魔法少女育叡計画 scientia est potentia   作:pseudok

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第4話 それでも庚江は寄せてくる

◇魚山護

 

 護は庚江の投了姿勢を見て、勝者の作法を思い出した。

「ありがとうございました」

 庚江と同様に深く頭を下げ、礼の言葉を発する。

 しばしその体勢を保った後、ゆっくりと頭を上げると、盤駒と庚江のみが映る内的世界から解放され、畳、壁、掛け軸などが目に入る。

 一気に現実に引き戻された。

 

「っしゃあオラァ! 見ましたかお嬢! 私の勝ちですよ! 勝ち!」

 護は着物が乱れるのも構わず、片膝を立てて握った拳を突き上げた。

「護、対局室を退出するまでが対局だよ。ガッツポーズも奇声を上げるのもマナー違反だ」

 護は人差し指の先端を庚江の眼前にビシと突き立てた。

「お嬢、黙ってください。敗者に文句をいう権利なんてないんですよ」

「まったく、調子がいいやつだな君は……」

 庚江は目を伏せ、首を振りながら溜息を漏らす。

「さて、なにを命令してやりましょうか。鼻からスパゲティ食ってもらいましょうか。それとも裸で町内一周してもらいましょうか」

「もう少し品のある罰は思いつかないのか?」

 酸鼻極まる内容の罰を口にしても、庚江は切迫した様子を一切見せない。きっと今までの人生で敗北した経験がないから、自分自身が恥辱に塗れる姿を想像できないのだろう。だがそれも今日で終わりだ。

「黙れといっているんです、お嬢。今更泣いて謝ったって絶対にやらせますからね?」

「ああ、『敗者が勝者のいうことを聞く』という約束は必ず履行すると誓おう。だが、今は君の話が聞きたい。せっかく公式戦と同じ状況を整えたんだ。対局後の勝利者インタビューと洒落込もうじゃないか」

 そういって庚江は手に持っていた扇子をマイクに見立て、護の口許へと向けた。

「まずは、おめでとうございます。魚山アマ、本局を振り返って、いかがでしたか?」

 庚江の口からいつもの他人を馬鹿にしたような声調が消え、まるでアナウンサーのようなハキハキとした語気で質問を投げてくる。喉にスピーカーでも仕込んでいるのかと疑いたくなる。

「なんですか急に……。そういう茶番は苦手なんです。知ってるでしょう」

 庚江は扇子を向けたまま微笑んでおり、微動だにしない。いつものことながら、こうなると護の方が折れるしかない。またペースを握られているのは気に食わないが、既に勝負は決している。今だけ、少しは許そう。

「振り返ってといわれても、なにも覚えてませんよ。感想戦とかいうのをやれっていわれても無理ですからね」

「ありがとうございます。魚山アマは強敵である人小路女流アマ魔王に勝利されました。今の率直なお気持ちをお聞かせください」

「そりゃあ……勝ったんだから嬉しいですよ。当たり前じゃないですか。負けたら二度とやるかって思いますけど」

 庚江の微笑みが笑顔に変わる。一体なんなのだろうか。

「ありがとうございます。では、その喜びを真っ先に伝えたい相手はどなたですか?」

「えらく大げさですね……。喜びなんて一人で噛み締めますよ」

「こういう質問には慣例的に師匠と答えるものだよ」

 庚江は立てた掌を頬に添え、小声で囁いた。

「いやプロじゃないんだから、師匠なんていませんよ」

「ほう、君がそんな恩知らずなやつだとは、知らなかったよ」

「まさか、先週ルールを教えたから自分が師匠とでもいうつもりですか? そんな傲岸不遜な……あ!」

「どうした?」

 恩知らずはその通りだったかもしれない。勝ったら真っ先に連絡すると約束していたのに。

「すみません、少し席外してもいいでしょうか……?」

「どうぞ、ご自由に」

 護は部屋の隅に置いたバッグからスマートフォンを取り出し、縁側へと移動した。眼前に広がる見事な枯山水が勝利を祝福しているようで、気分がいい。

 数少ない電話帳のデータの中から「マオ」はま行に移動するまでもなく見つかり、タップする。

 コール数が嵩んでいく。受話はできるといっていたはずだが、あの様子だとかなり怪しい。そもそもちゃんと持ち歩いているかどうかさえ……。

「はい、こちらマ──」

 通じたと思った瞬間、爆音が耳を劈き、後半の言葉は掻き消えた。

「マオさんですか? 魚山です」

「魚山さん! お久しぶりです」

 バックグラウンドからは爆発音のようなものだけではなく、少女の悲鳴らしきものまで聞こえる。

「あの……立て込んでるようですけど、今お時間大丈夫ですか?」

「ああ、仕事中ではありますが、今はh……部下に任せて休憩中なので、少しなら大丈夫です」

「本当ですか? ものすごい爆音鳴ってますけど……。ライブ会場みたいな」

「そうそう、ライブ会場の警備みたいな仕事です」

 ライブだとしたら出演する側だと推測しての発言だったが、護にとって想定外の職だった。納得できない部分もあるにせよ、本人がそういっているのだから仕方ない。

「では手短に……。私、勝ちましたよ!」

「おめでとうございます! 魚山さんならできると信じていましたよ」

「ありがとうございます。いやあ、マオさんにも見せたかったです。最後に歩を打って詰ますところ」

 ひときわ大きい爆発音と悲鳴が上がる。どんな演出のライブなのだろうか。ロック系ならそういうのもあるかもしれないが、護は音楽には聡くないのでわからない。

「……魚山さん、将棋は打つものではなく、指すものですよ」

 マオの声のトーンが急激に下がった。相変わらず声の後ろがうるさく、電話口では感情が読みづらい。

「それ、マオさんまでいうんですか……。わかってますよ。対局自体と盤上の駒を動かすのは指す、持ち駒は打つものでしょう」

「本当に、最後に歩を打って詰んだんですか? 詰む前に投了されたとかではなく?」

「ええ、間違いなく、どこにも動けない状態になってました。一手詰めってやつですよね」

 また悲鳴が上がる。喜びの歓声には聞こえないのだが、本当に大丈夫なのだろうか。ホラー的な演出があるとか、そういう可能性も考えると……

「大変申し上げにくいのですが……その対局、魚山さんの負けです」

「は?」

 突然不気味なほどに静まり返る。

「打ち歩詰めという禁じ手があり、最後に歩を打って詰ますと反則負けになります」

「なんですかそれ……。ローカルルールとかではなく?」

「四百年前から定められている正式ルールです……。申し訳ありません。ルール把握されているか確認していなかったのは、私の手落ちです」

「え、だって、お嬢は確かに負けましたって……」

「私の杞憂であればそれに越したことはないのですが……念のためお相手に確認を取ってみてください。……あ! すみません仕事の方が急に……! また連絡ください! 必ず! 『煉獄の炎(ゲヘナ)』」

 独特な別れの挨拶の言葉とともに燃え盛る炎のような音が轟き、護は熱を錯覚したが、そんなことより気になるのは対局結果の方だった。

 恐る恐る後ろを振り向くと、庚江は素知らぬ顔でお茶を飲んでいた。

「お嬢、今の、聞いてましたか……?」

「いいや、私はなにも聞いていない。内容を報告するかどうかは君の良心に任せるよ」

「それは聞いていたといってるようなものでしょう……。結局なんなんですか打ち歩詰めって」

「ああ、私としたことが、うっかり投了してしまったが、確かに打ち歩詰めになっている」

「茶番はもういいんですって」

 護が心底うんざりした態度を見せると、流石に庚江もそれに応じておふざけの表情を消した。まだ続けるようなら手が出ていたかもしれない。

「説明するまでもなく、この局面がまさに打ち歩詰めだよ」

 

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「なぜそんなルールが……」

「マナー起源説、先手有利抑制説、イカサマ防止説など様々あるが、ルール成立に関する文献が残っていないため、未だ明かされていない謎だ」

「意味わかってないルールなんて撤廃してくださいよ……。というか、お嬢、確かに投了しましたよね? お嬢ともあろう人が、前言を撤回するんですか? プライドとかないんですか?」

「君の言い分はもっともだ。ボードゲーム全般に『投了優先の原則』というルールがあり、基本投了した時点でその対局の勝敗は確定する」

「だったら!」

 護は思わず声を荒らげたが、庚江は動じるどころか呆れたように小さく息を吐いた。

「落ち着きたまえ。つい最近、投了後から次の対局開始までの間に反則が判明すれば勝敗は覆る、という風に将棋プロ公式戦の対局規定が改定されてね」

「我々はアマチュアじゃないですか」

「だが、対局開始前、私は『ルールはプロ公式戦に準ずる』といい、君も了承したね」

「あっ……」

「つまりこれが、私のちっぽけなプライドなどよりも優先すべき、この対局における正式ルールだ」

 わざわざルールをプロ公式戦に合わせたということは、最初からこうなることを見越していた? そんなはずはない。着手には無限の選択肢があり、全てを予測することなど不可能だ。最後の局面に限っても、じっくり迫っていけば必勝で、絶対に歩を打たなければいけなかったわけではない。歩に手が伸びたのは、先程庚江が説明していた「指運」に過ぎない。庚江は護の運ですらも操作しているとでもいうのだろうか。

 護は庚江が禍々しいオーラを背負いながら巨大化する様を幻視する。その姿は、まさに魔王と呼ばれているそれだ。勇者でもないただの人間が、心中推し量ったり、ましてや撃退勝利しようなどと考えることは、許されない。

「さて、なにかいうことがあるんじゃあないか? 護」

「う、うう……」

 力を失った膝はがっくりと折れ、いきおい両掌も畳の上に落ちる。

「負け……ました……」

 絞り出すように発声した。

 敗北感に打ち拉がれながら蹲っていると、庚江のいる方から立ち上がる衣擦れの音と、足袋が畳を擦る音が聞こえ、顔を上げる。

 庚江は護に向かって手を差し出していた。

「はじめて投了することができたね。落ち込むことはない。敗北を認められることこそが強さだ」

「お嬢……」

 護は庚江の手を掴んで立ち上がった。

「だが──」

 庚江に手を強く、強く握り返される。

「今度は君が約束を守る番だ。なんだったかな。鼻にスパゲティを詰めて全裸で逆立ちしながら町内を一周してくれるんだったかな?」

「ひっ……」

 

◇◇◇

 

"定刻になりました。人小路庚江女流アマ魔王の先手で対局を開始してください"

「よろしくお願いします」

「……よろしくお願いします」

"上手 人小路庚江女流アマ魔王 3二金"

「それにしても、将棋の罰ゲームが将棋って、これが無限ループってやつですか」

"下手 魚山護アマ十級 7六歩"

「いや、この対局に罰ゲームはない。気楽に指してくれて構わない」

"上手 7二金"

「……せっかくの権利なのに、もったいなくないですか?」

"下手 6六角"

「なんだ、露出癖でもあったのか?」

"上手 8二金"

「ちがいますよ……あっ馬が作れないのか」

"下手 2六歩"

「これが贅の本質だよ。価値なきものに価値を注ぐからこそ得られるものがある」

"上手 2二金"

「よくわかりませんが……」

"下手 2五歩"

「最大限利益を得ようなどと考えるのは浅はかだということだ」

"上手 2四玉"

「どうせ浅はかですよ私は」

"下手 2六飛"

「ふふ……」

"上手 2五玉"

「ん? これって……」

 手なりに指していた護の手が完全に止まる。

 

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「歩が全部守られてるじゃないですか」

「そうだね」

「こんなのどうすれば……」

「さあ? 自分で考えたまえよ」

 庚江は引き寄せた脇息に肘を乗せ、頬杖をついた。

 護は庚江の尊大な態度に苛立ちを覚えつつも、盤面へ意識を戻した。

「うーん……」

 頭を捻って考える。どんな手を指しても駒を取られる。駒は取られたくない。

「むむ……」

 更に頭を捻り、畳に手をついて、前傾姿勢で考える。

 取って取られて、その後になにかありそうだが、頭の中に浮かんでいる盤面は胡乱としていて、上手く考えられない。

「んん?」

 頭を捻り過ぎて、盤面が横向きになっている。

「……お嬢、対局中って、席を立ってもいいんですか?」

「もちろん、対局は丸一日に及ぶこともあるからね。自由にして構わない。歩いた方が頭が回るからと、ずっと離席しながら考える棋士も存在する」

「だったら……失礼します」

 護は立ち上がり、庚江の背後へと回った。庚江の頭越しに盤面を眺める。

 

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 景色が一変する。護が上手を持ったら一瞬で自陣は崩壊するだろう。かといって攻めようにも金だけではどうしようもない。困っているのは上手の方だ。

 遠過ぎて駒の文字が見えづらい。膝に手をつき、庚江の肩越しに盤面を凝視する。

 歩を突いて取り返して、そこに飛車が控えているから……

「なにか見えたか?」

 やにわに庚江が振り返り、眼前数センチの距離で目が合う。

「ええ、おそらくは」

 護が頷くと、庚江も瞬きでそれに応える。

 護は膝を叩いて立ち上がり、早速席に戻った。着物の裾を整え、一呼吸置いてから、自信を込めた手つきで次の手をビシと指す。

"下手 2四歩"

「なるほど、いい踏み込みだ」

「本当ですか? よし……」

「まあ、君に私の牙城は崩せないだろうがね」

 庚江はほくそ笑みながら護の歩を駒台に載せた。

 

 

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「……負けました」

「ありがとうございました」

 結局、庚江の右の金による苛烈な攻めであっという間に護の自陣は崩壊し、左の金による守りはまさに鉄壁で、護の侵攻のことごとくを跳ね返した。完膚なきまでの敗北。

 しかし、漫然と十枚落ちを指していた時よりも絶望的な差を感じない。もっと視野を広げれば攻め入る隙が見出だせていたのではないか、うっかりミスで大駒を取られさえしなければマシな対局になっていたのではないか、という後悔がいくつも頭に浮かぶ。この感情は──

「『悔しい』か?」

 護の心臓がどきりと跳ね上がった。

「そんなわけ、ないじゃないですか。このハンデで勝てるわけないですし」

「そうか。悪かったね。私の我儘に付き合わせてしまって」

「いえ、罰ゲームなので……」

 庚江の表情を覗き見る。悪びれている様子は全くない。全て見透かされているような気がする。

 だとしても、今ではない。

「では、この盤も、駒も、名残惜しいが、終局だ」

 庚江は再び駒箱を盤の下から取り出す。並べた時と同じ順に駒を探し、拾い上げ、一つ一つ駒袋に詰めていき、最後に歩をまとめて盤の縁から流し込んだ。

 今は()()、勝てない。

 

◇◇◇

 

「もしもし、魚山です。マオさんですか?」

「魚山さん! 先日は、大変差し出がましい真似を……申し訳ありませんでした。どうなりましたか?」

「マオさんのいった通りで、負けになりました……」

「やはり、私が余計な口を出さなければ……」

「いえ、きっとマオさんは演出に利用されただけなんです。マオさんが反則を指摘しなくても、なにか別の方法で負けを認めさせられていたでしょう。そういう悪魔みたいなやつなんです」

「お気遣い痛み入ります。ただ、あまりご友人を悪くいうものではありませんよ」

「ただの事実なので。それで、ご相談なんですが、そいつが十枚落ちを指してくれなくなりまして、マオさんに八枚落ちをご教授いただけないかと……」

「八枚落ちですか……。十枚落ちとは別世界になりますよ?」

「でも、勝ちたいんです。どうしても」

「相手のお方、相当にお強いんでしょう?」

「それはもう……。なんか『女流アマ魔王』だとかなんとかの称号持ってました」

「……は? 『女流アマ魔王』とおっしゃいましたか?」

「はい。なんだか珍妙な称号ですよね。魔王って。ロールプレイングゲームじゃないんだから」

「……まさか、そのお相手、人小路庚江……ですか?」

「え! そうですよ。そんな有名人なんですか?」

「棋戦出場経験なく、彗星の如く現れ、圧倒的強さで優勝、しかし写真撮影インタビューなど一切を拒否し、以後その他の棋戦にも現れず、実在すら疑われているという、あの……?」

「なにやってんだあの人……」

「フフフ……ハハハ……」

「マオさん……?」

「……私は……欲しかった。『女流アマ魔王』の称号が……喉から手が出るほど欲しかった」

「マオさーん?」

「だが! あの女……人小路壬江(みずえ)が、いつもいつも、いつもいつもいつも私の前にはだかり、ついぞ手に入れることはできなかった……」

「人小路壬江って、確かお嬢の……」

「まさか、今更あの因縁が蘇るとはな。ククク……面白い。貴様の孫と私の弟子、どちらが強いか、決着をつけようじゃないか」

「マオさーん! もしもーし!」

「魚山ァ!」

「は、はい」

「勝ちたいといったな。その言葉に嘘偽りはないか?」

「はぁ……。まぁ……」

「覚悟はあるのかと訊いている!」

「は、はい!」

「誓えええええええ!」

「ち、誓います」

「声が小さい!」

「誓います!」

「よろしい。では日曜朝九時、H市将棋道場に集合」

「えっ? えっ? H市ってめちゃくちゃ遠いんですけど……」

「口答えするな!」

「え、えぇ……」

「では、一秒でも遅れたら命はないものと思え」

「ちょっ……」

 通話終了の後、しばし放心。

 一体なんだったのか。声は聞き慣れたマオのそれのまま、シームレスに中身の人間が入れ替わる、そんな夢? 幻聴? 

 いや、それはただの願望でしかない。心のどこかで感じていたマオに対する違和感が、今の振る舞いで全て解消されてしまった。これは紛れもない現実であると、護自身が徐々に受け入れ始めている。

 唯一の心の拠り所だと信じていた人が消滅すると同時に、自分を軍曹かなにかだと思い込んでいる精神異常者に生殺与奪の権を握られてしまった。

「やっぱり将棋好きって変な人ばっかりだ……」

 護はこれから始まるであろう地獄の日々に思いを馳せ、深く嘆息した。

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