魔法少女育叡計画 scientia est potentia 作:pseudok
「次はカフリアにも参加してもらう」
カフリアは口を挟む余地もないと見たか、長らく眠っているかのように存在感を消していたが、呼ばれた名前に反応して顔を上げた。
「あーごめんごめん。ほったらかしにしちゃって。退屈だったよねー」
「いえ、私はお二人の話を聞いてもなにも理解できないから、指示を聞くだけのロボットでいいわ。好きに使って頂戴」
カフリアは不貞腐れてしまっている。複数の人間の関係調整は自分の仕事だと、ソラミは自然に考えていた。だというのに、今は自分の興味を優先して仕事を放棄している。湧き上がる興味は抑えようと思って抑えられるものでもないが、あまり行儀が良いとはいえない。
一方のキークは消沈するカフリアには目もくれず、指をスナップさせた。
キークの前に黒猫と白猫、計二匹が出現する。
「え、かわいっ」
二匹は突然ワープしたことを気にも留めていないようで、まるで初めからそこに存在していたかのように寛ぎ、毛づくろいをしている。
「とりあえず、区別のために黒猫をエルヴィン、白猫をヴェルナーとする」
「なに洒落た名前つけてんの? ヴィとかヴェとかいいづらいし覚えづらいし」
「いちいち茶々入れんなぶちころすぞ。で、完全に密閉された箱、ガイガー計数管、ハンマー、毒ガス入り瓶、放射性同位体を用意する。あ、放射性同位体はすぐ崩壊するから後でね」
作業台とともにキークが口にした通り、曇りなき金属箱、謎の計測器具、怪しげな瓶などが次々に現れ、ガチャガチャと音を立てた。
「ちょっとまって……ガオガオなんとかってのはともかくとして、なんか物騒な単語が聞こえたんだけど、その猫に毒ガス吸わせたりしないよね?」
「するけど」
キークはなんの感慨もなく恬然と言い放った。
「いやいやいやいや! それ倫理的に完全アウトっしょ」
「はあ? あんた、ここは電脳空間ってこと忘れてない? この猫だって今生成しただけの仮想猫だし」
「でも、その猫めちゃめちゃリアルじゃん」
エルヴィンとヴェルナーは向かい合い、戯れの猫パンチ合戦でちょっかいをかけ合っている。
「そりゃまあ、現実の猫の動きをディープラーニングで学習させたし、体の内部構造も寸分違わず再現してるからね」
「そんなの実質生きてんじゃん。命あんじゃん」
「あたしは命がどの段階で生まれるかなんて哲学的議論に興味ないよ。けど……あんた、前にここで自分がやったことも忘れてるの?」
「え?」
「オーガの群れだよ! 魔法で騙されて、到底勝てない相手に立ち向かわされて、何百体もゴミみたいに殺されて……どっちが人道に悖る行いなのよ」
「あー……あれね。だってあの鬼は倒されるために用意されたモンスターじゃん」
「それよ。この猫にも全く同じことがいえるでしょ」
「うーん、確かに理屈の上ではそーなるけどさー……」
プレミアム幸子に死の運命を決定付けられ、うるるの嘘を信じ込んだオーガ達。アレは概ね人に近い形をしていたし、翻訳アプリによって人語が通じる状態になっていた。その観点からすれば、猫よりも人間に近い生物だったとも捉えられる。それなのに、鬼殺しと猫殺しで感じる忌避感には雲泥の差がある。ソラミのこの感情はどこから生まれているのだろうか。
「ねえカフリア、これってあたしがおかしいの?」
「私に振られても困るわ。ただ、今の私達に他の生物の生死を気にかける余裕なんてないってことだけは確かよ」
「そういうこと。恨むんならあたしじゃなく、この実験を考えたシュレーディンガーを恨みなよ」
前回は全ての情報を握った上で、酔ったプレミアム幸子の策に乗る以外に脱出の見込みがある方法がなにも思いつかなかった。今回も同じだろうか。少なくとも犯人が目の前に立っているという点は異なる。
「はあ……猫ちゃんには悪いけど、しゃーなしだわ。で、どーゆーテストすんの?」
両手を掲げて降参の姿勢を取るソラミに対し、キークはただ冷たい視線を浴びせている。
「手順はこう。まず半減期一分程度の放射性同位体の前にガイガー計数管を置いて、毒瓶の上にセットしたハンマーと計測結果を連動させる。放射線同位体は一分後に五十パーセントの確率でα崩壊を起こすから、この装置は五十パーセントの確率で毒ガスを発生させる装置になる。次に箱の中にエルヴィンと毒ガス発生装置を入れて、蓋を閉じる。この箱は特殊な魔法アイテムで、蓋を閉めると中の情報を一切外に漏らさない」
「わかんない用語だらけだけど……要は一分後に猫が毒殺されるか、生き残るか、どっちかになる箱ってこと?」
「そう。一方のヴェルナーは別の箱に入れて、一分と少し後に発動するタイマーと毒ガス発生機を接続する。こっちの箱はただの指標だから、べつに密閉しなくてもいい」
「ヴェルナー確定で殺されるだけじゃん。殺す必要あんの?」
「うん、カフリアには箱に入れる前にエルヴィンとヴェルナーのどっちが先に死ぬかを見てもらうから、確定した時刻に殺さないと意味のあるデータが取れないでしょ」
「私の魔法は人間しか対象に取れないわよ?」
カフリアはしばし黙って説明を聞いていたが、自分の能力のこととなれば話は別とばかりに口を挟んだ。
「あ? つまんない嘘つかなくていいよ。そもそも隠すほどの能力じゃないでしょ」
「……大した情報調査力ね。今のは普段の説明の癖が出ただけだから、気を悪くしないでもらえると助かるわ」
キークは舌を鳴らしてカフリアを睨みつけた。カフリアは平静を装っているが、首筋を汗が伝っている。
「一分経ったら中野がエルヴィンの箱に魔法を発動して中を見る。確率が絡んでるから、統計的に有意なデータが取れるまで一連の作業を繰り返す。理想を言えば五千回分は欲しいけど、この中にいると自動化プログラムも組めないし、今回は五十回程度で妥協かな」
「やることはわかったけど、なんの意味があるテストなのかが全然わかんないんよね」
「まあ、やればわかるよ」
そういってキークは装置を組み立て始めた。作業の間、エルヴィンとヴェルナーはキークの足に纏わりつき、転がりながら腹をソラミに見せつけている。主人が自分達に狙いを定めた殺猫装置を組み立てているなど微塵も想像していない。こんな哀れな生き物が存在していいのだろうか。
この殺戮を止められるのはソラミをおいて他にいないのではないか。
「……じゃーさ、せめて猫を箱に入れる作業はあたしにやらせてくんない?」
「は? なんで?」
「殺す側の責任っつーかね、せめて罪悪感持ってる人に殺されなきゃ浮かばれないっしょ」
「まだそんなこといってんの? あんたほんと面倒臭いね」
作業を終えたキークは呆れたようにかぶりを振る。
「まあ、仕事を買って出る志は評価してあげる。はい」
意外にもあっさり了承したキークが指を鳴らすと、ソラミの腰、脚を覆っていた電子拘束がボロボロと崩れ落ちた。
プク・プックが今ここにいたなら、なんといってくれるのだろう。平仄が合わなくとも、救いたいという感情を、ただ肯定してくれる。そんな気がする。
ソラミは溶解寸前まで赤熱した鉄のような心を密かに抱えながら、その表層に一切の乱れはない。今ソラミがなにを考えているか、キークには悟られていないはずだ。
「ふー……ありが、とっ」
礼の言葉を告げると同時、ソラミは立ち上がり、息を吐き、大地を強く踏み込んだ。作業台を飛び越え、最短距離でキークに飛びかかる。滞空中の体捌きにより渾身の力で放たれた拳撃は、奇襲に全く反応できていないキークの眉間、正中線上の位置を過たず捉えた。固く握りしめた鉄拳が内包するエネルギーは魔法少女の頭蓋を粉砕せしめるに余りある。
しかし、その拳はソラミの想定に反してキークの額になんの手応えもなくめり込み、そのまま後頭部を貫通して再び外界に出現した。無論、脳髄撒き散らすこともなく、ただただ暖簾に腕押すようにキークの全躯をすり抜け、ソラミの体はそのまま地面に叩きつけられた。
「わぶっ」
ソラミの体は勢い余ってゴム毬のように跳ね、鼻頭と額が砂礫によって擦り下ろされた。
「ま、そんなこったろうと思ったけどさ」
キークは薄笑いを浮かべて無様に倒れ伏すソラミを見下している。
「いやー、ワンチャンぐらいあると思ったんだけどねー。アハハ……」
ソラミは上半身のみ起こし、照れ隠しに顔面に付着した砂を指で払いながら笑った。
「無対策に拘束解くとか有り得ないでしょ」
「だよねー」
笑い合う二人の間には弛緩した空気がしばし漂っていたが、キークはつとその空間を引き裂くように人差し指を天に突き上げた。
「じゃ、お仕置きね」
「え?」
なにもないはずの空間に突如として影が落ち、ソラミは慌てて上空を見遣る。そこには黒々とした雨雲が浮かんでいた。
キークが指を振り下ろすと、ソラミの長い髪は一瞬にして逆立ち、次の瞬間には激しい光と熱が脳天から足先まで疾走した。
◇カフリア
ソラミの蛮行を全く予想できなかった。
気付いた時にはソラミはキークの激烈なる報復を受け、黒煙を吐きながら倒れ伏していた。
カフリアはソラミについて、頭の回転は速いが思慮が浅い直情型の魔法少女と評していた。しかし評価を改めなくてはならない。腹に一物抱えながら、それをおくびにも出さずに佞言を弄する面従腹背の気質。積極的に印象を相手に押しつけるという意味での擬態能力ではカフリアを遥かに上回っている。キークとの仲睦まじい雰囲気の会話もどこまでが演技か。
カフリアがソラミを測りきれていないとなると、それに連なってキークについての人物評をソラミと共有できていない可能性も出てくる。カフリアはキークを狂人ゆえ無闇に刺激してはならない人物と考えた。一方のソラミは、先の行動から逆算すると、それだけでは足りないと考えている。こちらから攻勢に打って出なければ解放されることはないと。これまでの全ては一度きりのチャンスを生み出すための言動だったのだ。
結果論として乾坤一擲の襲撃は失敗に終わったが、なにが正解かなど誰にもわからない。キークを一撃のもとに打倒し、電脳空間が解除されるという筋書きも確かにあった。どんなに期し難くとも、その可能性に賭けざるを得ない事態とソラミは見ているということだ。
キークが反撃を行ったという事実も、その考えを補強しているように思える。彼女は完全に無敵なのだ。仕置などする必要があろうか。
口答えするソラミを黙らせるため、わざと自由を与えて攻撃させた可能性すらある。
「よっと」
キークは体の節々が焼け焦げたソラミの体を不可視の手で持ち上げ、空いた椅子に向かってゴミのように投げつけた。着席と同時に足腰が再び縛り上げられる。
「こ、殺したの……?」
ソラミの目は裏返って白目を剥き、口はだらりと開かれている。完全に意識はない。
「テストに必要なのに、殺すわけないじゃん。ちゃんと手加減したよ」
よく見ると微かに指先が痙攣している。これをバイタルサインと見做していいのかは不明だが、生きてはいるらしい。
「ところで、あんたもこいつと同じ、反抗しようってクチなわけ?」
先程と同様にキークが指を突き上げ、カフリアの周囲に影が差す。数メートル離れても空気が割れんばかりの衝撃を思い出し、全身総毛立った。
「……まさか。相手との実力差を推し量ることも出来ないなんて未熟な子よねえ。生存戦略にかけては私に一日の長があるようだわ」
こんな状況でも心にもないセリフがスラスラと口を衝いて出るのは経験の賜物か。ソラミに聞かれていないことを願った。
「ふーん。じゃあいいや」
キークは興味を失ったようにカフリアから目を逸らし、カフリアは胸を撫で下ろした。
「ほら、続きやるから起きな」
キークはソラミに近づき、その頬を二度三度と叩いた。しばらくゴム人形のように抵抗なく殴られていたソラミだったが、ついには開かれていた目をぎゅっと瞑り、苦痛に歪んだ表情を見せた。
それを確認したキークは、更にもう一度一際大きい破裂音を響かせてから、エルヴィンとヴェルナーを回収しつつ作業台へと戻っていった。
「あなた、大丈夫なの?」
カフリアに声をかけられ、茫乎としていたソラミの目に光が灯った。
「けほっ……あー、なんとか。体も普通に動くみたいだし、ほんと魔法少女ってやんなるぐらい丈夫だねー」
ソラミは腕を回しながら首を鳴らし、健在を主張したが、咳を押さえた掌は赤く染まっている。ダメージは相当深いだろう。
「カフリア、二匹のうちどっちが先に死ぬ?」
「……エルヴィンね」
二匹の背中の皮を雑に掴んだキークが問い、カフリアが答えた。自らの運命を知らないエルヴィンとヴェルナーは、宙に吊られたままソラミとカフリアを静かに見つめている。
「ごめんね、状況悪化させちゃったかも」
「いえ……」
ソラミは唇を噛み締めながら、エルヴィンとヴェルナーの輝く瞳を見つめ返している。
「せっかく魔法少女になったってのに、思い通りにならないことばっかりで、こうやって心擦り減らしてくことになるんだって思うと……なんだかねー」
思考過程がどうあれ、ソラミは行動し、カフリアは行動しなかった。穏便にやり過ごすことに慣れ過ぎているという自覚もある。ソラミのいうところの心を擦り減らしきった魔法少女であるカフリアに、なにか言葉をかける権利があるのだろうか。
キークは猫を箱に放り込み、封をした。エルヴィンの箱は閉じると同時に外観から一切の継ぎ目が消え、中に生物が存在する気配を感じさせない。ヴェルナーの箱からは爪で壁を引っ掻く音が漏れていたが、それも一分後には聞こえなくなった。断末魔の声が聞こえなかったことからして、一瞬で意識を奪うタイプの毒が使用されているのは些かばかりの慈悲か。
「じゃあ、この箱に魔法使って」
エルヴィンの箱がソラミの目前へと送られた。キークは手を出されぬよう、ソラミから離れた位置で作業している。
ソラミは長大息の後、滑らかな箱にそっと手を添えた。
「なにこれ……。動いてるエルヴィンと倒れてるエルヴィンがいて……いるっつーか、こんな曖昧な見え方初めてだわ」
「やっぱり、魔法による観測は物理的観測と違って系に影響を与えないみたいだね」
「どゆこと?」
「これは量子で構成されるミクロの世界と、あたし達の生きてるマクロな世界を強制的に接続する実験なんだよ。だから現実世界で普通に箱を密閉した時は起こらない現象が起こる」
ミクロだろうとマクロだろうと同じ世界の中にあるのだから、そこになにか違いがあるとは到底思えない。なにをいっているのだろう。
「ミクロな世界ってなにが起こってんの?」
「根本的なところでいうと……物質ってのは確率で表される波なんだよね。だから確固として存在してるって感覚をまず捨ててもらう」
「それが観測事実ってやつ? おっけー、捨てた」
そんな基本的な概念を簡単に捨てないで欲しい。この時点でカフリアは理解を諦めて聞き流すしかない。
「不確定性原理っていって、ミクロな世界だと物質の存在位置はぼやっと雲みたいに広がってるわけよ。そうするとなにが起こるかっていうと、例えば近くに壁がある時に……」
「あ! それ知ってるわ。スマホのメモリの中身見てたら明らか壁抜けてんじゃんってことあったんだよね。夢でも見てんのかと思ってたけど、アレ物理的に説明できるってことでしょ。やば」
「そう、それがトンネル効果。量子はポテンシャル障壁を乗り越える」
話が飛びすぎていてツッコむ気にもなれない。本当に現実の話をしているのだろうか。
「今、確率的な波の集合であるところのエルヴィンは、放射性同位体が確率的に崩壊するかしないかの影響を直接全身に受けて、生きてる可能性と死んでる可能性の重ね合わせ状態になってる。でもこんな中途半端な状態って現実に見たことある? 箱を開けるとどうなるか、見てみなよ」
ソラミは暫し目を伏せた後、意を決したように箱の蓋に手をかけ、それを取り外した。カフリアの位置からは中身が見えないが、魔法で未来は予測済みなので見るまでもないともいえる。蓋を掴むソラミの指が白く変色し、ネイルが軋むような音を立てた。
「観測によって波動関数が収縮して固有状態が一つに定まる」
「……でもさ、おかしくない? さっきまで半分は生きてたんだから、蓋を開けたあたしが殺したようなもんだよね。カフリアはエルヴィンが先に死ぬっていったけど、先に死んだのはヴェルナーの方じゃない?」
「いや、観測すると過去に遡ってエルヴィンが死んでいた歴史が選択されることになるから、時系列的矛盾はないよ。まあ絶対に予測できないはずのものを予測してるって意味ではカフリアの魔法は物理的な矛盾抱えてるけどね。全ての魔法の中でも一番神の領域に踏み込んでる魔法かもね」
「マジ? カフリア神じゃん」
二人がカフリアを見る目は今までと違い、尊敬とも畏怖ともつかない色を帯びているように思えた。
「私の魔法がそんな大仰な評価をされたのは初めてだわ……」
まともに役に立ったことなど一度もない能力である。他の魔法少女からは直接口に出さずとも軽んずるような態度を取られるのは日常茶飯事で、自尊心を守るために先制して自虐する癖さえついていた。
カフリアはむず痒いような、くすぐったいような、奇妙な感覚を覚えた。