魔法少女育叡計画 scientia est potentia 作:pseudok
──翌日放課後。
「たっちゃん! 大雨の予報出てるらしいよ! 早く帰ろ?」
窓の外には暗雲が立ちこめており、
香織の態度はびっくりするほどいつも通りだったため、嫌われているという可能性は排除され、安心した。安心を通り越して、あれだけのことがあったのだから、少しぐらいギクシャクしてくれてもいいのに、という思いが生まれているぐらいだ。
しかし、思い返してみれば香織はいつもこんな調子だ。達子にとってどんな印象的な出来事があったとしても、香織は翌日にはケロッと忘れている。香織にとっての達子はたくさんいる友達のうちの一人でしかないが、達子には香織しかいない。いや、いるにはいるが、香織が一緒にいないと全く話せなくなり、輪から少し離れたところで縮こまっていることしかできなくなる程度の友達しかいない。これを友達と呼んでいいのかわからない。この非対称性がある以上、当然のことなのかもしれない。毎日帰宅した後に一人脳内反省会をして、香織の言葉を一言一句にいたるまで全て記憶している達子の方がきっとおかしいのだ。
そして、おかしくても別にいいと思う。香織が全て忘れていても、達子が全て覚えていることに意味がある。
達子は予めスマートフォンで開いておいた雨雲レーダーのページを香織に示した。
「今から帰っても途中で降られちゃうよ。ちょっとした夕立ちみたいだし、教室で雨宿りした方がよくない?」
香織は達子のスマートフォンに表示されている画面のシークバーを左右に動かす。
「うーん、止むの三十分から一時間後ぐらい? 微妙なとこだねー。こういうのってけっこうずれたりするから、ズルズル帰り時見失っちゃうかも」
名案だと思っていたが、思ったより反応が芳しくない。
既に教室からは達子と香織以外の生徒は消えている。
香織を引き止めるためにさっさと本題に入ることにする。
達子は香織に向かって千円札の片割れを差し出した。
「なにこれ?」
「共犯なんだから、片方は香織ちゃんが持ってて」
千円札を強引に香織の胸に押し当てると、香織は珍しく狼狽えながらそれを受け取る。
「これ……昨日の? 破ったの? なにやってんのあんた」
「話したいことがあるから、座って」
「はぁ……」
香織は不承不承ながら達子の前の席の椅子を引き、横向きに腰掛けた。
「昨日のことなんだけど……」
「待って待って。昨日のあれね。その、なんていうか、ごめん。昨日いったことは全部冗談だから、忘れて。ちょっとテンションおかしくなってただけっていうか。あー……恥ずー」
香織は両頬を手で押さえて両足をバタバタさせている。しかし、香織がどう思っていようと冗談で済ますつもりはない。
「忘れないよ」
「え?」
「絶対に忘れられないよ」
「……たっちゃん、どうしたの? 熱でもある?」
真剣なトーンで話す達子を、香織は訝しげに見つめている。達子は深呼吸してから頭の中で整理しておいた文章を唱えた。
「昨日一晩ずっと考えてたんだよ。なんで香織ちゃんがあんなことしたのかって。そしたら私、香織ちゃんのこと、なにも知らないんだって気付いたの。それどころか、自分自身のことすら、なにもわかってないんだってことにも気付いた。香織ちゃんはそれを教えてくれようとしたんだよね?」
「……やめてよ。そんな深い意味とかないから。マジで」
「香織ちゃんが殺人犯だったらって話したよね?」
「……したっけ? そんな話」
「ほら、私が龍児くんで、香織ちゃんが獅央くんだったらって……」
「あー、あれね」
「色々考えてたら私、何が正義なのかとか、何が悪なのかとか、わからなくなっちゃった。ずっと自分のことを善人だと思ってたけど、ほんの些細なきっかけで断罪される側に回ることになるんだって……。だから、こんな私に、人を裁く権利なんかないって思う。自分が正しくて、他の人は間違ってるなんて、おこがましくていえないよ」
「……うん、それで?」
少しずつ香織から茶化すムードが消え、今は真剣に達子の話に耳を傾けているようだ。
「でも、なにもわからないからって、なにもしたくないってわけじゃなくて……。だったらせめて、友達の力になってあげたいって思う。だから、もし香織ちゃんが殺人犯だったら、香織ちゃんが殺したい相手を殺すのを、手伝ってあげたいって、思う」
ポツポツと窓を濡らす程度だった雨が、今や叩きつけるような轟音を立てている。
香織は呆気にとられているようで、口は開いているがなにもいわない。
まるで教室の中だけ時間が止まっているようだ。
その沈黙に耐えられなくなった達子が顔を伏せると、
「ふっ……あははははっ!」
突然香織が堰を切ったように笑い出した。
「ひー、お腹痛い……たっちゃん、あんたやっぱりどっかおかしいわ。マジでサイコー」
褒められているのか貶されているのかわからないが、ただ純粋に香織の笑顔が見れたことを嬉しく思った。
「本気でいってるんだよね?」
「うん」
まっすぐ頷いた。どんなに笑われたとしても、冗談だとは思われたくない。
昨晩は寝る寸前までずっと人を殺す香織の姿を想像していた。呪われた洋館で恨みの相手に灰皿を振り下ろす香織、旅籠を襲撃して日本刀で政敵を切り伏せる香織、人体を改造されて無差別に人間を熱光線で焼き溶かす香織……。達子の想像力は既存のフィクションの範囲内にしか及ばなかったが、どんな香織でも受け入れる覚悟はできている。
「手伝うって、具体的になにしてくれるの?」
「それは……わかんないから指示してくれたら従うよ。香織ちゃんは慣れてるんでしょ?」
挑発的な物言いになったかもしれない。香織はだからといって一切動じることはなく、自然に応じる。
「そりゃもう、バリバリに殺しまくってるからね。でも、殺すってことは殺されるかもしれないってことだよ? 大丈夫?」
「だって、香織ちゃんが守ってくれるんでしょ?」
「いやー、私は冷酷無比な殺人鬼だから、たっちゃんなんて肉壁としか思わないよ」
香織は先の達子に対する意趣返しのように、わざとらしく口辺を歪めながら達子を煽った。
「ひどっ……でも香織ちゃんの役に立てるなら、それでもいいかも」
「いいんだ! やばー」
また弾けるように笑う。なんだか嬉しくなって、達子もつられて笑う。
「実際はなんだかんだで守ってくれるって信じてるから」
「どうかなー? 逆に私がピンチだったら助けてくれんの?」
「もちろん」
「たっちゃん弱いから、なにもできずに殺されそ―」
「だったら、他の人に殺される前に、私が香織ちゃんを殺して、私も死ぬよ」
「それは重過ぎるって! キモいキモい!」
香織は椅子ごと体を引いて達子から距離を取った。真面目に答えたのにこんな反応をされたら、普段なら一週間は引きずっているかもしれない。けれど今は全く嫌な感じがしない。
「えー……だって、人殺すんだから、軽い方がおかしいよ」
「そっかー、それはそうかもね。なら、たっちゃんが殺されそうになったら、その前に私が殺してあげる」
「うん、香織ちゃんになら殺されてもいいよ」
虚飾のない言葉を素直にぶつけた。
「たっちゃん、あんたマジで……あははははっ……あー、苦しー」
「ふふっ……あははっ」
二人でお腹を抱えながらひたすらに笑った。香織の笑顔なんて毎日見ているはずなのに、初めて笑っているところを見たような気がした。
「じゃあ、約束」
香織は指で涙を拭いながら、もう片方の手の小指を差し出した。
達子が香織の細くしなやかな指にそっと触れると、香織はしっかりと指を絡ませてくる。
そして指を立てた手に顔を寄せ、親指の爪に下唇を合わせた。達子も真似をする。
お互いの息が顔にかかり、前髪が揺れる。
遠目で見た時よりもずっと綺麗な瞳をしていることに気づき、心臓が高鳴る。
世界に二人以外誰も存在していない気がする。
「殺したい相手がいる時は?」
「一緒に殺してあげる」
「私が殺されそうになったら?」
「香織ちゃんを殺して私も死ぬ。私が殺されそうになったら?」
「たっちゃんを殺して、たっちゃんの分まで生きる」
「そこは死んでよ」
「うるさい。私は生きる」
「仕方ないな……特別に生かしておいてあげる」
「誰目線だよ」
「ふふっ」
「……約束を破っちゃった時は?」
「殺す」
「結局殺すじゃん」
「絶対に殺す」
「こわ。先に他の人に殺されちゃった時はもう殺せないけど?」
「地獄の果てまで追いかけていって殺す」
「どんな執念だよ」
「ふふっ」
「あははっ」
あれだけ激しく降っていた雨が嘘のように弱まっていき、ついには雲の間から太陽が顔を出した。教室に光芒が差し込む。
「あ! 見て見てたっちゃん! 虹!」
香織が教室の窓に駆け寄り、外に飛び出しそうな勢いで身を乗り出した。
「こんなくっきり出てるの珍しいよ。ほらほら!」
確かに七色に輝く虹が美しいアーチを描いている。しかし虹よりも虹を見ている香織の方が気になった。
達子も小学校低学年ぐらいまでは虹が出るたびに感動していた気がするが、もう何年も虹を見た記憶がない。それほど珍しいものではないはずなので、視界には入っていても認識からは外れているということになる。
香織には現実主義的な面があるため、虹を気にするような子だとは思っていなかった。案外香織にもロマンチストなところがあるのかもしれないと思った。
香織は花が咲いたように笑っている。
これからの長い人生で、こんなふうに達子の知らない香織の一面をたくさん知っていくことになるのだと思うと、なんだか胸の奥がくすぐったくなった。