小鳥の囀りと、カーテンの隙間から差し込む朝日が顔に当たる。
それに反応するように、ゆっくりと意識が浮上していく。
目を開けた瞬間、ぶるりと体が震えた。無意識に身を縮めてしまうほど、室温が低い。
枕元のスマートフォンに手を伸ばし、いつものように天気アプリを開くと――表示されたのは「季節外れの降雪」。
「なるほど…」と納得しつつ、自分にぴったりとくっついている温もりを優しく揺らした。
「日菜ちゃん、朝だよー? ほら、起きて?」
「んにぃ……寒い、いや。二度寝すりゅ……お姉ーちゃん、あったかい~」
「だーめ。今日は私、バイトだし。日菜ちゃんも学校でしょ?」
「ぅー……起きるぅ……」
そう言いながらも、ぎゅぅっとさらに抱きついてくる日菜ちゃん。
それでも眠そうに目を擦りながら上体を起こしてくれたのには、思わずほっとした。
――が、その安堵は一瞬で吹き飛ぶ。
「ひぇ! さむっ!」
「きゃっ!? あわわっ!」
日菜ちゃんが急に立ち上がろうとして私に飛びついてきたせいで、バランスを崩してしまう。
当然のようにベッドから転がり落ちて――
バタンッ!
「……何をしてるんですか、二人とも」
重なり合ったまま床に落ちた私たちを、いつの間にか起きていた紗夜ちゃんが冷たい目で見下ろしていた。
「いたたた……」
「……るんっ♪」
思っていたよりも衝撃が少なかったな、と思いながら目を開けると、下には日菜ちゃん。
頬を緩めて、何だかすごく嬉しそう。
「こらっ、めっ」
そう言って額を軽く突くと、「ごめんなさーい♪」と、まったく反省の色なし。
「あっ、ごめんね! 上に乗っかっちゃってた……怪我とか、してない?」
「えへぇ……♪ ぜんぜん平気だよ!」
どうやら私は、日菜ちゃんの上に覆い被さるように落ちてしまったらしい。
一度上体を起こして、体勢を整える。――あの体勢から、下にいるのが日菜ちゃんって……。
「うん……下から見ると、確かに顔が見えなかった」
「……こほん。日菜。後で説教です」
「うぇ!? な、何もして……あ、じゅ、十分危ない行為でした! ご、ごめんなさい!」
睨まれた瞬間に素直になる日菜ちゃん。
私がくすくすと笑うと、日菜ちゃんはヘルプの視線を送ってくるけど――しーらない♪
……っていうか、「顔が見えなかった」って、どういう意味?
♪♬♫♫♬♪♬♫♫♬♪
「それじゃ、行ってきまーす!」
「いってらっしゃーい!」
「滑りやすいですから、気をつけてくださいね」
ふたりの声に背中を押され、いつもより少し早めに家を出た。
空は厚い雲に覆われ、さらさらと雪が舞っている。吐いた息は白く、空に吸い込まれるように消えていった。
――もう少し厚着してくれば良かったかも。そんなことを考えながらイヤホンを耳に差し、作曲中の音源を再生しようとした、そのとき。
「……はぁ」
何気なく視線を前に向けると、橋の上で立ち止まる少女の姿が目に入った。
み空色の髪が肩先で揺れ、川を見下ろすその表情には、どこか影が差しているように見えた。思わず足を止めてしまう。
声をかけようか――少し迷って、私は彼女の隣に立ち、同じように川を眺めることにした。
少女は一瞬だけこちらを見たが、すぐに何事もなかったかのように視線を戻した。
「ずっと、ここにいるの?」
「……はい?」
「暗い顔してたから。ちょっと気になっちゃって」
そう言って笑いかけると、少女は小さく驚いたように視線を逸らし、再びうつむいた。
「もし、何か悩みごとがあるなら……私でよければ、聞くよ?」
「……なんで、あなたに話さなきゃいけないんですか。関係ないのに」
「うーん……でもさ、橋の上で暗い顔してたら、“もしかして”って思っちゃうじゃない?
もし話して少しでも気が楽になるなら、それって素敵なことだと思うし」
私の言葉に、少女はぽつりと『……あー、そう見えちゃうんだ』と呟いて、また川を見つめた。
私もそのまま、隣で川に視線を落とす。水面に降り注ぐ雪は、触れた瞬間に静かに溶けていく。
「私……取り柄がないんです。高校受験が近いのに、何も無くて。趣味も、得意なことも。
でも、周りは……彼氏とか、彼女とか、大会とか……なんかこう、みんなキラキラしてて。
それが、うん。もやもやして」
「そっか。……つまり、今の自分から変わりたいんだね?」
「――え?」
驚いたようにこちらを見る少女。その目に、どこか戸惑いと焦りが混じっていた。
きっと、変わりたいけど方法がわからない。誰かと比べて、何もない自分に劣等感を抱いてる。
――なんだか、懐かしい。
私はつい、頬を緩めてしまった。
「……貴女には、わからないと思います。きっと、わからない」
「……自分を変えるには、勇気がいるよ。知らないことに飛び込む勇気。自分の弱さを受け止める勇気。誰かに気持ちを伝える勇気――いろんな勇気が」
「何ですか、それ……。……じゃあ、その“勇気”がない人は、どうすればいいの?
空っぽな人は、どうやって変わるの?」
「うん、それなら――分けてもらえばいいんだよ」
「……え?」
「小説でも、アニメでも、漫画でも、音楽でも。自分の心に響いた何かを、信じてみる。
誰かを想う気持ちとか、大切な人の笑顔とか、忘れられない感動とか……。
そこにある“何か”を、勇気に変えていけばいい。……それでも、どうしてもダメだって思ったら――私でも、いいし?」
しばらく黙っていた少女は、ぽつりと呟いた。
「……変われるのかな」
「きっと、大丈夫。あ、そうだ!」
私はカバンからメモとペンを取り出し、ある場所の住所を書き込んで彼女に手渡した。
「学校が終わったら、ここにおいで?」
「……“CiRCLE”? ライブハウス?」
「うん。今日は一日中、私がいるから。いつでも来ていいよ?」
「はぁ……分かりました。……あの、私、倉田ましろっていいます」
「私は氷川夕凪。受付にいるから、声かけてね?」
スマホで時間を確認し、まりなさんに《5分ほど遅刻します》とメッセージを送ると、
すぐに《ケガだけはしないように!いくらでも遅れていいから!》という優しい返信が届いた。
「じゃ、またね!」
私は手を振ってましろちゃんと別れる。
雪はまだ降っていて、髪と肩に、ふわりと白い粒が積もっていた――。
♪♬♫♫♬♪♬♫♫♬♪
「んー……」
静かなスタジオに、私の気の抜けた声が響いた。
想像以上に、暇。
機材の点検も終えたし、スタジオ内の清掃もバッチリ。
ならばと、カフェスペースの食材とドリンク在庫のチェックを試みたけれど――それすら、まりなさんが昨日のうちに終わらせてくれていた。
『今日は座ってるだけでいいよー? お客さんもほとんど来ないしさー♪』
――だそうである。
一応、スタジオ使用の許可だけはもらっておき、受付の椅子に腰を下ろす。
自分で淹れたコーヒーをちびちびと飲みながら、雑誌をぱらぱら。
「流行りのスタイル特集」
――あ、これは紗夜ちゃんに似合いそう。こっちは…日菜ちゃんかな。
……結局、頭の中に浮かぶのは妹たちのことばかり。
ページをめくりながらも、どこか上の空でスマホを弄っていると。
「……あっ、RinRinさんからメッセージだ」
RinRin: 今日はNFOに来ますか? 少し手伝ってほしいクエストがあって…
Nagi: 行くよー♪ もしかして、○○の素材集め?
RinRin: はい! 新しく追加されたクエストなので折角ですし……あこちゃんも誘って初見で行ってみたいな、と
Nagi: 私も行ったことないから、大丈夫!
RinRin: この時間にいつもの場所に居ますので、また後でね (^_-)-☆
ほっとしたような、ちょっと嬉しいような。
小さく息をついてスマホを置くと、ふと目に入った窓の外――
白い雪が、静かに降り続けている。細かい粉のように、風に流されながら地面に積もり始めていた。
「……明日は外出、ちょっと大変そうだなあ」
独り言のように呟いたそのとき。
ガラス越しに、誰かが中の様子を覗き込んでいるのが見えた。
「――あ」
肩まである淡い青の髪。戸口に半分隠れながら、気まずそうに中を伺っているその姿は――
「ましろちゃん……来てくれたんだ」
ガタン、と椅子を引いて立ち上がり、ガラス戸を開ける。
「いらっしゃい♪ 寒かったでしょ?」
ましろちゃんは、少しだけ照れたように頷いて。
「……うん。途中で、滑りそうになって」
「えっ、怪我は!?」
「だ、大丈夫。転んではないから……ちょっと焦ったけど」
「そっか……よかった。さ、入って入って。暖かい飲み物でも飲もうよ」
手招きすると、おずおずと足を踏み入れるましろちゃん。
雪の粒が、彼女の肩にちょこんと残っている。
「えっと……ここって、本当にライブハウス、なんだよね?」
「うん、でも今はお客さんもいないし、貸し切りみたいなもんかな? 自由にして大丈夫だよ」
私が笑いながらカップを差し出すと、彼女はそれを両手で受け取った。
少し熱そうに息を吹きかけながら、ぽつりと口を開く。
「……あのときは、ありがとう」
「ううん。私もね、昔は似たような気持ちを抱えてたから」
「……そうなんだ」
「だから、ましろちゃんが変わりたいって思ってるなら――その一歩を踏み出したこと自体、すごく勇気あることなんだよ」
ましろちゃんは、そっとカップに口をつけながら、小さく笑った。
「……じゃあ、ちょっとだけ。変われた、かな」
「うん。ばっちり!」
私はそう言って、笑顔でウィンクを返した。
♪♬♫♫♬♪♬♫♫♬♪
「あ、あの……その、朝は……大変失礼しました」
「ふぇ?」
手招きに応じて店内に入ってきたましろちゃんは、少し明るくなった表情のまま、きちんとした口調で謝罪を始めた。突然の真面目な態度に、思わず私は首を傾げる。
「えっと……同じ学年だと、勘違いしてしまって……それで、ちょっと辛く当たっちゃって……」
「あはは、それくらい全然平気だよ~♪」
――正直、初対面の人に年齢を間違えられるのは慣れている。
やっぱり厚底ブーツを検討するべきかな……なんて、一瞬だけ思いながら。
「……本当に、ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫っ♪ それよりも――聞いてほしいものがあるの!」
まだどこか不安げに謝ろうとするましろちゃんの手を、そっと取る。
そして、あらかじめ準備しておいたスタジオへ案内した。
スタジオに入ると、彼女には近くのソファに座ってもらい、私は機材のチェックに取り掛かる。
「……夕凪さんも、演奏するんですか?」
「うん。私はバンドは組んでないけど、演奏するのが好きでね。よくこのスタジオで弾かせてもらってるんだ~。
企画書をちゃんと通せば、ライブもできるんだよ?」
「ライブ……バンド……」
「そうそう♪ 本当は誰かのライブを見てもらって、何か感じてくれたらいいなって思ってたんだけど……。今日は雪で誰も来なくてさ。だから――私の演奏で良ければ、聴いてくれる?」
音響の最終チェックを終え、私はキーボードの前に座る。
椅子の高さを調整し、両手を鍵盤の上に乗せて、ひとつ深呼吸。
観客はひとりきり。でもそれで充分。ましろちゃんのための、たった一人のライブが始まる。
ポロン、と最初の音が空気に溶け、次第に音が重なってゆく。
鍵盤の上を指が滑るたび、景色が広がっていくような感覚。
私は音の一つひとつに願いを込めて紡いでいく。
――ましろちゃんの心に、何かが届きますように。
変わるための、ほんの小さな火種になれますように。
「……すごい……」
思わずこぼれた小さな声に、胸が熱くなる。
一人で演奏することを「一人バンド」なんて揶揄されたこともある。
でも今は、それすらも肯定できる。
足りない音を全身で補って、声も重ねて、心から楽しみながら――彼女と自分のために奏でる音楽。
そして最後に選んだ曲は、『you』。
静かでやさしく、でもどこか切なくて、真っ直ぐな想いが込められたこの一曲。
その旋律が、ましろちゃんの中の何かに、そっと触れることを願って――私は演奏を続けた。
♪♬♫♫♬♪♬♫♫♬♪
「♪~♪~♫~」
「……綺麗な声……」
最初に声を掛けられたとき、私は正直――戸惑った。
悩みなんて無さそうな雰囲気、下手すれば年下かも?ってくらい童顔で、勝手に
もやもやが強くなって、反発するみたいに強めの言葉を返してしまった。
……でも。
話してみたら、すぐに核心を突かれて。
聞き流そうとした夕凪さんの言葉には、どこか“実感”のようなものがこもっていて――気づけば、質問してしまっていた。
彼女は少し懐かしそうに、でもどこか儚く微笑んで、ちゃんと答えてくれた。
――その横顔が綺麗すぎて、同性なのにドキッとしちゃって……って、そうじゃなくてっ!
え、えっと!
そう、ここに来ること自体、すごく悩んでた。
でも「最後のチャンスかもしれない」って、勇気を振り絞って来たんだ。
そして――
「かっこいい……」
私は、倉田ましろは、予想以上の感動に胸がいっぱいになっていた。
あののんびりした雰囲気は消えて、真剣な表情で鍵盤に向かう夕凪さん。
声も綺麗で、音も優しくて、それでいてどこか熱くて。鼓動が自然と早くなる。
――バンド、やってみたいな。
ああ、これが……
夕凪さんが言ってた「勇気をもらう」ってことなのかもしれない。
そんなふうに考えていたら、演奏を終えた夕凪さんが、優しい笑みで近寄ってきた。
「……どうだったかな? 何か……ヒントとか得られてたら嬉しいな……♪」
「えっと、とても感動しましたっ! それに……かっこよかったです……!」
「……かっこいいって言われたのは、初めてかも?」
たしかに、演奏中の夕凪さんの目って鋭くなる気がする。
普段はふわふわしてるのに――そのギャップが、ちょっとズルい。
「あ、あのっ! 夕凪さんって……高校生、なんですか?」
「うん、月ノ森学園で、今年2年生だよ?」
「月ノ森……っ! わ、私、そこを受験します! そして……バンドも始めます!」
名門のお嬢様学校。
実は、変わるきっかけが欲しくて目指してた場所だった。
そこで今、こんな出会いがあった――これは、きっと……運命、かもしれない。
「ほんと? ふふ、来年を楽しみにしてるね♪ あ、それとバンドのことだけど、私で良ければ色々教えてあげるよ?」
「ほ、ほんとですか……!?」
「うんっ♪」
――神様、いや、女神。
いま私の前にいるのは、そんな存在かもしれない。
気持ちが昂ぶって、思わず両手で夕凪さんの手をぎゅっと握ってしまう。
そのとき、ふわりと優しい感触が頭に触れた。
「……え? あ……えっと……」
「いい子いい子♪」
「……あぅ……」
――なぜか、撫でられている。
気持ちいいけど、顔が熱くなってきて……わ、私、どうしたら……
「夕凪ちゃーん! お客さんだよー!」
「あ、はーい! 今行きます!」
「あ……」
呼ばれた夕凪さんが、私から離れていく。
でも、途中で立ち止まって、スマートフォンを取り出し――
「私の連絡先、送っておいたから! 遠慮なく、どんどん聞いてね?」
「えっ、は、はいっ!」
慌てて返事をする。
そして、背を向けて駆けていく後ろ姿を、しばらく見送った。
ポケットからスマホを取り出すと、画面には新しい名前。
――『氷川夕凪』
震える指で間違えないように、慎重に「追加」をタップする。
そしてスマホを両手でぎゅっと胸に抱きしめて、小さく呟いた。
「……何て送ればいいんだろう……」
たった一歩目なのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。
でも――このドキドキごと、私の“勇気”になる気がした。
・日菜=柔らかくて下から見たら顔が見えなかったよ!
・紗夜=朝からフルスロットルな妹に頭痛を感じる(今日は私)
・ましろ=憧れ…だと思います!
・夕凪=呼んだのは誰だろう?
・RinRin=純DPSのNagiさんが来てくれる…!(勝った)
感想及び評価ありがとうございます。誤字報告、大変助かっております。