文豪ストレイドッグス 強キャラTS夏目先生   作:悪事

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エイプリルフール記念投稿




 “戦場の天使、英雄を厭う”

 

 

 

 男ってヤツはどうして英雄譚が好きなのだろう?

 

 雄々しいから?格好いいから?それとも強いから?

 

 苦しいとき、助けて欲しいとき、都合良く現れて救ってくれる無敵の英雄「ヒーロー」。

 

 常に負けず、決して諦めない。誰かのために己の身を削って、血を流して肉を撒き散らし骨まで削って自分より上の強者へと無理矢理、勝ち筋を創ってしまう。英雄なんて、(アタシ)から言わせれば怪物と遜色ない。気合いと根性、勇気と不屈の信念だけで如何なる不条理も逆境も易々と覆す。

 

 

 勘弁してもらいたいねぇ、それが許されていいのは物語の中だけだ。

 

 意志は所詮、思考のある一定傾向に過ぎない。強弱次第で明確に強さを引き上げる機械部品じゃないんだ。信念だけで奇跡は起こらない。決意だけで物理法則は歪まない。覚悟で状況は好転しない。

 

 むしろ、そんな理不尽が罷り通れば、世界なんて容易く壊れてしまう。

 

 馬鹿げた根性論で世界を回せばどういう結果になるか。阿呆でも解ることだ。

 

 決して諦めず、明日を目指す。口で言えば簡単そうな綺麗事であり、それゆえ否定のしようもなく実現困難な正論。だが、正しいことが常に最善であるとは限らない。むしろ、それは下手な悪よりも最悪を招くことがある。

 

 正義は時として悪よりもたちが悪い。

 

 

 英雄譚なんて只人にとっては毒にしか成らないのだ。巻き込まれても、見ているだけでも、雄々しい光輝「ヒカリ」は万人を容易く焼き焦がす。意志の力で覚醒して、どんな窮地にも屈さずに抗い続ける。見知らぬ誰かのために自身の全存在を捧げるなんて真似を人間は、やっちゃいけないんだ。

 

 そうとも、英雄なんて関わるべきじゃない。

 

 本当に強いやつなら争いなんて最初からしないし、誰かのためを思うのならば何より自分自身も大事にする。自分をないがしろにしてまで、他者のために戦わない。英雄譚は愚か者(バカ)の特権なのだ。

 

 

 

 今から(アタシ)が語るのは、戦場という現代の地獄で生まれた英雄の物語。それと極めて個人的な、世界なんて大きなモノとは到底、比較にならないちっぽけな“失恋”の物語だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大戦末期、国内で厭戦の気勢が高まる中、太平洋上に突如として出現した夜しかない無国籍の島、常闇島。電子機器の使えない環境のために前近代的な白兵戦が行われる大戦末期の主戦場にして最も凄惨な戦場だった。

 

 

 常闇島の戦線はまず以て辿り着くことが難しく、熾烈な海上戦を乗り越えた者しか踏み込めない領域だった。太平洋上ということもあって、兵站を構築することも困難だったが、大戦末期ということもあり継戦論者たちはこぞって国家予算の大半を注ぎ込んだ。何せ、国家の利益が生まれぬままに終戦に至ってしまえば、そいつらの責任問題となる。

 

 

 是が非でも、あの最後の戦場で勝ちたかったのか。今となってはどうでもいい。

 

 世にも珍しい治癒系の異能を持つ能力者は、軍にとっては喉から手が出るほどに欲しい人材だったろう。平々凡々な和菓子屋の店番だった(アタシ)も軍委託という形で看護師として常闇島へと向かった。

 

 

 国防軍第356歩兵師団、軍委託生・与謝野晶子。

 

 それがあの時の肩書きだった。

 

 

 あの戦場には、妾の上官待遇ということで現ポートマフィアがボスである森先生も、前線基地である基地空母・燕騎士(シュバルヴェリッター)に詰めていた。当時の妾の年齢があの人の好みのど真ん中だったので、やたらと甘やかされた気がするが医療行為に関しては甘さの一片も存在しなかった。

 

 

 ただ、効率と最適化。瀕死にならないと発動しないなんて面倒な発動条件の異能を毎日、怪我人のために使い続ける。おかげで、異能が発動する程度の瀕死というものの見極めができるようになったのは、あの時の経験のためだろう。

 

 

 

 銃弾を浴び、地雷で吹き飛び、流弾を浴び、敵の銃剣やスコップで傷病を負った連中、そいつらへ異能を使って傷一つ残さず治し続ける。みんな、善良な奴らだった。女である妾に偏見の目を持たず、感謝と友愛を向けてくれる気のいい奴ら。

 

 

「いつまで寝てんだい!ダメ兵士ども!」

 

 

 口が達者じゃないせいで、口から出るのは悪態ばかりだったが、それを彼らは笑って受け止め、妾を救い主だの、そうさね天使だの言ってもてはやしたもんさ。そんな男連中で一人、明らかに妙なヤツがいた。

 

 その男は誰より早く最前線の最も危険な場に向かい、必ず勝って瀕死で戻ってくる。腕はもげ、足は千切れ、酷いときだと体の七、八割が無くなっているときもあった。けど、そいつは死なず諦めず異能で治したら“感謝する”とだけ言ってまた最前線に突っ込んでいく。そして、また勝ってから瀕死の帰還と繰り返し。

 

 最大で一日、五回は異能で治してやったこともある。それが何を意味するか、分かるかい。五回、死にかけの瀕死状態で帰ってきて、五回とも戦場にとんぼ返りしたってことだ。普通に考えてありえない。瀕死の重傷になった人間が直ぐさま戦場に戻るなんて出来っこない。肉体は問題ないにしても、心が保たない。

 

 あの森先生を以てして驚愕を禁じ得ない異常な精神性。

 

 

 森先生が陸軍から引き抜いてきた男、名を“船坂弘”。容姿はありふれたモノで、特徴と言えるのは猛禽類のごとき鋭い目つきとそこそこ卓越した白兵戦技を持つ鋼の軍人。戦闘技能が凄まじかったのは認める、だがそれだけで他に長じたモノなどない。異能などは身に宿しておらず他の人間とは異なる特別な才覚を持つわけでもなし。しかしあの森先生はヤツの動向に注目していた。

 

 

 どうやら、森先生の師匠が紹介した人物らしい。

 

 最初の頃、船坂上等兵は少々精神が強靱なだけの只人に見えたんだ。

 

 異常性が見え隠れしてきたのは、常闇島での戦闘が一週間を越えてからのこと。

 

 

 毎日、連日連夜、どれだけの重傷を負っても治った途端に戦場にまっしぐら。周りの兵たちが止めろ、休めといっても知らぬ存ぜぬ。かといって平常心を失っているわけもなく判断は常に的確で冷静そのもの。

 

 戦うのが好きな戦闘狂かと思ったが、治している際に話してみると軍人の責務と国の繁栄を願うだけの模範・典型的な軍人の鑑。硬い決意と鎮護国家の思想、安寧を望む英雄的な人格。どこまでも進み続ける戦闘機械のごとき不変の精神性。

 

 妾を天使などと呼んだあの人が船坂に尋ねていたのを盗み聞いたことがある。

 

 今にして思えば、あの人への思いは恋慕だったのだろう。色恋も知らない小娘であったばかりに仄かな思いに気づくことなく、妾は彼と英雄さまの話をコソコソと隠れて聞いていた。そう、あの時だ。あの会話がなければ、事はもう少しいい方向に進んだかも知れないのに。

 

「船坂上等兵。いや、確か今は大尉だったかな?……少し話に付き合ってくれないか?」

 

「──問題ない。今は武器の整備で時間が空いている。俺のような不見識な者がお前と建設的な話をできるかどうかは分からんが、お前のような慧眼を持った男と出会えたことを喜ばしく思う」

 

「そこまで自分を卑下することはないだろう。君を知る人が聞けば皮肉かと思う。こちらからすれば、君の噂は歩兵師団でも響き渡っている。君だって自分に関わる噂を聞いたことはあるだろう。不死身の船坂……ってね」

 

 

「階級にしても上官が死んでしまい、暫定的に大尉扱いされているだけだ。階級に見合った指揮能力や経験など俺には微塵もない。上官に相応しいといえば、お前のような遠大な視野を持った男が向いているはずだ。不死身の仇名についても与謝野女史の異能あればこそ。俺個人の功績でないものをどうして誇らしげに語れよう。立原、俺からすれば、こんな破綻者を相手にするより、森先生と軍の方向性について語った方が益になるはずだ」

 

 

 どこまでも卑屈な自己評価。しかし、この男が立てた戦功を考えれば皮肉かと思われてもおかしくない。これが皮肉でないというのは、船坂が本気で己を嫌悪しているのが傍目からして見て取れたからだ。彼は本気で自分という存在を疎んでいる。

 

 

「森先生は確かに聡明な方だ。しかし、あの方の言う最適解には人の情が欠けている。話をしても最後の最後で話が合わないさ」

 

「そういうものか?戦争で情が軽視されるのはよくあることだ。それが民間人に適応されるようになる世など許されるはずがない。むしろ、軍人という生きるか死ぬかを前提としている人間にのみ適応されていることに胸を撫で下ろすべきだ。我々が血を流すことで戦争が早期に終結するように力を尽くさねばならん」

 

 

「そう……だね。だが、それでもそんな正論が悲惨な戦場で自己を保つ精神の支柱にはならないだろう。どんな偉大な英傑でも他者より自己の安全を優先する。それは意志がどうという話ではない。生物としての本能の話だからだ。教えてくれ、船坂大尉。どうして貴方はそこまで強く在れる?どうしたら、私たちは君のようになれるんだ?」

 

 

 彼の切実さに染まった疑問に船坂大尉は雄々しく、そして自己へ向かう嫌悪を含みながら誠実に応じた。

 

「まず勘違いを正しておこう。俺は決して他者の規範と成れるような人物ではない。俺のような塵屑にだけは成るな。立原、お前は俺が大層な人物だと思うか。いいや、俺は諦めるという思考が存在しない破綻者なのだ。善人を、未来を、国を守るという方向性がなければ、無差別に危害を周囲に与えかねん迷惑な存在でしかないのだから」

 

 

「いいや、船坂、君のそれは紛れもなく美点だ!諦めない不屈の精神性。それがどうして塵屑なものか、それはむしろ、万人が胸に抱くべき理想の光だ。もし、何かを守るという方向性が存在しなかったら?そんな“If”に意味など無いんだよ。今、この瞬間も君がこうして誰かのために戦場に立ち続けているという事実。その正しさが、その背中が我々に勇気をくれる。教えてくれ、我々に足りないのは何なんだ。どうしたら、他人のために命を賭けられるほどに優しく在れる?」

 

「優しさか。それは俺から最もかけ離れた概念だ。俺を突き動かすのは、そんな綺麗で尊い輝きなどではない。むしろ、俺の原動力は尽きず無限に溢れ続ける憤怒らしい」

 

「らしい?」

 

 

 どうやら、先の応答は森先生の評価に起因していたようだった。

 

 英雄は窘めるような口ぶりで語り続ける。

 

「俺は今まで自覚していなかったが……先日のことだ。森先生にこう言われたよ、俺には悪や間違いを許容できず正義という正しさしか容認できない歪みがあるという。言われて、唖然としたよ。同時に納得もな。言われてみれば、分かりきっていたことだ。幼少の頃よりそうだった。腐敗しきった政治体制、自己の研鑽ではなく他者の妨害に時間を使う恥知らず、現実から逃避して凶行に奔る腑抜け共、己を弱者と嘯き正しく生きる者たちから甘い密を啜る輩など見るに耐えん糞袋だ」

 

 

 その声には本気の熱量が、真に迫るほどの激怒があった。話だけを聞けば、それは義憤と呼ばれるものに分類できそうなものだが、これは激怒である。それ以外の何者にも形容できそうにない。

 

 ようやく分かった。この男は敵や悪党と戦うのが好きなのではなく、そういった存在がいるという事実が許せないだけなんだ。正義というものから遠く離れた概念。それを認識した時、言語化不能な恐怖を感じた。子供ながら、船坂弘という存在の危険性と破綻っぷりに腰が引けてしまったのかもしれない。

 

 

「誰が見ても下劣な存在だと分かるだろうが。それが何故だ、どうして世界にそんな者が生きている?ふざけるなよ、死んで然るべき屑どもが!ああ、森先生の言うとおりだ。俺は歪んでいる、正義の味方などと口が裂けても語れまい。正義の味方など既に遠く、成らんとするなど烏滸がましい。だからこそ、俺は邪悪を滅ぼす──“悪の敵”に成りたいのだ」

 

 

 そう言い残し、船坂大尉は去っていった。武器の手入れも終え、またぞろ最前線に向かうのだ。その雄々しい(哀しい)後ろ姿を彼は正の字が刻まれた首飾りを強く、手に食い込ませるように握りしめていた。

 

 それを見たとき、妾は無性に不安が心の片隅に巣くったのだ。

 

 それがどんな不安なことか、あの時は深く考えなかった。結局、悪化する戦線により医療で日々を忙殺され、そんな不確定な思考を浮かべ続けることは困難だったからだ。しかし、船坂大尉や他の兵たちの奮闘も空しく、事態は悪化の一途を辿った。

 

 客観的に見ていれば、優勢だったのは否定しない。日々、力の限り奮戦し、殺した死んだと相手が思っても、明くる日または数時間後に復活して戻ってくる。相手からすれば悪夢だったろう。

 

 あそこでは敵が自分たちを“不死連隊(アンデッド・アーミー)”と呼んでいたらしい。それは皮肉なことに森先生が軍上層部に奏上した論文の題名(タイトル)と同一のそれだった。

 

 

 だが、戦意も士気も無限に湧き出るはずもない。如何に体が無事であっても、心がそれに付いていかない。魂が痛みと恐怖に屈してしまう。常闇島戦線の後半では、医院は救いの場所ではなく、戦場に縛り付けるための施設と成り果てた。

 

 それはあまりに残酷で非情な空間だった。あそこを越える地獄を未だ妾は見たことがない。

 

 泣き出す奴に、怒る奴、叫び出す奴と。屈強な軍人の中でも選び抜かれた精鋭をして、心が折れる極限状況。

 

 

 

 ある日、最前線の塹壕で敵の爆撃を受け、多くの兵士たちが粉微塵になった。

 

 運ばれてきたのは80人。その中で最も重傷だったのは、船坂大尉だった。その姿はどうして生きているのか、そこからしてわからない。治った奴が言うには直撃を受けそうになった男を庇ったようで“体の七割と顔面の半分”が消し飛んでいたのだ。

 

 

 死んでいないとおかしい、これじゃあ本当に不死身(バケモノ)じゃないか。

 

 

 彼は瀕死の中で医院に運び込まれるまで、こう言っていたそうだ。

 

“まだだ。ここで、終わるわけにはいかない……勝つのは……俺だ”

 

 

 世間一般でいうところの不屈じゃあない。

 

 形容を抜きにして本当に心に存在するはずの諦念や挫折が欠落している。

 

 恐怖におののき、妾は初めて怪我人を治すのを拒否した。森先生が治せと迫るが、この男は治してやるよりもいっそ、このまま死なせてやった方が救いとなるはずだ。それでも、森先生は治せと、異能を使えと妾に掴みかかる。森先生は己の不死連隊構想の具現とも言える男の経過を見届けるためにもこんな下らない私的で非合理的な理由で死なせるわけにはいかなかったのだろう。

 

 

 船坂大尉の命の灯火は一刻どころか一秒を争った。言い争いにかける時間すら、致命的な結果に結びつく。このまま、数秒。何もしなければ、あの英雄は人生という舞台を退場する……はずだった。

 

 

 英雄譚は馬鹿の特権。そう言ったことがあったか。

 

 そう、あの船坂という英雄の物語は未だ果てず再起の時は訪れた。

 

 

 それは不死連隊という異能を用いた戦術構想(ドクトリン)を考案した森先生ですら、いいやその構想における中核を担った妾ですら想像できなかった異常事態(イレギュラー)。英雄はその不屈の意志だけで常識と現実の理屈を超越する。

 

 そう、船坂弘という英雄は妾の治癒の異能、“君死給勿”を使わずして自己治癒を為し、己の死の運命を踏み砕いた。

 “それも妾と同じ異能を発動させて”。

 

 

 矛盾する表現だが、そうとしかいいようがない。

 

 森先生は、その光景を瞬きもせずに黙って見ている。有り得ない非現実的な光景、船坂大尉は間違いなく異能力者ではなかった。船坂大尉は非能力者だ。それは断言できる。しかし、現実として彼は妾の異能を使ったのだ。そんな不条理が存在するわけがない、他者の異能を非能力者が使用する。

 

 そんなこと、有り得るはずがない。

 

 現実では有り得ないことが成立している。

 そんな不可能を成し遂げた怪物は、黙って立ち上がる。

 

 病人用の寝台(ベッド)から起き上がって、歩き出す彼の動きは平静そのもの。

 

 歩く船坂大尉の発した言葉は激烈なまでに前進の気概を込めた雄々しき宣誓だった。

 

「まだだ、俺は止まらん。この意志が尽きぬ限り進み続ける。ああ、そうだ。ここが終わりなどではない。決めたからこそ、果てなく征くのだ」

 

 

 後々になってから森先生が検証した結果、かろうじて出た答えらしい検証結果がある。

 

 曰く、あまりに短期間、短時間で連続して(アタシ)の異能で治されたことが起因するらしい。ただ、異能で普通に治すだけならいいが、日に四、五回というあまりに多くの回数、凄まじい密度、期間で能力を浴び続けたこと、それが魂にまで(アタシ)の異能“君死給勿”を焼き付ける結果になったのだという。

 

 

 通常であれば、そんなことは起こりようもない。

 

 (アタシ)の異能の発動条件は治す者が瀕死の状態に陥っているということだ。

 

 瀕死というものは冗談でも比喩でもない。紛れもなく死にかけという意味。それが一日最低四回の頻度で死にかけとなり、それを何日も何日も、繰り返し繰り返して繰り返す。常人であれば心など粉微塵になる。

 

 それをあの英雄は平然と踏破したのだ。

 

 それは余人からすれば、偉業に他ならなかった。

 

 己のモノではない異能を魂に焼き付けた光の英雄は、治ったばかりの肉体を起こして再び戦場に歩き出す。それを見ていた心身を喪失した者たちは、消え入りそうな声を漏らした。

 

 

“ど……うしテ?”

 

“なゼ?アナタは”

 

“立ツ、ことがデキル?”

 

 

 それは純然たる疑問の声。自分たちの心が折れた苦痛を彼は意志ひとつで踏破する。その恐怖さえ感じさせる雄々しさに多くの兵たちは苦悶の声によって英雄を引き留める。だが、英雄は歩みを止める素振りすらなく、振り向きもせずされど真摯に返答する。

 

 

「知れたこと、俺は軍人。その職務に殉じるのみ。この身命の全ては国を、民を救うためにある」

 

 それは強靱堅固な意志の発露。端から見ていた多くの兵士たちが魂を奮わせる。

 

「人々の明日を、幸福を、夢を────守り抜かんとする意志が燃える限り、俺は勝利し続ける!異能力者、欧州列強?如何な強敵だろうが知ったことか明日の光は奪わせん!」

 

 

 彼の口にする言葉に一切の虚飾も迷いもない。あるのは確固とした決意だけ。分かるのはもう、あの男が止まらないという現実。己が定めた誓いの正道を踏破せんと決めた雄々しさが多くの人間の心を焼き尽くす。

 

 

 妾にとっては恐怖、あの男が語る正しさは正気と狂気の果てを振り切っている。そうとも言っていることは正しいさ、やっていることは軍人として尊敬に値するだろう。だけれど、あんな哀しいまでの雄々しさなんて人が実行してはいけない輝きなのだ。

 

 

 森先生にとっては驚喜、自分が打ち立てた軍略(ドクトリン)の正しさを、身を以て証明した上に彼自身の想定を越えた英傑の誕生。始めは師が紹介した非能力者の精神の強靭性のみに注視していた。しかし、夏目先生はこれを見せたかったのかと考えると笑いが止まらない。如何に不死を以て兵士たちの肉体を保っても精神が壊れてゆく。

 

 限界を突破した意志を持つ個人こそが鍵だったのか。思い一つで他者の異能を己のものとするなどという規格外の前代未聞。もはや、論理や数値で測れない意志の効用。森鴎外は歓喜する。これこそ、師が船坂大尉を紹介したわけ。森先生は英雄の誕生を高らかに言祝ぐ。

 

 

 そして、兵士たちが胸に抱くは憧憬。あまりにも、眩しい英雄譚。もはや船坂大尉に敗北など無い。彼は勝利に向かって、そしてまだ見ぬ誰かのために命を賭す。それはあまりにも純粋な、光輝を放つ意志だった。そこにあるのは国と民を救おうと己の全てを顧みぬ美しき理想。

 

 見ず知らずの誰かのため。彼が示した不退転の覚悟が兵士たちの魂に焔を灯す。

 

 不変の意志を抱き、正しき道筋を真っ直ぐに進む。男なら幼き時分、誰しも抱いた理想の生き方に憧憬を燃やす。

 

 そうとも男の生き様なぞ、それで十分。決めたからこそ進み続けるのみ。

 

 彼ら、兵たちにあるのは胸を焦がす尊敬と雄々しさへの畏敬の念。

 

 

“船坂大尉、貴方こそ正義の具現だ。どうか、私たちにもその後背を歩ませて欲しい”

 

 

 心身を喪失した、心の壊れてしまった者たちが、輝かしき英雄の光に焼き焦がされて、立ち上がる。今まで怪我の治療を拒んでいた者たちも。涙を流していた連中も。俯いていた奴らも。

 

 全員が確固とした願いを以てして英雄に付いていく。森先生はその光景に高らかに笑い、己の立案した戦略構想の完成と不屈の兵たちの誕生を祝福する。肉体に対する半永続的な異能による回復だけでは欠落していた。烈火のごとき怒りを宿した正しさを狂気とも言える強度で遂行する意志こそが鍵であり此処に机上の空論は現実の上で構築される。

 

 

 妾はこの空間の異常性に吐きそうだった。しかし、医療に従事した人間としての最後の意地か、怪我をした連中を全て治し、最後に立原さんを治療する。そして、妾は彼に一緒に逃げるよう説得する。此処はもう正気の世界じゃない。正しいことはどれだけ素晴らしくても、それは行きすぎれば人なんて壊れてしまう。こんな正しさしか貫けない軍隊など狂っている。

 

 “逃げよう”と言った妾に、あの人は静かに微笑んだ。

 

 正の文字が刻まれた鉄板を握り……

 

「いいや、“まだだ”。まだ、戦いは終わっていない。此処で僕たちが退けば故国が戦場になるだろう。それは認められない。断じて許してなるモノか」

 

 彼が口にした言葉に乗せられた熱量に反比例し、妾の背筋が怖気で凍り付いた。

 

 喉から水気が引いていく。ひゅ、と声にならない悲鳴が僅かに漏れた。

 

 目をこれでもかと見開いた妾は彼の袖口を掴み、止めようとするが彼はそれを一顧だにしない。

 

 まさか、まさか?

 

「そうとも、僕たちの道のりはまだ半ばだ。光り輝く明日と誰かのため、正しさの果てに進み続けよう」

 

 

 正しさという英雄の光に焦がされた彼は、引き留めようとする妾を置いて戦場に駆けていく。やめてやめて、正しさなんて必要ない。貴方が無事ならそれでいい。どこか遠くの誰かよりも自分を大事にしてくれよ。

 

 

 命を粗末にするな、誰かを守るって言うのならその守る対象に自分の命も含みやがれ。

 

 もはや時は既に遅し。船坂大尉が目覚めた後は連鎖的に妾の異能を魂に焼き付けた不死の軍人が増え続けていった。不死連隊なんてゲテモノの軍団が生まれたことで欧州各国もその豊富な資源と援軍を増加させていくも、不死連隊は一向に止まらない。

 

 どれほどの窮地にして絶体絶命の状況でも勝利を重ねる。彼らは追い詰められるたびに急激な進化、いやあれはもう覚醒と表現するべきか。いくら追い詰められようと、あっという間に戦況をひっくり返し、絶望的な物量差や優れた戦略を気合いと根性で覚醒してはねのける。

 

 妾はこの戦場に来るべきではなかった。そうすれば、あの光の亡者(英雄)は生まれ落ちることなく済んだし、不死連隊なんて怪物集団が生まれることもなかった。

 

 英雄譚が幕を開けて数日の後に妾は全てを終わらせるべく前線基地であった空母の基底部に爆弾を仕掛けて全てを海の藻屑にしようとするも、それは失敗し妾は本土に戻されることと成った。その後の戦況については一般に出回らず、勝利したかも敗北したかも不明のまま終戦となった。

 

 戦争が終わった後、妾は気がつけばひたすらに堕ちていく一方だった。堕ちた先は精神病院のいるだけで心を病みそうな部屋、そこで暫し日がな一日中うずくまる日々を過ごすことと成る。そこから妾を引っ張り出したのは、妾にとって最悪の人物だったのだが、これはまた別の話。

 

 

 これが妾の失恋の物語。立原さんは英雄の後に続き、妾などには目もくれず去っていった。英雄譚に焦がれた彼は、ただ真っ直ぐに光へ向かって走っていった。妾や家族に目もくれず。一心不乱にまだ見ぬ誰かと未来のために戦い続ける。

 

 

 正しいことは尊いことだろうが、それだけで世界は回らない。環境や生来のもので正しく在れないって奴も一定数、存在している。もし、正しいだけで生きていけるほど世界が易しかったなら、それで良かったかも知れない。

 

 しかし、現実は理想通りに遂行されない。叶えていけない、実行されてはいけない最適解も実在しているのだ。それを痛感し、将来の話だが横浜において現れた不滅の英雄たちと戦うことになる。

 

 それを踏まえ、妾は断言しよう。

 

 英雄なんて碌なもんじゃない。死を恐れぬ勇ましさなんて懸命に生きようとする生き汚さに比べれば、価値なんて無いようなものだ。勝利にとりつかれた亡者こそが、誰かを救うと唱える勇者なんておとぎ話の中でたくさん。

 

 

 嗚呼。だからこそ、妾は軍なんてものには金輪際、関わらない民間の組織に身を置く事にしたのだ。

 

 今、改めて妾の所属を明らかとしよう。

 

 横浜で異能を用いて社の事業に携わる“武装探偵社”が一翼を担う者。

 

 

 

 妾の名は与謝野晶子。社の人員が一切の傷病を治療する医者であり治癒系の能力を有する異能力者。それ以上でも以下でもないよ。長々と余計な話に花咲かせてしまったが、要するに妾はどこにでもいるただの医者さ。

 

 初めて好きになってしまった男一人、助けられなかったヤブだがね。

 

 

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