私のトレーナーは少しだらしない。
最初に既婚者だと聞いた時は、良くこんなだらしのないヤツが結婚できたものだなと軽く見ていたものだ。
担当となった当初はひどいものだった。
机の上は汚いし、ネクタイもよく曲がっているし、シャツにも皺が多く寝癖が立っていることも珍しくない。
その都度身嗜みを正させ、私のトレーナーとして恥ずかしくないようにシャキッとしろと注意していた。
まぁ、もちろん良いところもある。
ヤツは意見を無理に押し付けない。
それは私に対してだけでなく、誰に対しても相手の立場に立って事情を汲み取った上で接するように努めている。
簡単なようで、誰にでも出来ることではない。
何か理不尽に見舞われても、相手にも事情があったんだとあっさり飲み込むには器の大きさが必要だ。
それに加えて、ウマ娘のことを一番に考えるウマ娘バカなところだ。
困っている人を、特に思い悩んでいる学園のウマ娘を放っておけない底抜けのお人好しっぷりも美点だと思っている。ある種欠点とも言えるが。
そして、私の理想になるための助けになってくれたこと。
ヤツの自覚は薄いが、トレーナーとしての能力は極めて優秀だと言わざるを得ない。
私を、お母さまと同じようにオークスで勝利させた。
いくら恵まれているとはいえ、私の資質だけでは到底成し得なかったことだ。
トレーナーとしてまさに一流の人物と言える。
普段はだらしないが、肝心な時にはきっちりキメる。
そんなヤツの横顔に、不覚にもドキリとすることが増えた。
今ならヤツが既婚者なのも頷けた。
だが私にはそれが不満だった。
どうしてもう結婚しているのだ。
貴様は女帝の杖じゃないのか。
私を支える杖が、私から離れるつもりか。
いや、本当は分かっている。
元々ヤツは杖として支えるだけで、パートナーとして横に立つつもりはなかったのだ。
それを私が後から求めただけだ。
だから機を待った。
────────────────────
それは、悲願のオークス制覇を果たし夏合宿を終えた後のことだった。
昼時にトレーナー室に寄った時のこと。
「トレーナー、いるか?」
コンコンコン、とノックする。
すると中から、ふぉ〜ほ〜と何か口に頬張りながら言っているのが聞こえた。辛うじてどうぞであると気付き中に入る。
「昼時にすまないな」
「……ゴクン。いいよいいよ。食べながらでもいい?」
「あぁ、それで構わない。それで今日のトレーニングだが…」
と言いかけたところで、トレーナーの昼食が目に入った。
もやし炒めと水。
それだけだった。
「おい貴様。まさかそれが昼食だとは言わないだろうな?」
私がキッと咎めるようにそう言うと、ヤツは手をバタバタ振る。
「あ、いや! これはその……まぁ、はい…」
照れているようなバツが悪そうな、そんな雰囲気で白状した。
「いくらなんでも栄養不足だろう。何を考えている?」
「いやぁ……それは……」
アハハと人の良さそうな顔で誤魔化すトレーナー。
隠し事の出来ないヤツのいつもの仕草だ。
大人しく吐け、と追及するとごにょごにょと抵抗しながらも白状した。
「実は金欠でして…」
「……は?」
そんなワケあるか、と言いそうになった。
仮にも中央のトレーナーがそんなに困窮するほど貧しいわけがない。
「まさか、無駄遣いでもしたんじゃないだろうな…?」
私のトレーナーとしてそんないい加減なことはしてないだろうな?と暗に示す。
本来ただの担当ウマ娘である私がそこまで干渉する道理はないが、トレーナーが少々だらしないので仕方ない。
「いやいやいや! 違うからね! 誤解だから!」
慌てて否定するトレーナーの様子は真実を語る時のものだった。
「ふむ…。貴様がそこまで言うからには本当なのだろうが、ではなぜだ…?」
うーん、と一悩みするトレーナー。
言うか言わまいか悩んだ末に、重い口を開いた。
「まぁ、ちょっとね…。妻の方のご両親が入院したみたいでさ。今度手術でお金が必要だって言うからそれに備えてるんだ…」
「そ、そうか…。それは、すまなかった…」
想定より深刻な話だったため今度はこちらがタジタジになってしまう。
そういうことならトレーナーが身銭を切るのは当然だ。義父母という関係でもそうだが、ヤツはこういうことを放っておけない性分だから。
しかし、気になることもある。それほど切り詰めなければいけないのだろうかと。
「事情はわかった。だが毎度それでは明らかに栄養不足だ。明日からの昼食は私が貴様の分も作ってやる」
「えぇ!? いや、気持ちは嬉しいけどさ、エアグルーヴにそんな手間かけさせる訳にも…」
「たわけ、貴様に倒れられると私が困るんだ。自分のついでだから手間もそう変わらん。黙って受け入れろ」
「う、うん。分かったよエアグルーヴ。ありがとうね」
やや強引に話を進めると、トレーナーは困惑しつつも受け入れた。
こういう押しの弱さは相変わらずだな、と呆れながらも私の意志を汲んでくれたことが分かる。
明日からトレーナーの弁当も作る。
全く仕方のないヤツだ。と思いながらも、その事実は私にかつてない高揚感をもたらした。
翌日、お昼時に弁当を持ってトレーナー室へと入った。
私の入室に気付いたトレーナーはパッと期待するような目を向けてきた。
さながら、エサの前で待てをされた犬のような。
その様子が私の心をくすぐった。
「約束の弁当だ。残すなよ」
「ありがとうエアグルーヴ! いただきます!」
そのままガツガツと弁当を口に運んでいく。
美味しい美味しい! と言いながら勢いよく食べ進める様子に内心安堵した。
自分の分より少し多めに作ったはずだったが、トレーナーはそれをペロリと平らげたことに驚く。
水を飲んでふぅと一息ついた。
「ごちそうさま! すごく美味しかったよ!」
「お粗末様だ。しかし、早食いはあまり感心しないぞ」
「いやぁ、エアグルーヴの作ってくれたお弁当が美味しくて…」
ハハハ…。と照れくさそうに言うトレーナーに思わずニヤけそうになる。
グッと緩みそうな表情を引き締める。
そうして気持ちを切り替えると、少し気になったことを尋ねてみた。
「一応確認するが、朝や夜はきちんと食べているんだろうな?」
聞いた途端、トレーナーの動きがピシッと止まった。
あまりの食べっぷりだったため、まさかと思って聞いてみたがトレーナーは押し黙ってしまった。
それが答えだった。
「どういうことだ…? いくらなんでも切り詰めすぎだろう。それほど大変なのか?」
高給なトレーナーが身を削るほどの大金が必要なのかと改めて問う。
あまり考えたくはないことが頭を過ぎったからだ。
「うん、どうも重病みたいでね。1000万ほど必要なんだって」
1000万。確かに大金だ。だが、中央のトレーナーであればギリギリ払える額だ。
確認作業は続く。
「病名はなんなんだ?」
「それが分からなくてね。妻も詳しくは分からないと言ってて」
「お見舞いには行ったのか?」
「すぐに行こうとしたんだけど、今は面会謝絶だから会えないって」
私は今、最悪な想像をしている。
いくらなんでも不自然だと言わざるを得ない。
自分の両親が大病を患い、その治療費を夫に払わせようとしておきながら具体的な説明を一切していない。
何も疑わず金を出すトレーナーもおかしいとは思うが、その妻はもっとおかしい。
身を削りながら奉仕するトレーナーの姿は立派だが、人を疑う事を知らないのは欠点だ。
これは、そういうことなのではないか、と想像が膨らむ。
私の、女帝の杖によもや"そんな真似"をしていないだろうな。
そう思うと耳が絞られていく。
怒りの感情が湧いてくる。
だが、もし全て真実だったらと思うと指摘し辛い。
半ば騙されているものだと確信しているが、トレーナーに直接確認するのは憚られた。
曇りなく、大変だよねぇ、と語るトレーナー。
その様子に一抹の不安を覚えた。
「何かあった時のために病院の名前くらいは聞いておけ」
「それもそうだね。聞いておくよ」
「必ず聞いておけ。もし貴様の妻がそれも把握してなかったら、その場で確認してもらった方が良い。何かあってからでは遅いからな」
もう一度釘を刺す。
必ず確認しろ、と。
どちらが真実でも良いように。
私の真剣さを受け取ったトレーナーは今度は力強く頷いた。
そちらの準備もしておかねばな、と私は同室の友を頼った。
────────────────────
その翌日、トレーナーが青ざめた顔で現れた。
随分憔悴した様子をしており、左手の薬指からも邪魔な光が消えている。
その様子に、やはりそうなったか、と得心した。
「何かあったな?」
「え、っと、いや……」
「誤魔化すな、大体想像はつくから言ってみろ」
まごついてるトレーナーを制するように言いのける。
「……えっと、実はその、妻に逃げられてしまったみたいで……」
「それで、治療費として用意していた1000万も消えたのだろう?」
「うっ……よくわかったね。その通りだよ…」
うぅ…、と激しく落胆したトレーナーはそのまま机に突っ伏した。
「話を聞いて、嫌な予感はしていた。外れていて欲しかったがな」
「傷心中の貴様に言うのは酷かもしれない。だが、敢えて言わせてもらう」
「貴様の人を信じる心は美点だと思う。だが、今回のことのように誰しもモラルが高いわけではない。もう少し信用する者を選べ」
「うん……。そうだね…。痛感したよ…」
精神的にも、金銭的にもダメージを負ったトレーナーは今にも泣いてしまいそうだった。
相手の女がしたことは、いわゆる結婚詐欺だ。
婚姻関係を利用した詐欺。極めて卑劣な行いだ。
許されることではない。
それに、これから婚姻取り消し訴訟などで忙しくなるだろう。
心労が重なる。心配だ。
だから、私はトレーナーを安心させることにした。
「貴様の元妻の行方なら既に把握している」
「え?」
心底間の抜けた声を出すトレーナー。
完全に予想外の言葉だったのだろう。
「想像はついていたと言っただろう。ファインに頼んでSPの方々の力を借りていた。今も監視を続けてくれている」
「な、なるほど…。それはすごい……」
なんとかそう返したトレーナーだが、まだ困惑を隠せない様子だ。
事態の展開が早くて未だに頭が追いついていないのだろう。
「貴様が望むなら、その女を連れてくるようお願いするぞ」
武闘派ウマ娘のSPにかかれば容易いことだというのはファインの見解だ。
トレーナーが報復を望むというのなら、ズタ袋にでも詰め込んで無理やり拉致することも。
「ありがとう…。気持ちは嬉しいけど、そんな悪事をファインさんやそのSPの皆さんにお願いするわけにはいかないよ。もちろんエアグルーヴにも」
一瞬、トレーナーの顔付きが頼もしいものになった。
本当に、他人のことを考えてる時だけはそんな表情をする。難儀なやつだ。
「そうか。まぁ貴様ならそう言うと思った」
「ハハ、そんなに僕は分かりやすいかな」
「簡単に騙されるくらいには、な」
忠告も含めてサラッと言うと、トレーナーはウッと再びバツが悪そうにする。
「すまん、小言を言うにはまだ少し早かったようだ」
「うっ……。い、いやいいよエアグルーヴ。僕のことを心配してのことだってわかってるから…」
「……うむ。まぁ、月並みな言葉だが元気をだせ。貴様に合う女性ならそのうち現れる」
落ち込むトレーナーを励ますように言う。
だが、これは気休めではない確信だ。
「そうかなぁ…? そんな人いないんじゃないかなぁ……?」
「貴様は肝心な時以外はだらしないからな。その辺しっかりしている女性が良いだろう」
「手厳しい……。でも、まぁそうだね。これは一生独身かも……」
もうネガティブが加速しているトレーナーの声は頼りない。
まぁ、無理もない。
だからこそ伝える。
「大丈夫だ。"必ず"現れる」
そう、近い内に"必ず"な。
この"私"が保証するから安心しろ。
その前に、まずは貴様の過去を"しっかり"清算するとしようか。
私の携帯端末に、女を捕らえたという報告が上がっていた。
前回に引き続いてご精読頂きましてありがとうございます。
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