嫌いなもの…… 作:ウヤムヤ
悲しそうで今にも泣き出してしまいそうな女性がいる。
青と白のドレスを着た麗しい姿の彼女に自分に何が出来るのかと考える。
「泣かないで」と慰めの言葉を掛けるべきか、優しく抱き締めて安心させてあげるべきなのか。
答えなどわからない。人と人の間で交わされるやり取りには明確な『正解』などないのだから。
だから下手に考えるべきではない。自分は、ただ思ったことを伝えるべきだろう。
――大丈夫だよ。
ただ、それだけ。そんなありきたりの一言しか浮かばなかったが、しかし伝えるだけは出来たらしい。
安心させようと放ったその言葉。
だが聞き取ったはずの麗人が顔をあげると……その真紅の瞳は潤んで今にも溢れそうだった。
――ぽたぽたと。
まるで雨が降ったかのように水滴が頬に当たる。
一粒、二粒、三粒……。スローペースではあるが、それは確かに自分の頬に落ちて滴っていく。
眠っている自室は二階で、上は天井だ。
雨漏りでもしたのだろうか?
そう思い、重い目蓋を開ける。
『――え』
そうして、開かれた視界に写り込んできたのは、端正な顔の令嬢――アースだった。
覗き込むようにして顔を近付けて見つめている。
それだけでも驚くのに……泣いていたのだ。
美しいその紅玉のような瞳から、滴が溢れている。
「…………どうして」
困惑して動けないでいると、彼女は震えた唇で問いかけた。
――それは果たしてどちらに向けて投げかけたものだったのか。
『アース……?』
「……っ!?」
こちらが驚きの声をあげるのと同時に、アースははっと我に返ったかのような表情を浮かべると、すぐに身を引いて距離を取った。
それは見惚れる程の速さで、先の光景も相成り暫し呆然としてしまった。
『アース! 何かあったの!』
だが、すぐに『あのアース』が泣いていたという事実を思い出し、慌てて理由を訊ねる。
「……いえ、なんでもありません。ただ、夢見が悪くて……少し、それを思い出してしまっただけです。心配掛けてすみません、立香」
しかし、アースは誤魔化すようにそう言うと「下で待ってますね」とだけ伝え、部屋から出ていった。
その背中は小さく見えた。
自分と彼女の背の差など5cmしか違わないのに、まるで子供のように感じたのだ。
『――ああ、そうか』
その姿と、先に漏れ出た言葉でようやく理解出来た。
――嫌いなもの……夢を見ない今の私ですね。
『彼女』は夢を見なかった。そんな自分を嫌いだと言っていた。物悲しい顔を浮かべながら。
アルクェイドから聞いたヒントが何かわからなかったが、それでも違和感を覚えたのはここだったのだ。
『あ、それからあの子ったらね、最近あなたの夢をよく見るって――』
彼女が夢を見ないことはアルクェイドも知っていたはずだ。それなのにそう言ったのは、現実との決定的な相違点として自分が絶対に違和感を感じるものだと考えたからだろう。
そして、その目論見は見事に当たった。
違和感を感じ、その正体を探ろうと行動して、そして……真実に辿り着けた。
――ああ……これでようやく、改めて認識出来た。
夢を見れる彼女がいるこの世界は、それこそ夢なのだ……。
はっきりとそう確信を持ててしまったのだ。
「おはようございます」
『おはよう、エコちゃん。……あれ? アースは?』
下に降りた先で迎えたのはアースではなく、エコだった。
二日続いていた為いるだろうとは思っていたが、エコ一人だけとは……一体どうしたことか?
「用事を思い出したと言って先に行きました」
『そっか……』
質問を投げかけると淡々として答えが返ってきた。
さっき見せた態度からして何かあったと考えるべきだ。しかし、それを聞こうにも既にいないのでは難しい。
如何に『夢のアース』だとしても、彼女に悲しい想いをしてほしくないという気持ちに変わりはないのだから。
「………………」
『えっと……なに?』
何故かジーっと視線を向けられていることに、居心地の悪さを感じたので、何か用でもあるのかと思い訊いてみる。
「いえ、ただ――その様子ですと『彼女』のことを思い出したようですね、カルデアのマスター」
『――!?』
すると予期せぬ単語を口に出され、驚きのあまり目を見開いた。
カルデア。その言葉を知るものは多くない。その上ここは夢の中だ。
『殺人貴』のような協力者ならいざ知らず、ただの夢の住人がそれを知っているだろうか? 日常的な世界観も相成り、その知識を持っていても意味がないように思えるが……。
『キミは一体……?』
「………………」
違和感とは別の異物感ともいうべきものをこの少女からは感じてはいたが、一体何者なのか?
そんな疑問の視線を向けられたエコは静かに一回だけ目をつぶる。
「……このままでは遅刻をします。歩きながら話しましょう」
そうして、一呼吸置いた後、促すように言った。
「私が何者なのか、ですが」
家から出て、少し歩いたところでエコは口を開いた。
「私もまた因子の一つです。それがどのようなものかは貴方の主観に任せます。真祖としての別の可能性。彼女達の中に眠る別人格。異なる世界の吸血姫。あり得ざる夢での邂逅者。どれでもお好きなのをどうぞ」
『えーと……よくわからないので、とりあえずエコちゃんのまま呼ばせてもらいます』
「…………まあいいでしょう。任せると言ったのは私ですから」
『それで……キミはどうして此処に……?』
詳細は不明だが、やはりエコはこの夢の住人ではないらしい。
ならば『殺人貴』同様、自分の味方なのかとも思ったのだが……。
「それは、私がこの事件の最後の後押しをした者だからです」
『え……!?』
その予想を裏切るかのような発言に、今日一番の驚きを見せる。
味方どころか加害者であるとこの少女は言う。
唖然としているこちらのことを、しかし気にする様子もなく、少女は話しを続ける。
「因子がカルデアにきたのは偶然でしたが、アルクェイドを通し『彼女』の願いを聞き入れたのは必然でした。そのための土壌は出来てしまいましたから」
因子そのものがカルデアにきたこと自体はただの偶然であったらしい。
問題はそのあと、『必然』とまで断言できるまでに人知れず『彼女』の中に願望は根付いていたということか。
「ですが、それだけでは貴方の『護り』を突破することは出来なかった。ですので――私が力を貸すことで最後の壁を破ったのです」
しかし、それだけではこの事件を発生させるには力が足りなかった。だからこそ少女は手を貸したのだ。
『なんで、そんな……』
そうして、抱いた疑問は『どうしてそんなことをしたか?』だ。
この事件でエコが得をする何かがあったのだろうか?
「それは、『彼女』に“自覚させる”必要があったからです」
そう思っての質問にエコはピシャリと返す。
『彼女』とは恐らくアースのことを言っているのだろうか。
「『彼女』は貴方と交流を重ねることで情緒が育っています。ですが、それはあまりに『遅い』。悠久を生きる『彼女』と違い、貴方は儚く刹那的な存在。本来であれば相容れることはあり得ない関係です」
アース自身、前に言っていたことだが……やはり彼女と出会うこと自体かなり『異常』……本来ではあり得ないらしい。それは互いに違う存在であることを示唆している。
「それが成立したのは……いえ、これは私が口にすべきものではありませんね。ともかく、貴方達の在り方は危うい。離別を経験したことのない『彼女』が、貴方を失ってから自覚しては遅いのです」
違う存在であるからこそ、些細な認識のズレで危険な状態に陥ることもあるだろう。
特にアースと違って自分はただの人間だ。自力では満足に魔術も使えないへっぽこでもある。
いつ命を落としてもおかしくはない危険な状況にも立たされている事実もある。
そんな状態で、もし彼女を残して先に逝ってしまえば……これまでの交流で積み上げた情緒により、アースの心に幾ばくかの波は立つだろう。
「流石にあのような汚点はアルクェイドだけで十分です。二度目の『光体』など恥に泥を塗る行為ですから。まったくもう」
問題は、その波が世界を滅ぼしかねないビッグウェーブになる虞れがあるということか。
心当たりがあるのか、エコは口を尖らせて小さく愚痴った。
「……失礼、今のは忘れてください」
他人の目があったことを思い出したのか、さっきのは忘れろと要求する姿は見た目相応に子供っぽい。
「ともかく、一連の騒動に関しては『彼女』にとって必要な経験です。貴方に対する自覚を意識して貰わなければロクでもない未来(終わり)が待っていますから」
『でも、確かキミは『これは俺が乗り越えなければいけない試練』とも言ってなかった?』
エコがこの事件を起こした原因はわかった。しかし、ならば昨日の朝、自分に向けて放った真意とは?
「はい。それもまた事実です。彼女と共にあろうとするのなら、いずれは避けては通れない道でした。それが今回であったというだけで、遅かれ早かれ直面したでしょう。どれほど彼女に影響を与えているか、貴方にも自覚して貰いたかったのです」
それに対する答えもまた少女は持っていた。
アースのマスターである以上、エコの懸念する危機とは切っても切り離せない。いや、あり得ないがもし魔術師然とした性格ならば変わったのだろう。彼女に対する見方、接した方が変わるのだから、アースの情緒が育つ余地はなかったはずだ。
しかし、現実には情緒が育つ程に接触と交流を続けている。そこに打算はなく、ただ相手に対する思い遣りがあった。
そんな当たり前の善性に触れたからこそ、あの若き真祖の姫は心を許してきているのだ。
『誰に対しても』ではなく、間違いなく『この人だから』という信頼があってのもの。
意識出来ていなかっただろうが、アースにとってはそれほどまでに特別な存在となっていたのだ。
彼女に自覚がなかったにしろ、それは事実。そして、その事実を受け止めることこそが『彼女のマスター』が真に理解しなければいけないことでもあった。
「脆弱なその身で世界の命運を背負っているのは承知しています。ですが、それとは別に貴方は背負わなけばいけない」
そうして、理解出来たのであれば己の価値を見直さなければいけない。
『人類最後のマスター』であると同時に――
「貴方自身の命。その価値を。どうか忘れないでください」
彼女にとっての唯一のマスターである、ということに。
自らの死は世界の終わりでもあるが、同時に一人の女の子を泣かせてしまうことになるのだから。
『世界』という漠然とした壮大なものよりも、それは想像し易く、胸が締め付ける思いで……自らの存在価値を実感し直すには十分過ぎた。