魔法少女育叡計画 scientia est potentia 作:pseudok
◇中野宇宙美
突然、前を歩くうるるとプレミアム幸子の姿が視界から消失する。
体の落下を自覚し、受け身を取ろうと試みるも、身を捩る間もなく尻と背が硬いクッションで受け止められていた。ギシリと金属の部品が軋む音が鳴る。
「いっ……!」
思わず口に含んでいた棒付きキャンディ―を吐き出してしまった。スカートの上を跳ね、地面に転がったそれを反射的に拾おうと体に力を込めるも、動かない。見ればモザイクの掛かった縄のようなものが手、脚、腰に巻きつき、ソラミの体を受け止めた無骨なパイプ椅子に固定されている。この状態で暴れても転倒して事態の悪化を招きかねない。
ソラミは一呼吸置いてから、辺りを見渡した。視界の上半分は雲ひとつない青空。視界の下半分は荒れ果てた砂礫の大地。そしてそれら二つに挟まれた一本の地平線が三百六十度周囲を囲っている。どこまでいっても建造物や地形の凹凸がない。現実感を喪失させられるような縹渺たる光景に、ソラミは既視感を覚えた。スケルトンに襲われ、オーガの群れから逃げ惑い、グレートドラゴンの強さに絶望し、泥酔した幸子が暴走し……散々な目に遭った記憶が一瞬で蘇る。
しかしあの脅威に溢れた世界とは様子が違う。今この世界で唯一意味ある存在は、ソラミの隣一メートルほど離れた位置に、ソラミと同じくパイプ椅子に拘束され、ぐったりと項垂れている少女らしきモノだけだ。全身黒い喪服に身を包み、顔もヴェールで覆われているため、生死も定かではない。下手をすれば等身大の日本人形という可能性すらある。
「おーい、生きてるー?」
ソラミが呼びかけると、喪服の少女は僅かに身動ぎしながら、聞こえるか聞こえないか程度の呻き声を上げた。
「意識あるじゃん。よかったー」
こんななにもない空間に独りぼっちで拘束されたまま放置されるなど、想像しただけで身の毛がよだつ。話し相手がいるならそれだけで希望が持てる。
「ヒト……ヒトなの……? ああっ」
気の毒なことに先客は実際その状況に置かれていたらしい。かなり参ってしまっている。
「一旦落ち着こっか。ほら、深呼吸ー」
ソラミが大仰に唇を丸めてみせると、喪服の少女はそれに呼応するように何度か吐息でヴェールを揺らした。
「あたし中野宇宙美。一応確認しておくけど、お葬式に参列してたわけじゃないよねー? リアル羽生えてっし」
つややかな漆黒の羽は拘束に巻き込まれて痛々しく折り畳まれているが、広げることができれば人間離れした威容を見せるだろう。同業者としか思えない。
「ええ、ええ。私はカフリアと申しま、す。が……」
ソラミは自己紹介の続きを促すように、軽く首を傾げた。しかし、ソラミの期待に反して喪服の少女──カフリアは名乗って以降、歯切れ悪く言葉を詰まらせる。
「どうかしたの? 喉やられてるとかなら無理しなくていいけど」
「いえ……あなた、今しがたここに来たばかりよね? ずいぶんとろくでもない状況への適応が早いように見受けられるけど、なにか特殊な訓練でも受けていらして?」
カフリアの双眸はヴェールに隠されてはいるが、ソラミに対する不信感が滲んでいるように思えた。確かに、同じ体勢で拘束されているからといって、同じ被害者であるという保証はない。そんなオチの映画があったような気がする。カフリアは先程までの様子からすれば相当憔悴しているであろうに、新たな人物の登場を僥倖と捉えず、縋らず、警戒し、軽々しく情報を渡さない。既に捕われの被害者から、堂々たる仕事人のモードに切り替わっている。どちらの方が訓練を積んでいるのか。
「えーっと、薄々ながら心当たりがあるっつーか、だいぶ状況は違うけど、経験済みっつーか……。とりあえず、実はあたしが黒幕でした―ってことはないから安心して、って自分でいっても意味ないよね。あー」
警戒を解くための上手い説明が思い浮かばず、頭を掻き毟りたくなったが、ソラミの腕は固定されている。隔靴掻痒も甚だしい。対するカフリアはヴェールの奥でますます顔を顰めているように思える。
「とりあえず、あなたが知っていることを聞かせてくれる?」
「はいはい。まず、今うちらがいるこの空間、現実感半端ないかもしれないけど、たぶん電脳空間なんだよね」
「電脳、空間……?」
容易には信じられないだろう。カフリアは左見右見しつつ縛られた手の指を屈伸させ、皮膚感覚を検証している。
「つまり、ここはゲームの中の世界で、あたしらはゲームのキャラクターみたいな? 感じ」
「ゲームはよく知らないけど……そういう魔法があるということかしら?」
「そーそー。で、その魔法の使い手がキーク……白衣に水着っていうおかしな格好したやつなんだけど、っておかしな格好はあたしらも同じかー。あはは」
「……では、その方とは以前からのお知り合いと?」
ソラミの場を和ませるためのジョークにカフリアは反応を見せなかったが、「白衣に水着」という言葉にはピクリと体を震わせていた。この空間内で既に会っているのか、もしくは攫われる際に姿を見ていたか。
「それが、会ったことはあるけど、直接話したことはないんよねー。こないだ上司の付き添いでキークの仕事場に行く機会があって、その時にうっかり事故ってこんな感じのゲーム空間に飛ばされて──」
「へえ、あなた宮仕えなのね」
「ん? 仕えてるっつーかお世話になってるって感じだけど、そーいうことになるのかな? つか食いつくとこそこ?」
「そうね、どうでもいいところに絡んで話の腰を折ってしまったわね。続けて?」
カフリアの声色は若干毒気を含んでいるように聞こえた。プク・プックや姉達については話すべきではないと判断して表現をぼかしたが、それでもなお余計なことをいってしまったらしい。カフリアの表情は見えづらく、地雷がどこにあるか推測するのも難しいとはいえ、普段ならこんなミスはしない。より慎重にならなくてはならないと自分を戒める。
「またそのゲームのバランスがひどくて、散々な目にあったんだけどさー。まあIT部門長として作らなくちゃいけない重要なゲームらしいし? テストプレイにもなったみたいだから、不可抗力ってことで許したのよ」
「あら、そのキークさんという方、そんなお偉い方なのね。なるほどなるほど……」
カフリアは我が意を得たりとばかりに不敵に笑った。嫋やかな風貌に反して荒事に慣熟した雰囲気を感じる。味方でいてくれている限りは頼もしいが、ソラミ自身があまり信用を得られていないのは気掛かりだ。キークとソラミに繋がりがあるという前提、一人事情に詳しくないカフリアの立場からすれば、内輪揉めになぜか巻き込まれているという解釈が発生するのは無理もないか。
「で、今のこの状況、どう思う?」
「そうね……。あなたの経験した事故とは、ずいぶん様子が違うわね。この拘束は悪意が強すぎるわ」
「やっぱそー思う? ゲームにしちゃ進めるための手掛かりがなさすぎるし、周囲を調べることすらできないってねー。なんか魔法も使えなくなってっし」
「使えないって……どういう魔法なの?」
「密閉されたモノの中身がわかる魔法なんだけど、前はゲーム全体に対して発動できて、そのおかげでクリアできたんだよねー」
ソラミが即答すると、カフリアは質問しておきながら答えが返ってきたことに若干驚いているように見えた。一般に、魔法の情報は気安く見ず知らずの他人に教えるものではない、とされている。だが、ソラミはカフリアをキークの仲間だとか、悪の魔法少女だと疑っていない。これは単なる勘に過ぎないが、思案に余るのであれば勘に頼る、という行動原理に基づいて失敗したことは、ほとんどない。少しはあるが、まあ気にしなくてもいい程度しかない。今は全てを曝け出した方がいいとソラミは考える。そうすればきっと相手も応えてくれる。
「……妙ね。私の魔法は既に発動しているわ」
「マジで!? どんな魔法?」
「誰が最初に死ぬのか分かるっていう魔法よ」
「え」
「ちなみに今のところ先に死ぬのは私の方らしいわ。おめでとう」
「いや祝われても」
これも信用を得られていない理由の一つかもしれない。とはいえ、カフリアが先に死んだとして、その後すぐにソラミも死ぬという可能性は残っている。畢竟この情報を得たからといって安全が保証されたわけではない。一体なんの意味があるのか。
「今、役に立たない魔法だと思ったでしょう?」
「思ってない思ってない」
「いいのよ別に。慣れてるから」
ソラミは首をぶんぶんと振って否定したが、それが逆に白々しさを助長したかもしれない。
身体拘束の難点を改めて感じる。腕が拘束されていると、ただ苦しいだけでなく、身振り手振りが使えない。身振り手振りが使えないと、なぜか言葉がうまく出てこない。どうも身体を動かすのと口を動かすのは、一連の動作として深く結合しているらしい。電話しながらお辞儀をしている人を見るとなんだか滑稽に思えるが、今なら気持ちがわかる。
「でもさ、お互いの魔法も脱出の役に立たないとなると、どーすっかねー。向こうからのアクション待ち?」
「待てば三人目が降ってきて、それがスタートラインという可能性は当然あるけど、あの悪夢みたいな虚無をもう一度っていうのは……正直御免蒙りたいわ」
虚空を眺めて過去を回想するカフリアの声色は酷く沈んで聞こえた。
「……あたしがここに来るまで、どんぐらい待ってたの?」
「日が暮れることもないから主観時間なんてもうあてにならないけど、二週間前後ってところかしらね。発狂することもできない魔法少女の精神を恨んだわ」
「げぇっ……やだやだ。どーにかなんない?」
「そうね。あなたのお話のおかげで全くの未知だった犯人像も少しは見えてきたし、こちらから交渉を仕掛けられるかもしれないわ。事故ではない以上、私達の様子は監視されているはずだから……」
「そっか! こっちから呼びつけてやればいーじゃん! それいただき! じゃあ早速──」
「ソラミさん? ちょっと……」
カフリアの制止を無視して、ソラミは胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。
「キィィィィィクゥゥゥゥゥゥ! 出てこぉぉぉぉぉい!」
魔法少女の全力でもって肺から押し出された空気は、声帯を介して大気をビリビリと振動させた。一切の遮蔽物が存在しない空間で音波は瞬く間に雲散霧消したが、長時間続けば聴覚に異常をきたす程度の威力はある。耳を塞ぐこともできないカフリアは体側を仰け反らせながら幻の残響にただ耐えている。
「聞いてんでしょ! こんなことしてタダで済むと思ってんの!? ばーかばーか!」
「あーもう! うっさいうっさい!」
不意にソラミとカフリアの前方、なにもないはずの空間から声が響いた。
「こっちは疲労困憊してんだから、大声出さないでよ」
声の発生源──ちょうど各人を頂点として正三角形が作れる位置──にじわじわと少女の姿が浮かび上がる。
「あ、そんな近くにいたんすね……なんか恥ずいわ」
「恥の概念があるなら一言断りぐらい入れてくれる?」
カフリアは頭を傾けたまま呆れたような声でソラミに対して不満を漏らした。
そして白衣の少女──キークは回転椅子の上で耳を塞ぎ、膝を立てて縮こまりながらソラミを睨んでいる。その回転椅子のクッションはふかふかで、粗末なパイプ椅子に縛りつけられているソラミの現状と比べて羨ましいことこの上ないと、場違いな感想を抱いた。
「まあ、もうちょっと先入観なしケースのデータも欲しかったけど、ちゃんと新しい魔法阻害プログラムは機能してるみたいだし、十分かな」
「やっぱり、テストが目的だったのね。私とソラミさんの魔法の類似性に意味があるんじゃないかとは思っていたけど」
「え? テストプレイなら前にやったじゃん」
「一回で済むわけないでしょ。ゲーム作りナメてる?」
「いや知らんし……」
ソラミはゲーム製作には明るくない。そんなに大変なものなのだろうか。以前のテストプレイ後のアンケートではそんなことはつゆ知らず、ボロクソに文句を書き殴っていた。
「それにしても、テストのために誘拐なんて……これは立派な犯罪よ? あなた、部門長を務めてらっしゃるらしいじゃない。こんな不祥事が発覚すれば、失脚間違いなしね。IT部門なんてあまり耳にしない部門だし、政治力もたがか知れているでしょう?」
「そーだそーだー! 監査に突き出してやる!」
ソラミの見込み通り、カフリアは交渉に関して相当場数を踏んでいるようだ。身が竦んでもおかしくない状況で、淀みなく言葉を紡ぐ。とりあえずソラミも同調しておく。
「あんたら、そんな無様な格好晒しておいて、よくそんな強気になれるね……」
しかし、二人がかりの脅しにも、キークはどこ吹く風という様子だった。癖のついた前髪を指先で伸ばしたり指に巻きつけたりしながら、ぼんやりとしている。
「どちらの立場が上かなんて、見た目に表れるとは限らないわよ? 失うものを持っている方ならなおさら、手を出せば出すほど不利になっていくんだから」
キークは指に巻いた毛をピンと弾き、興味なさげにカフリアの方を向いた。
「失うものねえ……まあいいや。一つ教えといてあげる。この空間から現実に電波が届かないのはもちろん、あんたらがここから現実に戻ったら、自動的にあたしと電脳空間に関する記憶は消去される設定になってるから。監査に連絡とか無理だから」
「記憶を消す……? そんなことが……」
「あー、こいつの魔法なんでもアリだから、やろうと思ったらできんじゃね?」
カフリアは少し黙って考え込み、ソラミを見、キークを見てから口を開いた。
「いえ、現実に帰す気があるならむしろ安心したわ。やけっぱちになって殺される可能性を一番危惧していたもの。犯罪者が野放しになってようと私の知ったことではないし、ここでの記憶ぐらいいくらでも差し上げるわ。それで、具体的にはどんなテストを要求するのかしら?」
「はあ……泣き叫んだりされるよりはやりやすいけど、これはこれで腹立つな」
キークは椅子からぴょんと飛び降り、背筋とともに両手指を絡めた腕を天に向かって伸ばした。やはり自由に動けるのは羨ましい。
「簡単だよ。これからする指示通りに何回か魔法を発動してくれればいいだけ」
「えー、そんな簡単なテストなら、頼まれればフツーに協力したかもしれないのに、なんでこんな無理矢理……」
「ああん!? 時間ないんだから仕方ないじゃん! これだけ作るのにどれだけデスマってきたか!」
「あたしにキレられてもねー」
「それでいうと、私だってフリーでお仕事受けつけているから、依頼があれば当然請けたわよ? 緊急の案件ならその分それなりの報酬は頂くことになるけど」
「だから! あたしはそういう交渉とかまどろっこしいことが嫌いなの! なんで神の能力を持ったあたしが、あんたらみたいな下々の奴らと対等に話し合わなきゃいけない!? おかしいでしょ!」
鼻息荒く昂ぶったキークの眦は大きく裂かれ、ギラギラと昏く輝いている。ソラミはぎょっとしてカフリアと顔を見合わせた。馬脚を現すとはこのような場面をいうのだろうか。以前プク・プックと会話していた時の印象から敷衍して、たとえ犯罪行為の最中であっても、損得勘定ぐらいはできる魔法少女だと高を括っていた。カフリアの強気な態度も、キークがソラミの知り合いであり、立場ある魔法少女だという情報を根拠にしたものだったはずだ。改めなくてはならないかもしれない。
「あんたさっき、なんでテストプレイが必要かって聞いたよね? そうだね。ここなら時間たっぷりあるし、どーせ記憶も消すし、愚痴がてら聞かせてあげる」
ソラミとカフリアは目配せの後、キークに対して向き直り、同時に、静かに頷いた。