大地を駆ける一筋の流れ星   作:Red October

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射干玉を一発で読めた方は、古典に精通しているか、もしくは植物マニアではないかと思います。
射干玉とはヒオウギの実のことで、古典で用いられる枕詞としては「黒い物」を意味します。そして同時に、不吉な物事をも意味します。

宝塚記念で「不吉な物事」、さらに京都レース場にて開催という時点で、もう何が起きるか分かった方が多いと思います……



Act.015. 雨滴(したた)る京の射干玉(ぬばたま)

 皆様、ごきげんよう。シルヴァーブレイズですわ。

 あの新人戦から既に2週間ほどが経ち、6月も下旬になりました。相変わらず雨の日が多い季節が続いています……私にとっては苦手な季節ですわ。いえ、雨の中での競走自体はどうということはありません。重バ場だろうと何でも来いですわ。ただ、雨降りの夜を過ごすのがどうにも苦手で……以前に保健室で見たあの悪夢ばっかり見るのです。いったい何故でしょうか……。

 それはそれとしまして、私は、いえ、私たち《シリウス》部員一同は今日、学園を出て京都レース場に来ております。何故かって? 6月下旬といえば、何となく分かるでしょう。そう、「宝塚記念」です。これにライスシャワー先輩とゴールドシップ先輩が出走するので、応援に来ているのですわ。

 「宝塚記念」は本来、阪神レース場で開催される競走なのですが、実は今年は阪神レース場が工事中でして、京都レース場での代替開催となりました。なので私たちは京都レース場に来ているのです。

 

「すまないが、今日はさすがに俺も『応援している』とは言えない。2人とも、互いに全力を尽くして走ってきてくれ。俺から言えるのはそれだけだ」

「うん…! それじゃ、行ってくるね…!」

「よっしゃ! 世界を真っ赤に染めてくるぜ、見てろよ見てろよー!」

 

 先輩方を見送り、私たちは観客席へと移動することになりました。

 上半期の総決算というべき競走だけあって、お2人の先輩方の他にもワシントンダンサー先輩、スノウインハザード先輩などなど実力者が揃っております。先輩方の勝利を信じるだけですわ。

 

 いつでも、どんな競走でも、やはりGⅠの時の雰囲気は別格ですわね。何というか、観客席全体が異様とも言える熱気に包まれています。特に今回は、人気ウマ娘投票を事前に行い、選ばれた者だけが出走できる特別な競走。そのためか、人気ウマ娘投票券(見事的中すれば、対象となるウマ娘に関連する商品を買う時に割引してもらえますの)を握りしめて祈る者、目をキラキラさせて会場を見渡す者、いろいろな反応が見られます。

 出走となればこの熱気の矢面に立つわけです。その背中にかかる重圧は如何ほどのものか……それを重しと感じるのではなく、力に変えれば良いだけの話なのですが、これが意外と難しいんですよね…。

 そんな熱気は、二度最高点に達します。一度目は、競走が終わった直後。そして二度目は、gate に入る時ですわ。

 

『票に託されたファンの夢。思いを力に変えるグランプリ・宝塚記念!』

 

 熱狂の中 fanfare が鳴り響き、ウマ娘の皆様が枠入りしていきます。そして、競走が始まりましたわ!

 

『スタート! 各ウマ娘好スタートを切りました!』

『これは位置取り争いが熾烈になりそうですね!』

『2番人気のゴールドシップは後方からのレースになりました。1番人気のライスシャワーは中団やや後方! ここからどう動くのでしょうか!』

 

 どうなることやら…できることは、お2人が輝かしい成績を収めることを祈るのみ。何ともじれったいというか、もどかしいですね。

 そのまままんじりともせぬ時間を過ごすこと片時、もうすぐ集団が 3rd corner へ差し掛かろうとしていますが……何故でしょうか、さっきから何やら不穏な気配を感じます。いったい何故……? こんな感覚、これまで感じたことがないのに。しかも、その気配が少しずつ強くなってきています。

 これは、何が起きるか分かったものではありませんね。備えておかねばならないですが、さていったい何が起きるというのか…。

 …ん!? 気配が急に一際強くなった!? 同時に、何か細長く固い物が砕けるような感覚が、脳内に…っ!

 まさか……怪我ですか!? だとしたら、もしや走っている方の誰かが…!?

 その瞬間でした。3rd corner の中間辺りから、メキッという嫌な音が聞こえたのです!

 この固いながらもどこか有機的な感じのする音は……まさか骨折ですか? ならば、さっきの細長い物体が砕ける感覚とも一致します!

 いったいどこから…あ、あれはっ!

 私の目に見えたのは、あろうことかライスシャワー先輩が明らかに不自然な格好でふらつく瞬間でした。しかも、少しずつ走る速度が落ちている……まさかライス先輩に、骨折が発生したというんですの!?

 その時、不意に私の脳裏を過ったのは、見たことがないはずなのに何故か見覚えのある光景でした。この京都レース場と同じように多くの観客が集まった、芝に覆われ柵で囲まれた地。観客たちが上げる悲鳴やうめき声。聴いたことのない、しかし明らかに苦鳴と分かる名状しがたい声と共に芝の上でのたうちまわる何かの姿、それを囲む数人の人間。そのうちの1人がおもむろに取り出したのは、小さな黒い物体。それがのたうちまわる何かに向けられ……

 

 鋭く響く、ドンという破裂音。鼻につく、嗅ぎ慣れない嫌な臭い。立ち昇る一筋の白い煙。

 そして何かは、すぐに静かになる……

 

 

 ……させるものか。

 絶対に、何としても、死なせない!!!

 

 

『おっとこれはどうした!? ライスシャワーだ! 16番ライスシャワーどうした!?』

 

 実況の声が響いたと同時に、《シリウス》の西(さい)(ごう) (ひで)(あき)トレーナーが血相を変えて立ち上がった。

 

「ライス…!」

 

 西郷トレーナーはもちろんだが、メジロマックイーンも何が起きたか瞬時に気付いた。

 彼らは、"それ"を間近で目撃したことこそなかったが、知識としては知っていた。ライスシャワーに故障が起きたに違いない。

 

「トレーナーさん、救急車を!」

「ああ!」

 

 メジロマックイーンが叫び、すぐさま西郷トレーナーがスマホを引っ張り出す。その直後、カルンウェナンの声が響いた。

 

「何してんのブレイズ!?」

 

 そこには、今まさに柵を乗り越えようとしているシルヴァーブレイズの姿があった。

 まだジュニア級の成長途上とはいえ、本格化を済ませたウマ娘である。その身体能力は、ヒトに比べれば高い。サニーウェザーやメジロマックイーンが反応できずにいる間に、シルヴァーブレイズはあっという間に柵を乗り越え、ターフに飛び降りた。着地と同時に膝を深く折り曲げ、衝撃を最大限に吸収する。さらに両手もターフに付ける…まるでクラウチングスタートのように。

 そして、シルヴァーブレイズは一気に飛び出した。ウィナーズ・サークルがある辺りを風のように駆け抜けたかと思うと、外ラチをスライディングでくぐり抜ける。そして、ペースも何もかもを一切無視した全速力でコースの大外を走り、ライスシャワーの元へと向かっていく。本来なられっきとした競走妨害行為であり、ウマ娘ならば本能的に拒否感が出るはずだが、シルヴァーブレイズは全く躊躇なくそれを実行していた。

 いち早く飛び出したシルヴァーブレイズに続き、ようやく《シリウス》の面々が動き始める。こういう現場を生で見たことがなく愕然としたサニーウェザーや、脚に繋靭帯炎という爆弾を抱えているメジロマックイーンは動けなかったが、西郷トレーナーや他のメンバーが、シルヴァーブレイズを追いかけて走り始めた。

 

「ブレイズ、速いって…!」

 

 カルンウェナンが呟くのを聞きながら、西郷トレーナーはふと感じた。頭の中はライスシャワーのことでいっぱいのはずだが、ほんの片隅だけ、違うことを考えたのだ。

 いくらいの一番に飛び出したとはいっても、ジュニア級のこの時期にしてはシルヴァーブレイズの脚が速すぎないか、と。

 

 

 距離が遠いし、制服だから走りにくい……知ったことか! 1秒でも早く、1歩でも前へ!

 私の左横を、勝負服を着た先輩方が次々と駆け抜けていきます……すみませんが今は非常事態です、大外を通るくらい許してくださいまし!

 最後の1人が通りすぎていったのをちらりと確認し、corner の内ラチ側まで踏み込んで一直線に先輩のところへ!

 

「ライス先輩っ!」

 

 先輩はまだ止まってはいない……走りを見る限り左足を接地した時に不安定な姿勢になっている…折れたのは左か!

 芝を強く踏み込み、先輩を真正面から受け止めるべく踏ん張る体勢に……!

 

「…っ!」

 

 衝突…いけない、思ったより勢いが強い! 多少の減速はあるだろうと考えたのは早計か!

 そんなことを考えている間に、既に私の身体は芝に向かって後ろ向きに倒れ始めていました。とにかく折れているだろう左足を地面につけないように、何とか私の右手で支えて…っ!

 

「ぐうっ!」

 

 背中から地面に叩き付けられ、さすがに苦鳴を殺しきれませんでした。背中が痛い…知るか! 先輩の痛みに比べればこんなもの!

 左足は…支えられてる。勢いは…まだ衰えてない! このままでは外ラチへの激突もあり得る…ならばっ!

 考えたのは一瞬。迷いなどない。先輩を抱き抱えていた左手を離し、芝に突き立てる!

 

「つあっ……!」

 

 5本の指先から一斉に頭まで駆け上がってくる疼痛……おそらく左手の指はひどいことになるでしょうね。そんなの知るか、ぶつかる前に止まれれば良い!

 

(止まれ……止まれ止まれ止まれ!)

 

 必死の祈りが功を奏したのか、外ラチから5 yards と離れていないだろう辺りで何とか止まれました。間に合った…!

 

「ブレイズ! 左足を地面につけるな!」

「言われなくったって分かってますわ!」

 

 Trainer さんに叫び返した時、私の上に乗っかっているライスシャワー先輩がぴくりと動きました。

 

「うぅ……ブレ、イズ、ちゃん……?」

「ライス先輩、無理に話さなくて結構ですわ。救援の到着まで、しばしお待ちを!」

 

 …本当のことを言えば、実はライス先輩結構重いのですが……この際それはどうでもよろしい。

 1時間も待ったかと思えるような長い時間(のように感じましたが、実際はもっと短かったでしょう)の後、やっと救援が来てくれました。救急隊員がライス先輩を担架に乗せ、救急車へと運んでいく中で、trainer さんが私の肩を叩いて一言。

 

「ブレイズ、君も一緒に行くんだ」

「私が、ですか? 確かに背中は打ちましたけど、そんなに重傷とは……」

「その左手は流石にダメだ」

 

 言われてやっと思い出しました。ちらりと左手を見ると、そこには指に付着した土と芝に混じって鮮血が滴るとんでもない光景が……。

 

「あうっ!」

 

 そしてすっかり忘れていたところから不意に襲ってきた疼痛に、うめき声を抑えきれませんでした……。

 

「擦り傷と打ち身くらいで済むだろうとは思うが、念のため検査を受けた方が良い。君もライスと一緒に行きなさい」

 

 口調は優しかったですが、有無を言わせぬ圧力をかけられては仕方ありませんでした。

 救急車に乗る直前、最後にちらりと見えた光景は、京都レース場の芝に点々と落ちた赤い水玉模様、そして深く刻み付けられた5本の線状の細い溝でした。……今更ながら、そんなに必死だったのですね、私。

 

◆◇◆◇

 

「精密検査の結果ですが……異常無しですね。背中を中心とした打撲と、左手指腹部の擦過傷の他は、特に異常は認められません。

ただ、破傷風にだけは注意した方が良いですね。念のため予防的治療をさせていただきます」

 

 医師の診断は、一言でいえばそれだけでした。そして「破傷風の予防的治療」という名目で、vaccine 入りの注射を打たれる羽目になりました……。

 ちょっと前に脚に knife を刺されかける悪夢を見たばかりだというのに現実でこれとは、気分は最悪ですわ……。

 概ね異常無しという診断結果を喜ぶ余裕もなく、私は緑色に汚れた制服もそのままに現在手術室の前に座っております。もちろん、ライスシャワー先輩の手術の結果待ちですわ。

 私の側には trainer さんも座っておりますが……

 

「ライス……無事でいてくれ……」

 

 目を閉じ、両手の指を顔の前で絡ませている辺り、明らかに憔悴していますね。そっと席を立った私にも、全く気付かないくらいに。

 私が向かった先は、近くにあった飲料の自動販売機。なけなしのお金ではありますが、汁粉と紅茶を選びました。もちろん紅茶は自分用ですわ。

 

「Trainer さん」

「………」

 

 呼びかけただけでは反応しなかったので、肩を叩く羽目になりましたわ。

 

「……どうしたブレイズ?」

「これ、どうぞ」

 

 訝しげに顔を上げた trainer さんに、有無を言わせず汁粉の缶を突き付けます。

 焦ってばかりでは、生産的な行動はできません。ここらで一旦気分を入れ換える必要があります。そういう場合には、甘い物がよろしいでしょう。

 

「…おしるこ? 何で…」

「指の痛みについ気を取られて、間違えて買ってしまいまして。もったいないので trainer さんに差し上げますわ」

 

 ……自分でも分かりますわ、なんという三文芝居だろうかと。

 

「……すまん。ありがとうブレイズ」

 

 それでも私の心中を察したのか、trainer さんはちゃんと汁粉を受け取ってくださいました。私も隣に座り直し、紅茶の容器の蓋を開け……ようとして四苦八苦する羽目になりました。包帯を巻いてもらったのはありがたいですが、そのせいで左手の利便性が大きく減ってしまっているのです。

 どうにか蓋を開けて飲みましたが、流石に既製品は駄目ですね…。大量生産している代物ですから、大衆受けする味にしてあるのは間違いないでしょうが……自分で淹れた方が美味しいですわ。これは何というか、味に深みがないです。帰ってから飲み直すとしましょう。

 

「……甘い」

「気分転換になりましたか?」

「ああ。少しだけ心が軽くなった。ありがとう」

「それは何よりでした」

 

 とりあえず、多少の気分転換にはなったでしょうか。Trainer さんの顔色も少し良くなりましたし。

 

「そういえば、ブレイズ」

「どうなさいましたか?」

「ライスシャワーが怪我した時…自分の身体を張ってでも受け止めようとしていたよな? それに、俺に言われなくても怪我をした左足を地面につけないように抱えていた…あれは全て、とっさにやったことなのか?

言ってしまえば失礼だが、君はまだジュニア級だ。経験も何もかも十分とは言えない。そんな中で、あれほど的確な対処ができていたのは驚きなんだが」

「ああ、あの時ですか。あの時は何といいますか…身体をほとんど無意識に動かしていましたよ。ただ、頭の片隅ではちゃんと考えていました。どうするべきなのかということを」

「そうなのか?」

「はい。土壇場を乗り切るのは、冷徹な計算の上に立った捨て身の精神です」

「じゃあ、君の左手の怪我も…」

「一応、織り込み済でした。…実際に左手を芝生に突き立てて勢いを殺すことになるとは思いませんでしたが」

 

 あの刹那の間にいろいろと考えられていたのは、自分でも奇跡だと思いますわ…。

 

「そこまで考えていたのか……」

「敬愛する先輩を、死なせる訳には参りませんでしたので。目の前で死なれるなんて、寝覚めが悪いどころの話じゃないですわ」

「……優しいんだな、君は」

「いいえ、誰でも思って当然のことでしょう」

 

 その時、「手術中」の表示が消えました。そして扉が開き、医師や看護師がぞろぞろと出てきました。

 

「貴方が、ライスシャワーさんのトレーナーさんですか?」

「はい、そうです」

「ひとまず、ライスシャワーさんの手術は成功しました。まだ麻酔が効いていて眠っていますが、命に別状はありません」

 

 ……命を救えたことだけは幸いでしたわ。ただ、あの怪我の感じから考えて、競争ウマ娘生命は断たれたかもしれないですが……。

 

「細かい説明は別室の方でさせていただきます」

「分かりました。ライスシャワーの命を救ってくださり、ありがとうございました」

 

 医師に頭を下げた後、trainer さんは私を見てこう仰いました。

 

「俺は今から説明を聞いてくる。ブレイズ、君は学園に戻りなさい。

君も怪我をした身だ、そろそろ帰って休んだ方が良い。それに、サニーウェザーが特に心配していると思う……顔を見せて、無事だって言ってきなさい」

「承知致しました。それでは、私は失礼いたします」

 

 やっぱり優しい方ですわね trainer さんは。今回はお言葉に甘えるとしましょう。

 病院を出てからふと気付いて、携帯電話を取り出してみると、大量の不在着信が……。この番号は、サニーさんからですね。

 

「もしもし、サニーさん?」

『ブレイズちゃん! 大丈夫なの!?』

 

 声の感じからして、完全に心配しておられますね。少々気の毒なことをしてしまいました…。

 

「私は大丈夫ですわ、ちょっと背中を打ったのと左手の皮を擦りむいただけです」

 

 実際には、背中にベタベタと湿布を貼られているんですけどね…。

 

『良かった……ライス先輩は?』

「ついさっき手術が終わりまして、今 trainer さんが医師から説明を聞いておられますわ。とりあえず命には別状はないそうです。

私は一足先に戻るよう言われましたので、これから学園に戻ります」

『よ、良かった……ブレイズちゃんも、大丈夫そうで本当に良かったよ……』

「ご心配をおかけしてすみません。それでは、今から帰りますので少々お待ちくださいませ」

『うん、待ってるよ! あ、宝塚記念はゴルシ先輩が勝ったよ。でも祝勝会ってムードじゃないね』

「それはそうですわ、敬愛する先輩が大怪我したんですから。それでは、私は一旦失礼しますね」

『じゃ、後でね!』

 

 さて…帰るとしましょうか。いろいろあって、流石に私も疲れてしまいましたわ。

 

◆◇◆◇

 

 結局、trainer さんは話にだいぶ時間がかかってしまったようで、私たちがライスシャワー先輩の容態を聞くことができたのは翌日になってからでした。

 診断名は「左足関節開放脱臼」「左脛骨骨折」という代物で、しかも脛骨の方はあと少しで粉砕骨折に至るというかなりの重傷だったそうです。そして trainer さんは明言しませんでしたが私はそれを聞いて確信しました、あの敬愛する先輩はもう走れないのだろうと。

 できることなら公式戦の場でライス先輩と戦いたかったですが、果たせぬ夢となってしまいました……。ならば仕方がありません、先輩が受けるはずだった分の祝福まで、私が受け継がなければ。

 それと、今日からは少し脚の柔軟性を高める練習をしておかなければならないでしょう。ライス先輩は確かに優秀な競走ウマ娘でしたが、柔軟性に乏しい様子がしばしば見られました。もしかすると、その柔軟性の乏しさがあの骨折の一因となったかもしれません。考えられうる危険性は、できる限り早期に対策しておかねばならないでしょう。

 

 ライスシャワー先輩の怪我の件で心が乱れたからでしょう、本日の練習はやはり荒れ模様となりました。皆様あまり集中できておらず、細かい失敗を連発しております。まあ、仕方ないことではあります。あれを聞かされては、平静でいるのは難しいでしょう。かくいう私も、走りが乱れておりました。私たちの心の乱れを察して、trainer さんも今日の練習は早めに切り上げられました。

 ライス先輩の意識が戻ったら、お見舞いに行くとしましょう。それはそれとして、急にできてしまった暇をレース場の研究にでも当てようかと、部室のPCを立ち上げた私の目にはとんでもない物が飛び込んできました。

 先日の「宝塚記念」で発生したライス先輩の故障……その記事に付けられた読者感想の一部に、こんなことが書いてあったのです。

 

『ヒールに罰が当たったか?』

『無敗三冠や春天三連覇を阻止してきたしなぁ』

『何らかの形で因果って巡るもんなのかね』

 

 ……これはどういうことでしょう?

 ライス先輩が悪役(ヒール)? 祝福の名前を持つ、あの心優しい先輩が、何故そんな悪役呼ばわりされねばならないのです?

 さらっと調べてみると……だいたい分かりましたわ。どうやら、観衆の期待を裏切る結果を叩き出したかららしいですね。ミホノブルボン先輩の無敗三冠、メジロマックイーン先輩の「天皇賞(春)」三連覇…いずれも前バ未到ともいえる大記録でした。観衆としては、この大記録が達成される瞬間を見たかったのに、それをライス先輩によって邪魔された、ということのようです。

 何ということを……期待をかけるのはそちらの勝手でしょうに。勝手に期待して勝手に裏切られたから悪役呼ばわりなんて、そちらの方がよっぽど罰当たりの所業でしょう。

 それに、如何なる事情があれど勝者は勝つべくして努力を重ね、競走の際には知恵と力の限りを尽くしてなおかつ運も味方につけていたはずです。そうして勝った先に得られたものが批判? 全力を尽くした結果が悪役呼ばわり?

 

 

 手前勝手なことを……上等ですわ。

 

 もしも時が来たならば、記者会見の場でも何でも使ってはっきり宣言してやりましょう。「勝者への祝福を忘れた者に観戦者たるの資格無し!」と。

 それと、ライスシャワー先輩は悪役(ヒール)には相応しくありませんわよ。だって「ライスシャワー」とは、祝福の象徴なんですから。

 皆様ご存知かもしれませんが、「ライスシャワー」とはキリスト教式の結婚式において、新郎新婦に米を振りかける祝福の行事のことを言います。そんな大事な名前を…祝福を受けるべきでしかない名前を持つライスシャワー先輩は、悪役になど向いておりません。

 むしろ悪役なら、もっと適任の者がいるでしょう。どこにって? ここに、ですわ。そう、他ならぬこの私です。

 私の名はシルヴァーブレイズ、白銀色の大流星。流星とは誰かの命が消えようとしている証、すなわち死兆星。悪役によっぽど相応しい名前ではありませんか?

 世の中には「名は(てい)を表す」という言葉があります。その言葉に従うならば、悪役たるは私1人で十分でしょう。ライス先輩に向けられるはずだった批判でも何でも、全て1人で背負って宇宙の果てまで持っていってやりましょう。

 

 

 シルヴァーブレイズが密かな決意を固めていた頃、第四トレーナー室にある自身のデスクにて、西郷トレーナーは派手なため息を吐いていた。その原因はもちろんライスシャワーの故障である。しかも、医師からは現役復帰は絶望的だと明言されていた。命があっただけでもめっけもの、とのことである。

 西郷トレーナーの脳裏には、医師に言われたとある内容が反芻されていた。

 あの日、ライスシャワーの診断結果と、彼女の競走ウマ娘としての復帰が絶望的である旨を伝えた後、医師は確かにこう言ったのだ。

 

『最後に……ライスシャワーさんの怪我ですが、もっとひどくなっていた可能性が高かったと思います。彼女がいなければ、高い確率で粉砕骨折に至っていたでしょう』

『彼女、とは…?』

『手術室の前で、トレーナーさんと一緒にいたあのウマ娘の方です。制服の背中に芝の緑色が移っていたところから見て、彼女がライスシャワーさんを止めたのですよね? 彼女の献身がなければ、さらに重傷化していた可能性が高かったと思われます』

 

 つまるところ、どうやらシルヴァーブレイズのおかげでライスシャワーの怪我を「よりマシ」にできた、ということらしい。

 

(ブレイズには感謝しかないな……。

さて、こんな大怪我が起きてしまった以上、今年は夏合宿は中止すべきかねぇ……)

 

 意識を切り替え、西郷トレーナーは今後の予定を考え始めた。

 夏という季節は、ウマ娘とトレーナーにとって重要な時期だ。学園も夏休みに入るため、高負荷のトレーニングを集中的に行って身体を鍛えるチャンスなのである。

 この大事な夏、トレセン学園の各チームの行動方針は2つに大別される。1つは、強化合宿。地方のトレセン学園(ハルウララの在籍する高知トレセン学園や、オグリキャップが在籍していたカサマツトレセン学園など)、各地の合宿用宿泊施設その他の施設を利用し、トレセン学園を離れてトレーニングに明け暮れるというものである。もう1つはトレセン学園に残り、普段と同様にトレーニングを行う途である。学園にいるチームが減少するため、普段より学園の設備(特にプールやライブ用スタジオ)を使いやすい。

 

 そして、合宿期間中であろうとレースは開催される。有名なのは「サマースプリントシリーズ」と呼ばれる重賞短距離レース、その他に……

 

(サニーはもう少しトレーニングを積んでから、1勝クラス条件戦に出していくのが良さそうだ。逆にブレイズは、怪我が治った時点で次のレースに出すこともできるかもしれない。

ブレイズは、本質的にはステイヤーで間違いないな…。芝、ダートとも短距離はてんでダメ、マイルも1,600メートル辺りから何とか、ってレベルだ。だが、こと芝の中・長距離についてはいいタイムを出しているし、何より入学時点でG1ウマ娘相手に3,600メートルを逃げられるスタミナがある。どう考えても、あの娘はステイヤーだな…)

 

 そう考えつつ、西郷トレーナーは机の引き出しから紙を1枚取り出した。レースの宣伝ポスターらしい。

 

「夏の時期に走れる長距離レースっていったら、代表格はこれだ。上がりウマ娘たちが叩くことも多いレースだが、ブレイズの実力なら対抗できるはず…。

1勝クラスを突破した上でブレイズがその気なら、ここら辺で力をちょっと試してみるか…」

 

 口に出して呟く西郷トレーナー。

 その手に握られたポスターに書かれた内容は、こんなものだった。

 

『種別:2勝クラス条件戦

発走日時:8月2日 14時25分(第9R)

開催場所:札幌レース場

レースコース:芝2,600メートル(右)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2ⅩⅩⅩ年度 レース開催のお知らせ

レース名:阿寒湖特別』




史実では、モデルとなった宝塚記念ではナリタタイシンが走っていますが、この世界では既に「トゥインクル・シリーズ」を引退しているため、彼女の枠にゴールドシップが入って勝った、という感じです。
シルヴァーブレイズが見た、「見たことがないはずなのに何故か見覚えがある光景」とはいったい何だったのか……。

あと、最後に出てきたレース名を見て「あっ…」と思った、もしくは声を出した人は、速やかに人気ウマ娘投票券にシルヴァーブレイズの名前をマークして出しなさい。単勝以外は認めません。


それでは次回予告を…あれ、誰も来てない? と思ったら、「これを再生しろ」とメモ書きの貼られたタブレット端末が置いてある…? この動画を再生すりゃ良いのか? ポチッとな…。

『ピスピース! 今回はアタシ、ゴルシ様が次回予告してやるぜ!
宝塚の舞台はアタシがせしめてやったけど、ライスの奴大丈夫かな…。目ぇ覚めたら、煮干しでも持ってってやろうかな。
それはそれとして、まーたブレイズが走る気みたいだぜ。ってことで、ちょっと時計の針を「右回り◯」してやんよ!
次回「北の地から愛を込めてーーWelcome to Lake Akanko.」 飛行機のチケット忘れんなよな!』

…いや北海道まで見に行けるほど皆さん暇じゃないだろ!?
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