まるやまっ!   作:わらしべいべー

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課題に呑まれ、就活に追われ、トドメに風邪をひく。

オデノカラダハボドボドダ‼︎



【前回のあらすじ】
・詩船さん、ジャンクフードがトレンドになる。
・彩・香澄「友情パパワー!!」
・天文学部の期待の新星香澄ちゃん!入部早々暗黒空間を生成する!







りさ!

 

 

 

 

 

 

 その部屋は小物や日用品が散乱していて、酷い有様だった。

 綺麗に整理されたその部屋の名残りは、今や見る影もなく、ことごとくがその本来の役割を失っている。部屋から人気も感じられない。雰囲気だけはまるで廃墟の一室だ。

 

「……」

 

 しかしそんな部屋で彼女、今井リサは虚な瞳で黙々とイヤフォンから流れる音楽を聴いていた。シャカシャカと音が漏れ出る中、ぼうっと心あらずな表情を浮かべている。

 

 リサはここ数日、ずっとこんな調子だ。

 最初は今より軽度だった。変な夢を見たり、いつもより彼女の動画、『くいーん』の音楽を聴くのが多くなった程度。しかし日を追うごとにそれはどんどんと悪化していき、最終的には今のような日常生活もままならない有様になってしまった。

 今の彼女は普段の軽快で明るい性格とはまさに真逆。暗く、深い焦燥感に駆られているその表情はまさに亡者という言葉が相応しいと言えるだろう。

 

「……ッ!!」

 

 音楽が終わる。

 直後、言い表しようのない不安が津波のように彼女の心に襲いかかってくる。不安で不安で仕方なくて、心がどうにかなってしまいそうなほどに軋んで、どんどんと精神が食われていく感覚に陥る。

 

「ハァ…!ハァ…!」

 

 …足りない。足りないのだ。

 自分の心があの音を、あの姿をもっと目に焼き付けたいと渇望している。もはや限界だった。似ているだけの動画の音じゃもう満足できない。本物の、彼女の姿を目に焼き付けたい、耳に入れ込みたい。そんな衝動に駆られる。

 ふと、部屋に置かれていた小さな置鏡に自分の顔が映る。ボサボサの髪に、全く手入れされていない肌、深い隈のできた目元、虚な瞳。とてもかつての今井リサとは思えない様相だった。

 

(……何やってんだろ、アタシ)

 

 学校にもRoseliaの練習にも行かず、ただこうして一つのモノを求めるだけの己。

 Roseliaのメンバーたちからは何度も心配のメールや電話がかかってきたし、友希那も毎日のように部屋の前まで来て自分の様子を見に来てくれている。しかし、リサはその悉くに何も返せなかった。

 惨めだったのだ。あの歌に音に姿に魅せられ、こんなまるで穀潰しのような自堕落も良いところな自分になってしまったことが。バンドメンバーに、家族に、親友に、迷惑以上のことを掛けてしまっている己が、惨めで惨めで仕方なかった。そして自分がそれを全く治す気がないことにも。

 

(…ごめんね、みんな…でももうアタシ…)

 

 そうしてリサはイヤフォンをつける。あれだけ心の中で懺悔に塗れておいて結局はそこに帰ってきてしまう最悪な自分の自己嫌悪に苛まれながら。

 

「…あ」

 

 音楽を再生させようとボタンを押すが、間違えて別のアプリを開いてしまう。それはSNSの投稿サイトだった。操作を誤ったことにイライラしながらも元のアプリを開こうとする。

 しかしふと、画面を見るとネット上に投稿されていた一つの動画が目に入る。それを見て思わず思考が止まった。

 

 

「………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 ●●●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近私自分の演奏が地味だなって思うようになってきたんだよね」

 

「1000%それは無いと思うけれど理由を聞かせてほしいわ」

 

 放課後の音楽室。

 いつものご教授レッスンをしている途中、突然そんなことを言った彩に千聖はすぐに反応した。

 

「いやさ、実はこの前私のファンだって子と一緒に演奏したんだけどさ、その子が超健気で!すごい初々しかったんだよねー!」

 

 何それ裏山なんですけど。

 千聖はそんな本音を無理矢理飲み込む。

 

「それでさぁ、気づいちゃったんだよね!私の音楽から『若さ』が抜けてることに!!」

 

「…若さ、って彩ちゃんはまだ若いでしょう?」

 

「いやいやいーや!そう言うのでは無い!今の私には若者特有の元気がなくなってきてるってこと!」

 

「ひょっとしてそれはギャグで言ってるのかしら?」

 

 げんきのかたまりを定期接種しているのではないかと思うくらいには常日頃からはち切れていると思うのだが。

 

「ギャグとかギャングならこんな真剣に言わない!兎に角!私は今から若さを取り戻そうと思う!」

 

「でも若さを取り返すなんてどうやって…?」

 

「若さが足りないってことは、私が初心を忘れているってことだよ。つまり初心を取り戻せば私はさらにグレートになれるってわけ!」

 

 相変わらず理論飛躍が著しい。それに千聖から見れば既に彩はこの世の頂点に立っているも同義だ。その気になればその手の業界でトップに躍り出るのも容易いはず。一体これ以上ここで上を目指してどうなるのだろうかと思うところはある。

 …もしかして、彩には何か目的があるのだろうか。思い返してみれば、行動自体は破茶滅茶だが、何処か一貫性がある気がしないこともない。ならばそれを確かめるために、一度ここらで動くべきだろう。

 

「じゃあ。一旦外に出てみましょう。気分転換ってことも兼ねて」

 

「良いね!もしかしたらうっかり地面に落としちゃってるのかもしれないし!」

 

「初心って落としちゃうものなの?」

 

「大人だって青春とか初恋とかを落とす時代だよ?初心くらい落ちてるって!」

 

「そういうものかしら…?」

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 ーー

 ー

 

 

 

 

 

 

「無いよーっ!!」

 

「はぁ、はぁ…、でしょうね…」

 

 あれから学校から出て片っ端から彩の気の向いたところに探しに行くこと2時間。当然のように彩の求めていたものは見つからなかった。

 

「今更だけれど、初心って地面に落ちているものでは無いわよね…。せめて物とかなら分かりやすいのだけれどね。音楽を始めるきっかけになった物とか…」

 

「忘れちゃった!ごめん!」

 

「まぁ、知っていたら苦労してないわよね…」

 

「あっ!でも他の拾い物なら何個かしたぜ!」

 

「拾い物?」

 

 そう言って彩は何処からかずた袋を取り出す。どうやら探し物ついでに興味のあるものを拾い上げていたらしい。ポケモンかお前は。

 

「例えばー…、ほらキャラ消しゴム!ハツドマンだぜ!」

 

「あら懐かしい。昔は手足をもいで遊んでたわ」

 

「ほら500円硬貨!これでジュース買えるよ!」

 

「よく見たら玩具ねこれ。プラスチックでできてるわ」

 

「ほら猫ちゃんだぜ!毛が真っ白!丸くてむっくりしてる!」

 

「ニャー」

 

「あら可愛い。お団子みたいね」

 

「ほら友希那ちゃん!猫に釣られてやってきたよ!可愛いね!」

 

「にゃーんちゃん…」

 

「ええ……って誰!?」

 

 猫の後に摘まれていたのは、明らかな人間だった。

 あまりにも自然な流れで出されたので思わず見過ごしそうになってしまった。しかも当の本人はこちらのことは気にも留めず猫と戯れている。

 

「ニャーン………ハッ!?ひ、久しぶりね彩…」

 

「昨日会ったばかりだよ友希那ちゃん!猫をチラつかせただけでついてくるなんて私友希那ちゃんの将来が心配だぜ!」●REC

 

「ちょっと撮影しないで!消しなさい!」

 

「嫌だね!いずれ完成する丸山放送局で流すんだい!あ、友希那ちゃんも出てね。生放送スペシャル組むから」

 

「出ないわよ!」

 

「えー、猫カフェとか行かずにタダで猫と戯れられるハイパーサービス番組なんだけどなぁ」

 

「うっ…!で、出な…!でっ…でッ!うううっ…!」

 

「あーほらほら泣いちゃダメだよ。はい猫ちゃん」

 

「あ、ねこねこ…」

 

 …なんというか、情緒不安定な人だ。

 猫を片手に一喜一憂している様は滲み出る変人感を拭えていない。やはり変人には変人が集うものなのだろうか。

 

「彩ちゃん、その人は…」

 

「友達の友希那ちゃん!歌が上手い猫愛好家だよ!」

 

 友人か…。まぁ、明るい性格の彼女のことだ。自分の他にも友人は沢山いるのだろう。

 友希那と視線が合った。ちょっぴり気まずい空気が2人の間に流れる。

 

「…白鷺千聖よ。よろしくね」

 

「ええ、湊友希那よ」

 

 仮面越しに、彼女の琥珀色の瞳を見つめる。

 ……彼女は彩のことを知っているのだろうか。彩が目を焼く極彩を放つことを、眩しくも優しい輝くカリスマを。

 知っていたとして特別どうと言うことはないが、仮に彼女も自分と同じように彼女に惹かれたのならば敵対する可能性もゼロではない。

 

(……その時は、思い切りをつけないといけないわね)

 

「そうだわ彩。少しお願いがあるの」

 

「お願い?」

 

「ええ、丁度貴女を探していたからそっちから来てくれて助かったわ。……正直、無関係な貴女にこんなことをお願いするのは気が引けるのだけれど…」

 

「いーよいーよ!たとえ神龍が叶えられなくてもこの私ならば叶えてしんぜよう!取り敢えず天ぷらセット一式でお願いします!」

 

 コストはかかるのね。

 しかし天ぷら一式でどんなお願いも聞いてくれるなら正直魅力的だ。

 

(……天ぷらで懐柔してから勧誘もアリね)

 

 

「それでお願いって?」

 

「…私の友人を…リサを部屋から出すのを手伝ってほしいの」

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 

 友希那が言うには、最近バンドメンバーであるリサの様子がますますおかしくなっているとのことだった。

 家に引き篭もるようになってからバンドどころか学校にすら行かなくなったリサ。以前の自分たちのように奇妙な夢に苛まれているのだが、日に日に症状が悪化しているらしい。今では友希那の話すらまともに聞いてくれない程に精神が不安定で、リサの両親も大層心配していた。

 一応精神科にも一度診せたようだが、目立った原因はわからず終い。入院も勧められたが、本人が激しく拒否。完全に手詰まりになっていた。

 そんなわけで、自分を直してくれた彩ならば…と友希那は考えて、藁にもすがる思いでお願いしてきたわけだ。

 

「ここがあの女のハウスね!今すぐ成敗してやるんだから!行くよ2人とも!」

 

「彩、リサの家は反対だわ。そっちは私の家よ」

 

「それはそれで気になる!猫ちゃんとかいるかな!?」

 

「くっ…、猫はいないわ…!いたらあんな苦労は…」

 

「えー、うっそだー!そんなこと言ってさぁ、中に濁流の如くいるんじゃないのー?ニャーン・オーシャンで年中ニャカンス生活してるんでしょー?」

 

「濁流……猫の海……ニャカンス………ハッ!?い、今はリサが先決!ほら行くわよ!」

 

「嫌!えーい!こうなったらベランダから侵入してやる!」

 

「させないわ!見なさい!これが暴れ出す彩対策で生み出した秘技!にゃーんちゃん・きゃぷちゃー!」

 

「うげぇ!?首がしまりゅ!?」

 

 何処からか取り出した猫の首輪を投げて彩の首に装着。そのままリサの家まで引っ張る。反発する彩を力の全てを使って引っ張っている様は、さながらペットと飼い主である。

 尚、次の日に友希那の両腕が筋肉痛になるのは蛇足である。

 

「すみません私も無理を言って着いてきてしまって」

 

「…い、いえっ、元々は貴女が彩の先約者よっ。こちらの都合を後に入れてしまったのだからこれは当然っ…!その代わり…!」

 

「分かってるわ。無遠慮に他言する程私は腐ってないわよ」

 

「ええっ…!助かるわ…!」

 

「うげっ、げっ、くるしっ…!」

 

 最初は変人かと思ったが、案外常識が通じる人だ。まぁ、最近は彩然り、パスパレ然り、常識のない人と接しすぎたせいで感覚が麻痺している感も拭えないが。

 特別他人に彩との領域を侵されることを恐れているわけでも無いし、彼女は敵視するような人物では無いだろう。

 

「…取り敢えず手綱、引くの代わりましょうか?というか代わってください」

 

「……嫌よ」

 

 前言撤回、やはりこの人は敵かもしれない。

 

 

 

 

 

 ー

 

 

 

 

 

「飼われるかと思った…」

 

「貴女が無理矢理私の家に不法侵入しようとするからよ。反省しなさい。……さて、ここがリサの部屋よ」

 

 3人の前には可愛らしい文字で『リサ』と書かれた看板が掛けられている。

 その看板一つ見ても、その手作り感が出ている可愛らしい仕上がりに、リサと呼ばれる人物が相当に女子力が高い人物だと伺えた。

 

「…先に私がリサと話をしてみるわ。まだリサが何を考えているのか分かってる訳じゃないから…」

 

 リサが引きこもってから友希那は彼女と碌に会話をしていなかった。彼女が頑なに喋ろうとしないからだ。

 これまで自分がリサに苦労をかけていたことが気にかかって今日に至るまで聞けなかった。しかし今日は隣に彩もいる。いよいよ友希那にも腹を括る時が来たのだ。

 軽く扉をノックする。

 

「……リサ、聞こえているかしら。私よ」

 

 しかし、扉の先からは何の反応も返ってこない。いや、それどころか人の気配すら感じない。まるで扉の先に虚空でも広がっているのではと勘違いしてしまいそうなほどに。

 

「…入るわよ」

 

 扉には特別鍵が取り付けられているわけでも無い。静かに友希那は扉を開けて中に入る。2人もそれに続く。

 

(これは…、酷いわね…)

 

 千聖は部屋の様相を見て思わずそう思った。

 おそらく元はきっちり整理された女の子らしい部屋だったのだろうが、今や見る影もなく散らかりきっている。

 一体誰がこの部屋をここまで荒らしたのか。その答えは目の前にあった。

 

 布団にくるまった誰か。一瞬置物かと錯覚したが、確かに人間だった。ということはあれが…

 

「…リサ」

 

「……」

 

「リサ、聞こえているかしら?」

 

 反応は無い。

 

「…もうやめましょう。ずっとここにいても何も変わらないわ」

 

「……」

 

「そうやっていても、何も変わらないことは貴女自身が1番よくわかってるはずよ…」

 

「……」

 

「…確かに、あのアオハルの演奏は凄かったわ…。一度私たちは敗れた。でも、終わったわけじゃ無いの!私たちはまだやり直せる!」

 

「………」

 

「貴女にはこれまで酷い苦労を掛けたわ…。私のわがままで振り回してもきたし、酷いことも言った。……ごめんなさい、本当に…」

 

「…………」

 

「でも私は考え方を変えた。お父さんのためじゃなくて、私のためにFESで優勝するって決めたの!今のRoseliaで!」

 

「………」ガリッ

 

「だから私たちには、Roseliaには貴女が必要なのよ!リサ!お願いだから帰って来てッ!!」

 

 そう言って友希那は包まっている毛布を引っぺがす。

 そこに居たのは、顔を俯かせながら一心不乱にイヤフォンをつけてスマートフォンの画面を見ている今井リサの姿。その目からは狂気とも言える執念のようなものが読み取れた。

 友希那と千聖は思わず言葉を詰まらせ、その場で立ち尽くした。

 

(…友希那さんは、さっきアオハルって言ったわね…)

 

 少しだけ読めてきた。

 おそらく、彼女はあの時ライブの場にいたのだ。それであの『アオハル』の演奏に当てられて心が折れてしまった…だろうか?なんにせよ、今回彼女がああなった原因の大半は彩にあるということだ。

 千聖は改めて丸山彩という人間の影響力に戦慄する。友希那の話を聞くに元は相当に明るい性格だったようだ。道中で見せてもらった写真でも明るい今時のギャルと言った印象を抱いた。

 そんな彼女が、あそこまで変わり果ててしまう。たった一度のライブで。決して他人事ではないが、千聖は同情の意を抱いた。

 

 友希那は苦々しい表情でリサを見つめる。

 いつまでもこんな変わり果てた親友は見たくはなかった。どうにか元の元気な彼女に戻って欲しい。

 

 対するリサは毛布を取られたことにも何の反応も示さず、友希那のこともまるで居ないかのように無視を貫いている。

 

「……リサ!!」

 

 我慢の限界になった友希那はリサの持っていた携帯を取り上げた。イヤフォンが耳から抜ける。

 しかしリサは何も反応を見せなかった。あれほど執着していた物を取られた割にはあまりにも無反応。妙に思った友希那は徐に携帯の画面を見る。

 

「…これって」

 

 そこに映っていたのは一本の動画。

 路上で少女2人が演奏している数分の動画。そのうちの1人にはひどく見覚えがあった。

 

「……ハルカ?」

 

 本体の音量は下げられていたので音は聞こえないが、この黒髪、このベースの弾き方、間違いない。アオハルのハルカだった。

 

「どうして…」

 

「ねぇ返して」

 

 地の底から鳴ったような声が聞こえた。リサだ。

 いつの間にか立ち上がっていたリサは乱雑に携帯を取り返す。

 

「ッ、リサ…」

 

「……もう…、もう良いんだよ」

 

「良いって、何がよ!」

 

「…アオハルの演奏を聴いた時に、思っちゃったんだ。アタシなんかじゃステージに見合わない…、もうアタシじゃあ友希那たちの隣に立てないって」

 

「そんなこと…!!」

 

「あるんだよッ!!友希那が変わったからとか、Roseliaが前に向いたからとかじゃ無いの!アタシがッ、アタシ自身がもう、折れちゃったんだよ…!弾く側じゃなくて聴く側になりたいの…!!」

 

「だって、そっちの方が幸せだって感じちゃうからッ…!!友希那たちと演奏するよりも、ずっと…!」

 

 そう言ってボロボロと涙をこぼすリサ。

 彼女も友希那の前でこんなことは言いたくなかった。しかし事実だ。彼女は彩の演奏を見てしまった時点で、友希那に食らいついていたなけなしのプライドも、抱いていた夢も、木っ端微塵に砕かれ、ただの一色に塗りつぶされてしまった。

 

「……」

 

 友希那はよろめきながら後ずさる。

 今までずっと連れ添ってきた親友からの明確な拒絶の言葉。それは友希那の心を揺らすには十分過ぎた。

 

「…出てって」

 

「ま、待ってリサ!」

 

「皆んなによろしく言っておいて、もうアタシは使えなくなっちゃったから、Roselia抜けるってさ…」

 

「そんな…認めない!認めないわそんなの!!」

 

「帰って!!!友希那の夢に、もうアタシは必要ないの…!!!」

 

「リサッ…!」

 

 

 

 ー

 

 

 

 友希那を押し出して無理矢理扉を閉める。今度は入ってこれないように側にあったタンスを扉の前にズラして置く。ドンドンと扉を叩く音と友希那の叫ぶ声が聞こえる。耳を塞いで聞かないふりをする。

 …数分して部屋に再び静寂が戻り、リサは壁にもたれかかる。

 

「………はぁ…、ふふ、あはははっ。何やってんだろアタシ……」

 

 これでリサの手元には何もかもが消え去った。バンドも夢も親友も。空虚な喪失感だけが胸に広がり、悲しみが胸から込み上げてくる。

 この二週間自分を苦しめたRoseliaの禊。消えて清々するかと思ったが、やはりそんなことはなかったようだ。

 

「……」

 

 もう何もかも忘れたい気分だった。

 その一心でリサは携帯の画面をつけて動画を再生する。

 

「……ふふっ」

 

 偶然SNSで見つけたアオハルのハルカの演奏動画。今やネット上では既に削除されてしまっている貴重なものだ。本人は歌っておらず、ベースを弾くだけの役目だが、その溢れ出る存在感を隠し切れてはいない。唯一、これから彼女のソロ演奏が始まると言うところで動画が途切れるように終わっている点だけは残念だが、それでも彼女の姿を再び拝めただけでもありがたかった。

 

 楽しそうに歌う彼女を見ているだけで不思議と幸せな気持ちになれる。たった今あったことが霧散するように頭の中から離れていく。

 今井リサは完全に画面の中のハルカに酔っていた。

 

「やっぱり素敵だなぁ…」

 

「えぇ〜、照れるなぁ。じゃあさ、例えばどんなところが素敵なの?」

 

「全部だよ!歌もベースもハルカ自身も!とってもキラキラしていて、この人を見てるだけで凄く幸せになれるんだよ…」

 

「幸せなのは良いことだよね!」

 

「うん。…ハルカはアタシのことを救ってくれるんだよ。今の惨めな私を忘れさせてくれる。夢を叶える力のない私に、優しい夢を見せてくれるんだよ」

 

「てことはその夢諦めちゃったの?勿体無いなぁ」

 

「仕方ないよ…。アタシじゃ皆んなについて行くなんて最初から無理だったんだ…。一丁前に夢だけ語ってさ。実力ないと意味ないのにね。あはは…」

 

「そう?私はリサちゃんの演奏大好きだったけどね!紗夜ちゃんと同じくらい楽しそうに弾いてたじゃん!」

 

「…あの時はまだ思い違ってたんだよ。やっと友希那と並べたって…」

 

「思い違いじゃないよ。リサちゃんは溺れながらちゃんと前を向いて友希那ちゃんの隣に立ててたよ」

 

「…ッ!そんなわけ!」

 

 怒りの表情で顔を上げる。誰かは知らないが、知ったような口を言うのは気に食わなかった。そうして視界に入った桃色を目にして、突然にリアルを直視する。

 

「…え、は?だ、誰…?」

 

「やっほー」

 

 リサは今更部屋に残っていた彩の存在に気がついた。動揺して携帯を落としてしまう。彩はそれを拾った。

 

「フッ、我ながらよく動画映えしてやがるぜ!香澄ちゃんにも送りたいなー」

 

「…だ、誰なの貴女…?」

 

「私はRoseliaファンクラブ総隊長コードネーム『ぎゃらくしー』!貴女のハートに銀河的フォーチュンブレイク!ファンという垣根を超え、タキオン粒子を伴って貴女をお助けに来たのだ!」

 

「???」

 

「さぁこの陰湿な汚部屋から出て無限の彼方にまで行こうではないか!いざちょーてん!」

 

「…よ、よく分かんないけどさ、早く出てってよ。助けるとか、余計なお世話だし…」

 

「嫌!リサちゃんがいないとRoseliaは復活しないんでしょ?だったら戻らないと。友希那ちゃんも待ってるぜ」

 

「…無理だよ。見てたでしょ、私もうRoseliaの一員でもなんでもないんだよ。もう私に戻る居場所なんてどこにも…」

 

「フッ、あんな行けたら行くみたいなあいまいみー口約束未満で本当に抜けられたと思っているお前の姿はお笑いだぜ。…友希那ちゃん絶対まだ諦めてないよ」

 

「そういう問題じゃない!!……アタシがもう弾けないんだよ…!」

 

 今井リサは良くも悪くも凡人だった。少なくともRoseliaの中では。だからこそ、他のメンバーとの実力差や才能の違いに常々コンプレックスを感じていた。本当に自分はRoseliaに必要なのか?いずれ捨てられるのではないか?そんな不安が心に巣食う日常。それでも親友である友希那の隣に立てていると思い込むことで、何とか己を保っていた。

 しかしそのなけなしのプライドは、あのアオハルの演奏を聴いて粉々に砕け散ってしまった。強烈な光と依存の果てに起きてしまった劣等感の爆発。それは支えを失ったリサを押しつぶすには十分過ぎた。

 

「アタシ、もう疲れちゃったんだよ、弾くの。ギター持つたびにさ、思っちゃうんだよね。私じゃなくても良いって…。それでいつの間にかギターを持ってる手が震えちゃうの」

 

 しかしそんな彼女を救ってくれるのが、『くいーん』の音楽であり、あの路上ライブの動画だった。今の弱くて情けない自分を慰めてくれるような気がしたから。

 そしてそれと同時に絶望した。自分はどこまで行っても聴く側に過ぎなかったことを知ったから。いつかの友希那と一緒に語った夢。それを叶える権利すら、自分には無かったのだと理解してしまったから。

 

「キミもさ、ファンなら分かるでしょ?Roseliaの中核は友希那。何もかもが中途半端なアタシが友希那の足枷になるわけにはいかないの…!」

 

「全然分かんない。だってRoseliaのベーシストはリサちゃんだけなんでしょ?」

 

「そんな…わけないよ!!アタシより上手い人なんて、強い人なんて探せば掃いて捨てるくらいいるに決まってる!!ハルカだってそうだった…!アタシは子供のままなの!夢を見てるあの頃から何にも成長してない…!実現する力もないくせに…!」

 

「それはただの思い込みだよ。リサちゃんがそう決めつけてるだけ。リサちゃんが思ってるよりもずっと現実は優しいよ」

 

「うるさいうるさいうるさいッ!!!何なのさっきから!!キミに何が分かるの!?私のこと何にも知らない癖して偉そうに!!」

 

 自棄になったリサは毛布にくるまって籠ってしまう。

 

「出てって!出てってよ!!」

 

「うーん…、弱った…」

 

 紗夜や友希那とはまた違った弱さ。自分に価値がないと思った瞬間に、諦めがついてしまうタイプ。

 はっきり言えば、彩はリサのように上から打ちのめされた経験が無い。挫折の経験はあれど、自分に負けたことはないのだ。なのでこういう時、どういうふうにアドバイスを送れば良いのかがイマイチ掴めずにいた。

 

「…あ、そうだ!じゃあ、一回試してみようよ!えーっと確か…」

 

「…な、何?あんまり勝手に部屋漁らないで欲しいんだけど…」

 

「あった!テッテレー、リサちゃんのギター(ダミ声)!」

 

 彩は少しばかりの埃が積もったそのケースを開けて、中からベースギターを取り出す。リサにとっては最早忌々しくも思っていたそれを。

 

「ちょ、ちょっと勝手に…」

 

「無理だ無理だなんて言う前にさ、一回弾いてみたら?案外うまく行くかもよ」

 

「…やめてよ。聞いてなかったの?アタシはもう…」

 

「ほら立って立って!人生足2本で立たないと生きていけないぜー!」

 

「…ッ、本当いい加減に──!!」

 

「立て」

 

「──はい」

 

 すくりと何の抵抗もなくリサは立ち上がる。

 

「ん、良い子」

 

「あ、あれ…?何でアタシ…」

 

「よし、じゃあギター装備!これで今井リサ完全体だ!」

 

 いつの間にか、自分の肩にはベースギターのベルトが掛けられていた。何が起きたのかがわからないリサは混乱する。

 

「じゃあ何か知ってる曲とかある?Roseliaの曲でも良いからさ!」

 

「………えっと…」

 

 動けない。

 彩は演奏することが決定事項かのように言っているが、そもそもリサは了承の言葉を一言も発していないし、全く納得もしていない。しかし、何故かギターを取り外す気にもなれなかった。理由はわからないが、本当に放棄する気力が湧かなかったのだ。

 考えがまとまらないリサを放って彩は勝手に話を進めて行く。

 

「…大丈夫だよ、自分を信じて。私がリードしてあげるからさ」

 

「あっ…」

 

 背中から覆い被さって、両手にそれぞれベースのネックとピックを持たされる。その優しく包み込まれるような感覚に言葉を失う。

 何と言えば良いのだろう。安心感、だろうか。自分の中で深い暗雲のように蔓延っていた不安が少しずつ払われていくような優しい感覚。

 

「あの時のライブの曲で良いよね。最初に弾いたやつ」

 

 あの時、と言うのはRoseliaの初ライブのことだろう。ゆっくりと彩はベースギターのチューニングを進めて行く。

 

「…うん」

 

「じゃあ行くよ」

 

 ……その曲は、自分でも驚くほどに綺麗に弾けた。背後の彼女に支えてもらっているとは言え、まるで二週間のブランクを感じさせない程の…いや寧ろあの時よりもキレが上がっている気がすらした。

 低音と共に冷めてしまった熱が戻ってくる。瞬間瞬間に色を感じる。

 

「そう、順調。そのまま気持ちに任せて」

 

 どんどんと熱が高まって自然とピックを持つ手が進んでいく。さっきまでへばりついていたマイナスの感情が嘘のように腕が動く。

 いつの間にかリサは彩の支え無しで弦を弾けていた。そんな彼女の脳裏に満ちていたのは禊を切った筈のRoseliaのメンバーの顔……では無く、ハルカの声だった。いや、厳密には彩の声と言うべきか。己の隣で呟くように小さくベースに合わせて歌っている丸山彩の声。

 

 くいーんとハルカが同一人物であることに関しては、ある程度察しはついていた。そしてこの二週間、狂うように『くいーん』の曲を聞いていたから、あの動画で嫌なほどに彼女の姿を凝視していたから、解る。解ってしまう。

 それはみるみるリサの中で確固たる確信に変わっていく。

 

 

「ウン、最高だよ。リサちゃん」

 

 

 

 彼女は、くいーん(ハルカ)だ。

 

 

 

 

 

 ー

 

 

 

 

 

 

「なんだよーやればできるじゃーん!なーにが弾けないだっての。生意気いいおってー」

 

「……」

 

 汗が滴りぼやける視界でリサは改めて彼女を視認する。さっきまでは碌に顔を見れていなかったが、彼女の桃色の髪とルビーの瞳が目に入る。

 

「…ねぇ、キミ…名前なんて言うの?」

 

「フッ、そこまで気になると言うのならば仕方あるまし…」

 

 そう言って彼女は部屋にあるリサのベッドに登って仁王立ちで宣誓する。

 

「天が呼ぶ!地が呼ぶ!祭が呼ぶ!今巷で噂になっている花咲川の天災、丸山彩とは〜、私のことだッ!!」

 

 控えめに言って超ダサい決めポーズを披露してドヤ顔でキメる。

 これがギャグ漫画だったならばこのタイミングで背後が盛大に爆発していたことであろう。リサは数秒硬直する。

 

「丸山…彩…。そっか、貴女が…」

 

「ふふ、やっぱり私を知っているのだな!いやぁ私の名声も随分と広まって…」

 

 その瞬間、彩はリサに抱きつかれ、ベッドに押し倒された。

 彩は突然のことに唖然とする。

 

(…なんかデジャヴ)

 

「……あぁ」

 

「?」

 

「やっと、やっと会えたよ…!ハルカ…!」

 

「……」

 

 滝のような汗が流れる。

 

 な、ナナナナナナナなんでバレてるノーネ!?

 馬鹿な!こちらのセキュリティは完璧だったはず!

 

「は、ハルカって誰ナノーネ。そんな人しらしらしららら知らないよー」

 

「アハハ、ハルカって嘘が下手なんだね。…じゃあくいーんって呼んだ方が良いかな」

 

「おば、おばばびば…」

 

 自身の正体を的確に当てられて、機械のバグのようなノイズみたいな声を上げている。…そんな態度では自分から答えを言っているようなものである。

 しかし、リサにとってはそんな彼女すら愛おしく見えた。

 

「…アタシね、くいーんのファンなんだ。曲も全部聴いてる」

 

「しょ、しょうなんだ…。ありがと…」

 

「ずっと…、ずっと会いたかった…!ああ、くいーんってこんな可愛かったんだなぁ」

 

 リサは彩を力一杯抱きしめる。

 リサからすれば、この二週間ずっと自分のことを慰め、守ってくれた画面の中のアイドルが、自分の目の前に現れたのだ。その興奮と嬉しさは計り知れない。

 だからこそ、それを手放したくない、手に入れたいと思うのは人間としてごく自然なことだった。

 

「と、取り敢えず、部屋から出ない?ほらちゃんとギターも弾けたんだしさ!友希那ちゃん待ってるよ!」

 

「………嫌だよ、ずっとアタシと一緒にいて。アタシから離れないで…くいーん…」

 

「…うーん、私にもやりたいことがあるからそれはちょっと無理かなぁ」

 

「…………」

 

 リサは少しだけ巻いている腕を緩める。そうして独白を零していく。

 

「……くいーん、アタシね昔は歌手になりたかったんだ。キラキラしたステージでみんなの前で歌う。…今思えば友希那のお父さんの影響だったろうけど、それで流れでアタシと友希那はいつか一緒にバンドを作るって約束した」

 

「じゃあ歌えばいいじゃん。ツインボーカルとか珍しくないでしょ?」

 

「あはは、でもアタシ本当に歌はダメダメでさ…。音楽の先生には才能無いなんて言われたこともあった」

 

 しかし対する友希那には父親譲りとも言えるズバ抜けた歌のセンスがあった。正直に言うと、嫉妬した。自分が喉から手が出るほど欲しいものを友希那は持っている。それが羨ましくてたまらない。

 同時にそんな邪な心を持ちながらのうのうと友希那の隣に立っている自分自身が嫌になって、自虐的になったこともあった。

 

「友希那は天才だった。多分今でも自分のお父さん超えてるんじゃないかなって思うくらいには凄い。だからアタシの中で友希那より凄い人なんてもう出てこないって思ってた」

 

 思ってたのになぁ。そう言いながらリサは上半身を起こして彩の目を見やる。

 

「…もっと凄い人に出会っちゃった。アハハ、アタシくいーんのせいでこんなんになっちゃったんだよ…」

 

「……」

 

「…ねぇ、だからさ、くいーん。責任取ってよ」

 

 彩を掴んでいる腕が強くなる。両腕に痛みが走る。そこからは絶対に離さないというリサの執念が感じられた。

 彩は何も言わずにそんな焦燥したリサの顔をじっと見つめていた。そうして小さく口を開く。

 

「……私はリサちゃんにRoseliaに戻って欲しい。でもリサちゃんは私とずっと一緒にいたい」

 

「……うん」

 

「じゃあさ、一個約束しようよ。お互い納得できるような約束」

 

「約束…?くいーんとなら全然良いけど……でもアタシ…」

 

「そんな不安そうな顔しないで!丁度私も初心を思い出したの。だからお互いハッピーになれる話だよ!」

 

「??」

 

「ふふっ、実は私ね──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 ーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったわね、リサさんが戻ってきて」

 

「うん!一件落着!流石私!」

 

 彩はリサを連れて部屋から出てきた。

 部屋を出た瞬間に友希那が2人に飛びついてきて、困ったような笑顔を浮かべていたリサが印象に残っている。どうやら彩はリサの説得に成功したようだった。

 リサも先ほどのことを友希那に謝り、仲も取り持った。これでRoseliaは一旦の完全復活を果たしたわけだ。そんなわけで今日は一旦解散。彩と千聖は日が暮れた帰路を歩いていた。

 

 しかし、千聖の中には言い表しようのない違和感があった。丸く収まったはずだ。収まったはずなのだが、根本が解決されていないような感覚。

 

「…彩ちゃん、リサさんと中で何を話していたの?」

 

「んー、別に特別なことは何も?ちょっとお悩み相談して、一緒にベースギター弾いたくらい」

 

「だから部屋からベースの音が聞こえてきたのね。…でもそれだけじゃないでしょう?」

 

「何のこと?」

 

 千聖は足を止めて、彩に向き直る。

 

「彩ちゃん、私ね今貴女に夢中なのよ。貴女と会う時は常に目を離さないくらいには。だから彩ちゃんが嘘が下手っていうのも知ってるし、何かを隠す時は分かりやすいサインが出てくるのも分かってる。そう、例えば視線をいつも私の真反対に向けちゃうところとか、ね」

 

「うぐっ、何でわかるんでしゅか…?」

 

「さ、教えて彩ちゃん」

 

 そのマゼンタの瞳で詰め寄られ、思わず彩は後ずさる。

 

「べ、別に怪しいことしてないよ!ただ約束を一つしただけ!」

 

「約束?約束ってどんな?」

 

「それは言えない。ごめんね」

 

「…どうして?」

 

「リサちゃんと約束したから!あと私の都合!」

 

「…………」

 

 納得できない。納得できないが、これ以上問い詰めても彼女は何も喋ってくれないだろう。彼女は変に頑固なのだ。

 ならば今自分がすることは他人を見ることでは無く、できるだけ自分のポイントを稼ぐことだ。丁度準備も整った。今が動き時だろう。

 

「…ねぇ、彩ちゃん。明日の休日って空いているかしら?」

 

「明日?うん、特別何もなかったけど」

 

「バンドのメンバーを紹介したいの。集合場所は後で連絡するから来てくれないかしら」

 

「え、本当!?行く行く!」

 

「ふふ、ありがとう」

 

 ボサっとしていれば彼女は別の誰かに掠め取られる。今井リサであれ氷川紗夜であれ、そんな事実は白鷺千聖は許容できない。

 ならばやられる前にこちらで囲い込む。逃げる隙さえ与えず、付け入る隙すら与えず、完璧に。

 

「明日が楽しみだぜ!」

 

「ふふ、私もよ」

 

 

 さぁ、悪魔の口は目の前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●●●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…」

 

「どうしたんですか紗夜さん。随分と落ち込んでいますけど」

 

「羽沢さん…」

 

 コトリと目の前に淹れたての珈琲が置かれる。

 ここ羽沢珈琲店の一人娘である羽沢つぐみは心配そうに紗夜を見ている。

 

「久しぶりに来てくださったと思ったら、凄く落ち込んでるんですよ。一瞬別人かと思っちゃいましたよ」

 

「すみません、最近は少し…」

 

「何かあったんですか?できれば相談に乗りますよ」

 

「…いえ、あまり大した話ではないのですが、最近友人と一緒にいる時間がめっきり減ってしまって…」

 

「よく遊んでいたんですか?」

 

「遊んでいた…と言うわけでもないと思いますが、放課後はよく自主練に付き合ってもらってました。…なんですけど、最近は理由をつけて断られることが多くなってしまって…」

 

「成程成程…」

 

「部活にずっと入り浸ることもありますし、連絡だけ残して何処かに行ってしまうこともありました。私の方も部活やバンドの練習で予定が噛み合わないことも多くて…」

 

 しかもいつの間にか後輩まで誑かして来て…!弦巻さんといいそろそろ良い加減にして欲しいんですけどね…!

 

「さ、紗夜さん、顔が怖いですよ…」

 

「あ、すみません…」

 

 怖がらせてしまったようだ。もう少し自制しないと…。

 すると、別の店員が頼んでいたケーキを持って来た。

 

「お待たせしましたー!ショートーケーキです!」

 

「ありがとうございます」

 

「いえ!ではごゆっくり!」

 

 元気な声で店員はそそくさとその場を後にする。

 

「…この間は見ない方でしたね。新入りさんですか?」

 

「はい、一月ほど前に入って来た若宮イヴさんです。とても素直で熱心に働いてくれるんですよ!」

 

「へぇ…」

 

「それで、ここだけの話なんですけど、なんとイヴさん現役のアイドルなんですよっ」

 

「アイドル…。それはまた凄いですね」

 

「はいっ!…前まではあまり上手く行ってなかったそうなんですけど、最近は環境が良くなったとかで凄くご機嫌みたいなんですよね」

 

 アイドル…。

 そう言えば以前丸山さんが何故か苦手と言っていた。今度あったら理由でも聞いてみようか。

 

「あ、それでその友人さんのことでしたよね。うーん、本人に直接聞いてみるのが1番な気がしますけど…」

 

「…あまり口を割ってくれないんですよね。肝心なことは何も言わない人ですので…」

 

「…じゃあいっそのこと後を尾けてみては?」

 

「尾けるって…そんなストーカーじみた事…」

 

「偶には思い切ったこともしてみるのも大事…だと思いますっ。その友人さんが大事な人なら尚更です!」

 

「…そうね」

 

 …確かに、仮に自制を続けてその隙に丸山さんを誰かに掠め取られてしまうなんて事があれば、きっと私はどうかしてしまうかもしれない。…なら羽沢さんの言う通り偶には自分に素直に動いてみるのも大事なのかもしれない。

 

「…ありがとうございます。相談に乗ってもらって」

 

「いえいえ、こっちもご贔屓にさせてもらっていますので!」

 

「…ごちそうさまです。会計をお願いします」

 

「はい!」

 

 …取り敢えず丸山さんと会う約束を取り付けようか。尾ける云々はリスクも高い。真剣に丸山さんに問い詰めた後の手段として残しておこう。なんだかんだで彼女は隠すのが下手だから、勢いで攻めればあっさりゲロったりする。

 明日は1日バンドの練習が入っているから、明後日にしよう。私は携帯を取り出して丸山さんに明後日の予定が空いているかの旨を書いたメールを送る。

 

「どうぞ、お会計こちらになります」

 

「はい。…丁度でお願いします」

 

「分かりました!…あ、そういえば気になったんですけど友人さんのお名前って何て言うんですか?」

 

「ああ、そういえば言ってませんでしたね。丸山彩って言うんですけれど、本当に彼女は毎回毎回厄介事を持ち込んでくるんですよ!…いやだからと言って嫌いというわけでもないんですけど、せめてもう少し落ち着きを持ってほしいと……羽沢さん?」

 

「えっ、な、何ですか…?」

 

「顔色が悪いみたいですけれど、どうかしましたか?」

 

「だ、大丈夫です!何でもありませんよ!はい領収書です!」

 

「え、ええ。ありがとうございます」

 

「ではありがとうございます!またいらしてくださいね!」

 

「え、あの、ちょっと…」

 

 半ば追い出されるような形で店を出る。…一体どうしたと言うのだろうか。

 

「…あ」

 

 ふと携帯を見ると、丸山さんからOKの二文字が返って来ているのに気がついた。

 一週間ぶりに2人の時間ができたので気分が高揚する。どんなことをしながら問い詰めてやろうか。そんなことを考えながら私は帰路を辿った。

 

 

 

 

 








転生彩ちゃんのヒミツ⑨:子供の頃の夢は世界征服!絵本で読んだ魔王がカッコよくて堪らなかったそうだぞ!

にゃーんちゃん・きゃぷちゃー:彩専用捕縛道具。開発当初は猫に使う予定だったが、猫の首を絞めるのはかわいそうという理由で永らくお蔵入りになっていた。結構練習したのでそれなりに命中率は高い。近いうちに、あやちゃん・きゃぷちゃーに改名されることになる。



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