魔法少女育叡計画 scientia est potentia   作:pseudok

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第2話 悪い子

 コーヒーグラスに浮かんでいた氷が音を立てた。本来黒々としていたアイスコーヒーは、今や向こう側の景色が透けて見えそうなほどに色が薄まっている。

「たっちゃんはなんで獅央が間違ってるって思うの?」

「それは……復讐はなにも生まないし、殺された人も喜ばないから……」

「はいはい、定番のやつね。それって本当にたっちゃんの考え? 漫画の読み過ぎで刷り込まれてるだけじゃない?」

「どうだろう……ちゃんと考えたことはないかも……」

「じゃあ今考えて」

 香織はコーヒーの水面がグラスに描く線を指でなぞった。温度差によって凝縮した水分がグラスの表面を流れ、テーブルを濡らす。

 達子は当初煩わしそうな態度を見せたが、香織がなにもいわないのを見ると、諦めて上を向いて目を瞑り、思考に沈み始める。

「うーん……やっぱり殺すのはよくないんじゃないかな……罪を償わせるために地獄のシステムがあるわけだし……」

「でも捕まえて地獄送りにするのだって一種の復讐だといえない? やりすぎなければいいってこと?」

「それはそうだよ。犯人が野放しにされてるのはもっとよくないから」

「だとしたら、適正な刑罰の基準は誰がどうやって決めるの?」

「それは……みんなの意見をすり合わせて……」

「ならみんなと意見が合わない人は我慢しなくちゃいけない?」

「そうなる……かな」

 突っ込んで訊けば訊くほどに達子の声のトーンは下がっていく。それでも香織は止まらない。

「そうなると法に納得できないから自分の基準で裁くって人が現れても当然だと思わない?」

「ちょ……ちょっとまって、あんまり質問攻めされてもついていけないんだけど……漫画の中の話だよね……?」

「そうだよ。つまり法の正しさなんて曖昧なものだから、時には疑わなくちゃいけない。獅央はその理念に基づいて行動したといえるよね。本当に殴ってでも止めるべきなの?」

「なんだか煙に巻かれてるような気がする……」

 熱くなりすぎているとは思う。達子は勢いだけで御せるほど頭が悪いわけではないらしい。

 アイスコーヒーのストローを口に含んで吸い込むと、ほぼ氷水でしかないコーヒーも消滅して、口の中に微かな苦味だけが残る。達子も同様にアイスコーヒーを飲み干し、一呼吸置いてから喋り出す。

「……だって、獅央くんは犯人の一族全員皆殺しにするなんていってたけど、いくらなんでもめちゃくちゃだよ。両親を殺される前は良い子だったんだから、実際になんの罪もない子供を目の前にしたら、彼自身だって流石に間違いに気付いて復讐を思い留まるんじゃないかな……」

 レイン・ポゥが泣き叫んで命乞いをする暗殺対象に遭遇したことは一度や二度ではない。もちろんなにをいわれようと容赦なく心臓に虹を突き刺したが、事切れた瞬間にその体が香織よりずっと年下の子供に変化したこともある。彼女にもなにか犯罪に手を染めざるを得ない事情があったかもしれない。だがそんなことはレイン・ポゥには一切関係がない。仕事だから殺す。そこに感情を差し挟む余地はない。

 だから、その気になりさえすれば獅央も同じことができると思う。

「そんなのはわからないよ。元の性格なんてものは関係なく、両親を殺された瞬間に完全な復讐鬼に変わったのかも」

 香織にも蝶や花と戯れているような時期があったはずだ。はっきりとした記憶はないが、最初からこうだったとは思えない。しかし姉との関係性によって、少しずつ今の人格が形成されていった。二度と元には戻らない。

「でも、獅央くんは根は良い子だから……」

()()()()()、ねぇ……」

 

 根本的な考え方のズレを感じるため、このまま作中の話を続けても埒が明かない気がした。攻め方を変えてみる。

「たっちゃんは今、物語の雰囲気に流されてて、現実的に考えられてないんだよ。例えば……私がパパ活してたらどう思う?」

「パッ……」

 途端に達子の顔が真っ赤に染め上がる。そして周囲をキョロキョロと見渡すが、少し離れた席に果物のマークが付いたノートパソコンのキーを必死に叩いているスーツの男性がいるぐらいで、香織達に注目している者はいない。

「そういうのは……私達とは無縁っていうか……」

「どうかな? 大村さんとかはやってるんじゃない?」

 大村はクラスのトップカーストに位置する女だ。達子や香織達が匂い付きのリップクリームはどのフレーバーがいいとか話している横で、アイシャドウだのマスカラだのグロスだのをバチバチにキメている。本職の夜の女などと比べれば中学生らしいナチュラルメイクとはいえ、見れば明らかにわかる。当然校則違反で入学当初は担任や生活指導の教師に注意を受けていたが、あろうことか大村は教師達を懐柔してしまい、今や注意をする教師は誰もいない。だからといって香織達が真似をして化粧などすれば一発アウトだろう。香織も人心掌握にはそれなりに自信があるが、あれは真似ができない。美貌に裏打ちされた自信が必要だ。レイン・ポゥならともかく、香織にはそれがない。

「それは……でも、大村さんと違って私達はこんなだし……」

 達子は俯いて無い胸をペタペタと触る。

「わかってないなぁ。大村みたいのより私達みたいなのの方がいいっていう悪い大人がいるんだよ」

 香織は堂々と無い胸を張った。

「そういうヘンタイ相手に二時間我慢すれば、二時間の映画が二十回は見れるんだよ。どう?」

「どうって……香織ちゃんは経験あるの……?」

「あるわけないじゃん。キモいおっさんに身体まさぐられるとか、考えただけで鳥肌立つし。深夜ドラマでちょっと見たことあるだけ」

 達子はほっと胸を撫で下ろした。同時に香織のからかいのネタも尽きた。それが面白くなくて、鼻を鳴らしながら椅子の背に深くもたれかかる。

 顔を真っ赤にしてもじもじしている達子を見ていると、ほんの少し溜飲は下がったが、まともに話ができないのは本意ではない。この程度では満たされない。

 

 席についた際に注がれた氷水を飲み干してから、香織は姿勢を正して達子に向き直った。

「ごめんごめん、さっきのは無し。じゃあ……私が万引きしてたとしたらどう?」

「それは……止めるよ。盗みはよくないもん」

「どうして? 法律で禁止されているから?」

「えっと、お店の人に迷惑がかかるから……かな。一冊万引きされたら十冊分の利益が飛ぶって聞いたことあるし……」

 これもよく聞く言説だ。一般論が聞きたいわけではない。

「他の人に迷惑がかかるかどうかが大事なんだね。じゃあ、私が月に一回ぐらい大麻を嗜んでたとしたらどう?」

「え? 大麻って、廃人になるやつじゃないの……?」

 大麻という単語を聞いて達子の表情が固まる。だがある程度踏み込んだ例を出さなければ話にならない。殺人が日常である香織からすればこれでも相当に譲歩している。

「授業で習ったあれ? あんなのやらせないために大袈裟にいってるに決まってるじゃん。お酒だってドラッグなんだよ? でもアルコール依存症で廃人になる人もいれば、ほどほどに楽しんでる人もいる。大麻はアルコールより依存性低いんだから、吸った後人と会わないようにすれば、誰にも迷惑かからないでしょ?」

「うーん……でも大麻はよくない感じがするよ……よくわかんないけど……」

「そんな曖昧な感じなのに殴ってでも止めるの?」

「だって……香織ちゃん、大麻に興味あるの?」

 達子の瞳は香織の姿をまっすぐに捉えながら、眉宇はそうであって欲しくないという願望を主張するように歪んでいる。

「たっちゃん、すぐ現実の私と結びつけようとするのやめよう? これは思考実験だから」

「でも、犯罪者の香織ちゃんなんて、うまく想像できないよ。香織ちゃんはちょっとずるいところとかはあるけど、犯罪に手を染めるような子じゃないって知ってるし……」

 この世の犯罪を全て煮詰めて固めたような存在を捕まえて、犯罪者でないと知っているとは、一体なにをいっているのだろうか。なにも知らないくせに知ったような口をきく達子を見ていると虫酸が走る。だが、偽証によってそう思うように仕向けていたのは香織自身だ。今の状態を維持するのが暗殺者レイン・ポゥにとって都合がいいのは間違いない。しかし、自己矛盾しているとはわかっていても、どうにかしてわからせたいという思いは消えない。直接的ではなく間接的に、それを伝える方法はないか。

 

 考えているとグラスが空になっているのを目敏く見つけたのか、バイトの女性がピッチャーを持って近づいてきた。

 ──ピッチャー、水、グラス、達子の服、店員、会計、お金、財布……。

 ちょっとした思いつきではあったが、頭の中で要素を整理するとそれなりに計画がまとまり、成功するという確信が生まれた。

 まず、店員が達子のグラスに水を注ぎ終わった直後、二人の視線がグラスから離れた一瞬の隙を突いて、達子の方へとグラスを倒した。暗殺によって培った隠形スキルをもってすれば、香織の仕業だと悟らせないことなど造作もない。

「つめたっ!」

 スカートの上に水が零れ落ち、達子は反射的に腰を上げた。自然な流れでそのミスは店員の責任になり、店員は頻りに頭を下げながら布巾を達子に手渡す。

「あーあ、たっちゃん大丈夫? まあコーヒーじゃなかったのが不幸中の幸いだねー。外の方が早く乾くだろうから、そろそろ出よっか。すみません、お会計別にできますか?」

 申し訳無さそうにしている店員に思考する余地を与えず、強引にレジへと連れて行く。達子も事態に対応できず、されるがままについてくる。

 アイスコーヒーが五百五十円、チョコレートパフェが千三百二十円、合計千八百七十円の支払いに対して一万円札を出し、八千百三十円のお釣りを受け取った。先程までとは打って変わって、動作はぎこちなく、声も震えているが、ミスはない。優秀だ。この様子を達子が見ていればそれでいい。

 達子も同様に会計を済ませたのを確認してから店外に出た。お昼時をとうに過ぎてはいるが、モールの通路にはそれなりに人々が行き交っている。達子は濡れたスカートを抑えながら、変に見られないかが気になるのかキョロキョロと周囲を見渡している。

「いやーパフェって結構するんだね。まあ、あのクオリティなら安いぐらいかな」

 香織はレシートを確認するふりをしてから、それを財布にしまう。

「あ!」

 わざとらしく声を上げると、達子も香織に注目した。

「さっき一万円しか持ってなかったのに、九千円入ってる!」

 財布の中から千円札を取り出した。

「ミスは重なるものっていうし、さっきの店員が間違えたんだねー。ラッキー」

「えっ! もらっちゃっていいの……? 返しに行った方が……」

 普段ならいざ知らず、達子はつい先刻までさんざん正義側に立って議論していたから、それが先行刺激(プライマー)になることは予測できている。だが、だからこそ意味がある。

「うーん、そうだねぇ……。じゃあ──」

 香織は達子の手を取り、掌の中に千円札を握り込ませた。

「たっちゃんにあげる。あの店員のミスなんだから、迷惑料として受け取っておきなよ」

「ええっ!? こんなの受け取れないよ!」

 渡してしまえばこちらのものだ。無理やり突き返そうとする達子に対し、手を後ろに回して断固として拒否の姿勢を取る。

「私はたっちゃんにあげたんだから、返したいならたっちゃんが直接返しに行けばいいじゃん」

「それは……おかしいよ。直接受け取った香織ちゃんが返してきてよ」

 極度の人見知りである達子が、店員とのやり取りも苦手としていることを香織は知っている。会計などの定型のやり取りでないならなおさらだろう。

「たっちゃんさぁ、よく考えなよ。水ぶち撒けられて、嫌な思いしたでしょ? 冷たかったよね? なのにあの店員がなんのお咎めも受けないのって、おかしくない?」

「それは、そうだけど……でも……それとこれとは……」

 香織は腰を落として達子のスカートの裾を摘まんだ。

「このスカートかわいいね。けっこういい生地使ってるじゃん。高かったんじゃない? あのピッチャーよく見ると中に輪切りのレモン入ってたし、もしかしたら染みが残るかも」

「えっ……やだ……」

 嘘だ。本当はレモンなど入っていなかった。

「あの店員謝ってたけどさあ、本来なら弁償を申し出ないとおかしいんだよ。相手が強面のおじさんだったら絶対いってたよ。私達が女子供だからナメられてんの。謝りながら心の中では舌出して笑ってたんだよ」

「そんな……」

 もう一息だ。畳み掛ける。

「ね、もらっちゃいなよ。これは正当な権利なんだよ。社会的正義。道義的義務。魔女に与える鉄槌。悪人への許容は善人への害悪」

「……」

 もう十分だと感じた香織は、にっこりと微笑んで達子の反応を待った。

「……じゃあ……そうしようかな……」

 ──勝った。

 間髪入れず追撃を加える。

「あ! そういえばこういうのって詐欺罪になるんだった!」

「えっ?」

 意味を理解される前に香織は千円札を握っている達子の掌を両掌で包み込んだ。

「これで私達共犯だね」

 香織にできる中で最高の作り笑いをじっくりと見せつけた。

 見れば、達子の肌は上気し、息は荒くなり、目は座っている。その表情は、罪悪感で青ざめ凍りつくというよりも、どちらかといえば興奮して歓喜に打ち震えているといった方が正しいように見える。

「へぇ……」

 その少し意外な達子の姿によって、香織の心はこの上なく満たされるのを感じた。

 香織は達子の耳に唇を近づけて囁く。

「たっちゃんって、案外、()()()なんだね」

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