現在は遺伝的に系統樹を作れるけれど、北欧の人はネアンデルタールの遺伝子が混ざっているとされている。
実際に190ぐらいででかい人も多い。頭もいいしね。
7月。夏らしい爽やかな快晴。今日は英梨々と池袋まで来ている。小さなショップで売り出し中の声優とのファン交流会イベントがあるのだ。
まだ時間があるので、コーヒーショップでドリンクを買って、公園のベンチに並んで座っている。新しく整備された広場で家族連れも多い。
「実はあたし・・・王女なのよ」
「ほうぅ?」
「倫也、もう少しなんかリアクションしなさいよ」
「なんだってぇー!」
「・・・もういいわよ」
「それで、どんな話だ?」
「信じるのかしら?」
「いや、それは話を聞いてからだな。俺が知っているのはスペンサーのおじさんはイギリス人で外交官であることぐらいだからな」
「まぁ表向きはそうなのよ・・・」
というわけで、今回の英梨々の中二病は「王女」らしい。夢見るお姫様とか大好きなのでこれは避けては通れないのかもしれない。
「で、どこの国の王女なんだ?」
「それがね・・・もう滅んでしまったのよね」
「それ、もう王女じゃなくね?」
「はぁ?あんたバカなの?亡国の王女っていったら、国の再興のために御旗になるって相場が決まってるでしょ」
「ほう・・・?」
いや、そんな相場は知らない。どこの先物取引だろう。
「いいかしら倫也。あたし達金髪ツインテール一族は・・・」
「ツインテールって一族に関係あるのかよ!?」
「・・・間違えたわ。金髪碧眼の一族は、北欧の東部の出身なの。今のバルト三国あたりね」
「へぇー」
今日の英梨々は夏らしい青色のワンピースを着ている。花柄の目立たない刺繍がしてあって、襟や袖は白いレースだ。まるでロイヤルコペンハーゲンのカップみたいな印象を受ける。リボンも同じく青だ。陽光に照らされて、頭の上には天使の輪が浮かび上がって見える。
「今から1000年以上前、ローマ帝国が崩壊する頃のことなんだけど、その地に小さな王国があったのよ」
「またえらく古いな。で、なんて王国だ?」
「知らない」
「知らないのかよっ。自分の国だろ」
「違うわよ?話は最後まで聞きなさいよ」
「へいへいっと」
コーヒーを飲む。オシャレにブラックコーヒーを頼んだが、苦くて飲めなかったので砂糖とミルクを淹れたがどうにも美味くない。英梨々は最初からカフェラテを頼んでいる。
「フン族?が東から攻めてきて、たくさんの国が滅んだらしいわ」
「なんか、そんなこと世界史で読んだような・・・」
「その国の第6皇女が子供の頃に、きまぐれにみなしごを1人拾って遊び相手にしたらしいの。同じ年ぐらいの男の子」
「なんか聞いたことあるような話だな・・・」
「王女が貧しい庶民に情けをかける話なんて、そりゃ世界中に溢れているわよ」
「そうだな。それで?」
「その男の子が大変聡明で、成長するうちに、多数の言語を操り、商人や山賊なんかとも交流するようになったの。割と自由だったのかしらね」
「そいつが第6皇女のお気に入りなわけだな」
「まぁそうなんでしょうね」
英梨々もカフェラテを一口飲む。芝生の上では犬がフリスビーを追いかけていた。
「それで、国が侵略者と交戦して混乱している時に、第6皇女と一緒に南へ南へと逃げて行ったのよ」
「あるあるだな」
「途中の国々と交渉しながら、現ポーランドあたりを南下して、オーストリアあたりに流れ着いたのよ」
「当時なら相当な距離だろ・・・」
「そうよね。建国の始祖として冒険譚の記録があるけれど、創作っぽいのよね」
「1000年前だしな・・・」
「その国の王子との縁談が決まって、一応安住の地を得たわけ。めでたしめでたしっと」
「で、お前の祖先は?そっちの男の子の方なんだろ?」
「そそ。その功績から、スペンサーの名をもらって、アルプスに小さな村を拝領したのよ」
「スペンサー・・・?」
「スペンサーって、元々はドイツ語圏では『執事』って意味らしいのよね」
「その始祖には名前なかったのかよ」
「なんだったかしらね・・・とにかくたくさんの登場人物がでてくるのよ。覚えてられないわ」
「いい加減だな・・・」
英梨々がマンガの主題によく描くお姫様は、この物語が原点なのかもしれない。妄想としてはいい題材ではある。
「この話って悲恋だと思うかしら?」
「いやぁ・・・端折りすぎてよくわかんねぇな。でも、命がけで守ってるんだろうし、忠誠心以上のものはあったんだろうな。そうでないと面白くないし」
「そうね。でも、その新しい村で妻を娶り、だんだんと繁栄していくことになるのよ」
「現実的だな。でもそれだと王国じゃなくね?」
「・・・」
英梨々がカフェラテを飲みながら空に流れる白い雲を見ている。さては何も考えていないのだろうか。
「パパが詳しいのよねぇ・・・とにかくそこにスペンサー村ができたのよ。それで、時代とともに為政者って変わるじゃない?」
「そうだな。オーストリア帝国っていうとハプスブルク家だけど・・・1000年前からあったか知らないぞ」
「ないわよ。スペンサー村は結局自治領的なのよね。険しい山に囲まれた小さな村だもの」
「なるほどな」
「だから、時にはどこかの国の貴族になったり、征服されてしまってただの村になってしまったり、有力な為政者がいなくなって独立したりしたのね」
「1000年だしなぁ」
「だから、村人は全員がなんらかの形でスペンサーの血を引いているし、そういう一族の長が本来の意味での『王』よね」
「確かにそうだな・・・別にスペンサー王国があったわけじゃないんだな?」
「スペンサー王国だった時代もあったのよ。でも結局中世が終わって帝国主義になっていく時代には、スペンサー伯爵になったのよ」
「おっ、貴族か」
「亡国の王女じゃなくて、亡国の姫君なら間違ってないかしら?」
「伯爵家の姫様ならいいんじゃね?詳しくは知らないけど」
「じゃあ、そっちで」
「軽いな。お前の先祖」
苦いコーヒーに飽きた。半分ぐらい残っているが捨てたい。無理せずにコーラにすればよかった・・・ 足元にハトが複数歩いているが生憎と餌になるようなものはない。
「父の祖父の時代ぐらいまではスペンサー村に住んでいたのよ。スイス国籍ね」
「あれ、オーストリアじゃねーんだ?」
「オーストリアは第6皇女の方の血脈よね。血はお互いに混ざって金髪を残したようだけど」
「ああ、混血だから金髪じゃなくなってしまうのか」
「そそ。でも、金髪碧眼は神の御使いとして崇められている地域もあるし、人気なのよね。優先して子孫を残せたんじゃないかしら?」
「美人の血脈なんだな・・・」
「ふふん♪」
英梨々が満足そうに、鼻から息を出してドヤ顔しているが、別に英梨々を美人と褒めた記憶はない。英梨々はスペンサーの叔父さんと小百合さんとの間に産まれているので、日本人とイギリス人のハーフだが、血筋的にはスイス人よりも、バルト三国あたりになるのだろうか・・・1000年の間に混血が進んでいて、よくわからん。
「だから、国家が変わってもスペンサー一族は残っているのよ」
「ああ、なるほど・・・」
「それでね、パパの祖父の時代、第二次世界大戦より前にね、お家騒動があったらしいの」
「えっ、実話?」
「そうよ。あんたなんだと思って聞いていたのよ?」
「英梨々の作り話」
「あんたねぇ・・・」
えっ、ちょっと待って、どこから作り話?金髪碧眼のルーツは間違ってなさそうだけど・・・
ケータイで時刻を確認する。まだ大丈夫だ。木陰なのでそこまで暑くない。長閑でとてもいい日だ。
「まっ、信じられないのもしょうがないわよ」
「そのスペンサー村ってあるのか?」
「あるわよ。今は人口三千人ぐらいだけど、畜産の他には磁器なんかの工芸品が有名よね。画家も輩出しているし」
「芸術家の家系も受け継いでいるのかよ・・・」
「どうなのかしら?元々は貧しい村だったみたいよ?今も羊飼いがいるぐらいだもの。村の産業のためにがんばったんじゃないかしら?」
検索してみるとスペンサー村は確かにあって、村のHPが立派だった。観光でも賑わっているようだ。高原の風景にはレトロだけど大きな教会があった。
「それで、どうして都落ちしたんだ?」
「祖父が元々もは正統な跡継ぎらしかったのよね。でもその父親が幼い頃に亡くなってしまって、その叔父さんが後見人になったのよ」
「おお、お家騒動の予感がするな」
「それ、さっき言ったわよね?」
「要するに乗っ取られたんだな?」
「そうみたいね。祖父は年頃になるとイギリスに留学したらしいのね。それもナチス?がオーストリアを併合して、きな臭くなっていたので一族を分けたらしいって話だけど・・・」
「ん・・・歴史的背景は合ってそうだな」
「留学っていっても、祖父1人じゃなくて、何人かの一族ごと行ったみたい。金銭的にも裕福だったみたいだし」
「でも、もうスペンサー村には戻さなかったんだろ?」
「そうみたい。叔父の一族が治めているのよね」
「現在進行形?」
「現在進行形」
第二次世界大戦ももう遠い昔で、生きている人がだんだんと少なくなっている。スペンサー家のルーツもこうなってくると、英梨々に何かしら関係があるのかもしれない。
「スペンサーのおじさん・・・英梨々のお父さんがイギリスの外交官ってことは、そのままイギリスで家庭を築いていったんだろ?」
「そうなるわよね」
「じゃあ、もうお家騒動は収まっているのか?」
「どうかしらね。パパはあまり気にしてないみたいだけど、祖父はだいぶ文句をいったらしいわ。それにあたしの祖母、パパのママはやっぱり悔しいって言っていたらしいし」
英梨々の祖父母はイギリスに住んでいて、もう亡くなっている。幼い時には何度か会ったらしいがあまり記憶には残っていないようだ。
英梨々のおじいちゃんっていうと、執事の細川さんが優しさと厳しさを持った方で、俺も英梨々も良く懐いているから、思い浮かべてしまう。
「うーん・・・生きているスペンサーのおじさんと英梨々がいいなら、もういいじゃないか?」
「そうでもないのよ。うちの一族はそれでよくても、本家っていうのかしら?スペンサー村側の方はもめているみたいなのよ」
「なんで?」
「だって、乗っ取った事実は残るじゃない。まるで騙しうちみたいに本家の子息を追放しているわけだし、後味は悪いわよね。返すつもりだったらしいし」
「ああ、戦争もあったからけっこうゴタゴタしているのか」
「うん」
英梨々が殻になったコップを振っている。立ち上がってゴミ箱に向かったので、俺も立ち上がった。
「そろそろ行くか」
「そうね」
俺と英梨々は公園を出て移動することにした。なるほど、こうして見ると英梨々は品があって元貴族なのもうなずける。中身はまぁアレだが・・・。
「じゃあ、スペンサー村の方が和解したいわけだ?」
「ええ、今のあたしと同じ世代はあっちにはいなくって、あたしの上の世代・・・パパの世代にね、あたしよりもちょっと上の男の子がいて・・・叔父じゃないけど、遠い親戚ね」
「もしかして、そいつって・・・クリスマスの時の?」
「あら、覚えていたかしら?ウィルね。ウィルヘルム・ヴァン・スペンサー。スペンサー伯爵家の現当主の長男」
・・・やっと謎が解けた気がする。去年のクリスマス会に英梨々と仲良さげに話し込んでいる男がいた。身長も高くイケメン。ショートカットの金髪碧眼。なるほど、親族だったか。
「で・・・それがどうして和解につながるんだ?」
英梨々は黙って歩いていた。それから俺の顔を見ては顔を赤らめ、何か口をパクパクさせて言いかけたが、言葉でないようだった。
線路を渡って少し歩くと、歓楽街が広がっていて、少し怪しい雰囲気になる。なんていうかラブホとか、風俗とか、飲み屋が目立つ。夜になったら治安が悪そうだ。
目的のお店の前に近づくと、短いながらも行列ができていた。案内の人の指示にしたがって、俺と英梨々は列に並んだ。
「わかんないかしら?」
「何が?」
「もういいわよ・・・」
「言いたいことがあったら言った方がいいぞ?」
「いいたいことなんかないわよ。あんたが聞きたがったから話しただけでしょ!」
「ん・・・?なんで怒ってるんだ」
「べ・・・別に怒ってないわよ。バカ」
よくわからないが英梨々の機嫌が悪い。楽しいイベントのはずなのに、顔を下にうつむいたまま、ぶつぶつ言っている。
うーん。お家騒動があって、和解したい。年頃のちょうどいい男女がいて・・・血も十分に離れている。なるほどなるほど。
「うーん・・・要するに英梨々はそのウィルと結婚するのか?」
「はぁ?あんたバカじゃないの、死ぬの?本気で怒るわよ」
「えっ、違った?」
「フィ・・・フィアンセなだけなんだかねっ、勘違いしないでよねっ。ふん」
英梨々が興奮気味に大きな声を出したので、周りが英梨々をみている。何しろセリフはツンデレそのものだ。
「えっ、それって同じ意味じゃね?」
「ぜんぜん違うわよ」
フィアンセって、将来結婚する相手のことじゃなかったか・・・
「いや、何言ってるかわからん。フィアンセって婚約者だよな」
「あたしは別に了承してないわよ・・・」
「ああ、親同士が?」
「親同士というか、あっちのスペンサー村側が進めている話ね」
「ほう・・・なんていうかさ・・・英梨々」
「なによ」
どういったもんだか。始祖には冒険譚もあるような長い歴史の家系があって、一族は王族の時代があって、今は伯爵で村を治めている。英梨々はその末裔でいまだにしがらみがあって、親の世代から婚約が迫られている。
「それってアレだよな・・・アレ」
「何よ。はっきりいいなさいよ」
「亡国の王女っていうよりは、昭和のヒロイン設定だよなっ!」
英梨々が口をもごもごさせて、耳まで真っ赤になった。どうやら自覚はあったらしい。
(了)