22時01分
首都高速3号渋谷線 渋谷セルリアンタワー
そこは渋谷を見渡せるほどの高さ。渋谷駅から徒歩五分の位置にある巨大なビルである。その屋上に人影が三人。風の唸る音しか聞こえないこの場所に陣取り、獲物を待ち構えている。つまり彼らは呪詛師。
「やっとだぁ。五条悟が封印されたぁ……! くくく。俺たちの時代が幕を開けるぜ」
粟坂二良。逆さ絵の達磨が絵から出てきたような見た目の六十一歳。本質は臆病で卑屈。強者から逃げ、弱者を甚振る邪悪である。
「ヒヒヒッ。ならばあとはもう渋谷に来た呪術師を片っ端から殺すだけで良い。あれさえいなくなったのなら後は無名どもよ」
「でも婆ちゃん。あのでっかい氷の塊はなんだと思う? 帳の外まで迫り出してるよ」
「案ずるな。孫よ。あれは………………ひと足早い冬じゃ」
「無理があるよ、婆ちゃん」
オガミ婆とその孫。血縁関係は無い。孫の方はオガミ婆が適正のある子供を攫ってきたうちの一人である。オガミ婆の奴隷と言っても過言ではないだろう。
彼ら三人は帳の楔を守っている。本来帳は術者が内に入り、外界と遮断する役割がある。しかしあえて術者が外に出ることでその身を危険に晒し、それを縛りとすることで帳そのものの強度を上げている。もちろん彼らにそれほどの条件を付けた帳を下ろせるほどの結界術はない。故に首謀者である羂索は楔を基軸として予め帳の情報がインプットされている呪物を彼らに渡し、守らせている。
もちろんタダ働きではない。羂索は大金と共に『五条悟が封印されることによる無法国家』有り体に言えば〝自由〟を約束した。
「ったく、あの年は厄年だったな」
「だがおかしいとは思わんか? 五条悟がこの世に産み出されたというのに、呪霊のレベルは何一つ上がらない。前に強くなったのはあの九十九由基が生まれた時ぐらいよのぅ。それ以来何も無い」
そう。五条悟の爆誕により、呪霊は強くならなかった。とある世界線と違い夏油傑が離反しなかった原因の一つである。
だがそれは五条悟が生まれた瞬間に彼に並ぶレベルの何かが目を覚ましたことを意味する。彼の敵として世界の均衡を保つ筈の巨悪は、今や彼の先輩として術師をしているが。
「五条悟が封印されても障害はまだ多い」
「ばあ」
「おお!?」
聳え立つビルから下の世界を見下ろしていた呪詛師。しかし気配もなくビルの側面から現れた甚爾によってガシッと胸ぐらを捕まれ、ポイッとビルの下へ投げられる。言動により即、敵判定。
入れ替わるように甚爾が屋上に降り立つ。
「お前らはよお……口を開く度によお……馬鹿の一つ覚えみたいに『五条悟は!』『五条悟が!』……って、全国の五条悟君がカワイソウだろ。あいつもあいつで千人いたら一人は居そうな名前しやがって」
「かかっ。全く。あの馬鹿も歳じゃぞ。ここまで登るのも一苦労だ…………が…………」
「馬鹿言え、この高さ、落下したらさすがに死ぬが……あーね、術式か。何、無敵になるとか?」
(口元の傷! 体に巻き付く芋虫型の呪霊! なによりもイケメン!)
「ぜ、禪院甚爾!」
「その名前で呼ぶんじゃねぇよ。殺すぞクソババア」
氷の刃が叩きつけられたような殺気。オガミ婆はひゅっと喉を鳴らした。
続けて轟音。甚爾が蹴落とした呪詛師が地面と衝突したのだ。ただ、人が潰れたような乾いた音ではなかった。甚爾はニヤリと笑う。
(あっちはいいサンドバッグになりそうだ。その前に)
「婆ちゃん」
「ああ。やるぞ孫」
オガミ婆は呪詞の詠唱を始めた。ボソボソと唱える彼女を背に、孫が立ちはだかる。鬼人を前にして彼の瞳は狂信的と言えるほど澱みない。
「敬老〜」
薄ら笑いを浮かべながらオガミ婆に殴り掛かる甚爾。すかさず孫が間に入る。彼女の真横で拳が止められ風圧が髪を揺らす。
(あの
「おらァ」
「うっ」
孫の手により拳は止められた。軽いジャブで放ったそれが受け止められることは想定内。だが本命の長い足が孫とオガミ婆の二人を同時に蹴り飛ばす。孫の骨が数本折れた。
蹴り飛ばされたオガミ婆は───
「呪符? 身代わりね」
「婆ちゃん!」
「はは。おい餓鬼。お前のババアはお前を見捨てたぞ。ババアの情報吐けば半殺しで済ませてやる。渋谷で何が起こってるかも喋れば四分の一殺しだ」
「ない。ありえない。有り得るはずがないよ。婆ちゃんが俺を見捨てるわけない。きっと遠くからお前を殺す。それまで俺はお前を止める」
「愛育〜」
『;%''^、^ (*^^*ゞ』
瞬閃。
呪霊が吐き出した片手剣を掴み、孫の胸を袈裟懸けに切り伏せる。人体を支える骨。肋骨、鎖骨、背骨、腰骨。その全てを断ち切る。あとは重力につられてずり落ちるだけ。
(速……見えな)
「ば、ばあちゃ──ごめ」
「はいはい。詠唱からしてイタコかな。誰呼ぼうとしてたんだ」
まだ数秒息があっても関係ない。ガサゴソと孫の死体を手際よく漁る。程なくして見つけたのは骨の欠片が入った小瓶。
「ひめい、ひめいしま? 誰だよ。飲み込め」
『^・:]^3<6% ( ・∀・)b 』
死体ごと芋虫呪霊に食わせておく。質屋には死体ごと提出するのだ。店主の嫌な顔と引き換えに大金が手に入る。後には不自然な血痕しか残らなかった。
オガミ婆は甚爾を知っていた。だからこそ貴重な呪符を身代わりとして使い、徹底して痕跡を残さなかった。血の繋がりは無いために孫の血から追うことも不可能。甚爾は彼女を追うことは諦め、ビルの上から落ちた呪詛師を見下ろす。すると呪詛師と誰かが戦っているのが見えた。
「死んでねぇのは嘘じゃなかったな……あれ、恵じゃね。あと誰だ」
下で戦うのは恵と琢真。相手取るは呪詛師一人。『あべこべ』の術式にいつ気づくかで勝負は決まる。
隙を見せた恵に呪詛師の蹴りがクリーンヒット。軽く吹き飛ぶ。
「はっ。由基の言う通りだ、経験足りてねぇんじゃねぇの? 式神に頼りすぎ…………」
それは戦場に持ってきてはいけない感情。
『見て。このムスッとした顔、あなたそっくり。あは、ほらこの顔! でも髪質は──』
★
「「……」」
突然二人の前に落下してきた男。ピクリとも動かず横たわる様はまるで本物の死体のよう。
「伏黒」
「はい。ぶっ飛ばせ」
『▂▅▇█▇▅▂』
影絵が移すは牛。嘶いた後、真っ直ぐ死体(?)へ向かって突進。
落下した瞬間を二人はその目で見ていた。故にただの茶番。検証するまでもなく死んだフリである。
「おっとっと」
ひょうきんに避ける二良。しかし背後の車が貫牛の突進により粉々になっているのを見て冷や汗を流した。貫牛は役目を果たしその身を影へと溶かす。
「お前……棒でつつくとかあるだろ。ノータイムで式神突っ込ませる馬鹿がいるか。本当に仏だったらどうしたんだよなあ」
「あんたが落ちる時に叫んでくれたらな」
「落とされたんだよ誰かによ」
(上に仲間がいる? いやまずはこいつだ。楔を持ってる)
粟坂二良の右手にある二本の楔を横目に拳を構える二人。
渋谷に貼られた帳は顎斗の雷霆でも、貫牛の突進でも破壊は不可能だった。そして二人は帳の強度を縛りにより底上げしていると仮説を立て、今に至る。
「時間かけてられねぇぞ!」
「はい!」
❝嵌合獣 顎斗❞
「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!!!」
呼び出す式神は本気の証。二良の前に現れた異形は雷を纏い尾を鳴らしている。彼はこの式神単体で十分一級呪霊と渡り合える力があると推測した。
「……!」
二良は顎斗の雷撃をその身で受ける。だが無傷。しかし尾の一刺しを受けた瞬間、身を劈く痛みに片膝を着いた。
(何だこの痛み!? いや違う。俺の術式が弱くなっている!?)
顎斗に組み込まれた円鹿の強みは反転術式による治癒だけでは無い。術式そのものを中和する能力もある。粟坂の術式効果限度が上限下限含めてより狭まったのだ。
「落とせ」
天を仰ぎみれば上から降り注ぐ雷撃。
顎斗は電気を操る。故に電磁力でビルの壁に張り付くことが可能。人間は平面の生き物。上下の攻撃に弱い。二良はもちろん立体の戦いは想定していない。
その間にも詰める恵。己の攻撃の効果が薄いと知るや否や、式神のサポートに徹することにしたのだ。ただ只管に強みを押し付けるその戦い方は品がなく、確実である。
(餓鬼! ガチで恵まれてやがる! だが俄然やる気が出てきた。これ程期待され、祝福された餓鬼をただの人殺しの俺が無惨に殺せば、母親はどんな顔するんだろうな)
二良は恵と式神の猛攻に耐えながら腕の下で笑みを深める。
息子の訃報を受け取った母親の泣き崩れる様は必ず見に行く。
喧嘩し、家出する小学生の息子を見届けたあと母親を殺す。
おかえりは言わせない。これが彼にとっての愉悦。その光景を想像するだけで自然と笑みが零れ、力が湧いてくる。
彼も往年まで燻っていた訳では無い。生涯現役を掲げ、肉体の鍛錬は欠かさなかった。身を滑らせ雷撃の雨を潜り抜け、恵へと近づく。式神使いは術者本人を叩く。術者を殺せば式神も消えるのだ。
恵は迫り来る足を刀でいなした。しかし足先が顔を掠めた時『あべこべ』の術式が発動。ただ掠めただけの攻撃が直撃レベルのダメージを与える。
(なんだ今の、術式か?)
❝二番 霊亀❞
「おっ」
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!!!』
だが、戦場には恵一人では無い。
琢真の術式により生み出された水が二良へと迫り来る。それ自体に懸念するほどの威力はない。しかし彼は琢真の水を大袈裟に避けた。そして主を傷つけられた顎斗の怒りの雷拳が二良を吹き飛ばす。
「ん?」
「やっぱりな」
琢真は落下時の状態から二良の術式にアタリをつけていた。同時に恵が違和感を覚える。
(こいつは俺と相性最悪じゃねぇか。とっととずらかるか?)
(こいつの術式って……)
(こいつの術式は……)
恵が勘づき、琢真の予測が確信へと変わる。
瞬間、呪詛師の頭が爆発四散する。
走馬灯も見せない。恐怖もない。ただ無慈悲に無気力にその命を奪う。だが今の渋谷では幸せな死に方をした方である。
粟坂二良の術式『あべこべ』は弱い攻撃を強く、強い攻撃を弱くする術式。しかし可変できる衝撃には限度がある。
もちろん銃撃の主は『あべこべ』の術式など欠片も知らない。だが強者は弄された小細工ごと叩き潰す。それが強者たる所以。
「……」
二級呪具『Dirm Dyna』
二丁で一丁の銃。ただし双方共に大きさは一般的なスナイパーライフルに並ぶ。未発見状態で放つ一発目を確実に外し発見されることで、二発目の威力と制度を底上げする。
曰く、初めの一発は開戦を告げ、次の一発は終戦を告げる対銃。
スコープの何倍もよく見える裸眼。バイポッドどころかハンドガンのように片手で構えられたそれは寸分違わず呪詛師の頭を文字通り吹き飛ばした。
「無敵じゃねぇじゃねぇか」
四十階のビル屋上から音もなく着地。そして二良の死体が握る楔を手の平ごと踏み砕く。身構える琢真に甚爾が敵じゃないことを示すため、恵は自然に近づいた。
(あれ、今着地のとき呪力で強化してなかったよな? っていうか)
「伏黒が二人いる」
「父親です。……そんなに似てますか」
「恵」
「なんだよ」
「……なんでもねぇ」
(え、何、気まず。何この空気)
「俺達だけで倒せた。こいつの術式はあべこべだ」
「あー。だからか。怪我はないか」
「する訳ねぇよ。ってか返り血で汚れたぞ」
❝二番 霊亀❞
❝万象❞
『">,"^|^+ (*゚Д゚艸)』
二人共水を使える術式のため、汚れを洗い流すのは苦ではない。二良の死体を目を輝かせた芋虫呪霊が飲み込む。
頑なに目を合わせない恵に甚爾はため息をひとつ吐いた。そして無理やり制服の襟を掴んで引き摺り出す。
「帰るぞ」
「おい!」
「渋谷、やばい、多分お前死ぬ、帰る、おーけー?」
「ノーだ、ノー! 俺は猪野さんの班で行動してるから勝手に帰ったら迷惑がかかる!」
(伏黒を心配してるあたりちゃんと父親なんだろうけど……立ち姿でわかる。鬼強ぇ。まぁ俺たちの敵じゃなくて良かったぜ)
「猪野ってどいつだ。お前か」
「っ」
一転。味方が敵に変わる。さながら蛇に睨まれた蛙。
「先輩に迷惑かけんなよ。ま・じ・で」
「……」
そっと襟から手を離し恵を解放する。キレた顔が少し妻に似ていたのは内緒である。やけに素直な甚爾に疑問符を浮かべた恵。その頭を労いと謝罪の意味を込めてわしゃわしゃと撫でる。彼は我ながら過保護ではないかと自問した。
「あいつは? 会っただろ?」
「補助監督を保護しに帳の外に向かってくれた。当分帰ってこない」
「んじゃあ俺も一回出るか。あとこれのアタマ、多分津美紀の犯人な」
「は? ……待てよクソ親父!」
最後に爆弾を投下。甚爾は消えるように立ち去った。恵の脳裏に浮かぶ呪われる前の姉の笑顔。彼の影が怒りに呼応して獣を地面に映す。
「伏黒。お前の父親って、か弱き生物に優しさを理解して貰えない悲しきモンスターじゃん」
「何言ってんすか。とりあえずほかの班との合流を急ぎましょう」
「伏黒、キレてる?」
「……キレてません」
「キレてる奴はみんなそう言うぞ」
「え、じゃあめちゃくちゃブチ切れてます」
「こわ」
「なんなんすか」
甚爾廻戦かな