ここすきも…ウッウッ…お気に入り…ウレシイ……誤字報告…タスカル……
ロックハートを担ぎ、階段から外に出てきた菊は頭上で燦然と輝く太陽を全身に浴びて伸びをした。
時は昼頃だろうか。埃っぽい洞窟の中で暴れ回ったのだ。汗と埃で不快な気持ちを抱いていた。菊は担いでいたロックハートを傍に落とすと、穴を覗き込んだ。
吸い込まれるような暗闇の奥で、トロカーが手を振っているのがかすかに見えた。
「何をしておる、早く上がってこい!」
「いやあ、うん、行きたいんだけどね? 何せ私は長いこと洞窟暮らしをしていたものだから、いきなり太陽の光の元に身を晒せば、この瞳を閉じざるを得ないだろうと思ってねえ」
なるほど、利口なやつだ。
菊は闇に目が慣れきる前に地上に戻ったものの、長期滞在をしているならば太陽光の刺激で視覚が塞がれるのは必然。そう慣れば奇襲に対処することも難しくなる。完全に味方とは言えない間柄だからこそ、菊はトロカーの警戒に理解を示した。
彼女は穴を降りる直前に横に放っておいた麻のローブを手繰り寄せた。
「死霊にやられる前にさっさと来い。……ローブでよければ貸してやる」
「やったあ、今行くよ!」
なんとも現金な男だ。隣でぴくりともしない優男にどこはかとなく似た匂いを感じながら、菊は穴の中に手を伸ばした。
じわと闇が溶け出すように伸ばされた生白い手をそっと掴み、一気に引き上げる。半ば飛ぶような勢いで飛び出てきたトロカーに上からローブをかぶせてやる。「んぶ」と息を詰めたトロカーには目もくれず、菊は地面でくしゃくしゃになっているロックハートを覗き込んだ。
「立てるか?」
「むり」
「ハハ、随分とやられたな。学生の時ほどでは無いが」
「思い出させないでくれ……」
菊は笑いながら意識が朦朧としている様子のロックハートを引き上げて肩を貸す。身長差もあって少々不恰好だが、ロックハートは脚を持て余しながらもなんとか体を動かした。
学生時代、ロックハートはおば様キラーと呼ばれていた。おば様たちからの絶大な人気を集めた結果、菊が出会った時には汽車の降車時に揉みくちゃにされていた。彼にとって一種のトラウマ的な勢いのそれは、出来れば思い出したくない記憶である。
菊が首を伸ばして周囲を軽く見渡すと、荒野の至る所に大小様々な岩が点在していた。菊は手近にある大岩の陰へ身を押し込めた。太陽の光が遮られるだけで体感温度は随分と変わるものだ。僅かな清涼感を体全体で享受しながら、菊はゆっくりとため息を吐いた。
ロックハートは岩陰に入った直後、崩れ落ちるようにして気を失った。慌てて抱え直した菊は服越しに伝わる熱のなさにゾッとした。死霊に吸われた魔法力・精神力は相当なものであったらしい。ロックハートのいつもとは違う衰弱し切った顔つきを見て、菊は彼の体をそっと地面に横たえた。回収していた彼のローブを上からかけてやる。僅かに開く乾いた唇にアグアメンティで生み出した水を近づけると、無意識下ではあるが少しずつ喉仏を上下させた。
砂漠での脱水症状は洒落にならない危険を孕んでいる。菊は幼い頃に佐々木のじいさまから聞き齧った砂漠の話・注意事項を思い起こしていた。
それから少し遅れてトロカーがはふはふと荒い息を漏らしながら岩陰へ転がり込んだ。菊は彼の方をチラ、と横目で見るとロックハートが横たわる隣であぐらをかき、軽く目を瞑る。
菊の醸し出す警戒に満ちた刺々しい気配がトロカーの疲れ切った精神をチクチクと刺激する。杖も呪文もなしに造形魔法を使ったトロカーはすっかり元の元気さを失っており、回復に努めようとこちらもローブを頭まで被り目を閉じた。まるで芋虫のように閉じこもる美青年に、菊もチクチクとした気配をおさめる。
足元で申し訳程度に生えた草が熱風に煽られてふうふうと揺れていた。
ロックハートが目を覚したのは日が暮れようかという時であった。
太陽は地平線に呑まれ、大地を赤く染め上げている。真っ黒な影が背を伸ばしてこちらを覗こうとしている、そんな荒野の真ん中でロックハートは大きく伸びをして起き上がった。
「うーん、なんだか悪夢を見ていたような……」
「目が覚めたか! どうだ、体に変なところはないか?」
「あ、ああ……どうしたんだ、キク?」
菊はパチリと目を開けた。
いつにない勢いに圧倒されるロックハートは脳内に疑問符を浮かべながらどうにか頷く。さきほどの衰弱し切った姿とは打って変わり、元気そうな様子に菊は小さく安堵のため息を漏らした。そわそわとするロックハートだったが、目の前に迫る黒い瞳が一瞬で剣呑な色を帯びたのを目の当たりにして怯えたような引き攣った声を上げた。
菊は先ほどまで心配を重ねていた姿とは一転、鞭のような鋭い声を発した。
「……報告」
パチン。
破裂音と共に現れたティムは菊の後ろ姿を見上げた。顔を見ずとも伝わる不機嫌な雰囲気を敏感に感じ取ったティムは瞳孔だけの黒い瞳を弓のように引き絞り、口元を歪ませた。アンバランスに長い腕を大袈裟に組むと鼻を鳴らす。
「は、何を怒ってるんだ小娘。わしはプロとして十分な情報を集めてきたぞ」
「御託も言い訳もいい。一体、どこのどいつが、私の友を傷つけんとした?」
菊にとって、最も重要な情報がそれだった。
友を傷つけようとした不届きものには徹底的な報復を。侍の名に賭けて、菊は自分に楯突くものに容赦しないと誓った。同時に、仲間を傷つけるものも。
菊はティムを振りかえらない。それでもその背中は雄弁に語っていた。
「敵は不明だが、死霊についていくつか情報が集まった。まったく、今朝の今だからな! このような短時間でここまで情報が集まるのも、わしのおかげと──」
「御託はいい」
「っ、さすがササキの弟子……不機嫌な顔もそっくりだ」
──
菊はすっかり怯えた様子のロックハートに向かい合うように座り込んだ。杖先からチョロチョロと溢れる水を口に含み、乾き切った喉を潤す。「あ、僕にも少し」と乞食をするロックハートに親鳥のように上から水を落としながら、菊はティムに圧をかけた。
「──死霊共には共通点がある。飛び回って聞き込みをしたから、裏は取れておる」
それは法の対象外である
魔法使いがグールに襲われて消息を絶ったとの報告は、ここ10年間で50件にも及ぶ。ティムはその半数以上の家族へ訪問し、聞き取りを行なった。アメリカ魔法省の官僚やイギリスの半純血、果てはマグルにまで、彼は半日かけて各地を飛び回った。年老いた今ではすこし身にこたえる作業だったが、戦場での緊張に比べれば屁でもなかった。
ティムが見つけた共通点はこうだった。
「金髪で美形で──」
(ロクハート?)
「自尊心が高くて──」
(ロクハートだな……)
「気障っぽい感じの──」
(完全一致)
「──貴族然とした身なりの魔法使いだそうだ」
ティムの報告が終わった時、場には沈黙が横たわっていた。
ダラダラと汗を垂らすロックハートに白い目を向けた菊は、心底呆れたという表情を隠そうともせず、優しげな声で語りかけた。
「ロクハート……何か心当たりがあるなら早めに言った方が身のためだぞ」
「とんだ濡れ衣だ!」
ロックハートは思わず、といった風に吠えた。彼からすれば濡れ衣もいいところだった。
そも、彼は前作の悪評を新作の発刊を以て払おうと画策しているものの、その悪評は作品に対するものではなく、作者に対するものだ。やっかみ(だと本人は思っている)は有名人につきものなのだと、割り切ってはいても傷つかないわけではない。
ロックハートは学生ではないとはいえまだ20代。決して大人とはいえない不安定な精神状態からも、彼が一部から上がる誹謗中傷に耐えられるわけがなかった。
天性の圧倒的ポジティブさで見て見ぬふりをしていたが、それでも心の端っこの方では分かっていた。
誹謗中傷は、自分の行動のせいだと。
それでもやめられなかったのは幼少期からの養育環境にあるのか、はたまた内に抱く自己顕示欲のせいか。
ともかく、彼は自分の悪い所は思いつけども、グールに襲われる理由に思い当たる節はなかった。そもそも、グールの群れについて──本当は死霊だったが──知ったのは……誰からの情報だったか、解決すればヒーローになれると聞いたために情報を集めはじめたのだ。そんな最近知ったような集団に追われる覚えなどロックハートには1ミリもなかった。
「ン……あれ? ひとり増えた?」
その時、ローブにくるまっていた芋虫が羽化し、絶世の美青年が顔を覗かせた。「ふぁ〜あ」と伸びをする彼は、艶のある黒髪を片手でかき混ぜながら大きく口を開けた。やけに鋭い犬歯の合間に赤い舌がちろ、と覗く。ロックハートは何故かドギマギとした心地で目を逸らした。
「起きたか、ねぼすけ。今、情報を整理していたところだ。この
菊はトロカーに経緯を説明する中で、ふとティムが呆然とした顔で黙りこくっていることに気がついた。
ティムはしわくちゃの顔をいっぱいに広げ、黒目の瞳孔をきゅ、と引き絞った。人よりも長い尖った耳が僅かに上下し、物言いたげに口をはくはくと開いては拳を握る。
菊はただ事ではないティムの様子に口を噤む。経験上、こういった時に首を突っ込んでも碌なことにならないのは身に染みてわかっていた。そっと気配を希薄にして空気になろうとする菊の目の前で、ティムは鋭い人外の歯を覗かせた。
「あ、あなたは……!」
「ン?」
「忘れるはずがない──我らが指導者! ずっと、ずっとお探ししておりました……!」
ロックハートは、菊は、ティムの発した言葉を初め、理解できなかった。
指導者?
この男が、
混乱を極めた頭を抱えながら、ロックハートが恐る恐る「トロカーは、
「私が?
呵呵と笑う姿にカッと頬を赤くしたロックハートは誤魔化すように「どッ、どうせ僕は見る目がない間抜けだ! 存分に笑え!」と勢いよく言った。思わず力の抜けるやり取りを背景に、ふと前面に戻ってきた菊は腕を組んだままトロカーをじ、と見つめた。
「
「!?」
ぶっきらぼうながら確信を得たような言葉にロックハートは青ざめた顔でトロカーをゆっくりと仰ぎ見た。
暗闇に浮かぶ面のような顔の中で、瞳の瞳孔がゆっくりと縦に裂けていく。血のように残虐な色を帯びた、赤い瞳だ。思わず息を呑むロックハートにトロカーはいっそ妖しげな顔つきで手を振った。「安心しておくれ、友よ。私は男には興味がない」そう言ってトロカーは流し目を菊に向けた。意味深なそれに思わず眉間に力を入れる菊を盾にするようにロックハートがカサカサと地面を這う。
トロカーは膝を軽く曲げ、右手を胸に当てて芝居っぽく言った。
「侍のお嬢さんはお気づきかもしれないけれど、今一度自己紹介をしようか」
──私はトロカー。吸血鬼のトロカーだ。
吸血鬼。
その言葉を聞いた時、ロックハートはいっそ気絶したいと頭を抱え、菊は自分の疑問が解決したことを悟った。
闇の気配を漂わせていたのは、そもそも人間ではなく闇の血族だったから。
陽の光が眩い地表に出ることを嫌がっていたのは、太陽に弱いという吸血鬼の特性があったから
そも、吸血鬼とはその名の通り血を吸い上げることで力を得て生き長らえる、闇に生きし知性ある不死者である。古来より人間を襲う吸血鬼は恐れられ、恐怖の支配者として長年君臨していた。
今ではすっかり落ちぶれてしまったが、それでも彼らの権威は、恐怖は未だなくなってはいない。
日本に吸血鬼はいない。そのため、ロックハートとは違いその恐ろしさを知らない菊は物怖じもせず、寧ろ脅すように刀の鯉口を鳴らした。
「吸血鬼か……そんな男が、何故ここに?」
「事情はそこの人間くんに話したんだけど……そうだね、一言でいえば人探しだね」
今にも飛び掛りそうな菊に臆することもなく、トロカーは変わらぬ調子で飄々と答えた。正気に戻ったロックハートが事情を説明する。──約束をしたことも。
菊は日本魔法界で生まれ育った。それ故に、こと約束には警戒しろと、ロックハートに口酸っぱく言い含めてきた。それがどうだ。お気楽な奴は気安く約束を設けてきたという。それも闇の一族と! 菊は怒りのあまり、表情をストンと無くして後ろで震えるロックハートを振り返った。
「後で話がある」
「ハイ」
恐怖に震える
目が合った時特有の、ピンと線が張るような感覚が両者に走る。その感覚にトロカーは少し驚いたように血のように赤い瞳を見開いた。
「君
「──?」
トロカーは吸血鬼だ。
吸血鬼は人間が持たない特殊な技能をいくつか身につけている。蝙蝠に変身したり、銀が苦手であったり、あるいは魅了の瞳を持っている。
トロカーが吸血鬼だと知っても尚目を合わせる者は、彼の生涯で菊が
脳裏を過ぎる、黒袴の小柄な男。トロカーは懐かしい思い出に恍として目を閉じると、歌うように話し始めた。
「──少し、昔話をしよう。人に話すのは久しいが、大切な記憶だ。
……はじまりは50年前、ある戦場で私たちは出会ったんだ。
運命という言葉を信じたのはこれが初めてだった。
次は過去回ですね。飽きてきたので気分転換に……|・`ω・)明日投稿予定す。ちなみに2章で1番面白い(書いてて)です。
ちなみに本命企業のES締切が明日までです明日は教習所の卒検とバイトで時間がありませんおわた0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_