もしも県内一の底辺不良高校に入学してしまった「普通の少年」が宮本武蔵の『五輪書』を読んだら 作:新免ムニムニ斎
大きくて綺麗な家。庭先に停まる高級車。仕事のできる家政婦。栄養バランスが完璧に整った毎日の食事。
桔梗の家は、明治時代に端を発する由緒正しい家柄の分家筋だった。
両親だけでなく、親戚もみな経営者やら官僚やら投資家やら大企業の重役やらと
そんな家に生まれた桔梗もまた、かくあれかしと教育を受けた。
一流の家庭教師、一流の進学校、一流の習い事……さらには、将来の相手すらも一流の男をあてがう予定とのことだった。
金色の
自分は優れた家柄の人間として恥ずかしくない教育を受け、
恥ずかしくない人間に育ち、
恥ずかしくない男と結婚し、
恥ずかしくない血を引く子供を産み、
恥ずかしくない人間に育て、
恥ずかしくない余生を送り、
恥ずかしくない死に方をする。
子供の頃から、己の人生のスタートとゴールが明確であった。
そんな日々に疑問を抱くようになったのは、小学校六年生の頃、宮本武蔵を題材とした小説を読んでからだ。
桔梗はそんな宮本武蔵という人物に、
親の力や教えにしがみ付かず、自分を「自分」として受け入れ、「自分」を強くしていった男。それが宮本武蔵。
一方、自分はどうだろう?
自分をもてはやす人間は、学校にも、親戚にも数多かった。けれどそれは、自分で得た称賛ではなかった。「家の力」ありきのものだと分かったのだ。
自分には、「自分で勝ち得たモノ」が、何一つ無かった。
やらされて、もたされたモノしか無かった。
そう考えた途端、自分の親族への「見方」が一気に変わった。
一見、誰もが羨む身の上に見える親や親戚達。しかしその身の上は、
——既得権益。
それが、自分を囲い込んでいた連中の正体であると、桔梗は悟った。
既得権益や世襲といったものは、代替わりとともに腐っていくのが太古からの摂理だ。中国
その事実を認識して、自分は何を望む?
——いつか腐り落ちる果実の一房になることを良しとするのか。
——既得権益という殻を脱ぎ捨てた、まっさらな「自分」を育てる道を行くのか。
桔梗は後者を選んだ。
まず、家の連中が「絶対にやらないこと」をやりたいと思った。
桔梗の成長はすさまじく早かった。皮肉なことに、親から習わされていた柔道によって基礎が磨かれていたのだ。複雑な気持ちだったが、これは親の思惑ではなく武道的ルーツの問題だ。現代武道は古武道から生まれたから、その名残が現代武道には残っているのだ。柔道創始者の
さらに、学んだ
ケンカを繰り返しているうちに、その名が広がり、さらには慕ってくる仲間もできた。
知り合いからボロバイクを譲られたことがキッカケで、暴走族を結成しようという考えを思いつく。
そして『
親はすでにこんな変わり果てた自分に失望して見限り、兄へ期待を集中させている。
でも、桔梗は誇らしかった。
確かに今の自分は、世間的には冷や飯を食わされる立場かもしれない。
けれど、自分達は何も恥ずかしいことはしていない。
好きな仲間同士でつるんで、笑い合ったり、冷やかし合ったり、励まし合ったりしているだけだ。
ケンカはするが、それは自分達を守るためだけ。自分や仲間を守るために戦う……これは人間として「当たり前」のことだ。それすらも禁じる社会は絶対に間違っている。
自分は『
叶うのならば、ずっとこのメンツで走り続けていたいくらいに。
だからこそ——この尊い仲間を守るためなら、桔梗は己の身さえも差し出す覚悟だった。
「
『
同様の視線を送っている『
「……おい雌ハクビシン、そのカブト取ってツラ良く見せろや」
桔梗はしぶしぶ武士兜型のフルフェイスヘルメットを取り、放り捨てた。
華やかさがあり、やや鋭さを帯びた美貌。アッシュグレーに染められたセミロングの髪。
そんな容姿が露わになった途端、二人のリーダーの眼差しがいっそう熱を持った。
「やっぱ何度見ても良い女だよな、お前。……こりゃ、抱き甲斐がありそうだ」
井原のざらついた無骨な手が、桔梗の頬に触れてくる。
気持ち悪い。
桔梗は唇を引き結び、体の奥底から湧き立ってくる生理的嫌悪感に耐える。
ひとしきりその手が頬を撫でさすった後、ゆっくり下へ降りていく。
——嫌。
耐えろ。
——やめて。
他の子がどうなってもいいのか。
——たすけて。
自分はリーダーだ。自分の身一つで仲間が助かるなら、本望だ。
——おねがい。たすけて。
黙れ。我慢しろ。お願いだから。
——たすけて。
——たすけて。
——たすけて。
————だれか、たすけて!!
次の瞬間。
「桔梗さぁぁ————————んっ!!」
声が、場に響き渡った。
この声。
知ってる。
知ってる人の声。
誰?
一人しかいない。
でも、「彼」がこんなところに現れるはずがない。今回の抗争に全く関係ない人物なのだから。
全ては振り向けば分かること。
桔梗は、声のした方へと視線を向けた。
その目が大きく見開かれる。
「ゆきと……くん?」