嫌いなもの…… 作:ウヤムヤ
――『にゃあにゃあ』と猫は泣く。いかないで縋るように、引き止めるように。
……ああ、どうかいかないで、私の大切な――
学校の裏庭には休むのに適したベンチがある。
日当たりはそんなによくなく、風にも当たりやすいからか夏以外では人気はない場所。
この夢の世界の中では季節は秋だったようだ。だからか、そこを使う人は最近までいなかった。
だが、此処何日かは『ある二人』の特等席となっていた。
しかし、今そこにいるのはその片割れのみ。
彼女は一人、静かに月を見上げ憂いている。
「にゃあ」
そんな気持ちを察してか、膝の上で丸くなっていた黒猫が元気付けるかのように鳴いた。
「……今までよく頑張ってくれました」
その姿を見て、労るように毛並みを撫でた。
二度、三度と撫で、もう一度撫でようとした瞬間――その手は猫をすり抜けた。
その手を……右手を見ると手の輪郭だけを残し、反対側が見える程に透けている。
「……限界、みたいですね」
自らの身体が限界に達していることを理解するも、心に波風は立たない。
全て承知の上で行なったことだ。
少しでも長く彼をこの世界に留めようとした。だが、彼はこの世界の真実を知り、出ていくことを選択してしまった。
それだけなら、『このような真似』はしなかっただろう。
気付かなかったら残された時間、その最後まで共にいようと決めていた。この決して味わうことの出来ない『日常』を最後まで噛み締めたかった。
だがしかし、よりによって彼は早々に出ようと決心した上に元凶たる自分に会って、別れを告げようとまでした。
――それはダメ。
その行為だけは容認出来なかった。
何故かなどわからない。ただ会うのが“怖くなった”のだ。
強大な力もなく、膨大な魔力を持っているわけでも、特質な異能を持っているわけでもない、ただの人間。
それと会うのを怖れるなどどういう了見だろうか。皆目見当もつかない。
ただ、唯一わかっている感情もある。
――全てを知った彼と、もしまた会えたとして……その時、彼は果たしてまたいつものように笑ってくれるのだろうか?
それだけが気掛かりで、知りたいけど知りたくなくて、会いたいのに会いたくない。
二律背反、矛盾する思考で脳がグチャグチャになってしまいそうだった。
結果、逃げるようにアースは『彼と会わない』という選択を取った。果たしてそれは防衛によるものか、それとも感情的な判断だったのかは今でもわからない。
しかし、もし彼に侮蔑的な感情を向けられたのならきっと耐えられないだろう。
彼からすれば数日にも満たない夢の出来事かもしれないが、『此処にいるアース』は彼と違和感なく日常を送る為に何度もシュミレートを行ない、現実の彼女よりも情緒は育ち、世間を知ったのだ。
そして、如何なるシミュレートにおいても、エスコート役として彼を抜擢し続けていた。
例えシュミレートだとしても経験は全てその身に蓄積している。その弊害に悩まされるなど予想できただろうか?
……いや、可能性自体はあった。
元々『此処にいるアース』は現実のアースの心の奥底に芽吹いた感情が反映されたもの。
その感情は、本来なら彼女は持ち得ないものであり、だからこそどのように育つのか未知数であった。故に如何なる可能性もあったのだ。
それでも……これは知らない。こんなに“大きくなる”なんて知らない。他者から向けられる感情一つでこんなに掻き乱されるなんて考えたことはなかった。
発芽し、更に急速的に育った情緒がキャパシティをオーバーしている。
知らない知らない知らない知らない怖い怖い怖い怖い知らない怖い知らない知らない怖い怖い怖い知らない怖い知らない知らない怖い怖い怖い怖い知らない知らない怖い知らない怖い怖い知らない知らない怖い知らない
未知の恐怖、想定し得る未来に怯える。
アースは知らない。それが『不安』と呼ばれる感情が増大しただけのものであることを。
人間なら誰しもが持ち、向き合わなければいけない感情の一つであることを知らない。
元々それから生まれたにも拘わらず、急速に育ったかが故に処理が追いつかない。処理する為の時間も足りない。
だからこその『選択』であり、それによりこの恐怖から解放されたと……思っていた。
「ああ――」
なのに……。
「どうして、貴方の顔が浮かぶのでしょう……?」
消えることに後悔はなく、顔を合わせることが唯一の恐怖なのに、どうしてか目蓋を閉じるとあの笑顔を浮かぶのだ。
走馬灯の如く思い出が過ぎっていき、都度『会いたい』という想いが強くなる。
矛盾しているのはわかっている、それでもその想いは止められなくて……。
『――――ぁぁぁぁ!!!』
それこそ幻聴すら聴こえる程に……。
「……え?」
違和感を感じ、すぐに意識を切り替える。
馴染みのある声が確かに耳に入った。幻聴ではなくはっきり聞き取れたのだ。
しかし何処からと、周囲を見渡そうとした瞬間。
『うわああああ!! ちょ、落ちる! 落ちる!!』
空の彼方より声の主がこちらに向かって飛んでくるのを発見した。
「――立香!?」
どう見ても即死級の速度と高度を視認すると、慌てて落下地点と推測される場所に緑の蔦を出現させた。
『うわっ!?』
何重にも重ねられたクッションにより衝撃は和らげられ、更に弾みで跳ばないように蔦で拘束することで難を逃れた。
『は、はは……ありがとう……アース』
蔦の拘束も解除され、地に足が着いたことで、生きた実感を感じ、恩人であるアースに礼を述べる。
しかし、それを受け取ったはずのアースは妙に居心地が悪そうに……というよりワナワナと身体が震えているように見える。
「なにを――」
『え?』
「なにを考えているのですか貴方は!? 弾道ミサイルにでもなったつもりですか! 夢の中とはいえ貴方の肉体は人間のままなんですよ! あの速度と高度なら肉片になるのは火を見るよりも明らかなはず! 夢の中でも死んでしまえば精神に影響が出るんですよ!」
『あ、えっと、その……ごめんなさい』
「許しません! 大体どうして貴方はいつもそう――!」
そして堰を切ったように怒涛のお叱り&苦言のラッシュを浴びせられた。
それはもう、これでもかと言わんばかりに物凄い勢いで、先程のこと以外にも普段不満に思っているものまでも吐き出している。
「――以上です。反省するように」
『すみませんでした』
時間にしてどれくらいか?
恐らく数分も経っていないだろうが、あのアースのお怒りということもあってか、時間が長く感じた。
途中から『すみませんbot』かと思うくらいには、それしか言葉が口から出なかった。
……とはいえ、こちらの身を案じた結果のお叱りなので甘んじて受けるべきなのだろう……途中から関係ない話しも混ざっていた気もするが些細なこと。「これも些事」と心の中のアルジュナ・オルタも言ってくれているし。
それはそうと……。
「……何か?」
つい向けてしまった視線に気付いたアースはギロリと返した。
『いや、その、アースがここまで感情出してくれたの初めてだから、驚いちゃって……』
そして、思った感想をそのまま述べる。
アースに感情がないわけではないのは知っている。しかし、それは小さく、無意識の所が多い。
対して目の前にいるアースは(こちらが悪かったとはいえ)明確に強い怒りの感情を見せてくれた。
……思えば、このアースは出会った当初から
「……そうですね。この私は、いわば貴方用にデチューンした存在です。ですので、オリジナルの私よりも感情や心は人間に寄っています」
仕方なくといった具合に身の上を話してくれるアース。
流石に夢の中でもあの世間知らずっぷりを披露するのは憚ったのか、それとも単純に“人間のように”振る舞いたかったのかは定かではない。
『そうなの?』
しかし、その努力が功を奏したのか、確かに話し易さや共感のし易いとかは向こうより上に感じた。別に向こうが悪いというわけではなく、単純な親しみ易さのようなものがこちらにはある。
「この世界で貴方と日常を過ごすのであれば、人間に寄せるのが最善だと思いましたから。……ですが、結果このようなバグを抱えてしまうなんて……」
それが唯一アースが見落としていた点、想定できなかった事態だ。
自らの役割を理解し、それに最適な能力を持とうとした結果、その過程において不具合が発生するなど考慮できるわけがない。
正確には人間に寄ろうとして起きた不具合……急速的な感情と情緒の確保が原因である。
現実の方は歩むような速度なのに対し、こちらはロケットを使ったかの如き超加速なのだ。そりゃバグりもする。
『バグ?』
「いえ、なんでも……こちらの話しです」
だが、不思議と彼と話しをしていると先程まで感じていた、圧し潰されそうな怖い感情がなくなっていることに気付く。
『そっか。まあ、それはそうと……ちゃんと会えて良かった』
「――ッ!?」
そして、また笑いかけてくれたことに喜びにも、嬉しさにも似た感情を感じて自然と頬が緩んだ。
(……ああ、先程まであんなに憂いていたというのに……彼の笑顔を見ただけでどうしてこんなに晴れやかな気持ちになるのでしょう。……もしかしたら、これが人間の言う――)
薄々とだがそんな予感はあった、彼と過ごす内に獲得する情報も感情も増えていった。だから『この夢』でそれを得たとしても不思議ではない。
そもそも
納得がいく結論が出た為か、アースから陰の気はなくなっていた。穏やかな笑みすら浮かべている。
「あ……」
再会できた喜びやその笑顔を見れたことにホッと胸を撫で下ろしたのも束の間……。
「アース……」
彼女の身体が徐々に透け始めていることに気付いた。
身体の端から色が薄れ、透明になっていく。
「誰の所為だと思っているのですか? 貴方を助ける為に残っていた力を使ったのですよ?」
それは先程助ける為に緑の蔦を出した代償。
元々残り少ない命の炎を更に燃焼させた結果だ。
『あ……ごめん』
その事実に、ただ謝ることしか出来ない自分が不甲斐ない。
「……ふふ。……いえ、呆れてはいますが、怒ってはいません。貴方の無事には代えられませんから」
だがアースはそれを笑って許してくれた。
「貴方が無事ならよかった」と本心から言ってくれている。