文豪ストレイドッグス 強キャラTS夏目先生   作:悪事

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エイプリルフール記念投稿




 “元数学教師は斯く語りき”

 

 

 武装探偵社、魔都ヨコハマにおいて異能力を用いて、官公民のあらゆる人たちからの依頼を受け、事件を解決する異能者集団。彼らは無辜の民草たちを守り助けることを旨として動く者たちで構成されている。

 

 

 ヨコハマで広く噂されている彼らは、武装探偵社社長、福沢諭吉より見いだされた曲者揃い。直接的な戦闘に優れた者から知略に長けた者と多くの者たちが揃い、ヨコハマの平和のために日々、ヨコハマを奔走している。

 

 そんな彼らをして、警戒する存在はヨコハマに少なくないにせよ、確かに存在する。

 

 ヨコハマの裏社会を牛耳る無法者たちの組織、ポートマフィア。その破滅的な武力と凶悪な犯罪行為から成る広域情報収集。麻薬、賭博、違法武器の密売などによって港湾都市ヨコハマを根城とする闇組織。

 

 国家の害に及ぶ異能力者を拘束、監視、律する内務省管轄の秘密組織たる異能特務課。おおやけには存在することさえ明らかとなっていない特務機関。殺傷に長けた異能から、情報操作系の異能など多様な異能力者の多くが所属し、欧州の情勢にも関わる特殊諜報工作機関。

 

 

 そして、ヨコハマに棲まうとされる魔人が一人、“怪猫”・“化け猫”と称される人物。この人物は、探偵社の開業に大きく力を貸した存在。名を夏目漱石。職業は教師、小説家と呼ばれてこそいるが、今や隠棲し表舞台には顔を出さないという状況。しかし、彼女が現れた際は社長いわく常に最悪を越える事態に遭遇するらしい。

 

 

「とは言っても、私は件の夏目漱石殿とは一度も顔合わせをしていないのだがね」

 

「そうか。太宰、貴様は一度もあの御仁とは会ったことがなかったな」

 

 探偵社の階下にある喫茶店の一卓で二人の男が顔を付き合わせ、珈琲に舌鼓を打ちながら雑談に華を咲かせる。といっても片方の眼鏡をかけた男はしかめっ面で手元の手帳に何かを書き込みながら、その正面に座る包帯が体の至る所に巻かれた男は、給仕の女性に目を奪われていながらといった具合で。

 

 双方、自分のやっていることを優先しており和気藹々といった印象は浮かびそうもない。

 

 彼らは武装探偵社の社員であり、眼鏡をかけ眉をひそめる男は国木田独歩。厳格にして厳密な理想を掲げ、武装探偵社において次期社長と目される人物。片や、前職不明で心中趣味の怠け者、ふとした際に見せる知性の片鱗は、探偵社において最高の域に位置する名探偵に匹敵するがために対応の面倒な男、太宰治。

 

 どちらも武装探偵社所属の異能者。その二人は相性的にいえば、良いというにはほど遠い。端的に言うなれば仲が悪いのである。されど、国木田独歩は口にする言葉の浅薄さに特筆するところのある太宰治の妄言も信じてしまうほどに人を信じやすい純朴さを持つ。

 

 といっても、単にチョロいだけかもしれないが。

 

 

「夏目先生は探偵社の創立に深く関係しているからな。彼女が隠居し姿を見なくなる前は探偵社員の教導で、多くはないがある程度の頻度で顔を合わせていたモノだ。俺や花袋、賢治は直接会って異能や護身、体術の手ほどきを受けたが。……そういえば、与謝野先生に、谷崎と太宰はまだ、会ったことが無かったな」

 

「うん、何というか昔の知り合いから、“猫の魔人・夏目漱石”の噂を聞いてはいるんだけど、このヨコハマに住んでいて一度も会ったことがないんだ。不思議だよねぇ、気になるなぁ。なんでもいいから教えてよぅ、くにき~だくん」

 

「間延びして気の抜けた声色で人の名前を呼ぶな、気色悪い」

 

 

 口元を苛立ちで尖らせ、国木田は太宰の緩みきった締まりのない視線を無視する。滅多に過去を語らない太宰の口から昔の知り合いという単語が出たことは少々、気になったがどうせのらりくらりと躱され時間を無駄にするだけと、好奇心を放置し話を続ける。

 

「大体、あの御仁が何者かということなど俺の方から聞きたいくらいだ。分かるのは異能力者で乱歩さんと同等の域にある頭脳の持ち主、あの二人の会話は近くで聞いていて頭が痛くなる。どちらも物事の答えから会話を始めるんだぞ。会話の意味に気づけるのは、事件が終わって書類整理をしている段になってからときた。あの領域の知性の持ち主たちは会話にすら難儀するだろうよ」

 

「へぇ、あの乱歩さんと同等の。……国木田君ほどの人間がそう評するのならそうなんだろうけど。それほどの御仁がただ隠居しているなんて妙な話だね」

 

「む、いきなり人を持ち上げて、急にどうした。何か、後ろ暗いことでもしてないだろうな、俺が早朝に完璧な整理をした業務机(デェスク)の物の位置をでたらめに変えたりとか、勝手に俺の名前で店屋物を頼みツケにしたとか、やってないだろうな?」

 

「いや……単に私は国木田君の人を見る目は信用しているだけさ」

 

「そ、そうか……なら貴様は普段からもっと誠実に探偵社の職務に従事せんか。お前が如何に優秀だろうが、その態度と心中癖がどれだけ人物評価を下方修正させる要因になっていると思っている。それさえなければ、お前は探偵社において中軸を担う肝心要の存在として──」

 

「まぁ、冗談なんだけどね!」

 

「くぅぉらぁ!太宰、貴様ぁぁ!!」

 

 

 やたらと高いテンションで太宰の首根っこを掴む国木田だが、掴まれている太宰は揚々と笑っている。何がそんなにも楽しいのかと思うが、それよりもくだらん話を真剣に話して人を騙す姿が、今話題に出していたあの女性の姿を鮮やかに思い出させた。

 

 

 もっとも太宰と違いあの御仁は嘘、妄言をいうことはなかった。しかし、彼女が話すことはどんな突飛な冗談よりも嘘らしい真実を語った。彼女が探偵社を訪れていたのは、僅かな期間だったがその僅かな期間の交流は国木田独歩という男の魂に根付いている。

 

 

 

 

 国木田独歩という男は数学教師であった。やたらと理想を求める姿とそれを自他共に課す姿は堅物という他ない。勉学を生徒たちに教える様は堅物が肩肘張って右往左往しているようだったとその頃を知る人間は語る。

 

 本人に言わせれば、生徒たちと真摯に向き合うことこそ教師たるものの責務と口にしていた。その甲斐もあってか、生真面目な姿は生徒たちの信頼を得るに値するものだった。やたらと理想や目標値、テストの平均点にうるさいのは玉に傷だったようだが。

 

 

 そんな彼が教師をやめ、探偵社に入社した経緯を知るものは彼の前職を知るものに反して非常に少ない。探偵社に至るまでの経緯はともかくとして、入社した彼を待っていたのは魔都ヨコハマの事件やもめ事(トラブル)などではなく、体術の訓練だった。

 

 

 いくら異能を持つとはいえ前職はただの数学教師。魔都ヨコハマを生きていくには相応の護身と徒手制圧術を学ぶ必要があった。それは厳しいものだったが、手帳に書いてあった理想の肉体の項目にある鍛錬を普段より行っていたため筋肉や体力の面で不備がなかったことが幸いしたのか、社長直々の体術の訓練は四ヶ月程度で完了した。

 

 

 それを長いと思うか、短いと思うのか、それは知らないが体術の訓練を終えた国木田は、社長の命により晩香堂と呼ばれる学舎へ赴くことと成った。向かった先の建物は、外装は古いものの、しかし汚れたような印象は感じさせない。良い歴史を積み重ねた建築物特有の重厚な雰囲気を漂わせている。

 

 

 妙なのは入ってからだ。以前まで数学教師であったが故に学舎の光景は懐かしいとさえ感じさせた。妙というか、変なのは調度というか学舎にある物の数々。廊下の壁に貼り付けられた習字の半紙には、達筆な字で“猫”と書かれ廊下の壁一面に貼り付けてある。

 

 それを妙にこそ思ったが、予定に定めた夏目漱石との邂逅を国木田独歩が反故にするなど有り得ない。

 

 歩みを進め辿り着いたのは廊下の突き当たりの大教室、机と椅子が整然と並び置かれている。妙なのは、机の上に置かれた色彩、大小異なる招き猫。まるで猫が集って学校を開いたよう、というのは些かに童謡じみた光景で、だからこそ招き猫の置かれていない空席に目を惹かれた。

 

 

 その空席に置かれた名札には『国木田独歩』と己の名が書かれている。社長の紹介で訪れたのだから、自分の名前が在ってもおかしくはないと自身を納得させて大人しく席に座る。己がこの奇妙な空間にいる理由は、社長命令と言うこともあるが何よりも自分の理想と挙げる手帳に記された予定に書いてしまったからだ。

 

 “晩香堂”にて、教導を受けると……。

 

 

 

 国木田独歩は他者にも自身の掲げる理想を要求するが、それは当然のこと自分には殊更、厳密に厳格に、遵守することを強いている。それは自分の理想に一切の偽りも妥協も許さないが為の誓い。

 

 

 多少の居心地の悪さ程度で、予定を放り投げるなどあってはならん。

 

 

 そう思いながら俺が座ったのと同時に、晩香堂に始業の鐘が鳴る。

 

 

 急に鳴った所為で驚きこそしたが、今のところは始業の鐘が鳴っているだけだ。心臓の鼓動を沈めようと背筋を伸ばして息を吸うと先ほどまで招き猫が乗っていた教卓の上に三毛猫が我が物顔で陣取っていた。

 

 

 その三毛猫は、身だしなみを整えているのか毛繕いを行っている。そして、それが一段落してから俺を一瞥する。思わず視線を逸らそうとするが、どうにも気まずく視線を真っ直ぐにぶつけ合う。飼い猫かと思うが、首輪や特別に個を特定するようなものがないため野良の猫と当たりを付けた。

 

 

 教室の扉が開きでもしていたのかと、扉を見てみるが完全に閉まっており猫どころか鼠一匹、入れる隙間もなかった。どうしたものかと教卓に視線を戻すと、そこには前触れもなく、一人の麗しい女性が居た。教卓の上に出席簿らしきものを置いて、こちらに微笑を零して立っている。

 

 

 その女性の姿は夢幻から抜け出たように凄まじい美貌と不可思議な雰囲気を放っていた。

 

 均整の整った体躯、力が加われば手折れてしまいそうな腰の細さと女性的な豊かさを見せつける双丘、瑞々しい肌と艶やかに煌めく光沢さえ放つ濡れ羽色の黒髪は、大和撫子という概念の結晶などと感じさせる。髪を纏めるために付けられていた猫の髪飾りは決して高級な物ではなかったが、夏目先生が身につけているだけで、それ自体が国宝か文化遺産などという領域に跳ね上げられていると錯覚していた。

 

 過ぎた美貌は人間から知性を奪い去るという。未熟なことに俺は、その時なにも出来ずに呆けていたよ。

 

 

 

 それほどまでに、美しいという言葉さえ陳腐なものに変容させる美貌の持ち主が目の前にいた。

 

 

「さて、君の名は既に福沢君より聞き及んでいます。それでは、こちらの自己紹介を行うとしましょうか」

 

 

 その言葉を聞いてようやく、俺は正気を取り戻した。この場にいて、なおかつ俺に用が在るというのならば、この人の氏素性にも予想が付く。その予想に応えるように彼女は、静々と自己紹介を行った。

 

 

「吾輩は夏目漱石、この晩香堂の教師にして本日、君の教師となるものです。この場においては君は吾輩を先生と呼ぶように」

 

 

 彼女の言葉が少し時間を置いて体に染みこんだ時、俺は当然の疑問を抱いた。

 

 

「……若い?」

 

 

 夏目先生は社長の師匠でもあるという。ならば、その容姿はあまりにも若々しすぎた。十代後半?多めに見積もっても二十代の前半を越えないだろう。その容貌は、初見で事情を知らなければ何者かが夏目先生の名を騙っているとしか思えまい。

 

「申し遅れた、俺は武装探偵社所属の調査員。国木田独歩。……それで、その疑いたくはないが貴方がかの魔人、夏目漱石殿なのか?」

 

ごくごく自然な疑問を零し、俺は教壇に立つ女性の方へ近づこうとした。だが、彼女の側に行くより先に、夏目先生は気楽な調子でこれから行われる教導の内容を口にした。

 

「然り、その通りですよ。国木田君、今日一日でありますが教導を始めましょう。では、手始めとして上手く受け身を取りなさい。まずは前座の格闘術の訓練です」

 

 その言葉と共に眼前へ話をしていた女性が現れ俺の視界は横方向に回った。痛みはない、が突発的な浮遊感と急変した重力が己はこの瞬間にも吹き飛ばされているのだと言外に教えていた。

 

 

 

 

「ってどうした、太宰?」

 

 急に不機嫌な顔をした太宰治の変化に国木田独歩は反応する。この男がこんな不機嫌な顔をするなど、よく行う心中を邪魔されたときくらいなものだ。

 

「いや、重力って聞いて気にくわない知人が浮かんだだけだよ。気にせず続けてくれ」

 

 

 それを聞いて今度、太宰が鬱陶しい時は重力の話題を持ち出してくれようかと頭を過ぎったが、それをして嫌がらせを倍返しされるのは未来の自分だ。嫌がらせの類で目の前の男を凌駕するのは自分にはできんと思考を棄却し話を続ける。

 

 

 さて、どこまで話したか。

 

 ああ、俺が投げられた所までだな。急に投げ飛ばされた俺は接地感が無くなったことに混乱をしながらも社長との鍛錬で身に刻まれた体術で受け身を取り素早く立ち上がる。俺は自分の身に起きた事象を信じられずにいた。

 

 

 当然と言えばそうだろう。自分より矮躯の女性が鍛えられた成人男性を投げ飛ばす。常識外れとしか言えまい。だが、俺も常識から外れた異能力者。常識に囚われた思考からの脱却は早く、近接格闘の構えを直ぐさま取る。

 

 

 ロングスカートとは思えない移動速度、投げ飛ばされた距離はおよそ五メートル、その間合いを刹那に詰め彼女は握った拳を胴体目掛け振るう。それは腰の駆動と腕部の動きの完璧な可動による理想的な拳打だった。

 

 

 反応できたのは自分の技倆の如何によるものではなく、相当に加減された物だったのだろう。速度はあっても駆け出しの頃の俺が対応できた物だ。肩の動きから拳の軌道を予測し、俺はそれを受け止め抑えつけようと考えた。

 

 夏目先生もそれを理解した上で拳打を放つ。それは当てる位置が見え見えな打撃だった。今にして思うとあれは教導のための攻撃だったのだろう。囲碁や将棋でも在るとおり圧倒的な実力差を前提として成り立つ指導のための勝負。

 

 いくら数ヶ月の鍛錬を重ねたとはいえ、元はただの教師。

 

 武術の階梯で俺は夏目先生の足下にも及ばない。まがりなりにも受け身や攻撃の察知が可能だったのは相手の実力を見る目が正確だったおかげだ。

 

 予想した部位、予想した角度のままに拳がぶつかる。予想外だったのは威力と痛みの度合いくらいか。

 

 

「がぁぁぁ!!!」

 

 

 冗談抜きで防御に使った右腕の前腕部が吹き飛んだかと思った。防御は弾け飛び、体は綺麗に三回は回転し机と椅子をなぎ倒して着地する。回転する中で回る世界で着地点を予測し辺りの机や椅子の平面に体の頑丈な部位を当てることで吹き飛ばされた衝撃を減衰し両足で床面に立った。

 

 

 いや、どうにか立てたという形容が相応しい。体幹こそ崩れたが構えはどうにか取れている。

 

「いきなり、何の了見でこんな真似を!?貴方は社長の師匠筋ではないのか?」

 

「だからこそですよ、福沢君が君を此処へ訪れさせたというのなら、最低限の体術は仕込まれたと判断したのでしょう。吾輩はそれを判断するのみ、さぁ、拳を握り、体に染みこんだ技巧を想起し、必殺の意気で振るいなさい。ご安心を、二十代そこらの小僧に労られるほど柔な人生は送っていませんので」

 

 

 外見だけなら十代くらいの女性に侮りを受け、思う所のないほど国木田独歩は老成しきっていない。口を開くより先に押さえつけてしまおうと彼女の右手首を掴み、脚を払おうとするも足払いに使おうとした脚を踏まれ逆に押さえつけられる。

 

 

「ええい、白兵戦を異能力者にさせるなど意味があるのか!?」

 

「逆ですよ、吾輩の持論ですが異能力者だからこそ白兵戦闘および格闘術に秀でている必要があるのです。強大にして常識外れな異能を操る以上、その繰り手たる者の肉体が軟弱など在ってはなりません。異能力者たる者、その心身は頑健にして強靭でなくては」

 

 なるほど、などと迂闊にも納得してしまったため反対意見を物申せなくなる。

 

 右手首を掴み取り捕獲している以上、腕力に大きな差がなければ夏目先生を逃がすはずがなかった。故に逃れる術は互いの技倆により決まる。掴んだ手を中心に俺を投げ飛ばそうとする力が働くが、それに反する力を同時に入れた上で押さえつけようとするのではなく敢えて脱力、無駄な力みを無くすことで投げ飛ばされる無様を避ける。

 

 

 此処で夏目先生はにこりと笑い、こちらと視線を合わせる。

 

 

 気がつくと必死でどうにか掴み込んでいた夏目先生の右手首がいつの間にか手中から離れ、彼女は教壇に立っていた。まるで映像の巻き戻しのごとく、一番始めの光景の焼き直しだ。異能でも使われたかと錯覚するが、彼女の異能は空間移動とは異なる代物。

 

 となると、信じようも説明のしようもないが、おそらく体術か何かのカラクリで行ったことだったのだろう。

 

 

 それを当時の俺が知ることはなく、異能を使われたものだと思いこちらも異能を発動する。胸元に在った手帳が一頁を指に挟み捕獲に適した物品を実体化させる。

 

「独歩吟客!鉄線銃(ワイヤーガン)!!」

 

 

 手帳の頁が消え、代わりに鉄線銃が立体性を伴って出現する。右手に握られたのは、文字の通り鉄線(ワイヤー)を射出する小型拳銃。照準を合わせ、即座に引き金を引く。鉄線は夏目先生を捕縛しようとするが彼女はいつの間にか持っていた手杖を鉄線に当て、鉄線の捕縛から逃れた。

 

 

 的確な対応に瞠目しつつも体は即座に対応する。手帳から畳み刀を出現させることで牽制に用いようと動く。予想外だったのは次の夏目先生の対応、眼前に飛び込んだのは周りの机に置いてあった招き猫。

 

 それは武器と言うには、気の抜ける形状をしていた。

 

 投擲された招き猫。額に痛みを忘れるほどに峻烈な痛撃が走り踏鞴(たたら)を踏む羽目に。仰け反りはしたもののひっくり返ることだけは回避した。ズれた眼鏡の位置を戻し辺りを見ると招き猫が転がっている。そのつぶらな瞳は俺の未熟を見つめるように真っ直ぐに俺を貫いている。

 

 

「それが物体創造の異能、独歩吟客ですか。紙一枚から物を創造するとは等価交換を無視しておりますね。なるほど、これはまさに万物創造の異能と呼び得るでしょう。制御が効いていれば、あらゆる状況に即応可能ですね」

 

「あいにくと、そこまで便利な能力ではない。手帳の頁より大きい物品は実体化できないからな。万物創造などと嘯けはしませんよ。夏目漱石殿、まさか今日一日を、格闘教導に使い潰すおつもりか」

 

 夏目先生は手杖をくるりと回し、微笑んでから教壇上にあった椅子に腰掛ける。先ほどまでの肌を撃つ戦意がかき消えていた。嵐の後の空模様のような変化。嵐が過ぎ去ったのを確認してから俺は出現させた畳み刀を手元に置いたまま、夏目先生の挙動を見逃さぬ位置で油断無く佇む。

 

「ご安心を、もう先ほどのように急な戦闘には移行しませんので。既に君の腕前は把握しました。福沢君は良い修行を行ったようですね」

 

「……ふぅ、腕前を確認して頂けるのは有り難いですが、せめて覚悟をする暇『いとま』をください。それで、今更ですが本当に貴方が魔人と呼ばれる異能力者、夏目漱石殿なのですね」

 

 

「ええ、この外見については色々と事情がありまして、己の肉体の最盛期で年齢が凍結されているのです。これでも、歳不相応な外見だと自覚はしています。いえ昔、欧州の魔人と軽く応戦しましてこのざまに。いやまったく欧州の異能力者は強者揃いで、特に魔人は敵にすると面倒極まりません」

 

「魔人と称されるほどの人物を面倒で済ませることは普通できないでしょう」

 

 

 当然と言えば当然、世に悪人、善人は数多く在れど、魔人と称される数少ない異能力者が常識外れと言うことは異能力者の端くれとして知識の中にあった。そんな魔人と戦って生きている異常に俺は内心、冷や汗をかいたよ。

 

 改めて見てみると、本当に十代の女性にしか見えない。その黒髪は夜闇を溶かしたかのごとき煌めきを発していた。その美貌は女性としての艶やかさと少女の純粋さを完璧と言ってもいい比率で融合させたかのよう。

 

 

 足首にまで届くロングスカートは女性らしい淑やかさを印象づける。よくもまぁ、動きが大きく制限される服装のまま、先の格闘戦でああも人間離れした動きが出来たものだ。肩にかけられている肩掛け(ストール)を整えているたおやかな容貌からは魔人だと言うことさえ信じられない。

 

「それで教導と申されますが、他に何を聞けばいいのですか。これでも探偵社の活動で必要なものはあらかた教え込まれていますが……」

 

「ええ、君は現時点で十分なほどに心技体、知識も揃っております。おそらく、吾輩がこれから知識を詰め込んでも蛇足にしかならないでしょう。ですので吾輩の教導するところは君の異能の扱い方についてです」

 

 それを聞いて、俺はそれこそ教われるようなことがあるのかと思った。当然だろう、何せ自分自身の異能だ。その欠点、利点や特徴は理解しきっている。生まれたときからの長い付き合いの存在、自分自身の異能力を他者がどう教えるというのか。

 

 

 そう考えてしまうのも無理からぬ事だと思う。

 

 お前とて、そうだろう。自分の異能の扱い方を他者から聞くという発想は普通の異能力者には有り得ない。俺の場合は社長から話を聞いていなかったら、そのまま事務所へ戻っていたところだ。

 

 

「君の異能、“独歩吟客”。なるほど、手帳という制限こそあれ、この世の総てを創造しうる素晴らしい異能だと感じました。その汎用性は世界に存在する異能の中でも高位の種別に属する」

 

 

 正直、買いかぶりだと思った。見ず知らずの人間に盛大な買いかぶりを受けることほど据わりの悪い話はない。

 

「話を聞いていなかったのですか?俺の異能はそこまで万能ではない、異能の制限は手帳に書くことだけではなく、手帳の大きさまでの物しか出現させられない。それに頁「ページ」がなくなれば、異能は使用できないのです。この世の総ての物を出せる……などと過度な買いかぶりは止して頂きたい」

 

 仏頂面と不機嫌さを隠さずに放った言葉はもはや、威嚇に類される刺々しさを放っていた。だが、そんな威嚇同然の声にひるむことなく、あの方は首を傾げてこちらへ問いかけてきた。

 

「何故です?君の異能の限界は其処にあらず、ちゃんとお考えなさい」

 

 その純粋に疑問を浮かべた声と瞳に、俺は二の句を告げなくなる。それは、こちらの言い分を理解し、把握した上で発されたものだと俺は分かった。その疑問の声色を俺は知っていた。そう、これは教師が生徒に問いを出し、問題を解かずにいる場合に口にする言葉。

 

 

“君の意見は全ての可能性と選択を思考、実行に移した上で出した答えであるか”

 

 

 言外の言葉に俺は言葉を詰まらせ、少し考え込む。

 

 

 俺の異能は此処が限界か?

 

 俺の異能には、まだ俺が触れていない領域が在るとでも?

 

 否、そんなことはない。国木田独歩の異能とは、己の理想が記された手帳の寸法以内の大きさの物体を出現させる異能、正確には手帳の頁が在ることが前提だ。切り取った頁のみでも効果は発揮される。更には遠隔であろうと、他者に発動のタイミングを譲渡させるといった応用もできる。

 

 

 ならば、他には何がある?他の手法、他の可能性?

 

 パン、と軽く手を打ち合わせて俺の思索の泡は弾けて消えた。それは、巧みな意識の誘導だった。疑問に埋め尽くされ、思考に囚われて動けなくなったところに的確に出された助け船。なるほど社長から聞かされていたとおりだ。

 

 人知を越えると評される思考の深さ、無手空拳で異能者を当然のごとく打ち倒す戦闘技巧、どれも彼女を魔人たらしめるものにあらず。真に恐れるべきは人材育成の手腕、他者に与える己という存在の影響力を把握し、生徒の足りないものや経験を考察し、成長させる曰く教育の怪物。

 

 

 その一端というべきものを彼女は開示しようとしていた。

 

「貴方は自分の異能の本質を掴んでいない。確かに貴方の異能は手帳が中核と成っている、しかし最も重要なのは貴方が胸に抱いた理想そのものにこそある」

 

「俺の……理想?」

 

 

 呆けた声を微笑みと共に聞き流し、彼女はストールを肩に掛け黒板に理想の二文字を書いた。

 

「国木田独歩、最善と正義を信じる理想家よ。貴方の理想とは、手帳の中にのみ存在するモノではないでしょう。それは実行し実現させて現実とする事で意味を為す。理想を理想のまま終わらせるといった半端、君自身が許しはしない」

 

 それは確信と信頼に満ちた言葉であり、絶対の自負を以て行使される魔人の業だった。

 

「理解なさい、君の異能とは理想を描いた手帳の文字を物体化させるモノではない。画に描いた餅で腹は膨れない。書かれた文字を物質化するなら、わざわざ手帳という縛りは不要でしょう。そこらの紙切れにでも書いた文字で事足りる」

 

「……それ、は」

 

 

 目が彼女から反らせない。彼女の言葉を聞き逃すまいと耳を澄ませる。

 

「君の異能は、理想を記した手帳を起点に発動する。ならば、答えは明快でしょう。君の独歩吟客は文字を物質に変えるのではなく、己の理想を物質とする能力なのですから。ならば、肝心なことは手帳のサイズなどではない。君の理想の精度と其処に秘められた意志の強弱にこそ在る」

 

 肌に当たる清廉とした意気に圧倒される。悪意ではない、しかし、無害なはずの意気がただひたすらに膨大な為に、未熟な己は圧倒されてしまったのだ。そんな圧倒されたことを誤魔化そうと、夏目先生の意見に俺は苦言を呈した。

 

「だとしても……俺の異能は手帳の頁の大きさによって、物質化するものが決まるのです。根性論でどうこうなるような簡単なものでは」

 

「“人の意志、それは無限の可能性なり。気合いに勇気、それと覚悟、揺るがぬ信念があれば、おおよそ万事は可能なのですよ”」

 

 

 

 

 

 

「待った、国木田君…………そんな根性論を本当にかの魔人、夏目漱石が口走ったのかい?」

 

「ああ、というより夏目先生は根性論と肉弾戦闘至上主義者だ。気合いと根性、後は鍛えあげた肉体を持つことこそ肝要だと。無茶なことだが、実際にそれで成長を実感している身の上からすると納得せざるを得ないというか……」

 

 普段は見せない太宰の呆れたような疲れた声に渋々と俺も同意する。

 

 それは犬猿というか苦手な人間と同じ意見になったこと、夏目先生という極限の例外存在について話すと言うことで体力を削りきったためなのかも知れない。

 

「もっとも、夏目先生と出会ったおかげで俺は異能の新たな可能性に触れることが出来たんだがな」

 

 

 

 

 場面を過去に戻そう。

 

「頁の大きさが問題?ならば、頁を大きくすればいいだけのこと。簡単なことではないですか」

 

「そんなバカな話があるわけない。確かに頁が大きければ物質化するものも相対的に大きくなるでしょうが。どうやって頁の寸法を変えろと?手帳を変えろというなら、無理な話だ。俺の異能はこの特注の手帳でなければ」

 

「頭が硬いですよ、国木田君。時には常識から離れて思考することも必要です。君は柔軟さを大事になさい」

 

「柔軟に考えろとおっしゃられましても。異能の制限は易々と変更が利くわけではありませんし、どう柔軟さを発揮せよと?」

 

 訝しげな表情を浮かべた俺を一瞥して夏目先生は俺の手帳を指さす。

 

「そうですね、一頁の大きさの範囲で異能を発現するというのなら複数枚の頁をつなぎ合わせることで一つの大きな頁を作ってみては?後はその大きな頁に見合う理想を君が描けるかどうかというところでしょう」

 

 

 その素朴な意見はある意味で、目を瞠るモノだった。今までの異能の使い方で想定もしなかった手段の提示は俺の思考を一時、空白に落とし込んだ。内容は極々、簡単なもので試したことがなかった自分の想像力の欠如に苦笑いを浮かべる。

 

「しかし、そう簡単に上手くいくようなものなのですか?現段階では試したこともない仮説でしかありませんですし、できるかどうかで言えば……」

 

 

「できるか、どうかではありませんよ。貴方はこれより一週間で、新たなる異能の使い方を身につけてもらいます。何、案ずることはありません。人とは無限の可能性を有する生物。決意と覚悟があれば、大抵の理不尽は踏破可能ですので」

 

 

 無茶を無茶と言わせない。無謀を飛び越え、未知を既知へ。

 

 鍛錬と言うも憚られる無茶振りも相当に課せられた輝かしき日々。

 

 先生の特訓は僅か一週間でこそ在ったが俺の異能に関する視点を大幅に変える経緯となった。頁に書かれた文字より物質を作るのが俺の異能の本領ではない。それが分かっただけでも収穫というモノだ。

 

 

 俺と太宰が互いに頼んだ珈琲を呑みきり、ホッと息をつき心身を弛緩させる。

 

 探偵社の活動は常に非合法組織との抗争と対立に関わる業務だ。こうして心を落ち着かせることのできる場所があると言うだけでも日頃の職務への取り組み方が違うというものだ。

 

 手帳にある今後の予定を再確認し終わったところで、珈琲のお代わりを頼もうかとすると店の扉が大きく音を立て開かれた。見慣れた顔が血相を変え飛び込んでくる。

 

「国木田さん、太宰さん!!大変です、官警からの緊急入電で現金輸送車を強奪した強盗犯が市街地を暴走中。武装探偵社にも事件解決のため出動を要請されました!賢治君が先に向かっていますが、急ぎ増援に向かいましょう!」

 

 限りなく寛いでいた時に事件が発生するとは。我ながら間が悪いとしか言いようがない。

 

 しかし、職務は職務。勘定を手早く済ませ、俺は店を後にする。

 

「谷崎。強盗犯の特徴、所持している武装、現時点ではどれほど分かっている」

 

「官警が言うには対戦車榴弾(RPG)軍用散弾銃(ショットガン)、それと未確認ですが、乱歩さんによると奴らは爆弾を体に巻いているとか」

 

「……ふむ、なるほどな。迂闊に追いかけ市街地で自爆でもされたら迷惑だ。ここは奴らを早急に無力化する。背後関係の調査に関しては手が回らん。今は市民の被害の最小化を優先するぞ」

 

 好機はただ一度、下手に時間を掛ければ事態は最悪を振り切るだろう。

 

「国木田君、私はどうする~?」

 

「好きにしろ、お前はその方が動きやすかろう。事件解決のために最善を尽くせ」

 

 それだけを聞くと、心得たものか。太宰は背を向け手を振りながら自分と逆方向に歩く。

 

 あいつの見えているものは自分には理解できない。しかし、それでいいと思えるようになった。夏目先生の下で学び、成長する中で個々人が必ずしも同じ行動を取らなくてもいいと考えることが出来るようになったのだ。

 

 これも成長の一つかもしれないな。

 

 考えるようになったことは単純なこと。誰しも、己だけの理想を抱きそれを成し遂げんと足掻き走り続けていると言う事実。昔の己はまったく頭の硬い男だったと苦笑する。もっとも、他者から見れば頭が硬いのは今も昔も大差ないが。

 

 谷崎と賢治に強奪された車両をある地点に誘導するように言付ける。

 

 車両がこちらに来れば、後は俺の仕事となる。

 

 懐から大きな紙袋を取り出し、封を切って中にあるものを取り出す。

 

 それは数十枚程から成る手帳の頁を貼り付け作った寸法の大きい一頁だった。その大きな頁には達筆な字でこう書かれていた。“麻酔狙撃銃”(スナイパーライフル)、それは実際の狙撃銃と同様の大きさをしており、事実そのようにと国木田独歩が用意したものだ。

 

 

「独歩吟客、“麻酔狙撃銃”(スナイパーライフル)

 

 数十枚の頁からなる一枚の頁がかき消え、発光と共に無骨な狙撃銃が姿を現した。それを掴み、国木田は狙撃を体勢を取る。狙うは逃走中の犯人たち。己が成し遂げるべき理想は、殺すことなく敵を捕縛し官警に突き出す事件の解決。

 

 これはもはや、確定事項とも言える俺の予定の中にあった。

 

 眼鏡を外し、狙撃銃に備え付けられた照準機(スコープ)からこちらに向かってくる人相の悪い犯人に狙いを定める。輸送車の全面のガラスはいくらかひび割れており、強奪時の杜撰な犯人の行動が目に浮かぶようだ。

 

「あいにくと今日はこれから予定が立て込んでいる。三十分以内に全てを片付け、俺は本日の予定を果たさなくてはならないのでな。話は後で聞こう」

 

 引き金にそっと引き絞り、次に銃から硝煙が昇り薬莢の落ちる音が耳に入る。標的に麻酔弾が命中し犯人が気を失う。犯人の操縦がなくなった車両は賢治が抑え事件はひとまず解決したという所か。

 

 あとは犯人の動機や背後関係などの洗い出し、やることはまだまだある。今日の予定を遂行するためにも新たな仕事を早急に片付けなければならん。

 

 虚空に消えゆく狙撃銃を背に眼鏡をかけ直した俺は眼下でこちらに向け手を振る賢治を見て、口角を僅かに上げる。

 

「まったく、この街は難事件、怪事件に事欠かんな」

 

 

 

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