か、感想もくれてええんやで……(欲望)
洞窟に菊の式神──折り鶴型の乗り物──に乗って登場したアンジーは、ロックハートの手を借りて式神から飛び降りた。マグマの近くということもあって地上よりも高い気温の洞窟内で、アンジーは苔色のケープを肩から外した。簡単に畳んで片手にかけると、その場で菊に向き直り、深々と頭を下げた。
「この度は、本当にありがとう……!」
アンジーの心の中は、感謝の念で満ちていた。彼女がこの地で独り、ドラゴンと戦い続けて60年が経っていた。追い払うことしかできなかったあの強大なドラゴンは、菊の手によって小さな
菊はそんなアンジーを見て静かに首を振った。
「いや。キミは宣言通り、私の目となった。キミも共に戦ったんだ、礼を言う必要はない。むしろ感謝をすべきはこちらの方だ。雇い主が迷惑をかけた」
「え?」
菊はまっすぐにアンジーの目を見て、そして頭を下げた。パサリと黒い長髪が肩を叩く。ロックハートは「え、迷惑? 礼はいらない……?」と菊の言葉を信じられない様子で反復している。アンジーは目を瞬かせると、ゆっくりと微笑み、言葉を重ねた。
「それでも……それでもです。ありがとう、あなたのおかげで、ようやく約束を果たせる……」
約束。
アンジーが、守りたかった男と交わした約束。
60年の時を経てようやく果たせそうだと、アンジーは胸中で彼との約束について思いを馳せる。それに切り込むように、菊が鋭く言葉を発した。
「その事についてだが、キミに話がある」
「話……? なんでしょうか」
心底不思議そうな顔で見返すアンジー。菊は傷ついた体を気にするそぶりも見せず、スタスタと洞窟の奥──高く積み上げられた金貨の方へと歩いて行く。後ろからロックハートが、さらに後ろからアンジーが追随する。菊が歩みを止めたのは金貨の山で隠れた影の部分であった。初めに追いついたロックハートは、険しい顔をする菊の隣に並び立って、そして呆然と口を開けた。
「これは……?」
そこはぐつぐつとマグマが煮えたぎる火山の奥底からほど近い、壁にできた横穴のさらに奥、金貨の山の裏側。天井には崩落でもしたのか小さな穴が空いていて、そこが光源の一つとなってぼんやりと岩肌を照らしていた。マグマから吹き上がる熱風は金貨の山に遮られて幾分か和らいでいて、小さな穴から入り込む涼やかな空気そして、一筋の赤い光がまるでスポットライトのように照らす先には、なんとも古めかしい気配があった。
「……!」
「なんと! 見覚えがあるのかい?」
”それ”を見た瞬間、アンジーは目を見開いた。
光の輪の中央で、片膝を地についたシルバーアーマーが、両手で掴んだ剣の柄に頭を預けるような風体で項垂れていた。近頃ではめっきり見ない、いわゆる実践用の甲冑だ。そよそよと頭上で揺れるサンダーバードの風切り羽根は年月を経てすっかり色褪せていて、胸に刻まれた
片膝をつくフルアーマーの手に握られた、古い力を感じる剣に目を細める菊。地に深く刺さった剣先は、縫い止めるように黒い
「──坊ちゃん!」
アンジーは手にかけていたケープを放り出して、弾かれたようにアーマーに駆け寄る。眼前で
そこには、人の顔があった。彫りの深い欧州特有の顔立ちは雪のように白く、金の混じった赤毛が幾筋か額で揺れる。固く閉ざされた瞳は開かれることがなく、閉ざされた厚めの唇はすっかり乾き切っていた。
一見、精巧に作られた彫像のようにも見える顔に、菊は見覚えがあった。アンジーの記憶の中で垣間見た、あの偉丈夫だ。
先ほどよりも強い
「あー、その、知り合いだったりする?」
「──あの日逃げたはずなのに……なぜこんなところに……っ!」
「この剣からは呪いの気配がする。私の故郷に伝わる、国家特有の呪法だ。剣の先を見てみろ」
「? 何もないじゃあないか。こんな時にふざけるもんじゃないよ、菊」
「ロックハートに才がないのはとっくにわかっている。こちらの魔法族のほとんどは才能がない。──だが君なら、すでに魔法族の枠を超えた君なら。それ、視えるのではないか?」
アンジーは
感情の昂りとともに溢れる魔法力に照らされて、あたりは燃えるような赤に染まっていた。パチパチと火花が散るような音が耳に届く。
「君には、これがどう見える」
「……」
「気づいていないようだから言うが、君の気配は初めて相見えた時からただの魔法生物のようには感じられなかった。ほんの少しの違和感が常に付き纏っていた。──
「……」
菊がアンジーに招かれた屋敷の中で感じた違和感。それは、魔法生物にしては性質の趣が異なる存在に対して抱いたものだった。家庭を守る存在、魔法族に奉仕する生物にしては、攻撃的な魔法力をしている、と。
そして今、感情の昂りに合わせてアンジーの体から立ち上る”
「目が……」
ガーネットのように真紅の輝くを放っていたアンジーの瞳は炎に覆い隠された一瞬のうちに、まるで爬虫類のように冴えざえとした金色に変化した。ロックハートはあまりにも既視感のあるそれに、唇を戦慄かせながら指を刺して後ずさった。
「ド、ドドドラゴン!!!??」
「うるさい」
一刀両断。嗜められたロックハートは即座に反応し、菊に詰め寄る。信じられないと言うように頭を振りながら、大袈裟なまでの身振り手振りでその驚きを伝えようと必死の形相だ。
「うるさい!!? キク!! ドラゴンの目だぞ?! ゴーストの類いか?!」
「黙っていろ」
「ゥキィ──ッ!!」
何を言っても響かない様子に、ロックハートは先ほどまでの恐怖を忘れたように顔を赤くして叫んだ。
一方、菊はロックハートの戯言を受け流しながら”目”を凝らしていた。炎を滾らせるアンジーは、バンシーというよりはむしろ怒れる炎の精霊のようであった。
「……GURRR」
「オイオイオイ、キク?! どうしちゃったのこのヒト!! やっぱりゴーストか?! ゴーストだろ!」
だらんと弛緩した四肢が、操り人形のように不自然に持ち上がる。右腕が上がり、左腕が上がり、低い体勢を取ってこちらに顔だけを向ける。アンジーはまるで獣のような姿勢でこちらの出方をジ……、と見つめていた。警戒心も露わにこちらを見つめるアンジーの姿を観察していた菊は、使い物にならなくなった左腕を乱暴に引き抜くとその場に放る。鋼鉄の左腕は鈍い音を立てて重鈍にその場に横たわった。
菊はその場で右腕を腰に差した刀にかけ、鯉口を切る。親指でそっと持ち上げるように軽く握り込むと、強く踏み込んで飛び込む。
炎に飲まれたアンジーは、その黄金の瞳を菊に向けながら握り込んだ拳を地に打ちつけた。それと連動するように地から噴き出す炎柱を、菊は俊敏な動きで避けながらどんどん近づいていく。
次第に近づくアンジーの姿。深緑の長髪は炎のように燃え上がり、体全体を炎のような魔法力が覆っている。縦長に裂けた瞳孔が、黄金のような冷たい瞳が、若干の恐怖心と怒りを湛えてこちらを見据えていた。パチパチと弾ける火花で視界が点滅する。菊は静かに深呼吸をし、そして再び”
そのチロチロと空を舐める炎の、その影。不自然に伸びたその先には地に突き刺さった古い剣が──
「シィ──ッ!」
「GAAAA‼︎」
狙い澄ました一撃は、アンジーの横を通り過ぎて固い地面に振り下ろされた。途端、つんざくような悲鳴が洞窟内に木霊する。「うお、なんだこれは……」とロックハートが悲鳴を上げた。古い剣が縫い付けるように地に差し留めていた”影”が、才能のない彼にも見えるほどに力を露わにしているのだ。急激に上がった魔力濃度のせいで心なしか呼吸も苦しい。今や洞窟内は
アンジーに繋がっていた”
菊は振り抜いた刀を鞘に納めながらアンジーの横を通り過ぎると剣の元まで歩みを進める。
「この剣にかけられた呪いは、かのドラゴンの魂の切れ端をこの地に差し留めていた。
剣の前でしゃがみ込み、検分していた菊はやがて感嘆した様子でそう呟いた。地中深くに差し込まれた剣は先程まで濃密に放っていた呪いの気配がなく、何の変哲もない古びた武器そのものだ。その剣を支えに片膝をつく男──坊ちゃんの着込む甲冑にそっと手を触れると指先に青白い粉が付着した。魔法力を帯びたそれに、菊は見覚えがあった。
「魂をってことは……さっきの影みたいな気持ちの悪いやつは、ドラゴンの魂とでもいうのか?」
「そうとも、友よ。その通りだ。この男は、人の身でありながら一人で強大なドラゴンに挑んだのだろう。見ろ、何人たりとも傷つけられないと謳われるアダマンタイト製の魔法甲冑がこんなにも抉られている。想像するに、壮絶な戦いが起きたのだろうな……」
アダマンタイト──それは300年ほど前まで採掘報告のあった、魔法力を帯びた鉱石である。ほかのどの鉱石よりも頑強であり、ドラゴンの顎にも耐えうるという逸話が残っている。当時から非常に高価であり、それを全身に使った甲冑となると、非常に稀なものと言えるだろう。かく言う菊も、その生涯で目にしたことのあるアダマンタイトは純正ではなく、ほかの鉱石と混ぜてあるものである。その知名度は魔法族に限らず、非魔法族の間でも架空の鉱物として取り上げられることがあるほどだ。
どちらにせよ、この男が着込む甲冑は片田舎の魔法族が所持していたとは思えないほどに貴重で、頑強な、戦闘に特化したものなのである。
そんな硬い甲冑を抉るほどの攻撃を受けて尚、この男はここにいる。
この洞窟で、このドラゴンの住処で、彼の者の魂を縫いとどめている。
──なんと言う武勇か
菊は、日ノ本の武士は、戦いに従事するものの端くれとして、異国の戦士に深い敬意を抱いた。日ノ本の魔法族に流れる戦士の血筋が、あの強大な生き物にひとりで立ち向かったことに、そして目的を果たしたことに感服したのだ。
そして、菊は”
「──想いはまだ、ここに残留している」
「……ぇ?」
「体は溢れんばかりの魔法力に支えられて、まだ保たれているが時期に尽き果てるだろう。だが彼の想いは、彼の言葉は、いまだここに──」
アンジーの目が、
菊は
一方で菊は魔法力を剣に供給しながら、甲冑のそばに佇んでいた。体内からぐんぐんと失われる熱に涼しい顔で耐えながらアンジーを見据える。不安と悲壮、期待が複雑に混じった色でアンジーは地面に座り込む。体感で半分以上の熱──魔法力──が失われた時、ようやく剣に変化が現れた。
青白い幻想的な光が剣から溢れ出て洞窟内を照らす。あるところまで光が強くなった時、”
『アンジーは怒るかな』
「坊ちゃん……!」
洞窟の中でぼんやりと浮かぶ人のシルエットは徐々に明確な形を成し、やがてひとりの青年の姿を模った。地に座り込んだ赤毛の青年がは荒く息を吐いて目を固く瞑っている。周りには崩れた岩。どうやら不自然に洞窟内に空いた穴は彼が原因らしい。青年はぽつりと呟く。
『どうかアンジーが無事でありますように』
哀しみと恐怖、そして愛に満ちた顔で前を向く。土と血で汚れた顔で上を向く。天に空いた穴から注ぐ太陽の光を浴びて、青空を仰ぎ見る。晒された喉仏は産毛に汗が細かく付き、一本一本がキラキラと光っていて、まだ彼が生きているのだとその生命の力強さを伝えていた。身に纏うアダマンタイト製の比類なき頑健な鎧は既に破損し、だらんと下に下がった指先から内部で溜まった血がポタポタと滴っていた。見るからに満身創痍である。
傍には抜き身の剣が落ちていて、一戦を交えた直後であるのは容易に見て取れた。
青年はふうふうと荒い息を吐きながらぎこちない動きで腕を上げると、窮屈そうに指を首元にかけて金属のチェーンに通されたロケットペンダントを首元から乱暴に引き抜いた。そして血で赤く染まる右手で握り込んだロケットペンダントを額に当てて、哀しそうに、それでいてどこか幸せそうに口を開く。
『僕の愛するヒト、どうか幸せに』
「──ああ、あぁ、どうして……」
思わず、アンジーは地に座り込んだまま幻想に手を伸ばした。白磁の肌をツウと涙が伝う。烟るような金糸のまつ毛の奥から熱を持った何かが、やるせない気持ちと共に溢れ出る。ガーネットのようなぱっちりとした瞳から次々に溢れ出る涙をそのままに、彼女は顔を悲しげに歪めた。
──助けたはずの彼。
──逃げたはずの彼。
──……拒んだはずの、彼。
「どうして……どうしてあなたは、こんなわたしに……あなたの手を払ったわたしを……!」
岩肌に座り込んだアンジーは青年の意図を知って耐えきれずに慟哭する。逃げたと思っていた。助かったと思っていた。幸せを、願っていた。自分が犠牲になることで、あのドラゴンはきっと彼を追わないと思っていたから。わたしは彼を隠す呪いを込めて、代わりの指標となる彼の魔法力を帯びた指輪を屋敷の奥へと隠した。
あたかも、坊ちゃんがまだそこにいるかのように。屋敷を襲っては消えるドラゴンを不審に思ったこともある。まるで”タイムリミット”があるかのように慌てて火山の方へ飛び去る姿を、60年もの間、わたしは見送り続けてきた。
──ひとえに彼の無事を祈って。
だが、彼が60年前に、すでにここで力尽きていたとしたら。
アンジーは不意に、
青年は血に塗れた左手で乱暴にフェイスメイルの全面を閉じると、傍らに落ちていた剣に手を伸ばす。音が鳴るほどに強くグリップを握りしめ、膝に手を置いて、必死に立ち上がった。眼前に鋒が揺れる。彼の想いに呼応する形で揺れ、立ち上る魔力が剣に収束していく。
『もし、次の世があれば、僕は君に逢いにいく──』
おぼつかない足が地を蹴ったその瞬間、菊は魔力の供給をやめた。それは、彼女自身の魔力量と疲労が度外視できないラインに達したことも理由の一つだが、それ以上にアンジーの精神状態を考慮してのそれだった。
宙で掻き消える青年の残滓にそっと手を伸ばすアンジー。その背後から珍しく空気を読んで静かにしていたロックハートがゆっくりと、気まずげに歩み寄ってきた。放り出されたアンジーのケープを手元で畳みながら、涙を流す彼女の横に並ぶ。
「あー、その……なんだ、君のボーイフレンドは最後まで君のことばかり話していて……いい、人だったんだな」
「おまえってやつは本当に……ハァ」
「何だ! 最後まで言ってみろ!」
「デリカシーがないな」
「……すまない」
ロックハートのデリカシーのなさは共に過ごした数年間で身に染みるほどに理解している。それでも溢れた小言に、多少は自覚があるのか、彼はその大きな肩幅を少しでも縮めようと身をすくめた。
アンジーは泣き腫らした赤い目で菊とロックハートのやりとりをしばらく眺めていた。話がひと段落する頃には少し気分が良くなったようで、会話の応酬に笑みを口端に乗せながらロックハートの手にあるケープを受け取った。
「……もう大丈夫なのか?」
徐に立ち上がったアンジーがふらつくのを片手で支えながら、心配そうにロックハートが問いかける。奴は心底自分が好きで、他人のことなどどうでもよくて、性格も良くなくて。どうしようもない奴だけれど、根はいい奴なのだ。菊はロックハートのそんな善良な根本の性質を気に入っている。
「ええ。……まだ心の整理はついていないけれど、まずはここを出たいわ」
「すまないが、彼の身体はここに置いていく」
「……そう」
「案じるな。彼の魂はすでにここにない」
菊は菊なりにアンジーのことを励まそうとしているが、あまり効果が見られずにロックハートが天を仰いだ。慣れないことをするから、と。人に寄り添うことをしない菊がアンジーの心の
いつしか崩落した天井の穴から差し込んでいた光は消え、辺りはすっかり闇に覆われていた。
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今日から17時投稿!