魔法少女育叡計画 scientia est potentia 作:pseudok
◇中野宇宙美
なにもできなかった。
全てを解決する正解の行動などあったとは思えないが、それでもなお目の前で人が傷付けられたという事実が重くのしかかる。
鮮血が宙を舞い、カフリアの周囲の地面を赤く染めてゆく。腕の自由を奪われているカフリアは為されるがまま、止血をすることもできない。
「この出血量なら、もって五分ってとこかなー」
「キークゥ!」
ソラミはキークに向かって吼えた。しかしいくら声を大にしようと二人の間にある感情の壁は厚く、その声がキークに響く様子はない。
「おー、それそれ。いい感じじゃん。今のうちにデータ取らないと」
キークは指を鳴らし、作業台に代えて先刻テストに用いていた巨大な鉄箱を出現させた。
「さっさとテスト終えて現実に戻れば助けられるかもね? あたしはどっちでもいいから急ぐ気なんかないけどさ」
そうだ、まだカフリアは死んではいない。首を斬り落として即死させなかったのには、ソラミが破れかぶれにならぬようコントロールする意図があるのだろうか。キークが欲しているのはデータであって命ではない。従順に指示に従っていれば、それ以上の被害を出す意味はないはずだ。そう信じた結果が今の状況ではあるが、それでも今は他の選択肢などない。やはり従うしかない。
やむなくソラミは鉄箱に手を翳した。
「待って……」
か細く掠れた声が耳に届く。
「見苦しいところを見せてしまったわね……私は、魔法少女でいられなかった……」
カフリアの首の頸動脈からは、彼女の言葉に連動するように、ごぼごぼと鈍い水音を立てながら血が溢れ出していた。グロテスクな光景に思わず目を覆いたくなる。一言発するたびに寿命が数秒は縮んでいるのではないか。
「カフリア、無理に喋んないでいいから」
ソラミの忠告に対してカフリアはゆっくりと首を横に振った。
「皮肉なものね……死を受け入れて初めて……冷静になれた……まだできることがあると、気付いたわ……」
カフリアは傷口を庇うように首を傾けながらも、しっかりと視線の先にキークを据えた。一方のキークは興味なさげに髪をいじりながらカフリアの言葉を待っている。
「この三人の中で『精神の死』を一番最初に迎えるのは、あなたよ。キーク」
ソラミは、カフリアが着物の袖を揺らしながら、白い指先を力強くキークへと向ける姿を幻視した。
「……はああ?」
キークはカフリアの言葉を理解するのに苦しんだのか、ワンテンポ遅れて反応した。
「あんたなにいってんの? 肉体が死ねば精神も死ぬんだから、なんの死だろうと次は間違いなくあんた自身でしょ」
常識的に考えればもっともな反論にも、カフリアは動じない。無言で変わらずキークを正視していた。その落ち着き払った態度に対して、キークの相貌はみるみるうちに紅潮していく。
「死に損ないがデタラメいってんじゃねえ! 混乱誘おうったって無駄なんだよ!」
確かにカフリアの不可解な発言は、嘘だと断じてしまえばそれで筋が通る。たとえ嘘だろうと、現にキークの感情をかき乱しているのだから、ささやかなる復讐程度の意味は既に成しているといえる。
しかし首から血を噴出させながら発した言葉がそんな矮小な意味しか持たないとは、ソラミには思えない。カフリアの魔法の結果は変化することがあるのだから、単純に行動した結果見えるものが変わったといえばいい。
だとすれば、カフリアが示すところの「精神の死」とはなにを意味しているのか。
真の意味で最初に死ぬのはカフリアだと確定している。今からキークを殺そうとしてもその前に必ずカフリアは死ぬ。
しかしキークの肉体を傷付けずに精神だけを破壊し、電脳空間から抜け出せば、カフリアの傷は癒え、確定した肉体の死はいつかわからない未来にまで延長される。
「カフリア、それマジ?」
カフリアはソラミに向かって頷いた。ヴェールの奥のその瞳はソラミをはっきりと捉えている。
「おっけー。じゃあ、それ信じる」
「はあ?」
「カフリアの能力を『神の領域に踏み込む魔法』っていったのはキークっしょ? ならそれが観測事実ってやつじゃん」
「だから、それはこいつが嘘吐いてない場合に限るでしょ。有り得ないんだって! 余計なこと話してないでさっさと箱の中身を見ろよ!」
キークは鉄箱が凹むのではないかという勢いで面を殴打した。波打つ大気が空間を伝播する。
「あたしがカフリアの魔法を現実にすればいいんだ」
ソラミは荒ぶるキークを傍目に捉えながらも完全に無視して、自らの胸に手を当てた。
なにをすればいいかはキークが教えてくれた。
それが本当に実現可能かどうかはカフリアが教えてくれた。
ソラミはただそれを実行するだけでいい。こんな簡単な仕事はない。
目を瞑る。天から降り注ぐ陽の光が消え、暗闇が訪れた。
耳を瞑る。喚き立てるキークの声、カフリアの荒い息の音が消え、静寂が訪れた。
鼻を瞑る。乾いた大地の匂い、眼前の鉄塊から放たれる金属の匂いが消えた。
口を瞑る。火傷によって口中に溜まっていた血の味が消えた。
全身の毛穴のひとつひとつに至るまで、穴という穴全て瞑る。肌で感じていた空気の流れの感覚が消えた。
自分自身の体を完全密閉された箱に見立て、ソラミという個の中にひたすら没頭。その上で魔法を発動した。
心臓の鼓動、腸の蠕動、血液の流動、その他全ての体内臓器の動きを把捉する。だが解像度が全く足りていない。
全身遍く循環する血液に意識を集中した。無数の微細成分が結合と分離を繰り返している。知識がないため詳細は不明だが、今は問題ではない。
更に深部へと埋没する。
一つの大球と二つの小球、すなわち酸素原子と水素原子の連なり、そして各々の原子の内部に原子核と電子の公転を見る。ここまでは巨箱の内部を見るテストの際に既に見ている。まだ足りない。
もっと奥へ。
原子核の内部には二種類の玉が詰まっている。これがキークのいう陽子と中性子だろう。これまで感じたことのない力で押し合い引き合い、内部から崩壊する兆しすら感じられる。詳しく見れば見るほど位置がぼやけて見えるが、これはソラミの能力の限界ではなく、不確定性原理による作用だろう。まだ先がある。
奥のそのまた奥へ。
陽子と中性子の内部では二種類の球が強力なバネで繋がっているかのように暴れ回っている。これがアップクォークとダウンクォークだろう。もはや視覚映像的に球の位置を捉えることは不可能だが、確かに存在は感じ取れる。それぞれアップクォーク二個とダウンクォーク一個、もしくはアップクォーク一個とダウンクォーク二個の計三個で構成されている。どちらが陽子でどちらが中性子なのかは聞きそびれていたので同定できない。キークに教えられたのはここまでだ。だがこれが最小ではないという直感。
物質の最後の深奥に向かい、限界まで意を注ぐ。
そこには世界にこれ以上は存在し得ないと確信できる小ささの「ひも」があった。ひもは震えている。その振動の方向は縦、横、高さだけではなく、ごく小さなドーナツ状に丸まった複数の方向にも向かっている。とても感覚的で他人に説明を求められても理解させられる気はしない。だが、この振動の種類が森羅万象の源であることは理解できる。
これ以上奥はない。絶対にない。だとしても、まだ足りない。これよりも先の世界を見なくてはならない。
ソラミは限界を超えて圧縮された自己を想像し、存在しない世界の奥へ潜航する。
そこには無数のソラミ自身の姿があった。これはソラミの内部に存在する無限の可能性の姿だ。箱の中で二つに分かれた重ね合わせ状態のエルヴィンと同じものだ。
キークの猫のテストにおいてエルヴィンが八回連続生存したのは偶然ではない。ソラミが意図した結果だ。魔法で見ている箱内部の視線を「生きている方の可能性」に向けながら箱を開け、観測する。これによりエルヴィンが生きているという現実へと波動関数が収縮する。あまりに単純な仕組みのため最初は半信半疑だったが、箱を開ける瞬間に偶然生きているエルヴィンが死体の後ろを横切った回は失敗し、それにより逆に確信を得た。
だから、同じことをやればいい。無数のソラミの中から「トンネル効果によって存在位置が電子拘束の外にズレているソラミ」を探す。その確率は途轍もなく低い。ソラミが寿命を迎え、人類が滅亡し、太陽が爆発し、宇宙が終焉を迎えるまで待ったとしても、決して自然には現れない程度には低いだろう。だが無限の可能性の中には確実に存在している。能動的に探せば必ず見つかる。必ず──
ソラミは目を開き、自身を観測した。一瞬宙に浮かび、再び着席した時には電子拘束を踏みつけているソラミの姿を。探し出すのに体感何十億年もかかったような気もしたが、実際には一秒も経っていないらしい。
「……は?」
ソラミは立ち上がり、すぐさまカフリアに駆け寄った。
「なにあたしの許可なく勝手に動いて……は?」
理解が追いついていない様子のキークを無視して、傷口にそっと手を当てる。
「……ごめんなさい。私あなたのことを……」
「いいっていいって」
自分の体に対して行ったのと同じ要領で、カフリアの体を密閉された箱に見立て、魔法を発動した。一度コツを掴んでしまえば簡単だ。無数にあるカフリアの可能性の中から「切断された血管が奇跡的に癒着したカフリア」を探し出し、手を退け、観測する。既に出血は止まっていた。
「あたしは他の魔法少女のことなんてあんま知らないけどさ、カフリアは間違いなく魔法少女っしょ。カフリアが行動してくれなかったら、こーはなってないんだし」
カフリアは安堵したように微笑みながら目を閉じた。手を握って能力を発動し、まだ心臓が動いていることを確認する。この容態、魔法少女の生命力ならばしばらく死の心配をする必要はないだろう。
ソラミは踵を返してすっかり呆けているキークの方へと歩を進めた。
「なんで……なんで……」
動かないキークの頭頂部に手を翳す。キークの髪の毛に触れているはずの手にその感触はない。だが、触れないだけで確かにそこに存在しているという感覚はある。今ソラミが見ているのはただのホログラム映像などではない。一度殴りかかった時にその確信は得ていた。
キークの思考はソラミが拘束を抜け出した謎にかかりきりのようで、ソラミを全く気に留めていない。きっと自分は無敵だと信じているのだろう。
ソラミは目を瞑って魔法を発動し、キークの可能性を探った。外部からの物理的干渉を受け付ける状態のキークの可能性。
目を開き、実体を持つキークを観測する。それと同時に、掌がキークの柔らかい髪の毛の中に埋まった。キークがよくしていたように、髪の毛を指に巻きつけてその存在を確かめる。
「やーっと捕まえた」
恋人の相手をするようにぽんぽんと優しく頭を叩くと、ボリュームあるパーマヘアによってソラミの掌は軽く跳ね返された。
「あんた、なに触って……は?」
依然として周章狼狽しているキークに相対し、ソラミはにこりと笑みを浮かべた。
そして素早くキークの左手を引き、その体を勢いよく地面に投げ倒した。