大地を駆ける一筋の流れ星   作:Red October

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お待たせいたしました。
現実の暦はやっと春になるところですが、拙作では「秋華賞」のスタートです!



Act.046 淀の坂、その先の"領域"

 10月8日(日) 午後3時20分。

 真っ昼間にも関わらず涼しい風が吹き、木々の葉には色の変わり始めたものも少しずつ見えるようになった。夏の名残がすっかり消え去り、秋が深まり始める中、京都レース場には夏かと錯覚するような熱気が立ち込めている。

 スタンドは多数の観衆によって埋め尽くされ、売店に並ぶ人気ウマ娘グッズは飛ぶように売れていく。そうした売店の周囲には巨大な広告が出されており、そこにはこんな謳い文句が踊っていた。

 

『1対17 伝説か、下克上か。』

『夢、託されて……大流星は、願い星になるか。』

 

 そう、「(しゅう)()(しょう)」の広告である。

 

 大群衆に入り交じり、スタンドの最前列の一角にチーム《シリウス》の面々が布陣していた。トレーナーである西(さい)(ごう) (ひで)(あき)、サブトレーナーたるメジロマックイーン、チームメートのゴールドシップ、サニーウェザー、リボンカプリチオ、カルンウェナン、アップツリー、そして元チームメートのライスシャワーである。無敗トリプルティアラのかかった大一番だけに、今回は全メンバー総動員だ。

 また、シルヴァーブレイズの母・シルバーアクセサリも一緒に観戦していた。

 

「マックイーン、今回のレース運びはどうなると思う?」

 

 メジロマックイーンはサブトレーナーとしてトレーナー研修中であるため、どんなことでも勉強材料になるのだ。そのため、まだ本バ場入場も始まらない先に西郷トレーナーが質問を向けている。

 

「そうですね、広告にも『1対17』と書いてありましたが、全員がブレイズさんをマークしてくると思いますわ。

もしブレイズさんが先行するのであれば、それをマークしてできる限り優位なポジションを取りながら、最後に突き放すかと思います。ブレイズさんが後ろから行くなら、差しや追込の方が外側までブロックし、おそらくスリーキングダムズさんを含む先頭はスローペースで逃げるでしょうね……どちらにしても、ブレイズさんには徹底的に不利になると思います」

「なるほどな……」

 

 実際、西郷トレーナーもメジロマックイーンと同じ見方をしている。

 このレース、最も注目されているのはやはりシルヴァーブレイズだ。無敗トリプルティアラがかかるこの一戦、注目(マーク)されるのも当然である。

 

「だ、大丈夫かしら、うちの娘…」

 

 本バ場入場中の出走者たちの中に赤ジャケットと白い大流星の組み合わせを見つけ、シルバーアクセサリが心配そうに呟く。

 このスタンドに詰めかけた群衆の多くが、シルヴァーブレイズに期待しているのだ。その片鱗だけでも凄まじいプレッシャーである。

 そのプレッシャーに押し潰されそうになっているシルバーアクセサリに、西郷トレーナーが声をかけた。

 

「ブレイズを信じるだけです。私たちは今までもそうしてきました。朝日杯FSも、桜花賞も、オークスも…。今度もまた、彼女を信じて待つだけです」

(ブレイズがマークを打破できるかが、勝負の分かれ目だな。……もしかすると今回の一戦、大きな嵐が来るかもしれん)

 

 西郷トレーナーは、そう考えていた。

 

 一方、スタンド最前列の別の一角。

 

「…今回こそ、勝負ですね」

「だな」

 

 チーム《アルナイル》の(いり)() ()(なみ)トレーナーと、チーム《ミモザ》の(かわ)(ぞえ) (けん)()トレーナーが、少ない言葉を交わした。だが、この2人にはそれで十分なのだ。

 阪神ジュベナイルフィリーズ以来、何度となく所属ウマ娘を戦わせてきた2人。入江トレーナーはシュガーニンフェ、川添トレーナーはスイープトウショウの担当だ。今のところシュガーニンフェの勝ち越し状態だが、2,000メートルだと2人とも適性距離である。どっちが勝ってもおかしくない。

 ……それ以上に、2人から勝利をかっさらい続けた強敵がいるのだが。

 

「ただ、勝負の前にブレイズさんという危険なライバルがいますけどね…」

「桜花賞もオークスも横から持ってかれたからな。今度こそ勝ちたいもんだけどな…」

 

 川添トレーナーが小さくため息を吐き、入江トレーナーは肩を竦めてみせた。

 そして、スタンド上方のVIP用特別席に陣取るチーム《リギル》陣営。

 

「パドックでの様子を見る限り、スリーキングダムズの調子は完璧だね、トレーナーさん」

「ええ、あれなら勝てるでしょう。最大の懸念はやはり、シルヴァーブレイズね」

 

 フジキセキと(とう)(じょう) ハナトレーナーが話している傍らで、ヒシアマゾンは隣に座るエアグルーヴの顔色がどこか優れないことに気付いた。

 

「どうしたんだい、副会長。浮かない顔して」

 

 その質問に、エアグルーヴは何かを気にした様子で答えた。

 

「……どうにも嫌な予感がする」

「嫌な予感?」

「ああ。スリーキングダムズの調子は万全だ、勝てる……と信じたいのだが、どこか不吉なものが拭いきれないんだ。あの18番……シルヴァーブレイズから、微かに妙な気配がする」

「ブレイズか……まさか、これが本当の死兆星ってわけ?」

「分からん……だが、何か嫌な感じだ」

 

 その時、ファンファーレが鳴り始めた。

 

『さあ皆様、長らくお待たせいたしました。京都レース場第11R、GⅠ 秋華賞の開幕です。賑やかな秋を彩る秋華たち。秋華賞の舞台で美しく華を咲かせるのは誰だ!』

『台風一過という言葉に相応しい秋晴れです。無敗トリプルティアラ達成か、それとも他のウマ娘が待ったを掛けるか、注目の一戦です! 実況は(たき)(もと)、解説は(しら)(いし)でお送りします、よろしくお願いします!』

()()(たん)(たん)と上位を狙っています、3番人気は4枠7番スリーキングダムズ!』

()(おん)ステークスでは充実したメンバー相手に見事な逃げ切り勝ちを見せています。鮮やかな逃げに期待ですね!』

『この評価は少し不満か? 2番人気はこの娘、6枠11番スイープトウショウ!』

『遠目に見ても分かるほど良い仕上がりです、川添トレーナーは良い仕事をしましたね。鋭い末脚を期待したいです!』

『そして、スタンドに押しかけたファンの期待を一身に背負って、登場しました、圧倒的1番人気!

8戦8勝のダブルティアラ! 8枠18番「無敗の白銀女王」シルヴァーブレイズ! 無敗トリプルティアラを達成し、歴史に名を刻むことはできるか!?』

『私が一番期待しているウマ娘、気合い入れてほしいですね!』

『ゲートイン完了、出走の準備が整いました!』

 

 そして、ガタン! という金属音と共にゲートが開き、「秋華賞」がスタートした……その瞬間、ギャラリーが詰めかけた観客席から悲鳴とどよめきが上がった。その原因は…

 

『スタートしました!

ああっとこれは一大事! 1番人気シルヴァーブレイズ、まさかの出遅れ! 既に5バ身の差があるぞ、大丈夫か!?』

 

 どうやらスタートダッシュの踏み込みに失敗したらしく、シルヴァーブレイズが大きく出遅れてしまったのだ。

 120億という数字にピンとくるどこぞの世界線の皆様なら、この後の展開すなわちレース結果を予想してしまったであろう。

 

「「きゃあぁぁぁ!!」」

 

 観客席の最前列では、サニーウェザーとメジロマックイーンが2人揃って悲鳴を上げる。

 

「完全にやらかした……!」

 

 リボンカプリチオも頭を抱えていた。

 

「あちゃあー…これは最悪……」

「こっから巻き返すってキッツイねー…」

 

 カルンウェナンとアップツリーも、早くも諦めムードである。

 

「ああぁ……何てこと……」

 

 この世の終わりのような声を絞り出したシルバーアクセサリの上体が、ぐらりとよろめく。彼女の口からは、言葉と一緒にエクトプラズムが出ていた。失神しかけている。

 しかしその時、傾きかけたシルヴァーブレイズの母親の身体を、隣に座っていた小柄なウマ娘が支えた。

 

「まだ、まだ諦めちゃダメだよ!」

 

 そのウマ娘、ライスシャワーが声を上げる。

 

「どんなに厳しい相手でも状況でも、諦めたらそこでレースはおしまいだよ…!

ライスは信じてるから…! ブレイズちゃんなら、大丈夫だって…!」

「そうだな、ライスの言う通りだ。まだ諦めるには早い」

 

 西郷トレーナーが同意する。

 

「出遅れたとはいえ、ブレイズはまだ諦めてないし、焦ってもいません。普通、こんな出遅れをしてしまった場合は少なからず焦ります。その焦りは必ず顔に出る。

しかし、ブレイズは……あの目は、焦ってなどいない。冷静に逆転のチャンスを狙っています。彼女を信じましょう」

 

 ゴールドシップも不敵な笑みを浮かべる。

 

「アイツなら、半日でアンドロメダ銀河までかっ飛びかねん……こりゃあ面白いことになったかもしれんぜ」

 

 

 シルヴァーブレイズ出遅れ、というまさかの展開に、ギャラリーの反応は様々だった。

 

「ブレイズが出遅れ…!?」

 

 そうやって驚いた後、

 

「よっしゃ、チャンスだ! 頑張れ!」

 

 推しを応援するファン、あるいは担当トレーナーがいるかと思えば、

 

「ああぁぁぁ…ブレイズが…!」

「こりゃ終わったかねぇ……無敗トリプルティアラは夢のまた夢か…!」

 

 ブレイズのファンはだいたい絶望している人が多い。

 しかし、例外もいる。

 

「おやおや、これはこれは…」

 

 ドリームジャーニーが眼鏡の奥で目を細め、

 

「追込か…ブレイズが追込で走ったことなかったよな?」

 

 ステイゴールドが確認し、

 

「無ぇな。ってことは…賭ける価値がありそうだ!」

 

 ナカヤマフェスタは趣味全開である。

 

「まーた賭けかよ、相変わらずだなフェスタ…。だが、ブレイズの勝ちに賭ける気ならだいぶ不利じゃねえか?」

 

 ステイゴールドが尋ねると、ナカヤマフェスタはニヤリと笑った。

 

「だからこそ賭けがアツいのさ。アイツは『妖霊星』だからな…ワンペアをドローしてストレートフラッシュに変えることがある」

 

 ポーカーをネタにした、フェスタらしい例えである。

 一方、

 

「ブレイズ先輩…!」

 

 ラインクラフトが息を呑む。

 

「流石にこの遅れはキツいね…」

 

 シーザリオも表情が硬くなっている。その隣で、

 

「逆境ね」

 

 口元に手を当て、ジェンティルドンナが面白そうに言った。

 

「戦士や選手は逆境にある時、その真価を発揮するもの。今回シルヴァーブレイズさんは、かなり大きな逆境に見舞われた。追込という慣れない脚質に、17人からマークされる厳しい状況、稍重のバ場、そして…」

 

 そこで一度言葉を切り、1コーナーから2コーナーへと向かっていくウマ娘たちをちらりと見る。

 

「…スローペースの展開。厳しい状況ゆえに強さが引き立つ。

拝見しますわ、シルヴァーブレイズさん。貴女の強さがどれほどのものなのか」

 

 また、データ収集中の(あい)(はら)トレーナーとアウダーチも、

 

「出遅れ…!? そんな、ブレイズに限って…!」

「すごいプレッシャーが掛かっていたとはいえ、まさかこんなことになるとは…」

 

 少なからぬ衝撃を受けていた。

 で、東京の『パブ 流星の止まり木』でも、

 

「うわあぁぁぁぁ!!」

「まさかの出遅れ…!?」

「こ、こりゃヤバいぞ!」

「ヤバいどころじゃねえ、敗色濃厚だ!!」

「そんな、開始2秒で散るなんて…!」

 

 TVの前に集まっていた客たちが、絶望の声を上げている。

 

「お、おいマスター! これ大丈夫か!?」

「こればかりは、私にも何とも…」

 

 今回ばかりは、さすがのマスターも何も言えなかった。

 出遅れたウマ娘が勝った例は、あるにはあるが非常に少ない。それどころか、出遅れたことで焦って掛かってしまい、スタミナ切れで撃沈する方が多い。

 この状況で果たしてシルヴァーブレイズが勝てるのか、マスターといえども確信を持てなかった。

 

 

 皆様ごきげんよう、シルヴァーブレイズです。只今より競走開始につき、挨拶はすみませんが最低限で。

 スリーキングダムズさんの存在を考えれば、今回は先行するべきでしょうか……先行策となりますと、先頭はほぼ間違いなくスリーキングダムズさんでしょうから、できるだけ

ガシャコン!

 前目に着けて……しまったッ!

 色々考えて完全に意識が飛んでしまっていました……その間隙を衝かれて、gate が開いてしまいました。

 気付いた時には、他の出走者たちははるか先…走り出したは良いですが、これ、届くでしょうか? いや待て、まだ始まったばかりです。まだ希望が失われた訳ではありません。

 結果的に追込の走りになってしまいましたが、まだやれる……勝ち筋は残っていますわ。

 オークスにてぶっつけ本番で繰り出し、夏の間に研鑽して、神戸新聞杯でも披露した、ゴールドシップ先輩の走法その1……あれでいきましょう。

 それによく見ると、他の出走者は固まって走っており、いわゆる団子状態。おそらく私とスイープさんを警戒してのものでしょうが…上手くすればごぼう抜きを狙える。つまり、まだ逆転の機会はある。

 向こう正面に入りまして……ここですわ、参ります!

 

ダンッ!

 

 踏み込みが強くなったことで、足音が一瞬で変わりました。そして少しずつですが、加速していきます。

 まだ後方集団とは2馬身くらいの距離がありましたが、それがだんだんと縮まっていくのが見て取れます。先頭で逃げるスリーキングダムズさんは既に 3rd corner に突入しようかというところ……十分に射程内ですわ!

 

ダンッ!

ダンッ!

ダンッ!

 

 激しい足音と共に後方集団に追い付いた時、ちょうど 3rd corner に差し掛かりました。って、あら?

 前方にいた後方集団の皆さんが、一斉に動きました。そしてあっという間に、ほとんど横一線に並びます。しかも、大外の方まで丁寧に塞いできました。

 これは……おそらく私への対策ですわね。ゴルシ走法を脅威と見て、対策していたのでしょう。全体に流れが遅かっただったのも、おそらく私を警戒してのものだったのでしょうね。

 ですが、それは私も想定済み。こんなこともあろうかと、秘策を用意しておいたのです。Trainer さんの先見の明には、本当に頭が上がりませんわ。

 それでは……いざ、尋常に勝負ッ!

 

 

「うそっ……!」

「なっ……!」

 

 スタンド最前列にて、サニーウェザーと西郷トレーナーは揃って絶句した。

 第3コーナーに差し掛かろうというところで、後方集団で走っていたウマ娘たちが一斉に動き、横一線に並んだのだ。しかも、2番人気スイープトウショウは少し早めに進出し始めており、外側は外側でもしっかり自身の進路を確保している。

 

「これは……!」

 

 西郷トレーナーには、この動きが何を意味しているかすぐに分かった。

 

「トレーナーさん、これって……ブレイズちゃんをブロックしようと……?」

「ああ。彼女たちにとって一番手強いのがブレイズだ。それをブロックして沈めようとしているのは明らかだな」

「ど、どうするんですかアレ!? 大外まで完全にブロックしてますよ!?」

 

 絶望したような表情でサニーウェザーが叫ぶ。しかし、トレーナーの顔は笑っていた。

 

「いや……こんなこともあろうかと、ブレイズに"ある特訓"をさせてきた。それが輝く時が来たようだ!」

「え?」

「ほら、アレ」

 

 西郷トレーナーが指差す先で、ちょうどシルヴァーブレイズが後方集団に追い付いた。

 

 後方集団の一員として走っていたリボンマーチは、後方からあの特徴的な足音が迫ってくるのを確かに聞いた。

 間違いない。シルヴァーブレイズが来ている。それもあの必殺技、ストライド走法による超ロングスパートを以て。

 だが、それへの対抗策は既に完成していた。特に結託したわけではないが……皆、シルヴァーブレイズを脅威と見てマークしていたのは同じだったらしい。後方集団で走っていたウマ娘たちは、示し合わせたように一斉に動き、横一線の態勢を取ったのだ。しかも大外まで丁寧にブロックしている。

 これが、シルヴァーブレイズの超ロングスパートに対する策だ。

 これまでのシルヴァーブレイズのレースを見る限り、あのストライド走法による加速は凄まじいが、欠点がある。遠心力が強烈で、コーナーを曲がる時に大外に振られてしまうのだ。オークスでも神戸新聞杯でも、この技を仕掛けたシルヴァーブレイズは大外でコーナーを曲がっていた。

 ならば、大外まで塞いでしまえば良い。あのストライド走法の加速では、一度ブロックされてブレーキをかけられてしまえば再加速は不可能と見られるからだ。

 

 つまり……これで、シルヴァーブレイズは終わったのだ。

 

(後はどうにかして、自分の走りをしながらスリーキングダムズとシュガーニンフェを差し、スイープトウショウを振り切るだけ……!)

 

 ウマ娘たちの集団の中で最内側を走るリボンマーチは、そんなことを考えていた。そして、最内側を占められたことに感謝した。というのも、自分の消耗を極力抑えてホームストレッチに突入できるからだ。

 京都レース場の最大の特徴、それは第3コーナーにきつい上り坂「淀の坂」があることである。ここを登りきり、そして登った分の下り坂を消耗を減らして駆け降り、他のウマ娘を差せるだけのスタミナを残しておかなければ、勝てない。トレーナーも、それをみっちりと指導していた。

 故にリボンマーチは、この局面を(ぎょう)(こう)と捉えていたのである。

 

 ところで……前日の雨のため、阪神レース場のコースは「稍重」と判定されており、特に内ラチすれすれのインコースは水分が多めに残って重バ場になっていた。そのため、ウマ娘たちは重いインコースを避け、相対的に良バ場になっているアウトコースへと自然に流れていた。シルヴァーブレイズへのブロック策も、それに拍車をかけた。

 従って、自然とインコースが空き、リボンマーチの右側にはウマ娘が2人並んでなお余るくらいの隙間ができていた。

 

 ダン、ダン、というシルヴァーブレイズの足音が、すぐ後ろまで来ている。同時にものすごいプレッシャーが、リボンマーチの背中にのしかかる。

 これが無敗の女王の力か、なんと凄まじい……リボンマーチは、背筋に鳥肌が立つのを感じた。

 

(でも、このブロックでアイツは終わり……!)

 

 リボンマーチがそう思った、その時。

 

 彼女の右側下方の視界が、急に奇妙な色に霞み始めた。具体的には茶色と白と赤に。

 

(え?)

 

 内ラチの白とターフの緑しか見えないはずなのに、何故茶色や赤が紛れ込んでいるのか。その理由を確かめようと視線を右に向けて……リボンマーチは驚愕した。

 

 彼女の右側にできた隙間。前日の雨によって重くなった上に度重なるレースで芝が荒れ、誰も踏みたがらない重いバ場。そこに、シルヴァーブレイズが突っ込んできていたのだ。

 

「なっ!?」

 

 彼女は大外へと振られていったはずだ、何故内側にいる……その驚愕が言葉となって、リボンマーチの口から飛び出す。同時に彼女の左側でも、「えっ!?」「うそっ……!」などといった声が微かに聞こえた。そして、あからさまに慌てたような雰囲気が立ち込める。

 完全に想定外だった。まさか、シルヴァーブレイズがインコースに飛び込んでくるとは……!

 

「くっ!」

 

 リボンマーチは、シルヴァーブレイズの頭を押さえるべく駆け出そうとする。しかし、明らかにシルヴァーブレイズのほうが速かった。あっという間に前方へと飛び出していく。

 その時……シルヴァーブレイズが、リボンマーチをちらりとだけ見た。その眼光を目にした瞬間、リボンマーチの背中に鳥肌が立った。シルヴァーブレイズにこう言われた気がしたのだ。

 

《女王の御前であるぞ、控えおろう!》

 

 実力が桁違いすぎる……リボンマーチがそう思った時には、既に赤い勝負服の背中は完全に前に出ていた。インベタのラインを綺麗になぞりながら、コーナーを曲がっていく。

 

 

 レース模様を見て、実況の滝本が解説の白石に尋ねた。

 

『3コーナー手前で横一線に並びましたね。これは何でしょうか白石さん?』

『シルヴァーブレイズを意識していますね。彼女の追込を妨害する狙いがあると見られます。大外までブロックして…これは!?』

『これはどうしたことだ!? シルヴァーブレイズ、最内側へ飛び込んだ! 信じられません、内ラチ沿いの荒れたバ場を駆け抜け、包囲網を打ち破りました!』

 

 信じがたい光景に、大半のギャラリーの理解が追い付かない。

 きついライン取りも下り坂もコーナーの遠心力も重バ場も何のその、第3コーナーの最内側をインベタで突破したシルヴァーブレイズは、最後方から一気に先頭集団の後方に取りついた。そのまま、ウマ娘たちを押しのけるようにして前へ前へと飛び出していく。

 この時点で既にレースは第4コーナー、そして最後の直線へと突入しつつあった。

 

「な、言ったろ?」

 

 そんな中、スタンド最前列の一角では西郷トレーナーが笑顔を浮かべた。

 

「す、すごい……」

 

 サニーウェザーの開いた口が塞がらない。ついでにシルバーアクセサリも目と口で3つのOの字を作っている。

 まさか、あの厳しいブロックを内側から突き抜けるとは思っていなかったのだ。

 

「ブレイズのあのストライド走法は、確かに強力なんだが、コーナリングで外側に振られる欠点があった。だからゴールドシップに倣って、足首の柔軟性を高めるトレーニングを多めに組み込んだんだ。鉄棒に逆さまにぶら下がったり、階段ジャンプのメニューをしていたのは、そういうことだったのさ」

 

 実は西郷トレーナーがシルヴァーブレイズに仕込んだこのトレーニングは、恩師から伝授されたものだった。かつて《シリウス》に在籍していたスーパーエース、オグリキャップに指導されていたトレーニングメニューを、そのまま使わせてもらったのである。

 そして西郷トレーナーの知らないところで、シルヴァーブレイズはジェンティルドンナの指導内容すら取り込んでいた、という訳である。

 

「なぁトレーナー、これワープなんじゃねーの?」

 

 そんな中、ゴールドシップが尋ねた。

 

「だよなぁ。ゴールドシップが()(つき)(しょう)で見せたアレだよな。

ブレイズは雨のレースや重バ場を得意としているから、あの走りもできると思ってたんだが…本当にやるとはな…」

「へへっ、分かってんじゃねーかトレーナー! 後でドロップキックな」

「何でだよおい!」

 

 西郷トレーナーがゴールドシップにツッコむ。

 

「でも、勝てるでしょうか? スリーキングダムズさんまでは4バ身くらいありますし、シュガーさんにスイープさんもいますから、勝てるかどうかは……」

 

 そこへメジロマックイーンが疑問を提示した。

 

「問題はそこだな。ブレイズの末脚はかなり強力だが、それで届くかどうか……」

 

 西郷トレーナーがそう答えた時には、レースはいよいよ終盤戦へと突入していた。

 

『残り2ハロンの攻防!

最終コーナー、最初に駆け抜けてきたのはスリーキングダムズ! 外から外から、スイープトウショウが追い上げてくる、シュガーニンフェもいる! そして内から来た来た白銀の流星だ!

シルヴァーブレイズ突っ込んでくる! しかし、先頭までは4バ身の差があるぞ!』

 

 

 諦めたらそこで、試合終了ですわ。

 敗北という運命、それは避けられません。「絶対皇帝」シンボリルドルフも負けました。私とて、いつかは負けるでしょう。

 けれど、それは今ではありません!

 無敗三冠がかかったこの競走、paddock ではあんなことを言いましたが、私を応援してくださる方々のためにも、諦める訳にはいきませんの!

 今日の私は1番人気。つまり、それだけ多くの方から勝利を期待されている、ということ。ならば、その期待に応えなければ! それこそが、願い星たる大流星の意義……!

 Twinkle Series に絶対はない、とは言われますが、絶対に、負けられない!

 皆さんの期待に応える! そして、偉大な祖先に並び立つんです!!

 そう思った、その時でした。

 不意に、脚がふっと軽くなりましたの。さっきまで走っていたはずなのに、まるでたった今競走が始まったばかりのように、脚が軽いんです。疲労も感じられません。

 

「?」

 

 ふと右に目をやりました。

 内ラチの支柱が、これまでにない速度でどんどん後ろへ流れていくのが見えました。ハロン棒も、あっという間に近付いてきます。

 そこで左に視線を移すと、他のウマ娘たちが次々と私に抜かれる様子がちらりと見えました。彼女たちも全力で走っているはずなのですが……まるで止まっているかのように、あっさりと私に追い抜かれています。彼女たちの目は大きく見開かれ、その顔には驚愕とある種の恐怖…いえ、畏怖と言えば良いのでしょうか…が、一様に刻まれていました。

 そして、気付いてみると音が全く聴こえないのです。観客の皆様の声援や、走るウマ娘たちの足音、あるいは実況放送が、必ず聴こえるはずなのに。

 もしやこれは……私は、音を超えた速度で走っているのでしょうか? そうとしか思えません。

 そこではたと気付き、私は前方に視線を戻しました。先頭を走っているスリーキングダムズさんは……いました! 私との距離は4バ身というところ。今まさに、スイープトウショウさんとシュガーニンフェさんの2人に抜かれようとしているところです。

 競走の距離は、残り300。

 

 この脚で届くかどうか、目算開始。これは……きっといけます! 届きますわ!

 だったら、するべきことはただ1つ! 全員まとめて全力でぶち抜きます!

 行っけぇぇぇぇぇーーっ!!

 

「大地を駆ける、人々の願い星(シルヴァー・ブレイズ)と、なれぇッ……!」

 

 

「来たぞ! シルヴァーブレイズだ!」

「行っけぇー!」

「頑張れブレイズ! 勝利まで後少しだ!」

 

 "流星の差し脚"を発揮し、凄まじい高速で突っ込んでくるシルヴァーブレイズの姿に、観客たちも大興奮である。

 

『シルヴァーブレイズ、末脚爆発! あっという間にウマ娘たちを追い抜いて、先頭集団に迫ってまいりました! 流星の名に偽りなし、圧倒的な末脚であります!

スリーキングダムズかスイープトウショウか、シュガーニンフェかシルヴァーブレイズか! これは先が読めないぞ!!』

 

 その時だった。

 シルヴァーブレイズが、いきなり加速した。これまで見たこともないスピードを叩き出し、先頭に立ったスイープトウショウの背中に一息に食らいつこうとする。距離が3バ身、2バ身とあっという間に縮んでいく。

 

「何あれ!? ブレイズちゃん、あんな末脚出せるの!?」

 

 サニーウェザーが驚いた声を上げ、リボンカプリチオ、アップツリー、カルンウェナン、シルバーアクセサリが目を見開く。彼女たちの目には、全力疾走するシルヴァーブレイズの姿が見えた。

 その一方、西郷トレーナーとメジロマックイーンは……

 

「トレーナーさん、あれは……」

「見えるか、マックイーン?」

「ええ……きっと、同じものが見えていますわ。まだクラシッククラスなのに、あんなに強烈なんて……。そもそもクラシック級のウマ娘で"あそこ"に至る者自体、そうそういないですのに……」

 

 どうやら何かが見えているらしい。

 いったい、何が見えたというのか。

 

「何が見えたんですか、トレーナーさん?」

 

 サニーウェザーが尋ねると、トレーナーはコースを見つめたまま、(こう)(こつ)とした様子で語り始めた。

 

「ブレイズのあれは、ただの末脚じゃない。"領域(ゾーン)"だ」

「ゾーン?」

「ああ。G Iウマ娘の中でも、時代を創ると言われるウマ娘が必ず至る境地。限界の先の先、自分も知らない豪脚。それが"領域"だ。

使える者はかなり少ないが、俺の知る範囲ではオグリキャップやゴールドシップ、シンボリルドルフやナリタブライアンが使えるな。マックイーンやライスも使える。そして今、新たにブレイズが使えるようになったわけだ」

「ゾーン……そんなものがあるんですね……」

「ああ。

さてマックイーン、何が見えたか聞かせてくれ。ブレイズではないものが見えるんだろ?」

 

 西郷トレーナーの質問に、メジロマックイーンはターフを見つめたまま答えた。

 

「流れ星が見えますわ。太陽をも霞ませる強烈な閃光を放つ、銀色の大きな流れ星が!」

「マックイーンさんにも見えてるの? ライスもだよ! 綺麗で、すごく速くて…!」

 

 マックイーンのみならずライスシャワーにも見えているらしい。その答えに満足そうに微笑む西郷トレーナー。

 

「俺にも、全く同じものが見えるよ。あれが『願い星』シルヴァーブレイズなんだ……!」

「あれなら、29万6千光年の旅も1年で行けそーだな!」

 

 ゴールドシップも乗っかってきた。

 実はこの時、西郷トレーナー、メジロマックイーン、ライスシャワー、ゴールドシップの目には、シルヴァーブレイズの姿は見えていない。その代わりに、鮮やかな光の尾を引いてターフの上を走る、白銀色の巨大な流星が見えていた。実際にはシルヴァーブレイズの身体から発せられる気迫が、白い光のようになって見えているのである。

 シルヴァーブレイズが第4コーナーに入った時、4人は不意に、張りつめた糸がぷつんと切れるような感覚を感じた。それに続いて、ガラスのような透明な壁にひびが入り、そして割れるような感じがあった。そのため4人ともすぐに、シルヴァーブレイズが"領域"に達したことを察したのだった。

 "白銀彗星(Silver Blaze)"……それが、シルヴァーブレイズの"領域"名である。

 

 シルヴァーブレイズが"領域"に到達した瞬間、大歓声を上げる観衆の中で驚きを露わにした者が何人かいた。その驚きは2種類に分けられた。

 

「何あれ、速い…!」

「すごい……シルヴァーブレイズ先輩に、こんな末脚が!?」

「まさかこれは、アネモネステークスの時の…?」

「ウッソだろ、あれを今ここでやってんのか!?」

「アダチ…アレ、やれる?」

「今の私には無理です。つまり、もしシルヴァーブレイズさんと戦えば、アレを繰り出されて負けてしまう…!」

 

 片方は、ラインクラフトやシーザリオ、入江トレーナー、川添トレーナー、相原トレーナー、アウダーチのように、末脚の速さに驚いた者たち。もう片方は、

 

「マジかっ…! アイツやりやがった…!」

「ククク…ハッハッハ、さすがブレイズだぜ! 真の強者になっちまったな!」

「おやおや、これは…オルより早く"領域"にたどり着きますか…」

「重バ場突破にコーナリング技術、そして"領域"……くす、期待以上ね。私に並び得るかしら」

 

 ステイゴールド、ナカヤマフェスタ、ドリームジャーニー、ジェンティルドンナのように、"領域"到達に気付いた者たちである。

 チーム《リギル》陣営も当然のように、シルヴァーブレイズの"領域"に気付いた。

 

「これは……!」

 

 座席から腰を浮かせ、エアグルーヴが立ち上がった。手すりを掴み、コースを走るシルヴァーブレイズを見詰めている。フジキセキやヒシアマゾン、東条トレーナーは、驚きのあまり口を開けたまま固まっていた。

 

「"領域"か?」

 

 エアグルーヴの後ろから、ナリタブライアンが尋ねた。平然とした様子で、声音にも動揺は微塵も感じられない。

 

「ああ。しかもこれ……ここまで強烈な雰囲気とは!

まだクラシッククラスだぞ!? それなのに、歴戦のシニア級ウマ娘にも劣らぬ凄まじいオーラ……これでは……!」

「落ち着け」

 

 動揺を隠しきれないエアグルーヴに対し、ナリタブライアンはあくまで落ち着いている。

 

「ガタガタ騒いでも仕方ない。キングダムズの奴が"領域"に到達できるかどうか、それだけだ。

普通の脚では"領域"には勝てない。シルヴァーブレイズのことだから、あそこからスタミナ切れを起こすとは思えん。となると後は、キングダムズが"領域"に入って振り切るしかない。…焦る気持ちは分かるがな」

「む……」

 

 全く隙のない正論に、エアグルーヴは黙るしかなかった。

 そこに実況の声が重なる。

 

『残り200!

ここでかわして先頭はシュガーニンフェ、しかしスイープトウショウ、シルヴァーブレイズが食らいつく! 捉えた、シュガーニンフェの背中を捉えました!』

 

 

 何とか追い付きましたが、シュガーニンフェさんは速度を上げて振り切ろうとし、スイープトウショウさんも食らいついてますし、スリーキングダムズさんも諦めていません。

 こうなれば根比べですわ。力尽きたら負け、何としてでも追い抜く!

 根性見せろ! 淀の坂に謳うは「逃げ切りっ!Fallin' love」じゃない!

 「差し切りっ! Blazin' Star」です!




激戦となった秋華賞。その終盤にて、ついにシルヴァーブレイズが"領域"に到達しました。
"領域"到達だけでもかなりのことです。シングレ本編でも、クラシック期に"領域"に達したと明確に描写されたのは、札幌記念の時のディクタストライカと有馬記念の時のオグリキャップだけでしたし。
レース距離は残り2ハロンもありません。次回いよいよ決着です!


評価9をくださいました輝き様、ありがとうございます!!
また、新たにお気に入り登録してくださいました皆様、ありがとうございます!

さて今回ですが、申し訳ございませんが今回は次回予告は割愛させていただきます。
というのも、次回タイトルがそのままレース結果等のネタバレにつながりかねないのです。それでは先の楽しみが少なくなるでしょう。なのですみませんが、今回は次回予告そのものは割愛とさせていただきます。
次回投稿は今しばらくお待ちくださいませ!
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