日菜と二人でPCの画面に向かう。MiDDay-Moonチャンネルの定例配信、楽器を弾きながら適当にコメントに答えていく夜だ。
「目の前でご飯を食べてくれるようになったんだけど、それが可愛くってね──」
Avant-garde HISTORYを、かなりアレンジを加えて奏でる。ギターパートとボーカルパートを織り交ぜて、ギター一本でもそれなりに聴ける演奏に。楽器が少ない時によくやる手法だ。練習というよりもBGMとしての側面が強い。
付かず離れず、という皮肉かショーペンハウアーと名付けたハリネズミの話をしている日菜は、高速で流れていくコメントを不足なく追いかけていた。
ヤマアラシのジレンマ。互いに傷付けあった私たちは、針を寝かせる方法を知ったはずだ。けれども、私と日菜の間には依然として空白が保たれている。同じベッドで眠っても、日菜は孤独を感じているのかもしれない。
埋めてやりたいと思えど、日菜の想いに応えるつもりがない私には荷が重い。私たちは姉妹なのだ。私からそれを崩すことはできない。
私にはまだトゲが残っている。日菜は見えない茨を警戒し、ぐるぐると私の周りを回っているのだった。
「『フェス最高でした!』。ありがとう! 共演って感じでもなかったけど、おねーちゃんと同じ舞台に立てたのは嬉しかったな。そうだ、新曲どうだった? おねーちゃんの曲!」
私が書いた曲は、案外高評価だったらしい。曲そのもの以外にも私と日菜や私と白鷺さん、丸山さんの関係性が取り沙汰されたことが影響していることは間違いない。歌詞の質も曲の面白さも、普段のPastel*Palettesの曲の方がよほど上だ。
あのフェスでの感動は、あくまで私の自己満足だと認識していたのだが、どうやら広く共有されていたらしかった。この辺りは、さすがアイドル、さすがは丸山彩といったところ。
「あの曲、ドラムとベースだけ異常に難しいんだよ。シンプル故に難しいって曲もあるけど、それに近いかもね。あたしと麻弥ちゃんが噛み合わないとずーっとズレたままになるの」
話題に出たので、曲目を分裂流星に変更する。
月菜の影響がありありと感じられる曲調。ほとぼりが冷めてから聴くと余計にそう思う。売れなかったバンドっぽい曲というわけだ。Pastel*Palettesには申し訳ないことをしてしまったかもしれない。けれども、私が書ける限りのものを書いた。反省すべきはオファーを受けたことで、曲のことじゃない。
……飛鳥と拓海なら、どうだろう。日菜と大和さんのようには弾けないだろうな。気が合わない二人だったから、月菜もこんな曲を作りはしなかっただろう。
気が合わないから、逆に上手くやったような気もする。両者とも楽器に関しては職人気質だった。日菜が引っかかるようなところも淡々とこなしたのではないか。
考えても意味が無いと思う私と、彼らとのライブも私の人生の血肉なのだと開き直る私がいる。呪縛だとは捉えていない。きっと私抜きでも上手くやっているだろうライブを、聴けたらいいのにと願ってしまうのだけれども。
「逆にレコーディングはめっちゃ楽だった。シングルの告知もう出てるのかな? 近々発売されると思うから、よろしくね!」
大きめに表示されたコメントの流れに視線を戻す。ギターばかり見ていても礼を失するような、そんな気がしてしまう。私は配信に全く熱心ではないけれど、配信者とリスナーの関係性が面白いと思ったりすることはある。見られているのは私だ。照明に照らされて、カメラが私の上半身を映す。マイクは私の声を拾う。私はリスナーの顔も声も知らないのに、私だけが見られている。けれども、リスナーの言葉はコメントを通して知ることができる。ハンドルネームで人となりを想像することもできる。カメラに視線を向ければ、もしかすると目が合っているのかもしれない。
「『どうしてレコーディングは楽なんですか?』えっとね、あたしがジャズも齧ってるのは知ってる? とはいえ大半はジャズに興味無いだろうから軽く説明するとね、ジャズはアドリブが多いんだよ。たとえば、ロックでもソロがあるけど、あれって大体いつも決まったフレーズを弾くでしょ? ジャズだと、スケールの中でパッションのままに好き勝手アドリブ弾くの。インプロビゼーションとも言うんだけどね。リスナーは次にどんな音が来るのか全くわかんないし、とにかくそれを楽しむんだよ。あたしはパスパレでもテンションのままに弾いてるところがあって……でも、分裂流星でそれをやると途端に麻弥ちゃんと合わなくなるんだよね」
日菜がちらりとこちらに視線をやった。
「歌詞見ればわかると思うけど、おねーちゃんが彩ちゃんのために書いた曲だからなのかな。……彩ちゃんと千聖ちゃんか。あたしが余計なことできないように作ってあるの。そうでしょ?」
「ノーコメント」
「そんなぁ」
言いながら、日菜は嬉しそうだった。この子は、本当に成長した。以前だったら、形だけでも拗ねたふりをしてみせたはずだ。自分よりも丸山さんや白鷺さんのために作られた曲だと言外に告げられて、こんなに嬉しそうな表情をしたはずがない。
「まあ、あたしの代わりに千聖ちゃんと彩ちゃんが盛り上げてくれるはずだから、今後はそっちに期待してね」
日菜が席を立って、ベースを持ってきた。
ジャズは門外漢だが、音楽哲学的には日菜によく合ったジャンルだと強く思う。人と人、音と音との化学反応を楽しむ、一期一会のセッション。音楽の至上の一瞬を切り取るようなアプローチは、ベースを始めたての頃の日菜が私に求めたものに近いような気がする。
「『パスパレとロゼリアは仲が良いんですか?』うん、どうだろ? 仲がいいって言うか、関係が深い? いや、仲もいいんだけどさ」
「同じ学校のクラスメイトだとか、先輩後輩だったりしたから、バンド云々を抜きにしても友人関係があるのよね」
「そうそう。パスパレとRoseliaとAfterglowと……メジャーデビューする気はなさそうだけど他にも仲良しのバンドはいくつかあるんだよ。……あ、あたしとおねーちゃんはあんまり関わりないけどRASも仲良しの括りに入るね」
日菜もベースを弾き始める。『CiRCLING』。みんなこの曲が好きだから、とのこと。その『みんな』はリスナーのことではないのだろうと察しつつ、てっきりジャズをやると思って準備していた指をほぐす。
「友達で、同郷で、ちょっぴりライバル。……最高じゃない? 『秋のライブのサポートの子もそうなんですか?』うん、そうだよ。おたえちゃんと沙綾ちゃんでしょ? ……バンド名出していいかな?」
「まあ、いいんじゃないかしら。ネットでも動画を上げているようだし」
「『Poppin’Party』ってバンドでね、今弾いてる曲もそのバンドの曲なんだけど……ぜひ検索して聴いて欲しいな。できればRiNGかCiRCLEで直接ライブを見てほしいくらい」
画面の端っこに【『Poppin’Party』検索!】と書き込んで、日菜が満足そうに頷いた。このチャンネルではRoseliaやPastel*Palettesの過剰な宣伝をしないように心掛けているし、営利目的も薄いから構わないのだが、そちらを宣伝してどうするのだと笑ってしまった。
「『紗夜さんに質問です。プロデビューを目指している19歳ギタリストです。同じ温度感の人と出会うことができず、「どうせ才能なんかないんだから程々にやろう」と言われて悔しい思いをしています。このまま続けても意味はあるんでしょうか。それとも、いっそ今の環境を飛び出した方がいいんでしょうか』。わぉ、深刻そうなのが来たね。おねーちゃんに質問だって」
ピタリと演奏が止まる。日菜が真面目な顔をして此方を見た。
普段、この手の相談が流れてきても、あまり真面目に取り合った試しはない。それは結局のところ、顔も見えない赤の他人が愚痴を吐いているのとさほど変わらないからだ。
直接指導するのでもなければ、私たちにできることは無い。上達するにあたって、魔法の練習方法は存在しないのだ。配信でできることは、心構えを説くくらいだろうか。考え方を変えれば、一転して上手く回ることはある。
「才能、という言葉について、私はずっと考え続けてきました。未だに、答えは出ていません。日菜は──この子は、才能に溢れています。私が今までに出会い、話した何百何千人の中で、いちばん神様に愛されています。私の才能は、能力は、資質は、確実に日菜に劣ります。これだけは断言してもいい。けれども、それくらいしかよく分からないんです」
日菜の髪を撫でる。緩やかにウェーブしたエメラルドグリーンの髪を、手櫛で梳く。日菜は気持ちよさそうに目を細めた。
「アオイさん。私は多分、才能がある方です。渋谷の交差点から100人攫ってきて、ギターの才能を数値化したとしたら、私は上位20人の中には入るでしょう。そんな私の話でも良ければ、聞いてください」
かつては、真ん中ほどだったかもしれないが。そんな思考をさておいて、口を開く。
「才能と一口に言っても、種類は千差万別です。仮に、『プロのギタリストになる才能』とでも定義しましょうか。まずは環境ですよね。ギターを弾ける環境。家庭環境とか金銭面とか、そういうものです。それから、技術。ピッキング技術とか、単純にいい音が出せるとか、難しい曲を弾けるとか。それから、運。事務所の関係者との出会いとか、……バンドメンバーとの出会いも含めてもいいかもしれません。行動力。技術があるなら、行動力が全てを決めることもあります。運や環境の要素をカバーするとしたら、がむしゃらに飛び出せるか否かというところでしょう」
「アオイさん、あなたは、環境的に不自由しているわけではないですよね。ギターの技術は、今は分からないので置いておきます。ここに書き込むということは行動力もそれなりにあるんでしょう。だから決定的に足りていないとしたら、出会いなのかもしれません」
「一人でもプロになることはできます。けれども、プロになれる程に上達するのは難しい。なぜなら、ギターの技術を磨くこととギタリストとして成長することはイコールではないからです。同様に、一人で弾くのとバンドで演奏するのではまるで勝手が違います。もちろん、弾いていればギターの演奏技術は磨かれるでしょう。運指は滑らかになり、カッティングは正確になり、ミスは減る。ですが、他の楽器を立てる技術や、セッションの中で上手く立ち位置を見つける方法、押し合いをする中で自分の演奏を確立するやり方、自分の殻を破る感覚──それらを味わうことはできません。プロのサッカー選手になるのに、ドリブルや走り込みだけではいけないのと同じです。試合や練習試合を繰り返して、頭や心も鍛えなければいけない」
「今あなたがいるところは、一人で練習するよりはマシだと思います。ですが本当にプロになりたいのなら、バンドメンバーとは違うところを目指したいのなら、絶対に温度感の合うメンバーを探すべきです。……ああ、もし今のメンバーとプロになりたいという話なら私の言ったことは忘れてくださいね」
コメントが流れていく。私の話は上手く伝わっているようだが、存外質問者に冷たい意見を投げるコメントが多い。
「まあ、乗りかかった船です。自分がコメント主であることがわかるようなスクリーンショットを添えて、DMでもしてくれれば、少しくらいは対応しますよ」
「え、そこまでするの?」
「……貴方が珍しく反応したから拾ったのだけど」
一瞬の沈黙。気を付けなきゃ、と小声で呟いたのが聞こえた。
「ま、あたしからは頑張ってくださいってカンジ。結構前からチャンネル登録してくれてる人だし、せっかくなら報われて欲しいもんね」
「本当に、大したことはできないのだけどね」
「相談してくれた人みんなにスタジオでアドバイスとかしてたらこっちの活動できなくなっちゃうしね」
はい、次! と日菜がBGMを切りかえた。次のライブの予定を尋ねるコメントを拾って、まだ未定だと答える。
「いっつも告知が急でごめんね。なかなか忙しくってさぁ。代わりにと言ってもなんだけど、このチャンネルで配信するコンテンツを増やそうと思ってるんだ」
大学の一切が終わって、あとは卒業を待つだけになった。パスパレは若宮さんがいるし、ウチも宇田川さんがいるから、スケジュールが急に埋まり出すことはなく、大学に通わなくなった分の余裕が生まれるはずだ。
だからその時間をどうしようかと日菜と話し合った。
MiDDay-Moonに固定サポートのドラマーを雇って定期ライブをすることも考えたし、動画投稿の頻度をあげることも考えた。結論は後者に近い。つまり──
「隔週でオンラインライブをやろうと思ってる。ライブの頻度も上げる予定だよ。だから、これからのMiDDay-Moonをよろしくね」
《99.1》
酷い雨の日だった。
日を改めても構いません、とメッセージが入っていたのに、それには及ばないと答えた。
氷川紗夜。憧れの名前を反芻する。
小学校からギターをやってきて、彼女を知ったのは高校生になってからだった。流行りのバンド、Roseliaのギター。クラスでも人気だったので聴いたが、その時はピンと来なかった。技術が高いのはわかったが、それくらい。周囲への反発心に、私の耳が曇っていた可能性もある。
後日、別のバンドで彼女が弾いているのを聴いた。MiDDay-Moonというバンドで、アイドルをやっている彼女の妹とのデュオバンド。
心臓を殴られたような衝撃だった。
同年代でもトップクラスにギターが上手いと自惚れていた。ギターに出会ったのも早くて、放課後や休日の時間のほとんどを練習に当ててきた。ライブハウスの関係者にもずっと褒められてきたし、それを当たり前のことと捉え始めている自分がいた。
だというのに。たった三年、たった三歳差。三年後の私が、あれほど高く飛べるとは到底思えなかった。
表現の多彩さ、細やかさ。妹のベースにも驚かされたが、同じギタリストとして、姉のギターには鳥肌が止まらなかった。
練習にも熱が入って、そしてすぐに出鼻をくじかれた。高校でバンドを組んでいたメンバーは、私ほど意欲がなかったのだ。ときどきライブをやって楽しめればいい、程度。遊びにも行きたいし適度にだらけたいしバイトもしたい。バンドは数ある選択肢のうちのひとつでしかない、というスタンスだった。
それを否定はしない。ただ、私とは合わない。お互いに話をして、円満に別れた。
次のバンドは口だけだった。「お前も長くやってる割に大したことないじゃん」。捨て台詞が耳の奥にこびりついて離れない。「湊友希那だって高校時代にはソロで活動して、スカウトだって受けてたんだぜ。天才ってのは最初から飛び抜けてるんだよ」。
次も、次も、その次もダメだった。
夜半に配信をしていた彼女に、愚痴みたいなコメントを投げたのはきっと現実逃避だった。
「初めまして、アオイさん。氷川紗夜です」
「初めましてっ、えっと、立花碧です! よろしくお願いします!」
ギターケースを背負った彼女は、居心地悪そうに身動ぎした。
「スタジオに行きましょうか。音で語る方が楽しいでしょう?」
「はい」
憧れは、ちゃんと人間の形をしていた。
スタジオでギターのセッティングを済ませて、彼女が口を開く。
「指導は好きではないんです。お節介を焼きたくなってしまうのですが、上から目線で何かを言うのも恐れ多く感じてしまうので。……ですが、実績を積むとそういう訳にもいかなくなるらしいですね」
指の調子を確かめるようなピッキングハーモニクス。タッピングから始まるフレーズを繋げて、スイッチが入ったとばかりに彼女が立ち上がった。
「全力でやります。それで、自分に足りないものを探してください。今日はそれだけです」
そういうのは、好きだ。
刹那、スタジオを埋め尽くす音に圧倒される。
青く、蒼く、藍く、1本のストラトから弾き出された音が飛沫のように飛び散る。無表情無感動で弾いているに違いないと確信できるほど冷静で理性的なカッティングと、満面の笑みではね回っているのが想像できるほどに躍動感の溢れるギターリフ。
負けてはならないと慌ててネックを握りこんだ。彼女の運指を目で追って、全身で音を捉える。ワン・ツー、ワンツー!
横腹から食いついたテレキャスターは幾分貧相で、けれども普段よりもずっと良い音を奏でた。
バンドに求めていたのはこれだ。私の頬を張ってくれる衝撃。殻を破るに足る温度。
天上のメロディーこそが、私を導いてくれる。
大波に拐われながら、必死でオールを振り回す。海原に浮かぶ小舟はあまりにも貧相で、コンパスも北極星もあてにならないほどに高く波が爆ぜた。海水が入り込んだ船の中を飛び出す必要があった。クロールは得意だ。
単純な技術。駆け引きの妙。自分では思いつかないだろう表現がいくつも散りばめられた旋律。全てを血肉に変えて、息継ぎをする間もなく次の曲へ。
ああ、楽しい。青がうねっていた。
視線がぶつかる。まだやれるはずだろうと、私に問いかけてきていた。
強く目を瞑る。私の憧れた青。それを切り裂くように、ハイトーンのソロから入った。見よう見まねのインプロビゼーションもどき。私の魂の色は──
──柔らかな黄色に弾けた。
「一人一人構ってたらキリがないからー、って言ったよね?」
「言われたわね」
「じゃあなんでギタリスト拾ってきてるのさ」
「腐らせるには惜しかったのよ。音楽が好きで好きで堪らないって感じで。今度は日菜も一緒にやりましょう。誰かドラマーも連れて──」
「
「…………今後は自重するから」
「約束だからね」