あれから二瞬間が経ち、選抜レース当日。現在、私はレース会場の控え室にいた。
「もうそろそろだな」
私の横に座っていたモルガナがそう言った。立て掛けられている時計を見れば、11時30分。あと30分でレースが始まる時間だ。
「緊張してるか」
モルガナに、うん、と答える。多分、この先の人生でこれ以上に緊張することはないだろう。
目を閉じ、少しでも心を落ち着かせる。
「安心しろ。なにせ、オマエはワガハイが見込んだウマ娘だからな」
モルガナが私をそう励ました。私はありがとう、と伝えた。
「ジョーカーさん、どうぞこちらに」
スタッフの声が聞こえ、私は立ち上がる。
「いってこい、ジョーカー。ここがオマエのスタートだ」
モルガナに向かって強く頷き、私はその場を後にした。
『さぁ、始まりました。選抜レース芝2000m。最初の一歩を踏み出すのはどのウマ娘か。一番人気は――』
顔を叩き、自分の目を覚ます。強く叩いたせいでヒリヒリとした痛みが走るが、それが心地良い。
『三番人気、ジョーカー』
アナウンサーの声が聞こえ、それを合図にターフへと歩き出た。自分の視界に入るのは、パッと見でも4000人以上はいるであろう観客達。最前列にはアキュートやマヤノ、アグネスタキオンの姿が見えた。私に手を振ったマヤノに振り返し、ゲートに近づく。辺りを見ると、何人かのウマ娘がゲートに入っている姿が目に入った。ルイザリオン、差し。アドミニストラル、逃げ。なんとなく、自分の中でウマ娘の脚質が分かるような気がしたが、気のせいだろう。
『全ウマ娘、ゲートイン完了』
ゲートの中、目を閉じる。最初の一歩を踏み出すのに、視界は邪魔だからだ。
『いざ、選抜レース、スタートです!』
ゲートが開く音がした瞬間、足を踏み出す。出遅れはいないが、私より早くゲートを出たモノもいない。
『さぁ、各ウマ娘綺麗にスタートしました!ジョーカー、一気に先頭に躍り出ていく!』
自分の視界に入るのは、誰もいない芝のターフ。私はこのレースで逃げを選択した。自分の直感を信じるのであれば、出場しているウマ娘は差しが多く、私はも差しにしてしまうと前が詰まると判断したからだ。一歩一歩前進するごとに、勝ちたい、という思いが溢れてくる。
『──先頭ジョーカー。第三コーナーを抜け、第四コーナーへ!他のウマ娘達もぐんぐんスピードをあげていく!ジョーカー苦しいか!』
後ろを確認すると、すぐ近くに何人かのウマ娘の姿が入った。一瞬、みんなが早くなったのかと思ったが、逆だ、私が遅くなっている。トレーニングの知識もないただのウマ娘が二週間闇雲に走り込んだぐらいでスタミナがつくはずもなく、気付けばすぐ真横にウマ娘の姿があった。駄目だ、抜かされる。そう思った時には、すでにそのウマ娘の体は私よりも前にあった。追い越そうにも、すでにスタミナは底をつき、走っているのがやっとの状態だった。自分の後ろからも他のウマ娘の足音が聞こえる。もうすぐそこまでやって来ているのだろう。ここで私は負けてしまうんだろうか。スタート地点に立つ事すらできずに、道が閉ざされてしまうのだろうか。
─────諦めるのか
ふと、誰かの声が聞こえた。
────なにも為せないまま、お前は諦めてしまうのか
まただ。いったい誰なんだ、お前は。
────お前は自身を応援している者達を裏切り、無様に泣き崩れるというのか
黙れ。
────このままでは、本当に負けてしまうぞ。それでもいいのか
良いわけないだろ!!
────よかろう・・・覚悟、聞き届けたり。
契約だ。我は汝、汝は我・・・。己が求める勝利のために、数多の敗北を認めぬ者よ!その思い、我が名と共に解き放て!たとえ地獄に繋がれようと全てを己で奪い取る、強き意思の力を!
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生徒会室にて、私、シンボリルドルフはある選抜レースを観戦していた。ラモーヌが興味を持ったウマ娘、ジョーカーが出場していたためだ。
『いざ、選抜レース、スタートです!』
「ほぅ」
思わず、ため息が漏れる。ジョーカーの発バが完璧に近いものだったためだ。ゲートが開いた瞬間に足を踏み出す、なんて事はこの学園にいるウマ娘でも10人できるかどうか、のレベルだ。が、あまりにも飛ばしすぎている。あのペースでは走りきることはできないだろう。
『──先頭ジョーカー。第三コーナーを抜け、第四コーナーへ!他のウマ娘達もぐんぐんスピードをあげ、ジョーカーに追い付いていく!ジョーカー苦しいか!』
案の定、ジョーカーは後ろから追い付いたウマ娘に抜かされてしまった。ジョーカーの体力は底を付いているのに対し、後ろのウマ娘にはまだ余力があると見える。なんにせよ、このレースではジョーカーは着外まで落ちるだろう、そう思い、レースから目を離した時だった。
『ジョーカーです!ジョーカーが更に加速し、どんどん追い抜いていく!速い!速すぎる!』
「は?」
アナウンサーの声が聞こえ、咄嗟にレースに目を向けると、ジョーカーが途轍もない末脚で前方のウマ娘を追い抜いていく姿が目に入った。あの状況から更にスピードを上げるなんて不可能だ!そう頭では理解していても、自分の目は事実を見せ付ける。
『ジョーカー一着、ジョーカー一着!』
気付けば、私は涎を流していた。近くの鏡を見ると、そこに移ったのは獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべた私の顔。どうやら、私はジョーカーというウマ娘を存外気に入ってしまったらしい。なにせ、私の脳内ではすでに彼女を敵に見据えた私とのレースが行われているのだから。今は勝てるが、この先どうなるか分からない。そんな感覚は初めてだ。
「ジョーカー、か。面白くなってきたじゃないか」
私の呟きは、誰にも聞こえることなく熱狂に消えた。
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気付けば、空を見上げて倒れていた。周りからは私を呼ぶ声が聞こえるため、私は勝ったのだろう。
「がんばったねぇ、ジョーカーちゃん」
観客席から駆け寄ってきたアキュートが私を抱き締める。その安らぎの中、私は目を閉じた。