0,プロローグ
流浪の用心棒として名が売れ始めた菊の前にその男が現れたのは全くの偶然だった。
魔法族と非魔法族が混ざり合うスコットランド西部の片田舎。ゴミの積まれた不衛生な路地裏を抜けた先にひっそりとそびえる場末のバー。魔法族にのみ認識できるその隠れ家に、一人の東洋人が座り込んでいた。
水タバコの煙が充満する店内のカウンターで黙々と酒を胃に流し込んでいる女──菊は、路銀を稼ぐためにそこに滞在していた。
バーはいわゆる仲介場で、腕に自慢のある魔法使いたちが依頼を待つ溜まり場でもあった。
「やあ、お嬢さん!」
目ぶかにフードを被ったいかにも不審な男が、見た目にそぐわぬ明朗な音声で小柄な女に話しかけた。周囲で客を待っている同業者たちは彼を不憫に思い、目をそらす。
あいつには女の腰元で光る、薄い剣が見えないのか?
彼以前に女に話しかけた下賎な輩は返事の代わりに一撃をもらい、たちまち気絶した。女は無声呪文で浮かせた不埒な輩を店の隅に寄せ、薄汚い山を築いていた。今や彼女がこの店のボスである。
山がまた大きくなる。そんな店内の予想は一瞬にして裏切られた。女が急に立ち上がったのだ。そして不審な男の顔を覗き込むと、仮面のように凍てついた顔から一転、満面の笑みを浮かべて腰元に抱きついた。
「お、お嬢さん。そんな情熱的に来られても僕は──」
「おお! やはり、キミは我が友 ロクハート!」
「そ、その呼び方は──まさか……キク!?」
場がざわついた。誰だあの男は。飼い主か? 猛獣のような女と知り合いのようだ、それも随分と仲がいい。
そんな周囲を気にもとめず、東洋の訛りが入った堅苦しい言い回しのイギリス英語で話す女──菊と彼女にロクハートと呼ばれた男──ギルデロイ・ロックハートは、ホグワーツ魔法魔術学校在籍中の親友と思いがけず再会したのであった。
「キミは最近何をしているんだ? 私は用心棒をしていてな、最近はこれ一本で稼いでいる」
「流石。まったく変わらないな……ところで、まだ英語を喋れないフリしてるのか?」
「フン、言葉に気をつけたまえ、キミ! 何かと都合がいいだけだ! ──そういうロクハートは、相変わらず、まあ……」
うだつのあがらない。
かつてはキラキラとしていた男が、随分とまぁ落ちぶれたものだ。菊は胸の中でボソリと毒を吐く。
菊の隣に乱暴に腰掛けたロックハートは年配の店主に「ファイア・ウイスキーを」と声をかけた。炎の名を冠する、文字通りルビーのような色に輝く甘い酒だ。昔はもう少し辛い酒が好きだったはずだが、随分と酒の趣味も変わったようだ。菊が内心その変化に驚いていると、ロックハートはおもむろに顔を隠していたフードを脱ぎ去った。
フードの下から現れたのは、薄汚れた男だった。緩くウェーブした金髪は薄汚れ、乱雑に首元で一括りにされている。白い肌は肌荒れこそないもののどこかくすみ、顎には無精髭。かつて女を虜にした甘く垂れていたブルーアイズは、薄暗いクマに囲まれて疲れたような印象で。あんなにも晴れ渡っていた瞳の中の空は、今や曇天に変わっていた。
菊は少し残念に思いながらも学生時代の友人にもう一度盃を掲げた。
「小説ゥ? なんでまたそんなことを……」
「そんなことって……はあ、そう。そういうキクだって、地元に帰って家業を継ぐとか言ってなかったか?」
「実家の方でちょいと戦争が起きてな……疎開しがてら修行中だ」
「そうか……」
ポツリポツリ会わなかった間の空白を埋めるようにお互いの近況を話していく。
闇の時代が終焉を迎えてから早2年。
ホグワーツ魔法魔術学校を三年時に中退し、故郷である日本へと帰ったはずの菊はサムライのような格好でスコットランドの場末のバーで用心棒を。
キラキラと輝いていたロックハートはかつての美しさを鈍らせ、決して順調とは言えない小説家人生を歩んでいる。
そんな二人の人生がここで再び交わったのは偶然か、必然か。
「あー、ゴホン。ここに来たのは、実はキクに依頼があってのことなんだ」
「ほう、私に依頼と?」
「ああ。……本のネタになりそうな話を小耳に挟んでね。その護衛をしてほしいんだ。腕の立つ用心棒なんだろう? 僕の友、サムライ キクノジョウ」
「ああいいだろう。報酬はこれでどうだ?」
示された額は相場より安く、菊の心遣いが見て取れた。ロックハートのすっかりやつれた様子にその懐事情も察したのだろう。それに気づいたロックハートはカサついた眦にうすらと涙を浮かべ、ゆっくりと生ぬるいジョッキを煽った。
「……よし、交渉成立だな」
菊はその様子を見て頷く。腕を組んで、依頼主の言葉を待つ。ロックハートは喉仏を数回上下させ、ジョッキを飲み干すと机に器を振り下ろした。
「目標はスコットランドの伝説 バンシー退治だ! くれぐれも僕のことを守ってくれよ? こう見えて腕はからっきしなんだ!」
「ああ、友よ、キミからの依頼は我が杖腕に賭けて守ると誓おう。故に安心して執筆を行ってくれたまえよ!」
この時、菊はエールを二本半、ロックハートはファイア・ウィスキーを二本飲み干していた。彼らは酔っ払っていた。
二人はアルコールの含まれた息を吐きながら、千鳥足で夜の街に消えていった。
就活で気が狂った末に書き上げた二次創作供養