「見えるか?」
齢五才。年齢にしては恵まれた体格の少年。その周りを大人達が囲う。いや、少年の正面に少年と同じ大きさの何かがいる。それは動けないよう縛られた呪霊であり、取り囲む彼らは禅院家の人間。少年ももれなくそうであるが、同族から向けられる目は冷ややか。両親ですら蔑んだ目を向けていた。
少年は分かっている。震える空気も、鼻が曲がるような腐臭も、少年のみに知覚できる呪霊の情報。
────だが
「み、見えません」
驚愕の声と落胆の溜息が少年に吐き出される。自らの呪力を制御できる呪術師。その想いは、恨みは、蔑みは形となって表れる。人の悪感情に当てられて、少年は吐いた。
禪院に在らずんば、呪術師に在らず。呪術師に在らずんば、人に在らず。呪術師であることが大前提の世界で呪霊すら見えない。この時より彼は生き地獄のような毎日を送るようになる。
★
「カスみてェな寝覚めだ」
男が開口一番に悪態をつく。黒髪黒目。身長190の巨体に肉体美にすら到達した筋肉の鎧。悪人のような顔に、口元にある古傷が悪人らしさを際立たせている。そんな風体もあって男の座るベンチの横には誰一人座ろうとせず、それどころか彼の周り半径数メートルにわたって人が意図的に避けてできた空白がある。
男、伏黒甚爾の開いた目は気だるげに半目のまま、正面を睥睨した。掲示板に大人が集まり、黙々としかし手に汗握りながら予想を書き込んでいる。
ここは競馬場。大人が手頃な夢を掴む場所。甚爾は運がない。しかも気分は最悪。自分の力だけでは勝ったことすらなく、たとえ今回初勝利を拝めたところで気分は晴れないだろうと思った。口元の傷が疼く。
「……潰すか」
甚爾は自分でもどす黒い声が出たことに少し驚く。トラウマの根源。今やどうでもいい家だが、気分はマシになるかもしれない。甚爾の実力なら三十分と経たずに皆殺しにできる。家族に追っ手がついてたら追っ手を殺す。呪われたら呪ったやつを殺す。もうそれでいいと甚爾は思った。
「賭博も程々にしろと明美殿から苦言を呈されていなかったか」
目の前に突然巨漢が現れる。黄土の着物に赤い羽織を着た中世から飛び出したような服装。何より目を引くのは光沢のある銀の髪と羽織よりも深い赤の痣。伏黒甚爾を除いて誰も彼を認識しない。観葉植物のように気配という気配が無いのだ。彼の名は継国巌勝。戦国の鬼狩り、その頂点を冠する柱。中でも抜きん出た実力を持つ兄弟の兄の方である。ただしその肉体は弟の方。
気まずそうに視線を逸らした甚爾にため息をひとつもらし、横に腰掛ける。甚爾はにやりと笑った。これは彼にとっての諦めのサインなのだ。先程の闇落ち寸前かに見えた空気はどこかへ行ってしまった。
「安心しろ、これ勝ったら多分止める。で、どれだ」
「……先程見てきたが、四番、六番だな。あれはいい馬だ。時代が時代なら愛馬として乗ってみたい」
「オマエの足の方が速いだろ、それと愛してるぜマイソウルフレンド」
「……」
黙って紙に予想を書き込む甚爾に巌勝は天を仰いだ。
そして案の定、巌勝の指摘した馬が好成績を勝ち取り、しかも不人気な馬だったため高倍率で払い戻しがされた。甚爾はホクホク顔で巌勝の肩に腕を回し、喜んでいる。数年前の甚爾とは似ても似つかぬ雰囲気に、巌勝も安心したように笑った。
「へっへー。こんなに心が踊るのはオマエが禪院の当主を昏倒させた時以来だ」
「初対面では無いか。あれはとある餓鬼が屋敷に行けばいいとほざいたからな」
「コンビニも知らねぇ七歳児、しかも銀髪ときたら呪い関係で確定だ。そんな奴アホ共に任せるさ。
そしたら堂々と屋敷に入りやがって、しかもクソ当主をボコボコと来たらもう爆笑もんだわ。直毘人が喜んでたぞ、おかげで早目に失脚してくれたってな」
二人の馴れ初めはコンビニである。
七歳の甚爾は親戚のサンドバッグ扱いに嫌気が差し、監視用の呪具を潜り抜けコンビニに立ち寄った。そこでエロ本を立ち読みしていた甚爾に、春画を読む年齢ではない、と指摘したのが巌勝だった。
勘で呪い関連だと思った甚爾は禪院の屋敷に向かうように言った。どうでもよかったのだ。それで家が騒がしくなれば、隙を狙って帰宅出来る。
自分のような存在を殺す組織の元締めに向かっているとも知らない巌勝。しかしあまりに特徴的な外見なので一瞬で呪いだと判断した前禪院当主が即座に巌勝を蹴り飛ばし、蹴り飛ばされた巌勝は偶然近くにあった木刀で叩き伏せた。それを屋根の上から見ていた甚爾は生まれて初めて心の底から笑った。腹を抱えて、喉を掠れさせて、目から涙を零して笑った。
痛みに蹲る前当主を禪院家の家人が見つける頃には、甚爾が巌勝を連れ出していた。それからというもの定期的に二人は会うようになった。甚爾は体術を巌勝に教えてもらい、巌勝は知識を甚爾に問うた。
「あーそうそう。今日久々にうち来いよ、俺も恵もオマエの舞が見たい」
「……悪いが今日は刀を見に行く。お前に呪具をいちいち借りるのも面倒だからな。折角大金を手に入れたのだ、偶には妻子を連れて外食にすればいい」
★
「お会計は8300円になります」
「……現金で払おう」
告げられた金額は巌勝一人が平らげる金額では無い。そして呪具にしては安すぎる。しかも今いる場所はファミレス。
ということは────
「ははっ。悪ぃな。巌勝」
「本当にありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいのか」
「礼など不要。明美殿は病み上がりゆえ、家族全員の食事を毎日用意するのは骨が折れよう。外食を頻繁に行うことを推奨する。
甚爾、貴様には今度任務を手伝ってもらう。覚えておけ」
甚爾は嫌な顔をした。
巌勝の仕事は一言で言えば、裏の仕事人である。依頼の九割九分九厘は九十九由基からのもの。体内に数百年物の怨嗟を巡らせている巌勝は上層部に見つかれば即刻秘匿死刑。故にこっそりと呪霊を祓い、こっそりと呪詛師を始末する。なんとも地味である。
「あー。俺はまだ巌勝と話し足りねぇから、恵達連れて先帰ってろ」
「ええ。分かったわ」
明美は笑って頷いた。
巌勝は思う。明美がこの男のどこに惚れたのかと。この男、顔と筋肉しか取り柄がない。ギャンブル中毒で女癖も悪い。対して明美は善人。困っていたら助け、自分より他人を優先してしまう。呪術師とは真逆の存在。だからこそなのか。
そんな凸凹夫婦を守れたことは巌勝にとって今世の誇りである。
「店の前、段差がある。気ぃつけろ」
「ありがとう」
「なんかあったら連絡してくれ」
「はーい」
軽自動車に明美と恵と津美紀が乗りこみ、家へと帰っていった。その姿が見えなくなるまで甚爾は目で追う。巌勝は苦笑した。
「気持ちわりぃ面してんじゃねぇ」
「いやはや……天与の暴君も丸くなったと思うと感慨深くてな」
「ケッ……オマエ達といると感覚が狂う。人間は本来弱ぇ。どうしようもなく。こんな段差ですら死ぬ」
かつんと。甚爾は階段を蹴った。
つい最近、明美の悪性腫瘍が見つかり、その時にはもう命に手がかかっていた。なんでも大丈夫だと抱え込む癖が仇となった。幸運にも巌勝と由基の助力で全回復したが、そうでなければ今頃死んでいただろう。この体験は甚爾には大きな衝撃だった。周りが強者で霞んでいただけで人は本来弱いと知ったのだ。
明美が死線をさまよっていた時の甚爾は精神的に不安定極まりなく、明美を助けるためなら何でもする凄みがあった。人は自分に出来ることはなく、祈ることしか出来ない時こそ自分の無力に気づく。
「ってか刀はまだ見つかんねぇのか。無限に探してるぞオマエ。あの体から作り出したやつじゃ駄目か?」
「あの刀か。あれはあの姿の時にしか作り出せん。且つ本気で握ると握力で灰になる」
「灰になる?」
「灰になる」
「刀が? 手の熱で?」
「手の熱で刀が灰になる」
「……」
「む」
そうやって1時間ほど話していたところ、不意に巌勝の携帯電話が鳴る。
番号の相手は九十九由基。特級サボり魔である。
「……じゃあな巌勝。俺は帰る、九十九によろしく伝えといてくれ」
甚爾は直感で面倒事だと判断した。にっこりと笑い気さくに手を振った後、即刻逃げようとするが、甚爾の腕を巌勝は掴んだ。単純な力勝負では甚爾に分がある。しかし奢ってもらった負い目もあるので抵抗をやめてその場に座り込んで不貞腐れたように頬杖をついた。
それを確認した巌勝は由基との会話を始めた。
「……星漿体の護衛と抹消を任せていた高専の学生二人が明後日同化だというのに星漿体とその付き人を連れて逃げただと?」
「だから私たちにという訳か。大丈夫だ。今甚爾が近くにいる」
「ああ、了解した」
通話を切り、甚爾と巌勝の目が合う。今度は巌勝がにっこりと笑った。
人探しは呪術師ですら骨の折れる仕事。呪いを宿すものは残穢と呼ばれる痕跡を残すが、逃げ出した以上残穢は徹底して消されるのが常。しかしここに適任がいる。天与呪縛で強化されているのは筋肉のみならず、嗅覚や聴覚といった五感も強化されている。残穢ではなく、物理的な痕跡を追うことができるのだ。
甚爾は割と本気で逃げ出した。
夏油「私達は最強なんだ」
理子「うん!」
HAPPYEND__
羂索(これほっといたらよくね?)
伏黒甚爾
親友二人の前でだけ見せる笑顔がある。妻の前でだけ現れる感情がある。それは彼が勝ち取った幸せそのものであろう。
巌勝が探している刀
呪物収集の癖がある漏瑚が持っているよ。やったね兄上。
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