(また来ちゃったわね)
朝の早い時間なのに『
行列のできる人気店、というよりは人々の
「いらっしゃいませ。おや、またお越しいただけるとは」
カチャ、と眼鏡を押し上げたのは見覚えのある店員だった。前回、初めて来た時に会計で顔を会わせた、あのオールバックの男。
「覚えていてくれたの。うれしいわ」
「当然でございます。さ、こちらへどうぞ。お席へご案内いたします」
小さめのボックス席に腰かける。ふかふかのソファーにまたここに来たんだ、と実感が湧いてくる。カウンター席も空いているのに、こちらへ通してくれたのはサービスだろうか。
眼鏡の男がテーブルにメニューを置く。
「お決まりになりましたら、そちらのベルでお呼びください」
では失礼いたします、と男はうやうやしく礼をして下がった。
黒革表紙のメニューには『珈琲処 アインズ珈琲』と箔押しがされている。
前回あったのは仮メニューで、こっちが本メニューといったところか。
絶死は早速メニューを開く。ページにはそのまま手に取れそうな水彩のスケッチが並んでいる。1冊もらって帰れないか。そんなことを思いなが、ゆっくりとページをめくる。
実はここに来るまでの道中も何を頼もうか考えてはいたのだが。
(結局、決められなかったのよね。ハチミツたっぷり珈琲は前も頼んだし、今日は別のにしたいわね)
ひと口に珈琲といってもメニューは様々だ。
その店オリジナルブレンド、ホイップクリームを浮かべたウィンナー珈琲、牛乳を加えた珈琲オレ。それから大胆にソフトクリームを乗せたもの——きっとこれはデザートだろう——まである。
(いろいろあるのね。これだけあると迷っちゃうけど……ん?)
ふと絶死はメニューをめくる手を止めた。
モーニングメニュー
開店から朝11時まで。
お好きな飲み物に無料お付けいただけます。
(気のきいたメニュー)
窓から射す陽はまだ昇りきっていない。時計の針もまだ9時を回ったところだった。
任務のない時はお昼までベッドにいることも珍しくない自分にしては、かなり早起きした方だ。といっても絶死が出るほどの任務は滅多にないが。
テーブルに置かれたベルを鳴らす。
ウェイターはすぐに来た。ビシッと音がしそうな勢いでテーブル横に気を付けしたのは、
「ご注文をお伺いしましょう、お客様!」
黒の目出し帽を被った不審者だ。しかし無駄にキザな声は目出し帽の下からではなく、その腕に抱かれた——
(ペンギン……?)
ぽよん、とした黒と白と鳥類は腕の中で「さあ、何なりとお申し付けください」と自信に満ちあふれた表情をする。
“占星千里”の『レビュー』によればアニマル喫茶なる店があるそうだが、もしかしてここもその類だったのだろうか。
(でも、三日前に来た時はそんなこともなかったし、私の知らない間に店の方針が変わった?)
絶死はひとり小首をかしげる。
「おお、その悩ましげな
「何をしてるんです」
すたっ、と目出し帽の隣に立ったのはバーテンダーの格好をした男だ。腰にソムリエエプロンを巻いて、きちっと蝶ネクタイもしているが、首から上はキノコのそれだった。
「ここ、私のバーじゃないんですよ? いえ、私の店でもナンパは遠慮してもらいたいですが」
(さっきの、ナンパだったの?)
はじめて声をかけてきた相手が金髪をロールにしたペンギンというのは……
絶死は複雑な気持ちになった。これで自分より強ければ誘いにも乗っていたが、現状で褒められるところといえば黒と白のカラーリングがまぁまぁ好みなくらい。及第点にはあと少し届かない。
「ナンパとは失敬な。私は悩めるお客様の——」
「あなたが出てきたから悩まれているのでしょうが。お客様、大変失礼いたしました。ご注文をお伺いします」
バーテンダーが触手の指でメモとペンを構える。そういえば、ベルを鳴らしたのだった。
「アイスコーヒーのたっぷりサイズをひとつ、甘味とミルクは両方ありで。それから、このモーニングのセットも」
「ありがとうございます。こちらのモーニング、トーストをバターとジャムからお選びいただけます。それと付け合わせもA、B、Cのうちからおひとつ」
「そうなの、選び放題ね」
(これだけあると迷っちゃう)
絶死は再びメニューに目を落とす。どれにしようか。そのまま食べられそうなスケッチを見ながらしばし考えて——
「なら、トーストはバターでお願いしようかしら。付け合わせはAセットで」
「かしこまりたした。すぐお持ちいたします」
小脇にナンパペンギンを抱えたまま、バーテンダーはキノコの頭を下げる。そして「さぁ、皿洗いに戻ってください」と厨房へ戻っていった。
アニマル喫茶というより、異形種喫茶といったところか。
●
「お待たせいたしました。こちらアイスコーヒーとモーニングのAセットになります」
間もなくして厨房からキノコ頭のバーテンダーが戻ってきた。触手の指が器用に盆に乗ったメニューをテーブルに並べていく。
銀の容器に入ったアイスコーヒーに白いミルクの小瓶。バケットに入ったトーストは厚切りで、その横にゆで卵が添えられている。この頃、喫茶店で流行っているらしいモーニングもこういう感じなのだろうか。
「ありがとう。早速いただくわ」
とはいえ、どれから食べよう。
コーヒーに、バタートースト、そしてゆで卵。こうしてテーブルに並ぶとどれがいいか迷ってしまう。いや、迷っていても仕方ない。
まずはコーヒーから、と絶死はミルクの小瓶に手を伸ばすと——。
「差し出がましいようですが、ミルクは先にコーヒーをひと口飲まれてからお入れになるのがよろしいかと」
「へぇ、そうなの?」
「はい、今のままでも甘味がありますので」
なるほど。砂糖やシロップの小瓶がないのはもう入っているからか。
絶死も極端に苦いのはダメだが、手当たり次第に角砂糖を入れてしまってはコーヒーとしての味が損なわれてしまう。ここの店主、なかなか知謀に長けている。
「では、ごゆっくりとお寛ぎください」
「そうさせてもらうわ」
キノコの頭で礼をして、バーテンダーが下がっていく。飲み方までレクチャーしてくれるあたり、ますますバーテンダーらしい。
コーヒーをかき混ぜると、からんからんと氷が鳴る。曇ったコップは前回のハチミツたっぷり珈琲を思い出させるが、今度はどんな味なのだろうか。
期待とほんの少しの不安を胸に、絶死はストローに口を付けた。
(……へぇ、すごいわね。本当にこのままでも)
しっかりとコーヒーの味があり、ほろ苦さが口の中に広がる。けれども決して飲みにくくはない。むしろ、ひんやりとした口あたりがとても飲みやすい。
キノコ頭のバーテンダーがオススメするのも納得だ。
ミルクなしで、このままでも全然いける。絶死は再びストローに口を付けた。ほろ苦いが、それでいて甘い。前とはまた違った不思議な味がした。
(これなら毎日飲みたいくらい。聖殿でも淹れられないの、こういうの?)
(そうよね。これは店に来ないと食べられないわけだし)
バスケットに入ったモーニングセット。
メニューはいたってシンプルだが、このアイスコーヒーに並ぶのだ。きっと楽しませてくれる、と絶死は唇で微笑む。
(さて、あなたたちはどうなのかしら)
はむっ、とトーストをひと口。
コーヒーの苦味が残る口の中に、やや遅れてマイルドなバターの味が広がる。
(……おいしい)
トーストは表面がさっくりとしていた。けれども噛むともっちりとしたパンの食感がある。そして染み込んだバターがおいしい。
こんな朝食は法国でも、と思って首を振る。あっちは急な注文にも応じてくれるし、何より好物のオムレツを出してくれる。
(まぁ、たまにはこういう朝もいいわね)
もうひと口、トーストをかじる。
さっきと違い、今度はさくっという音と一緒にバターの味が広がる。パンの耳はトーストにすると固くなってしまいがちだ。そのせいで法国の食卓ではあまり好まれていない。
(けれども、このさくさく感……かなり
魔導国のパンが特別なのか、それとも厨房に腕がいいコックがいるのか。
(もしかして、さっきの……)
キノコ頭のバーテンダーが礼する姿が思い浮かぶ。コーヒーだけでなく軽食も出しているのなら彼が作っているのだろうか。
付け合わせのゆで卵もいただこう。ひびを入れると殻はつるんと向けた。
食べられたがっているのかしら、なんて冗談が思い付いた。存外、自分も浮かれている。
(ん? これ……)
今見るとバスケットの中にはメッセージカードが添えられていた。『テーブル備え付けの塩をお使いください』と書かれたそばにはキノコの絵がある。
塩の小瓶には香り付けのためか、コーヒー豆が一緒に入っている。半分殻を剥いたゆで卵に塩を振りかける。
はむっ、とひと口。
(……、お塩も意外と合うのね)
卵はオムレツ至上主義の絶死だが、このゆで卵は例外にとして認めていいかもしれない。
からん、と銀のコップの中で氷が鳴った。ほんのりとコーヒーの香りがする。揺れるストローは前回と同じだが、——今日はひと味違った感じがした。
3つの味が一緒に楽しめる。これからは早起きしてみてもいいかもしれない。
そう思いながら絶死はコーヒーにミルクを入れた。
キノコ頭って異形頭っぽくて好きなんですよ。あとバーテンダーの服装も。