そこに悲壮感を持たせずに、ひたすら優しいだけの物語。
2月。病院のビルの高いところから見える景色は、どんよりと分厚い雲で覆われていた。
英梨々がまた入院した。こいつは病弱でときどき入院する。それも一週間弱の短期入院で手術をするわけでもないらしい。
俺なんかは風邪をひいたら、ふとんをかぶって寝るぐらいだ。休んでもせいぜい3日。けれど、英梨々の場合は大事をとっているのか、過保護なのかわからないけれど、入院して点滴をうっている。
その方がしんどいと思うのだけど、詳しくはわからないし、英梨々も病気のことはあまりしゃべらない。
「スーッ、スーッ」と、微かな寝息が聴こえる。
寝ている英梨々はベッドの頭の方を少し傾けていた。
2人部屋の病室は壁紙がパステル調の水色で柔らかい印象を与える。隣のベッドは誰も入院していないようで空いていた。
学校帰りにプリントを預かって届けにきた。授業などの遅れは別に大したことじゃないけれど、些細な躓きでわからないまま進むと、そのまま苦手な教科ができてしまうことがある。
俺は音を立てないように気を付けて、ベッド横のパイプ椅子に座った。
英梨々は髪をほどいているから、ベッドから少しこぼれるように広がっている。これだけ髪が長いと手入れも大変だろう。怪我じゃないから入浴はできているようだけど。
日中はパジャマではなくて、ゆったりとしたワンピースの私服に着替えていた。淡い黄色のワンピースに、それよりも濃い山吹色のカーディガンを羽織っている。部屋の中は空調も効いていて、ぜんぜん寒くはない。布団だって薄手でのものだ。
時刻は16時を回ったところだ。別にここに来るのに急ぐ必要もないが、PC部で1人で作業するのも、ここでプログラムの本を読むのも、そんなには変わらない。
時間が止まったような感覚になる。英梨々は左手に点滴をしている。見ているだけで痛々しい気分になる。こんなものするぐらいなら投薬で寝ていた方がいいんじゃないかといつも思う。
金持ちの治療法も大変だ。
あまり本に書いてあることが頭に入らない。集中力にかける。俺は勉強を諦めてケータイを取り出した。ケータイからでもサイトの更新などはできる。
ラノベ紹介サイトを作ってからもう1年になる。少しずつ人が集まってきて信頼できるサイトとして人気も出てきた。俺の更新を楽しみにしてくれている人が英梨々に以外にもいてくれる。
他に変わったことと言えば、去年から素人小説サイトに投稿している霞詩羽が有名になりつつあることだろうか。
いくつもの短編は男女ともに評判がいい。すっきりとした読み心地のものもあれば、けっこうどっしりと作りこんだものものある。
自分の作風がまだ安定していないようで、書きたいものを書いているようだが、いろいろと試行錯誤をしているのだろう。感想に対するレスは短いお礼の言葉ぐらいで、相変わらず謎めいた作家である。
英梨々はすっかり霞詩羽ファンなので、投稿のたびにインスピレーションを受けて挿絵を描いていた。こちらも作風に合わせていろいろチャレンジしている。英梨々はラノベ風の二次元も上手いが、よりアート的な幾何学的なデザインや、細かい建築物なども上手だ。
二次元の人間なら柏木エリのものと分かる人もいるだろうが、作風を変えたものは作者不詳だろう。挿絵の絵の評価に関しては、英梨々はぜんぜん気にしてない様子だ。
面白いのは霞詩羽の反応で、やっぱり単文なのだが、「〇〇の住む街はこんな素敵なところだったなんて」とか、「湖の畔が私の妄想よりも綺麗な件」など、素なのか、リップサービスなのかわからない。
「倫也、来ているなら起こしなさいよ」
「ああ、起こしちまったか。具合はどうだ?」
「いつも通りね。点滴だけめんどくさいわ」
英梨々が上体を起こそうとしたので、俺は少し支えてやる。それからスリッパを履いた。
「ちょっとトイレ」
逆側にあった、点滴スタンドを持って移動を手伝ってやる。英梨々は体調不良だが、介護を必要とするほどひどくはない。
スタンドを支えたままトイレ前まで一緒に歩く。「別についてこなくていいわよ」とか「ありがと」とか言わない。そういうやり取りは何度もしたし、だからといって英梨々をほうっておくわけにもいかない。
俺もついでにトイレにいく。英梨々がしっかりとした足取りで歩けていたので、トイレ前ではまたずに、ロビーまで戻ってドリンクを一つ買う。いつもなら買わない「梅ドリンク」を選んだ。なんとなく健康そうなものをついつい選ぶのはここが病院だからだろう。
戻る途中、部屋の前で英梨々と会った。「何か飲む?」と聞くと「平気」とそっけない返事が返ってきた。
部屋にもどって、英梨々をベッドに寝かせる。点滴のチューブがとにかくめんどくさいのだ。邪魔にならない位置に移動する。
それから、カバンからクリアファイルに挟んであったプリントを取り出して英梨々に渡した。
「分からなかった聞いてくれ」
「うん」
「昨日のプリントはやった?」
「うん。そこにはいってる」
英梨々の口調はいつもと違う。他人行儀というわけでもないが、女言葉でもない。しんどいのかもしれないから、俺はそこ指摘しない。
英梨々の引き出しからプリントを取り出す。他には薬を説明したプリントがはいっている。俺はみないように目をそむける。
「分からなかったところは?」
「ない」
プリントをしまい、梅ジュースを一口飲み、窓辺のスペースに置く。外が暗くなってきて、街の灯りが見えている。
「何か用事はあるか?」
「ない」
英梨々が溜息をついて、枕に頭を置いた。それから手で綺麗な髪を整える。
英梨々が元気なら英梨々から話しかけてくるだろう。でも、そうしないってことはしんどいのだろう。俺からも別にくだらない話題はふらない。放送しているアニメとか、ラノベの話とか、学校のこととか、ニュースとか・・・
どれも、今の英梨々と俺には関係のことばかりだ。
「倫也」
「ん?」
「爪切って」
「足?」
「切りたいなら」
「切りたくはないな・・・爪切りはどこだ?」
「ナース室」
「あいよ・・・」
ナース室にいって、爪切りを借りてきた。それから英梨々の爪をパチリパチリと切っていく。ついでに足の爪も切った。爪をゴミ箱に捨てて、爪切りをナース室に戻す。ついでに、今日の献立を立ち読みしておく。入院生活の数少ない楽しみの一つだろう。
部屋に戻ると英梨々は退屈そうに窓の外をみている。
「今日は五目焼きそばだってよ。ずいぶん凝ってるんだな」
「そう」
「何か食いたいものあるか?あるなら弁当でも買ってくるけど」
「いい」
英梨々が食べたものがあれば、英梨々がそれを食べて、俺が病院食を食べてもいい。別に食事制限はない。
「じゃ、俺はそろそろ帰るよ」
立ち上がる。お見舞いというのは難しい。ずっと隣にいてあげたい気もするが、元気に話ができるならともかく、しんどい時はいない方いいだろう。
「倫也。チョコもらった?」
最後に何を言い出すかと思えば・・・
今日はバレンタインだ。俺にチョコをくれるもの好きは幼馴染の英梨々ぐらい。でも去年は出海ちゃんからももらった。
「もらってないよ」
「うそつき」
「うそじゃないぞ?」
「だって、波島出海が渡さないわけないじゃない」
「断った」
「はっ?」
「だから、断った。受け取らなかった」
「あんたバカじゃないの?どうしたの?」
「どうもしない。そういう気分じゃなかっただけだろ」
「可哀そうでしょ」
「よくわかんね」
「ほんと、バカ」
「もういいか?帰るぞ」
「・・・」
「じゃな。早く良くなれよ」
「・・・ちゃんと退院したら渡すから」
日曜日にバレンタインイベントを見に行くつもりだった。デパートの特設コーナーで試食ができてけっこう楽しい。英梨々の体調不良で取りやめになった。
「気にすることねぇし。だいたい俺はチョコ0個で堂々とSNSで盛り上がれるからなっ」
実は毎年英梨々から義理チョコをもらっているので、後ろめたい気分でSNSに参加していた。
幼馴染から義理チョコをもらうとか、オタクの風上にもおけないやつなのは重々承知している。別にオタク=もてない男子というわけでもないだろうが・・・
英梨々だってチョコを買おうと思えば、下の売店でも売っている。事実小さいけれどバレンタインコーナーもあった。
「ほんと、バカ」
英梨々が呟くように言った。たぶん入院していてメンタルが弱っているから、声がか細く震えていて、ちょっと泣いているようにも思えた。
(了)