすぎて食べ切れなくなるポンコツだったなんて知りたくないな〜!」

「分かり──分かったから、やめて頂戴。……今井さんにだけ敬語を外したら、宇田川さんもきっと怒るわよね」

「そうなんじゃない?」

「そうなんじゃないって、そんな他人事みたいに……」

「いいじゃん、敬語くらい。みんなきっと喜ぶよ」

「そうかしら」

 

 本当はわかっている。

 たったこれだけの問答で弱りきったように眉尻を下げている、目の前の友人は、見た目よりもずっと不器用なのだ。紗夜に頼られるのを待つよりも、いっその事彼女を困らせてやった方がずっと親密に関係を築けるかもしれない。

 

 思考がぐちゃぐちゃと纏まらないまま、時間が過ぎていく。Afterglowとの合同ライブからずっとそうだ。友希那の節目にあたって、リサの情緒も不安定になってしまっている。

 

「ねぇ、紗夜。まだ、音楽は趣味でやってるの?」

「いいえ。もっと大きなものよ。或いは、人生そのものなのかもしれない」

「そっか。それなら、良かった」

 

 

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