happily   作:shellfish

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第1話

 拝啓、お父様へ

 

 お父様、お元気ですか?

 

 私は、元気です。

 

 貴方と別れてから、色々ありました。

 

 ほんっとうに、色々ありました。

 

 教会から修道院にたらい回しにされ、そこで天職を得たりもしました。

 

 でも、私は貴方のことを、ちっとも怨んでいません、ええ、毛の先ほども。

 

 …こほん、話が逸れました。

 

 色々あって、そして、今、私は貴方の生きた土地に根付こうとしています。

 

 冬木市。

 

 ここは、いいところですね。

 

 夏は比較的涼しく、冬もそれ程寒くはならない。

 

 四季折々に見せる植物の表情は、どれもがまるで天国のよう。

 

 身体の弱い私にとっては、本当に住み良いところです。

 

 そして、私を受け入れてくれた人達。

 

 みんな、いい人ばかりです。

 

 私が善意の奉仕活動をする度に、何故か眉を顰める、不思議な人達。

 

 みんながみんな、腹の中に一物隠した曲者ばかり。

 

 その一番痛いところをちくちくする時の快楽といったら、もう。

 

 最近、貴方の娘であることを強く自覚する日々が続いています。

 

 そんな中でも、一番捻じ曲がった、彼。

 

 彼が、敬虔な私の、心の平穏を乱してなりません。

 

 そろそろ成人を迎えようとしているにもかかわらず、はっきりとした将来の展望も定めずに、正義の味方なんていう訳のわからぬことを口走る、心底痛い人。

 

 一度、彼の限界を見てみたくなりました。

 

 果たして、人はどこまで、正直者でいられるのか。

 

 正義の味方は、真実と自分の命、どちらに天秤の針を向けるのか。

 

 貴方ならば、きっと三度の飯よりも好きそうな、命題ではありませんか。

 

 協力者は、既に確保しています。

 

 私と同じく、彼をいじめるのが、それこそ三度の飯よりも好きな人。

 

 さて、事の顛末は地獄より見上げていて下さい。

 

 さようなら、お父様。

 

 そちらに飽きたら、連絡を下さい。

 

 私が祓いにいって差し上げますから。

 

 それでは。

 

 敬具

 

 

 柔らかな日差しが、綺麗に磨かれた窓ガラスを通ってテーブルに降り注ぐ。

 芳しい紅茶の香りと共に、周りから聞こえるのは笑い声。

 幸せそうに語らう恋人、慈しむような視線を我が子に向ける両親。

 文句の付けようのない、完璧な幸福に彩られた空間。

 なのに。

 なのに、なんで俺は。

 

「一体どうしたんですか、お兄さん。この世の終わりみたいな顔をして」

 

 顔を上げた先にいたのは、天使のような顔をした金髪の少年。

 彼は、俺の最後の希望だ。

 

「助けてくれ、ギルガメッシュ、このままじゃあ俺は殺されてしまう」

 

 

 日々是平穏。

 晩秋の青空の下、縁側で緑茶を啜る。

 降り注ぐ陽光は相変わらず暖かだが、時折吹く風が次の季節の到来を感じさせる。人工的な冷暖房に頼らずに心地よい空気を楽しむ、こんな贅沢が味わえるのも今日が最後かもしれない。

 

「ああ、いい天気だなあ」

 

 思わずそんな声が漏れ出してしまうくらい、本当にいい天気なのだ。

 今、このだだっ広い家には俺一人しかいない。

 たまの連休ということで、遠坂と桜は買い物に行っている。ライダーはいつも通りに例の骨董品屋でアルバイト。セイバーは公園でサッカーを、藤ねえは弓道部の指導をしている。

 最近、当衛宮邸に居候を始めた二人組、ボクシング馬鹿とサドマゾシスターもいない。

 ボクシング馬鹿バゼットは就職の面接に、サドマゾシスターカレンは教会の補修の立会いに忙しいようだ。

 要するに、騒がしい日常の中にぽっかりと空いたエアポケットみたいな一日を、見事なまでに持て余しているのが今の俺の現状なわけで。

 掃除、洗濯、夕食の下拵え。

 考えられうる一通りの家事を終え、ついにやることのなくなった俺は、少々爺むさいかと思いつつも縁側に座りながらお茶を楽しんでいる。

 

 なんというか、本当に平和だ。

 

 一年前からは考えられないような喧騒に満ちた日常。それでも、その騒がしさも含めて愛すべき日常。自分には相応しくないとさえ思えてしまうほどの幸福。

 それらをひっくるめて俺は空を見上げるのだ。

 ああ、暇だなあ、と。

 

「………んん?」

 

 不思議な音が聞こえたのはその時だった。

 

 小さな小さな、それでも何故か耳に残る、音。

 最初は何の音かといぶかしんだが、周期的に聞こえる微かな電子音は、それが目覚まし時計のアラームであることを教えてくれる。

 きっと、誰かがセットしたまま、解除を忘れて外に出てしまったのだろう。

 やれやれ、仕方がないな、と音の源に向かう。

 ふわあぁ、と、生あくびを噛み殺しながら、日本の一般的な家屋ではありえないほど長い廊下をのんびりと歩く。

 しだいに大きくなってくる電子音。

 

「しかし、どうして目覚まし時計の音って、ああも気に障るんだろ?」

 

 そりゃあ、優しい夢の世界から人を叩き起こそうというのだから、生半可な音では役者不足なのは分かる。

 しかし、聞く度に寿命を削り取るような、あの音は何とかならんもんかね、と。

 どうというわけでもなく、歩いていた、その時。

 

 ふ、と微かな疑問が浮かんだ。

 

 少し、妙ではないか。

 今は午後二時。しかも、休日である。

 こんな時間にアラームを設定する必要のある人間がこの家にいただろうか。

 ひょっとしたら時間を間違えて設定したのかもしれないが…何か引っかかる。

 そんなことを考えながら歩いていると、ひとつのドアの前にたどり着いていた。

 明らかに、その扉の向こうから響く電子音。

 しかし―――。

 

『不法侵入には死の制裁を』

 

 物騒なメッセージボード。

 

 最悪だ。

 

 この部屋は確か遠坂の部屋じゃないか。

 まいったな、あいつがいない間に勝手に入ったのがばれたら、間違いなく殺されるぞ。

 そもそも女の子の部屋には相性が悪いんだ。

 イリヤの部屋に初めて行ったときは完全に拉致被害者だったし、慎二と一緒に桜の部屋に入ったときなんて……。

 

 ……おや?なんかとっても嫌なことを思い出しそうになったぞ。

 

 なんだったかな…。まあいい。どうせ碌なことじゃないに決まってる。そういうことは忘れるに限る。

 と、まるで変質者みたいに一人で悶々としているうちに、どんどん大きくなる電子音。

 どうやらかなり強力なタイプの目覚ましらしい。これじゃあ完璧な近所迷惑だ。ただでさえ男一人に美女が多数という、お天道様に顔向けしにくい住環境なのだ。これ以上ご近所様の評判を落とすような真似はできない。

 …仕方ない。勝手に入ったことは後で謝ろう。きちんと事情を話せばあいつもわかってくれるに違いない。

 深呼吸して心を落ち着ける。

 下っ腹に力を入れて闘魂注入完了。

 さあ、開戦の声を。

 

「しつれいしまーす……」

 

 がちゃり。

 開け放たれたドア、その先にあったものは―――。

 

「まあ、いつも通りだよな」

 

 乱雑に積み上げられた魔道書、机の上に所狭しと並んだ実験器具、衣装ケースから溢れ出した赤いハイネックと黒いミニスカート。一昨日の夜、魔術の指導で招き入れられたときよりやや散らかっているものの、ある意味彼女らしい生活空間は健在だ。

 そおっと部屋に入る。遠坂が外出したのは確かに確認したし、何らやましいところがあるわけではないが、抜き足差し足になってしまうのは漢の悲しい性。

 ふわり、と漂ってきたのはこの部屋の空気、彼女の匂い。きりりと引き締まっていてどこか甘いそれは、いかにも彼女に相応しい。しかし、女の子の部屋ってどうしてこんなにいい匂いがするんだろう。セイバーの部屋も、桜の部屋も……。

 はっ、いかんいかん、これじゃあ、それこそただの変質者だ。

 頭を振って、妙な妄想を弾き出す。

 さっさと本来の目的を果たしてしまおう。

 

「ええっと………」

 

 本来なら朝の静寂を破る厄介者の、喧嘩を大安売りしているかのような、不快な音。

 耳に優しくないそれの音源を探す。

 きょろきょろと部屋の中を見回す。

 

「…こっちかな?」

 

 どうやら、音は衣装ケースの中から聞こえてくるようだ。

 

「よりにもよってこれの中か…」

 

 がっくりとうなだれる。

 遠坂はあくまで自分の家に住んでいて、こちらに泊まるのは例外である。最近その例外の頻度が富みに増えてきてはいるが、それでもここは彼女の本宅ではない。

 だから、彼女の衣類がいかに多くても、それは衣装ケース一箱に収まってしまう程度でしかない。つまり、この中には遠坂の所有するあらゆる衣類が入っているのだ。ならば当然あんなものもこんなものも入っているわけで…。

 視線を明後日にやったまま衣装ケースに手を突っ込む。

 手に伝わる滑らかな感触はシルクのそれだろうか。

 いらぬ妄想を掻きたてるそれを避けつつ、衣類の海の更に深海へと突き進む。しかし、なんでこんな場所に目覚まし時計が入ってるんだ?

 なおも大きくなり続けるアラーム音。これだけの布に包まれてこの音量、よっぽど強力な目覚ましだな。

 そんなことを考えながら衣装ケースをこねくり回していたら、手に硬質な感触が伝わってきた。

 

「おっ、あったあった」

 

 溺れかけの目覚まし時計を繊維の大海から救出する。気の焦りもあったのだろう、一気に腕を引き抜く。

 

 ――後になって思う。

 

 ――このときに俺は気付くべきだったんだ。

 

 ――衣装ケースから、目に見えないくらい細い透明な糸が伸びていたことに。

 

 ――そもそも、あの機械嫌いの遠坂が、電子式の目覚まし時計なんて使うはずが無いことに。

 

 ――この家には、人の不幸を甘く啜る、可憐な外道がいることに。

 

 がしゃん、と。

 

 背後から、破滅の音が聞こえた。

 

 俺にはわかる。

 

 あれは、死神の笑い声だ。

 

 おそるおそる振り返る。

 

 既に目覚まし時計の音なんて耳に入っていない。

 

 確認するのは恐ろしい、しかし確認しないと対策もたてられない。

 

 ゆっくりと立ち上がる。

 

 何かが砕け散った、その残骸が見えるように。

 

 まず俺の目に飛び込んできたのは鮮やかな光の群れ。

 

 赤、青、黄色に紫。

 

 この世の輝きを全て集めたかのような煌びやかな石の群れ。

 

 細やかに散らばったそれらは、もとは一つの物体を構成していたに違いない。

 

 次に見えたのが、周囲の宝石に比べればやや無骨な金属。

 

 掌の幅よりやや広く作られたそれは、何かしらの剣の柄なのだろう。

 

 フローリングの床に飛び散っていたのは、その二種類だけ。

 

 つまり、落下した物体はこの二種類の物体から出来ていた可能性が非常に高い。

 

 柄があるということは、きっと剣か短刀の類だ。

 

 しかし、そうするともう一つの物体、色とりどりの宝石の説明がつかないし、刀身がどこにも無いのが奇妙だ。

 

 このとき、俺の頭に一つの仮説が浮かんだ。

 

 とりあえず宝石の存在はおいておこう。

 

 もう一つの物体、あれは剣の柄だ。他ならぬ俺がそう確信しているのだ。間違いない。

 

 そうすると、宝石の存在と刀身の不存在が問題になるが、それを解決する仮説がある。

 

 刀身が宝石で出来ていたら?

 

 ならば、プラスマイナスはゼロ、この場にあるものだけで一つの剣が完成する。

 

 ただ、問題はそんな奇天烈な剣がこの世に存在するか否かだが、それが存在することを俺は知ってしまっている。

 

「まさか、宝石剣…?」

 

 宝石剣キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。

 かの宝石翁の愛剣にして、平行世界への移動という奇跡を現実のものとする限定魔術礼装。ぶっちゃければ『魔法』そのものといっても過言ではあるまい。

 

「まさか、完成してたのか…」

 

 全身を戦慄が突き抜ける。

 

 凄い。凄いぞ、遠坂。

 

 天才だとは思ってたけど、こんな短期間で魔法に至るなんて。

 

 あまりの感動に叫びそうになる。

 

 よし、今日は宴会だ!

 

 とびっきりのご馳走を用意しよう!

 

 ……って、あれ?

 

 ならばこれはなんなんですか?

 きらきらと綺麗に光る宝石の群れ。

 ばらばらに砕け散った宝石剣だったもの。

 

 ああ、なるほど。

 

 単純な話だ。

 

 残念、どうやら折角完成した宝石剣は壊れてしまったようだ。

 

「………………………………………。」

 

 人間、本気で驚くと叫び声の一つも出ないものらしい。

 ぽたぽたと滴る、異常な量の脂汗。

 とりあえず深呼吸。

 落ち着いて考えよう。

 今部屋にいるのは俺だけ。そもそもこの家にいる人間は俺だけだ。

 窓は閉まっている。風で物が倒れる、そんなこともありえない。

 ということは、何かが壊れた場合、真っ先に疑われるのは当然俺だ。誰だってそう考える。きっと遠坂だってそう考えるだろう。

 

 つまり、犯人は俺………?

 

「いや、違う!断じて違うぞ、遠坂!」

 

 この場にいない人物に、精一杯の情熱を込めて言い訳をする。 

 そうだ、遠坂は冷静な魔術師だ。きちんと筋道を立てて説明すればわかってもらえるに違いない!

 

 ケース1、素直に謝る。

「ごめん、遠坂、これ壊しちまった」

「へえ、レディの部屋に無断で入って下着を物色した上に宝石剣まで壊してくれたんだ」

「いや、目覚まし時計が……」

「遺言はそれだけかしら?」

 ぎにゃー。

 

 ケース2、とぼける。

「ねえ、衛宮君。私が出かけてる間に、私の部屋に入らなかった?」

「いや、知らないぞ?」

「ふうん、明らかにあなたの魔力の痕跡が残ってるんだけどぉ?」

「いや、知らないぞ?」

「殴っ血KILL!」

 ぎにゃー。

 

 ケース3、逃げる。

「はあ、はあ、ここまで逃げれば大丈夫だろ……」

「甘いわね、衛宮君」

「遠坂…!なんでここに…」

「遠坂の追跡術は世界一よ」

「せめて法の庇護を…」

「この遠坂凛、容赦せん!」

 ぎにゃー。

 

 …駄目だ、ぎにゃー以外の結末が見えてこない。

 

 どれを選ぼうと俺には死しか残っていないのか?

 

 ああ、こんなときに未来製ネコ型ロボットでも来てくれれば!

 

『もう、仕方が無いあなぁ、士郎君は』

 

 頭てかてかで冴えてぴかぴかの青いの君、君の助けが必要なんだ!

 

「って、現実逃避しても始まらないよなぁ」

 

 戦わなきゃ、現実と!

 

 とりあえず俺一人の力じゃあどうにもならない。

 こんなときは、人間助け合うべきだ!

 

 よし、桜に助力を乞おう。

 きっと桜なら遠坂も………。

 

『姉さん、先輩も反省してますし……』

『どきなさい、桜』

『ね、ねえさん』

『どきなさい♪』

『は、はいっ!』

 

 駄目だ、きっと押さえきれない。

 

 ならセイバーだ!

 彼女なら如何なる危難からも俺を守ってくれるに違いない!

 

『凛、それ以上近づけば敵対行動とみなします!』

『どきなさい、セイバー』

『り、りん』

『どきなさい★』

『くっ、すまない、シロウ…』 

 

 駄目だ、勝てる気がしない。

 黒桜でも黒セイバーでもライダーでもバゼットでもカレンでも藤ねえでもイリヤでもバーサーカーでもセラリズでもランサーでも一成でも葛木でもキャスターでもアサシンでも臓硯でも真アサシンでも、あの赤バカでも!

 本気で怒った遠坂には勝てる気がしない!

 

 ここまでか。

 切嗣に救ってもらったこの命、もはやここまでか。

 その時、諦念の沼に沈みつつあった俺の心に天啓が舞い降りた。

 …いるじゃないか。

 もう一人、いるじゃあないか。

 最強のサーヴァントにして偽四次元ポケットの持ち主。

 青くないのが残念だが、この際、金色でも構わない。

 あいつなら、あいつならなんとかしてくれる―――!

 

「と、いう訳なんだ」

「なにが『と、いう訳』ですか……」

 

 はあ、と大きく溜息をついた子供ギルガメッシュ。

 大人の彼にこんな相談を持ちかけたら、即座に殺されるか嘲笑われた後に見捨てられるかのどちらかだが、今のこいつは人格者。頼んでみる価値はある。

 

「やっぱり無理か…。そうだよなぁ、いくら英雄王だからって出来ることと出来ないことがあるよなぁ」

 

 半分本気で半分挑発。

 きっとこいつが青年バージョンなら釣られるに違いない、しかし…。

 

「そんな言い方、お兄さんに似合いませんよ。人に頼みたいことがあるならしっかり誠意を込めて頼みなさい」

 

 お説教されてしまった。

 ほんと、こいつ『あの』ギルガメッシュと同一人物なのか?威厳、カリスマ、包容力、どれをとってもこっちのほうが上な気がする。

 とにもかくにも、こいつの言っていることは正論で俺が間違えていた。ならばきっちり謝るべきだろう。

 

「すまない、ギルガメッシュ。俺の言い方がまずかった。本当に困っているんだ。力を貸してほしい」

 

 子ギルはにこりと笑って、懐から小さな鍵剣を取り出した。

 そして、小さな小さな声でその真名を開放する。

 

「王の財宝」

 

 その瞬間、よく磨かれた清潔なテーブルの上に多種多様な形の小瓶の群れが並んでいた。

 

「宝石剣を修復するのはいくら僕でも無理ですが、魔術師のお姉さんから姿を隠すくらいなら、これらで用は足りるでしょう」

「なんだ、これは?」

 

 俺が抱いた当然の疑問に、子ギルは一つの小瓶を指差しながら答えた。

 

「例えばこれは若返りの秘薬。かなり希釈してますからせいぜい10歳若返るくらいですけど。隣のこれは、一時的に動物に姿を変えることのできる薬ですね。そして、これなんかは性別を…」

 

 滔々と説明を続ける子ギル。

 どうやら目の前に並んだ小瓶の全てにとんでもなく貴重な薬が入っているみたいだ。

 

「すごいな、まるで御伽噺みたいだ」

 

 彼は俺の言葉に眉根を潜めた。

 

「お兄さん、僕があらゆる秘宝の原典を所有していることを忘れたんですか?」

「あ」

 

 言われてみればそうだ。

 こいつは偽四次元ポケットだけじゃなくて、なんちゃって秘密道具まで持ってるのか。

 ひょっとしたら石ころ帽子とか空気砲くらい持ってるかもしれない。

 ああ、なんて、青たぬき―――。

 

「でもね、お兄さん。僕はちゃんと謝ったほうがいいと思うんです」

 

 きりっとした視線で俺を射抜きながら彼は続ける。

 

「もし、お兄さんが、一生魔術師のお姉さんから逃げ続けるつもりなら話は別ですけど、そういうわけじゃないんでしょう?なら出来るだけ早く謝るのが一番ですよ。こういうことって後回しにすればするほど糸が絡まっていくものですし」

 

 彼は、まるで年上みたいに俺を諭す。それは真実なのだが、その幼い外見と相俟って、不思議なギャップがあるのは避けがたい。

 

「…でも、そしたら俺は殺される」

「お姉さんが、お兄さんを?ないない、それはないです。そりゃあ怒るでしょうし暴れるくらいはあるかもしれませんけど、きっと許してくれますよ。頼りないかもしれませんが、僕が保証します」

 

 天使も恥らうような極上の笑顔。何故だろう、なんの根拠もない彼の言葉が頑なだった俺の心を溶かしていく。

 

「そうかな…?そう思うか…?」

「ええ、心の底から!」

 

 そうだ、彼の言うとおりだ。

 俺は何を考えていたのだろうか。

 さっきまでの俺の行動は、遠坂を侮辱するものではなかったか。

 遠坂と俺との絆は、たった一つの不幸な事故なんかで壊れるほど脆いものではないはずだ。

 そうだ、すぐに家に帰ろう。そして誠心誠意謝罪しよう。それで駄目ならそれまでだ。

 ありがとう、ギルガメッシュ。君のおかげで目が覚めた……。

 

「―――すみません、お兄さん、前言を撤回します」

 

 先ほどまでの笑顔を貼り付けたまま彼は固まっていた。

 彼の視線は俺の後方に。

 背筋が凍りつきそうなくらい嫌な予感がしたが、ぎぎぎ、と油の切れた機械みたいに振り返る。

 窓ガラス越しに見える街の風景。

 午後の陽気に照らされた平和な風景、その中に。

 

 凛が、いや、夜叉が、いた―――。

 

 窓ガラス越しでもわかる。

 蕩けそうな笑顔、しかし、笑うという行為は本来攻撃的なものであり獣が牙をむく行為が原点である。

 つまり、なんというか。

 あれは、とんでもなく、怒っている。

 

 むーざんむざん、宝石剣、こーわしたーら、あーかいあくまがわーろた。

 むーざんむざん。

 

「ギ、ギルガメッシュゥ!」

「あれは駄目です!あんなに怒ってる人、僕だって初めて見ました!」

 

 いい感じにぱにくる二人。

 というか、遠坂の怒りは人類最古の英雄王を恐慌に陥れるほどなのか。

 

「ま、まずいです!こっちに来ます!」

 

 ほ、本当だ!

 

 逆光になってるから気付いてないのかもしれないが、店の中に入られたら隠れようが無い!

 

 進退ここに窮まれり!

 

 我、ここにて討ち死にす!

 

 なら、最後の悪あがきを!

 

「ええい、ままよ!」

 

 目の前にあった小瓶を鷲摑みする。

 

 栓を一気に引き抜いて、一息で飲み干す!

 

「ああ、お兄さん、そんなに何本も飲んだら……!」

 

 がっ!

 

 か、からだが、やける……!

 

「あ、あ、あ、あ、あ、」

 

 壊れる、砕ける、焼け焦げる、反転する、陵辱される―――!

 俺という存在が、書き換えられる…。

 意識が、遠くなる…。

 

 

 うふふ、えみやくん、どこにいったのかしら。

 まったく、おいたするにもほどがあるわよねえ。

 かってにへやにはいって、したぎをあさったあげく、わざわざほうせきけんのレプリカをぶちまけていくなんて。

 あれはなに?

 おまえなんかには、いっしょうかかってもしゅくだいはとけないぞ、そういいたいのかしら。

 そう、そうだったの、えみやくん。

 

 ――貴方、そんなに、死にたかったんだ。

 

 ここだ。

 

 士郎の魔力はこの店で途切れている。

 

 私を甘く見たわね、士郎。

 

 遠坂の追跡魔術は世界いちぃぃ、よ。

 

 さあ、果たしてどんな言い訳を用意しているの?。

 

 ううん、そんなこと関係ない。

 

 今更あなたが何をしても運命は変わらないわ。

 

 絶対に、泣かす。

 

 覚悟はできた?拷問の準備は十分よ。

 

 扉を開けると同時にカランカラン、と軽い音が鳴る。

 喫茶店におなじみのその音を無視して店内を見回す。

 振り返って私の顔を見た客が、首を痛めるのではないか、そう心配してしまうくらいの勢いで正面に向き直った。失礼な話である。

 いない。

 しかし、ここにいるのは間違いないのだ。

 ゆっくりと、奥の方に足を進める。

 すると、そこには。

 

「―――あれ、あんた」

 

 そこにいたのは金色の髪をした少年だった。

 

「こ、こんにちは、魔術師のお姉さん!」

 

 直立不動で私を迎える、最強のサーヴァント。

 

 そして、彼の傍らには―――。

 

 

 もふもふした、何かが、いた。

 

 

 ちっちゃくて、丸まってる。

 

 頭、だと思う部分には、赤くてふさふさした柔らかそうな毛。

 

 そして、ぴん、と三角形に立った、耳。

 

 体は、小さい。多分、まっすぐに立っても小学生程度の身長でしかないだろう。

 

 だぶだぶのシャツ、ずり落ちたズボン。

 

 その境目から、ぴょこりと、黒くて細長い、スポンジのようなものが飛び出ている。

 

 少し苦しげなそれの呼吸に合わせて、ぴょこぴょこ動いている。

 

 あれは、多分、尻尾。

 

 つまり、これは―――。

 

「獣人?」

 

 それは、間違いなく幻想種。

 間違えても、現代日本、しかも真昼間の喫茶店にいていいような存在ではない。

 でも、ここにいるのは間違いなく獣人、しかも、ワーキャットとか、それに近似の種族だろう。

 考えられるのは、唯一つ。

 

「ギルガメッシュ、これ、あんたの知り合い?」

 

 こいつは、サーヴァントの中でも一際の変り種だ。ひょっとしたら、宝物庫の中にペットの一匹や二匹飼っていたとしても、おかしくもなんとも無い。

 まぁもしそうならば、亜人とはいえ言語を解する存在を愛玩動物とするなんていう悪趣味、そのまま見過ごすわけにはいかないのだが。

 

「ええと、僕の知り合いというか、お姉さんの知り合いというか…」

 

 視線を外しながら口篭もる小型英雄王。

 よく分からないことをごにょごにょと呟いて、曖昧な笑みを浮かべるのみ。

 そして、当の獣人は、苦しそうに寝返りをうって、こう言ったのだ。

 可愛らしい、少女の声で。

 

「ごめんなさい、とおさか………」

 

「うふふ、うふふふふ……」

 

 私は、がっくりと膝をついた。

 

 所詮、他人の人生。

 

 私が口を出すなんて、筋違いもいいとこよね。

 

 でも、どうしても、一言だけ言わせて。

 

 ねえ、衛宮君。

 

 私、確かに誓ったわ。

 

 貴方を、アーチャーみたいにさせないって。

 

 でもね、衛宮君。

 

 そこまで辞めなくても、いいと思うのよ。

 

 男と人間、一気に辞めるなんて。

 

 それはやりすぎでしょう?

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