「勝った、か……」
GⅠ競走「朝日杯フューチュリティステークス」が終わった直後の阪神レース場。
観客席の最前列にて、シルヴァーブレイズの勝利が確定した瞬間、チーム《シリウス》の
かなり緊張を強いられた一戦だった。何せ作戦通りとはいえ、ブレイズは最終盤まで後方にいたのだ。届かないのではないか、と思われても無理のない位置取りをしていたのだから、見ている側もはらはらするというものである。
「うそ、そんな…!? マーキングが少しキツかったとはいえ、アダチが、負けた…?」
反対に、チーム《エレクトラ》の
「大したものですわね……。重バ場なのに凄まじいばかりの末脚で大外一気の差し切りなんて、強いとしか言えないレース運びですわ。それも初G1にしてレコード勝ちなんて……」
メジロマックイーンが手に持つストップウォッチには、「00,33,59」という数字が表示されていた。33秒6。それが、今回のレースにおける、シルヴァーブレイズの上がり3ハロンのタイムである。自己ベストを更新するタイムであり、タフな重バ場で出せるタイムとしてはかなり早い方である。
後で調べてみたら、当然のように、今回出走していたウマ娘たちの中では最速の末脚だった。次点がアウダーチの34秒1であるのを見ても、ブレイズの末脚が頭ひとつ以上抜けているのが分かる。
「彼女の成長がより楽しみになりましたわね、トレーナーさん。彼女なら、来年のクラシック戦線でもきっと良い成績を出してくれますわ」
「っ!…ああ、そうだな」
物思いに
「さて、彼女を迎えに行くとしよう。勝者インタビューも受けないといけないしな」
「そうですわね。サニーさん、行きますよ」
「あ、はい!」
ウィナーズ・サークルへと歩き出す《シリウス》一同。
歩きながら、西郷トレーナーは考えていた。
(期待はしていたけれど……シルヴァーブレイズのレースパフォーマンスはそれ以上だ。コーナリングがまだ少し甘いが大筋では及第点、ピッチ走法のフォームも問題無し、緊張とあの早いペースの中でも動じずに己のレースを展開できる冷静さもある。大外へ持ち出すタイミングも良い感じだった。そしてあの末脚……いつもながら、彼女には本当に驚かされる。あの素質は、冗談抜きに底知れない。
本当に経験の足りん俺なんかで、彼女を十全に活躍させてやれるのだろうか……?)
その西郷トレーナーの背後で、相原トレーナーは膝から崩れ落ちたままだった。
一方、スタンドの別の一角。
「テメーの賭けは当たったみてぇだな、フェスタ」
「アンタだって、この結果は予想できてただろ、リョテイ。でなきゃ、どいつもこいつもどこに目ぇ付けてんだ、なんて言うかよ」
本人たちは仲が良いとは認めようとしないが、他人から見ると仲良しにしか見えない、そんなやり取りを繰り広げるキンイロリョテイとナカヤマフェスタ。
「あそこで飛ぶとは思わなかったがな」
「全くだ、シビれたぜ。
まあとりあえず、これでブレイズが強いってことは証明できた訳だ。その強さがどこまで通じるかだな。
さて……GⅠ勝利祝いに、あいつにたい焼きでも奢ってやろうかな。普段楽しませてもらってるからな」
「楽しませてもらってるってフェスタ、テメー中等部生になんてもん教えてんだ」
リョテイは真顔でツッコミを入れた。
どうせフェスタが教えるものなど、ドンジャラかポーカーかチンチロリン辺りに決まっている。そこにゴールドシップが居合わせようものなら、もうカオスでしかない。
「安心しなリョテイ、別にヘンなことは教えてねーよ。見届け人やってもらってるだけさ」
「それを教えてるっつーんだよ。そしてその優勝祝いのたい焼き、どうせカラシ入りロシアンルーレットだろうが」
「バレてたか」
「後輩にんなもん送ってんじゃねーよ!」
青筋を立て始めるリョテイであった。意外かもしれないが、何だかんだ彼女には常識的な部分があるのである。
その一方で、リョテイは脳の片隅に残った冷静な部分でこう考えていた。
(あのブレイズの末脚……どう見ても、ただの脚じゃない。あの感じだと、おそらく上がり3ハロンのタイムは33秒台。こいつは、クラシックレースとかシニア級のGⅠとかで出るようなタイムだ。名トレーナーの指導があったとはいえ、そんな強烈な末脚をジュニア級で出すのは、とんでもない素質持ちの証だ。
この分だと……)
リョテイは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
(俺やフェスタやゴルシどころか、テメーも危ねーぞ、オル。"王者"のカリスマに慢心してたら、足元掬われてその頭の王冠叩き落とされるぞ、そしてあいつは「死兆星」呼ばわり待った無しだ)
そして東京中央病院にて。
「推しのアウダーチが、最後の最後で抜かれるなんて……」
「嘘だろ……マイルじゃめっぽう強かったあの娘がか?」
周囲の呟く声を聞いて、ライスシャワーは思った。
(この空気、あの時に似てる。ライスがブルボンさんを破った、あの菊花賞の時に…!)
確かに空気感は、菊花賞後のウイニングライブの時と似ている。あの時ほどあからさまかつ剣呑ではないが。
(でも、あの時とは違う。だって、ブレイズちゃんは強い子だし、それにライスが応援してるんだから…!)
画面の中で観客に手を振るシルヴァーブレイズの姿を見て、ライスシャワーは安堵の表情でそっと目を閉じた。
(優勝おめでとう。良かったね、ブレイズちゃん…!)
その頃のパブ「止まり木」では、
「やった! 嬢ちゃん勝ちよったぜ!」
「レコード勝ちなんてやるじゃないか! さすが、マスターの誇る看板娘だな!」
「しっかし強かったな。大外からあんな豪快にごぼう抜きするたぁ思わなかったぜ」
常連客も大騒ぎである。その喧騒がマシになってきたタイミングを見計らって、マスターが厳かに宣告した。
「ご来店中の皆様にお知らせがごさいます。
シルヴァーブレイズの朝日杯フューチュリティステークス優勝記念と致しまして、ただいまより16時30分まで、ブレイズ監修の紅茶、並びに彼女直伝レシピによるアップルパイにつきまして、タイムセールを行います。対象メニューは単品一律20%オフ、セットは30%オフでございます。こちらにメニュー表を用意しましたので、ぜひご活用ください。この機会に、看板娘自慢のアップルパイを是非ともご賞味くださいますよう、よろしくお願いいたします」
メニュー表をわざわざ用意してある辺り、どうやらシルヴァーブレイズの優勝を予想していたらしい。
とたんに店の中が沸き立った。
「おうおうマスター! ずいぶん
「メニュー表回せ! アップルパイと紅茶のセット割だ! こいつはお得だぞ!」
「マスター、アップルパイとローズヒップのセットで! あ、カスタードクリーム増し増しな!」
「あっ、抜け駆けしやがったな! なら俺は、アップルパイとダージリンのセットで頼む、紅茶にレモン付けてくれ!」
「家族で来てたんですが、アップルパイってホールで頼めますか?」
「はい、今回のタイムセール中に限り、ホールでの注文を受け付けますよ」
「では、ホールでお願いします。紅茶はアールグレイとダージリン2つ、それとサバラガムワで。あとオレンジジュース1つお願いします」
「おうマスター、いつになく太っ腹だな! 俺もアップルパイ、ディンブラとのセットで頼むわ!」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ、順番にご用意いたします」
いつにない盛況となった「止まり木」であった。
皆様、ごきげんよう。シルヴァーブレイズですわ。
やりました。成し遂げましたわ! 母上が果たせなかった、GⅠの勝利を! それも、無敗で!
「「「わああぁぁぁぁぁ!!」」」
歓声を上げる観衆の皆様に向けて、まずは笑顔で手を振ることで応えておきます。私自身勝つことは想定していましたが、まさか新記録を打ち立てて勝つとは思っておりませんでしたし。
これでまた1歩、偉大な祖先に近付けますわ。
「ブレイズさん」
一度大きく深呼吸して呼吸を整えた時、後ろから声をかけられました。振り返った先には、まだ呼吸を整えきれていないアウダーチさん。
「まずは優勝、おめでとうございます。ものすごい走りでした」
「アウダーチさん、ものすごいなんてことはありませんわ。私はただ、自分にできること、やらなければならないことを全力でやっただけにすぎません。
私にとっては、アウダーチさんは間違いなく、この競走において最強の相手でした。無敗でマイル5連勝は伊達ではない、と思わされましたわ」
「しかし結果はあの通り、4分の1バ身差を付けられての完敗です」
眼鏡の位置を直しながら、アウダーチさんは言葉を続けました。
「正直に言いまして、私は今、目が覚めたような思いです」
「目が覚めた、と言いますと?」
「慢心していた…と、自分では思うのです。
確かに私は無敗で重賞を含む5連勝を上げました。特に、先月のG2『デイリー杯ジュニアステークス』を無敗で勝てたことは、大きな自信に繋がりました。それは紛れもない事実です」
……。
アウダーチさん。最初は私を讃えるような言い方をしていましたが、その実は違いますよね? おそらくは……。
「ですが、今にして思えば、それは同時に慢心を生んだのです。
デイリー杯では、最後の最後にバ群に呑まれかけましたが、突き抜けて勝ちました。その時と、今回は同じような状況だと思ったのです。ですがそれは間違いでした。最後に待ち構える登り坂の勾配と、そこに行き着くまでのペースの速さが、デイリー杯の時とはまるで違ったのです。それを見落としていた私は、ゴール直前にスタミナを使い果たし、ブレイズさんに抜かれることになりました」
…反省の念に駆られての言葉、ですね? そして、悔しいとか以前に、自分のことが情けないとか思っていますね?
その証拠に、アウダーチさんはいつもより若干早口です。それに、隠しているつもりでしょうが、目の奥にうっすらと何か光っていますよ。ついでに耳も前に垂れていますし。
「まだまだ、未熟だったと思います……今回は良い勝負を、ありがとうございました」
「アウダーチさん、御礼を申し上げるのは私の方ですわ。正直に申し上げまして、私は勝てるとは思っていませんでした。それくらい、アウダーチさんの強さが突き抜けていたのです。
こちらこそ、良い勝負をさせていただき、ありがとうございました。いつか機会があれば、また
「ええ。それでは、私は失礼します」
ゆっくりと地下バ道の方に向かっていくアウダーチさん。その足元が若干覚束ないところから見ても、やはり彼女は悔しい気持ちを隠していると見て間違いないでしょう。
しかし、私のさっきの言葉に嘘偽りはありません。彼女は本当に手強かった……下手をしなくても敗北は十分あり得た未来でした。今回はたまたま幸運に恵まれただけにすぎません。
「さて私も……果たしましょうか、勝者としての務めを」
正直、あの記者会見というものはあまり好かないのですが……ノブレスオブリージュです。仕方ありません。
まずはウィナーズ・サークルにて写真撮影ですわ。
「ブレイズ!」
「ブレイズちゃんおめでとー!!」
ウィナーズ・サークルでは、早くも《シリウス》の皆さんが待っていてくださいました。
「あら、皆さん。勝ってきましたわ、競走前の宣言通りに」
「宣言…そういえば言ってたな。勝利を俺に、って」
「左様ですわ。それを果たして参りました」
「……俺もこれまで何人もウマ娘を担当してきたけど、君のように勝利を俺に捧げる、なんて言う子は初めてだよ。
それはそれとして、優勝おめでとう。レコード優勝は、そうそうできることじゃない。俺としても誇らしいよ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。ですが、この栄誉は trainer さんのご指導あったればこそのものですわ。だからこそ申し上げたのです、勝利を trainer さんに、と」
「そういうことだったのか…」
Trainer さんがそこまで言った時、どうやら写真撮影の準備ができたようです。
「よし、それじゃ撮るぞ。といっても、俺たちは立ってるだけだけどな」
「はい」
そして撮影が終わると、記者会見…ウィナーズ・インタビューが待っているわけです。
「それでは、優勝したシルヴァーブレイズ選手にインタビューしたいと思います。シルヴァーブレイズさん、優勝おめでとうございます!」
「ありがとう存じます」
いつもより私の声が少し硬いのが、はっきりと分かります。やはり、緊張は隠しきれないか…。
「今回のレース、感想は如何でしょうか?」
「そうですね、アウダーチさんを初め出走した方は、どなたも実力のある方ばかりでした。私が勝てたのは、運が良かっただけに過ぎないでしょう」
「最後に大外から一気にまくっていましたが、あれはトレーナーの指示ですか?」
「左様ですわ。私は短い距離は得意とは言えませんので、多少距離に不利があっても外目を走るよう指示されていました。それに外側なら、バ場状態も多少は良好だろうと見込んだのです」
ここで1つ、布石を打っておきます。「今回はたまたま勝てたけど、私は重バ場は得意とは言えないですよー」という、嘘情報を流しておくのです。それと……「短い距離=マイルは本来苦手だから、大外から行く」という印象操作ですね。
まあ、あんな勝ち方をやらかしていますから、この印象操作は意味がないかもしれませんが。
あと……視界の隅にちらちらと見えていますね。足を引きずるようにして course から退出していくウマ娘の方々。発走前に見られた覇気は今や微塵も感じられず、雪や芝、土で汚れた勝負服も痛々しく、落ち込んだ表情で去っていく姿。
「それでは、今後の進路はどうなりますか? 阿寒湖特別での成績を見るに、やはりクラシック戦線でしょうか?」
記者の質問で、意識を一気に引き戻されました。
「それにつきましては、今は回答を差し控えます。というのもまだ検討中でございますので」
これも嘘。実際には既に決まっていますが、今はまだはぐらかします。
「それでは最後に、ファンの皆様に一言お願いします!」
「今後、戦況はますます厳しくなっていくでしょう。すべからく皆様も勝つために鍛練を重ね、戦略を練ってくるわけですから。それでも、私も勝利を重ねるべく最大限の努力を致します。今後とも、どうか応援よろしくお願いいたします」
「以上、シルヴァーブレイズさんでした! ありがとうございました!」
インタビューが終わり、足早に引き上げにかかる記者たち。そして思い出されるのが、記者会見の最中にちらりと見えた景色……記者たちとは対照的に、半ば足を引きずるようにして、地下バ道へと去っていくウマ娘たち。今回の「朝日杯フューチュリティステークス」に敗れた方々です。誰もが一様に肩を落とし、今にも降りそうなこの空とおんなじ顔をしていました。
「………」
どなただったか忘れましたが、とあるウマ娘の先輩が言ってましたね。「敗者に語る言葉無し」と。あれは、おそらくこういうことでしょう。
そして…忘れてはいけない。敗北という運命は、明日の我が身に降りかかるかもしれないということを…!
勝負の世界は結果主義、それゆえにいくら体裁を取り繕おうと根本は残酷なもの。だからこそ、
「どうしたブレイズ? 険しい顔してるぞ」
いけない、顔に出ていたようです。
「いえ……分かってはいましたが、競走とは残酷なものだな、と思いまして……」
「ああ……」
敗れたウマ娘たちの姿をちらりと見て、trainer さんも私の思っていたことを察したようです。
「レースに勝てるのは1人だけだ。それくらい、レースの世界は厳しい。そのことをしっかりと胸に留め、…もし負けた場合には」
「現実を受け入れるしかない。あの make debut の時に trainer さんが仰りたかったのは、そういうことですね?」
「……!」
私がそう言うと、trainer さんは僅かに目を見開きました。
「…気付いていたのか…」
「だから言ったではありませんか。ブレイズさんは聡い方ですからきっと気付いていますよ、と」
メジロマックイーン先輩が、そうツッコミを入れました。
「そうか…すまん。ブレイズを見誤っていた」
「トレーナーさん自身よく分かっていると思いますが、人は見かけによらない、ということですわ」
…さて、辛気くさい話はここまで。気持ちを切り替えていきましょう。まだノブレスオブリージュの極致が、残っているのですから。
「ブレイズ、とりあえず足を見せてくれ。ライブは踊れそうか?」
「問題無くやれると思いますが……ひとまず、点検をお願いします」
コツン、コツン…。
肌寒い地下通路に、乾いた足音が冷たく響く。
勝負服の靴底を鳴らしながら、アウダーチは焦点の定まらない目をして地下バ道を歩いていた。
(相手を見誤りました……それに慢心してもいた)
そのことは頭では分かっていた。いたのだが……正直なところ、アウダーチは分かっていた。自分が「悔しい」という感情に支配されていることを。
勝てるはずだったのに、勝てなかった。それに、期待してくれていたトレーナーにも申し訳ないことをした…と、彼女は考えていた。
「アダチ」
そこに声が響き、彼女はハッとしたように顔を上げる。
アウダーチの視線の先には、壁に手をついて身体を支えるようにして相原トレーナーが立っていた。
「…っ! トレーナー、さん…!」
すぐにもトレーナーに駆け寄りたいのだが、競走での疲れが祟り、足が震えて上手く動けない。
焦るアウダーチに、相原トレーナーはそっと壁から手を離し、ゆっくりと歩いてアウダーチに近付いた。そして、
「アダチ、ごめん!」
勢いの良い言葉とは対照的なまでに、優しくアウダーチを抱き寄せた。
「…!」
「ごめん、あたしが甘かった。アダチが強いのはよく知ってる…けど、それに胡座を掻いてた。マイルなら勝てるって思い込んでた! その結果……油断した横腹を伏兵に刺された」
途中から相原トレーナーの声はだんだんと掠れ、涙声に変わっていった。
「いや、伏兵なんて言う時点でもう見誤ってる…。シルヴァーブレイズは、あの西郷くんとこの子なんだから、強いってすぐ分かるじゃん…。阿寒湖の成績がすごいから目立たないだけで、マイルでも戦えるってのは1勝クラスで証明されてるじゃん!」
トレーナーの胸に顔を埋めているアウダーチには見えなかったが、相原トレーナーの目尻からは涙が流れ落ちていた。
「今回は完全にあたしのミス、分析不足だった! だから……」
アウダーチの艶やかな
「アダチ、お疲れ様。よく頑張ったね」
「トレーナー、さん…!」
今度はアウダーチが叫ぶ番だった。
「違います……走ったのは私です! だから、私が甘かった、としか言えません…!
マークが厳しいのは、一応想定していました。けど…ペースの速さでスタミナを削られることを考えていませんでした。そして、その速いペースを乗り越えて大外から襲われるなんて、考えてもいませんでした…!
いえ、考えていない時点で失敗です……阿寒湖で圧勝したブレイズさんなら、スタミナに物を言わせてくることくらいすぐ分かるはずなのに…! 今回は、私の完敗です…」
ところどころつっかえながらも何とか言い終えて、アウダーチはくしゃくしゃになりかけた顔を上げた。2人の涙にまみれた視線が交差する。
「アダチ…!」
「トレーナーさん…!」
後は声にならなかった。2人は人目も憚らずに声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いた後、相原トレーナーはすっかり切り替えられたのか、良い顔をしていた。
「さて……どうする? アダチ」
顔を上げたアウダーチも、かなり引き締まった表情をしている。
「マイルなら、勝てるんですよね? なら……取りに行きます。NHKマイルカップを!」
「よし、良い返事だね!
とりあえず今日はライブだけ済ませて、明日は1日休んで、明後日からまた頑張ろう! NHKは勝つよ!」
「はいっ!」
もう迷いは一欠片たりとも存在しなかった。
少し時間が経ちまして…と言っても数時間は経っているのですが…「ENDLESS DREAM!!」の winning live も全て終わりました。流石に疲れる1日でしたわ……全く、競走のためとはいえ、何でわざわざ我が故郷まで戻らねばなりませんの…。
まあ、trainer さんが「GⅠ勝利祝いってことで、細やかだけど打ち上げをしよう。せっかく関西まで来たんだ、久しぶりに粉ものが食べたい」と言い出しまして、この後お好み焼きを奢ってもらうことになりましたので、それは素直にありがたいですわ。
後は荷物をまとめるだけ、なのですが…
「これは…?」
着替えるべく控室へ戻った私の目の前には、大小2つの箱が置いてありました。片方は明らかに trophy なのですが、もう片方がやけに小さいです…何でしょう?
開けてみると、そこには金色の金属でできた小さな印が入っていました。
「そういえば授業で、重賞では3着以内に入線すると、競走ごとに異なる badge が貰えると言ってましたね…なるほど、これがそうですか」
その時、私はふと良いことを思い付きました。
Badge を裏返してみると、思った通りそこには針が見えました。おそらく何かに縫い付けられるようです。…これならば。
私は急いで、勝負服をしまった包みの中から
「これで良し」
映画などをご覧になっているとお分かりになると思いますが、大綬には追加で勲章がたくさん付けられていることが多いのです。それの真似のつもりですわ。
あとは、自分の実力の誇示ですね。戦闘機乗りは、しばしば愛機の胴体や垂直尾翼に、撃墜した敵機の数を絵にして描いているでしょう? あれと同じ気分です。
この大綬がいつか、栄光の記録の代弁者となることを願って。
3回に渡ってお送りした朝日杯フューチュリティステークスも、とうとう終了。結果はシルヴァーブレイズのレコード優勝でした。
そしてしれっと、サッシュの新たな活用方法を思いつくシルヴァーブレイズ。そのうちサッシュが青に見えなくなるくらいまでバッジを縫い付けるんじゃなかろうか。
アウダーチ、次走はNHKマイルカップにするつもりのようですが、マイル路線への進出を鮮明にした彼女が今後ブレイズと戦う機会は来るのだろうか。それは今は、神のみぞ知る、ですね。
さて、いつもならウマ娘の方に次回予告をやってもらうのですが、今回はなんとトレーナーの方にお越しいただきました! それでは、チーム《シリウス》の西郷トレーナー、お願いします!
「こちらでは初めまして、ご紹介に預かりました西郷です。1年もあっという間でした、まさに天翔ける流星のように。さて、年末といえばクリスマス、有マ記念、そして大掃除や大晦日と、イベントがかなり多いですね。冬休みもありますから、人によって過ごし方はだいぶ変わってくるでしょう。ということで、次回はそんな年末模様の一幕です。
次回『ジュニア級の終わりに』 更新は少々お待ちください」