Refrain - Welsh Dragon:Ddraig×Ddraig 作:桜咲く日に
新しい自分。
しかし、どこか、影を追っている。
ないはずの記憶を探しながら泣いている自分がいる。
見つからない人。
彼女は目の前にいるのに、もう会えない。
夜に鳴く。薄く光を注ぐ月に被る黒いもの。
悪魔とは、何者か。
蝙蝠の化身か。
それは吸血鬼だ。
では、その背に生える翼はいかに。
人を騙し、とりつく悪の象徴。
果たしてそれが悪魔なのか。
人は、悪魔をどう見ている。妖怪のように、幽霊のようにあやふやなものとして認識しているものもいる。
そんなイメージで記憶している。
しかし、目の前の存在が否定するだろう。
彼らも“生き物”に変わりはない。
「──悪魔、ですか?」
一誠は神妙な表情でリアスに問う。
若干薄暗い部室に、唾液を飲み込む音がした。
彼女──リアスは背もたれにかけていた背中を起こし、多少前のめりになりながら彼の眼を覗いている。
「ええ、悪魔。さっきからいろいろな単語があったでしょう? 眷属、契約。それに……あの堕天使」
黒い翼、宙を優雅に舞う姿。
殺気。
見た。堕天使を見た。
時折日常に影を見せている裏の者たち。しかし、人はそれに気がつかない。
一誠もまたそう。
知りえない。
ただ、心が赤い龍を覚えている。
記憶よりもずっと曖昧な認識。
それでも、知っていた気がした。
そして、再び。
懐かしさに視界を歪めるくらいには、感情を揺らして、その感覚をもう一度知る。
「平たく言えば私たちはあの堕天使の敵側とでも言えばいいのね。そこらへんは聖書でも読めばわかんじゃない?」
「部長、すこし適当になっています。ほら、足もしっかりなさい。だらしがないですわ」
読めば頭を痛める書物へ丸投げをしようとするのはどうだろう。
リアスは足を組み直し、息を吐いた。終始、面倒くさそうな彼女が真剣なそれになったかと思えばこのような有り様だ。
朱乃はリアスの足を右手の甲でピシャリと叩き、綺麗な姿勢へ正すように諭す。
リアスは顔をしかめ、文句を言いたそうに口元を尖らせるが、やがて諦めがついたように、こう口にした。
「ざっと言うわ。眷属ってのは貴族悪魔が従える従者みたいな感じね。下僕ともいうけど、私は好きじゃなくてね。後は契約は、悪魔がする人とのギブアンドテイク。魂を抜くとかいうけど、そんな事はしない。するとすれば、契約による奇跡でしか起こせないような事象ね。例えば死んだ息子を生き返らせるとか。まあ、そこは何十億払っても出来ないことをするわけだし、実際に何十億も払えば破産で死ぬだろうから、息子が助かるだけ得でしょう」
リアスは饒舌に説明する。
少し早めに動かされた口からはさっさと説明を終わらしてしまおうといった意図が汲み取れる。
そんなことは、今はいいじゃない、とでも言いたげで、先ほどから指を椅子の肘掛けにトントンと鳴らしている。
「ま、魂抜くとかしたことないけど」
そんな事を笑いながら話す彼女を見て、一誠は悪魔というものを認識し始めていた。
合理的。しかし、感情は豊かである。
死を恐れる。泣く。恨む。笑う。
おそらくは人より損得勘定が発達でもしているのか。
ただ、彼女らは、多分──聞くに及ぶ、人の認識内の存在とはかけ離れた人物であると、一誠は思う。
そこまで話を終えて、リアスは楽しそうな声音をあげた。
座椅子の肘掛けを両手で掴み、ずいっと身を乗り出している。
「そんなことよりさ、ねえ、見せてよ。なんかすっごいの持ってんでしょ? ドラゴンよね? ね? 初めて見るわあ! 朱乃!」
話を終えたあたりから、そわそわしていたのはこのせいか。
ドラゴンの神器は『龍の手』以外であれば、希少なものがおおい。
というよりも、名のある龍以外が神器となれば、龍の手となり、それ以外であれば名龍のものとなる。
彼女の反応は決しておかしなわけでなかった。
動物園に連れてこられた子供のような反応。
これが彼女の性格なのだろうか。
「部長、悪い癖が出ていますわよ。グレモリーの名において、少なくとも客人の彼の前でその態度はよろしくないんじゃなくて?」
「……な、なによ。はしゃぐわよ、私だって。……まだ、17なんだから。名前ばっかり重くて肩が凝るわ」
「また、そんなこと……。兵藤君。あなたはついさっき“神器”を初めて使ったという認識でいいのですか?」
朱乃が口調を窘める。再びリアスが身を乗り出しそうになれば、腕で遮り、ため息をつく。
先ほど、堕天使に対して仰々しい物言いをしていたリアスではないかのように、目を輝かせていた。
口調すらもどこか“素”に戻ったみたいに。
朱乃の質問に一誠は答える。
「は、はい。そう、ですね。……なんだか使い慣れているような感覚があるんです。それに──持っていることが当然というか、とにかく違和感がないんです。どうすればいいのか、もとから入っていた情報を引っ張り出せばいいような。……なにいってるか分かりませんよね」
一誠の困惑。
神器という単語すら、知っているような気がする。
分かってしまうのだから、仕方がない。
こうなると知っているだけなのだから、説明できない。
ただ、リアスにとってそれは僥倖である。
心の中で、盛大にガッツポーズを決め込むくらいには。
強い仲間が増えるのは、例え、どの種族であろうと等しく嬉しい。
強くなくとも、新しい仲間には心が躍る。家族が増える。
もしかしたら。
そんな気持ちに笑みを零してしまう。
「ふふ……ああ、ごめんなさい、気持ち悪かったわね。いきなり笑って。よし、兵藤く──いや、“イッセー”って呼んでもいい?」
悪魔笑みを浮かべていたリアスは、それに気づいたのか自重し、一誠に尋ねる。
『イッセー』
親しみを込めて、名を呼ぶ。
その、形いい唇から紡がれる名前。名前には呪いがある。
幾星霜。
どんなに変わっても。
また。もう一度、呼ばれる名前は、一誠でなく、“イッセー”で。
その時、一誠の目に影が指したような気がした。暗い影ではない。
『イッセーって呼んでいいかしら?』
誰かの面“影”だ。
「はい、そのほうがしっくりきます。──とても」
一誠は笑みながらそう、答えた。
どんな顔をしていたか、彼は覚えていない。
切ない。
なぜ、人は、別れを悲しむのだろうか。
再び会えた人が変わっていたら、嫌だろうか。
それでも会えたなら、きっと、笑うのだろう。
脳には、今も消えかけている笑顔がある。じわじわと、消されていく声がある。
心のそれさえ、世界に持って行かれる。
ただ、今は目の前の彼女の優しそうな顔を、声を“誰か”に重ねて覚えていよう。
忘れないように。
砂浜に描いた一つの絵は、波がくるごとに薄くなる。
いつか、必ず綺麗な浜に姿を戻す。
どこかの自分が叫んでいる気がした。
嫌だ、消えるなと叫んでいる気がした。
重なる何かと目の前の人。
今だけ、頭に描いて残してみよう。
今度は消えませんように。
時刻は既に7時を越えている。
春の夜はそれなりに冷える。
部室の窓から見える夜桜は、夜風に煽られ花を散らしていた。
◆
『……二つの意思を感じる』
赤い龍が腰を降ろしている。
尾をとぐろのように、前方へと持ってこさせ、そこに顔を埋めていた。
『少しずつ、薄れていく』
時計が針を進めるごとに、後ろにあった数字が墜ちていく。
それをひたすら、繰り返し、繰り返し。
ドライグは、夢を見ている。
よく、目の当たりにする。
不思議な感覚の夢。
残響。肺から全てが吐き出される。心臓に異常を確認。視界は血で染まり、よく見えない。
『相棒! 目を、目を開けろ!』
リンクしている体から、感じる冷たさ。俺の、相棒。
目の前で、泣いている女がいた。
綺麗な容姿を歪め、辛そうに泣いていた。
紅髪を涙で滲んだ頬にべったりとつけ、血でより染めた髪を相棒の顔へと垂らし。
とても痛そうだ。龍の俺がそう感じてしまった。
神経は仕事を止めようと脳に指令でも出されたか。あまりの苦痛に手をあげたか。
相棒から伝わる痛みは薄い。
もう、あまり痛くはない。
なだれ込んでくる感情。
怖い。
俺の感情ではない。
俺は恐怖を感じたことなどない。
認めたことなどないのだ。
しかし、相棒は恐れている。
みんなが死ぬことを恐れていた。
目の前の女が死ぬのを、心底。
その女の腕は片方しか残っちゃいない。千切られたように、無くなっている腕を庇おうともせずに、相棒を抱いている。
口元から血を吐いた。
もう、死ぬな。この女は。
何千と生きて分かったことがある。それは生き物の死ぬ時だ。
何万と殺して知った。
こいつはもう死ぬ。
万華鏡を覗いたような空が不快だ。
空を覆い、地を食い始めていた。
二匹の化物が殺し合い、反動が起こる。ありとあらゆる次元が破壊され、消され、そこに現れたのはこんな世界だ。
雲もない。太陽もない。
見えるのは、万華鏡だ。
黒い髪も、青い髪も、金の髪も。みんな、みんな寝ていた。
ただ、寝息はない。
黒い翼、白い鎧。
ああ、俺のライバルも消えたのか。
彼らの顔は安らかではない。憤怒や困惑、理解の範疇を超えたもの。様々な感情を面にだして、固まっていた。
死後硬直を向かえたのか、そのままに。
しかし、それも後僅かだろう。
万華鏡がそこまで迫っていた。
辛さは心を砕く。
神器というのは厄介だ。
こんな小僧の想いさえも俺は共感できる。
知りたくなかった。こんな辛いのならば。
ただ、こいつと見る夢は実に楽しい。こんな男に宿れたのは、なんの偶然だったのだろう。
逢えてよかった。
お前でよかった。
最期の時に。お前で。
ただ……わがままを最期に言ってもいいか? 相棒。
次があるのなら、二度、三度。
俺は──、
──お前がいい。
体が一瞬、宙に浮いた。
体を支えていた力が失われる。
相棒の目がこれを映せないで良かった。いや、わかっているのだろう。それでも。
彼女の最期を見なくて良かった。
既に、色とりどりな髪色はない。
目の前まで迫る万華鏡に、息をつく。諦め。
もう、眠ろうか、相棒。
俺は、目を閉じる。
しかし、その瞬間、紅の鱗が過ぎった気がした。
ドライグは感じている。
これは一つの心。
もう、一つは“今まで”の自分とそっくりである。
同じ。
しかし、今の彼は違う。
何かが混ざり合い、そして生まれた一つの人格。
『──懐かしく、辛く。これが、相棒との記憶だとすれば』
終わりが来るのか。いつか。
『夢が短くなっている。溶けていくように、失われているように』
忘れるのだろうか。
ドライグはこの夢を、伝えることはしない。
壊れかねない、想いなら。
なくしてもいいじゃないか。
もう、会えない人を想って意味はあるか?
これが、ただの夢見の暴走で、ありえない事を映す夢の一つならどれだけ楽になるのか。
ドライグは、己をごまかした。
『もう、見たくはないな』
本を閉じ、本棚の奥に仕舞い込むように、記憶を閉じた。