廿陸話 場外乱闘
「あー。頼むから全員死んでくれへんかなー。由基さんが保護するぐらいやから粒ぞろい思たのに、蓋を開ければカスしかおらん」
11月4日。渋谷のハロウィンから4日後。つまり由基達が天元と会う少し前。焦げ茶色の廊下をギシギシと無作法に歩くは一人の男。
禪院直哉は呪術師である。もちろん一般人の倫理観からは程遠い性格をしている。そんな彼が一般人の倫理観を身につけなかったのは、周りもそうだからである。持たない人間は人間では無いのだ。
縁側からすっと障子を開ける。古きを重んじる禪院邸の中ではかなり新品な障子。
「遅いぞ」
「やっぱりええ障子やな。扇君の刀と同じぐらいきれいやん。あ、あとポニーテールか」
「……貴様」
「ごめんて。トラウマ刺激してもた。刀しまってな。パパが重傷やからこっちもつらいねん」
「どの口が」
首に添えられた刀身を見下す。鈍い銀色に光るそれは等級の高い呪具であるが、如何せん殺気がない。何もかもが違う。人を導く器ならば、舐められた時点で殺すべきである。それが出来ないのならば見掛け倒し。
殺すことも考えたが、彼の娘は乙骨の手付きであることを直哉は知っていた。禪院が先の時代得られなかった特級との繋がり。それを無碍にするは言語道断。見下している実の子に守られる可愛さ。まさに滑稽。
「二人とも落ち着け」
「ほら、オプション付き甚爾君も言うてくれてるで」
甚壱の拳が空を斬る。こちらは振り抜く覚悟がある。だが違う。現に直哉は避けれている。直毘人無き今、禪院最強は直哉である。つまり禪院に対する興味はもう欠けらも無い。
「お待たせしました。フルダテが直毘人様の伝言を預かっております。
結論から申しますと、直毘人様は隠居なさります。次期当主は伏黒甚爾との契約を履行し、伏黒恵とする。全財産も全て伏黒恵様にうつります」
「は?」
「あ?」
ブチ切れたのは甚壱と扇。直哉は瞬き一回だけ。
直毘人が重傷らしく、正式な代理人から伝言を伝える旨の連絡。腐っても当主故に禪院家のトップ達が集められた。甚爾の兄、甚壱。禪院姉妹の父親、扇。そして当主の息子、直哉。彼はともかく二人は禪院当主への野望を隠していない。
察していたが故に踵を返す。あからさまに障子に手をかけた。
「直哉、どこへ行く」
「……」
「なんや、まさか自分が恵君より強い思ってるんとちゃうやろな。あの魔虚羅を調伏した恵君よりも。お?」
「何を言う。あいつの力では無い。あの出来損ない」
「ええやん。その出来損ないに殺されてまい。ってかパパまだ生きとるし、契約相手の甚爾君も生きとる。じゃあ文句言う相手は僕ちゃうなあ」
直毘人が当主に座したのはその強さゆえ。ただし片腕が落ちた今ならば三、四割減。直毘人対扇と甚壱。今ならば勝てる。禪院当主の天秤が揺らぐ。
そこに甚爾を投入。絶対に勝てない。
最強の式神も投入。蹂躙が始まる。渋谷にいたのならまだなんとかできたかもしれない。だが彼らはすぐ近くの別邸にいる。手負いとはいえ渋谷事変を生き抜いた猛者たちをどうこうする力はない。
直哉に向けて迸る殺気。言うなればただの八つ当たり。それを笑って受け流す。いつもなら顎を上げて見下していた。しかし顎を引いて見据える。
「……破門のガキが当主など」
「その調子で恵君に破門されてまい」
扇が刀に手をかける。甚壱がフルダテから白い契約書を奪い、読み始める。字が汚すぎる。どう考えても酔っぱらいの達筆で書かれていた。
すると障子の向こうから女中が顔を出した。
『直哉様』
「御託はええ。はよ話せ。つまらん用事やったら殺す」
『ただいま津美紀様がお目』
「黙れ。車回せ」
『かしこまりました』
直哉にとって最優先事項が発生した。
(やっぱり渋谷となんか関係あるわ。これ日本終わるんとちゃうか)
「僕は用があるからほな」
「待て直哉。相続品の中に核がある」
「おいおいおい。頼むからほかしてくれ。おっさん。このB83ってやつはどこにあるんや」
「ただいま密輸されまして、忌庫にございます」
「あかんやつ」
甚壱は倉庫へ飛び出した。
「ふん、核か」
「……なに後方余裕腕組み待機してるか知らんけど、あれ呪霊の攻撃かなんかで爆発したら京都ないなるで」
「あかんやつ」
扇は倉庫へ飛び出した。
★
病院にしては大きすぎる。正に大病院。その最上階には医療に必要ない絵画や黒い大型テレビが備えてある。ここは言わばホテルのファーストクラス。もちろんそこに出入りする看護師も一定の年齢を経たベテラン揃い。ただ患者を治す為に全てを尽くす歴戦の戦士たち。
目を閉じ、静かに礼をする彼女達をしっしと手で払う。病室には直哉と津美紀だけ。
「はろー。津美紀ちゃん。起きたいうたから来たのに相変わらず無視か。僕が出向いたのにシカトするんはホンマに死刑なってまうで」
透明な管に包まれた眠り姫に語りかける王子様……ではなくカス。カスもカス。どカスである。タイミングが悪く、どうやら目を覚ましたのは一時的らしい。
「これ見舞いの品や。食わんかったらまた看護師さんによばれてもらうで。辺鄙な町病院から府内の大病院、しかも呪術師専用のとこまで移動させたっちゅーのにな」
津美紀の顔をまじまじと見つめる。違和感があるのは脳。しかし完全なブラックボックスたる脳の詳細は分からない。
「お前、甚爾君と血ぃ繋がってんらしいな。天与呪縛でもない。つまりカス以下っちゅーわけや。んで顔も……まあ中の上。胸もちぃさい。不合格も不合格。足切りや」
頬を手で挟みゆらゆらと揺らす。突き出た色艶のいい唇は無反応。それでも直哉はふっと笑った。そのスチルを切り取れば王子と眠り姫の邂逅となる。ただし胸への目線は忘れない。浅く上下する胸部。やはりあまり大きくは無い。
「……まあ家おってもカスの顔見飽きたし、ここでええやろ」
呪力に関する文献を読み耽るカス。それこそ1人でも構わない。ただこの時間は嫌いでは無い。テレビをつける。音量を25に上げた。隣の部屋があれば聞こえるレベル。社会性の欠けらも無い。
『渋谷駅周辺は今』
「甚爾君は兎も角、巌勝君と悟君行っとるんやろ。なら大丈夫か。お、死んだ。アホやなー」
「……ぅ……ん」
「……」
「ど、どちら様……ですか? ……うるさ」
「お前」
ゆっくりと津美紀が起き上がる。リハビリのように体を動かす。まるで生まれたての赤子のよう。纏められた綺麗な黒髪が揺れる。
「津美紀!! 起きたのね」
突然の入室。現れたのは津美紀の母親。直哉ランキングワースト1位の入室である。なお同率1位があと十数人存在する。
涙を流して娘を抱きしめる母親。感動の再会を横目に嘆息する。甚爾の事は心から尊敬していても女の趣味だけは認められない。胸も小さいし顔もまあまあ。年齢にしては若々しいが、三十路以降は婆である。
「直哉さん。お久しぶりです」
「久しぶりやなあ甚爾君の嫁さん。早速で悪いんやけど出てって貰えへん? 容態だけ見るわ」
「わかりました。重ね重ね本当にありがとうございます」
「そーいうのいらへん。あーまって、ちょい遠いけどおつかい頼まれてくれへん?」
「はい。なんでしょうか」
偉そうにあれこれ指示したあと頭を下げる明美を手でやる。名残惜しそうに病室を後にした。直哉は明美を見ていない。ただにこやかに津美紀から目を離さない。
ドアが閉まる。すると自然にナースコールを破壊した。
「……何してるんですか? ……痛!」
テレビのリモコンを津美紀へと投げる。鈍い音がなり彼女は額を押えた。ソファーの背もたれに寄りかかり腕を組む。
「えらいべっぴんなったな津美紀ちゃん。寝てた方が従順で好きやけどなァ」
「えっと、何を仰ってるか。ずっと寝ていて……お名前も知らないのに」
「惚けんのもたいがいにせぇカス。猿やから猿芝居しか出来へんのか? あ?」
直哉は煩わしそうに頭を搔いた。
津美紀が嗤う。ニタァと、口裂け女のように口角が上がる。目が下弦を描き、口が上弦を描く。
津美紀はもう津美紀ではない。
「結構自信あるのよ? 現に母さんも騙せていたのだけれど」
「女の自信なんてたかが知れとる。あの嫁さんは甘ちゃんやからな。あんなんに惚れる最強がおるんやで。おもろいな〜。死んでくれへんかなー」
津美紀もとい万は確信した。恐らく目の前の男は呪術師だ。それも平安のそれに近い性格。リモコンを投げられたことは癪だが、飲んでやるのが年長としての振る舞いだろう。
ぬらりと舌を濡らす。
「ねぇ。縛りを結ばない?」
ぴくりと直哉の眉が上がる。あまりにもうるさいのでテレビを消す。テレビの消し方が分かるとなれば現代の知識は受肉元からインストールされるようだ。万が片手を口に添える。妖艶な仕草は少女に似つかわしくない。
「あなたは私に勝てない。だから見逃してあげる。その代わりにいくつか条件をつけるわ」
「やってみんとわからんやろ……って言いたいけど勝てへんわな。こちとら逃げ足だけが取り柄なもんで」
直哉は肩を竦めた。
「あら、よくわかってるじゃない。私も身バレするのは都合が悪いのよ。これって私有利に進めていいわよね」
万はベッドから飛び降りる。繋がれた管や機器を振り落とす。窓から差し込む夕日に向かって伸びる。その様は可憐な少女。ただその歪な雰囲気を払拭すればの話だが。
久々の現世。やりたいことが沢山ある。虫の図鑑を見てみたい。人を殺してみたい。美味しいものを食べてみたい。何よりも愛する人に会いたい。そのためにはまず羂索主催の死滅回游に参加する。ここで躓くわけにはいかない。
(どうやらこの娘、随分と愛されているわねえ。使えそうだわ)
「縛りの内容ね。あなたは私、万の受肉を伝えない。私はあなたに手は出さない。なんなら完全な受肉も禁止してあげるわ」
「破格やなあ」
「でしょー?」
笑う万。
ただし直哉の目は笑っていなかった。狐のような瞳が万をみつめる。
「家族に手は出さん。忘れとるで」
「……あはは」
「お、なんや。殺すつもりやったんか。でもメリットないやろ。あー、でも津美紀ちゃんクソ真面目やからなあ。ママ殺してもたら悲しむわな。それも身体渡してまうぐらい」
「ええダメー?」
「くどいわボケ。歯ァ見せて笑うな。品の無さに拍車かかんで。あと縛りを破ったらお前は消えろ」
「無理よ。この子も私の脳と一体化してるから」
「アホか。縛りの強制力や。なんとかなるやろ」
直哉は飄々とした態度でも絶対に引き下がらない。万の間合いから一歩引き、窓を背にしてのらりくらり。だが、直哉は冷や汗を隠している。何せ相手は呪術全盛を生き残った呪術師。その上、女。平安にて尚更虐げられているべき女が強者然としているのは文字通り強者たる証拠。
万はため息をついた。面白くない。食えないやつだ。殺してもいいが目覚めたばかりで状況が分からない。今暴れるのは賢いとは言えない。
「じゃあ別のを……おごっ」
直哉の拳が一切の手加減なく津美紀を捉える。まさかいきなり殴られるとは思っていなかったのか、運悪く呪力で防御しなかった。後ろのベッドに後頭部を強くうちつけ鼻血を出してのたうち回る。
(い……まの加速。術式ねえ……!)
まもなく待機していた看護師により病室のドアがノックされる。
『どうかされました』
「全員どっかいけ。命令や。動けんやつは置いていってええ」
『……かしこまりました』
病院が騒がしくなり始めた。女を殴った興奮にひくりと頬を吊り上げる。対して万は血で濡れたざんばらの髪を耳にかける。痣のできた顔面には堪えきれず吹き出してしまった。
戸惑いから鬼の形相が直哉を見つめる。傷は反転術式により塞がり始めた。
「ごめんちゃい。縛りなんて嘘や、うそうそ。女のくせに男と対等に話せる思たんか。敬語ぐらい使えやカス。女のくせに男知らんのか? 前どうやったかしらへんけど今世はこさえても蹴って堕としたるわ」
「お前……!」
「ここ病院やからうってつけやろ。てかはよ治せや。いつまで不細工晒しとんねんブス」
さらにもう一発、顔面に叩き込む。今度は銀の鎧で防御した。ただし病室を突き破り廊下へと躍り出る。
「お、術式ガチャハズレやん」
「否定はしないわ。その事は誰よりも私が知っているもの。でもそうやって舐めてかかる相手は全員殺してきたの。
あんたも殺してやるわあ」
虫の甲冑。
万の術式は構築術式。真依と同じだが、練度は雲泥の差。矮小な肉体で規格外の動きをする虫を模倣すれば、最低限の構造で最高の運動性能を発揮できる。
「あんた。男のくせに髪飾りなんかしてんの。ダサいわよ」
「飾りは飾りや。見た目で人を判断するんか? 育ち悪いな。片親やろ君」
一煽ると十返される。取り繕った笑みはもう消えていた。
死滅回游が始まって数日。類稀なる強者の戦いは結界の外で行われた。
呪術が終わるなんて耐えられない