高松聖也(たかまつせいや)の人生は、傍から見れば順調なものであった。
祖父はある地方企業の創始者であった、若い頃からその仕事を見て育った。同時に勉学にも才覚を発揮し、東京の大学に進学、卒業後同業の大手企業に十数年ほど努めた後に、祖父の企業に入社、勤勉に働き、社の人間の信頼を得て、四十代という年齢で社長に就任。
『三代目が潰す』と言うのは中小企業を揶揄する際に最も先に出てくる文面ではあるが、彼の場合は決してそうではなく、むしろ彼は家業を成長させ続け、今ではその地方で一番手を争う立場になっている。凡庸だが優しい二代目であった父の苦労を傍で見てきた影響が大きいのかもしれない。
とにかく、彼は何一つ問題を抱えていないように見える。誰もがそう持っているだろう。
だが、彼は唯一つ大きな問題を抱えていた。そして、その問題を抱えたまま、彼はそのメーカーとの商談に向かうことになる。
☆
ある大手メーカーとの商談中であった。
だが、特別になにか難しい案件であるというわけでもない。あくまで定期的な契約の確認のような商談であり、相手の営業社員も善良な男だ。
「社長、今日はどこか調子が優れませんか?」
ふと、彼の隣りに座っていた男がそう言った。
男はその案件の責任者である部長だった。聖也よりも歳上であり、二代目社長の頃からこの会社に務める男であったが。決して年下社長である聖也を甘く見ること無く、ビジネスのできる男と信頼している。
部長は、営業の男が新たなレジュメを机においても聖也の反応が良くなかったことからそう問うた。営業の男もそれに気づいていたようで、レジュメを裏返しにして彼の反応を待っている。
「ああ、いや、なんでも無いんだ」
彼は部長と営業の男の気遣いに感謝するそぶりを見せながらも、少しだけ笑顔を見せながらそれを否定した。
だが、部長はそれで納得はしていないようだった。
「社長、なんでも無い奴はそんな事言わないんですよ。私の知る限り、あなたがそんな風を見せるのは初めてだ。もうウチに来たしたときほど若くはないんだし、休むときには休まないと」
部長は年下の聖也に時折兄貴風を吹かせる所があった。尤も、それは常にビジネスの範疇を逸脱しない程度だったが。
「もう大体確認していただきたことは終わっていますし、今日は半ドンしてもらっても」
「いや、そんなことはない、大丈夫だ」
聖也にとっては、それはできる限り避けたいことだった。問題を抱えていることは確かだが、それはビジネスとは関係のないこと、それで会社を休むようなことは、社員ならばともかく、社長である自分がするべきことではないと思っていた。
「私としましても、また日を改めての打ち合わせでも構いませんよ」
「ほら、新山くんもそう言っていることだし、今日は休んじまいましょうよ」
新山、と言われた営業社員は、無表情に頷いた。
その男とは、数年ほど前からの付き合いになっている、感情表現に乏しいが気の利く善良な男。というのが、聖也の彼に対する素直な評価であった。尤も部長は「営業なんて全員信用ならんのですよ」というのが持論であったが。
「いやしかし、休んだからと言ってどうにかなるものでもないんだ」
「なんですそりゃ、自分で言うのも何だがウチの業績はまだ悲観的になるようなものじゃありませんよ」
「そうじゃないんだよ」
右手で額を抑えた聖也に対し、意外にも新山が手を上げた。
視線が自らに注目したことを確認してから。彼は「もし、差し支えなければ、で、よろしいのですが」と、前置きして言った。
「それは、ご家族の問題ですか」
その問いに、聖也と部長は一瞬押し黙った。
勿論それは、ビジネスの関係である人間にプライベートの質問をすることに対する戸惑いもあったが、何より、聖也にとってそれが間違いではなかったからだ。
「どうしてわかったんです」
驚きのまま、彼は新山にそう問うた。
新山は、特に得意げになるというわけでもなくそれに答える。
「いえ、今日はご家族の話が出ていなかったなと思いまして」
そう言われてから、「あ」と、ようやく部長はそれに気づいたようだ。
「たしかにそうだ」
そう言ってしばらく沈黙してから、やはり部長は声を上げる。
「しかし社長、家族の問題となればますます仕事をしている場合じゃないでしょうよ」
「だが、仕事に家庭を持ち込むわけには」
「家庭あっての仕事ですよ。長い付き合いだ、なんでも相談に乗りますよ」
その言葉に、聖也は部長を仕事と同じくらいに頼もしく思った。何より彼はすでに孫のいる身だ。
「それなら打ち合わせはまたの機会にしましょう。プライベートな話ですし」
「いや、せっかくなら新山さんにも聞いてほしい」
聖也はレジュメをビジネスバッグに収めた新山にそう言った。
ビジネス相手の彼に自らの弱み、それも家族に関わることを相談するのはあまり利口な選択とはいえないだろう。
だが、彼は自らのわずかな感情の機微に気づいた新山に少しばかり期待していたし、何よりも自らより若い彼の感性が、何か頼りになるのではないかと思っていた。
「実は、昨日から娘が帰ってきてないんだ」
それに、部長が目を見開く。
「そりゃあ、大事件じゃないですか!」
ビジネスの範疇を超えた声色だった。
無理の無いことだ、部長は仕事と家族に忠誠を誓っているような人間であったし、何より聖也の娘である美和は、幼い頃からよく知る身であった。
「警察には連絡してるんですか!?」
「いや、まだ」
「すぐに連絡しましょう!」
そう息巻く部長に、聖也はため息をつく。
「そうは言ってもなあ、美和ももう大学の二年生だ。一晩帰らないことなんて、私達だっていくらでもしてきたろう?」
その言葉に、部長は一瞬押し黙った。たしかに、そう言われてしまえば、自分達にだっていくらでも前科がある。
それに、美和はすでに成人だ。一晩家に帰らないことの責任を問われるような年齢ではない。
「これまでは、そんなことはなかったんですか?」
新山の問いに、答える。
「ああ、そうだな。例えば友達の家に行って盛り上がって一晩泊まるにしても、必ず連絡はしてくれていた」
「今回は連絡はないと」
「ああ」
「社長から連絡はしたんですか」
「ああ、朝に一度だけ、メールも電話も反応は無かったよ」
「なるほど」
部長が大きくため息を付きながら割って入る。
「ウチの娘なら、どうせ男ができたんだろうと笑い飛ばせていたんだがなあ。美和ちゃんとなると」
「あまりそういうタイプではなかったんです?」
「いい子だよ、それこそウチの娘にも見習わせたかったくらいだ」
「私も、娘からそういう話を聞いたことはあまり無いよ」
「なるほど、他になにか変わったことなどはなかったんですか?」
そう言われ、聖也は少しばかり考えてから答える。
「いや、特に気づいたことはなかった。とは言え、年頃の娘のプライベートを詮索するのもいいことではないだろうからね」
「おっしゃるとおりです。ですが、大学に通ってばっかりといったわけではないでしょう。部活動やアルバイトは」
「生徒会活動はやっていたがそれも度を超えたことはなかったと思う。アルバイトは大学入学後に始めたよ。実家ぐらしなんだらそんな事必要ないと言ったんだが」
「アルバイト先はどこです」
「地元のファミリーレストランだよ。店長がいい人でね、日をまたぐより先に返してくれるんだ」
「深夜のバイトをやらなかったということは、どうしてもお金が必要だったというわけではないようですね」
「そうだろうな」
「特に遊ぶようなことも」
「無かったなあ、日をまたぐなんて滅多に無かった」
そこまで行って「ああ」と、聖也が思い出す。
「そう言えば、高校三年生の頃から遊びに行った後に折り紙を持っていることがあったな」
「折り紙、ですか」
「なんですそりゃあ」
「私もよくわからないんだが、偶に玄関先に置かれていたことがあったんだ」
「どんなものです」
「一つ持っているよ」
聖也はそう行って懐から長財布を取り出した。
高級ブランド物のそれから、彼は小さな折り紙作品を取り出す。
それは折り紙の鶴であった。雑という訳では無いが、別段丁寧というわけでもない。
聖也がそれを持っていることは、別段不自然ではないだろう。娘の作品だ。
「いいじゃないですか。ウチの娘じゃ作れそうもない」
「そうは言っても鶴だけだよ。他の物は見たことがない」
「鶴は折れるんですね」
「昔、病気の社員のために千羽鶴を一緒に」
「ああ、あれ美和ちゃんのもあったんですか。いい子ですねえ」
そう言った後に「そうだ!」と部長が手をたたく。
「中を見てみましょうよ、なにか手がかりがあるかも」
どうやら部長は美和の捜索にのめり込んでいるようだった。
「まあ、別に構わないが」
そんな事あるわけがない、と思いながら、聖也はゆっくりとそれを開いた。
だが、当然そこには何もない。
「ああ、なにかあると思ったんですがねえ。ま、そんなこと映画や漫画でしか無いってことですかね」
部長の落胆と自嘲気味の笑いを気にすることなく「少し、確認してもよろしいですか」と、新山が手を上げた。
「ああ、いいよ」と手渡されたそれを、彼はじっくりと眺める。
彼がそれを眺めていたときに、やはり部長が言った。
「やや、なんですかこの柄は」
彼の言う通り、たしかにそれは奇妙な柄であった。
一面にシワの寄っているような、くすんでいるような、古い本皮をそのままプリントしたような柄だ。鶴に折られた小さな状態ではそれに気づけなかった。
部長がその先を続けるより先に、たしなめるように聖也が言う。
「たしかに珍しい柄だが、そういう折り紙無いわけでもない」
新山はしばらくそれを眺めた後に「ありがとうございます」と、それを返した。
「他になにか気になるようなことは」
聖也はしばらくそれに考え、やがて絞り出すように呟く。
「最近、妙なメモがあったくらいだな」
「ほう!」
若干興奮した様子を見せる部長を一旦無視しながら彼は続ける。
「リビングのゴミ箱に入ってたんだ。別にゴミを漁る趣味があるわけじゃないが、たまたま見えたからね」
「どんなメモだったんです」
「なんなのかはわからなかったよ。ただ、アルファベットと数字が並んだようなものがいくつかあった」
「それは娘さんのメモで間違いないんですか? 例えば奥様とか」
「いや、娘のもので間違いない。娘はアルファベットを筆記体で書くんだ」
「なるほど」
「折り紙に暗号、美和ちゃんが心配ですよ。社長、警察に連絡するべきです」
相変わらず事件にしたがる部長に、聖也は「まさか」と、それを否定したが、内心では、少し焦りを覚えていた。
部長があまりにも興奮しているものだから、彼も折り紙と暗号をなにか裏のあるものなのではないかと言う疑心暗鬼を打ち消せなかったのだ。
しばらく彼らは沈黙していた。そして聖也が「一応、警察に」と告げるその直前に、折り紙を三角に折った新山が「あの、すみません」と手を挙げる。
「娘さんがどこにいるのか大体わかったのですが、今、お時間、よろしいですか?」
聖也より先に部長が「なに、それはどこだ!」と言った。
そして聖也も「そりゃあ勿論」と、それを促す。
しっかりと許しを得てから、新山は続ける。
「この辺で、カスタムアンティーク車の展示会などがあったことはありますか?」
☆
「いやあ、その件は本当にお世話になりました」
一月後、再度の商談の際に、聖也は新山にそう行って頭を下げた。
同じくその横に座る部長も感心したように同じく頭を下げた。
「しかし、まさか娘に彼氏がいるとは」
「年頃の娘さんです珍しいことではありませんよ」
なんでも無いことのように、新山が答える。
結論から言えば、聖也の娘はその日の午後には家に帰ってきた。だが、少しだけ気まずそうでもあった。当然だ、これまで良好な関係を築いてきた父に心配をかけたのは間違いのない事実だからだ。
父である聖也はそれを快く許した。なぜならば彼は、その頃はすでに娘の居場所を把握していたからだ。
「しかし、どうして美和ちゃんがアンティーク車のコレクターと付き合ってくるとわかったんです」
部長がやはり感心しながら問うた。
あの日新山がアドバイスしたのは、おそらく若いアンティーク車コレクターと付き合っているだろうということだった。
突然のことに半信半疑ながらも、その後聖也は知り合いを通じてそれを探した。彼は地方企業の社長である。人脈を通じ割とすぐにその人物は見つかった。両親の影響からアンティーク車のカスタムを行っている若い男だ。投資で得た収入をアンティーク車のカスタムにつぎ込んでいるというのだから相当だ。
「あの折り紙と、メモですよ」と、新山はやはりなんでも無いことのように言う。
「あの折り紙は、一辺だけ千切られていました」
聖也がそれを開いたとき、正方形の一辺だけ、明らかに工業的な切断とは見栄えが違っていたのだ。
「つまり、あれはもともと長方形の紙、メモ帳だったんです。そして、私はそのメモ帳に見覚えがありました」
彼は聖也と部長が沈黙をもってその続きを促していることを確認して続ける。
「ここから少し離れたところにあるカフェがね、この柄のメモ帳を使っていました。お恥ずかしい話ですが、仕事柄時間をつぶすことが多くて」
「なるほど、サテンか」と、部長が呟く。
「雰囲気がうまく作られてるカフェでね、おそらくこのメモ帳の柄もその一環でしょう」
「そんなカフェがあるとは、知らなかったな」
「仕方のないことです、身内の集まりのために作られたようなカフェですからね。そこの店長が、カスタムアンティーク車のコレクターなんですよ」
「なるほど!」と、部長がひとりごちた。ようやくアンティーク車がつながったのだ。
「しかし、それだけでどうして娘に彼氏がいると?」
「娘さんが残していたメモは、おそらくアンティーク車の部品の製造番号でしょう。アンティーク車の部品はアルファベットと数字が並んだ物が多いですからね。彼女は彼にプレゼントを送るためにそれをメモしていたんでしょう」
ほう、と、聖也はそれに関心した。アンティーク車の製造番号について詳しい訳では無いが、そう言われれば納得できない訳では無い。
「新山さんもアンティーク車に詳しいんですね」
「いえいえ詳しいわけでは。仕事柄様々な趣味を広く浅くね」
そういった新山に、今度は部長が問う。
「だが、それだけで男には行き着かんだろ。美和ちゃん本人がアンティーク車に興味があった可能性もある」
新山はそれに「確かにそうですね」と頷きながらもそれに答える。
「もし彼女がアンテーク車に興味があるのなら、あのカフェで折り紙は折らないでしょう、それも、メモ帳を破ってまで」
あっ、と頷く部長を確認して続ける。
「あそこの店長は熱心にアンティーク車のウンチクを教えてくれる方で、興味があればありがたいでしょうが、そうでなければ退屈してしまうかもしれません」
「覚えはありませんか」と、続ける。
「男女の付き合いというものがよくわからなかった頃、デートで自分だけが熱中してしまい、彼女を待たせた経験は」
それに、部長は感心したようにのけぞった。
「数え切れないよ」
「なるほど、退屈して手遊びをしていたわけか」
「そう考えると、彼氏さんは女性に慣れているというわけでもないでしょう。そして、おそらく真摯な方でもある」
その言葉に、聖也「どうしてそうお思いで?」と身を乗り出した。それは父親としてどうしても知っておきたい情報だった。
「折り紙があったのは高校三年生の頃からなんでしょう? ならば二人はその頃から付き合いがあったはず。ですが、彼女が無断で日を跨いだことはない、おそらくは清い付き合いを続けていたんでしょう」
「娘が成人するまで待っていたということか」
「ええおそらく、友人宅に泊まるというのが嘘だったのならば、今回もそうすればいいだけの話ですからね、彼氏の家に泊まるのは今日が初めてなんでしょう」
はあ、と、やはり部長が感心して息を吐く。
「新山さん、あんたすごいわ」
「いえいえ滅相もない。たまたま経験が生きただけですよ」
「いや新山さん、謙遜することはないですよ。助かりました」
聖也は父として心底ホッとしていたようだった。
「ぜひともお礼をさせていただきたい。いくらか包みますよ」
だが、新山はそれにようやく慌てたように両手を振った。
「いえいえいえいえいえそんな! 私はそんな目的でやったわけではないですから、ただ、社長の力になればと」
そう否定した後に、再び声のトーンを落としてビジネスバックに手を突っ込む。
そして、そこから一冊のパンフレットを取り出した。
「話は変わるのですが、今度ウチから新しい商品を出すことになりまして。いかがでしょう、このプランならば社長様のご期待に応えられると思うのですが」
それを机の上において相手の出方を伺う新山に、聖也は頷きながらそれに手を伸ばし、部長は感嘆の声を上げながら呟いた。
「新山さん、あんたやり手だわ」
「いえいえ、滅相もない」
読んでいただきありがとうございました
感想、批評お待ちしています
chatGTPはSFや二次創作には弱いですが現代舞台のオリジナルなら頼りになる感じでした
今作ではアンティーク車に関する謎や社長の名前候補などを制作していただきました
ですがまだまだ作者の考えが強くchatGTPがオリジナルの話を書いたという感じではありませんでした