魔法少女育叡計画 scientia est potentia 作:pseudok
第1話 七つの地獄を巡る逢瀬
◇三香織
「たとえお前が悪の道に堕ちようとも、俺は決して見捨てたりしない。何度だって地獄の底から救い出してやる!」
荒涼とした大地の上で二人の少年が対峙し、殴り合い、血反吐を撒き散らし、骨を折り合い、最後には両者とも大の字になって倒れる。
スクリーンの映像をぼんやりと眺めながら、
救いを求めるようにチラリと隣の席を見遣ると、そこに座っている
──マジか。
達子に漫画版を借りて読んだ時は、よくできた少年漫画だと思っていたが、自分で思っているほどこの作品が好きではなかったのかもしれない。遡って安易に誘いに乗ったことを後悔する。
「SeVeN HeLLs」はややマイナー趣味の達子の購読作品の中では最もメジャーで、既刊十四巻にして発行部数二百万部を突破している。その勢いに乗って一クールテレビアニメ化、更にその続きが劇場アニメ化を果たした。達子としては原作第一話から追っている作品が劇場アニメ化するのは初めての経験だったようで、その報について珍しく興奮気味に語っていた。
そして来る劇場版公開日の前週、複数種の特典グッズを貰うために買ったのだと、二枚の前売り券を見せられた。見せるだけ見せて「一緒に見に行こう」とは自分からいわないところが非常に達子らしい。
「魔法少女になるよう誘っても断られない程度に仲良くなっておく」というトコに課された任務があるため、この提案は渡りに船だ。とはいえ休日までこの陰気なオタクの相手をさせられると思うとげんなりする。向こうから誘いが来る程度には仲良くなっているのだから、あとは時間さえかければ任務に失敗はない。普通に考えれば「今度埋め合わせをするから」といって誘いを断ってもいいはずだ。
しかし相手は達子だ。普通ではない。香織が断った時にダブついたチケットを渡す相手がいるはずもないし、そもそも二枚のチケットを見せるという行為にも相当な勇気を消費したことだろう。二重のショックを受けた達子は二度と香織を遊びに誘うことはなくなるかもしれない。それどころか最悪は永遠に心を鎖す可能性すらある。
これだから友達がいないやつは面倒臭い。
結局最初から選択肢などなかったのだと諦観を極め、これも仕事のうちだと自分を慰め、エンドクレジット中も当然のように席を立とうとしない達子の様子を眺めていた。
◇◇◇
「けっこー面白かったね。それじゃあ帰ろっか」
香織は劇場が明るくなっても余韻に浸っているのか動かない達子を突っついて歩かせ、飲食物用トレイを返却して、入出場ゲートを越え、それでもなおボケボケしている達子に対し、もうどうしようもないと、ひと声かけてから放置して歩き出した。
すると達子は突然炉に火が入ったかのように俊敏に動き出し、香織のパーカーの袖を掴んで引き止めた。
「いやいやいやいや」
達子は首を左右に振りながら、意図のよくわからない気持ち悪い笑みを浮かべている。掴まれた腕を振りほどこうとしても、異常に強い力でついてくる。
「……なに?」
「……香織ちゃん、喉乾いてない?」
「はぁ……まぁ……」
いわれてみれば、さっき注文したポップコーンは塩味が少し効きすぎだったかもしれない。ついでに達子が注文していたキャラメルポップコーンも糖分的に水やお茶が欲しくなりそうだった。
「たっちゃんもそうなら、一階のフードコートでも寄ってく?」
現在地の地理を思い出す。上映館が意外と少なく、最も近場で取り扱っていたのは電車で十駅揺られ、更に路線を乗り換えて五駅揺られ、そこから少し歩いた先にある大型商業施設だった。フードコートは最上階の映画館への道すがら目に入っていたので、素直に来た道を戻れば辿り着く。そう思って一歩踏み出すとまた袖を引かれる。
「いやいやいやいやいやいや」
「……だから、なに?」
「私、人混み、苦手、今日、日曜、フードコード、人、たくさん」
なぜか処理落ちした機械のようになっているが、いちいちツッコむのも面倒なので捨て置く。
「人が少なくてなにか飲めるようなところを今から探すってこと? あるかな……」
達子は子犬のようにうんうんと頷くが、香織が気の進まなそうな態度をあらわにしたせいか、急に不安げな表情を見せる。
「……もしかして、これからなにか予定あった……?」
「いや、別にないけど……」
反射的に答えてしまったが、達子の表情がぱっと明るくなるのを見て、もしかしたら正直に答えるべきではなかったかもしれないと思った。
「だよね! まだ日暮れまで時間もあるし……」
全くいい予感がしない。
ショッピングモールの最上階には飲食店が所狭しとひしめき合っていた。中華専門店、イタリアン、手打ち蕎麦屋、ラーメン屋、寿司屋、カレー屋……昼食は済ませてきたので、飲み物だけのために入るのは気が引ける。パンケーキ屋、スイーツショップなどはお腹の具合的にちょうどいいところだが、人気があるようで若い女性が外まで並んでいる。達子がまた文句をいうだろう。
各店舗を矯めつ眇めつ眺めている間に、突き当たりの僻地にまで辿り着いた。
「あっ、あそこなんてどうかな?」
達子が指差す先にあったのは、落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。場所や時間帯のせいか、客はほとんど入っていないようだ。豆に拘りがあるのか、店先で量り売りもしている。所詮大衆向けのショッピングモールに出店しているような店なので気後れするほどでもないが、中学生が好き好んで行くような店でもない。背伸びしていると思われるとちょっと恥ずかしい。そんなところだ。
それより先行していた達子がこの店に一直線に辿り着き、道中の店をほとんど気に留めていなかったことが気になる。
──こいつ、まさか最初から……。
達子の服装を改めて見る。膝上丈のフレアスカート、皺一つないブラウス、淡い桜色のカーディガン、リボン付きのローヒールパンプス……ファッション誌を参考にしたのか、マネキン買いでもしたのか、コーディネート自体に違和感はないが、小さな体と化粧っ気のない顔にはミスマッチで、芋臭さが消せていない。気合いが空回りした絶妙な着慣れていなさがある。
対する香織は部屋着とさして変わらない。大きめのフード付きパーカーに、七分丈のレギンス、歩きやすいスニーカー、髪を整えるのも面倒だったので後ろに縛ってキャップでごまかしている。映画を見て帰るだけならそれで十分だと思っていた。
香織の気を知ってか知らずか躊躇なく入店した達子は中で手招きをしている。香織はこんな形の屈辱があるのかと感心さえしながらも、後ろ髪を手櫛で軽く梳いてから後に続いた。
席についてすぐ、アルバイトと思しき若い女性が大きなピッチャーを持って水を注ぎに来た。動作に淀みはなく、流暢に決まり文句を並べるその様から、しっかりと行き届いた教育を感じる。
「アイスコーヒー一つ」
メニュー表にはブレンドやらコロンビアやらグアテマラやらといった単語が並んでいたが、どれも一杯五百円前後で違いもよくわからないので、適当に無難なものを選んだ。
達子はメニュー表のページを一通りめくった後、パフェのページで目を輝かせ、それから財布を確認して溜息を吐いた。達子が別段甘いもの好きという話は聞いたことがない。人並み程度だろう。だが今日の達子からは噂に聞く儀式的行為を全部やってやるという強い意志を感じる。
「私も、アイスコーヒーで……」
電車賃や映画館のフードメニューなどの出費が積み重なり、そろそろ普通の女子中学生のお小遣いでは厳しくなってくる頃なのだろうか。暗殺稼業でその辺のサラリーマンより稼いでいる香織は例外中の例外であり、もはや普通の感覚を失ってしまっているが、千円程度で一喜一憂するのはあまりにも馬鹿らしいと思う。
「あとチョコレートパフェ一つ」
達子が驚いたように香織を見つめるので、ばつが悪くなって目を逸らした。自ら面倒に突っ込んでしまったと自覚したが、もう遅い。
「映画奢ってもらったから、これでチャラってことで」
テーブルに届いたチョコレートパフェは、チョコレートソース、生クリーム、トリュフチョコ、バナナ、チョコフレーク、コーヒーゼリーなどで構成され、メニュー表の写真と印象が変わらない。なかなかのクオリティだ。
達子は独特の形のスプーンで生クリームを口に運んでは舌鼓を打っていたが、しばらくすると香織に向かってスプーンを差し出した。
「香織ちゃんも、一口どう……?」
正直甘いものはあまり得意ではない。
「いいよ、私は。映画の代わりなんだから、全部たっちゃんが食べて」
「でも、悪いから」
「いいって」
「お願い! 一口だけ……」
なぜ食べさせようとしている側が懇願しているのかわからない。香織が遠慮していると思っているのだろうか。このまま押し問答を続けても一歩も引いてくれそうにない。
「……じゃあ、一口だけ」
香織が折れると達子の顔が綻ぶ。できれば同じスプーンに口をつけたくなかったが、一口のためにいちいち店員を呼んでスプーンも持ってこさせたりすれば達子はまた落ち込むのではないかと想像し、勢いに任せて生クリームを口に放り込んだ。無駄に甘ったるい糖分と消化の悪そうな脂肪分が口の中に広がり、気分が悪くなる。
「おいしいね。ありがとう」
それを顔には出さずにスプーンを返却した。
達子は続きを食べようとクリームを掬うも、口に入れる前にはたと手を止め、スプーンの先と香織の顔を見比べると、やにわに顔を赤らめてドギマギし始める。そんな意識があるなら最初から新しいスプーンを用意してもらえばよかったと後悔した。
「さて、と……」
達子は食べかけのパフェを脇にどけると、映画館に入場する前に購入していたパンフレットをバッグから取り出し、テーブルの上に広げた。
「……どうだった?」
鼻息を荒くしながら顔を近づけてくる達子にうんざりする。
要はこれがやりたかったのだろう。映画を見た後に喫茶店で一緒に見た映画の感想を語り合う。だったらそういえばいい。にもかかわらずそれをすっとぼけて、わざわざ人を罠に嵌めるような形でまわりくどく追い込んで……。
これだから友達がいないやつは面倒臭い。
クソ映画だった、と本音をぶち撒けたら達子はどんな反応をするだろう。結局のところ達子は純粋な感想を求めているようでいて、その実共感を求めているに過ぎない。殴り合いの論戦になど慣れていないであろう達子はその一言で黙り込み、香織は悠々と帰宅することができる。それでいいのではないか。
「そうだねー。まず入りのシーンの演出と音楽がすごく良くて──」
結局また嘘を吐くことを選んでいる。自分を偽るのは得意だ。頭の中に自分ではない誰かを思い浮かべて、その人になったつもりで喋るだけでいい。しかし、趣味という本来神聖侵されざる領域にまで仕事上の欺瞞が侵食してくるとは思っていなかった。思っていた以上に厄介な女だ。
その後も珍しく饒舌になっている達子の話に相槌を打ち、達子に合わせた嘘の感想を時折混ぜる。
嘘をつくたび、ますます作品のことを嫌いになっていく気がする。
「SeVeN HeLLs」は七層の地獄を巡るダークファンタジークライムアクションバトル漫画だ。重罪人ほど下層の地獄に落とされるが、地獄の責め苦に耐えれば魂が浄化されて上層へと移動できるという設定の世界で、地獄の官吏である「
連載初期は人気が低迷していたが、獄悪人に両親を殺された一ノ瀬獅央が法に反して犯人への復讐を遂げ地獄に落とされる、という展開がネット上で話題になり、一躍人気漫画の仲間入りを果たした。
ネット上の感想を見る限りで人気が高いのは獅央の方だが、今滔々と作品愛を語っている達子が気に入っているのは龍児の方らしい。
小一時間ほど相槌を打つ作業を繰り返し、ようやく終盤の話に辿り着いた。いい加減疲れてくる。
「やっぱり『たとえお前が悪の道に堕ちようとも、俺は決して見捨てたりしない。何度だって地獄の底から救い出してやる!』ってこのシーン、アニメで見ると最高だったなぁ……まさに男の子同士の友情って感じ!」
「……」
達子が身振り手振りを交えて下手くそな演技で再現してみせたことで、アニメのシーンが脳内に蘇る。
そして気付いた。香織は獅央に感情移入している。しかし作品全体としては獅央の行動は否定されている。だからこのシーンが嫌いなのだと。
完全に反対の立場を取る達子に対し、もはや相槌を打つ気力もない。
「……じゃあさ、もしたっちゃんが龍児の立場だったら、獅央のこと殴ってでも止める?」
「もちろん! それが友情ってもんだよ!」
「ふーん……じゃあ、獅央が私だったら?」
「え? それも同じことじゃないかな……?」
「へえ……私のこと殴るんだ。そっかぁ……」
「だって、その……香織ちゃん、もしかして怒ってる?」
終始小鳥のように落ち着きなく囀っていた達子だったが、同調をやめた途端にしゅんとして香織の様子を上目で窺っている。極端だなあと思う。
「全然怒ってないよ。どうして?」
作り笑顔だけは努めて維持した。今更そんなことをしても逆に圧になるだけかもしれない。
「私がずっと自分の話ばっかりしてたから……」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。私は人の話聞くの好きだし。……でも、そう思ってるなら私の話に付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「う、うん」
らしくないことをしている自覚はある。でも、達子が相手なら、ちょっとぐらいいいだろうと思う。