ロックハート英雄譚   作:黒鵜

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描きたいシーンには未だ届かず。菊ちゃんがんばえ!


9, 御伽話の住人

 

「──ボス、蝙蝠が地上へ出たそうです」

 

「何?」

 

「どうやら先の二人組が関わっているようで……洞窟から地上に出ているとの報告が」

 

「……まだササキに執着を向けてンのか」

 

 忠実なる右腕にして血を分けた息子トーレンの報告を受け、大柄のゴブリン ゴルゴフは眉を寄せた。

 

 ダラム郡は地下深くにある小鬼専門の情報屋基地、その最奥で情報屋の名にふわしい伝達速度で回る知らせを聞き取った。

 

 ゴルゴフはかつて蝙蝠──トロカーの部下であった。

 ゴブリンとトロールの混血として造られた彼は迫害の末に多種族編成の傭兵集団に流れ着いた。指導者と拝まれるトロカーに憧憬を抱いていた中で、彼は、彼らはササキという1人の男と出会った。

 

 一風変わった薄い剣と黒い袴を身に纏った、剛気で寛大で、敵に回せば赤い血に塗れながら1人どこまでも前進するような、人間よりも自分たちに近い精神構造の男だった。男は皆、強いモノに憧れる。それは指導者トロカーに対してもそうであったし、尋常ならざる強さを持つササキに対しても同様だった。

 

 ゴルゴフは幼い自分からトロカーの部下であった。

 長い間共にいた。

 だからこそわかった。

 

 わかって、しまった。

 

 ──トロカーがササキに覗かせる、異常な執着の色に。

 

 ゴルゴフはトロカーを敬愛していた。それと同様に、異国の武者のことも尊敬していた。軽口を叩きながらも、いつか自分も彼のような高みに至りたいと、そう切望していた。

 

 だからこそ失望した。

 

 自分たちを、トロカーを裏切ったササキに。

 そんなササキを諦めきれず、自分たちを捨てたトロカーに、どうしようもなく失望した。

 

 長く共にあった自分たちよりも、ぽっと出の人間に付くなんて。納得の色を見せ、離脱したかつての仲間たちも多くは寿命を迎えた。今われらの他に残っているのは、人狼の子犬ぐらいか。あの子犬ももうどれほどの齢になったか……。

 

 ゴルゴフは小さく浮かんだ哀愁を、小さな目に燃ゆる怒りの炎に焚べた。

 

「あの小娘はササキの弟子だ。ササキと引き合わされては敵わん」

 

「──では」

 

「行こう、かつての指導者の元へ」

 

 

 ・

 

 

 吸血鬼──それは闇の生き物。文字通り血を吸うことで絶大な力を発揮する、夜の支配者。よく史実ではうら若き乙女の血を好むとされるが、それはかつて医学が発達しきっていない中で抱かれた神秘性に依拠する魔法力の発露、つまり未知のものに対する無意識の信仰が乙女の血という概念そのものに魔法力を付与したのである。

 

 何はともあれ、乙女の血を飲んだ吸血鬼は絶大無比なる力を手に入れることができるのである(一時的なブースト)。

 

「──つまり、血を飲ませろと?」

 

「菊ちゃん、私はあのうざったい死霊どもをリセットしたいんだ。わかるだろう?」

 

 求められたまま握手をしている最中の出来事だった。

 トロカーは菊の小さくも硬い手を万力のような力で締め上げた。そのまま近くへ引き寄せ、要求したのが「菊の血液」。

 

 それを聞いてロックハートは飛び上がった。なけなしの勇気を集めて叫ぶ。

 

「そっ、それはいけないと思いますが!?」

 

「なんなら君の血でもいいけれど?」

 

 トロカーは闇夜を纏う様にくるりとその場で回ると、その姿を少女に変えて見せた。

 

 青白く小ぶりな顔の中に端正で大きなパーツがあるべきところに嵌り、ツンと尖った小さな鼻と真っ赤な唇が一際目を惹く。黒い髪は金色に変わり黒い絹のリボンで高い位置で二つに結ばれている。

 

 見た目にそぐわぬ老獪で妖艶な笑みを浮かべる口元にのぞく真っ白な鋭い牙に、ロックハートは顔を真っ青にして首を横に振った。

 

「い、いや、僕は遠慮するよ……ただ! 菊もだめだ!」

 

 悲しいかな、裏返った彼の声に身を傾けるものはおらず、妙に肝の座った菊は怯えもせずに眼前の赤い瞳をしっかりと見返した。縦に裂けた人外のそれがゆっくりと愉悦の色を帯びる。

 

「ほうら、早くしないと溢れてくるぞ?」

 

 他人事のように微笑むトロカーに疑問の声を上げようとした時だった。

 

 ドン、と大きな地響きとともに土埃が舞う。血を這うような怨嗟の声が荒野に響き渡った。

 

 ──死霊が地下から這い出てきたのだ。

 

 時は夜の入り口、日は暮れたばかりで夜明けは程遠い。

 わらわらと巣を攻撃された蟻のように次々に這い出る死霊たちにロックハートは引き攣った笑みを浮かべた。生の気配を感じ取りこちらへ殺到する死霊の大群に、菊はトロカーの腕を振り払った。

 

 一歩飛び退いて懐から札を取り出すと、親指の腹を食い破って一本の横線を描く。

 青い仄光を放つ札を地面に叩きつけると、札が崩れて半透明のドームが形成された。ロックハートを守るための防御壁だ。

 

 ロックハートに「援護を頼む!」と言うや否や、菊は刀を握りしめて死霊へ飛びかかった。

 

 物理は無効とはいえ、一度戦った相手だ。菊はすでにコツを掴んでいた。

 

 死霊の体はゴーストのようなエネルギー体ではなく、媒体とする何かをもとに構築されていることを、先の短い戦いの中で理解していた。

 菊は先祖より継いだ”目”をよく凝らし、不自然なそこを断ち切ることで死霊を消滅させた。

 

 時折飛んでくる赤い光──おそらく失神魔法だろうが、それにしても線が細すぎる──を避けながら目の前の死霊をひたすらに切り伏せていく。

 

 鋭く薄い刀身で死霊の胸あたりをまとめて一薙にし、消えるのを確認せずに隣の頭をかち割るように振り下ろす。その間に近づいてきた死霊に蹴りを入れて距離を取ろうとして──空振り。体勢を崩した菊に触れる死霊たちの腕が体の中の温かいものを抜き取っていく。

 

 ──しまった、実体がないのだったか……! 

 

 菊は全力で周囲を一薙し、周囲の魔法力ごと振り払った。吹き飛ぶように菊の周囲に半径一メートルほどの空間が空き、そしてすぐに死霊の海に溺れた。今朝から体を休めていない菊は想定以上に持ってかれた熱に危機感を抱きながらも右腕に触れる。

 

 ググ、と鈍い駆動音が響いたと思うと、脈打つように赤い光が鋼鉄の右腕全体を巡る。

 

「穿てェ!」

 

 火の古き龍が溜め込んだ芳醇な魔法力を蓄える火龍の鱗を根源に、死霊を消滅させるほどの極大光線が地平線を貫いた。

 

 網膜を焼くような、昼と見間違うほどの高エネルギーに飲み込まれたものは皆同じ末路を辿った。菊の周りを取り囲んでいた死霊たちはおおよそ100、否、それ以上が消滅したものの進みは止まらない。ワラワラと湧水のように増える死霊たちは足音もなく空いた隙間を埋めながら近づいてくる。

 

「ロクハート!!」

 

「素面でこんな無謀なことをするハメになるとは思いもよらなかったよ!」

 

「つべこべ言わんでさっさと使える呪文使え! 何も貢献してないではないか!」

 

「しっ、失礼だなぁ!」

 

 菊は自身の体力が確実に削られていることを感じていた。

 

 それでも着実に周囲の包囲網を削っていく菊だったが、最前列で手を伸ばしてくる死霊に振り下ろした一太刀は、瞬く間に青ざめた手のひらに握り込まれた。

 

 青い手の持ち主は燕尾服を着込んだ男。菊が洞窟の中で頸部を斬り飛ばした、あの人外であった。理性の灯った昏い碧眼で菊を見つめる男に、菊は刀を引き戻そうと力を込めて──驚愕した。

 刀はぴくりとも動かなかった。

 

 菊をはじめとする日本魔法界に生きる侍はその身体能力の高さを誇る、陰陽師とは全く性質の異なる存在である。

 陰陽師が魔法陣や札を用いる遠距離攻撃を主としているとすると、侍は陰陽師よりも少ない魔法力の全てを身体に巡らせることで常人以上の身体能力を発揮する超近接型。

 

 両者の血を引く菊は、陰陽師の血筋から継いだ豊かな魔法力と、侍の血筋から継いだ身体能力と剣術を用いているものの、どちらも極めるには至っていない。つまり、本国での彼女は凡才に過ぎない。それでも常時回している魔法力により、身体能力は常人のそれをはるかに上回る。

 

 そんな菊の抵抗を、目の前の男は無意味としているのだ。

 

 菊は背筋を走る悪寒に逆らわず鬼斬刀を手放して後ろへ飛び退った。

 

 一瞬空いて元の手首の位置を手刀が過ぎる。その風を切る音の凄まじさたるや。菊は顔をサッと青ざめた。もし手を離すのを一瞬でも躊躇していたら、良くて骨折、悪くて切断されていたであろう。

 

「おや、あれには見覚えがあるよ。不死を与えられた贋作の吸血鬼だ」

 

「な、何、後天性? やややや、やはり吸血鬼に噛まれると……?!」

 

「……ふふ、さあ?」

 

 結界の中で会話する二人を背に、菊は懐の短剣を眼前で構える。兄者に仕える忍びに教わった苦無の構え方を必死の思い起こしながら防御に努める。

 

 ドン、と地面が深く抉れた低い音と共に飛び出した男──トロカー曰く贋作の吸血鬼──は残像を残しながら瞬きの間に眼前で腕を振り上げていた。

 

 咄嗟に短剣で男の振り上げた腕の内側、腱の部分を的確に切り付けるも、軌道が、ブレない……! 

 

「────ッ!」

 

 強烈な打撃は鞭のような遠心力をもって菊の右肩を下から打ち上げた。

 咄嗟に腕を縮めて防御に徹するも、偽物の腕を巡る擬似神経がその痛みを即座に脳へ伝達する。

 一瞬視界がチカ、と明滅するそれを精神力で堪える。

 

 軽く宙に浮くような形になった菊は、敵にとって、格好の的だ。

 

 

 気がつけば、菊は青空を見上げていた。

 

 

「──?」

 

 

 身体中を流れる血潮の音がごおごおと聞こえる。遠くで聞こえる誰かの叫び声はまるで水の中で聞いたような聞き取りにくさで、菊は思わず眉間に皺を寄せた。

 

 

「──」

 

 

 一拍置いて、自身が仰向けに倒れていることを認知した。身体中の痛みに顔を顰めながら、なんとか手をついて上体を起こす。ギシギシと鳴る右肩に、義腕の関節が緩んでいることを察した。

 

 

「た────! うーろ──だ!!」

 

 

 古傷が開いている。どくどくと熱を持つ火傷跡を拳で殴りつける。ここで動かないでいつ動く。立たねばならない、立つんだ、立たないと──

 

 

「──立てッ!!! 菊之丞!!!」

 

 ぼんやりとした心地の菊は、耳を貫いたロックハートの声に弾かれるように顔を上げた。

 

 眼前には振り上がった青白い腕。

 

 まだ、間に合う。

 

 菊は鋼鉄の腕を持ち上げた。

 鞭のような腕は今度こそ菊の右腕を捥ぎ、遠くへ弾き飛ばした。ニタニタと笑う男の顔に、先ほどの意趣返しをされたのだと悟る。再度持ち上げられた腕を視界に入れながら、どうにか回避しようと腰を上げようとするが動かない。ちら、と見れば死霊が──否、これはグールか! グールたちが地中から腕を突き出して菊の足首を握り込んでいた。

 

 ──抜かった! 

 

 男を睨め付けたまま、菊は自身に振り下ろされる瞬間を待った。

 

「それは困るよ、彼女は先約があるんだ」

 

 それを片手で難なく受け止めたのは、背後で傍観していたはずのトロカーだった。

 

 少女の姿のまま、トロカーは美しい顔に汗ひとつかかず、男に手首を的確に握り込んでいる。菊はその間に「アクシオ!」と叫ぶと、手元に引き寄せられた刀を構え、足元に目にも止まらぬ速さで斬撃を放つ。一つひとつが糸の目を縫うような正確さで菊の動きを阻害する箇所を切り飛ばした。半ば振り払うように強引に飛び退ると、鬼斬刀を片手で構える。

 

 白刃が月光に照らされてきらりと輝いた。

 

「おい吸血鬼……私の血を飲めば、状況を打破できると誓えるかッ!」

 

 菊の投げやりとも取れる言葉に、トロカーは口端を上げた。

 

「もちろんだとも、約束しよう。我々の血族は約束は守る」

 

 トロカーの言葉はまさに甘言だった。打破し難い現状を変えることができる、唯一の希望にも思えた。菊の強さは一対一で真価を発揮するものであり、一対多の先頭は不得手とするところ。ロックハートは対抗するように遠方から声を張り上げた。

 

「キク、耳を貸すんじゃない!!」

 

「……乗った」

 

 菊は苦虫を噛み潰した顔つきで小さく呟いた。片手で周囲を牽制するように刀を振るいながら移動し続ける彼女に、ロックハートは今度こそ悲鳴のような声を上げる。

 

「キク! キミは吸血鬼の恐ろしさを知らないから……そんなことしちゃあだめだ! 逆らえなくなるぞ!」

 

「──逆らえなくなることなど、()()()()()

 

 菊は自嘲したように呟くと、徐に刀を握り込んで横に振り抜いた。手の内側にできた傷からぼたぼたと鮮血が滴る。

 

 それに即座に反応したトロカーは影に潜るように男の前から消えたかと思うと、菊の正面に現れてそっと腕を上に持ち上げた。「嗚呼勿体無い」と言いながら菊の肌を流れる赤をうっとりと見つめる。

 何年振りかの乙女の生き血、それも魔法力をふんだんに含んだそれの甘く芳醇な香りにトロカーは全身を震わせた。

 

「さあ飲むが良い血吸蝙蝠男! 名に違わぬ能力で敵を屠って見せろ!」

 

「──ハハ、侍とは真、思い切りがあって良い!」

 

 男気のある菊の言葉に愉快そうに含み笑いをしたトロカーは袖が捲れて露わになった菊の柔肌を流れる赤にそっと舌を伸ばした。んぐんぐと小さな喉を鳴らして赤を飲み込むトロカーは、数年振りの甘露に思わず顔を赤らめた。全身に回る魔法力と生気に乾いた喉が潤う。

 

 菊は男の姿よりはマシだ、と自分に言い聞かせながら人外の美貌を持った少女の姿を、幼い頃の憧れ──血吸蝙蝠男(御伽話の住人)を見つめていた。

 

 

 その間にも敵は押し寄せてくる。

 

 

 燕尾服姿の男だけでなく、死霊に混じってグールの姿もあった。皆何かに操られたように殺到する様はひどく不自然で、奇妙で、たったひとりの意思に従って動いているような、そんな気配がした。

 

 しかし、それも皆無力。

 

 音に聞こえし異国の古強者──血を吸い、蝙蝠に化ける、常闇の王の御前では。

 

「──!!!」

 

 ロックハートは、菊は目を見開いてその光景を見つめた。

 荒野に落ちた闇夜の影に、ズブズブと沈んで行く死霊のぐ軍勢。逃れようと上空へ飛ぶ輩には影から伸びた蔦のようなナニカが引き戻すように絡まり付き、実体が無いはずの死霊を地面に引きずり込む。

 その中央で佇むトロカーの姿は、先程とは著しく変化していた。

 

 黒い闇が湯気のように立ちのぼる少女の姿のトロカーは、縦に裂けた、まるで爬虫類のような瞳で辺りを見澄ましている。

 

「あれは……」

 

 菊は眉間に皺を寄せながら唸った。

 トロカーの纏うソレは、彼の異能とは全く違う性質であった。

 

 其れはかつて菊が見た、()()()()。何か強大なものとひっつきかけ、その縁を利用して力を吸い取っている常人離れした手法だ。この地を訪れた際にも感じた”()”の気配が濃くなっていることから、おそらく奴がつながっている相手はそれに類する生物だろう。

 

 後方で守られているロックハートは、トロカーの様子を繁々と見つめ、その瞳を見て叫んだ。

 

「ド、ドドドラゴン!!!??」

 

 その姿は先日の戦いの最中、アンジーが乗っ取られた状態とあまりにも類似していた。ドラゴンの魂を被り、自らを強化するために使いこなすトロカーは闇を操り、敵を打ち滅ぼす。かつて佐々木の爺様に何度もねだった寝物語の一節を思い浮かべ、菊はその光景を目に焼き付けた。

 

 闇の荒野に沈んで行く敵の軍勢と、それを指揮するひとりの少女の、神話の様な光景を。

 

 

 単純作業の様なそれが終わったのはそれからすぐのことであった。トロカーは闇を一箇所に集めると、そのまま握りつぶして後には何も残さない。何もなかったかの様に見える平穏な夜に、月に照らされた青白い顔の美少女はその場で闇を纏うように回ると青年の姿をとって立ちすくむロックハートに近づいた。青白い光を放つ結界の前まで歩みを進めたところで、菊が庇う様に立ち塞がった。

 

「あなたは、一介の吸血鬼なんぞではない」

 

 それは、確信を持った響きであった。菊は警戒心に満ちた瞳で、油断なくトロカーを見据えた。対するトロカーは降参、とでも言う様に手首から先をふらふらと揺らして敵意がないことを主張する。

 

「もうわかっているなら聞くのは野暮だよ、お嬢さん?」

 

 甘やかな声の中にさりげなく込められた鋭い棘に菊は思わず口をつぐんだ。

 

「ほら、こいつらは召喚陣からドンドン湧き出ているんだ。地上が一掃された今にうちに探しに行くといいよ」

 

「……っ、いくぞ、ロクハート!」

 

「エーット、ボクはここで帰りを待ってようかなぁ〜なんて……ハハ、ハ、冗談だよ!」

 

 菊は聞きたいことをグッと堪え、宙で指を一文字に切ることで結界を解除した。安全地帯が消えたことで渋々足を踏み出したロックハートを引き連れ、脱出した穴の側まで歩み寄った。

 中を覗き込むロックハートは拍子抜けしたように「なあんだ、何もいないじゃないか」と呟く。背後を振り返ると、遠くの岩にもたれかかった玲瓏な青年がニコリ、と笑っていた。

 

 菊はなんとなく憧憬と実態の落差を知ったような、がっかりした気分を抱えながら目を瞑り、神経を尖研ぎ澄ました。

 

 音も、死霊特有の厭な気配もない。

 

「先に行くから3歩後をついて来い」

 

「任せてください! こういうのが一番得意なんですからね、ボク」

 

 菊は「それは頼もしいな」と感情の一切こもらないセリフを言い捨て、足を穴の中に続く美しい階段に乗せた。

 

 2人が洞窟の中に戻って行ったのを見届けたトロカーはゆっくりと目を瞑ると、そのまま地面に倒れこみ、闇の中に紛れて溶ける。

 

 夜の荒野に乾いた風と小さな虫の音だけが響いていた。

 

 

 ・

 

 

 沈黙と警戒に満ちた洞窟探索は、なかなかに難航の色を見せていた。入り組んで同じような構造の洞窟内は軽く岩肌を削り印をつけているため迷っていることないのだが、それでも気が滅入って仕方がない。そも、ロックハートがいなくなってから休まず探し続けていた菊と死霊に生気や魔法力を吸われ、連日長距離の移動をし続けてきたロックハートは疲れ果てていた。それに加えて現状何も見つかっていないのだから、だんだんと気が緩んでくるのも無理はない。

 

 ロックハートは妙に明るい声色で声を上げた。

 

「そういえば、思い出したことがあるんだ! 例の心当たりの話なんだけど……」

 

「ああ……襲われる心当たりはないとはっきり言いきっていたな。作家先生は何を思い出したのか、それとも思いついたのか」

 

「失礼だなあ……ンン、まあ聞いてくれ。トロカーのやつがいないうちに話すが、おそらくヤツが黒幕に違いない」

 

 ロックハートの突拍子もない言葉に菊は一瞬何を言っているのか理解できなかった。

 

「……なんだと?」

 

「僕はかつて、あまりの極貧生活に耐えかねてとある先輩を頼り、仕事を紹介してもらったことがある。日刊預言者新聞の片隅を埋めるコラムの執筆さ。初めて受けた依頼は吸血鬼のウワサに関するもので、僕は喜んで書いた。その内容が……その、若干問題だったみたいで」

 

「ひどい内容でも書いたんだな」

 

「マ、まァそうなるかな……ウン」

 

 項垂れながら心当たりを話し終えたロックハートに、菊は黙って歩を進めていた。ロックハートは処分を待つ罪人のような心持ちで付き従っていたが、直ぐに耐えきれなくなって捲し立てるように話し始めた。

 

「な、なにも悪意があった訳じゃあないよ? ただ面白い内容を追求した結果、少し侮辱的な内容になってしまっただけで……そうさ、僕が悪いんじゃない。 悪いのは編集者の方さ! エンタメ性を追求したコラムを、との依頼だったから僕なりに工夫してだね……あの、キク? もしかしてここが目的の?」

 

 聞いてもいないことをペラペラと話しているうちに、菊は目的の場所を探し当てていた。一掃されたグールや死霊たちがウジャウジャとしている方へ向かえば、自ずとそこが発生源になる。2人は捜索を始めてかれこれ数十分は蒸し暑い地下空間を彷徨っていた。

 

 グールや死霊たちが湧き出るそこは、一見ただの岩肌のような場所にあった。よくよく目を凝らせばうっすらと魔法で偽装されていることがわかる様な、些細な違和感程度の高度な隠蔽をされた入り口を抜けた先。少し開けたそこに大きな五芒星が()()()()を放ちながら佇んでいた。幾重にも魔法陣が組み合わさったその中央にはサクラの杖が突き刺さり、それを起点に作動している様であった。

 

 菊たちの見ている最中にも死霊たちが半透明の体を捻りながら魔法陣の上に現れる。それを無言で切り捨てながら、菊は険しい顔をした。

 

「ロクハートよ、この魔法陣、どうにも見覚えがないか?」

 

 ロックハートは何度も悩み、唸り、絞り出すように答えた。

 

「エ? 見覚え? 見覚えと言ったって……ウーン、あ、待ってくれ、もう少しで思い出せそうなんだ……あとこれくらいで思い出せるから! エーット……」

 

「──火山の洞窟に敷いてあっただろう? 忘れたか? 我が血筋に伝わる方術だ」

 

「……ああ! あれですか、ハイハイ、思い出しましたよ!」

 

 数ヶ月前、泣き女(バンシー)と共に赴いた火龍退治、その住処たる火山の中で2人が目にした魔法陣と、眼前の魔法陣は、どう言うわけか似ていた。

 

「どうにもきな臭いな……」

 

「ホラ! ()()()()()剣でグワッとやっちゃってください!」

 

 深刻そうに考え込む菊にロックハートが妙に明るい口調で声をかけた。それもそうだと納得した菊は「ちょいと待て」と言ってその場にしゃがみ込み、魔法陣に用いられている梵字を解読しようと見つめ始めた。魔法陣には楔のように梵字が埋め込まれ、複雑に文字同士の影響力を鑑みた重ね方がされる。それを安全に解除、基破壊しようとする際も、それに沿った方法で上から順に破壊する必要がある。

 今回の魔法陣は大きな五芒星を中心に、その外側に三つの魔法陣が展開されていおり、重なるところはない。『召喚』を中心に、『再生』『死』『増幅』を刻み込まれた魔法陣が大きな三角形を形取っていた。

 

()()()で、な!」

 

「まだ引きずってる! その節はすみません!」

 

 菊は楔となる箇所、即ち中央に立つ杖を弾き飛ばすように切りつけた。空気を裂くような、乾いた音を立てて狙い通りの場所に、杖と魔法陣の接着点に寸分の狂いもなく、吸い込まれるように流れていく。バチバチと魔法陣が一瞬の抵抗を見せるも、魔法をいくつも喰らってきた鬼斬刀には叶わなかった。ガラスが割れるような繊細で甲高い音が響いたかと思うと、魔法陣は次第に崩れ始めた。新しく召喚された死霊が声無き悲鳴を上げながら魔法陣と共に薄れていき、最後には空気に溶けるように消え失せた。

 後に残ったのは中央に立っていた()()()()()だけだった。

 

 繊細な魔法力の操作に疲労を見せる菊は空気に染み込むように広がった魔法力にパッと顔を上げる。

 

「良くぞ邪魔立てする輩を排除してくれたね、お嬢さん」

 

 玲瓏な声が、地下空間に木霊した。




前回の投稿からだいぶ時間が空きました……就活忙しすぎ(言い訳)
季節もすっかり変わりまして、最近は雨ばかりですな。私は雨の日は死ぬほど体調が悪いので薬漬け生活を送っております。皆様も体調にお気をつけください。
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