月輪より滴り   作:おいかぜ

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読んでも読まなくても良いです。この話だけは。


《98》Annular Lunar Eclipse

【金環月食】

 

 親友の訃報を聞いて、最初に月菜の心を満たしたのは「やっぱり」という納得だった。後悔の螺旋に囚われたまま、喪服に身を包んだ。知り合いが死ぬ予定は無かったから、数年前に買ったきり使っていないフォーマルスーツだ。隼人には申し訳ない、と思ったが、解散ライブ前に逝かれるこちらの気持ちにもなれ。

 

 第一発見者は、やっぱり飛鳥だったらしい。最愛の元彼の亡骸を前に、彼女は何を思ったのだろう。隼人と連絡がつかない、というメッセージが何度か月菜にも来ていて、こちらから連絡を取ってみても繋がらなかったから、「部屋に行ってみれば」と言ったのだった。

 仕事で忙しいのだろうと思った。マメで丁寧な男だから、返事を寄越さないというのは珍しい事態だったけれど、それ自体を大きな違和感とは捉えなかった。

 

 隼人が亡くなった、と電話越しに飛鳥の啜り泣く声を聞いたのが深夜のこと。寝入りかけていた意識が一瞬で覚醒して、聞き間違いであってくれと思いながら、何度も聞き返した。死という単語がリフレインする。拓海に連絡を入れて、警察の事情聴取を受けているらしい飛鳥を二人で迎えに行った。

 

 心不全、との事だった。事件性は薄く、特に問題なく処理されるだろう、と。隼人の母親にも連絡が行って、神奈川からここまで急いで向かっているらしい。第一発見者の飛鳥と、そうでなくとも直前まで同じバンドを組んでいた幼馴染である月菜達にも会いたいとの事。

 明日の予定を白紙にして、誰一人口を開かないまま3人で月菜の部屋へと戻ってくる。

 

「どうすんの」

 

 拓海が口を開いた。仲が良かったくせに、思いの外動揺している感じがしない。こういうところ、男は薄情だと思った。

 

「どうもこうも、何もできないでしょ。手につくわけない」

「葬式の準備とか」

「私たちがしゃしゃり出る場面じゃないだろ、それこそ」

「……喪服を買わなきゃ」

 

 明日青山にでも行けよ、と言った。拓海に構っていられるほどの精神的な余裕が月菜にはなかったから、ずっと飛鳥の背中を撫でていた。

 

「……テーブルに、書きかけの歌詞があったの」

「内容、思い出せる?」

「ううん。……ごめんなさい」

「良いのよ」

 

 来月末に、月菜達のバンド『シーグラス』の解散ライブを行なう予定だった。最後に曲を作ろうという話になって、その作詞を隼人に任せていた。それを飛鳥も覚えていたのだろう。写真を撮っておけばよかったかな、と言うのに、あとで隼人のお母さんに見せてもらえば良い、と返す。

 飛鳥がどれほど隼人のことを想っていたかを知っている身としては、そんな彼の骸と同じ部屋で冷静でいろとは言えない。

 

 こうして集まったのだって、精神的な防衛反応の他には、飛鳥の精神状態を心配したからだった。すぐにも、後を追ってしまいそうだ、なんて思考が過ったものだから。

 

「一週間くらい前に電話があってさ。……あ、隼人からね」

「うん」

「ライブ、やる気あるかって聞かれて、どうしてそんなことをって聞き返したんだよね」

「それで、なんて」

「肯定してくれないと心が折れそうだからって。折れたから辞めるんだろって言ったら笑われたけど」

「笑えないよ」

「……うん、まあ、言い過ぎたとは思ったよ。すげぇキツそうな声だったし、あいつが手を抜けないのは分かってたんだから」

 

 脱色した髪を染め直した、のっぺりとした黒髪を弄りながら、拓海が悔いるように言う。どうにも、仲が良いはずの二人の互いへの多少の加虐性が、月菜には理解できなかった。互いへの攻撃をユーモアにしたがるところがあるというか。……この場合は隼人が拓海に合わせているのには違いなかったけれど。

 

「言うか迷ったけど──いや、やっぱり忘れてくれ」

「なに、言ってよ。こんなときなんだから」

「……なんであいつに作詞をやらせたのかって思っただけ。責める気はないよ。蟠りはあるけど」

「私と隼人が始めたバンドだから、終わらせるなら二人で締めくくりたかった。……変?」

「いや、変じゃない」

 

 隼人の歌詞が好きだ。月菜は常々それを公言していた。拓海はそれに同意していたし、飛鳥は堂々とそう言えることを羨ましいとまで言った。

 だから、求められている答えはそれじゃない。

 

「……頑張らせすぎたと思う?」

「いいや、あいつが勝手に張り切っただけ。……違うか。過労とも限らないし。疲労が溜まってたのは間違いないだろうけど」

「……でも、解散ライブを盛大になんかやらずに、いきなり連れ出していれば。……根を詰めることはなかったかもしれない」

「責任を負ってやるなよ。こんな別れになった原因は俺らにもあるかもしれないが、あいつの死は俺らのせいじゃない」

 

 一旦帰るわ、と拓海が席を立った。明日もちゃんと来るように言うと、俺はクズだけど友誼には篤い、と厚顔無恥な言葉を吐く。

 

「薄情だって思ったろ」

「うん」

「抑えてるんだ。許してくれ」

 

 そして、部屋には未だ、息をする度に震える飛鳥だけが残った。

 拓海も隼人のことが好きだったんだ、と、去り際の言葉を飲み干せたのが数分後のこと。

 

 月菜のことを恨んでいた。拓海はたぶん、それを言葉にしそうになって、離れた。

 

 隼人の人間性に惹かれていることは自覚していた。飛鳥が彼に惚れた部分と同じで、けれど月菜の感情は多分、信頼とか親愛とか、そう名付けるべきものだった。

 真面目なやつが本気で何かをやっているのが1番かっこいい、という旨の言葉を、月菜は何度か発している。拓海も飛鳥も、隼人だってそれは覚えているはずで、だから、飛鳥が隼人と付き合うことになったとき、「本当にいいの?」なんて月菜に尋ねたのだ。

 

 詞だって同じことだ。隼人はあまり歌詞を書きたがらなかったけれど、月菜はよく隼人に作詞を求めた。

 卑屈さの裏にある謙虚さ。真面目なのではなく、そう在るように頑張っているだけだといつか、隼人が吐露した瞬間を今でも鮮明に思い出せる。

 

 全人類がこうあるべきだ、と月菜は思った。彼が紡ぐ詞から得られる感情は、宮沢賢治の雨ニモマケズを初めて知ったときの印象に似ていた。高校時代の月菜は、彼の詞で幾分人生を歪められたはずだ。

 

 それを、最期にも求めた。私の元から離れていくのなら、せめて。最期にまた、心に傷をつけて欲しかった。そんな感情を、きっと拓海は見抜いていた。仮にも一度は恋人関係になった相手だ。長続きはしなかったけれど、深い言葉を交わしあった事実は消えない。

 お前があいつに求めるから、あいつが追い詰められる。当時は何気ない冗談で吐かれた拓海の言葉が、今になって蘇った。

 

「コーヒー、いれるね」

「ありがとう」

 

 インスタントコーヒーの粉を掬うのに、指先が震えて苦労した。

 

「……あのね、月菜ちゃん」

「うん」

「預かって欲しいものがあるんだ。……持ってると、気が狂いそうだから」

 

 彼女がよく使っている肩掛けのカバンから、小さなケースを取り出した。指輪を入れるケースのようだ。プロポーズのシーンでよく見るヤツ。なんて思っていると、「指輪なんだ」と飛鳥が言った。

 

「言えなかったの。結婚しようって。だから、せめてお葬式まで、……できればずっとがいいんだけど、預かってて欲しい」

 

 言うべきだったよ、ともいえなかった。飛鳥がそう言っていれば、多少は変わっただろうか。きっと彼は受け入れたし、バンドももっと穏便な形で終わっていたかもしれない。

 言っても詮無いことだ。

 

 ……嗚呼、左手の薬指。彼のコンプレックス。

 だから言えなかったのかな、なんて。純粋な思慕じゃなくて、同情が混じったような気がしたのかもしれない。飛鳥はそういう人間だ。繊細で、臆病で、潔癖。

 

「持っててあげるよ。葬式までね。……それとも、隼人のお母さんに預ける?」

「それはっ! ……それは、駄目だよ、ぜったい」

「どうして」

「私は言えなかったんだから、拒絶できない状態で渡すのは……嫌だ」

 

 飛鳥が救われないでしょ、とか。死人に梔子、とか。そんな言葉が過って、黙り込む。

 

 らしくない。らしくない自分が嫌だった。

 目立ちたがり屋で享楽主義の月菜は、もっとひとでなしであるべきなのに。上手く言葉を発せないこの瞬間が、自分を自分でなくすようだった。

 

 ケトルのお湯が沸いて、マグカップに熱湯を注ぎ入れる。

 ピー、と鳴る電子音が、どうにも不快だった。

 

「泊まっていくよね」

「……うん」

「お風呂は……」

「いらない」

 

 マグカップに触れながら、自分の指先が冷めきっていたことに気が付いた。

 

 飛鳥は、親友だ。それも月菜にとっては、唯一の女友達。

 人気を集めるのが得意だった。派手好きで意欲的で、歌という一芸を持っている。そんな月菜は、広く浅い──今となってはビジネスライクと形容すべき──交友関係を作るのに向いていた。同時に、深く長く付き合うのは下手だった。相手に譲ることが、どうにも性にあわなかったからだ。

 一方的に譲ってくれる相手としか長続きしないのだ、とは元々薄ら気が付いていたから、ショックも受けなかった。

 

 園田飛鳥という人間は、月菜と噛み合う人間だった。ジグソーパズルのピースのように、互いが互いでなければならないという思いさえ。ママ友繋がりが先だったのか、幼稚園での交流が先立ったのか。拓海や隼人と同様に、物心ついた時には、飛鳥とは友人関係にあった。

 

 飛鳥は能動的に動く月菜を頼りにしていたし、月菜は何をしても自分に付き合ってくれる飛鳥を頼りにしていた。まさかバンドにまで付き合ってくれるとは思わなかった、と言ったら、バンドにまで付き合わされると思わなかった、と返された。

 

 逆に、飛鳥と拓海は相性が悪かった。互いにそういうものだと割り切っているし、むしろ相性が悪すぎてそれが明らかだったから、互いに譲れない部分を避けて関わりを持っていた。拓海が隼人や月菜に向けるようなトゲ混じりの言葉は飛鳥には向けられないし、飛鳥の気配りに対して拓海はきちんと感謝を言葉にする。逆に飛鳥は拓海の多少粗暴な言動を窘めはしないし、隼人や月菜に頼りにくい場面では拓海を頼みにすることもある。感情的には噛み合わないからこそ、損得を噛み合せるように2人は繋がっていた。

 

 凸凹なバンドは、しかし案外上手く回っていた。

 新しい刺激は、常に月菜が用意できた。優しさの規範、人間的なモラルは、理想は、常に隼人の詞が示してきた。治安の悪い業界に対する緩衝は、拓海が担ってくれた。その三人の間をちょこちょこと飛鳥が埋めて、『シーグラス』は世界を漂流していた。

 

 足りなかったのは実力だけ。そのはずだった。いっそ、いくつか来ていたオファーのひとつでも受けていれば。

 

 バンドに向けている感情はともかくとして、淡白に見える関係ではあった。そもそも学歴からして、月菜と拓海は高卒だ。フリーターをやりながらちょくちょくオーディションを受けたり、拓海はサポートをやったりして、日銭を稼いでいた。

 堅実な思考の飛鳥はともかくとして、隼人は家の事情で良い大学を出て、働かざるを得なかった。片親で、健康でない弟がいる。そんな家庭環境が彼の人格に齎したのが真面目さや優しさだったのかもしれない。

 

 そんなバラバラな各人が、一応は集まって、共通の夢に向かって歩いていた。

 

 事務所に入っていれば、まとまっていたのかもしれない。夢だった芸能事務所には何度も音源を送り付けたりして、その度に首を横に振られていたが、『シーグラス』を高く買ってくれようとしている場所は他にいくつもあった。

 

 そこで活動していれば、隼人は就職を選ばなかっただろうと思う。あそこまで追い詰められもしなかった、はずだ。

 

 顔見知りになったスカウトマンに尋ねたことがある。

 私たちに何が足りないのか。

 返ってきたのは、「もうウチはバンド路線を拡大する気がないらしいんです」という返事。それをみんなに伝えるのに躊躇して、今日でちょうど3ヶ月目だった。

 

 実力さえも足りていたのかもしれない。じゃあ、足りなかったのは運か。賢さか。

 何れにせよ、墓まで持っていく秘密が増えた。

 足りていなかったのは実力だけ、ということにしておかなければならない。

 

「月菜ちゃん。……今日、迎えに来てくれてありがとう」

「当たり前でしょ」

「それでも。まだ、足が地面についてないような気がするんだ。……どうしようもないことに気づいて、彼の顔にハンカチをかけたの。見ていられなくって、苦しくって……警察に通報してすぐだったの。電話したの。待たせちゃったよね、事情聴取のあいだ」

 

 私が行かせたんだから当たり前でしょ、とも言わなかったし、そんなことを気にするなとも言わなかった。今日は言えないことだらけだ。少し支離滅裂になった言葉を自覚したのか、飛鳥が深く息を吸った。薄い胸が緩やかに上下して、本当はもっと艶やかでぬばたまの、梳きながしたようなはずの髪が枝分かれしていた。

 

「……もう、寝よう。それで明日また、考えよう。気持ちばっかり昂って冷静じゃいられないよ」

「うん。……歯ブラシ、新品残ってる?」

「まえ飛鳥が買ってきたやつがあるよ」

「洗面所、借りるね」

 

 なんで「やっぱり」と思ったんだろう。飛鳥の後ろ姿を見て、想起されたのは訃報を受けた直後のこと。何かの間違いだろう、とも思わなかった。拓海に電話を掛けながら奇妙な納得があって、それは拓海とも共有されない感情だった。

 

 美しい人ほど早くにいなくなってしまうのだ、というのは、月菜の祖母の言葉だった。

 月菜は、隼人の精神性を美しいと思っていた。もちろん、人並みに穢い感情は彼にだってあっただろう。見栄を張ったことも、欲を張ったことも。それを引っ括めても、月菜から見た彼は……儚かった。

 

 月菜という名前には、月のように美しく在れという願いを込めたのだと父が言っていた。本当にその名前に相応しいのは隼人だなぁ、と冗談めかして拓海と話したことがある。

 

 (うすぎぬ)のように雲がかかった夜に輝く満月。

 

 写真家の知人に頼んで、アルバムのジャケット用に写真を提供してもらった。デスクの端で埃をかぶっていたアルバムを拭って、スタンドに置き直す。

 

『従容として死地につく』。砂浜へ流れ着くシーグラスをイメージしたタイトルでもあったし、慷慨死に赴くは易し、従容義に就くは難しからの引用でもある。タイトルをつけるときになんとなく隼人の詞を想ったのが良くなかったのか。

 

 

 漂う玻璃は、在るべき場所へと辿り着く前に摩耗して消え去った。

 

 

 

 ・

 

 

 彼の母親は、記憶よりも随分小さかった。

 飛鳥の口から改めて隼人が亡くなったときの様子を聞いて唇を噛み締めたあと、3人に頭を下げた。「あの子と仲良くしてくれてありがとう。あの子と生きてくれてありがとう。きっと幸せだったと思う」

 

 指輪の話がしたくなった。それを言葉ならぬ息遣いで察しただろう飛鳥が、月菜の手首を握って引き留めた。

 追って連絡します、と3人の連絡先を書き留めたメモ帳を持って、何度も振り返っては頭を下げる痩けた背中を、いつまでも見送っていた。

 

 隼人の貯金と、自分にかけた生命保険が丸々家族に下りるだろうという話を、拓海から聞いた。男の弱みの話は、隼人と言えども拓海くらいにしか漏らさない。お金の話で隼人が苦心していたことも、直接聞いたのは拓海だけだったはずだ。

 

 夢を追いたい。だけど家族のことも捨てられない。せめて、せめて。月菜にはその弱みをついぞ見せなかった。飛鳥にも、おそらく。

 

 彼の母親に会って、それを思い出した。

 

「月菜ちゃん?」

 

 空が燃えている。紅く、緋く、滲んでいた。

 

「悔しいね」

 

 引き攣る口角を無理やり持ち上げた。

 耳鳴りが頭の中で揺れる。無音の残響が思考を苛む。

 

 歌詞が出てこなかった。何よりも愛しているはずの、彼の世界が。

 

 最初にギターを聴いた時、下手くそだと思った。それから、優しい音だとも。人格が音に出るものなのかと驚いて、彼を誘った。

 文化祭で散々な思いをして、あんなに楽しかったんだから今後もやろうと言って。

 しばらくして、彼の詞に触れた。不器用だと思った。誰よりも世界の優しさを信じているくせに、世界の冷たさを知っている人間の詞だと思った。

 

 ライブハウスで自分の歌詞が貶されたとき、彼の詞ならこんな奴にも響いたに違いないと思った。高校生の女の子が彼の詞に感動したと言ったときに、自分の歌詞を褒められたときよりも嬉しく思った。

 月菜が集めて、隼人がもたせているバンド。拓海がそう評したとき、飛鳥が不服そうに頷いたのが初笑いだった年があった。

 

 隼人のことが好きなんだろ、と言われて、拓海と喧嘩したことがあった。そうじゃないと言ったのに納得して貰えなかったのは、恋人よりもずっと上、家族と同等の位置付けに彼を置いていたからだった。

 別れたあとに、バカだなぁと拓海が笑った。一番才能があるのはお前なのに、隼人のせいでここにいる。そう言われてぶん殴った。避けもせずぶっ倒れて、それでも拓海が笑っていた。飲み明かして、声が枯れたままライブに行った。珍しく飛鳥が怒って、それから、その日は隼人が歌った。

 

 飛鳥が隼人と付き合い始めたときに、酷く安心した。自分が恋愛感情まで向けてしまえば、他人のために歌えなくなるだろうという確信があった。のめり込んでしまえば、人生の全てを使い潰してしまうだろうと思っていた。一途さの欠片もない自分の、一途さを信じていた。

 

 

 そんな日々が隼人を殺した。

 

 スカウトマンにもっと早く訊くべきだった。ちゃんと別のメジャーレーベルに籍を置いて、ダラダラと生きるべきだった。

 

「バンド、どうすんの」

「私はやるよ。死ぬまで歌う」

「隼人のために?」

「そんな立派な人間じゃない。他人のためになんか生きられないひとでなしだよ。歌を歌うのに、理由なんてないでしょ」

「まあ、そっか。どうせ、バンド以外で生きられない。飛鳥は?」

「……私は、私も、やるよ。心の穴を埋めなきゃ」

「なんだ、どうせ隼人で持つんじゃん」

「どうせどうせだよ。もう27だ。三十路だよ、私たち」

 

 

 

 

 ・

 

 

 私が書いてもいいかな、と飛鳥が言ったのは、四十九日が過ぎた後だった。葬儀のあとは茫然としていた月菜たちが、のろのろと人間に戻ったのが1ヶ月後。それから3週間ほど経って、電話越しに決意の籠ったお伺いが飛んできた。

 

 書いてから持ってきて、と返した。

 リスタートとは言っても元の生活には戻れない。月菜は一応ギターボーカルだったが、ギターはお世辞にも上手いとは言えない。ギターを学び直すところからスタートだった。

 

 レーベル探しも、一旦は振り出しだ。半年か、一年か。最低でもそれくらいは掛かる筈だ。些細なことだった。

 彼の死は、SNSを通して公表した。芸能人でもあるまいし、と彼なら言いそうな、Wordで作った文章のPDF。追悼の意を込めて送られたメッセージを纏めて、彼の母親に送り付けた。こぼれる涙が痛々しくて、3人とも、しばらくぶりに実家に帰った。

 

 ドラマチックな死は売れるって誰の言葉だっけ。拓海が言った。誰よりも隼人の死が金にならないように差し向けたのは自分のくせに。

 

 彼の母親から、音楽関係の遺品はあらかた譲り受けた。

 ギターに触れたときに、彼女はそれを言おうか言うまいか迷った様子で、そして、口にした。

 

「隼人が最初に持っていたアコースティック・ギター、覚えていますか。あれは隼人の父親のものなんです。……早くに亡くなった」

 だから、月菜に引き継ぐのには抵抗があるのだ、と。

 

 月菜の脳裏には、言うべからざる言葉が次々と浮かんできた。27で死ねるのは28で死ぬよりも嬉しいことなんです、とか。運命に干渉できる楽器があるとすれば、世界中の人間が欲しがる至上の楽器に違いない、とか。

 

 あんなに優しい音を奏でるギターが、そんなはずはない、と言った。彼女は眩しそうに微笑んで、ありがとう、と零した。

 

 彼の弟にも会いたかったけど、都合がつかないと言われた。やんわりとした拒絶だということはよくわかったが、飛鳥に引き留められてそれ以上は望まなかった。

 会わない方が良い、と飛鳥が言った。結婚まで視野に入れていたほどだ。隼人から何か聞いていたのかもしれないと思って引き下がった。

 

 飛鳥が書いてきた歌詞を三回ほどボツにした。単純に下手くそだった。心を燃やし尽くす激情に、完全に支配されていた。

 かく言う月菜も、しばらく書けていなかった。一番まともなものを書いてくるのは拓海だった。これだから男は、と二人で口撃した。

 

 妬み嫉み、社会への冷笑。

 こんなに世界を見下している人間が、あんなに世界を美しく見ていた隼人にどれほど焦がれていたのか、月菜には分かってしまった。男の意地に泣かされたのは初めてだった。

 

 心に穴が空いたまま、飛鳥がまた歌詞を書いた。幾分落ち着いた様子で、歌詞はまともになった。最初は隼人の真似をしようとしていたくせに、今度は隼人を想って書いたらしい。拓海を見習ったのか。いい歌詞だ、と思ってしまった。

 

 月菜は、隼人のことを書けなかった。書いたら、負けだと思っている。

 歌詞のコンペをすると、だいたい隼人が勝つ。普段歌詞を書いている月菜が馬鹿みたいじゃないかと怒ると、俺は向いてない、なんて言うのにムカついて、またコンペで負けないために書き続ける。それでも彼の詞を読む度に、君の世界が好きなんだと笑ってしまう。

 喪失ばかり書いてくるこいつらには負けない。

 

 彼のギターを担ぐ決心がついたのは、レーベルと契約したときのことだった。

 

 彼に捧げる歌なんて大層な題目を掲げるつもりはなかった。あの世にはロックンロールなんてないだろうから、もし天国に届けば喜ぶかもしれないが。

 それよりも、彼が残した名前が、彼がいた痕跡が、彼の息遣いが残り続けていくことを、彼の母に示したかった。彼が生前背負っていたものの、ほんの数パーセントだけでも引き継いでやりたかった。彼は決して喜びはしないだろうけれど、有難がるのは間違いない。

 

 指輪は、飛鳥に返してしまった。ギターにでも付けられればよかったが、流石に無くしてしまうだろうからそれは諦めた。

 どうしても隼人に渡したくない、とごねる飛鳥に、来世でも私を忘れないで、くらい言えないのかと言ってやりたかったが、そうもいかない。

 前に飛鳥の部屋を訪ねたときに、『従容として死地につく』のアルバムのジャケットの前に置かれているのを見た。考えることは同じかと思っておかしくなったのを覚えている。

 

 隼人の書きかけの歌詞はついぞ、完成させることができなかった。私が書くなら絶対に文句は言わないと拓海は言ってくれたが、他ならぬ私自身が許せそうもなかった。何度か文字を当てはめてみても、納得はできない。結局1番だけの、1分20秒程度の歌になってしまった。

 

 まだ未発表だけど、アルバムを作ることになったら絶対に入れると決めている。

『Determination Symphony』。隼人なら絶対に違うタイトルをつけただろうな。

 

 玻璃が海原を漂う。擦り切れたって、いつかたどり着けばいい。

 

 向こう岸へ。

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