文豪ストレイドッグス 強キャラTS夏目先生   作:悪事

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エイプリルフール記念投稿




 双黒、十五歳を征く

 

 

 

 空を悠々と飛行する旅客機、高度一万(メートル)の雲海をゆく人工の翼は見ているだけで、人類が進んできた文明という道程の凄まじさというものを知らしめさせる。人の知恵と不可能を覆そうとする意志の具現。

 

 一人一人の為せることは小さかろうと、集い繋がり生まれる力への畏敬。

 

 個が持つ規格外の力は確かに多くの人々の目には映えるだろう。

 

 しかし、“先生”は言っていた。

 

『人の紡ぐ歴史の中で我々、個人は只の一欠片に過ぎない』

 

 ならば、俺たち一人一人の価値は無なのか、歴史という視点から見れば吹けば飛ぶような代物なのかよ。

 

『中也、君は変なところで繊細なのですね』

 

 

 おいこら、誰が繊細だ。しかも変なところで、ってなんだよ。

 

『良いですか中也、その答えは……』

 

 

 

 思考に埋没しかけていた過去を完全に掘り返す直前、飛行機の両翼に添えるように取り付けられた発動機(エンジン)が爆音を奏でる。そのあまりの音に思考の泡沫が割れて消えた。

 

 考え事の最中に騒がしい、と理不尽な怒りを抱きつつ空中、高度500(メートル)の世界に平然と“直立”する中原少年は鼻を鳴らし、白帽子を被り直してから前進する。空中を何の足場無く歩行する。奇跡(ミラクル)か、はたまた奇術(トリツク)か。

 

 いいや、異能によるものだ。これこそ、ヨコハマにおいて名を響かせる齢十五の怪物、中原中也の重力操作。

 

「チッ、うざってぇ」

 

 口元を鋭角に歪めて中也は牙を剥いて嗤う。

 

 白い中折れ帽子(ソフトハット)の位置を少し直して、彼は旅客機の胴体部に風穴をブチ空けた。それは一見すれば、それだけで墜落するという未来図を予期させる。ぶち抜けた先で中也は、蹲り必死で空中分解寸前の機内にしがみつく男に目を向ける。

 

「羊所属、中原中也」

 

 簡潔かつ素っ気なく行われた自己紹介は致命の宣告であり、まさしく手向けの一言だった。

 

 

「中原……中也、まさか羊の王の!?」

 

 ポートマフィアの銃売買の一端を担う構成員は、自分が羊の縄張り、ひいては領分を侵したことで眼前の怪物を呼び込んでしまった不運を自覚する。

 

「おい、こっちは名乗ったんだ。てめぇも名乗れよ、ポートマフィアの哀れな銃運び。いい年こいて、戦の作法も知らねぇのか」

 

 暗色系のライダースーツを纏い、茶髪を風に躍らせる少年は外見のあどけなさに反し獅子のごとき面相でポートマフィアの構成員を萎縮させていた。圧倒的な暴力、単純な一個体で為せる最大限の暴威。

 

 彼は単身でそれを体現していた。

 

「許してくれ!羊の縄張りを荒らしたことは謝罪する!やりたくてやったわけじゃない!」

 

「名乗れって言ったはずなんだが、まぁいい。てめぇも知ってるだろ、羊は唯一反撃主義、手を出してきた相手に万倍にして報復するのが流儀だってこともな。てめぇと同じ襲撃犯のお仲間はみんな三途の川を渡ったよ。だから、てめぇも三途の向こうまでぶっ飛ばしてやらぁ」

 

 中原中也の黒き眼光が剣呑さを増し、怯える男の血の気が引いていく。

 

 

「畜生、どうすれば良かったんだ。あの怪物に、災厄を呼ぶ黒炎の……荒覇吐が武器保管庫を壊しさえしなければ、好き好んでよそのシマを荒らすなんて真似はしなかったものを」

 

 うわごとのようなそれに中也は握りしめていた“拳”をほどく。

 

「あん、“荒覇吐”だぁ?なんだって、今更“あいつ”が話に出てきやがる?」

 

 彼の疑問符のついた台詞は完全に気の抜けた、率直に言えば油断しきった一言だった。つまり、外界に対する注意や警戒が解けたことを意味しており逆襲の好機を黙したまま見逃すほどポートマフィアの構成員は柔ではない。

 

 油断による隙を突いて、男は中也に向けて銃を構えた。

 

 それは銃を扱い慣れた熟練の動作、銃の撃鉄を落とし照準を合わせる。

 

 一瞬で成立した動作に中也は口笛を吹く。それは培われた技術に対する賞賛であり意味なき行動だと言外に教えてやるためだ。

 

「死ね、羊の王!」

「撃てよ、まぁどうせ、当たらねぇだろうがな」

 

 銃を扱う上で最後に行われる、引き金を引く動作が完了する。

 

 弾丸は照準に合わせ、眼前に立つ怪物の体内を蹂躙するはずだ。

 

 相手が何もしなければのことだが。

 

 自分に目掛けて放たれた弾丸を少年は真っ直ぐに捉えていた。弾丸の辿る軌跡、それを完璧に見切ってほどかれた拳を握りなおす。一閃の黒き光を帯びた拳が正面から小さな、しかして人命を奪うには能う金属を撃墜、そして弾丸は本来の持ち主の元へ帰還する。

 

 弾丸は持ち主の頭蓋を貫き、脳髄を踏み荒らし絶命させる。

 

 崩れ落ちるポートマフィアの人間を腹に抱えたまま旅客機は空中でバラバラとなり地面へ真っ逆さま。

 

 堕ちる鋼鉄の塊を背に中也は敵を前にしたときとはまったく異なる声音で面倒くさそうにつぶやいた。

 

「王なんて柄じゃねぇんだ、俺はよ」

 

 

 

 

 

 

 

 幾編にも纏められた分厚い報告書、それは見る者を億劫にさせる情報の羅列だ。単純に今も机に積み上げられた物量からして気が滅入る上、今のところどの報告書を読んでも良い話題というのが微塵もない。

 

「どうしたものかなぁ」

 

 他人事のようなそれは、途方に暮れた人間の見本のようなザマを表していた。

 

 後ろに撫でつけられた黒髪をかき上げ、白衣の胸元から煙草を取り出す。首に付けられた聴診器はしばらく使ってもいない代物だ。サンダルはとうにボロボロだが、新しいものを買いにいくのが面倒なためほったらかしにされている。

 

 外見は医者な彼だが、手元の資料の内容がそれをきっぱりと否定する。非合法の銃の販売推移、密輸された海外の嗜好品の目録“リスト”、裏取引された宝石の買い取り先、後ろ暗い物件に賭博の収支報告など。雑多なそれを彼は疲れ切った顔で見ては、一つ一つに効率的な対応策を講じる。

 

 ポートマフィアの首領となった元医者、森鴎外は愚痴を口にしながらも組織を最高率で回している。現状取れる最適解、それを情に流されることなく選択しながら。

 

「密輸されてくるはずの銃は届かずじまい。これじゃ、部下に鍋と包丁で戦場に出てもらう羽目になる。それなのに末端構成員たちは無軌道に厄介ごとやらいざこざを起こしちゃってまぁ。弾薬だって無尽蔵じゃないのにねぇ。このまま末端の制御が効かないとポートマフィアへの取り締まりが厳しくなる、官警とは良い間柄でいたいのだけど」

 

「そこは一つ冗句(ジョウク)を利かせて“良い関係”で、とか言わないの?」

 

「いや、それは寒いだろう。冗談は時と場合、あと面白さを選ぶよ」

 

「ふーん」

 

 森鴎外の疲れた声に、彼の右腕にして共犯者たる少年、わずか十五にしてポートマフィアで揺るがぬ地位を形成する功績を生んだ太宰治は胡乱な返事をした。そこには上司に対する敬意やら忠誠は見えてこない。

 

 ただ、暇つぶしに医務室に来ているだけの包帯を巻いた少年にしか見えなかった。

 

「まったく、私が首領になってからというもの、保護ビジネスの契約解除、抗争の激化に果ては縄張りの縮小。問題の目白押しだよ、まったく。これじゃ、おちおちエリスちゃんと遊ぶことだって出来やしない。もしかしても私、首領向いてない?どうかなぁ、ねぇねぇ太宰君どう思う?……太宰君、私の話聞いてる?」

 

「聞いているかもしれません」

「不確定だなぁ」

 

 適当な相づちを打つ太宰は大きすぎる黒背広を羽織って、医療用の薬品が入った瓶をいじっている。

 

「森さんの話は最近じゃ、退屈な話題ばかりで確定しているもの。お金がない、情報がない、部下の信頼もない、時間がない。そんなの最初から分かりきっていたことじゃないか」

 

「ごもっともなんだよねぇ、ところで太宰君。なんで君は高血圧の薬品と低血圧の薬品をちゃんぽんしているのかな」

 

「え!?決まってるじゃない。混ぜて飲めばすごいことが起こって楽に死ねるかと思って」

 

「はい、没収でーす。まったく、薬品庫の鍵は取り替えたばかりなのに、もう破ってしまって。また、新しい鍵を用意しないとじゃないか」

 

「いや、それが一番の無駄遣いなんじゃない。無駄におたかい欧州製の金庫や鍵を揃えちゃって。普通の南京錠でいいじゃないか」

 

「それだと君は目をつぶってでも鍵破りするだろう?」

 

 もっとも、難易度の高く専門性が高い鍵を用意しては“破らせて”いるのは森鴎外の意図するところではあるのだ。太宰はうすうすそれを察しながらも、暇つぶしのパズルがてら鍵を開けては森先生を困らせることに心血を注いでいた。

 

 話をしながら、薬品を取り上げると太宰は両手をじたばたとさせ、楽に死にたいという駄々をこね始めた。

 

「こらこら、大人しくしなさい。良い子にしていたら自害用の薬品の調合を教えてあげるから」

 

「嘘つきー。そういって僕をこき使って、一年前あれだけ大変な目に遭わせておいて結局教えてくれずじまいじゃあないか!こうなったら、敵対組織に寝返ってやるー!」

 

「こらこら、思いつきでやれそうなことを話すんじゃありません。裏切ったら、楽に死ねなくなるよ」

 

 森の軽い調子に太宰は閉口させられる。なぜなら、それは“事実”だからだ。

 

 裏切ればポートマフィアは潰すことが出来ても、この怪物は殺しきれる保証がない。

 

 太宰の知る限り、目の前でうーうー唸っている医者崩れの首領ほど殺傷に長けた怪物はいないのだから。メス一本で戦艦やら超高層建築物を文字通り切り崩してきた怪物は、太宰の頭脳を以てしても畏れるに値する戦闘能力を持っていた。

 

「嗚呼、退屈だなぁ。なんて世界は退屈なんだろう」

 

 森鴎外と太宰治の関係は上司部下でも、親兄弟というものでもない。

 

 

 敢えて称するならば共犯者、いいや適切さを期すなら運命共同体であろう。

 

「いやね太宰君。君は先代から首領の座を継承した際にいた生き証人だ。この世に唯一の遺言の証言者が簡単に死んだら困るんだけどね」

 

 一年前、太宰の言う大変な目というのが首領の暗殺作戦だ。ポートマフィア先代は病と老いによりまともな判断能力を欠いてヨコハマを混乱と殺戮の渦に陥れた。当時、先代の侍医であった森鴎外と、自殺未遂の急患だった太宰治は結託して先代の暗殺と遺言偽装による首領の座の簒奪を成し遂げた。

 

「アテが外れたね」

 

 太宰は世を嘲笑する笑顔のまま澄んだ声音で云った。

 

「なんのことだい?」

 

 それに応じた森鴎外の反駁は想像もしてなかったと云わんばかりの、どこか間の抜けた声だった。

 

「自殺未遂の患者を共犯にしたのはまったく良い考えだった。そう良い考えだったよ。それなのに僕は生きている。こうしてぴんぴんとね。おかげで夜も眠れないんじゃない?森先生」

 

 それは嘲笑だった。それは致命的な失策を相手に教え込むような声だった。しかし、それを受けてもなお、森鴎外は揺らがない。むしろ、太宰が何を読み違えているのかを理解しようとする素振りさえあった。

 

「ふーむ、何の話をしているのかな」

 

「分かっているくせに。僕が先代暗殺の真相を外部に漏らしたりしないか、そう思うと夜も眠れないだろう」

 

「いや、夜眠れないのは書類がたまっているせいなんだけどねぇ。私の安眠を案じてくれるのなら、どうだい一束でも書類手伝ってくれないかな?」

 

「絶対、いや」

 

「つれないね。大体、アテが外れたって、そんなことないだろう。私と君で見事に作戦を遂行したじゃないか。一年前に」

 

 面倒だからもう二度とやらないけどさ。そう云う森先生を太宰は冷たい目で見ている。何が二度とはやらない、だ。あの暗殺計画は完璧な絵図を描いていた。二度でも三度でも、おそらく何度繰り返しても結果は同じところに帰結するだろう。

 

 神算鬼謀の頭脳を持つ太宰をして、そこまで言わしめる完成度の暗殺計画。

 

 それを森先生は完了させていない。

 

「作戦は完了していないだろう。作戦は暗殺に携わった証拠の隠滅が済んで初めて完了する。一年前、物的証拠は完全に隠滅された。もはや、どんな手段、名探偵を以てしても事件の解決は不可能。迷宮入りだ。唯一、事件に携わった人間の証言という証拠を残して、ね。作戦は口封じを終わらせない限り、完了することはない」

 

 でしょ、と無言のままに視線が交錯し言外に森鴎外へ宣言する。

 

「その点で云えば、僕は共犯に最適だったかもしれない。だって、自殺未遂の子供が自殺に成功しても誰も疑わない。そうなれば僕の証言を疑う者は現れず、自殺の動機だった誰も探そうとはしないだろう」

 

 間違いだった、選択を誤った、計算違いだったな、と。

 

 最適解を見誤ったのだ、と。

 

 

 

 だが、太宰の言葉に応じる森鴎外は、彼の予想を超える深淵の一端を曝した。

 

「アテが外れたのは私もだよ。なんで君は私を失脚させようと動かないのかな?」

 

 

「へっ?」

 

 そう、本当の意味で計算違いを起こしていたのは黒の少年、太宰治だったのだ。

 

 

「わかりやすく私の弱みを持っている。太宰君は私を生かすも殺すのも自在と云うことだ。君が真に死にたいと願うなら、先代を仕留めた私の謀を暴露して、私を敵に回すのが最短だ。そうすれば、君は死ぬ、または私を殺すことでポートマフィアのボスとなれば暗殺の標的になり近いうちに死ねるだろう?」

 

 楽しそうに、まるで親が自身の子供と語らうような笑みを浮かべて、血なまぐさい“もしも”の話をしている。自分がもしかしたら死ぬ、あるいは太宰を殺す話を楽しそうに。瞬間、太宰は自分が森鴎外という存在の底を読み損なったことを知った。

 

 

 微笑みからは真っ黒な闇を放ち、手元の書類を持ったまま首元に手を当て、こちらを見ているそれは姿も形も分からない、分かってはいけないバケモノが舌なめずりをしている光景を太宰に幻視させた。

 

 無意識だが、太宰は立ち上がって一歩、後退する。

 

 目の前の人間の形をしたバケモノから距離を取りたくて、だけども足がすくんで一歩以上動けない。そういった無意識から来る一歩の後退。彼の目の前に立つ怪物は闇の中でなお、漆黒の輝きをたたえ楽しそうに笑っていた。

 

「死にたいというのならば、わたしを殺すべきだった。そうなれば、君の死は少なくとも今より近づいたろうに」

 

 

 

「……真逆、森さんも僕同様に死にたかったのか?いいや、違う、それだとつじつまが合わない。それならどうして必死でポートマフィアを継続させようとする?ポートマフィアの現況を安定させるには森さんの生存は絶対条件だ。先代を殺して、ようやく森さんが動けるようになったのに、なぜ死にたがる?なぜ、どうして」

 

「どうして?簡単なことさ、私は私以上の悪を担う者を次代にと考えているからだ」

 

 “悪”、森鴎外の語調が強くなった単語に太宰は奇妙な好奇心を抱いた。

 

「善では倫理、法、正義、良識、様々なしがらみで、対峙する悪を撃滅できない。正義は必ず最後に勝つと古くより云われているが、最後に掴む勝利以上の敗北を歴史に刻んできた。善では悪を滅ぼせない。ならば、悪を喰らう悪が必要だ。情に流されず、最効率で動き、慈悲なく敵を滅ぼす悪が必要なのだ」

 

 それは揺るがぬ絶対の信仰にも似た確信からくる論説だった。

 

「悪を滅ぼす悪」

 

 口に出せば、太宰はそれが目の前に立つ怪物の深淵に踏み込むための片道切符であると理解する。それを知れば、自分が何に成り果てるのか、生きることに興味が無く死を恐れない少年は自分が畏れた目の前の怪物に対する脅威の度合いを引き上げた。

 

「君からすれば善も悪もどうでもいいのかもしれない。しかし、君は知るべきだ。善で救われる人間が居るように、悪でしか為せない救いがあるということを。悪を喰らい、悪を滅ぼし……そして殺戮の荒野に至上の悪として立ち続ける」

 

「それに何の意味があるの、悪を滅ぼそうとして悪になるなんて手段と方法が逆転してるじゃないか」

 

「そんなことないさ、だって至上の悪が負けるならそれを打ち砕く相手はそれ以上の善ということだ。それならば何の心配もなく舞台を降りられる。もし、悪であっても自分を越える悪ならば、更に苛烈に悪を滅ぼす。ほら、どっちに転んでも美味しいだろ?」

 

 平然と自分の敗北も勝利も己の目的の達成に繋げる。それは自分が生に抱く無関心に近しいようで、まったく異なる投機的な考え方だった。

 

「完璧な目論見なんて必ず穴が空くものさ、不確定と不条理、それがこの世界にあまねく敷かれた平等というものなのだからね。ゆえ、どちらに転ぼうとそれはそれで美味しい、と。そういう道筋を用意するのが肝要なんだよ」

 

「それって、やる方はいいけどやられる方はたまったものじゃないよね。たちが悪いな」

 

「その表現は露骨に過ぎる、ここは周到と云ってくれないかな?」

 

 嫌そうに口を歪めた太宰の適当な返事が御約束とばかりに減らず口を叩く。

 

 森鴎外も苦笑を浮かべているのを見るにたちが悪いというのには同意しているのだろう。しかし、それでもポートマフィアの首領たる彼の悪辣で最高率の策略は依然として健在のまま。彼は手元に置かれた書類に自分の名を記し太宰に手渡す。

 

 それを見た太宰は手元の書類が如何なるものかを確認する。

 

「へぇ、森先生がここまでするほどの事案なのかい?」

 

「まぁ、この事態を看過できないからね。好きにしなさい、君のやり方でやりたいように」

 

 静かに笑った森鴎外は全権を無造作に太宰へ委任する。彼は自分がまたもや、森先生の無茶振りに巻き込まれたことを明晰な頭脳から知ることとなる。要らん苦労を背負う羽目になることを理解した太宰は肩をすくめる。

 

 手渡された書類に改めて目を通す。書面にあるのは、ポートマフィア首領からの白紙全権委任書である“銀の託宣”。森先生がどれほど本気で事に当たれというのが分かる一手である。その一手に自分が組み込まれていなければ、不満もないのだが。

 

 組み込まれた以上、そこから抜けだそうとすることの無意味さを知っている太宰は銀の託宣をぷらぷらと大した物ではないと言わんばかりに玩ぶ。

 

「おや、理由は聞かないんだね?」

 

「噂を聞いてれば大体は察しが付くって。荒覇吐、厄介な遺物が墓穴から蘇ったね」

 

「全くだ。大人しく老兵は草場の陰に退いてくれればいいものを」

 

 にこやかな顔を滅多に崩さない森先生の言葉の端に嫌悪と憎悪が見え隠れする。

 

 空間に重圧がかかり、暗く冷気を帯びた。

 

ヨコハマの街の裏面を統べる怪物の一端が顕わとなる。

 

 太宰は自分でも気づかぬまま息を呑む。

 

 笑顔は牙を剥く獣の名残とどこかの誰かが言ったそうだが、どんな恐ろしくおぞましい獣でも、眼前に座り漆黒の威光と共に笑う魔物には劣るだろう。

 

 

「それではこれが君の記念すべき初の任務だ。ようこそ、ポートマフィアへ」

 

 森先生の歓迎の言葉に太宰は陰鬱とした風情のまま退室しようと扉に手を掛ける。

 

「ああ、太宰君。ちょっと待った。これだけは聞いておこうと思ったんだ。太宰君、なぜ君は死にたいのかな」

 

 その質問に太宰は瞳を漆黒に彩って空洞な返事をする。

 

「逆に聞きたいね、生きるなんて事に意味なんてあると本当に思っているの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 擂り鉢街、それは読んで字のごとく擂り鉢状に陥没した土地にある街だ。

 

 数年前に起こった謎の爆発事故、直径三キロにも及ぶ巨大な災禍。それはそこに住んでいた人々の暮らしと土地関係、建築物、歴史の一切合切を爆砕し後には荒れ果てた擂り鉢状の荒れ地だけが残された。

 

 

 あまりの惨状に国は復興どころか、関わることさえ放棄し結果として表社会で生きていけない者たちが街を造り始めた。

 

 裏の世界で生きる者たちがこぞって、住処をつくり生活環境を向上させるため、勝手気ままに電線や水道が引かれていった。国家に見捨てられたが故、官警や軍などの目を盗むことのできる一種の治外法権地帯。

 

 無計画なままに引かれた電線や接地された街灯(ネヲン)が悪趣味に煌めく光景は、混沌がはびこる悪党たちのパラダイスである。

 

 

 その悪徳の街に黒づくめの明らかに堅気ではない二人が悠々と闊歩する。

 

「ふうん、工業用の鍍金液を飲む自殺法が海外の流行りなのか、これは日本も流行に乗り遅れないようにしないとなぁ」

 

 極めて真面目そうな目で彼が熟読するのは、多くの自殺法が書かれた出版物だ。どの層を狙って出版されたか分からない本だが、それなりにニーズはあるようで目の前の少年がまさしくそれだった。

 

「しかし、確か鍍金液は内蔵を溶かし、相当の苦痛をもたらすのでは?決して安楽とした自殺法ではありませんな」

 

「……ゲッ、ほんとだ。鍍金液自殺は工業塗装の業者が手に入れやすいだけで飲んだ者の内蔵を何時間もかけて溶かし激痛で悶え死ぬ、あっぶないなぁ試さなくて良かったよ、ありがとう、えっと」

 

「広津と申します」

 

 表情こそ変わってはいないが、困惑したような顔をする壮年の男。紳士然とした外見ではあるが、熟達した戦闘者としての凄みが遠くからでも見て取れる。

 

 広津は太宰にこの街に詳しいというだけで道案内兼護衛として呼び出され、そのまま彼の案内というより話し相手になっていた。太宰は既に街の把握を済ませており、手頃な話し相手と護衛がもっぱら仕事になっている。

 

 広津は眼前の少年が決して見た目通りの少年ではないことを一目見たときから洞察していた。マフィアの首領「ボス」しか発効できない銀の託宣の所持、森先生と共に先代の最期を看取った人物、これだけ考えさせられる要素があれば、この少年を軽んずることはできない。

 

 

 同門にして兄弟子、また現在の上司である森先生も彼については丁重に扱うことを言付かっている。合理主義かつ効率を重んずる森先生たっての肝いりだ、太宰という人物こそ今回の事態を解決するに足る適格者なのだろう。

 

 広津は周囲の警戒を寸暇も怠らないまま、太宰少年との聞き込みを行う。

 

 

 

 荒覇吐、ちまたで噂の怪物は一人のある人物だという。荒覇吐などという大仰な名前に余人ならば失笑を禁じ得ないだろうが、その人物に心当たりや風聞を聞いたなら、その大仰な名前にも納得するはずだ。

 

 その人物はかつてこのヨコハマを恐怖で縛り付け、あらゆる非道を為した悪党。

 

 敵対者を抹殺し、それに関係する者をおう殺し、街を混乱の坩堝に落とし多くの流血と屍の上に君臨した人物。

 

 

 先代、ポートマフィアの首領に他ならない。

 

 今のポートマフィアの悪評の大半を、一人の老人が死の間際に錯乱したことで造りだした事実がある以上、先代はある種、伝説の中の怪物に分類されるまでに成り果てていた。

 

 ヨコハマにおける死んでいようと忘れることの出来ない悪夢、恐怖の象徴(シンボル)

 

 それが蘇って擂り鉢街を彷徨いているという事態。その情報を太宰、広津の二人は聞き込みによって調査を進めていた。二人は、先代の情報を追いかけて擂り鉢街を歩き回り、あらかたの情報を集めきったところで帰途につこうとしていた。

 

 

「太宰さん、あまり私の間合いから離れないようお願いいたします。いかに警戒しているとはいえ、ここは抗争地域です。生半な者に遅れは取りませんが、万一ということがあるやもしれません」

 

「抗争?へぇ、擂り鉢街には、抗争を起こせるくらいの組織が乱立しているのかな」

 

 

 太宰の暗い笑みの浮かぶ質問に広津は丁寧にこの街で生じている抗争の構図を分かりやすく説明する。高瀬會(たかせかい)、ゲルハルト・セキユリテヰ・サアビス、羊という三つ巴の抗争の構図、聞く者が聞けば大枚を払う重要度の情報にも太宰少年は眉一つ動かさない。

 

 能面のごとき無表情は、彼の懐に突っ込まれていた携帯の着信で崩れた。

 

「やぁ、森さん。……聞き込みならもう終わったよ。これから戻ろうとしていたんだけど、調査結果は早めに伝えておくに越したことはないか」

 

 一拍をおいて結論を伝えたのは太宰自身がこの情報を真実だと消化しきれていなかったことに起因するのか。

 

「結論から云うと先代は噂通り“いた”よ。いや、蘇っていたんだ。地獄の真っ黒な業火を纏ってね」

 

 

 

 “おや、それは大変だ”などという気の抜けきって弛緩した声が電話口から広津の耳に飛び込んでくる。もう少し、威厳たっぷりに部下と当たって欲しいと思うが、流石に兄弟子にして上司である森先生には僭越かと広津は一息を入れ、警戒を続行する。

 

「目撃者も大勢いたよ、いくら未練があるからって元気すぎるおじいちゃんだよねぇ」

 

 

 酷薄とした笑みと共に森先生へこれから戻ろうという報告をしようとした時、広津の五感が迫る危機を察知した。

 

「太宰さん、ご免!」

 

 ぐぇっ、急に襟首を引っ張られた太宰は締め付けられた悲鳴を上げ、広津の後方に位置される。そして、間もおかず太宰が先ほどまでいた地点に何かが着弾する。蜘蛛の巣状に割れる舗装。

 

 その破壊を引き起こした者は、白の中折れ帽子(ソフトハット)についた砂埃を払い、ひゅうと口笛を吹き広津の手腕を賞賛する。

 

 

「……へぇ、今のを避けさせるかよ。そっちの爺さんはともかく、ガキは確実に潰そうと段取っていたんだが、取らぬ何とかの皮算用になっちまったな」

 

「う~、今のってまさか」

 

「ええ、襲撃です。それも手練れの」

 

 広津の評価に眼前の小柄な人影は獰猛に笑う。

 

「大した護衛だぜ、だが守っているのが貧相なガキ、人手不足はどこも同じとは泣けてくるなおい」

 

 広津は無言のまま少年に対峙する。少年は脱力した状態で広津の手腕を賞賛する。

 

「まさか、そっちのひょうろく玉を避けさせるついでにこっちに一撃見舞うとはな」

 

 敵の賞賛の声に、その攻防が見えなかった太宰は広津にそっと質問する。

 

「今のほんと?」

 

「ええまぁ、相手に防御されたので大したことではありませなんだ」

 

「ええ、広津さんって異能力者だよね。そこまで達人じみたことができるの?」

 

「太宰さん、異能力者だからこそです。強力な異能を扱う以上、担い手もそれを御するに足る肉体と技術を修めなくては真に強い異能力者とはいえません」

 

「どっかで聞いた論法だなおい。あんた真逆、晩香堂の出か?」

 

「如何にも。というとそちらも同門か」

 

 睨み合った二人はお互いの師の姿を幻視する。まさか、ここでの邂逅も何かの策の一環かと思うが、ここでは判断のつきようがない。太宰は二人が何かしらの繋がりを持っていることを脳裏に記憶し事の次第を傍観する。

 

「まぁ、お互いやらなきゃいけねぇことがあるんだ。同門だろうと容赦はなしだ」

 

「同感だ、それに同門だからと手を抜こうモノなら、師が手入れにやってくるやもしれん」

 

 

 “おっかねぇこというんじゃねぇよ”と少年が拳を握り戦闘の構えを取る。

 

「互助組織羊所属、吉野御流合戦礼法皆伝、中原中也だ。名乗れよ爺さん、戦の作法も知らねぇか」

 

「これは丁寧に痛み入る。こちらポートマフィア所属、納める流派は素流、広津柳浪だ。来い、少年。互いに退けぬというなら、あとは推して参るのみ!」

 

「違いねぇなっ、と!!」

 

 中原中也と名乗りをあげた少年は、朗らかささえ感じさせた空気を一転させて拳を地面に叩きつけた。周囲の建築物が崩れ落ち、擂り鉢街の一角に更地となった広場が出来上がった。

 

 互いに取った距離は十(メートル)、どちらにとっても一挙手一投足の間合い。

 

 互いに息を合わせたかのように歩き出す。特別な動作は何もない。自然体を崩さぬままに速度も日常動作の一環と大差ない。

 

 

「ふむ、同門と云うだけはあるか」

 

「その口ぶりからすると、あのばあさんが最初に教える技の基本はどいつでも変わらねぇみたいだな」

 

「然り、歩みが逸れば心が急ぐ。遅ければ臆する意志が心を蝕む。ゆえ、歩みは常のそれを崩さぬ」

 

 気軽な談笑の一環、広津を観察する太宰は両者の近接戦闘の実力、異能の力量を計っていた。互いに緊張はなく、相手を見る目は焦点を広く持ち、いかなる軌道の攻手にも応じられる状態。

 

 距離が完全に潰れたとき、中也という少年が先手を取った。腰だめに放たれた右正拳の一突き。連動する左は敵の攻めに臨機応変に対応するため自由にさせておく。広津は手を眼前の少年へ向け掌を開く。開ききったと同時に中也を衝撃が呑み込む。とっさに異能を発動させていたため吹き飛ばされる無様を回避する。

 

 しかし、彼はここで後手に回ってしまった。広津の拳が凄まじい手数で放たれる。

 

 一発一発が致命傷に至りかねないと思わせる威力と密度の高速乱打。

 

 至近距離でこれを受けた中也は、先ほどの衝撃では持ちこたえていた体幹を崩され、五メートルほど距離を空けさせられた。

 

(うわぁ、素手であんな威力の攻撃を出すって……)

 

 太宰は軽くヒいていた、あれを至近でまともに受ければ象でも挽き肉(ミンチ)にしてしまうだろう。人力であんな恐ろしい技を放つ広津の腕に軽く戦き、そして相手にもヒいていた。

 

「まさか、あんなのを受けきって原型を留めているとはね」

 

 太宰のぼやきに広津も心中で首肯する。

 

 常人なら何度か壊せたと感じる手応え、晩香堂を後にして自分が敵を粉微塵にしてきた数多の経験。それにあの少年は真っ向から受け堪えたのだ。

 

「まさか、特殊な防護装備や装甲を纏わずして私の乱式を受けるとは」

 

「はっ抜かせ、下手な防御なら中身ごとおしゃかにできるだろうが」

 

「ふむ、装甲車程度なら拳で粉微塵にできるのだが、いやはや中々どうして腕が立つ」

 

 さらっと言った広津さんの言葉に太宰はドン引きつつ、それを尻目に戦闘は続行する。

 

 嵐のような乱打を放ち続ける広津さん、それを受けて弾き、逸らす少年。

 

 

 極限という領域にまで練り上げられた戦闘者の戦場。どちらも常人ならば、一撃で爆ぜるような威力を牽制程度、まるで挨拶のように放つ。

 

「絶対、異能力必要無いよね。あの二人……」

 

 思わず溢れた意見も呆れ気味で、気が抜ける。自分としてはこのまま増援が来るまで広津さんに粘ってもらえればそれで構わない。いくら個人として強かろうと、集団としての本気を出したポートマフィアに太刀打ちできるとは考えがたい。

 

 それも“守る者”がいる相手には特にだ。

 

 互助組織、羊。なるほど、あれほどの実力者がいるというならば擂り鉢街で名を挙げることなど容易だろう。

 

 しかし、羊の平均的な戦力があの中也という少年の何割程度に及ぶか。

 

 間違いなく、彼の一割も行かないだろうと予測できる。

 

 なぜなら、彼は強すぎる。黒蜥蜴の長である広津さんを相手に互角の戦いを演じる。あのポートマフィアでも屈指の戦闘者である広津さんを相手にして。間違いなく、羊の戦力は彼を中心として、他は脆弱なものと確信する。

 

 

 眼前の究極域に至った戦闘を眺め、神算鬼謀の怪物は敵の弱点を見抜いていた。

 

 歪な進化を遂げ、その組織に君臨せざるを得ない中也を見て、太宰少年は中原中也という存在の撃退までの算段を現時点で構築しつつあった。

 

 

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